- 1二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 21:33:36
あの日、2人で勝ち取ったURAファイナルズの日から4年が経った。
あれから私は海外に世界のレース制度やトレーニング技術など様々なものを見に。彼女は有名な大学に。2人で別れた。
最後の一緒の食事も、最後の一緒の布団も、最後の一緒の朝も、全部どこか物足りなかった。
飛行機に乗る前の挨拶も、上手く交わせなかった。4年間学び続ける日々の中でも、それだけが大きな心残りだった。
飛行機が着陸のアナウンスをする。手元のページをめくる手が止まった文庫本を閉じ、ポケットに入れる。
飛行機が着陸すると、ザワザワと喧騒が帰ってくる。その波から逃げるように足早にターミナルへと向かう。
彼女への、帰国の連絡はしないでおいた。あの日、素直になれなかった自分が相手に祝福を求めるのがどこかおこがましいような気がしたからだ。
でも、やっぱりどうしてもターミナルを見回して、彼女の姿を探してしまう。でもやっぱり、見つからなかった。
タクシーを捕まえて帰ろうと外に出る。久々の母国の風は懐かしい匂いがする。やっぱりこの地に生まれたヒトなんだと、再認識させてくれる。 - 2二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 21:39:39
一時の郷愁に浸った後、タクシーを探す。1台だけ止まっていたが、それは他の人に取られてしまった。
ここからトレセンまでは歩いて1時間ほどかかる。しかしまあ、たまには歩くというのもいいものだ。キャリーケースを握り直して、歩道をあるきはじめる。
この4年間、沢山のことを学んだ。経験したことないような衝撃を受けたこともあれば、腹がよじれるくらいに笑ったこともあった。自身の不甲斐なさに滂沱して枕を濡らした夜もあるし、何をする訳でもなくただ天井を眺める日もあった。
でもそんな特別なことでもなんでもないような事でも、何かがかけているような気がしていた。いや、本当はとっくに気がついている。でもそれを見て見ぬふりをした。自身の中のあの日への言い訳になっている事に、気が付きたくなかったから。
そんなことを考えながら、トレセンに向かう。どんな風に変わってるかな、ターフは、トレーニングルームは、他は…そんなことに思いを馳せる。 - 3二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 21:44:04
ふと、思考の重心を現実に移すと、そこはトレセンじゃなかった。見知った扉の木目。見知った看板。見知った石畳。彼女とよく来ていたバーだ。
なんだかひどく懐かしいような気がして扉を開ける。カランカラン、と耳に心地の良いカウベルが音を届ける。
マスターは無言でこちらに微笑むと、後ろの棚から何本か取り出し、カクテルを作り始めた。マスター直々だ。ご相伴に預からないのは野暮だろう。
「久しぶりですね。今日の帰国でしたか」
優しいバリトンボイスで聞いてくる。
「ええ、ちょうどさっきです」
そう言いながら鋲で打たれた革張りのスツールに腰を下ろす。
「はい、こちらいつものです」
「ありがとうございます…って、こっちの飴は?」
いつも飲んでいたあのカクテルの傍らに、赤い色の飴が添えてあった。
「それは私からのサービスです。長いフライトでおつかれでしょう?」
「なるほど。お気遣い、感謝します」
カクテルを1口喉に流し、アメを口に転がす。甘酸っぱい、林檎味の飴だ。
暫く、レコードから流れるジャズに耳を傾け、目を閉じて音色を楽しむ。この暖かい音を聞きながらここで彼女と喋るのが好きだった。いや、今も好きだろう。その相手がいないだけで。 - 4二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 21:51:02
どれほど時が経ったろう。店内のスローテンポな空気は、否応なしに体内のBPMを弛緩させてしまう。壁掛けの時計は夜の9時を回ったところだった。
それからはカクテルをゆっくりと飲みながら、この後どうしようかと思った。理事長からは夜の9時を超えたらまた明日と言われており、寮に帰るにも手続きがまだだ。
うだうだと考えながら、アルコールをほんのりと吸収し始めた体を伸ばす。ビーチボールから空気をプシューっと抜いてしまうみたいに余計な排気ガスをアルコールは抜いてくれる。
カクテルを飲み干し、店長にお代を渡す。しかし
「ああ、お代はツケでお願いします」
そう断られてしまった。
「え、どうしたんです?」
そう聞き返す。
「ええ。その件ですが、それを私に伝えた方がいましてね。どうやら浜辺、と伝えれば良いと」
その言葉で、脳を落雷に振るわされるような衝撃が走った。
「そ、それは本当ですか!?」
「ええ。その通りです。では、どうぞお気をつけて」
その言葉にキャリーケースもほっぽり出して店を出てしまう。ガタバタン!とけたたましく扉を開く、もう出ていった彼女に向けてマスターは呟いた。
「店内では、お静かに」 - 5二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 22:10:46
息を切らして、浜への道を走る。慣れない靴は脱ぎ捨てて、肺を精一杯機能させて。
路地の蛇のような道を通り抜け、どれだけ走っただろうか。開けた景色が視界を支配する。
脚はもう棒になりそうだ。肺もいつ裂けてもおかしくないだろう。しかしそんな体にムチを打って辺りを見回す。
赤い、屋根が見えた。異様に低い車高。流れるようなボディ。そして、隣に佇む1人のウマ娘。
「…ッ…マルゼン…」
息も切れ切れにその名を呼ぶ。
「あら、遅かったじゃない。お姉さん、待ちくたびれちゃった」
酸欠で制御出来ないからだが地に落ちる。しかし彼女が寸前で止めてくれた。
「大丈夫?顔色チョベリバよ?」
「そういうあなたも…その言葉遣い…そのまま…なのね…」
相変わらず四半世紀は前の言葉をよく使う。
「もう。トレーナーちゃんにきちんと分かるようにこうやって喋ったのに。お姉さんぷんぷんだぞ?」
「うふふ…そうだね…」
2人でガードレールに寄りかかる。
「久しぶりね」
「うん。本当に久しぶりだね」
「あと、おかえり」
「ただいま」
沈黙が降りる。背の波の音だけが静寂をかき消す。
「ねぇ、マルちゃん」
「なぁに?」
こちらにのぞきこんでくる彼女を見据え、言葉を紡ぐ。 - 6二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 22:11:02
「あの日、最後の日、私、あなたに伝え忘れたことがあるの。また、帰ってくるからって、言えなくて。やっぱりどうしても、向こうで4年も離れたらさ、私もどこか変わってしまうでしょ?それが、怖くて…私は…」
「はい、ストップ」
そう告げると、顔の横に手が添えられる。と思う間もなく唇が重ねられた。
「悪いお口はここでストップ。大丈夫よトレーナーちゃん。変わってしまったのはお互い様。ね?」
「本当に…いいの?あの頃にはもう…あの頃の私は…」
「モチよ!だって、あたしだって変わっちゃったのはおんなじ。なら、お互いまた新しく進めばいいでしょ?」
それが限界だった。堰を切ったように涙が溢れ出した。
「よしよし。お姉さんは、トレーナーちゃんとずっと一緒よ」
海の水面を輝かせる月あかりに照らされながら、2人は固く抱き合い、再会をしたのだった。 - 7二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 22:14:39
途中まで良かったのに顔色チョベリバで吹いてしまった
感動を返せ - 8二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 22:16:53
これにて完結です。
またどこかで投げるかもしれません。その時はどうぞよろしく。 - 9二次元好きの匿名さん22/01/11(火) 23:06:32
ストーリーももちろん良かったけど、文章が好き
久しぶりに好きな感じの文体のSSに出会えて嬉しい
また機会があればあなたのSS読みたい