- 1◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:53:17
【揺れる恋路はビタースウィート】
2月に入り、まだまだ厳しい寒さが続く中。街を彩る赤色が、乙女の背中を後押ししているようです。
そんな、バレンタインを間近に控えたとある日。
メジロのお屋敷の一室。薄紫の尻尾を揺らし、甘く蕩けるカカオが薫るキッチンで独り言ちます。
「ん〜……上手く出来ているでしょうか……」
レシピ通りに、火にかけた生クリームとチョコをヘラで混ぜ合わせながら。数年前の思い出がふと過ぎりました。
「煮込む事も知らなかった私が、バレンタインにチョコレートを手作りするだなんて……感慨深いですわね……」
季節はいつだったでしょうか。おばあさまとの思い出の味、お汁粉を自分でも作ってみたくて。
材料を買ったはいいものの作り方が分からず、トレーナーさんに助けを求めた事がありました。
あの頃と比べ、クッキーを焼くことも出来るようになりましたし、随分と料理の腕は進歩したと思います。
とはいえ未だに修行の身ではありますが。それでもバレンタインのチョコレートは手助けを借りず、私自ら作り上げたいですから。
「よいしょっ、と。一先ずは冷蔵庫、ですわね」
生クリームとチョコが綺麗に混ぜ合わさり。既に美味しそうな、とろりとした状態になったので、ある程度固める為にも冷蔵庫へと入れます。
タイマーをセットして。冷え固まるのを待っている間、チョコを受け取られたトレーナーさんはどのような反応をされるでしょう、と。
ついつい妄想に耽ってしまいます。
『どうでしょう? 私からのチョコレートは』
『ああ、とっても美味しいよ。マックイーンも食べてごらんよ』
『いえ! 私自身のチョコレートは用意しておりませんし、トレーナーさんに全て召し上がっていただきたいですわ?』
『ふ~ん、そう? 前は一緒に食べたんだし、今年も、って思ったんだけど……あぁ、そうだ』
そう言って肩に手を置かれ、逃さないように頬を寄せられ……。 - 2◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:53:29
『チョコレートよりも甘いものが欲しくなった』
『だ、ダメです、トレーナーさん……そのように顔を近づけられては……あっ、だめっ──』
(とか! とか!?)
ああ、本当にそうなればなんて甘美な事かしら……。
唇を通して伝わる、蕩けそうな甘さ……もうチョコレートの味なんて残っていないのに、小鳥が啄むように何度も何度も……。
──と。身悶えしながら空想の沼に沈みそうになっていたところ。ピピピピッ! と軽やかな音を立ててタイマーが鳴り響きます。
「はっ!? いけませんわ!?」
そうです。そもそも私はチョコレートを完成させておりませんし、トレーナーさんもそのように強引な方ではありません。
正直私としては、強引に唇を奪われるというのは吝かではありませんが……。
「ではなくて! 今はチョコレートを作り上げるのが先決ですわ!? そうでしょう、メジロマックイーン!?」
両手で自身の頬を張り、意識を切り替えます。
「……トレーナーさん、喜んでくださるかしら」
冷蔵庫を開けながらぽそりと呟いた言葉に、頬は無意識に緩むばかりでした。 - 3◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:53:42
バレンタイン当日。
一度寮に荷物を置きに戻り。前日にチョコを入れた時、まるでお店のショーケースのようになっていた共同冷蔵庫は、sold outの看板が付きそうです。
私がチョコレートを取り出した事によって、完売御礼にまた一歩近付きました。
作ったトリュフチョコレートを、タッパーからショコラケースに、丁寧に。
一つずつ入れていきます。ケースに詰め終えた後、紙袋に入れて。
(……本当に、渡してしまってもよいのでしょうか)
チョコレートを作り終えた後に書いた、メッセージカード。
一緒に入れるべきか、渡した後に逃げられるように、入れないべきか。文章を読み直しながら、逡巡したのち。
(いいえ、女は度胸です! それにトレーナーさんなら、もしかしたら……)
そんな淡い期待と、チョコを作っている最中の妄想が合わさって。
自らの退路を断つべく、メッセージカードを入れてから、紙袋にリボンで封をしました。
準備も済んだところで、はやる気持ちでトレーナー室へと向かいます。
しかしながら部屋の前に着き、コンコンコンと軽くノックをしてみたものの、中から人の気配はしません。
「席を外されているのでしょうか……」
今はおおよそ、日々体重計と格闘している乙女の心も揺らぐ時間帯。
カフェテリアなどで休憩を挟まれていたとしても不思議ではないでしょう。
まずはそちらを当たってみましょう、と。向かっている途中の中庭で、その姿を見つけます。
「トレーナーさ──」
しかし。 - 4◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:53:53
「────」
「────」
声を掛けようとした矢先、先客が居ることに気付き物陰に思わず隠れてしまいます。
仲良さそうにトレーナーさんが談笑されている相手は……。
(あちらの女性は……)
首からトレーナー証をぶら下げていることからも、恐らく中央所属のトレーナーではあることは推察出来ます。
(はじめてお目にかかりますわね……トレーナーさんのお知り合い、でしょうか?)
歳は……見た目だとトレーナーさんよりも下に見えます。比較的新人の方でしょうか。
話されている雰囲気からもトレーナーさんは相槌を打つばかりで、積もる話があるのは女性の方なのでしょう。
そうして何かを伝え終えたかと思うと、私の持っている紙袋よりも少し大きめな袋を、トレーナーさんに差し出します。
(あぁ……そういうこと、でしたのね)
何もおかしな話ではないでしょう。
トレーナーさんは若くして優秀な成績を収めている方です。
それに容姿だって。目を引くようなハッキリとしたお顔ではありませんが、整った、上品な顔立ちをしておられます。
世の女性からしてみれば、とても魅力的な男性に映っていたとしても不思議ではありません。
(嬉しそう、ですわね……) - 5◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:54:16
紙袋を受け取られたトレーナーさんの顔は照れ笑いをしているようで。
少し離れたこの位置からでも、雰囲気が和やかなことは伝わってきます。
しかし何故なのでしょう。視界に映る雰囲気は和やかでも、喉の奥からは何かが込み上げてくるようで。
揺らぎ、次第に直視することが苦しくなって。
(義理チョコという可能性も……)
社交辞令のような義理チョコなのか。愛の告白の為の本命チョコなのか。
はっきり言ってこの場からでは分かるはずもありません。それなのに、義理チョコであんなに嬉しそうな表情をするとは思えない、と。
心の何処かで結論づけてしまえるような。そんな雰囲気が感じ取れてしまいました。
(私の入る余地は……ありませんわね)
表情を作る力は入らないのに、紙袋を握る手には力が込められ。トレーナーさんたちに気付かれる前に、足早にその場を逃げ出します。
逃げる場所の宛なんてありません。ただ、無性に何かを振り払いたくて。
無心で駆け出してみたものの、自身がステイヤーであることを呪いたくなったのは恐らく初めてでしょう。
中々切れることのない息に、気付けば学園からは随分と離れた場所にやってきていました。
「はぁっ……はぁっ……少し休憩しましょうか……」 - 6◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:54:27
近場の公園のブランコに座り、まだまだ夕方と言える空のもと、結果的に随分と乱暴に振り回してしまった紙袋が気になります。
きっと中のチョコレートは形が崩れているでしょうね。
……私はいつ、このチョコレートを渡せばよいのでしょう? 明日? いいえ、それではバレンタインのチョコレートではなくなってしまいます。
今日中には、トレーナーさんにお渡しできない。形だってきっと崩れてしまっている。
そんなものを受け取ったって、嬉しくはないでしょう。
けれど、それでも捨ててしまうのは忍びなくて。
「私が作ったんですもの。自分で食べるのは、問題ありませんわよね」
きちんとラッピングの施された箱を開けると、中のトリュフチョコはやはり形が崩れていました。こんなものをトレーナーさんにはお渡しできません。だから責任を持って、私自ら食べるだけ。
(おかしいですわ。味見、ちゃんとしましたのに)
舌で転がしたチョコの味は、味見したそれとは違っていました。きっと、本当は作るのに失敗していたのでしょう。
……ああ、やっぱり渡さなくて正解でした。
──だってこのチョコレート、塩が混じっているんですもの。 - 7◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:54:38
自分で作ったチョコを食べ終えた後、どうしてもすぐに帰る気にはなれなくて。
なんとなく近場にあった映画館で、適当に上映開始時間が近いものを選んで。
上映が迫ったからシートに座り。終わってみれば時刻は既に夕食時で。2月の空は既に真っ暗になっていることでしょう。
「どうして私はラブ・ロマンスのある映画を選んでしまったのでしょう……」
タイトルも気にせず、上映開始時間が近いという理由だけで選んだ映画でしたから。
シリーズものの映画とはつゆ知らず、内容はほとんど分からなかったものの、浜辺で主人公とヒロインがキスをして終わるラストシーンは印象的でした。
……本当に、どうしてラブ・ロマンスのある映画を選んでしまったのでしょう。ただただ心に虚しさを覚えるだけですのに。
「そろそろ帰りませんと……」
門限まで余裕があるとは言え、あまり遅く帰る訳にもいきません。
晴れない気持ちのまま、映画館を去ろうとした時──。
「マックイーン、こんなところで会うなんて偶然だね」
不意に掛けられた声に顔を上げ、飛び込んできたのは、トレーナーさんの姿。
普段なら嬉しいはずの出会いなのに、今はどうしようもなく苦くて。
けれど何故そのような事になっているのか、トレーナーさんは知る由もありませんから。努めていつも通りに。
大丈夫。先程とは違って表情は作れます。名優らしく、笑顔を貼り付け振る舞います。
「あら、トレーナーさん。ごきげんよう。トレーナーさんも何か映画のご鑑賞を?」
「そんなところかな。マックイーンの方は感動出来る映画だったの?」
「いいえ、実は内容はよく分かりませんでしたの。しかし、どうしてそう思われたのですか?」
「目元」
「はい?」
「赤くなってるから」 - 8◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:54:48
言われて気付きます。ああ……どうしてこんな簡単な事にも頭が回らなかったのでしょう。
名優の名が聞いて呆れます。トレーナーさんの言う通り、大人しく感動出来る映画だったと答えれば誤魔化しも効いたでしょうに。
先程泣いていたことに気付かれてしまった以上、今トレーナーさんと話し続ければどんなボロが出るか分かりません。
会話を切り上げ、今日のところは別れようとしたものの。踵を返す暇もなく、気付けば右手がトレーナーさんの手に捕まっていました。
「離してください」
「逃げるでしょ、だって」
「門限がありますから」
「俺も帰る方向は一緒だよ。外も暗いし、一緒に帰ろう」
トレーナーさんの言い分はご尤も。この場で別れるより見知った大人と途中まで帰る方が、身の安全の上では圧倒的に正しいです。
けれど、今の私にはどうしてもそうしたくない理由があります。
きっと、そんな感情が漏れてしまったのでしょう。
「良いのですか? 折角のバレンタイン、恋人を放ったらかしにしてしまって」
厭味ったらしく、突き放すように言葉が出てしまいます。
「恋人? いや、俺にはいない──」
「嘘です。だって私、確かに見ましたもの。トレーナーさんがチョコを受け取って、嬉しそうにしているところを」
「まあ、貰いはしたけど」
「でしたら、私はお邪魔なだけでしょう?」 - 9◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:55:01
特に感慨もなさそうに、淡々と答えるトレーナーさんに苛立ちも混じり始めて。
どうしてくさくさとした言葉を続けなければならないのでしょう。
「お邪魔? いや、むしろ君には居てもらわないと困るんだけど」
私が居なくてはいけない理由? そんなものある訳がありません。
「マックイーン、多分誤解をしてると思うんだけど──」
「誤解ですか? 私が?」
「そのマックイーンが受け取るのを見た、って子。まあ後輩と言えば後輩なんだけど、その子が担当をスカウトする時にちょっとだけ手伝ってあげたんだよ。だから、チョコレートはそのお礼。マックイーンが思っているような告白のチョコレートとか、そんなんじゃないよ?」
「ですが、トレーナーさんだってあんなに嬉しそうに……!」
ただお礼のチョコを貰っただけで、あのような表情をされるのでしょうか。
とてもそうとは思えません。他に、何かしらの理由があるとしか。
「うーん、まあ口だけじゃ信用できないか。なら一緒にトレーナー室に来てよ。渡したいものがあるから。俺から、ではないけどね?」 - 10◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:55:11
道中特に会話をすることもなく、トレーナーさんの車で学園まで戻って来て。
トレーナー室まで着いたところで、鍵を取り出す素振りすら見せず、そのまま扉を開けて中に入っていきます。
(鍵を掛けていなかっただなんて。不用心ではないでしょうか?)
訝しみながらも続けて中に入り。入ってすぐに飛び込んできたのはデスクに置かれた、私が受け取るところを目撃した紙袋。
それを私の近くまで持ってきて。
「これが俺が貰った分で」
中身を一つ。
「そしてこれが、君宛てのチョコレート」
いえ、二つ。取り出されました。
「私への……チョコ……」
「そう。俺がマックイーンを担当してるのは知ってるみたいだったから。君ってばスイーツが好きな事で有名だから、気を利かしてくれたんだろうね。マックイーンさんにも是非渡してください、って」
チョコレートを一つ入れるには大きな紙袋だと思っておりましたが、そもそも中身が二つだったというのは、道理で。
「ほら。俺へのチョコと君へのチョコ、リボンの色が君の方がピンクなだけで包みとかも一緒でしょ? 中身は君と食べたくてまだ見てないけど、もしも本命チョコとして渡してくるなら俺だけ特別感あるチョコとかにしてくるでしょ」
それはそうです。私が同じことをするなら……いえ、担当を持っているトレーナーさんにアプローチをかけるなんて、担当ウマ娘に反感を買うような真似はしませんけれど。
少なくともチョコを複数用意していたら、本命の方には特別なチョコを渡したいと思うのは当然だと思います。
渡された方も、特別なチョコを渡されたと意識するでしょうから。
だとすると、トレーナーさんが受け取られたこのチョコレートは本当に……。 - 11◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:55:21
「では、私がしたのは……」
「早とちり、って事だね」
穴があったら入りたいとはこの事でしょう。私ってば、とんでもない思い違いを……!
「本当はマックイーンと食べるつもりだったんだけど、時間が時間だし──」
「いえ! この場でいただきますわ!?」
「そう? まあ、夕食とデザートの順番が入れ替わっただけと思えばいいか。ミルクティーでいい?」
「は、はい」
そうして互いの飲み物を用意されて。ソファへと向かい合うように座り。
トレーナーさんが後輩のトレーナーさんから……いえ、私宛てでもあるのですから。私宛てに戴いたチョコの包みを開けます。
「まぁ……! ガトーショコラ……!」
「おぉ……美味しそう」
白い雪のような粉糖がまぶされ、一口サイズに切り分けられた可愛らしいガトーショコラ。
ピックも添えてあることから、きっとこの部屋で、私とトレーナーさんが一緒に食べる事も考えられていたのでしょう。それなのに私ったら……!
せめてもの罪滅ぼしです。このガトーショコラに罪はないのですから。美味しくいただいて──。
「んっ……! 美味しぃっ……!」
「その顔は作ってくれた本人に見せてあげたかったな」
美味しいスイーツを口にした時に、頬が緩んでしまうのは仕方がないことでしょう。
ああ……私の分まで用意してくださった事には感謝してもしきれません。ホワイトデーにはお返しをしませんと。
トレーナーさんの方も想像以上に美味しかったようで、私の事を言えない程度には頬が緩んでいらっしゃいます。 - 12◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:55:32
(私のチョコも……渡せていたら、あのような顔をしてくださったのでしょうか?)
けれど既に渡すべきものは胃袋の中。残されているのは紙袋と、チョコを入れていた小さな箱。
そして一緒に渡すはずだった、一枚のメッセージカード。
「聞かれないのですか? 私からの……チョコレートは用意していないのかと……」
渡すべきものを渡さなかった罪悪感からでしょうか。罰せられることを望むかのような言葉が口をつきます。
欲しいと言われても、渡せるものはメッセージカードくらいしか残っていませんのに。
ただ……想いを綴ったメッセージカードだけ渡すなんて、そんな無様な真似は出来ません。
それをするくらいなら、いっそ今年は不意にしてしまった方がマシですから。
「俺から聞くのは催促してるみたいでちょっと嫌じゃない?」
「確かに……そうかもしれませんけれど」
「それに……なんらかの事情で用意出来てなかったとしたら。君、すごく気にしちゃうでしょ? だから俺たちトレーナーから担当の子にチョコは催促できないよ。もちろん貰えたら嬉しいけど」
なんらかの事情。失敗した。時間がなかった。そもそもトレーナーさんに渡すことが義務という訳でもないのです。
私たちウマ娘が、渡したいから。バレンタインという大義名分を得て、感謝の気持ちや思いの丈を。
少しだけ、背中を押してもらって。伝えることが出来る日。
そのはずだったのに。今の言葉で、私が渡せば喜んでくださったという確信が持ててしまった今。
口を開いた瞬間に出て来たのは謝罪の言葉でした。
「申し訳ございません」
震えた声から滲み出すのは……悔恨の色。
「本来、トレーナーさんにチョコを渡せる予定だったんです」
言い訳を並べたって意味はないのでしょう。そもそもトレーナーさんは私を責める気などないのですから。 - 13◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:55:43
「ですが別の方からチョコを受け取っているところを見た時、どうしようもなく胸がざわついて。私のチョコレートなんて要らないと思ってしまって」
だから、今私から漏れ出ている言葉は、贈りたかった気持ちの残滓。
「ですが、気持ちだけは確かに込めたチョコレートですから。捨てるのも忍びなくて。形も崩れてしまっていましたから、私自身で食べてしまいました……」
伝える権利はないのでしょうけど。未練がましく、机の模様だけが映る視界で。空っぽになった箱のように、虚しく響き渡りました。
「ですので、今年トレーナーさんにお渡し出来るチョコはご用意出来ておりません。本当に……申し訳ございません……」
「そんな、気にしないで……って言っても気にしちゃうだろうけど……ああ、そうだ。だったら一つ、君から貰いたいものがあるんだけど、いいかな?」
「はい、なんでしょう?」
あいも変わらず、視線は合わせられないままで。力のない返事に対して。
「チョコレートよりも甘いものが欲しくなった」
何故か聞き覚えのある……いえ、聞いたことはありませんけれど。
考えたことはある言葉がトレーナーさんの口から飛び出て。流石に思わず顔を上げます。
そんな、チョコもお渡し出来ていないのに。一体今の言葉の何がトレーナーさんをそうさせたのでしょう?
狼狽えているうちにも、テーブルを隔てた向こう側から、トレーナーさんの身体が身を乗り出しながらどんどん近づいて来て。
妄想の中で見た景色が、間近に迫って来ます。え、ほ、本当に!? ここでされるのですか!? - 14◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:55:57
「だ、ダメです、トレーナーさん……そのように顔を近づけられては……」
覚悟をして、ついには瞳を閉じてしまったものの。
いつまで経っても唇には何も触れず、代わりに聞こえてくるのは紙袋から何かを取り出す音。
その瞬間、沸騰しそうだった身体の熱が急速に冷めていくのを感じます。
一体、誰の紙袋から、何を取り出したのか。目を開いた時に飛び込んできたのは──机の上に移動した、私の隣に置いてあったはずの、小さな紙袋。
そしてトレーナーさんがそこから取り出していたのは、チョコが入っていた箱と、メッセージカード。
「君の作ったチョコレートが食べたくなかった、と言えば嘘になるけど」
違うのです。そのメッセージカードは、本当はチョコと一緒にお渡ししたくて。
「でも俺が一番貰いたかったのは。君からの、俺へチョコを贈りたいって気持ちだよ」
こんな、欠けた形で読んでいただきたかったものではなくて。
「マックイーン? どうして──」
不完全な形ならば、いっそ渡せなくて良かったのに。
「ちがっ、違うんです、トレーナーさんっ……私……っ」
酷く、惨めで。いっそ捨ててしまえば良かった。
悪いのは、私自身です。しかし何故このようにも、全てが悪い方向に噛み合ってしまったのでしょう。
あの時別の方からチョコを受け取ったことを気にせず、私からも渡せば。
あの時形が崩れていたとしても、そのまま食べないでおけば。帰りづらさに、知りもしない映画など見なければ。
トレーナーさんの言う通り、一緒に食べることは諦めて、夕食の後にいただけば。 - 15◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:56:11
「わ、わたくしっ、このような……不格好な形で気持ちを伝えるつもりはありませんでしたのに……っ!」
ただ気持ちが筒抜けになってしまっただけなら。きっと涙を零すことはなかったのでしょう。
バレンタインという特別な日に、何も出来なくて。挙げ句にトレーナーさんを疑り、棘のある言葉をぶつけ。
そして図々しくも気持ちだけは伝えてしまうような、そんな自分は許せなくて。
だから今日は、今日だけは。この気持ちを伝えるわけにはいかなかったのです。それなのに。
「わたくしっ、もっとちゃんとした形で……伝えたくてっ……!」
スカートの裾を強く握りしめる拳に、ポロポロと雨が降り掛かります。
私は今、何を為せばよいのでしょう? 既にメッセージカードを読まれてしまった以上、取り返しはつきません。
本当は好きではないと誤魔化す? いいえ、そんな場当たり的な言葉が通用する訳がありません。
それに……自分自身を偽れないからチョコを捨てられなかったのに、例え嘘だとしてもその言葉は私の口からは言えないでしょう。
「えっと……」
ほら、トレーナーさんも困っていらっしゃいます。駄々をこねる子供じゃないのですから。泣き止まなければなりませんのに。
それだけの事なのに、どうしてこうも感情が言うことを聞いてくれないのでしょう。
理想の告白が出来なかったからといって。泣くことはないでしょうに。
「マックイーン、これは確認なんだけど」
「…………っ」
返事もままならず、ぐしゃぐしゃの顔で頷き返します。 - 16◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:56:22
「君が伝えようとしてくれていたのは、俺の事が好きって事であって。付き合って欲しい、ではないよね?」
言ってる意味は理解出来ません。お付き合いしていただきたいです、私は。
でもこのような形で望んでいないのは本心です。なので、こくりと首を振ると。
「ああ、良かった」
その返事を待っていたかのように。心底安堵したような声が聞こえます。
「私とお付き合いしてください、なら。俺は君の告白を断らなくちゃいけなかったかもしれない」
当然でしょう。だってこのように無様な形で告白する小娘など──。
「でも、貴方の事が好きです、だったら。俺に拒む理由はないよ」
どういう、事でしょう?
「一度きりじゃなくて、何度だって。伝えてくれたら嬉しいな」
今の言葉で、トレーナーさんの真意が理解出来ました。
きっと私が泣いたのは、一度きりしかない告白のチャンスがなくなったから、と考えたのでしょう。
事実、気持ちを伝えてしまえば受け入れられるか、振られるか。その2つしか答えはないと思っておりました。
トレーナーさんだって、そういう意図があったことには気づいていたはず。けれど、そういうことにはしなかった。
私がトレーナーさんに好意を伝える機会は、今日だけではないと。チョコのように甘い、ほどけるような優しさ。 - 17◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:56:34
「後さ、実はなんだけど俺から君へのチョコレートもあるんだ」
「トレーナーさん、から贈る理由はっ……」
こんなに醜態を晒したのに、分不相応な優しさを受け取れる理由が分からなくて。未だ震える声で疑問をぶつけます。
「だって世間一般的に、であって。バレンタインに男から女の子にチョコを送っちゃいけない決まりなんてないでしょ?」
そんなこと、理屈では理解出来ます。でもそうまでしてくださる理由が知りたくて。
けれど有無を言わせぬように、私の隣に座り。鞄から取り出して来たであろう、チョコの入った包みを握らされて。続く言葉を失ってしまいます。
「マックイーンが俺のことをどう思っていても。君が卒業するまではずっと君のトレーナーだよ。だから大丈夫。そういう分別は俺がちゃんとつけるから。君は、君らしくいてくれれば」
「そんな言い方……ズルいですわ……っ!」
だから惹かれたのです、私は。どんな私でも、受け入れてくださるから。
この気持ちだって、もしかしたらと思ってしまう程に。
「ああ、でも。今日は食べ過ぎだから。そのチョコは明日以降に食べてね?」
「我慢、できませんっ……」
「だめ。我慢して」
幼子をあやすように背中をさすられているうちに、心の雨模様にも次第に日が差して。
トレーナーさんの「夕食食べそびれちゃうよ?」という声で腰を上げます。 - 18◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:56:44
「トレーナーさん」
けれど一つだけ、忘れ物がありました。チョコをお渡し出来ず、意図せず読まれてしまったメッセージカード。
本当ならそれらをお渡しする時に……私の言葉でも伝えるつもりだったんです。
「私、トレーナーさんの事が好きです」
だから今度こそ、私自らの意思で。何度伝えられても、嬉しいと言ってくださったから。
今日一日だけでもずっと深まった、貴方への気持ち。言葉だけでも、お渡ししたくて。
「っ……、うん、ありがとう」
お返しなんて、今は必要ありません。それを貰う日が来た時に、3倍返しなんて目じゃないくらいにいただける、って。そう思えますから。
「では、また明日」
「うん、また明日ね」
外に出ると吐息は白く。心に籠もる熱が、きっとそうさせているのでしょう。
だから少しでも漏らさないように、駆け足で寮へと帰ります。
ちょっぴりビターな一日でしたが。だからこそ、後の甘さは格別で。
胸に抱いたチョコでさえ、溶け出しそうなこの恋心。
「もうっ……ほんとうにズルいですわ、トレーナーさんっ……」
全て貴方に差し上げて、いつかは愛に変わるでしょうか。 - 19◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 22:56:57
みたいな話が読みたいので誰か書いてください。
- 20二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 22:58:28
いやもうここにありますね
感想までしばらくお待ちください - 21二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 23:03:58
マックちゃんちょっと妄想癖あるところ回収してて良
- 22二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 23:04:26
出遅れ!
掛かり!
上がり最速で一着ってところか
実に素晴らしいぞスレ主 - 23二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 23:07:26
甘くて溶けそうです
最後の告白は言葉以上の意味が込められているのかもしれないけど、全てひっくるめて好きって言葉に集約されてるのかなと思うと素敵ですね、溶けそうです
素敵な作品をいつもありがとうございます、これからもハートと感想送るのでサイン下さい - 24二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 23:10:50
まだ付き合えない二人だけどお互いに好き合ってる描写がすごく良い
- 25二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 23:13:24
ちょっぴりビターでとろけそうな純愛を自己生産してるだとっ
トレマクはいい…!いい…! - 26二次元好きの匿名さん24/02/11(日) 23:17:00
お待たせしました、こちら感想になります
なにこれすっごい……
マックちゃんつらみ&健気やなぁ
こっちにまでつらさが伝わってきたわ
そんでトレーナーイケメンすぎひん!?!?
私の語彙では表現しきれないけどすごすぎ尊すぎで爆発しそう
読ませていただきありがとうございます - 27◆y6O8WzjYAE24/02/11(日) 23:59:00
- 28◆y6O8WzjYAE24/02/12(月) 00:00:26じゃあ……頭撫でてよ……|あにまん掲示板【心、手櫛で梳かして】「忘れ物はないか〜?」「鞄から何も出してないんだしするわけないでしょ」 春先のとある日、練習後のミーティング終わり。トレーナーも今日は早上がりするみたいで、戸締まりをする前に忘れ…bbs.animanch.com
前作です。
トレーナーさん、いじわるですわっ……!|あにまん掲示板「はぁ~……感動してしまいましたわ……」「まさか君まで泣くとは思ってなかったよ、マックイーン」「物心ついた頃からお世話になっているお姉さまの結婚式ですもの。仕方のない事ではありませんか?」「それは………bbs.animanch.comついでに随分前に書いたマックちゃんでの前作です。
こっちでも告白失敗させてるのはこいつ性根が終わっていらしてよ?
- 29◆y6O8WzjYAE24/02/12(月) 00:08:56
- 30◆y6O8WzjYAE24/02/12(月) 00:14:09
- 31◆y6O8WzjYAE24/02/12(月) 00:32:33
- 32二次元好きの匿名さん24/02/12(月) 00:50:09
- 33二次元好きの匿名さん24/02/12(月) 00:56:15
料理がそこまで得意じゃないお嬢様のバレンタインチョコを作る姿からしか取れない栄養素はあります
まだ幼さも残る中等部というのもあって、メジロの中だとマックちゃんが1番乙女だと思ってるので早とちりからの慌てっぷりは分かる
マクトレ、立場を考えつつも甘やかす所は受け入れてる仕草してるのでシナリオ自体は目立つ所は少ないけどほんと良い男 - 34二次元好きの匿名さん24/02/12(月) 11:04:13
他の女の子がトレーナーにチョコを上げてるのを見ちゃって泣いてるのが年頃の女の子感とトレーナーのことがめちゃくちゃ好きってのが現れてて良い
- 35二次元好きの匿名さん24/02/12(月) 11:12:24
プラトニックラブっていいよね
卒業したら一気にタガが外れそうだ - 36◆y6O8WzjYAE24/02/12(月) 20:05:12
- 37◆y6O8WzjYAE24/02/12(月) 20:23:23
- 38二次元好きの匿名さん24/02/12(月) 22:59:26
良い作品をありがとう
- 39二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 02:35:46
- 40二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 05:34:14
- 41◆y6O8WzjYAE24/02/13(火) 12:13:47
- 42◆y6O8WzjYAE24/02/13(火) 12:16:38
- 43二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 21:37:31
- 44◆y6O8WzjYAE24/02/13(火) 22:34:05
- 45二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 10:14:37
あげ