- 1二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:47:35
「それじゃあトレーナーさん、今日はよろしくお願いします♪」
トレセン学園のプール施設。
目の前の少女は、にっこりと花開くような笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げる。
栃栗毛のショートヘア、名前を表すような月桂冠の髪飾り、桃の花を思わせる桜色の瞳。
担当ウマ娘のサクラローレルは、トレーニング用の水着を身に纏い、俺の前に立っていた。
……ちなみに、俺も今日は水着に、上着を羽織った姿だったりする。
「それは構わないんだけど……それにしても意外だったな、君が再試験なんて」
「……本当に、ご迷惑おかけします」
ローレルは恥ずかしそうに頬を染めながら、申し訳なさそうな表情で謝罪を口にする。
────今日プールに来た目的は、レースのためのトレーニングではなく、泳ぎの指導のためだった。
トレセン学園の授業課程には水泳の授業も存在する。
無論、そこまでの練度を求められるわけではないのだが、あまりにテストの結果が悪いと再試験になることもある。
……とはいえ、泳ぎに関しては向き不向きがあるので、逃げ出すとかしない限りは、再試験はないはずなんだけど。
そんなことを考えていると、ローレルは何かを察したのか、苦笑を浮かべた。
「テストがあった日に体調を崩しちゃって」
「そうなんだ、でもそれならわざわざ事前練習なんかする必要は……」
「それで、しばらく泳ぎの練習はしていなかったので、テスト前にトレーナーさんに教えてもらおうかと」
ローレルは少し気まずそうな顔で、そう言う。
なるほど、とりあえず納得はいった。
泳ぎの練習を一人でやるのは危険だし、俺もある程度ならば指導することが出来る。
再試験の方もあまりに結果が悪ければトレーニングに制限がかかったりするので、俺にとっても大事なことだ。
俺は上着を脱いで、彼女に声をかける。 - 2二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:47:50
「わかった、準備運動をしてからプールに入ろうか」
「……結構、鍛えているんですね?」
ローレルは意外そうな表情をしながら、興味深そうに俺の身体を見つめていた。
トレーニングについて調べるうちに、自分自身でも筋トレにハマってしまう、というのはトレーナーでは良くある話。
俺の場合はそこまでがっつりという感じではないが、まあそれなりにはやっている。
……とはいえ、じっと見られるのは少し気恥ずかしい。
準備運動、とう名目で身体を思いきり捻じって、彼女の視線から顔と身体を逸らす。
「もう少し、筋肉をつけたいと思うんだけどね、他にやることもあってなかなか」
「…………私は、これくらいの方が好きですよ?」
「……それはどうも」
「今でも素敵な身体なんですから、そんな恥ずかしがることないじゃないですか」
「……早く準備運動をしなさい」
「はぁい」
どうやら、ローレルには全てお見通しだった模様。
彼女は楽しそうに笑みを浮かべて、準備運動を始めるのであった。 - 3二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:48:08
二人してプールに入り、何から始めようかと思考を巡らした直後。
「それじゃあトレーナーさん、バタ足の練習をお願いします」
ローレルはそう言いながら、両手をこちらに向けて差し出した。
まるでハロウィンでお菓子を要求する子どものような、満面の笑顔。
だが俺には意図が掴めず、彼女に対して、困惑しつつも問いかけた。
「えっと、この手は?」
「手を持って補助してもらうと良いって、友達が言っていたんです」
「ああ、なるほど、そういうことか」
説明をされて、ピンと来た。
手を持って支えてあげることによって、泳いでもらうやつである。
教師が多人数を見る水泳の授業ではなかなか難しいが、マンツーマンなら問題にならないだろう。
……あれってそこまで有効かなあと思いつつも、目を輝かせ尻尾を振っている彼女には、そんなことを言えそうにない。
仕方がないので俺は言われるがままに、彼女の手を取った。
少し力を入れたら壊れそうなほどに細く、小さく、柔らかな彼女の手を、出来る限り優しく持つ。
するとローレルは耳をぴこぴこ動かしながら、小さく微笑んだ。
「ふふっ」
「どうかした?」
「いや、トレーナーさんの手って大きくてごつごつしてて、何か、良いなあって」
「……始めるぞー」
「あっ、もう、照れないでくださいよー、あっ、そうだ、手は途中で一旦離してみてくださいね?」
「……ん?」
「それとも絶対離さないでください、って言った方が良かったですか?」
「芸人へのフリじゃないんだから」 - 4二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:48:23
俺は首を傾げるローレルを見て、苦笑してしまう。
しかし、様子を見てやろうとは思っていたけど、まさか彼女の方から提案してくるとは思わなかった。
こういうのを、される側から行ってくるのは、結構珍しいような気がするけども。
まあ、やる気があるなら何よりか、俺はそう思い、深く考えることをやめた。 - 5二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:48:36
そんなわけで、ローレルの手を持ってバタ足をしてもらっているのだけど。
────なんか、思ってたよりも上手に出来ている。
苦手な子にありがちな力を入れすぎている様子も、膝で曲げている様子も感じられない。
何よりも、常に笑顔で余裕がありそうというか。
「ローレル、何か、楽しそうだね」
「はいっ! 思っていたよりも、ずっと!」
「そっか」
思っていたより、とは何なのか。
そんな疑問が一瞬過ぎったが、とりあえずローレルが楽しく練習出来ているなら良いだろう。
……それで、約束した、手を離すタイミングなのだが。
「……♪」
どうにもローレルの方がワクワクとした表情で待ち構えているようなので、なかなか機会がない。
しかし、ずっとこうしてても進展が見込めない。
……まあ変なタイミングで離して溺れたりするよりは良いだろう、と考えて、今この時手を離すことにした。
おもむろに腕を上げると、彼女のしなやかな指先が俺の手の中かすり抜けていく。
刹那、水飛沫が大きく爆ぜた。
一瞬、溺れたのかと焦ったが、彼女のフォームには特に変化はない。
ただ、バタ足の勢いが増して、それに比例して水飛沫の勢いも増したというだけ。
────更に、それに伴って、推進力も増した。 - 6二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:48:50
「ちょっ……!」
そのままの勢いで急加速してくるローレル。
水中で、この距離から突っ込んでくるウマ娘を避ける術など存在しなかった。
衝撃に備えて、せめてローレルが無事でいることを祈りながら、目を閉じる。
しかし、予想していた衝撃はいつまでも来ない。
「……きゃー」
来るのは、明らかな棒読みな悲鳴と、そっと背中に添えられた手と、正面から柔らかな感触。
目を開けてみれば、そこにはいつの間にかバタ足を止めて、縋りつくように身を寄せるローレルの姿があった。
彼女は少し照れたような笑みを浮かべながら、こちらを見上げている。
……この距離感は心臓と体面に、とても良くない。
「えへへ、助かりました、トレーナーさん」
「いや、俺は何もしてないからね? あとローレル、大丈夫ならちょっと離れて」
「…………ちょっと水が怖くなってきたので、しばらくこのままでも良いですか?」
「ローレル? 全然怖いって顔じゃないんだけど? 聞いてる? ローレルさん?」
何とか引き離そうとするものの、ローレルは一向に離れてはくれない。
むしろ、背中に回された腕の力が強まっている気さえする。
困り果てて、どうしたものかと思っていた、その瞬間であった。 - 7二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:49:03
「────あれ? ローレルちゃん?」
聞き覚えの無い、どこか気の抜けた声がプールサイドから聞こえて来る。
そして聞こえて来た時には、ローレルはパッとその身を離していた。
すごい反応速度だなあと呆れつつ、俺は声の聞こえて来た方向に視線を向ける。
芦毛のふわりとしたボブカット、垂れめの眉に、おっとりとした顔つき。
「あっ、ミラ子ちゃん」
ローレルは声をかけてきた子を見て、手を上げて、名前を呼んだ。
────思い出した、ローレルと得意距離が近いから、何度か調べてみたことがある。
ヒシミラクル、ロングスパートを得意とするステイヤーのウマ娘だ。
彼女は俺達のことを交互に見ると、やがて納得したような顔つきで頷いた。
「なるほどぉ、裏切り者め~って思ってたけど、こんな秘密があったのかあ」
「裏切り者? 秘密?」
柔らかなヒシミラクルの声色に、何やら物騒な単語が混ざり、思わず聞き返してしまう。
そして、それを聞いたローレルの耳がぴくりと反応し、少しだけ慌てた様子を見せた。
ヒシミラクルは、そんな俺達の様子を知ってか知らずか、マイペースに言葉を続ける。
「水泳苦手仲間だと思ってたのに、急にテストで泳げるようになってるんだもん、びっくりしたよ~」
「……うん?」
「でもちゃんと裏で練習してたんだね、わたしも頑張らないと~…………でもやっぱ水泳は嫌だなあ」
目に光が消え失せたヒシミラクルが小さくため息をついた直後、遠くから彼女の名前を呼ぶ声が聞こえて来る。
それを聞いた彼女の耳がピンと立ち上がり、わたわたと慌てた様子を見せた。 - 8二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:49:16
「わわっ、トレーナーさんが呼んでるよぅ……またね~ローレルちゃん」
ヒシミラクルはこちらに手を振りながら、ゆったりとした歩調で去っていった。
……さて、何やら聞き捨てならない話が聞こえていたな。
俺はちらりと、ローレルの居る方を見る────が、そこにローレルの姿はなかった。
ただ、水の中には、見慣れた栃栗毛の髪がゆらゆらと揺らめいているのが見える。
俺は軽く息を吸い込むと、その場で水中に潜り込んだ。
そこには、両手で真っ赤になった頬を押さえる、ローレルの姿があった。 - 9二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:49:56
「泳ぎ自体は、バクちゃんやチヨちゃんに見てもらったら、少しは出来るようになったんです」
「それは、うん、良かったよ」
「……その時に、ミラ子ちゃんがトレーナーさんと、さっきみたいな感じで水泳の練習をしているのを見ていて」
「……うん」
「……それが、ちょっとだけ楽しそうで、何か、良いなあ、って思っちゃいまして、ごめんなさい」
本人が聞いたら怒りそう、という言葉は飲み込んでおく。
ローレルはしゅんとした様子で、顔を俯かせて、謝罪の言葉を告げた。
……まあ嘘をついたのは良くないけど、そこまで怒る気にもならない。
それに、苦手の泳ぎを克服したこと自体は、むしろ褒めるべきところだと思う。
重苦しい雰囲気を打破すべく、頭の中で少しばかり言葉を選んで、俺は口を開いた。
「まず、泳げるようになったのは、えっと、その、なんだ…………えらい」
「……っ」
考え抜いた末に飛び出た小学生並みの語彙力に、ローレルの肩がプルプル震えている。
……うん、とりあえず、重苦しいムードは和らいだようで良かった。
笑うまいと必死に口元を引き締めている彼女の様子を見ながら、言葉を続ける。
「でも嘘をつくのは良くない、めっ、だと思う」
「……ぷっ、ふふっ……! トッ、トレーナーさん、わざとやってますよね……?」
「怒ってないよ、ってことを伝えたくてね、君の笑顔が見れて良かったよ」
「……もう」
ローレルは耐えきれずに吹き出して、ようやく微笑んでくれた。
ちなみに一回目は素だったことは秘密だ。
俺達の、いつも通りの空気が流れ始めたのを感じて、そっと肩の荷を下ろした。 - 10二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:50:10
「まあ、嘘なんかつかなくても、これくらいのことならいつでも付き合うからさ」
「……それはプールデートのお誘いですか?」
「……違います」
「そうですか残念です、それじゃあ早速」
そう言うとローレルは、恥ずかしそうにはにかみながら、両手を差し出した。
頬を微かに染めて、上目遣いでこちらを見ながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「もう一度、お願いしますね、トレーナーさん♪」 - 11二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:50:43
お わ り
ミラ子からは良い出汁がとれそう - 12二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:51:38
いい…
- 13二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:51:55
最高としか言いようがないんだがコメントはもうちょっといいものなかったか?
- 14二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:52:07
ハートつくのはっや
- 15二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:52:17
傑作
- 16二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:53:29
ローレルとトレーナーがプールトレーニング…何も起きないはずがなく…
- 17二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:54:37
これは良いものだ
- 18二次元好きの匿名さん24/01/20(土) 23:57:34
微妙に詰めが甘いローレル好き
- 19124/01/21(日) 07:05:26
- 20二次元好きの匿名さん24/01/21(日) 13:28:13
しまった
これは勝てそうにない… - 21二次元好きの匿名さん24/01/21(日) 18:11:10
凄く良い…
- 22124/01/21(日) 21:25:02