- 1二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:19:23
ヤマニンゼファーは悩んでいた。
彼女の目の前には一つのチョコレート。
バスケットに入っている、どんぐりを模した彼女お手製のチョコレートである。
去年のバレンタインに、自身のトレーナーに渡したものよりも精巧に、そして濃厚にした、自信作だった。
後は、日々の感謝の気持ちを込めたメッセージカードを添えて、ラッピングをすれば完成────のはずなのだが。
完成を文字通り目前にして、ヤマニンゼファーは悩んでいた。
「本当に、この程度の便風で良いのでしょうか……?」
ヤマニンゼファーは難しい表情をして、じっとチョコを見つめる。
トレーナーは彼女にとって、自身の人生を大いに変えて、支えて、背中を押してくれた凱風であり恵風。
その感謝の想いは、去年のバレンタインから一年を通して、さらにその風勢を増している。
去年と同じ大きさのバスケットに収まるものでは決してない────と、彼女は思っていた。
「ですが、今から作り直すには時つ風を逃してしまいましたね」
柔らかな頬に手を当てて、ヤマニンゼファーは困ったように窓の外を見て呟く。
調理室から吹き込む風は、冷たい、夜半の嵐。
すでに日は落ちていて、学内の喧騒も至軽風。
寮の門限を考えれば、これから材料を買い足したり改めて作ったりというのは、風のない日に凧を飛ばそうとするようなものであった。
そもそも、このチョコは彼女の全力を込めて作ったものであり、これ以上クオリティを上げるのは難しい。
そして、量を多くすれば込めた想いも多くなる────というものでもないことは、彼女も理解していた。 - 2二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:19:36
「では、渡し方を工夫してみましょうか」
ヤマニンゼファーは昨年のことを思い出す。
まだ雪が残る森へ共に出かけ、自然の恵みに包まれながら、トレーナーに、自身の想いを形にしたチョコを送った。
彼がチョコを受け取りながら嬉しそうに下げる目尻、烈風の気持ちを込めたチョコを食べて緩む表情。
そして。まだ肌寒い中、彼が送ってくれた季節外れの花風。
思い出すだけで、彼女の胸の中には温風が吹き抜けて、顔を綻ばせてしまう。
しかしその直後、冷や水をかけるように朔風か引き返してくる。
それ以上の渡し方など、まるで思い付かないから。
「……まるで砂塵嵐の中、悩みを晴らす浚いの風はいずこにあるのでしょうか」
────こればかりはトレーナーさんにも頼れませんね。
そう思って、ヤマニンゼファーは小さくため息をついた。
そして再び、思い出す。
バレンタインの日、トレーナーに送った、もう一つの贈り物。
自らの口から、風に託した想いを。
「……!」
刹那、ヤマニンゼファーの脳裏に雷風が煌めいた。 - 3二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:19:54
「今年は雪が残ってなくて、歩きやすいね」
「ええ、雪解風も心地良いものですが、日々を過ごす上では……ほら、だるまさんも楽しそうに歌っています」
「ホントだ、ゼファーが来てくれたのを歓迎してくれているんじゃないかな?」
「まあ、お誘い頂いて光風ですが、また今後お願いしますね?」
ヤマニンゼファーが名残惜しそうに手を振ると、鳴き声を上げていたツグミは何処かへと羽ばたいていく。
バレンタイン当日、彼女とそのトレーナーは去年一緒に訪れた森に来ていた。
当時は雪の後であり、地面や木々に雪化粧が施されていたが、今年はその様子がまるでない。
ここ数日は春並みの暖かさということもあり、少し肌寒いものの過ごしやすい気候となっていた。
しばらく二人で何気ない会話をしながら歩いていると、トレーナーはあるものを見つける
「あれ、この倒木って……流石に去年のとは違うかな」
「はい、ですが去年凪いだ場所と近い場所のようなので、ここを止まり木としましょうか」
「わかった……足下の蕾には気を付けて、だったかな?」
「……はい、ふふっ、真似されちゃいました」
楽し気にヤマニンゼファーが微笑むと、トレーナーも釣られたように笑みを浮かべる。
二人は笑顔をお互いに合わせながら、丁度良い大きなの倒木に腰を下ろした。
そして、彼女は大きく深呼吸を一つ。
携えていた鞄から、バスケットに入ったチョコレートを取り出した。
「……この一年間、トレーナーさんにはたくさんの順風を頂きました」
「……嬉しいけど、そこまで大したことはしていないよ」
「いいえ、そんなことはありません、あなたのしなとに、あなたの暖風に、何度救われたことか」
「…………うん、キミの力になれているのなら、良かったよ」
「なのでまた、この自然の恵みに溢れた場所で、あなたへの想いを形にしたそよ風を」
「ありがとう、ゼファー」 - 4二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:20:10
トレーナーはそう言って嬉しそうに笑うと、彼女に向けて手のひらを差し出した。
────しかし、ヤマニンゼファーはぴくりとも動かない。
やがて彼が不思議なものを見るように首を傾げると、彼女は言葉を紡いだ。
「ですが、私の想いは、このバスケットに収まらないほどの大嵐となっています」
「そっ、そうなんだ?」
「はい、とっても強東風です……ですから、風に想いを託しながら、これをお渡ししたいと思います」
「……わかった」
実際のところ、トレーナーは具体的に何をされるのかは全く理解していない。
しかし、自分のためにヤマニンゼファーが手を尽くしてくれるのだということは、わかっていた。
だから彼は、それを受け止める決意をして、彼女の行動を待つ。
彼女はまずラッピングされていたバスケットの包みを解いた。
ふわりと、カカオのほろ苦い濃厚な香りと、上品な甘い匂いが合わさって立ち上っていく。
「……良い匂いだね、この距離でも伝わってくるよ」
「父に厳選していただいたカカオを使ったんです、去年よりも、良い薫風を感じてもらいたいから」
「それに見た目も、とてもきれいで、食べるのが勿体ないくらいだ」
「はい、風味を損なわないように、風光を感じていただけるように」
そう言いながら、ヤマニンゼファーはどんぐりチョコを一つ取り出す。
それを彼女は────自らの口で咥えた。
一つ一つはそこまで大きなものではないから、前歯と前歯で端を挟み込む形で。
そしてチョコを、あるいは自らの唇を差し出すように、彼女は顔をそっと上げてみせる。
トレーナーは、まるで意味がわからず、それを目を丸くして見ていた。
彼女はそんな彼に対して、さも当然のように、一言告げた。 - 5二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:20:31
「……どうぞ、とれーなーさん」
チョコを咥えているせいか、どこかたどたどしい言葉。
ヤマニンゼファーは目を細めて、耳をぴょこぴょこ躍らせ、尻尾を振りながらトレーナーを待った。
彼は困惑した表情でそれを見つめると、やがて小さくため息をつく。
そして、そっと彼女に顔を近づけた。
────あっ、あら?
その瞬間、ヤマニンゼファーは自身の胸の内に乱気流が発生するのを感じた。
心臓はドキドキと風早と鳴り響き、頬は熱風を帯び始めて、目が潤んでいく。
少しずつ近づいて来るトレーナーの真剣な顔を見ていられなくなって、思わず目を閉じてしまう。
彼女はぷるぷると震えながらも、無意識のうちにチョコを、唇と彼に対して突き出した。
そして。
「……こら」
「ひゃっ!」
ぺちんと、ヤマニンゼファーは前髪の大きな流星ごと、トレーナーにおでこを叩かれた。
それは撫でるような、優しい力の一発。
痛みなどは毛ほども感じなかったが、彼からの初めての仕打ちに、彼女は驚きの声を上げてしまう。
口からぽろりとチョコが落ちてしまい、それは彼の手によって拾い上げられた。
「……ゼファー、自分が何をしているかわかっている?」
「……何、とは? ただチョコと一緒に、私の想いを風に託して送りたいと思ったのですが」 - 6二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:20:49
ヤマニンゼファーはおでこを両手で押さえて、引き締めた表情でトレーナーを見つめた。
あまりにご無体な仕打ちに非難めいた視線を向けている────わけではない。
彼女はトレーナーから注意されることも、怒られることも、今まであまりなかった。
無論、まるで力は入ってなかったとはいえ、叩かれることなどは皆無である。
故に内心、彼女は新鮮な気分になってしまって、有体にいえば、ちょっとワクワクしていた。
顔を引き締めているのもなんてことはない、油断していると怒られているのに、顔が緩んでしまいそうだからである。
彼は彼女の返答を聞いて、困り顔で額に手を当てる。
「あー、その、今、ゼファーがしようとしたのは、こういうことなわけで」
そう言いながら、トレーナーは両手でキツネを作る。
右手のキツネの口には、先ほどヤマニンゼファーの口から零れたチョコが咥えられていた。
もう左手のキツネがゆっくりと近づいていき、ぱくりと、チョコに食らいつく。
両手のキツネの口先は、ばっちり、くっ付いているわけで。
「………………っ!?」
ヤマニンゼファーの目が、大きく見開かれる。
顔全体がまるで紅葉のように真っ赤に染まり、視線がぐるぐると彷徨い始める。
彼女は手をぱたぱたと大きく動かしながら、慌てた様子で弁明の言葉を口にする。
「ちが、その! 違うんです! 本当に、感謝の気持ちを送りたくて! それ以外の意味なんて!」
「わかってる、わかってるよ、多分名案だと思って一陣の風になったんだろうってのは」
「……はい、一石二鳥な発想だと思って、これで頭がいっぱいになってしまって」
「ただ、もう少し自分を大切にしてね、キミは、とても素敵で可愛い女の子なんだから」 - 7二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:21:08
トレーナーはそう言うと、優しい笑顔を浮かべた。
両頬を隠すように抑えていたヤマニンゼファーは、それを見て、そっと目を逸らしてしまう。
高ぶっていた気持ちが、落ち着いていくのを、確かに感じながら。
そして彼女は逸らした視線から、彼の手元にある、自身の歯型のついたチョコを発見する。
「……あの、そのチョコは大地に返してください、いずれ自然に戻りますから」
「……」
その言葉に、トレーナーは手の中のチョコをじっと見つめる。
しばらくの間、深く葛藤するように、悩まし気に顔を顰めて、そして。
「……いただきます」
「……っ!」
ぱくりと、己の口の中に放り込んだ。
トレーナーは、耳と尻尾を立ち上げるヤマニンゼファーを尻目に、ゆっくりと味わってチョコを咀嚼する。
しばらくしてからこくりと飲み込んで、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「キミが作ってくれたものを捨てるなんて勿体ない、って思って食べちゃった」
「……」
「カカオの風味を強く感じながら、優しい甘さも味わえて、去年よりも更に美味しくなっていたと思う」
「…………」
「……ごめん、不愉快だったよな」
「……いえ、改めて、あなたに出会えた神立に、感謝をしているだけです」
ヤマニンゼファーは、ほんのりと火照った顔のまま、柔らかい笑みを見せる。
もう、心の煽風も、暴風も、何処かへ過ぎ去ってしまった。
今、彼女の心の中にあるのは、まるで良く晴れた春の空に吹くような、うららかな清風だけであった。 - 8二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:21:36
「それじゃあゼファー、そのチョコをもう少し味わっても良いかな?」
「……はい、もちろん」
トレーナーは、そうヤマニンゼファーに要求をする。
それはチョコを欲しがったというよりは、彼女に気を遣ったという意味合いが強いのだろう。
彼女もそれを理解して、素直に頷いてみせた。
────しかし、チョコの入ったバスケットは彼女の手元からは、微塵も動かない。
それどころか、彼女は先ほどと同じように、バスケットに手を伸ばした。
「……ゼファー?」
「風向きそのものは、良風だったと思っているんです」
私の口でやるのが仇の風であっただけで、とヤマニンゼファーは付け足しながら、チョコを一粒持ち上げる。
しかし、その持ち方は、少し妙な持ち方だった。
人差し指と小指は立てたまま、親指と中指と薬指で、しっかりと摘まみ上げる。
「ですから、おあげさんのお口をお借りして、あなたに私なりの恵風を送ります────こんこん♪」
ヤマニンゼファーはその小さくて愛らしい手でキツネを模って、トレーナーへチョコを向ける。
そして少しだけ悪戯っぽい表情で、彼女は小さく囁いた。
「さあ、トレーナーさん、あーんですよ?」 - 9二次元好きの匿名さん24/02/13(火) 22:23:24
お わ り
ウマでもグラブルみたいな企画やってくれないかなーっとちょっと思ってます - 10二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 00:12:41
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- 11二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 00:48:06
久々のゼファーSSだ!!
やっぱりゼファーはちょっと抜けてる所が可愛いのよね
いや全部可愛いか - 12二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 01:17:32
よき…
無自覚無防備とわかってて無防備な両方あるのつよい - 13二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 02:01:49
可愛らしさ前回で良かった トレーナーの対応も好きだ
- 14二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 05:18:11
甘くて幸せな気持ちになれる良いSSでした
ゼファーほんと可愛いな…… - 15二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 05:22:22
こ、これって間接キ…
- 16二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 06:32:59
甘々なssでした感謝……
俺もおでこの流星ぺちんってしたい!! - 17二次元好きの匿名さん24/02/14(水) 13:36:48
かわよ・・・
- 18124/02/14(水) 23:45:12
- 19二次元好きの匿名さん24/02/15(木) 02:03:08
- 20二次元好きの匿名さん24/02/15(木) 03:03:14
とても良い作品でした…
- 21二次元好きの匿名さん24/02/15(木) 12:48:55