シンザンのライバル達64世代を語りたい

  • 1二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 16:24:12

    五冠馬シンザンのライバル達を語りたい。
    調べてみると結構強い世代っていうのが分かった。

  • 2二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 16:35:35

    シンザンが別格なだけで他のも中々とんでもない馬だからな。

  • 3二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 16:47:25

    主なライバルと主な勝ち鞍
    (八大競走勝利数順)
    ①カネケヤキ(牝)16戦6勝 桜花賞 優駿牝馬(オークス)菊花賞5着
    シンザンの対になる1964年の牝馬2冠馬で菊花賞では牡馬2冠馬のシンザンと三冠をかけて対決、大逃げをうつ波乱の展開を巻き起こし、脚部不安の中5着と健闘した。この菊花賞は2冠牡馬と牝馬が激闘した最初で最後の菊花賞。
    引退後はシンザンとサラブレッド最長寿記録争いを繰り広げ1995年、34歳231日の大往生を遂げた。今なお牝馬のG1級勝利馬では最長寿記録を持っている。

  • 4二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 16:49:45

    >>2

    そうなんだよね、当時は八大競走しか大レースがなかったから他の三冠馬の世代と単純比較は出来ないけど、それでも粒揃いの優駿が揃ってた世代だと思う。

  • 5二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 16:51:57

    リアルタイム勢はほぼ戦前・戦中生まれになるか

  • 6二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:10:04

    ②ハクズイコウ 18戦11勝 天皇賞(春)
    シンザンと同世代の持ち込み馬。デビューが遅れクラシック競争に出走する事はなかったが、1965年の天皇賞(秋)に10戦9勝2着1回の戦績で出走、2番人気に支持されるもシンザンに2馬身差をつけられ完敗、有馬記念でも4着に敗退するも翌年に復調して、アメリカJCCを制覇し、迎えた天皇賞春で年下のキーストン・ダイコーター・カブトシロー・エイトクラウンらの強豪馬相手に当時のレコードを1.9秒も縮めるスーパーレコードで優勝、八大競走勝利馬になった。その後は休養後、調子を落としてAJCCの9着を最後に引退した。

  • 7二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:23:33

    >>6

    ハクズイコウは幼い頃牝馬の群れに追いかけられた際、柵を越えようとして足を引っかけてその怪我が以降の競走馬生活に支障をきたしてしまったそう

    その怪我さえなければシンザンの三冠も怪しかったかもしれないと大尾形こと尾形調教師は残念がったらしい

  • 8二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:29:40

    ③ウメノチカラ 27戦9勝 朝日杯3歳S(現朝日杯FS)
      毎日王冠・セントライト記念・NHK杯・新潟記念
    シンザンのライバル筆頭候補、簡単に言うと64年のウインバリアシオン。デビュー当初はシンザンがデビュー戦をズラす程の期待馬でそれに応え、朝日杯3歳Sを勝つが、シンザンとの初対戦となったスプリングSでワカラセられると皐月賞でも3着に敗退、それでもダービートライアルのNHK杯でシンザンの調教師武田文吾期待のオンワードセカンドを破るとダービーで再びシンザンと対決、直線でシンザンを一度はかわすも、シンザンに差し返され1馬身4分の1差の2着に敗退、夏に入り古馬相手の毎日王冠で2着の後セントライト記念をレコード勝利、オープン1着で調子を上げると菊花賞本番では体調不安が囁かれるシンザンを抑え1番人気に支持される。
    レースでは大逃げをうった2冠牝馬カネケヤキを直線で捉えるも外から突っ込んで来たシンザンに並ぶ間もなくかわされ
    2馬身半差をつけられ完敗した。

  • 9二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:31:03

    こういうの私性合

  • 10二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:40:17

    ↑の続き
    菊花賞後はその年の有馬記念でのファン投票数ではシンザンを超え、年上の1963年の2冠馬メイズイに次ぐ2位に推されるも4着に敗退。年が明け、古馬となった1965年では、新潟記念、毎日王冠を優勝したものの天皇賞(秋)ではシンザンの7着、そしてシンザン伝説の引退レース有馬記念を8頭立て中8着の殿負けで見届けた。
    1966年になると復調の兆しを見せ、3着、4着と健闘し自身の引退レースとなった天皇賞(春)では年下の強豪馬達を抑えハクズイコウの2着に大奮闘、シンザン世代ここにありを世間に見せつけ、ターフを去った。

  • 11二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:41:16

    わい、産まれてないけどあにまん民は世代の人おるんか?
    いてもルドルフ世代くらい?

  • 12二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:43:27

    このレスは削除されています

  • 13二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 17:45:20

    訂正
    スレ主だけど、自分はルドルフはおろか、田舎民だから競馬場にすら行ったことないけどシンザンの凄さを本やネットで知ってこのスレを立ててみた

  • 14二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 18:06:15

    シンザン世代だいたい80以上だし、流石にあにまんにおらんやろ
    マルゼンスキー世代60以上
    オグリ世代50以上
    オペラオー世代40以上
    フラッシュ世代30以上
    各クラシック世代に20だった人のだいたいの歳だか、
    オグリ世代以上の人がいると思いたくない

  • 15二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 18:09:54

    ④バリモスニセイ(牡)38戦10勝 
    サンケイ大阪杯(現大阪杯)

    父に凱旋門賞馬バリーモスを持つ、持ち込み馬。
    皐月賞では24頭中13番人気ながらウメノチカラにハナ差の4着に好走、1戦挟みダービーでは皐月賞の好走を支持され4番人気に支持されるも7着に終わる。夏を越え、秋になると朝日チャレンジC(現チャレンジC)で重賞初制覇を飾ると連闘で京都杯(現 京都新聞杯)に駒を進め、シンザンを1馬身4分の1差で退け重賞連覇を達成した。これはJRA史上最短間隔での重賞勝利記録である。また、この京都杯はシンザンが生涯で唯一重賞で敗戦したレースになった。(尚2着)
    菊花賞では折り合いをかいて6着に敗退した。
    古馬になってからは第一回中日杯(現 中日新聞杯)を制して重賞3勝を挙げ、天皇賞春に向かうが、勝ち馬のアサホコから2.2秒も離され3着に敗れた。
    その後、阪急杯をレコード勝ち、鳴尾記念でも同期で同じ持ち込み馬のアスカを破り、優勝。宝塚記念で再びシンザンと対決、出遅れたもののシンザンと共に前年の優勝馬で天皇賞馬でもあるヒカルポーラをものともせず、一騎討ちを演じた。結果は不良馬場を克服したシンザンに半馬身差に退けられた。
    続く

  • 16二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 18:20:58

    続き
    宝塚記念の後勝ちきれないレースが続いたものの、1966年になるとサンケイ大阪杯(大阪杯)で1番人気の年下のダービー馬キーストンらを一蹴しレコード勝ち、続くスワンステークスでスタートからハナを奪い、カブトシロー・ハクズイコウ・チトセオー・ダイコーターを一蹴し優勝した。天皇賞春は競走除外になったものの、京阪杯では61kgの斤量を背負いながら、1番人気のワカクモを破って優勝、この勝利でシンザンに並ぶ重賞8勝目を挙げ、シンザンに並ぶ中央競馬重賞最多記録をマークしたが、これが最後の勝利になり1967年の鳴尾記念の7着を最後に引退した。

    画像左側がバリモスニセイ

  • 17二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 18:38:43

    バリモスニセイってそんな強かったのか

  • 18二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 18:47:19

    シンザンのレース見ててバリモスニセイだとかヤマトキョウダイだとかは実況でも目立つ印象

  • 19二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 19:34:26

    ⑤オンワードセカンド(牡)25戦4勝 
     毎日杯・神戸杯(現 神戸新聞杯)

    母親に無敗で牝馬2冠を達成したミスオンワードを持つ。2020年にデアリングタクトが無敗で2冠を達成した時の実況である「63年ぶりの夢叶ったデアリングタクト」とあるように63年前に達成したのでミスオンワード。
    デビュー前はシンザンの調教師武田文吾から大変期待されていたが、母親の主戦騎手であった栗田勝騎手がシンザンにゾッコンになった為、栗田騎手の弟弟子の松本善登騎手を背にクラシック戦線に挑んだ。因みにシンザンの厩務員である中尾謙太郎は本来このオンワードセカンドを担当する予定で本人も楽しみにしていたが、先輩の厩務員がごねた為、シンザンの厩務員に変更になったという経緯がある。

    デビューしたオンワードセカンドだったが、武田調教師の期待とは裏腹に重賞に出ても勝ち切れず、シンザンがスプリングSを勝って皐月賞に進んだのに対し、本馬は皐月賞前のオープンで惨敗し、遂には武田厩舎の一番手の称号すらシンザンに譲ることになった。ダービートライアルNHK杯ではウメノチカラの5着に敗れたもののダービーへの出走権は確保した。ダービー本番では8番人気という低評価ながら3着に奮闘、夏に毎日杯と菊花賞トライアル神戸杯を勝利し、菊花賞に出走、4番人気に支持され、レース本番ではまたまた3着を確保し、ダービー・菊花賞共に同じ馬の決着となった。
    クラシックの後は勝利を挙げる事はできず、1965年の天皇賞春では6枠の6番人気で6着となるなど、奮闘したが、遂にレースに勝つことなく引退した。

  • 20二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 19:43:19

    ⑥ブルタカチホ(牡)30戦5勝 カブトヤマ記念 
                   目黒記念(春)

    シンザン世代のシルバーコレクター。クラシックにはダービーにしか出走しておらず、13着に敗れた。
    その後はオープン・重賞・八大競争で2着・3着に入る安定性を見せた。シンザンの引退レースの有馬記念でもしれっと3着を確保している。

  • 21二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 19:52:57

    迷馬?
    サツポロホマレ(牡)皐月賞競走除外

    シンザンが1冠目を獲得した皐月賞で前代未聞の大脱走をした迷馬。
    パドックで騎乗命令が出て、騎手が跨った途端、騎手を振り落とし観衆で埋め尽くされたスタンドは突進、しかし、余りの観客数に驚いたのか、急転回し、正門を駆け抜けると競馬場を脱走、旧甲州街道を爆走した。厩務員を乗せたパトカーが出動し、甲州街道を2キロ走った後保護された。その保護された場所の地名は「車返」という地名だったらしい。

  • 22二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 20:28:48

    明確にデータが残ってるのはこれくらいだからそれぞれのライバル達の小話をざっくりと紹介。

    ①カネケヤキ
    「カネケヤキがいたからこそシンザンはこれほど長生きできたのかもしれない。」と評される。

    (シンザン危篤の報道が出た際)
    「シンザン ガンバツテ カネケヤキ」という電報がカネケヤキのいる牧場から届けられる。

    ②ハクズイコウ
    ハクズイコウを管理した尾形調教師から自身の著書の中で最大級の賛辞を贈られている。

    ③ウメノチカラ
    伊藤竹男騎手(ウメノチカラの主戦騎手)
    (シンザンとウメノチカラの関係を振り返って)
    「栗田はどうか知らないけど、シンザンはぼくとウメノチカラを笑止千万だと思っていたんじゃないかな。」

    (菊花賞を振り返り)
    「直線200Mで勝ったと思った。けどシンザンが飛んできて栗田がぼくの方を見てにやっと笑ったんだ、それくらい余裕があるんだからどうにもならんよ(苦笑)」

    ④バリモスニセイ
    距離適正は2000Mまでがドンピシャだったようで、この距離までなら類稀な勝負根性で八大競走勝利馬すら捩じ伏せる事が可能だった。

  • 23二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 23:07:45

    シンザン世代の特徴として持ち込み馬が多い印象。
    ハクズイコウもバリモスニセイも持ち込み馬だし、でどうやらこの時期は持ち込み馬は内国産馬として扱われてたらしい。マルおばの方が後の時代なのに、この違いはなんだろね

  • 24二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 23:17:05

    小話
    初代三冠馬セントライトとシンザンは誕生日が一緒、そんなセントライトがシンザンの三冠達成を見届けて安心したかのようにシンザンの三冠達成後に老衰で死亡、それ以来三冠馬の歴史が途切れる事なく続いてるのってすごいよね。

  • 25二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 23:23:46

    二本足で立って歩く特技を持ってる事で知られるシンザン
    シンザン物語の斎藤さんの話によると種牡馬を引退した27歳の時でも筋肉に衰えはなく、普通に立ち上がってスタスタ歩いていたらしい。やばいよね、こんな年齢になっても立てるの

  • 26二次元好きの匿名さん22/01/16(日) 23:49:36

    世界で見てみるとシンザンと同じ1961年生まれのサラブレッドは

    アニリン【ソ連】 ソビエト三冠 

    ノーザンダンサー【カナダ】アメリカ二冠
    言わずと知れた世界的種牡馬 ウマ娘でいうと理事長のモデルの馬のお父さん

    サンタクロース【イギリス?】英愛ダービー制覇
    産駒にシンボリルルドルフを甥にもつセントシンボリなとがいる。

    レイズアネイティブ【アメリカ】
    産駒にノーザンダンサーに拮抗する程の勢力を作り上げたミスタープロスペクターがいる。

    結構、豪華な年。
    画像はノーザンダンサー

  • 27二次元好きの匿名さん22/01/17(月) 00:19:46

    あの有馬で因縁のあるミハルカスは一つ上だったなそういえば。
    鞍上の加賀騎手も何とかしてシンザンに一泡吐かせようとするけど正攻法も奇策も真正面からぶった斬るシンザンの無慈悲っぷり好き。

  • 28二次元好きの匿名さん22/01/17(月) 05:13:27

    >>24

    SSとプイプイが同じ誕生日だった以上に出来過ぎた話

  • 29二次元好きの匿名さん22/01/17(月) 11:27:52

    ミハルカスの名前が出たからミハルカスら歳上のライバルたちを紹介

    ❶ミハルカス(牡)42戦10勝 ダイヤモンドS
                   オールカマー

    何気に出身牧場が千葉の社台牧場だったりする。尾形厩舎と小西厩舎(セントライトの主戦騎手だった人)との間で争奪戦が起きて、小西厩舎が獲得した期待馬だった。ただ身体が弱く、脚部不安も抱えていたので、デビューが度々延期し、やっとのことで迎えたデビュー戦もメイズイの7着に敗れた。しかし、その後勝利を重ねるとダイヤモンドSで重賞初制覇、続くオールカマーで闘将 加賀武見を鞍上に1964年の天皇賞秋・有馬記念馬のヤマトキヨウダイを降して優勝、シンザンとの初対決となった目黒記念(秋)では正攻法の競馬でシンザンに挑み完敗、続く天皇賞秋では後続に20馬身を差をつける大逃げを試みたが、直線でシンザン・ハクズイコウに捉えられ3着に敗退した。打倒シンザンに闘志を燃やす加賀と共に有馬記念ではシンザンを荒れた内馬場に閉じ込める奇策をもって大外へ進路を取ったが、知っての通り外ラチギリギリを突っ込んできたシンザンに差し切られ、1 3/4身差の2着に敗北した。
    有馬記念の後、レースで繊細さを欠き、勝利を挙げる事なく引退した。

    ミハルカスの調教師である小西喜蔵は有馬記念でシンザンの5冠を見届けるとシンザンの調教師武田文吾の元に行き、
    「おめでとう、加賀とミハルカスは最高の競馬をしてくれた、それを打ち破ったシンザンは本当に強い馬だ、これから暫くはシンザンを超える馬は現れないだろうね。」と語り武田文吾と固く握手した。

    自身のかつての相棒セントライトを超える五冠馬シンザンに小西調教師は何を思ったのだろうか

    画像のゼッケン6番がミハルカス

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