【SS】尻尾ワンダー

  • 1◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:12:32

     スパァン!
     弾けるような音がターフにこだまする。同時に駆ける太ももへの衝撃。

    「えっと、今の周回は良いペースだったね、グラス。同じペースでもう1周――」

     スパァン!
     立て続けにもう一度。隣にいる担当は申し訳無さそうに顔を伏せる。痛くは無い。無いのだが、それなりの勢いがあるので言葉は途切れる。

    「……すみません」
    「いや、気にしなくて良いよ」

     スパァン!
     目の端で揺れる彼女の尻尾が、一呼吸を置いて今度は自分の尻へ。
     来る。そのタイミングが分かりつつ、それを避けることはできない。理由は分からないが、一度それを避けたとき、彼女が酷く悲しい目をしたからだ。表情は変えず、されど担当トレーナーの自分にはわかるギリギリの薄い影。それが彼女の瞳に映った。

    「自分でもコントロールできないんだよね。仕方ないよ。怪我をするわけでもないし、全然問題ない――ッ!」

     スパァン!
     脇腹。そこは弱い。思わず体を横に曲げる。斜めに傾いた視界に、こちらを見つつヒソヒソと噂するトレーナーたちの姿を捉えた。

    「……ごめんなさい」
    「大丈夫だよ。さあ、もう1周したら上がろうか」

     とぼとぼとコースに戻るグラスワンダー、それと同時に周囲の声はやみ、それぞれの仕事に戻ったのを感じる。このままではいけない。なんとかしなければ、あの大和撫子の沽券に関わってしまう。今一度、なぜこんな悪癖が付いてしまったのかを考えるべきだろう。

     きっかけは……そう。あれは確か、二人でお出かけをしていた途中のこと。大量のぱかプチをお互いが両手に抱え、ゲームセンターを出ようとしたときのことだった。

  • 2◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:12:55

    「今日も大量だな!」
    「そうですね。もう達人の域になっているのでは? ……また私のぱかプチばっかり、もう。ふふ」
    「はは、またウチの住人が増えたな。でも、グラスだって嬉しそうじゃないか」
    「だってあんまりにも無邪気にはしゃぐんですもの。普段はスマートなのに、両手にそんなにぬいぐるみを抱えて」

     そうは言っても、始めるとつい夢中になってしまうのだ。特にグラスのぱかプチとあらば。……流石に取りすぎるとファンのもとに届かなくなってしまうので、これでも加減はしているのだが。

    「さて、じゃあ次は――」

     そうしてディナーに向かおうとしたとき、トレセン学園の制服を着た二人のウマ娘が目に入った。

    「あ、あら」
    「む」

     その二人はいわゆる“尻尾ハグ”、揺れる尻尾を擦り合わせ、互いに顔を赤くしながら並んでいた。仲良し以上、特別な相手とするそれが目の前で行われている。何だか見ているだけで邪魔になってしまうような、少々気恥ずかしい雰囲気になる。早くこの場を立ち去らなければ。

    「行くよ、グラス」

     そうして彼女に振り向き、手を引いた瞬間だった。

     スパァン!

     それが始まり。思えば、急に触れたのがまずかったのだろうか。トレーナーとウマ娘、親しい関係とはいえ、礼節を欠いた。
     きっと清楚な彼女のことだ。男に安易に触れられるのを良しとはしなかったのだろう。反省した。これまで無遠慮に歩み寄りすぎた。落ち着いた雰囲気の彼女だが、まだまだ若く、思春期真っ盛り。大人である自分が自重すべきだったのだ。

     それからというもの、体調の確認を行うときなど、必要に迫られない限りはなるべく彼女に触れないように気をつけた。手を取りたくても踏みとどまり、頭を撫でようとした手を抑えた。
     しかし、そんな努力も虚しく、時すでに遅し。この尻尾の癖は、時折発症するようになってしまっていた。

  • 3◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:13:15

    「ふう」

     思い返しも一区切り、一人トレーナー室でため息をつく。何とかしたいが、一体どうしたら良いのか。広めのソファに腰を掛け、天を仰ぐ。何より自分が原因なのかも知れないのだ。もしかしたら、こちらから行動を起こすこと自体が、症状の悪化に繋がる可能性もある。そんな堂々巡りにも似た思考を拭い去ろうと頭を降ったとき、扉がノックされた。

    「トレーナーさん、少し良いでしょうか?」
    「ああ、もちろんだよ」

     グラスワンダーは恐る恐る室内に入ると、ゆっくりと隣に腰掛けた。座った体勢であれば、その尻尾がこちらに叩きつけられることはない。しかし、どうも緊張する。肩が触れるほどに近寄ったのは久しぶりだった。

    「どうしたの?」
    「はい、今日はその……トレーナーさんにお願いがあって」

     少し顔を伏せ気味に、彼女が言う。
     まさか。まさか、契約解除……? ハラスメントが重大な社会問題となっているこのご時世、軽視してしまった自分の罪といえばそのとおりなのだが、それはあまりにも……。
     しかし、「待ってくれ」と叫ぶより先に、彼女が思わぬ言葉を発した。

    「尻尾を、梳かしていただけませんか」

  • 4◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:13:55

    「良いのかグラス、こんなこと」
    「はい、私がお願いしたのですから。なんにも悪いことなんてありません」

     櫛が、絡まることなく走っていく。梳かす必要など無いくらいにしなやかな尻尾、それが目の前で、自分の手によって、より滑らかさを増していく。

    「こんなにも綺麗なのに、本当に櫛を入れる必要があったのかな」
    「ええ、ここまでリラックスできたのは滅多にないと思えるほどには。尻尾も心も同時に癒やしてもらえるなんて、改めて私は果報者ですね」
    「それなら良かったが」

     見ればグラスの耳は横に垂れ、どうやら本当に寛げているようだ。尻尾の付け根もこわばった様子はなく、いつものように急に動き出す心配は微塵も感じない。
     はて、彼女は触れられること自体に忌避感があったのではなかったのか。あるいは自分の思い過ごしだったのだろうか。であれば、彼女の癖の原因とは……うーむ。

    「あの、トレーナーさん」
    「うん?」

     いけない、思考が明後日に飛んでいた。手元がおざなりになっていただろうか?

    「度々、こうして横で尻尾を撫でてはいただけませんか? できれば、毎日」
    「え?」
    「こうしていただけると本当に心が安らいで、何だか例の悪癖も落ち着く気がするんです。……駄目でしょうか?」

  • 5◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:14:07

     なるほど、理解した。きっとグラスは物理的な接触の機会を増やすことで、距離感を慣らそうとしてくれているのだ。そうして拒否反応にも似た尻尾癖を克服しようと。
     であれば、トレーナーとして乗らない訳にはいかない。

    「もちろんだ。毎日どころか、午前午後の毎トレーニング後だってあげるよ。君が望んでくれるなら」
    「あら、まあ」

     ほのかに赤くなるグラス。いかんな、急にハードルを上げすぎた。きっと彼女には徐々に慣らしていきたいという思惑もあっただろうに、つい嬉しくて強く踏み込んでしまった。全く反省の甲斐が――

    「では、お願いしますね」
    「あ、ああ」

     にこりと笑うグラス。あれ、思いのほかあっさり了承してくれたな。
     まあ、良いか。彼女がそれで良いのなら。

    「トレーナーさん、手、止まっていますよ」
    「すまない」
    「ふふ。もう少し上までお願いしますね」

     既に日は落ちたトレーナー室で、そんな穏やかな時が過ぎていった。

  • 6◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:14:30

     私としたことが心乱れるなど、不甲斐ない。
     せっかくの彼とのお出かけ、楽しく過ごしていたその幕間に現れた二人のウマ娘が見せた尻尾ハグ。深い愛情表現を目の前に、当てられてしまったのでしょうか。

    (私も、彼と)

     そんな自分の中の浅ましい欲望に身を任せ、尻尾を動かす。当然彼に尻尾など存在しない。だから、腰や足。そこに私の尻尾を触れさせたい。絡みつかせたい。静かに、払うように尾を振り、そっと投げかける。
     ああこの瞬間、尻尾の先にまで感覚があったらどんなに満たされたでしょう。でも、今はこれで我慢。私の一部が、彼に触れていればいい。小さな静電気や摩擦が結びつける程度の結びつき。でも、今はこれで――

    「――、グラス」

     名前を呼ばれ、はっと我に返ったときには手を引かれていました。尻尾に集中していた意識が手に集まる。熱を感じ、それが彼のものとわかったとき、強い幸福感に身を震わせた。
     そしてつい、尻尾に力が入ってしまった。

     スパァン!

     彼が固まる。何という事でしょうか。これではまるで彼を拒絶してしまったよう。

    (そんなつもりじゃなかったんです。私はただ、触れたくて)

     でも、その場でそう訂正することはできなかった。混乱した頭がそれを、彼との接触を自ら求めることを『はしたない』と判断し、踏みとどまらせてしまった。
     ……いいえ、それだけじゃありません。尻尾の根元に伝わる衝撃、そしてこの音。これは私のトレーナーさんに対して、私だけができる振る舞い。
     彼は笑って許してくれた。こんなこと、私達の絆なくしてはなし得ない。その事実、現実がどうしようもなく甘美で、私を狂わせる。
     だから、私は止まれなくなってしまった。癖になってしまった。
     もうやめよう、これっきりにしよう。そう思ったこともあったけど、ちょうどそんなときに限って、トレーナーさんからのスキンシップが減っていることに気づいた。
     私の頭を撫でようとした手が、目の前で止まる。生殺しでしょうか? 許せません。
     トレーナーさんがそう来るなら、こちらはもっと、もっと。
     結局はズルズルと、今の今まで抜け出せることはありませんでした。

  • 7◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:15:18

     そんな甘い狂気を存分に啜り続けて数週間。ブレーキの壊れた私にそれでもストップを掛けたのは、最近耳にしたトレーナーさんとたづなさんの会話。いつものようにトレーナー室の扉を開こうとして、それが聞こえてきた。

    「あのですねトレーナーさん? ウマ娘とトレーナーと絆の育み方は様々です。より優れたトレーニングメニューを提示して信頼を勝ち取ること、担当を肯定して元気づけること、一緒にお出かけしながら距離を近づけること。でも、トレーニングのたびにウマ娘の尻尾に叩かれ続ける関係なんて聞いたことがありません! それは風紀的に良くないと言いますか、できれば控えていただけると……」

     どうして? 人目をはばからずハグをしているウマ娘だっています。子供をあやすようにトレーナーの頭を撫でるウマ娘だっています。気合を入れると称してウマ娘の背中をバンバン叩くトレーナーだって。……尻尾でちょっと彼のお尻を叩くくらい、良いのでは?

    「あのグラスの悪癖は、自分が原因かも知れないんです。私も治せるように色々調べてもいるんですが、まだ有効手段が見つからなくて。……すみません、もう少しだけ時間をください」

     小さな衣擦れの音。彼が私のために頭を下げているのが分かる。

  • 8◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:15:28

    「……わかりました。くれぐれも、早期の解決をお願いしますね」
    「はい」

     会話が終わる。ここにいるのは不味いと、私は廊下を駆け出し、トレーナー室から離れていく。
     何をしていたのでしょう、私は。彼の優しさに甘え、彼を苦しめた。何が大和撫子か。和の心が泣いている。
     こうなってしまっては、一刻も早くあの尻尾ムチをやめ、またいつもの関係に戻らなくては。

     ……。
     すぐにやめてしまって良いのでしょうか? これまでわざと尻尾を打ち付けていたのが露見してしまうのでは? ここはなにか理由をつけて……。
     いえ、駄目ですよグラス。ここは正直に誠意を持ってトレーナーさんに説明しなければ。

     ……。
     そういえば、ゴールを走り抜けたウマ娘が突然足を止めると、心臓に良くないと聞いたことがあります。尻尾ムチが私にもたらした高揚は、それは凄いものでした。パタリとやめてしまっては、きっと私の心臓に良くない。トレーナーさんも、私の体は大切に思ってくれるはずです。

     不退転、もはや不退転ですグラスワンダー。尻尾ムチをやめつつ、トレーナーさんも納得させつつ、この高揚も持続してくれるような代案を提示しましょう。
     何か無いか、そう部屋を見渡した目に映ったのは、一本の櫛でした。

  • 9◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:16:37

    「どうだった、グラス?」
    「ええ、すごく、すごかったです」
     蕩けた顔で感想を述べるグラス。気づけば30分は梳かし続けていた。その間、彼女の頭はずっとこちらの肩に預けられたまま。
    「これが、毎日味わえるのですね。楽しみです。尻尾の癖なんて、きっとすぐに飛んでいってしまいます」
    「あ、ああ。それは何より。さっきも言った通り毎日やるのは全然いいんだけど、本当に大丈夫?」
     心ここにあらず、という表情でうっとりしているグラスに、少し心配になる。

    「ええ、それほどまでに心地よかった。それだけですよ」
    「そうか……?」
     そう言われて悪い気はしないが。さて、とソファから立ち上がる。

    「今日はこれくらいにしておこう。また明日から一緒にトレーニング、よろしくね」
    「はい。その後の尻尾ケアも……」
    「分かってるよ。それにしても、そんなに喜んでくれるなんて、結構筋が良いのかな」
    「当たり前です。私のトレーナーさんですから、私の尻尾なんてお手の物なんです~」

     同じく立ち上がった彼女はごきげんな様子でこちらの腕を取る。……なぜだろう、尻尾で叩き回される前より数段上の信頼を感じる。これは……いや、まさかな。

    「そっか。でも二人だけの時にしような」
    「ええ。私達だけの秘め事ですね」
    「あまり誤解を招く言葉遣いはよしなさい」
    「あらあら、さて、どうしましょう?」

     否定をせず、肯定もしない。彼女はただ側で微笑むのみ。腕からは彼女の体温が伝わり、後ろで尻尾が打ち鳴らされることはない。

    「やはり尻尾より、“こちら”の方がいいですね」
    「うん、人前で叩かれるよりは、こうして尻尾を梳かしてあげるほうが健全だよ」
    「そうじゃなくて……ふふ、まあ、いいです」

     少しだけ腕にかかる力が強められる。そこから抜け出すこともしないまま、トレーナー室をあとにした。

  • 10◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 22:17:01

    おしまい!
    ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

  • 11二次元好きの匿名さん24/01/22(月) 22:33:27

    よかった
    何でグラァスにはややアブノーマルな話が似合うのか
    これも純愛?
    そう…

  • 12◆bEKUwu.vpc24/01/22(月) 23:05:20

    >>11

    コメントありがとうございます!

    純愛です

  • 13二次元好きの匿名さん24/01/23(火) 00:48:15

    ハグ、いい子いい子、闘魂注入……?
    一体何トレなんだ?

  • 14二次元好きの匿名さん24/01/23(火) 12:27:25

    👍👍👍

  • 15◆bEKUwu.vpc24/01/23(火) 19:15:46

    >>13

    >>14

    コメントありがとうございます

    トレセン学園の風紀はもう……



    >>9の一文を訂正します。失礼しました

    誤:「やはり尻尾より、“こちら”の方がいいですね」

    正:「やはり尻尾のムチより、“こちら”の方がいいですね」

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