【SS】Voyager｜あにまん掲示板

1二次元好きの匿名さん24/01/15(月) 22:02:59

　誰もが満足の行く終わりは迎えられないと言うことは、頭で理解していても受け入れがたい事実ではあります。既にピークを超え限界を迎えていた私の体は、ここで戦うには少し傷つき過ぎていたようです。
　あの日に負った傷も月日を経るごとに癒え─寒い日は時折痛むこともありますが─次なるステージでまたスペちゃんやエルと競うために基礎的なトレーニングは欠かしていません。とはいえ、新しい担当を持ち次のステージへと踏み出した彼の時間を私のために割かせるのは少し心苦しく、しばらくは自主トレの形を取っていました。
「お疲れ、怪我の具合はどうかな」
「リハビリの最中というのに、時間を割いてもよろしいのですか?」
「チームの方はレース明けの全休日だよ。それよりもグラスの怪我が心配だったから」
　すでに傷は癒えて久しいというのに、心配症な彼はこうして暇を見つけては私の事を見に来てくれます。軽いリハビリこそありますが、そこまで心配するほどの怪我ではないというのに。とはいえ、彼のそういう気配りに私も心惹かれていた事は事実でした。
「時折、思うんです。もし私のトレーナーさんが別の人だったらここまで来れなかったと」
「俺もグラスが居なかったら、今のようなトレーナーには成れなかったって思ってる」
　そんなことは無いですよ、と言いかけ向き直ったときに向けられていた彼の真剣な眼差し。私は気圧されてしまいました。しばしの静寂、他の人たちが使う器具の音は耳で知覚こそできているのに、まるで聞こえなくなるような二人だけの空間。
「生涯かけて、グラフワンダーの担当をできたことを誇りに思えるくらい。俺には出来すぎた担当だった」
「……少し、気分転換でもしましょうか」
　そう言って、一旦制服に着替えてから校舎の外へと歩み出していきました。

>>13

2二次元好きの匿名さん24/01/15(月) 22:04:05

　秋と言うには校舎の合間を吹き抜けていく風が冷たく、所々には落ち葉が積み重なっていました。踏みしめて歩くのも風情があって良いと思うのですが、彼は私の身体を気にしてか、自然と避けてタイルの上を歩いていきます。
　去年の今頃は年末のグランプリに向けて、本格的な調整を始めていた頃でしょうか。校舎の至る所から様々な声が響いています。未練がないと言えば嘘になりますが、気持ちの折り合いはつけたつもりでした。
「やはり、この時期は少し張り詰めた空気を感じますね」
「年末の大一番にジュニア期で初めて迎える大レース、どちらも思い出すだけで胸の奥が熱くなるような気がするよ」
　これまでの事を思い出しながら、一歩一歩を確かめるように並んで歩きます。まるで今日が今生の別れかのような、寂しさが二人の間に差し込んできたところで、私は一歩だけ、トレーナーさんの後ろで立ち止まりました。
「私も、トレーナーさんに指導していただけたことを生涯の支えにしていきます」
「そこまで買いかぶられると少し照れるな」
「ですが、もう少しだけ隣に居させてくれませんか」
　はっと振り返るトレーナーさん。今だけは私の顔を見ないで欲しいと願っても、彼はそんな私の頬に手を回し、優しくもしっかりとした眼差しを私に向けてきます。本当に伝えたかったことはこれだけではなかったのですが、今はこれだけ。これ以上は、涙で声がかすれてしまいそうですから。

>>13

3二次元好きの匿名さん24/01/15(月) 22:08:48

新年初のSSでした。

タイトルのVoyagerはこちらの曲を聞きながらこの話を考えたので採用しました。異国の地にやってきた彼女とも少し重なるところがあるのではないでしょうか。

サビで繰り返される言葉に少し物悲しさと、同時に確かな信頼を感じる名曲ですね。映画の挿入歌で聞いたときの衝撃が忘れられません。

VOYAGER～日付のない墓標～ (2022 mix)