- 1#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:56:26
↓このスレを元ネタにした推理モノです。
着ぐるみ名探偵マートレ!!!!|あにまん掲示板bbs.animanch.comいくつかアイデアをお借りしましたのでお礼申し上げます。短くしようと頑張りましたが長いです。
- 2#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:56:46
「きゃああああ!!?!」
卒業シーズンも一段落した春先。
桜の花びらも葉に席を譲ろうと盛んに舞い散る駅前で、甲高い悲鳴とともにそれは始まった。
何事かと振り返ったその顔に、どさりばさりとなにかが叩きつけられるように降り注ぐ。
素顔であればすぐにそれが「食塩」だと分かっただろう。しかし、このときの僕はそうではなかった。着ぐるみを着ていたのだ。それも、世界一プリティーな我が担当、アストンマーチャンを模した世界で1つのお手製着ぐるみである。
「おばけ!!!」
耳を絞り、怯えきったウマ娘が震える指で僕を指していた。もう片方の手には空になった食塩(2kg)の袋がある。黒いジャージ姿で黒めの鹿毛。足元には買い物バッグが落ちていた。
着ぐるみの宿命として赤ん坊に怯えられることはあれど、この子のようなローティーンの娘に怯えられるのは珍しい。なんといってもガワがマーチャンなのだ。本物には劣るが、それでも誰が見たって愛らしいはずだ。
次第に周囲に人だかりが形成され始め、その奥にお巡りさんの帽子が見えたものだから、僕は慌てて懐から手帳型のスマホケースを取り出した。革のストラップにはトレーナーバッジが刺してある。
「落ち着いて!僕は怪しいものではなくて……アストンマーチャンを知ってる?」
すかさず待ち受け画面になっているマーチャンの写真も表示する。
寮の前で睨み合うダイワスカーレットとウオッカを背景にした、今朝送られてきたばかりの自撮りだ。二人に配慮してか少し遠くから撮られている。
「ええ、……いいえ……はい……」
どっちなんだというツッコミは脇に置いておき、ひとまずつま先の向きを変えて詰めかけた警官に事情を説明する。今日は事前にパフォーマンス許可という名の布教活動許可も取ってあるので、やましいことは1つもない。
春の駅前は普段とは違うざわめきの中にあった。 - 3#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:57:15
警官の介抱もあってようやく塩のウマ娘も落ち着きを取り戻し、人だかりも退散した帰り道。
彼女は僕と並んで歩きながらポツポツと話し始めた。
「あの……私はヒョウコジャックと言います。実は、この春から美浦寮に入ることになってるんです」
「美浦寮!新入生だったんだね。入学おめでとう……このタイミングで入寮は少し早いね?」
「えへへ、せっかちで……ありがとうございます」
どうりで学園へ向かう僕と帰り道が同じはずだ。と1人得心する。
トレセン学園には栗東と美浦という2つの学生寮が併設されている。
建屋の外見は同じだが、マーチャンによるとそれぞれわずかに文化や雰囲気、匂いなんかが異なるらしい。例えば、美浦寮では空いた部屋に順次新入生が入るのに対し、栗東寮ではフロアまるごと同時期に入れ替えるように管理・調整されているそうだ。ちなみに今年は3階で、マーチャンの部屋の上階にあたる。
ただ、そういった違いが帰属意識を生んだり、対抗意識の元になったりということはあまりないようで、寮の所属の違いを気にするのは対抗戦などのイベントの時だけ、というのが僕の観測による見解だ。
マーチャンの所属するのが栗東寮だからといって身構える必要は無いだろう。
「それで……寮って二人一部屋じゃないですか?私の入ることになった部屋には一昨年から住んでる先輩が居るんです。そのひとから聞いた話なんですけど……」
ヒョウコが恐る恐るといったふうに視線を、僕の顔に、顔を覆っている直径90cmのマーチャンフェイスに向ける。
「部屋にある人形が、動くそうなんです……」 - 4#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:57:30
学生が好きそうな怪談だな。
最初こそそんな呑気な感想だけが浮かんだが、じきにぞわぞわと嫌な予感が腹のあたりから這い上がって来た。
「……え?まさか」
「これがその人形の写真です」
スマートフォンに写し出されていたのは、言わずと知れた超プリティーなマスコット人形。
紅白の衣装に輝く王冠。
怪談や不気味さとは無縁に見える優しげな微笑み。
マーチャン人形だった。
去年一般の流通に乗ったばかりの正規品だ。
動揺が顔に出たのを見られなくて助かった。もしかしたらショックで涙目になっているかもしれない。
「な、なるほど……それでこの姿を見てびっくりしたんだね?」
「ええ、まさに動いてましたから……」
この着ぐるみは、人形(のプロトタイプ)の型紙を拡大して設計図を引いている。自然、デザインに共通部分が多い。あの反応も頷けるというものだった。
「驚かせてごめん。でも、その話、もう少し詳しく聞かせてもらっていいかな」
「え?」
「見ての通り、僕はトレセン学園のトレーナー。担当は」
自分の顔を指差す。作り物とはいえ、何よりも誇れる、何よりも愛おしい愛バの顔を
「アストンマーチャン」 - 5#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:57:49
最初はちょっとした手違いだったらしいんです。
プリンセスワゴンさん ―― 私のルームメイトになる先輩です ―― は、うっかりマーチャン人形をゴミに出してしまったんだそうです。気づいたときにはもう回収車が来ていて、手遅れでした。
だけど、寮に戻るとマーチャン人形が帰ってきていたんです。
少し不思議に思いつつも、その場は自分の勘違いということにしたんですが、その日を境に度々マーチャン人形の位置やポーズが動いている事に気づくようになったそうです。
思い切って実家に送ってみたりもしたみたいですが、それでもいつの間にか帰ってきていて……手の施しようがなくて、今もそのまま部屋に飾っているんです。
先輩の元ルームメイトは先に卒業していて、ここ1年は一人部屋。ですから、ルームメイトの親切もしくはイタズラではありません。人形は、自分の意志で動いているんです。 - 6#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:58:39
「人形って魂が宿りやすいっていうじゃないですか?盛り塩でもしてみようかな、と」
それで2kgも塩を買い込んでいたのか。
「だとしても、マーチャン人形に宿るなら善良な魂だと思うけど……」
心霊絡みの相談。噂で学園のどこかにそういった悩みを引き受けてくれる相談室があると聞いたことはある。しかし、その相談室自体が都市伝説。怪談のようなものだ。
それでもここは縋ってみるべきだろうか?と思案を巡らせていると、思わぬ方向から声がかかった。車道側、そこにゆっくり停車した白塗りのストレッチリムジンからである。
「もし、ヒョウコさんではなくて?」
「スワゴンさん!」
小さなカーテンのかかった車窓から顔を覗かせていたのは、トレセン学園の制服に身を包んだウマ娘だった。
「……その呼び方辞めてくださる?」
そう言いつつも、瞳は僕のほうを警戒している。 - 7#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:58:50
「……そちらの方は?」
「あ!大丈夫です!着ぐるみです!。トレーナーさん、こちら、さっき話に出てました、この春から同室のプリンセスワゴンさん」
あだ名は名前の末尾を取っているらしい。なんだか怪獣かUMAみたいだ。
「……中身のほうを訊いてるんですけど」
「どうも、アストンマーチャンのトレーナーです」
「……マーちゃんの」
どこか疑わしそうな目だ。
「ヒョウコさん、わたくし、寮まで戻るところですの。ご一緒いかがです?」
「ありがとうございます!トレーナーさんも!」
「彼女、怖がらないかな……」 - 8#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:59:13
結果から言うとそれは杞憂だった。
そもそもドアをくぐれるのかという懸念は示されたが、運転手さんが手際よくシャンデリアを外し、生きた小鳥の入った鳥かご(!)を助手席に移してスペースを確保してくれた。
後ろからヒョウコに押し込まれるまま、横倒しになりながらもなんとかリムジンの対面座席に収まる。
対面にはどこか車内の高級感とはにミスマッチな買い物袋とジャージ姿のヒョウコが座った。
「すみません、僕まで……下座に移動します」
「いえ、狭いので……今さらですが、お脱ぎにはなられませんの?」
「人前で頭を取るのはイメージが良くありませんから」
これには「わかるようなわからないような」と首をかしげられた。
わかってほしいものである。
「ところで、マーチャン人形が動くそうで」
「もうお聞きになってたんですのね」
「話しました!駅前で見かけて、びっくりしちゃいました」
「……今日はカメラを置いてますの。ヒョウコさんの引っ越しが終わる前に、もう一度無人の状況を試してみたく思いまして……」
スワゴンがタブレットを取り出して「24Hあんしん!見守りペットカメラ」と書かれたピンクのアイコンをタップすると、壁際にベッドの置かれた部屋が映し出された。寮の部屋らしい。
指導者の立場で女学生の部屋を見るのはいかがなものかと思ったが、他ならぬ部屋主が見せてくれているので妙なリアクションは逆にセクハラになりかねない。難しい時代だ。 - 9#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:59:38
彼女らの部屋は留守中のため電気は消されていて、カーテン越しに窓から差し込む西日が薄暗く室内を照らしていた。
しかし、
「えっと……それで、動く人形というのは?」
「え?」
肝心のマーチャン人形は見当たらない。
スワゴンがタブレットを覗き込んで絶句する。
「そんな……」
「私が出発前に見た時はベッドの上にありましたよ?」
ヒョウコも身を乗り出して覗き込む。
「ええ、その後触ってません……」
人形があるはずの場所にはきれいに整えられた布団だけが映っている。
「映像を巻き戻せないのか?」
そのとき、運転席から「そろそろ着きますよ」と声がかかった。スワゴンがカーテンの隙間から寮を見上げる。ヒョウコもそれに習って、二人とも顔を青くして固まった。 - 10#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 19:59:53
「どうした?!」
同じようにしたいが隣に座るスワゴンを押しのけるわけにはいかない。そうでなくとも着ぐるみは窓に張り付くような動作に向いていない。
「うそ……人形が……」
ぞわりと冷たいものが背中を伝うのを感じた。着ぐるみの袖にマジックテープで仕込まれた手鏡(着ぐるみは死角になる場所が多いので、これはいわばバックミラーとして仕込んでいる)の存在を思い出し、鏡越しに寮の窓を見上げる。
そこに写し出されたのはこちらを見つめるマーチャン人形だった。
歪んだ鏡越しで小さく写っただけだが、僕が見間違えるハズがない。
「いけませんわ!一旦お屋敷へ!」
「スワゴンさん!門限!!」
「言ってる場合ですの?!」
「じゃあ学園に向かってください!僕のトレーナー室へ!」
トレーナー室なら座る所もあるし、寮への申請も慣れている。
二人を落ち着かせながら、何か強烈な違和感を覚えていた。 - 11#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 20:00:07
リムジンが正門前に停まる。
普通の感覚なら漫画の中から飛び出して来たような光景だが、トレセン学園では度々見かける光景であるので注目の的というほどではない。
「あの……とても申し上げにくいのですが、トレーナーさん、私達の部屋を確認してきていただけませんか?3階のF号室です」
「ええっ?!」
生徒以外の人間が学生寮に踏み込む事例は極端に少ない。指導者間では誰も言葉にしたりはしないが、寮はある種聖域のようなもの、という共通認識があるのだ。
「寮長のヒシアマゾンさんにはこちらから話を通しておきますので……」
「私からもお願いします!それ着てたらたぶん大丈夫ですから!」
「ええ……」
気が引けるが、2人の真剣な眼差しを前にしては断ることはできなかった。 - 12#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 20:00:28
「ここがあの娘たちの部屋だよ」
美浦寮の彼女らへの立ち入りは寮長のヒシアマゾンの立ち会いのもと、という条件で案外あっさりと認められた。
「アンタがマーちゃんの評判を貶めるような事はしないだろうからさ」
というのがヒシアマゾンの言葉だ。
学園に残してきた2人は僕のトレーナー室で待ってもらっている。
「……それでは失礼します」
廊下には物珍しさに数人のウマ娘が集まっていたが、今は布教活動をしているときではない。ドアを開けてその視線から逃れるように部屋へ入る。
門限の18時を過ぎた部屋の中は暗く、廊下からの光も自分の巨大なシルエットで遮られてしまっていたが、すぐにヒシアマゾンが気がついて灯りのスイッチを押してくれた。
部屋の右手側はダンボールが積んであり、ベッドにはマットレスも敷かれていなかった。対照的に左手側には確かにここに住んでいる生徒が居るという生活感が溢れている。
部屋の真ん中には椅子が置かれていて、その上にドーム形のペットカメラが鎮座していた。
カメラの先はタブレットで見たのと同じ光景。ベッドの上だ。
そして、何より目を引いたのが、窓際の机の上でこちらを向いて座るマーちゃん人形だった。 - 13#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 20:00:39
窓際にあったはずの人形が、また少し動いた事になる。彼女たちを帰らせていたらまたぞろパニックになっていたことだろう。
机の上には細かい粒子がうっすら積もっているが、人形の足跡は無い。
人形が歩いたとして……あの引き出しが開きっぱなしになっているベッド脇のキャビネットは階段にできるだろうか?
僕はマーチャン人形が自分でベッドから窓際へ歩くのを想像したが、どうも怪談らしい絵面にはならなかった。可愛らしすぎる。
「……ありがとうございました」
「なんだい?もういいのかい?」
「ええ……お伺いしたいんですけど、寮に生徒以外の人が立ち入るということは」
「すごく珍しいね」
先程、廊下で受けた視線もその証左だろう。
たくさんの生徒が共同生活を送っているのだ。こっそり侵入して人形を動かすのはやはり難しい。
だからといって自分から動いたとも思えない。足跡が無いのは、誰かが持ち上げて置いたからと考えるのが自然だ。
「アタシやフジのやつなら寮生の顔も全部覚えてるからね。見ればすぐ分かるよ……ところで、そんな事が気になるのは、やっぱり何か事件なのかい?」
廊下の聞き耳に気を使ってか、ヒシアマゾンは少し声を落とした。
「ここの子たちは無用心だからね……空き部屋にたぬきが入ってたこともあったっけね」
動物ならこっそり入れるのだろうか。
机の上のマーチャン人形は少し悲しそうに俯いて見えた。 - 14#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 20:01:03
普通ならトレーナー室は鋭い昼光色の蛍光灯なのだが、僕のトレーナー室は自腹を切って電球色にしてある。マーチャンの好きな温かい色だ。
いつもはその温かい色に照らされているマーチャン人形の試供品や在庫たちは、今は2人を怖がらせてしまわぬよう目隠しの布を被せてあった。
「あの……」
ヒョウコが恐る恐るといったふうに声を上げる。
たった今、僕の口から美浦寮の自分たちの部屋の状況を知らされたばかりだった。
「お人形さん、トレーナーさんに預かってもらうのはどうでしょう?マーチャンさんの人形ですし」
「いえ、それには及びませんわ……動く以外に恐ろしいこともありませんし……寂しいですけど、ヒョウコさんは学園に頼んで他の部屋に移ってみてはどうです?今のタイミングなら空き部屋もあるでしょうし」
「可能なんでしょうか?」
視線がこちらを向く。
「できると思うよ」
トレセン学園は全国各地に「地方」と呼ばれる支部のようなものがあって、春を過ぎてからも有望なウマ娘たちが転入してくる。そのため、春先のタイミングでは少し寮のキャパシティには余裕を持たせているものなのだ。
マーチャンの居る栗東寮でもいくつか空室を残しているし、美浦寮でスワゴンが去年一年間一人部屋だったのもそういった事情だろう。 - 15#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 20:01:18
「でも、スワゴンさんはどうするんです?」
「私は慣れてるからいいのよ」
良いはずがない。
所在なくトレーナー室を歩き回っていた僕は、一角に置かれている姿見の前に立っていた。
世界一愛らしい姿、それを模した着ぐるみの姿が反射されている。
このままでは、マーチャンが恐怖の対象になってしまう。
たとえ人形だとしてもこれほど悲しく、嘆かわしいことはない。
今日の出来事をマーチャンに報告したらどんな顔をするだろうか。
スマホの通知音が短く鳴って、僕はポップアップしてきたウマッターの更新通知を見た。マーチャンのアカウントで画像がアップされていた。
それは今、僕のスマホの待ち受け画面になっているのと同じ写真……よく見ると画角と表情が違うのでこちらがOKテイクだろう。見上げるような視点で写された栗東寮の朝の風景。ウオッカとダイワスカーレットも肩よりしたはフレームアウトしてしまっている。
一緒に投稿されたメッセージは『新入生のあなたのおそばにも』だった。
すぐには意図を量りかねて画像を拡大する。
「……そうか!」
大きなひとり言だったため、二人の視線がこちらに注がれた。
やはり、マーチャン人形は呪われたりなんてしていない。
世界一ラブリーな人形そのままだった。 - 16#閑話休題24/02/07(水) 20:02:20
カッ(スポットライトの灯る音)
「えー、暗闇の中からこんにちは。こんばんは。ンッフフ、んー……アストンマーちゃんですぅ」
「トレーナーさん頑張ってますね。マーちゃん人形は既に流通ルートに乗っているので、イメージダウンはなんとしても避けたいタイミング。そういうマーチャンダイジングなのです。さすがはマーちゃんのトレーナーさんです」
「……マーチャンダイジングは使い方が少し違いますか?えへへ。反躬自省。上手いこと言いたかったので」
「さて、ここで読者の皆様に今週のマーちゃんズヒント!てれーてれーてれー(アラート音の真似)」
「”匂い”」
「くんくん……ハッ!今夜は……カレーです!おかわりも自由なのです。それでは皆さん、ごきげんよう。腹ペコマーちゃんでした」 - 17#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 20:03:57
続きは少し時間を置いて投稿します。
アストンマーチンをよろしくお願いします。 - 18#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:33:49
「何か分かったんですか?!」
一人言の後、再び黙り込んだ僕の顔を覗き込むようにヒョウコがソファから身を乗り出す。もちろん着ぐるみ越しに表情がわかるはずも無いのだが、僕は務めて冷静に言葉を選んだ。
「―― さて、じゃあ、時系列順に話そう。今回の一連の出来事だけど、始まりはヒョウコさんが来る前、捨てたはずのマーチャン人形が部屋に戻っていた事、だよね?」
これに関してはヒョウコからの伝え聞きなので、当事者であるスワゴンに確認する。
スワゴンは頷くと
「ええ、去年の……秋頃だったかしら」
と答えた。
「その件に関して証拠はあるかい?」
「疑うんですの?!」
「大事なことなんだ」
「……ありませんわ」
「実家に一度送っているんだよね?そのときの送り状も無い?」
「ありませんわ」
少し大人げない問答だった気もするが、これでヒョウコが聞かされた怪談については説明できる。
全て嘘、あるいは自作自演だったという説明だ。 - 19#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:34:09
あまり怒らせたくないので明言はせず次に進む。
「次に、今日の事件だ」
「それなら、私もトレーナーさんも証拠です!あと、運転手さんも。ね?スワゴンさん」
「ええ、そうね……」
「今日の事件では、まずペットカメラの映像を見たね。あの時、僕たちが見たのは人形が動いた後だった……スワゴンさん、映像の録画は遡って見たかい?」
「いいえ……その機能はありませんの」
これも嘘の可能性はあるが、重要なのはまたしても証拠が無いという点だ。
「次に、寮の窓に人形が現れた。これは鏡越しだけど僕も目撃している」
手首のマジックテープを剥がして隠し鏡を見せる。
「あのとき僕は違和感を感じたんだ」
「違和感?」
ヒョウコが首をかしげる。それは、彼女なら感じなくてもおかしくはない違和感だ。引っ越しの最中である新入生である彼女なら。
「違和感については追々……次に君たちをトレーナー室で待たせて、僕が現場に行ったね。人形は窓とは反対……室内側を向いて、テーブルの上にあった。ヒシアマゾンさんと一緒に確認している」
「窓際から机への移動であれば、カメラの画角に収まっていなくても当然ですわよね?」
「うん。だけど、机の上には埃や細かい粒子が乗っていてね、人形が歩いたり、引きずられたりした後はなかったんだ。あれは持ち上げられて、あの場所に置かれたものだよ」 - 20#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:34:28
もちろん、呪いの人形ならふわりと浮かんで目的地に降り立ったなんてこともあるかも知れない。だけど、粒子と、開けっ放しの引き出しが別の真実を示唆していた。
「……僕なら寮への侵入は難しいけど、寮生全員の顔まで把握してるのは寮長のヒシアマゾンさんとフジキセキさんくらいだ。犯人が生徒なら制服を着て堂々としていれば難易度は一気に下る」
「じゃあ、誰かが私達の部屋に入って人形を動かしたんですか?」
「いや、君たちの部屋に、じゃあないよ」
そして「誰か」でもない。
「スワゴンさんが入ったのは君たちの部屋がある美浦寮ではなく、栗東寮の同じ階、同じ位置にある部屋だ」
栗東寮では春にはフロアまるごと新入生を迎えるよう調整されている。それがたまたま、彼女らの部屋があるのと同じ3階だったのだ。見慣れないウマ娘が居ても不審がられないだろう。たぬきが入り込んでいた事例があるくらいだ。もしかしたら空き部屋には施錠もされていなかったかも知れない。
そして時節はまだ春先。ヒョウコの引っ越しはかなり早いほうで、まだまだ部屋主が到着していないケースは多い。階が同じという偶然を掴んだ後なら、同じ位置の部屋が空き部屋だったことは飛び抜けた幸運ではないのだ。
「つまり、こうだ。怪談を聞いて塩を買いに行ったヒョウコさんを駅前で拾う ―― 僕が居合わせたのは予定外だっただろうけど ―― それから、リムジンを栗東寮に向かわせる。ヒョウコさんは新入生だから、外観の同じ栗東寮と美浦寮の区別がつかない」
僕は少し自信がないが、2つの寮は馴れると不思議と見分けがつくものだ。マーチャンの言葉を借りるなら「匂いが違う」。
ヒョウコはあの時を思い出すように少し上を向きながら話に合わせて頷いた。 - 21#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:35:01
「そうして、人形を目撃させた。事前にカメラで移動した印象をつけておいてからね。僕が居合わせたのは計算外だっただろうけど、体でブロックするつもりだったのかな?」
どうせ着ぐるみでは窓に貼り付けないという目論見だったのかもしれない。
結果的には鏡を使ったため、寮を見分けられる可能性のある僕の視線を遮ることはできなかった。だけど、歪んだ鏡越しでは違和感を覚えるのがやっとだった。むしろ違和感を覚えただけでも褒めて欲しい。
「本当は現場確認も自分たちでやるつもりだったのかも知れないね」
それを思いとどまったのは成り行きだったのか、第三者である僕を挟む事で説得力を増す目的だったのか……それとも、少しヒョウコを怖がらせ過ぎたのを省みてか。
なんとなくだが、最後のものだったように思う。
「これで、この事件は説明できた。僕の考えが間違っていなければ、全てはスワゴンさん、あなたの自作自演だ」
「証拠は……」
スワゴンは俯いたまま震える手を握り込む。
「証拠はあるんですの?」
それは、先ほど僕からスワゴンに要求したのと同じ言葉だった。
僕は着ぐるみの中で小さく息を吸う。
「うん。このトリックには1つ、未完成な部分があるから……」
スマホを取り出してウマッターのお気に入り欄を表示する。
「これが証拠」 - 22#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:35:14
そこには、先ほどアップロードされたばかりの写真があった。撮影は今朝。いがみ合うウオッカとダイワスカーレット。それを遠巻きに写すマーチャン。
『新入生のあなたのおそばにも』
のポストとともに小さく写っているのは……
気付いたスワゴンが息を呑む。ワンテンポ遅れてヒョウコも「あっ」と声を漏らした。
「マーチャン人形だ。前日から準備していたんだね」
小さく、しかしよく見れば中央に写り込んでいる。9割9分の人はマーチャンに気を取られて気づかないにちがいない。
3階の窓に人形を見つけたマーチャンは、新入生のものだと喜んで自撮りに収めたのだろう。真実を伝えたらがっかりするだろうか?健気で可哀想で今から気が重い。
「このトリックは人形の設置と回収に難がある。こうして目撃されてしまっては不成立だ」
それは同時に、今すぐ栗東寮に向かえばまだ置かれたままの人形を見つけられるという意味でもある。 - 23#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:35:27
「……でも、どうしてこんなことを?」
ヒョウコはそれを言葉が出ない様子のスワゴン本人にではなく、僕に訊ねた。
「うん。すごく大事なことだね。スワゴンさんは、ルームメイトができるのを避けたかったんだ。ヒョウコさんを嫌ってるわけじゃないよ」
スワゴンが驚いた目でこちらを見つめる。ヒョウコも彼女を振り返ったため、期せずして2人の目が合ったようだった。
「机の上の粒子と開けっ放しの引き出しが、僕に今日見かけたあるものを思い出させたんだ」
「あるもの?」
「ヒョウコさんも見ているよ」
それは、スワゴンが現れたときのことだ。
「僕たちをリムジンに迎えるため、運転手さんがシャンデリアと鳥かごを助手席に移していたね?」
「ええ……そうでした」
「鳥はね。飼っていると脂粉という細かい粉が出るんだ。そして、物陰に別荘を作りたがる。袖の中や……引き出しにね」
キャビネットの引き出しが開けっ放しになっていたのは、そこに出入りする存在が居たから、ということだ。
「スワゴンさんは内緒で小鳥を飼っていたんだよ。でも、ルームメイトが来たら秘密がバレてしまう。だから、怪談で君のことを驚かせて、部屋を変えてもらうよう促すことにしたんだ……そうだね?」
すぐに返事はなく、トレーナー室に沈黙が訪れた。
春の風がゆったりとしたリズムで窓を叩くのが聞こえる。 - 24#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:35:43
「……トレーナーさんの仰るとおりです」
ようやく、スワゴンが声を絞り出した。
「あの子は迷子だったんです。警察には届けましたが、交番では面倒が見れないから預かってくれないかと頼まれ……去年はルームメイトが居ませんでしたから興味本位もあり、飼い主さんが見つかるまでのつもりで引き取りました」
しかし、1年が経っても飼い主は現れず、新入生を迎える春が来てしまった。
「……父が脂粉にアレルギー反応を示していまして、実家では飼えないのです。数日は運転手さんに無理を言ってリムジンに置いていましたが、いつまでもというわけには参りません。それで……」
なんとか現状を維持しようと、今回の事件となったわけだ。
もしかしたらマーチャン人形を実家に送ろうとしたくだりなんかは、小鳥で起きた悶着を元にした話だったのかも知れない。
「あなたに鳥かごを見せなければ……いえ、それは無理ね」
いくら2つの寮の外観が同じと言っても、入口までの道順は異なる。動機そのものが同乗していたとしても、カーテン付きのリムジンはトリックに必須だったのだろう。
「あなたを現場に行かせなければ、まだ予定通りに行っていたのかしらね……」
「いいや、実は会う前……ヒョウコさんの話を聞いたときからおかしいと思ってたんだ」
「と、言いますと?」
「マーチャン人形はポーズの固定機能が無いから、位置のほかにポーズが変わっていたというのが引っかかった。最初に僕に会った時にヒョウコさんと違って怖がらなかったのも、マーチャン人形を恐怖の対象として見ていなかったからなんじゃないかと思ってね」 - 25#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:36:09
他にも「監視カメラ」ではなく「ペットカメラ」だったのは本来の用途として持っていたものを使ったからじゃないか、とか、画角に収めるためとはいえ呪いの人形をベッドの上に置くのは忌避感が無さすぎじゃないか、とか、そういった小さな疑問や違和感の積み重ねがあった。
もちろん、ポーズは頑張ればつけられるし「マーチャンは全人類に愛される存在なので多少呪われているくらいでは恐怖の対象になり得ない」という説明もできる。
「まるで名探偵ね」
スワゴンは観念したかのようにため息をついた。
「……トレーナーさん。私への処遇はどうお考えですか?」
今度は僕のほうがぽかんとして言葉に詰まってしまう。もっとも、その表情は見えないから、沈黙はさぞプレッシャーになるだろうと気づいて、慌てて声を出した。
「ど、どうも何も、僕は今回の件どうこうしようという気は無いよ」
そうだ。今回の一件で被害らしい被害は出ていない。僕に罰を下す権利があるとも思えない。
大事なのは本人たちの気持ちと、マーチャン人形に悪いイメージがつかないことだ。
「……オホン。その代わり、ヒョウコさんにはキチンと謝ること、マーチャン人形の怪談を撤回すること……僕からのお願いはこれくらいかな」 - 26#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:36:28
今にも泣き出しそうな表情をしていたスワゴンだったが、いくらか安心したのか、僕の慌てようが滑稽だったのか、少し表情を緩めた。
「そう……ですわね。ヒョウコさん、トレーナーさん、この度は本当に申し訳ございませんでした。あの、目的を完遂しようとするわけではないんですけど、こんなルームメイトが嫌でしたら私のほうが部屋の変更を希望しますけど……」
「そんな、いいですよ!私、今日はとっても楽しかったです!」
ヒョウコが笑顔でスワゴンの手を取る。
「楽しかった?」
スワゴンはキョトンとしていた。
「ちょっと怖かったですけどね。鳥さんも好きなのでご安心ください!こっそり飼うなんて、すごく楽しみです!」
「じゃあ……」
僕は黙って頷いて返した。
この調子ならルームメイト同士、仲良くやっていけそうだ。
大事な一言を伝え忘れていたのに気づき
「アストンマーチャンをよろしく」
と付け加えた。
スワゴンの目から涙がこぼれた。先ほどまでの不安で泣きそうな顔とは真逆の、優しくほぐれた泣き笑いだった。
「ありがとうございます……」
その言葉が、電球色の温かい光に照らされたトレーナー室に染み込んだ。
窓の外は桜の花と葉が揃って並ぶ春の夜、「祝いのマーチャン人形事件」はこうして終わっていった。 - 27#アストンマーチャンをよろしく24/02/07(水) 21:36:45
おしまい
事件名はたぶん後日マートレがマーチャンに報告するためにつけたやつです。
アストンマーチャンをよろしく!! - 28二次元好きの匿名さん24/02/07(水) 22:26:05
めちゃくちゃ面白かった
誰も悪い人がいないところも素晴らしい!!
これはワンクールあるんですよね!?!、!、 - 29二次元好きの匿名さん24/02/07(水) 22:52:55
読みやすくて面白かったです!
寮のトリック、全然気づけませんでした!
途中で自作自演なのかなぁとは思いましたが、同室を追い出したかった理由がここまで優しくてホッコリするとは…
相談室に言及してて、思わず二ヤリとしちゃいました - 30二次元好きの匿名さん24/02/07(水) 23:27:08
あげ
もっとレスついてもいいだろ
元スレにも書き込んだしこの概念すき - 31二次元好きの匿名さん24/02/07(水) 23:36:06
一瞬の出番でもマーチャンはかわいい
- 32#アストンマーチャンをよろしく24/02/08(木) 11:07:38
- 33二次元好きの匿名さん24/02/08(木) 13:34:54
名探偵マートレ概念すきだったからめちゃくちゃ嬉しいし面白かった!
- 34#アストンマーチャンをよろしく24/02/08(木) 22:00:24
- 35二次元好きの匿名さん24/02/08(木) 23:14:49
保