【ドリトライ×はだしのゲン】二次小説

  • 1図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:09:30

    ムフフ……ドリトライの二次小説書いたのん。
    読んでくれると嬉しいですね……生(レア)でね

  • 2図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:12:15

     【ドリトライ×はだしのゲン二次創作】
      心の強さと、踏まれる麦と

      序章  父の言葉と、二人の男と

     ――少年は亡き父の言葉を覚えている。
    『お前も麦のようになれ。踏まれても踏まれてもたくましい芽を出す、麦になれ』

     だから、今。砂利道に倒れ伏した少年――中岡 元《げん》――は、また地面に手をつき、身を起こした。
     すでに何度も殴られ蹴られ、切れた口の中は鉄くさい血の味でいっぱいだったけれど。鼓動が鳴るたびに頬が頭が、殴られた箇所が熱を帯びて痛んだけれど、それでも。

    「ギギ、ギギギ……」
     亡者が歯を軋《きし》らせるようなうめき声を上げながら、歯を食いしばり。下駄履きの足で地面を踏み締め、ひざに手をつき。立ち上がっていた。
    額の傷からは今も血が流れていた。学生服の袖は相手の振るったナイフに裂かれ、その下の肌からも血がにじんでいた。それでも、その手を再び拳に握った。

     少年の前に立ち塞がる、革ジャン姿のチンピラ二人は口を開け、顔を見合わせ。後ずさった。それぞれナイフを手にしていながら、傷だらけの少年に気圧《けお》されたように。

     チンピラの一人が震える口を開く。
    「わ、わりゃあ何なんじゃ……何でそうも、何度も何度も立ってこれるんじゃ……」
     もう一人はしきりに目を瞬かせる。
    「こいつは……亡者か何かか、原爆《ピカ》の後に川になんぼも浮かんどった死体、あれが蘇ってきたんと違うか……」

     少年は、元は下駄を脱ぎ捨てる。それをグローブのように手にはめ、拳を構えた。
    「やかましい……おどれらとは鍛え方が違うんじゃ。原爆《ピカ》の日もその後も、嫌というほど地獄の姿を見てきたわしじゃ、もうこの世に恐いものがあるもんか」

     血の混じる唾を吐き捨て、叫ぶ。
    「行くぞおどれら……今度はわしの番じゃ!」

     そのとき。少年とチンピラらを隔てるように、その間に何かが投げ入れられた。布のはためく音を立てて落ちたそれは、脱ぎ捨てられたジャケット。

  • 3図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:14:30

    「待てよ」
     男は彼らにそう声をかけた。ジャケットを脱ぎ捨てた男、獣の体毛の如く荒れた長髪をなびかせたその男は、夕日を背にしていた。

     ――拳闘家《おとこ》は父の言葉を覚えている。
    『どんな時でも心を強く持て。痛みに耐え、前へと進み続けるんだ。辛い時こそ笑ってりゃあ、勝機はこっちにやってくる』

     男は少年へと歩み寄り、ほほ笑んだ。
    「強ぇな」

    「え……」
     少年が目を瞬かすうちに、男は言った。
    「心が強ぇんだ」

     男の年格好は二十歳ほどと見えたが、体格は決して大きくない。中学二年の元ともそこまで差がないほどだ。
     それでも。夕日を背にしたその姿は、大きく見えた。
     男はチンピラに顔を向ける。
    「これだけ言わせてくれよ。どんな事情か知らねえけどよぉ、子供に二人がかりでよぉ! 刃物向けてんじゃねぇぞ! それ以上やんなら……俺が相手だ」
     体の前に両拳を構える。両拳を緩く握り、あごと腹を守るように軽く突き出したそれは、オーソドックスな拳闘の構え。
     チンピラたちが歯を剥く。
    「なんだとコラァ!」
    「てめぇ何もんだオラァ!」

     脅すようにナイフを突き出す相手を見ても、男の構えは揺るがない。
    「拳闘家、大神《おおかみ》 青空《あおぞら》。てめぇらとは……心の強さが違ぇんだよ」

     ――二代目集英会虎威《とらい》組所属、炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》選手。大神青空、二十歳――『プロボクサー志望』。
     ――波川中学校二年、看板・ネオン製作会社・中尾工社見習い。中岡元、十四歳――『画家志望』。
     昭和二十六年(1951年)四月、広島。
     ここに出会った、強き心の男二人は。
     どちらも未だ、物語の途中。

  • 4二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:15:19






  • 5図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:16:00

      第一話  大神青空と、広島の地と

     ふう、と長い息がそれぞれの口から洩れた。風呂敷包みや大振りなバッグ、それぞれに荷物を抱えた一行。大神青空を含む、虎威組の組員五人。そして組長たる隻眼の女性、黒い打掛を羽織った大神夕華《ゆうか》。
     汽車を降りた六人は周りの人波に押し出されるように歩き、広島駅を出た。

     石畳の歩道を歩きながら、青空は荷物片手に伸びをする。
    「やぁっと着いたぜ……ったく、揺られ過ぎて体中痛ぇや。まだ地面が揺れてるみてぇだ」

     顔についた煤――石炭を燃やす汽車の噴煙が、どうしても窓から入ってきていた――を手拭いで拭きつつ、和泉《いずみ》 生野《いくの》がうなずいた。手拭いを持つ右手だけが異常に太くたくましく、わずかに長い。
    「まったくだな。ずっと座っててケツがすり減るかと思ったぜ……用がなきゃ、わざわざ来たくもなかったな。東京からこんな田舎までよ」

     青空は辺りを見回す。無論東京ほどではないが、石畳の歩道を多くの人が行き交い、砂利道の道路を車が、大きく車体を揺らしながら走っていた。その向こう、舗装された区域にはレールが敷かれ、路面電車が車輪の軋む音を立てながらゆるゆると走っていた。
    「なんか……思ったより、栄えてんだな」

     はっ、と生野が息をつく。
    「まあ、ド級のド田舎にしちゃあ――」

    「そうじゃなくてよ」
     顔をうつむけ、青空は続けた。
    「原爆《ピカ》ってのが、落とされたんだろ。ここ」


     このときから六年前、昭和二十年(1945年)八月六日。第二次世界大戦中であった当時、広島市に原子爆弾が投下された。
     キノコ雲と呼ばれる巨大な噴煙を上げたそれは、爆熱と爆風で一帯を焦土と化し。多くの人々を、熱に焼かれ炎に巻かれた亡者と化した。さらにはその放射能が人々の体を蝕み、命を落とさせているという、今も。

     青空は思い出す、東京大空襲の日を。火の雨を降らすような爆撃で、火の海と化した故郷の町を。その中で亡くなった母を。
     そして、それを遥か越える惨劇が、この地、広島で。

  • 6二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:16:38

    あうっ い…いきなり始まるのかあっ

  • 7二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:16:59

    なにっ 結構面白い

  • 8図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:17:03

    >>4

     ドリトライカテはなかったんだ……だから……すまない

  • 9二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:17:52

    >>8

    じゃあジャンプカテでやるべきやろがあーっ

  • 10二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:18:23

    このレスは削除されています

  • 11二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:18:36

    どっちかというとジャンプカテでやるのが正しいと思われるが…

  • 12二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:19:41

    あなたは昨日辺りに"ドリトライの二次創作を発表するところで迷ってる"みたいなスレ建てた人ですか?

  • 13図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:21:02

     生野も顔をうつむけた。
    「……だな。焼け野原だったんだってな、ここ。それでも六年も経ちゃあ、こんだけ立派になるもんなんだな」

     きっと辺りを行き交う人々の多くが、青空や生野が経験した以上の悲劇を背負っている。その上で、この街をまた作っている。
    「……強ぇな。心が強ぇんだ、この街の人たちは」

     そうつぶやいた青空の頭を、誰かが後ろから拳で叩く。
    「ぐだぐだ感傷に浸ってんじゃねぇぞ、青坊。物見遊山に来たワケじゃねぇんだ」
     額の左側から左頬にかけて大きな傷跡のある偉丈夫。青空や生野の兄貴分に当たる、虎威組最強の拳闘士。|炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》の五強たる『五光』の一人、黒岩|啓示《けいじ》。

     黒岩は岩の如き拳をもう片方の手で握り、骨を鳴らす。
    「分かってんだろ、俺らはよ……カチ込みに来たんだ」
     歯を剥き、獰猛に笑う。

     夕華が長い黒髪をかき上げ、息をついた。
    「試合と言いな。あたいらがしに来たのはあくまで試合……喧嘩出入りじゃないんだよ」
     締めるように、ぴしゃり、と言い放たれ。黒岩は黙って小さく頭を垂れた。

     ほほ笑みもせず青空らを見回し、夕華は言う。
    「けどね。改めて言っておくけど、こいつはどんな|抗争《出入り》より重い……命がけも命がけ、あたいらの未来がかかった試合さ」

     言われるまでもなかった。
     この地、広島での試合は。青空たちが、未来をつかむための試合。

  • 14図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:23:07

    >>12

     バキッバキッ 我が名はそのときの人

     ジャンプカテよりこっちでドリトライが語られてる気がしたんだ 絆が深まるんだ

     ジャンプカテにも立ててやりますよククク……

  • 15図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:25:38

     ――青空が死闘の末、父親である大神夕日を連れ戻し。妹、星《あかり》の重い病も、実用化された特効薬のお陰で治った、その四年後。
     青空や夕華たちは、一つの目的のため――いや、夢のために動いていた。
     それは、すなわち。日本人が、自分たちが、拳闘世界王者となること。無論、裏社会の見世物試合である炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》などとは違う、日の光当たるプロの世界で。
     そうして、心の強さで日本を、世界を照らす――それが夕華の、青空の夢だった。

     だが。それを実現するためには、乗り越えなければならない現実の壁があった。
     すなわち、青空たちは今。プロボクサーでも何でもない。ただのヤクザでしかないということ。
     そして裏社会の住人たるヤクザが、大手を振ってプロボクサーになれるはずもない。
     虎威組を解散し、真っ当なボクシングジムとして再編する。そうしてヤクザから足を洗った青空たちがプロを、世界を目指す――それが当面の目標であった。
     組丸ごと一つが極道から足を洗うなどという、難航するかに思えたその足抜け交渉は意外にも滑らかに進んだ――その陰でいかなる取引があったのか、あるいはどれほどの金が動いたのか。青空には知るよしもなかったが――。
     上部組織たる二代目集英会にも、解散及び炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》からの脱退を認められ、すんなりと事は運ぶはずだったが。
     意外な所から待ったが掛かった。炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》西日本支部――広島に本拠を置くその組織から。
     いわく、任侠道にそのような前例は無いと。そのような足抜けは極道仁義の道にもとり、示しがつかないと。

     ただし。西日本支部選りすぐりの猛者と、五対五の勝ち抜き戦。その勝利を以て推し通るなら、その意志を汲んで認めようと。
     ただし。敗北したならそのときは、「それなりの」賠償金を、極道仁義の手本を示した西日本支部へ納めた上、解散は認めないと。

  • 16図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:26:03

     青空と生野、黒岩と他二人の組員――この者らも虎威組きってのベテラン拳闘士だ、総合力では青空や生野に勝るとも劣らない――を見渡し、夕華は声を張った。
    「あたいも、あんたらも。この試合に全てを賭ける……頼んだよ」

     応、とそれぞれ、重い応えが返るのを聞いた後。夕華は一つ手を叩く。
    「さ、仕事だ。あたいはこれから西日本支部へ挨拶に行く、黒岩は供を。他四人は荷物を持って宿に――」

     そこで、はた、と言葉が止まる。
     見れば。青空と生野が、いつの間にかいなくなっていた。
     気づいた黒岩が頬を引きつらせる。
    「あんのガ・キ・ど・も……!」

     夕華は肩を落とし、かぶりを振った。
    「ま……そう言ってやるのはお|止《よ》し。あいつらももうガキじゃない、この試合の意味も重々分かってる」
     息をついて続けた。
    「その上で、この街に思うことがあるんなら。止めはしないさ」

  • 17二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:28:22

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  • 18二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:30:32

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  • 19図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:36:46

      第二話  芸術と、踏まれる麦と

     中岡元は何度も何度もその言葉をつぶやきながら、砂利道を歩いていた。

    「遠近法、遠近法、遠近法……デッサン、デッサン、デッサン、遠近法遠近法、デッサン……」

     中岡元には夢があった。最近のことではあるが、見つけた夢。目の前の生活のことではなく、戦争や原爆への怒りでもなく。見つけられた、生涯を賭けるべき夢。
     それは絵を描くこと。世界中の人間の魂を揺さぶる絵描きになること。
     『芸術に国境はない』その言葉が元を、その魂を揺さぶっていた。

     出会った画家、天野星雅《せいが》。絵の具を買えず絵を完成させられない彼に、元は縁ある絵描き――原爆の放射能を受けた後遺症で亡くなった――から託された絵の具を譲った。
     そのときに、感謝の言葉と共に聞いたのだ。『芸術に国境はない』、その言葉を。

     そうして今、元は下駄で砂利道を踏み締めつつ、中尾工社の屋外作業場を目指して足早に歩いていた。
    看板の製作を請け負うその会社に、縁あって元と天野星賀は勤めており――そもそもは同社で作っていた看板を元が壊してしまい、それを天野が描き直して詫びた、といった経緯だったが――、ともかくも絵の勉強を兼ねて働いている。

    「芸術に国境はない……そうじゃ、わしは国境なんてケチな垣根を絵の力で取っ払える男になりたい。世界に平和を描き出せる絵描きになりたい」
     夢見るような熱を頬に帯びて、そうつぶやいたとき。
     水を差すように、横合いから足下に小石を投げつけられた。
     見れば、革のジャンパーを羽織ったチンピラ風の男が二人、道の脇に積まれた丸太に腰かけていた。
     ニタニタと笑いつつ二人の片方、帽子をかぶった男が言う。
    「わりゃ、中岡元という奴か」

    「そ、そうじゃ。それがどうしたんなら」
     戸惑いつつも元が答えると、男たちは互いに目を見合わせてほくそ笑んだ。

    「わしに何の用があるんじゃ」
     元がそう聞く間に男たちは前に立ち塞がる。そうして、折り畳みナイフの刃を起こした。見せつけるように、大きな音を立てて。
     帽子の男が言う。
    「用は、おどれの腕を切り落としてもらうことよ」

  • 20二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:42:23
  • 21図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:50:34
  • 22二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:50:48

    このレスは削除されています

  • 23図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:52:21

    「な、何を言やぁがるこのバカタレが」
     さすがに元は顔を引きつらせ、後ずさったが。

    「やかましい!」
     帽子の男は一喝すると共にナイフを突き出す。その刃が元の肩をかすめ、わずかに学生服を裂いた。

     もう一人の男がナイフを振りかぶり、元は反射的に両腕を防御の形に構えたが。
     男はぴたりとナイフを止め、代わりに蹴りを放ってきた。革靴のつま先が固く元の腹へとめり込む。

    「げぇ……っ」
     元がうめき、エビのように身を折り曲げる間に男はナイフを打ち下ろす。刃ではなく柄を、元の後頭部へ。

     硬い衝撃を受けて地面に伏した元へ、さらに何度も男たちの足が踏み落とされる。革靴の硬いかかとが、何度も何度も肉に食い込む。


    ひとしきり蹴りつけた後、頭上から男たちの声が降る。
    「まあ、腕はさすがに死ぬわな……指の二、三本で|堪忍《かんにん》しといたらぁ」

    「わしらぁワレに恨みはないがのぉ、ワレを恨んどる奴がおるんじゃ。恨むんならそいつを恨めや」
     帽子の男が身をかがめ、元の右手を取ろうとする。
     そこへ。両手両足を地面につき、元は飛び込んだ。頭から、まるで突き刺すように――しゃがんでいた男の、股間へ。

    「ぎゃあああぁ~!? ギ、ギギギギ……」
     悲鳴を上げて倒れ、股間を押さえてのたうち回る男に下駄で蹴りをくれて。元は立ち上がった。
    「腕だの指だのくれくれ言われてのう、ホイホイとやるアホウがおるかっ! アメでも欲しいんなら米兵《アメ》ちゃんにギブミーでもゲボミーでも言うとけっ!」
     もう一人のチンピラが歯を剥き、ナイフを突き出す。
    「おんどれが……ようもやってくれたのう。もう容赦せん、殺っしゃげたるわい!」

     元は拳を構える。
    「こっちのセリフじゃ……おどれらシゴウしたる、わしゃ鍛え方が違うんじゃ!」

  • 24二次元好きの匿名さん24/02/09(金) 22:55:35

    >>21

    もしかして本人のタイプ?


    お詫びってわけじゃないけど小説読んで評価つけさせてもらいますよォ

  • 25図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 22:58:14

      第三話  拳と、心の強さと

     走っていた、走っていた、大神青空は。旅してきたままの服装、南洋の花と葉が一面に描かれた、趣味の悪いスーツ姿で。

     拳闘で世界をつかむ、その夢のためにプロとなる――そのさらに前段階、極道から堂々と足を洗うための闘い。それが明日となれば、とてもじっとしてはいられなかった。だから走り出した、いつもそうしてトレーニングするように。

     一定の速度を保って足を動かしつつ、鼻から空気を吸い、吸い、口から息を吐く、吐く。吸い、吸い、吐く、吐く。いつもと変わらないそのリズムが、青空の調子を整えてくれるかと思えたが。
     それでも鼓動はいつもと違い、むやみに高鳴る。痛いぐらいに。いや、重いほどに。

     勝って夢へと駆け出してみせる、その思いよりも先に。
    負けたなら全てが終わる、その考えが重く、肩へ頭へのしかかる。

     走りながら、荒れた長髪を振り乱すようにかぶりを振った。
    「何やってる俺! 心の強さはどうした、辛いときこそ笑ってみせろよ!」

     力を込め、速度を上げて駆け出した。息が切れ、胸はいっそう破れるほどに強く高鳴る。
     思えば、変わらず夕華に従う黒岩や、姿を消した生野――同じくトレーニングに行くのかと思ったが、妹への土産を探すと言ってどこかへ消えた――の方が、よほど心が強いのではないか。
     歯噛みしてなおも走り、拳を振るう。



     どれほどそうして駆けてきたか。気づけば街の中心部を離れてしまったようだった。
    辺りにはしっかりとした家ばかりでなく、トタン板を屋根代わりに載せ、無理やり寄せ集めた資材と板切れで造ったような掘っ立て小屋《バラック》も目立って見えた。
    これもまた戦争の爪跡か。あるいは、それでも人々が懸命に生きようとしている証か。

     そんな思いにふけり、足を止めていたとき。不意に獣のうなるような声が聞こえた。いや、亡者がうめくような声か。
    「ギギ、ギギギ……」

     路地を曲がり、その声のした方へ行くと。
     学生服の少年が血を流し、うつぶせに地面へ倒れていた。

  • 26図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:02:02

    「……!」
     何事かと思い、青空がそちらへ駆け寄ろうとしたとき。

     少年は震えながら顔を起こし、真っ直ぐに見据えた。少年をそこまで痛めつけたであろう、目の前の男たち。ナイフを手にしたチンピラ二人を。
    「ギギ……負けんぞ、負けんぞわしゃあ……わしの夢、絵描きへの道……お前らなんぞに潰されてたまるもんかい……! 踏まれても踏まれても芽を出す麦のように、何べんでも立ったるわい……!」

     そして、少年は。食いしばった歯の間から、なおも亡者のようなうめきを上げながら。震えるひざに手をつき、立ち上がった。カウントナインぎりぎりで立ち上がる、拳闘士のように。

    「こいつ……」
     青空がつぶやいて目を見開くうち、チンピラの一人が震える口を開く。
    「わ、わりゃあ何なんじゃ……何でそうも、何度も何度も立ってこれるんじゃ……」
     もう一人はしきりに目を瞬かせる。
    「こいつは……亡者か何かか、|原爆《ピカ》の後に川になんぼも浮かんどった死体、あれが蘇ってきたんと違うか……」
     少年は下駄を脱ぎ捨てる。それをグローブのように手にはめ、拳を構えた。
    「やかましい……おどれらとは鍛え方が違うんじゃ。|原爆《ピカ》の日もその後も、嫌というほど地獄の姿を見てきたわしじゃ、もうこの世に恐いものがあるもんか」
     血の混じる唾を吐き捨て、叫ぶ。
    「行くぞおどれら……今度はわしの番じゃ!」

     そのとき。青空は笑っていた。胸の重さはどこかへ吹き飛んでいた。
     ジャケットを脱ぎ、少年とチンピラを隔てるように投げ入れる。
    「待てよ」
     そして少年へと歩み寄り、ほほ笑んだ。
    「強ぇな」
    「え……」
     目を瞬かせる少年に、青空は言った。
    「心が強ぇんだ」
     少年の年格好は中学生ほど、あの頃の――五年も前か、虎威組に入り|炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》で戦い出した頃の――青空とほとんど変わらない。
     青空には見えた。少年の内に、かつての自分の影が。
     少年に笑いかけた後、チンピラに顔を向ける。
    「これだけ言わせてくれよ。どんな事情か知らねえけどよぉ、子供に二人がかりでよぉ! 刃物向けてんじゃねぇぞ! それ以上やんなら……俺が相手だ」

  • 27図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:04:40

     体の前に両拳を構える。両拳を緩く握り、あごと腹を守るように軽く突き出したそれは、オーソドックスな拳闘の構え。

     チンピラたちが歯を剥く。
    「なんだとコラァ!」
    「てめぇ何もんだオラァ!」

     脅すようにナイフを突き出す相手を見ても、青空の構えは揺るがない。そう、もはや揺るがない。
    「拳闘家、|大神《おおかみ》 |青空《あおぞら》。てめぇらとは……心の強さが違ぇんだよ」

     男たちの顔が引きつる。
    「拳闘か何か知らんがのう……邪魔してくれるっちゅうんか、おぉ!?」
    「何ならてめえも死ぬか……オォラァ!」

     チンピラの片方、帽子をかぶっていない男がナイフを突いてくる。

     対して青空も拳を繰り出す。地面すれすれを這う低空からの右アッパーカット、ただし。その目標は相手のあごではなかった。

    「ほらよっ」
     脱ぎ捨てたジャケット、それを拳で巻き上げてかぶせる。相手の突いてきたナイフを包むように。

    「えっ」
     相手が目を瞬かせるそのうちにも、青空は右手でジャケットの端をつかみ、手首を返してさらにナイフに巻きつけ。強く引いた。
     体勢を崩す相手の顔面を待ち受けていたのは、タイミングを合わせた青空の左。素早く突いて引くジャブではない、肩を入れて打ち抜く左ストレート。

     鼻柱に拳をめり込まされた男は、わずかなうめきを上げてひざから崩れ落ちた。

  • 28図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:06:52

    「な……てめえ!」
     もう一人、帽子をかぶった男がナイフを突く。
     青空はしかし、その動きをしっかりと見据えていた。そして攻撃に逆らうことなく、体のさばきで受け流す。

     男はさらに何度もナイフを振るう。上から横から、風を切る音を立てて力任せに。

     だが、青空の目はその動きを捉えていた。次々と繰り出される刃を、流れる水のように逆らわずかわす。

    「な……!? くそがぁ!」
    男は叫ぶと共に足を踏み込み、渾身の突きを繰り出す。

     その動きが、青空には見えていた。
     突き出される刃を体にかすらせもせず、しかし肩の上すれすれに身をかわす。
     そして。受け流した力を以て、鉄をも砕く力と変えて。自らの拳に込める――相手の攻撃をさばきつつ打つ、カウンターの“技”。
     奥義【瀑受転巌《ばくじゅてんがん》】。

     撃ち抜くようなストレートを顔面に受けた男の体は宙を舞う。ナイフを取り落として地面に倒れた。

     少年は下駄をはめた拳を構えたまま、目と口を大きく開けてその光景を見ていたが。不意に叫んだ。
    「危ないっ!」

     言われたときには青空も気づいた、先に倒していた相手が震えながらも上半身を起こし、ナイフを振り上げていたことに。
     そして男は、倒れ込みながら青空へ向け、ナイフを投げた。

  • 29図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:11:03

     だが、その刃は。高い音を立てて突き刺さった――青空の前に割って入った、少年が手にした下駄に。

     少年はナイフを抜き捨て、下駄をはめた拳で殴りかかる。
    「わりゃ、何してけつかるんじゃっ! わしの恩人に向かってよくもやってくれたのう、おぉ!?」
     馬乗りになって何度も殴り、相手は力なく地面に伸びた。

     青空はきまり悪く、視線をそらして指で頬をかいた。
    「あー……悪ぃ。なんか、助けるつもりが……助けられちまったな」

     少年は額の血を拭い、気にした風もなく笑った。
    「いいや、わしこそ助けられたわい! 助けに入ってくれんかったら正直、どうなっとったか分からんけえ……どうか、お礼を言わしてつかあさい」
     そうして深く頭を下げる。

     青空は荒れた髪の伸びる頭をかいて苦笑した。
    「よしてくれよ、こそばゆいぜ。こっちこそ助けられた。俺は拳闘家……志望、大神青空。お前は」

     照れたように鼻の下をこすり、少年は言う。
    「わしは元。中岡元、絵描き志望じゃ」

     そうして、二人は。どちらからとなく手を差し出し、握り合った。

  • 30図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:14:19

      第四話  太い右腕と、お調子者と

     一方、その少し前。
     和泉生野《いずみいくの》は両手を頭の後ろで組み――右腕だけが異様にたくましいせいで、傍目にはバランスがおかしいが――、歌を口ずさみながら広島の街をぶらついていた。
    「さっよなら三角♪ まった来って四角~、っと」

     そう、さよならだ。ヤクザなんて後ろ暗い稼業は――虎威組の|生業《シノギ》はそのほとんどが、組員が炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》で戦い、賞金を勝ち取るというものだが。そもそもGHQや富裕層が密かに出資する裏社会の拳闘、その賞金の出所だって真っ白ではないだろう――さよならだ、明日限りで。

     西日本支部との明日の勝ち抜き戦、それにさえ勝利できれば。大手を振って日の当たる場所へ行ける。凛にはもう、ヤクザの兄に食わせてもらってるなんて思いを味わわせたくない――そんなことを口にする妹ではないが――。
     そう考えると気分は晴れ晴れ、鼻歌も出る、はずだったが。いつの間にか顔はこわばり、右手の指は震えていた。
    「……くそっ」

     ヤクザ稼業とはさよならだ、そのはずだ――勝てさえすれば。だが、負ければ? 
     西日本支部から要求される額がどれほどか、夕華組長から聞かされてはいないが。ちょっとやそっとで済むはずもない、だったらまさか、凛がそのために身売りなんかする羽目に――

    「……えぇい!」
     太い右手を振り上げ、音を立てて自分の顔を殴る。
     ここで弱気になってどうする、それじゃあガチガチにこわばった顔で走りに言った青空の奴と同じだ。

     信じろ、自分の心の強さ、いや、この右腕の強さを。
     右拳に目を落とし、そう考えていたとき。

     調子のいい声が道端から上がった。
    「さあさあ、どなたもこなたも、そんとな|辛気《しんき》くさいツラしときなさんなっ! 笑う|門《かど》にはラッキーカムカム、心ウキウキ♪ ズキズキ・ブギウギ♪ ワクワク! さぁー寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」

    「あぁ?」
     思い切り顔をしかめ、生野がそちらを見ると。
     道端に敷布を広げ、そこに売り物らしい女物の服を並べた少年二人がいた。一人はハンチング帽をかぶり、スタジアムジャンパーを着た男。もうひとりはジャケットを羽織った、目の細い男。二人とも十二、三歳ほどか。
     彼らの周りでは何人かの客があるいは品物を眺め、あるいは手に取って見ている。

  • 31図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:16:45

     帽子をかぶった方の少年はさらに声を上げた。
    「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、らっしゃいらっしゃい、いらっしゃいやし~! さぁここに取り出したるは世紀の天才デザイナー、世界のカッコーの新作婦人服じゃっ! あぁ、おばはんおばはん、あんまり汚い指でこねくり回さんでつかぁさいよ、なんちゅうても花の都はロンドンから、ドンブラコッコと船に揺られること四七《しひち》・二十八日! たった今上陸到着ホヤホヤの新作じゃっ!」
     少年はおどけたように、くるくるとよく変わる表情を周りの客へ順繰りに向けつつ、大きな丸い目で一人一人の顔を見る。

    「へえ……」
     ロンドンがどうのというのは、どこまで信じられたものか分からないが。並べられた婦人服はどれもしっかりとした造りで、清楚な色合いをした一方でさりげない|洒落《しゃれ》っ気も感じられた。
     女物の服に詳しいわけではないが、東京でも見たことのない品ではあった。本当にどこかから輸入した珍しいものか、あるいは相当に腕のいい職人が個人で造っているのだろう。
     これなら、妹への土産にいいかもしれない。

    「どれ……見せてくれよ」
     太い右手で手刀を切り、客の間に割って入る。妹に合いそうなサイズのものを手に取った。
    「あぁどもども、いらはい、いらはい……いいぃっ!? 腕……太くね!?」
     愛想を振りまいていた少年の目が生野の右手に向けられ、見開かれていた。
     だが、生野が顔をしかめるより早く。少年は自分の頭を、ぽん、とはたいてみせた。
    「いや何、ご主人。腕の太いは|肝《きも》も太い、肝の太いは七難隠す、ってのう! はぁ~あやかりたいあやかりたい、ナンマンダブナンマンダブ」
     手をこすり合わせて生野の右手を拝んでみせる。
     生野は口を開けてそれを見ていたが。毒気を抜かれたように息をついた。苦笑する。
    「……そりゃいいが、この品なら悪くねえな。いくらだ」
     少年が、ぱ、と笑顔になる。
    「毎度あり! 本日はご当地初売りにつき、大まけにまけて――」
     その言葉の途中で。突然客を強引に押し分け、派手なスーツ姿の男たちが割って入る。
    「おぉ待てやガキ……わりゃあ誰に断わってワシらん|縄張り《シマ》で商売しよんじゃ、おぉ!?」
     見るからにヤクザであろう男たちは革靴で敷布に上がり、並んでいた商品を踏みにじり蹴り飛ばした。そこに置いていた、生野の買おうとした品も。

  • 32図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:18:41

    「おおっ、なんじゃオッサンら――」
    「よくもわしらの売りもんを――」
     帽子をかぶった少年とジャケットを着た連れの少年、二人が声を上げる中。

     生野もまた、声を上げていた。ひどく顔を引きつらせて。
    「てんめええぇらゴラぁぁ……! よ・く・も妹の服を汚ぇ足で踏んでくれたなぁあ、あぁぁ!?」
     その異様に大きな右手がごきごきと、骨を鳴らす音を立てる。

     ヤクザらの目がそちらへ向き、それぞれに何度も瞬きする。
    「え……」
    「なんか……太くね!?」
    「こいつの右手……太くね!?」

     生野は拳を握り、構える。
    「おうよ、右手の強さが違ぇんだよ……試してみるか、あぁ!?」

     ヤクザらが身構える中、一団の中で年かさの男が前へ出る。その手は連れのヤクザらを制するように、横へ出されていた。
     にやにやと笑いながら口を開く。
    「こりゃあこりゃあ。広島へようこそ、東京のお客人よぉ。聞いてるぜ、東の|炎涛《えんとう》にゃ右手の強ぇ奴がいるっちゅうてのぉ。のう、生野さんよ」

    「あぁ?」
     なるほど、この男もヤクザなら|炎涛拳技會《えんとうけんぎかい》のことも知っているだろう。だとしたら明日の試合と、選手のことを知っていてもおかしくはない。

     変わらぬ笑みを浮かべて男は言う。
    「大事な試合前じゃ、間違うてケガでもしたらおおごとじゃけえの。お客人とはもめごと起こすな、丁重に扱えと言われちょる。ほんじゃ明日の試合、せいぜい頑張ってつかあさいよ。……行くぞお前ら」

  • 33図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:24:25

     去っていくヤクザらの背に、帽子の少年が声を上げる。
    「待たんかワレ、わしらの商売もんをどうしてくれるんじゃっ!」

     年かさの男は鼻を鳴らし、分厚い財布から適当に札を抜き出して地面へ放った。
    「クリーニング代じゃ。取っとけ」
     そうして後も見ずに立ち去る。
     金を拾おうとしたジャケットの少年に、帽子の少年は声を上げる。
    「ムスビ、わりゃそんな金拾うな! こっちの心までばっちぃばっちぃになるじゃろうが!」
     ムスビと呼ばれた少年は眉をひそめる。
    「ほいじゃが隆太よ、金は金じゃぞ。捨てといてええんか」
     隆太と呼ばれた帽子の少年は目をしばたかせ、思い悩んだように身をよじらせた。
    「うううぐやじい、ぐやじいけど拾うとけ、いやわしが拾う!」

     そんなやり取りを横目に、生野は靴跡の残る服を拾う。
    「これ。汚れてねえやつねぇのか」

     隆太が目を瞬かせた後、ぱ、と笑う。
    「おう、そうじゃったそうじゃった! よう分からんがあんたのお陰じゃ、すっかり助かったわい! タダで持ってけ……と言いたいが、同じのがあったかのう」

     ムスビが言う。
    「確か、うちに戻りゃあ色違いのが何着かあったはずじゃが」
    「ほうか! だったら出血大サービスじゃ、色違いであるだけ持ってけ!」

     生野は満面の笑みを――その服を着て喜ぶ妹を想像して―ー浮かべる。
    「そうかよ、悪いな! いい奴だなお前ら!」
     太い右手で隆太の背をどやす。軽くやったつもりだったが。
    「ア~~レ~~~!?」
    隆太の体は軽々と突き飛ばされ、建物の壁に頭から激突した。
    崩れ落ちながら涙目でつぶやく。
    「どぼじて……グズン」

  • 34図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:26:45

      第五話  ひがみと、人工の虹と

     そこかしこをナイフに裂かれた学生服姿のまま、元が一喝した。
    「おどりゃっ、なんでわしの腕を切り落としたかったんじゃ! はっきり言うてみい、腕を切り落としたいほどわしが憎いんか!」

     先ほど元を襲ったチンピラ二人に、ではない。そいつらからの話はもう――若干手荒な方法ではあるが――聞いている。
     二人の話では。看板製作会社、中尾工社で働く元の四つ上の先輩、黒崎という男。その者から、元の腕を切り落としたら一万円やる、そう持ちかけられたということだった。

     そして今。草の生えた地面の上、立ち並ぶ杭にいくつもの看板が立てかけられた、中尾工社屋外作業場。そこで一人作業をしていた黒崎の元へ、元と青空は来ていた。

     市松模様の帽子をかぶった天然パーマの男、黒崎は元の形相と語勢に怯えてか、震え逃げ惑うばかりだったが。やがて隅の看板の前へ追い詰められ、いっそう震えながらも口を開いた。
    「そ、そうじゃ、わしゃおどれが憎いんじゃ! おどれだけ天野のじじいに親切に絵を教えてもらって、メキメキ上達しとるんが我慢できんのじゃっ!」

     冷や汗を垂らし、軋る音が出るほど歯を噛み締め。地面を何度も踏みつけた後、黒崎は言った。
    「なんでじゃ! なんでお前だけが! ええ師匠に恵まれて上手うなって! わしより上達していくんじゃ! なんで……」

     二人から離れて聞いていた、青空はそこで口を開いた。
    「お前の心が弱ぇからだよ」

    「え……」

     目を瞬かせる黒崎の方へと歩み寄った。
    「そんだけ元を憎むんならよ、そこまでも妬むならよ。お前だってそれだけ、絵が好きなんだろ。だったらよぉ」
     どん、と音を立て、黒崎の胸を叩く。殴るのではなく、その内に響かせるように。
    「立ち上がれよ! 何度でも! 負けたと思ったなら練習して! そのじじいに頭下げて教えてもらって! 勝機がねぇんならよ、そうやってでもつかみ取れよ!」

     元の方を親指で指して続ける。
    「そんでこいつに勝ってみせろよ。もちろん元だって黙っちゃいねぇだろ、お前以上に練習するだろうけどよ。そうやって競い合えばいいだろうが。上手くなればいいだろうが。だから」
     黒崎の目を奥まで見据える。
    「心の強さで、立ち上がってみろよ」

  • 35図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:31:35

     黒崎はその目を見返し、何度も瞬きしていた。だが、やがてその目が震え、涙を溢れさせ。
    「う……うああ……うあああ……! うわぁぁあああ!」
     ひざから崩れ落ち、地面に手をつき。声を上げて泣いていた。
     何度も地面を拳で殴り、涙をこぼしながら言う。
    「うおおお、悔しいーっ、悔しい、悔しいーっ!」

     元が言う。
    「おどりゃ、ええ年こいてまだ悔しがっとるんか。ええかげんにせんかっ!」
     黒崎は涙を拭いながら何度も首を横に振る。子供のように。
    「ううう違う……違うんじゃ、自分が自分に悔しいんじゃ。いじけてひねくれて情けない、卑怯者の気持ちを捨てることができん自分が悔しいんじゃ……!」
    「おどりゃ、何を……」

     さらに涙を流して黒崎は言う。
    「原爆《ピカ》じゃ、原爆《ピカ》のせいじゃ! あの原爆《ピカ》のためにわしゃ、ひねくれて妬みばっかり持つ情けない男になったんじゃ……! 悔しい、悔しいぃ……!」

     それから黒崎は語った。
     小学六年のときに原爆《ピカ》を落とされ、家族を失い一人で生きてきたこと。食うや食わずの戦災孤児たちの中でも隅に追いやられ、いじけながら生きてきたこと。
    島に住む僧に引き取られたものの、奴隷のようにこき使われ。同じく使われていた、好きな女の子が原爆の後遺症を発症し、しかし何の手当てもされず死に。次は自分が死ぬと思い、命からがら島を抜け出し、広島へと帰ってきたこと。

     そうして全ての希望を失い、抜け殻のようになって街をさ迷っていたとき。
     黒崎は、虹を見た。空へ抜けるように鮮やかでどこまでも暖かい、人工の虹を。

     空にかかった虹と思い、目を奪われたそれは。よく見れば、大きな看板に描かれた虹だった。
     それでも、いや、だからこそ思った。明るく優しく暖かい色は人間の心を動かすものだと。やり切れないほど沈んだ、黒崎の気持ちさえ動かすほどに。

    「わしゃそのとき、希望を与えてくれた看板に惚れたんじゃ。明るくて優しくて暖かい色を自由に使えて、人に希望を与えられる看板職人になりたいと決めたんじゃ。じゃけえここの社長に頼み込んで使うてもろうて、軍隊式の恐ろしい社長じゃったが耐え忍んで。そこに元、お前が……!」

     顔を歪める黒崎に、元は拳を構えたが。
     青空はかがみ込み、黒崎の背を叩いた。優しく。
    「強ぇじゃねぇか」

  • 36図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:33:13

    「えっ」
     顔を上げ、何度も瞬きする黒崎。

     その目を青空は真っ直ぐに見る。
    「強ぇじゃねえか、心が。そうやって立ち上がったんなら、絵に看板に、そうやって希望を見い出したんなら」

     歯を見せて笑う。
    「まだまだやれる……また、立ち上がれる。そうだろ」
     そうして。黒崎へ、手を差し伸べた。

    「そう、かの……そう、かのう……」
     うつむきながらも、黒崎は。その手を取り、引き起こされるままに、立ち上がった。
     そうして、元へと頭を下げ。つぶやくような声で言った。
    「……すまん、かった」

     元は、ぽかん、と口を開けていたが。すぐに笑顔になった。
    「おお、構わんっちゅうことよ! それよりものう、ここからは遠慮せんぞ」
     元が拳を突き出してみせ、黒崎は震えて後ずさったが。

     元は自分の腕を叩いてみせる。
    「こっからはのう、絵描きの腕の勝負じゃ! 天野のじいさんにはわしからも頼んだる、お前も教えてもらってみいや。ほいでもわしは、もっと努力してお前より上手うなったらあ! 職人は腕でもの言うんじゃろうが、ゴチャゴチャ言わんと看板技術の腕を磨けっ! いや、わしも頑張るわい、お前なんかに負けんけぇのう!」

     黒崎はうつむいていたが、笑った。
    「そう、かよ……。へっ、上等じゃ」
     青空も笑ってうなずいた、そのとき。

     元を襲ったチンピラの声がした。
    「おった、あいつらじゃ!」
    「兄ぃ、あいつらじゃ、あいつらですぜ!」
     顔面を青空と元から受けた拳に腫らしたチンピラ二人は、今度は助っ人を連れているようだった。趣味の悪いスーツを着た、ヤクザらしき男を。

  • 37図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:35:12

     黒崎がチンピラ二人に言う。
    「鉄、重。お前ら悪かった、もうええんじゃ……もうやめてくれ」

     チンピラは顔を歪めた。
    「何言うてけつかるんじゃワレっ!」
    「お前のこっちゃどうでもええ……ワシらんメンツの問題じゃっ!」

     しかし、連れられてきたヤクザは。身構えた青空に目を止め、眉をひそめた。
     そして不意にきびすを返す。
    「帰るぞ」

    「え?」
    「け、けど兄ぃ……」
     困惑するチンピラには構わず、ヤクザは言う。
    「あんさん、東京のお客人じゃろ。心が強いだのなんたらいう。客人には手ぇ出すな言われちょる……少なくとも、明日の試合が終わるまではのう」
     口の端で笑う。
    「西も東も、ヤクザ稼業はつらいもんじゃのう……ま、明日の試合は気張ってつかあさいや」

     そうして、釈然としない顔のチンピラを連れて去っていった。

     黒崎がつぶやく。
    「何じゃ……今の」
     元が言う。
    「わしゃあ、よう分からんが……ほいだら青空さん、あんたも……ヤクザ、っちゅうことか」

     表情をこわばらせる元から、青空は目をそらしたが。
     そのとき、脳天気な声が響いた。
    「おう、あんちゃん! ここにおったんか!」
    「おう青空、しけたツラしてんじゃねえぞ! いい土産ができたぜ、てめえの妹の分までよ!」
    生野と、その太い右腕を肩に回された少年――隆太――と。その横で同じく生野と肩を組む連れ――ムスビ――。三人が、婦人服の溢れる箱を神輿《みこし》のように担いでいた。

  • 38図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:40:35

      第六話  決戦前夜と、杯と

     その夜、虎威組が泊まる宿の部屋で。
     一升瓶を股間に当て、隆太は大いに舞っていた。
    「一つとせ~♪ 人も・うらやむ・我がチン○ン♪ あ・ヨイショ!」
     かけ声に合わせて一升瓶の先を持ち上げ、勃起したかのように立てて見せる。
     虎威組の組員らが茶碗酒を手にはやし立てる。
    「いいぞボウズ!」
    「よっ、太マラ日本一!」
    「二つとせ~♪ 太くて・立派な・我がチン○ン♪ ヨイショ!」 

     ――あの後、青空らと生野たちが合流してから。
    黒崎は改めて元に詫びた後、デッサンの練習をすると言って一人別れていた。
    そして青空と元は、隆太や生野らの勢いに流されつつも結局のところ意気投合した。そうして全員で、婦人服の箱を担いで宿に向かったのだった。

     宿では黒岩が、青空と生野をにらみ殺すような目で見たが。夕華がそれを手で制し、口を開きかけたとき。
     隆太があごに手を当て、しげしげと夕華を見ながらその周りを回っていた。
    「ほほ~これはこれは、ははぁなるほどな・る・ほ・ど……」

     そうして、担いできた箱の中を探っていたかと思うと。明るい色の婦人服を何着か手にし、夕華の体の前にあてがってみせた。
     銃の照準でもつけるように、何か測るように。片目をつむって夕華と服を見据える。
    「う~ん、やはりピッタリじゃ! こちらの上品なマダ~ム、いやレディ~にはこちらの春色がピッタリ!」
    「……は?」
     夕華がけげんそうに目を瞬かせるのにも構わず、隆太は口を滑らかに動かす。

    「渋い和服もええけどのう、そんとな重い暗い色、いつまでも着とったら気持ちまで重う暗うなるじゃろう。おばはん……いやいやお姉さまもあれじゃ、戦争に青春を取られたクチじゃろ」
    手にした服を目の前に示す。
    「さ、この明るい服を、世界のカッコーの一流デザインの服を着てみんさいや。そうして青春を取り戻してつかあさいや」
     ぱん、と手を叩いて言う。
    「よっし、わしも男じゃっ! 今日は出血大サービス、お近づきの印にタダで持ってけ!」

  • 39図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:44:37

     夕華が、黒岩さえも口を開け、目を瞬かせる中。
     宿の仲居が虎威組の夕食を運んできたのを見るや、隆太は持っていた服を、ぱ、と夕華に押しつけた。
    「アイアイどうもどうも、イヤこりゃ結構なご膳でございましてイヤご苦労ご苦労」
    そうして仲居に混じっていそいそと膳を運び、座布団を整え、ご飯をそれぞれの茶碗によそい出す。
     そして配膳の後、ちゃっかり膳の横に座り。
    「イヤイヤこりゃ結構なご膳でございましてイヤイヤイヤ、デヘヘヘ」
    箸で茶碗を叩きつつ、よだれをたらしていた。

     ムスビがため息をつく。
    「お前という奴は、ほんまにゼニと食うことしか頭にないのう」

     元が言う。
    「わりゃ広島市民の恥じゃ、恥を知れ恥を! 宮島で鹿に食われてしまえっ」

     黒岩が顔をしかめ、隆太の方へ向かいかけたとき。

    「……ンフ」
     夕華が息をこぼす。
    「ンフフ、フフ……はは、あっはっはっは!」
     肩を揺すり、ひとしきり笑った後。青空と生野を見て言った。
    「よくは分からないが。随分面白いものを拾ってきたねぇ……ンフフ」
     そうして、宿の者に言う。
    「急で悪いが、膳を三人前追加だ。頼めるかい」――



     そうして、今。
    「三つとせ~♪ 見れば・見るほど・よかチン○ン♪ あ・ヨイショ!」

     股間から持ち上げた一升瓶をしげしげと眺める仕草をして隆太は躍り。組員らは腹を抱えて笑っていた。

  • 40図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:48:29

     茶をすすってから元がつぶやく。
    「わしが言うことでもないけど、のん気なもんじゃのう……明日は大事な試合なんじゃろ、こんとな宴会なんぞ」
     事のあらましについてはすでに青空から聞いていた。

     夕華は唇の端を吊り上げる。
    「ンフ。賢いねえ、少年」

     舐めるような視線に当てられてか、元は肩を震えさせたが、それでも言う。
    「わしは少年たらじゃないわい、中岡元っちゅう名前があるんじゃ!」

    「そうかい、悪かったよ。……元、あたいらの闘《や》る事は決して遊びじゃあない」

     真顔になった夕華の視線から目をそらす元。
    「ほ、ほいだら、なんで酒盛りなんか」

    「遊びじゃない……けど、決してお綺麗な拳闘試合《ボクシング》でもないんだよ。あたいらが闘《や》ってるのは、試合としてのルールこそあれど、結局は裏の試合……革手袋《グローブ》つけて、リングに上がっての抗争《出入り》なんだよ」

     |傍《はた》で最後の調整に拳を振るう青空は、耳だけそちらに向けて聞いていたが。
    覚えのある話だった、青空が組に入る前にも黒岩から聞かされたことだ。
    『ヤクザだって命懸けで稼いでる、死人だって毎月出てる』
     体重による階級差が公然と無視され、また選手の安全を考慮したテクニカル・ノックアウト――試合続行不可能との、レフェリーによる判定での決着――制度もない。何度もダウンさせられた選手が無理に試合を続行し、過剰な打撃を受けて死亡することもままあった。

     自らも杯を口にした後、夕華は言う。
    「だからね。特攻隊じゃないが、水杯じゃあ物寂しい……最期になるかも知れない夜に、一杯なりと酌み交わしておきたい……それが、炎涛《えんとう》選手の本音であり、慣習であり、見送る者からの|餞《はなむけ》さ。もちろん、明日に残る程は厳禁だけどね」

     黒岩が口を挟む。
    「果し合いだの戦《いくさ》だのに行くサムライもよぉ、不安を取っ払うために軽く呑んだともいうしよ。ガチガチになって眠れもしねえよりマシだ」
     茶碗酒を呑み干して言う。
    「ま、俺には関係ねえがよ」

  • 41図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:50:47

     青空は息をついて笑う。
    「俺にだって関係ねぇ。最期だのなんだのとよ」
     ムスビに持ってもらったパンチングミットに、グローブを着けた拳で打撃を打ち込む。パ、パ、パ、パン、と快い音が連続して鳴る。
    「勝ってやる、つかんでやるさ勝利を、打ち倒されようが何度だって立ち上がってよぉ」
    歯を見せ、また笑った。
    「俺の心が、強ぇからよ」
     そう言えた、腹の底から。

     黒岩が鼻を鳴らす。
    「はっ……ツラ構えだけは一丁前だな。汽車降りた後の、ガチガチにこわばってた奴とはえらい違いだぜ」
    「おう! さあて、もう一丁――」
     青空は拳を構え直すが。

    ムスビが慌てたように首を横に振り、ミットを外した。赤く腫れた手を、水滴でも払うように何度も降る。
    「ぐぐぐ……なんちゅうパンチ力じゃ、わしゃあもうもてんよ」
     元が横で口を開ける。
    「すごいもんじゃのう……よっしゃ、今度はわしにも持たせてくれよ」

     元が手にはめたミットへ、同じく打撃を打ち込んでいく。
    「おおっ! ギギギ~、イタタ~手がちぎれる~!」
     大げさにうめく元へ。青空はわずかに目を伏せ、ほほ笑んだ。
    「……ありがとな」
    「へ? なんのなんの、こんぐらい屁のカッパじゃ、どんと来んかい!」
     青空が口にしたのは、練習につき合ってくれることへの感謝ではなかった。
     黒岩の言ったとおりだった、広島に下り立ったときの青空はガチガチに固まっていた。試合への緊張に、敗北の可能性への恐怖に、夢を背負うことへの重圧に。

     だが、元を見て。どれほど強大な敵に、何度打ちのめされようと立ち上がる姿を見て――原爆を受けてからどんな風に生きてきたかも、その後いくらかは聞いて――。
     思い出すことができた、本来の自分の姿を。
     元に教えられた。それ以上の、心の強さを。
    「しょぼくれてちゃいけねぇな……立ち上がらねぇとな。世界チャンピョンになるその日まで、何度でもよ」

  • 42図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/09(金) 23:55:13

    「世界、チャンピョン……世界。世界か……」
     つぶやいた後、元は目を見開く。
    「ほうか、芸術だけじゃないんか……拳闘にも国境はないんじゃのう」

     ミットをはめたままの両手で、青空の手を挟む。握手をするように。
    「拳闘に国境はない……! ほうじゃ、ほうじゃよ青空さん! 世界チャンピョンになって、見せてくれや! 国境なんてケチな垣根を、あんたの拳でぶっ飛ばすとこ! 世界に見せてやってくれや!」
     元の真っ直ぐな目を、青空もまた真っ直ぐに見る。
     笑って答えた。
    「おう! やってやる、心の強さが違ぇからよ! 俺が日本人初、拳闘世界チャンピョンだぜ!」

     元も満面の笑みを浮かべた。
    「ほうじゃ、わしもそれまでに絵描きになったる! 世界中の人の心を揺さぶる絵描きにのう! そんときゃチャンピョンの絵を、わしに描かせてくれや!」
    「おう! 頼んだぜ!」

     同じく調整のため拳を振るいながら、小馬鹿にしたように生野が言った。
    「何だよさっきからチョンピョンってよお、チャンピオン、だろバカ空。ったくてめーのバカさ加減だけはとっくに世界チャンピョンだなオイ」
     青空は歯を剥き出す。
    「んだと、おどりゃクソ野! もっぺん言ってみい、シゴウしたるけぇのう!」
     元と話していていつの間にか染まった、広島の言葉で啖呵《たんか》を切った。

     生野は取り合わず、黒岩の方を見て言った。
    「それよりよ、黒岩さんよー。呑んでねえで練習見てくれよ。これでちゃんとできてんのかよ」

     生野は再び拳を振るう。先ほどから何度も素振りしているそれは拳闘の動きではなかった。
     空手の【逆突《ぎゃくづ》き】、いわゆる正拳突き。
    左足を半歩前に出しつつ地を踏み締め、その力を腰へと伝える。腰を左へひねると同時、左手を強く引く。それに糸で引かれるように、真っ直ぐに右拳を突き出す。結果、その突きは足の力、腰のひねり、左手を引く勢い、それら全てを載せた拳打となる。

     そしてまた、生野は別の技を素振りしてみせる。
     今度は拳の技ではなかった。腕を折り曲げ、肘を拳闘のフックのように横から振るう。次はアッパーのように下から。さらには後ろへと突くように。
     【猿臂《えんぴ》】と呼ばれる、肘打ちの技だった。

  • 43図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/10(土) 00:00:43

     無論、拳闘において拳によらない攻撃は明確な反則だ。炎涛《えんとう》でもその点は厳重に禁じられている。
    加えて言えば、正拳突きの方もあまりに基本に忠実な、大きな動き。そのままでは拳闘でも空手でも、試合に使えるとは見えないものだった。
     だが、それがどう使われるか、何を目的とした練習か。虎威組の者は皆知っている。それが充分な成果を上げていることも。

     黒岩は、ちら、とそちらを見ただけで、また茶碗に酒を注ぐ。
    「おーおーできてるできてる、よくやったよくやった」

    「だーかーら! 見ろっつってんだろ!」

     声を荒げた生野に、夕華が笑いかける。
    「ンフフ。聞こえなかったのかい、黒岩の声が。『よく頑張った』『お前に教えることはもう何もない』とさ」

     黒岩は空手の動きを基礎とした、質実剛健な拳闘術を操る選手。生野は自らの“技”を新たに編み出し、磨きをかけるため、その動きを学んでいた。

     黒岩が目を見開く。
    「な……」

     隆太がはやし立てる。
    「おーおー黒岩の兄さんが赤うなった、まるでゆでダコじゃのう!」
    「あぁ!?」
     ビキビキと軋む音が聞こえそうなほど、黒岩は強く頬を歪めた。大きな拳を握り鳴らしながら隆太の方へと近づく。

     隆太はおおげさに震えながら逃げる。
    「ヒイイイ、退避、退避~! 空襲警報じゃ、早う布団へいざ退避~! っと、おねんねの前に寝酒でも、もう一杯と……」
     枕を小脇に抱えながら、銚子《ちょうし》を取ろうとした隆太の手を。黒岩の太い手がつかんだ。
    「てめえ……ガキに呑ます酒はねぇ、とっとと寝ちまえ!」
     隆太の尻を蹴り上げ、頭から布団を引っかぶせる。
    「ア~~レ~~!? 何をするか、朕《ちん》は大いに怒ったぞギギギギ」
     もごもごと動く布団をさらに蹴りつけて黙らせた後。黒岩は青空と生野の方に銚子を掲げてみせる。
    「生野、青坊。どうだ、たまには呑むか。明日の引導代わりに末期《まつご》の酒でも酌んでやるよ、えぇ?」

  • 44図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/10(土) 00:04:24

     うへぇ、と生野は顔をしかめる。
    「縁起でもねえことをよ……いらねー」
     宙へ向けて拳を素振りしながら、青空も言う。
    「いらねぇよそんなもん。不安を取っ払う必要なんかねぇ……全部背負って立ち上がってやるよ、何度でも」
     その目はもはや重く沈んではいない。明日の試合を見据え、その先を見つめていた。

     黒岩は舌打ちする。
    「かわいげのねえガキどもだ」
     ンフフ、と夕華が薄く笑う。
    「へえ、『二人とも二十歳になったことだし』『たまには黒岩兄さんと一緒に呑もうぜ』、って?」
    「ちょ……!」
     顔を引きつらせつつも、その頬が赤くなる黒岩。

     そちらの方へ、夕華は片手を添えた耳を向ける。
    「なになに? 『明日は勝って祝杯を上げようぜ』『もちろん俺のおごりだ』、って? ンフフフ」
    「夕華さん、そこまでは……!」

     隆太が布団を跳ねのけて手を挙げる。
    「おう、そんときゃわしも張り切って呼ばれますわい!」

    「わしも」
    「ほいじゃわしも」
     ムスビと元が続いて手を挙げた。

     黒岩が盛大に歯軋りする。け、と吐き捨てるように言い、銚子の酒をラッパ呑みにあおった。
    「……にしても、マズい酒だ。安物を回されたな」

     青空はそのやり取りを横目に見つつ。左、右、左、と拳を繰り出し、最後に空を斬るような右フックを放つ。
     必ず勝つ、明日は。この拳で、心の強さで。
     そして。必ず叶える、世界チャンピョン……世界チャンピオンになる夢を。

  • 45図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/10(土) 00:15:19

    >>24

     あざーっす!

     ムフフ……ピク・シブにも載せていくのん


     というわけで今日はこの辺で。はーっなんだか眠いのぉ 午前0時は深夜だからね

     また後日スレ立てしてやりますよククク……

     それにしてもジャンプ・スレとの二刀流は面倒だったと思われるが……今後は一本化したいと思われるが……。


     ハーメルンから勝手に引用したと思われないように、まだ今日の時点では載せてない情報を書いておくと第7話のタイトルは「決戦の日と、卑劣な罠と」

     あと10話、11話ぐらいからは、龍継ぐにもちょっと出た「形意拳」の使い手を練り書いてやりますよククク……

オススメ

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