- 1二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 13:06:16
ちょっと気になることがあったので意見を聞きたくてスレ立てしてみた
本考察スレでみんなの意見を聞きたいのは以下の二つになります
疑問①龍賀家の本流(嫡男)じゃなかったんじゃないか?
理由:水木が葬式に参加する際に広間の欄間あたりに写真が複数飾られているんだけど、そのうちの二枚か三枚が軍服(洋装)に勲章をつけた恰幅のいい男性の写真になっている
→広間の作り(将軍の座るような上座、豪華な障壁画)からして、龍賀家でも非常に重要な場所であることは間違いないのでこの写真の人物は歴代の当主たちと推測される
→軍服+勲章は日清(1894年)・日露(1904年)あたりに勲功を讃えられて授与されたものと推測される(ちなみに写真は幕末あたりに日本に輸入されてきた舶来文化)
→時貞の年齢は80〜90歳あたり(映画の「弱い80を超えて〜」参照)での龍賀時貞のモデルらしき犬神佐兵衛は裸一貫で財を築いた人(また、水木の作中の言葉「時貞翁は立志伝中の人」も逆境から身を立てた人に用いられる言葉)
以上を踏まえるに、
時貞は元々は龍賀家の次男か三男だったが、兄二人が戦死か何かしたために当主に就任したのでは? - 2二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 13:06:44
疑問②乙米は水木に向かって「霊力の強い子供を産むために当主に身を捧げる務めがある」云々言っていたけど、本来、求められていたのは「(狂骨の封印のために)霊力の強い子供を産むため」だけだったのではないだろうか
理由:上記の写真ネタに被るのだけど龍賀家の当主は日清・日露期の徴兵検査をパスできるだけの丈夫な体の持ち主
→葬式には分家の連中が大勢いる(分家は基本成年の次男坊・三男坊が家を出て、新しく家を建てることで成立)
→時貞からの抑圧の結果「病弱」という扱いにされた疑いのある時麿を除き、龍賀時貞の三姉妹や孝三に健康面での問題はない一方、近親婚の末に生まれた沙代(不妊の気)や時ちゃん(病弱)には身体面での問題がある
つまり、上記の過程で当主に就任した時貞によって、
元々は「(これはこれで酷いけど)霊力の強い子供を産む」だけだった龍賀の女に科せられる務めが時貞の代になって歪められ「当主=時貞に身を捧げる務めがある」という要項が後から追加されたのではなかろうか - 3二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 13:11:48
疑問②は自分でもちょいこじつけ臭く感じるがあまりにも気になってしまってスレ立てしました
皆様のご意見を聞かせてもらえると嬉しいです - 4二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 13:22:10
乙です
よく整理されてるなあ
その説だと時貞がマブイ移しを検討しはじめたのが「齢80を超えて」からなのが引っかかってくるように思う
その頃には既に時麿たちは生まれていて乙米に沙代を産ませていたと考えると近親相姦は時貞以前の当主からの伝統だと思う
先代が日清日露の頃に出征して亡くなってそうなのは同意
その頃時貞は本邦で黎明期の薬学に励み製薬事業を成功させていただろうと思われるため
- 5二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 15:08:01
大体納得だけど、①の根拠の欄間の写真は、
遺言公開をやってた広間の欄間じゃなくて水木と社長が通り過ぎた途中の部屋の欄間だったよ - 6二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 15:36:36
龍賀一族の元々は女系相続家系説も合わせて考えると面白そうだ 実際、乙米さんが村の実権握ってるのであの家ちょい女系感あるんよね
あの家の事情を知ってる村の人が自分の娘を差し出すか疑問、息子を産んだ三女より娘を産んだ長女の方が優先されている、本来は外部の血を入れる必要がある(社長と長女の婚姻)とか - 7二次元好きの匿名さん24/01/14(日) 15:44:15
沙代の不妊や時弥の病弱って実は近親相姦と関係ないんじゃないかな?
不妊は明らかに80才超えの時貞のほうの生殖能力の問題があると考えるのが妥当だし
病弱もお爺様が亡くなってからひどいという台詞があるためマブイ移しの影響と考えられる
実は沙代や時弥に問題はないのに龍賀家は時貞が正義だからそうとは考えられなかったのでは