- 1図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:18:14
- 2図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:19:20
- 3図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:20:02
- 4図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:20:39
- 5図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:21:50
第十四話 決闘と、激闘と
元にとっての絵の師匠、天野星雅《せいが》はよく言っていた。
――元、絵の基本はのう、人体デッサン、静物デッサン。色彩と色々あるがのう……
――まず第一歩は遠近法をマスターすることからじゃのう……
――自分の見る目の位置によって遠近法は変化していくんじゃ。一点の遠近法、二点の遠近法、複雑な遠近法が重なって絵が構成されていくんじゃ……
――と言うても、それにはまず、見ること。意識して観察することから、絵を描くことは始まっていくんじゃ……
「観察……観察、遠近法……遠近法、デッサン、観さ――」
棒立ちになってつぶやき続ける元の顔に。
今また、竜吉の拳が突き立った。
リング外から生野が叫ぶ。
「元ーっ! 大丈夫かよ、ぼーっとしてんじゃねえぞ! 構えろ!」
試合中。試合中であった、変わらず。あれからも打撃を受け続け、意識がもうろうとした元以外にとっては。
なのに。その頬に、竜吉の拳がめり込んでいるのに。
元は笑っていた。会心の笑み、そう言っていいような笑顔を浮かべて。竜吉の拳を腕を、『観察』しながら。
「ほうか……見えた、見えたよ、天野のじいさん……! 遠いものは小さく、近いものは大きく……目の前に迫ってくる拳っちゅうんは、こんなにでっかく見えるんじゃ、の……!」
歩を進める。ふらつきながら。体の芯を失ったかのようにゆらめきながら。それでも、強く。
「もっと……もっと、お、教えてつかあさいや……見せてくれや、絵の極意、を……!」
「ひぃ……っ!」
打ち込んだ竜吉の方が、押し殺したような悲鳴を上げて身を引く。
そこへ、元は歩み寄る。
「え……ん、近法、デッサン……観察、遠近法……」 - 6図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:22:43
竜吉は頬を歪めた。口元が震え、歯が音を立てて鳴っている。
「く……来るな、来るなああぁっ!」
悲鳴に近い叫びと同時、力任せに拳を繰り出す。
――それを、元は、見ていた。
――竜吉の胸筋がわずかに震える、肩の筋が盛り上がる。
――一瞬遅れて筋肉が張る、胸の、肩の。膨れて、そして引き締まる。
――肘が上がり、脇が空き、拳が元へと近づく。ゆっくりと、ゆっくりと。元の目に大きく映りながら、遠近法、遠近法、デッサン――
全力で繰り出した竜吉の拳が、空を切った。
「なっ……」
元は。寸前でかわしたその拳を、観察していた。ぴたりと顔を寄せるように。
ほほ笑む。
「なる、ほど……のう……。こう、見える、こう見えるんか、目の前に迫る拳……ああ動くんか、筋肉、人体……いや骨格、骨格を考えて描かんと……」
「ひ……ひいいぃっ!」
打ち払おうとするように、次々と繰り出す竜吉の拳は。
「デッサン、遠近法……観察」
まじまじと観察する元に、じっくりと見られながら、全てを寸前でかわされていた。
左手は画板を抱えるかのように胸元に寄せ、右手はスケッチを取るかのような手つきで動かしながら。元は歩を進める。
「デッサン、デッサン、遠近法、観察……」
口を開けて見ていた生野は、リングの床を叩いて叫ぶ。
「元……? いや元、かわせてるのはいいけどよ! 試合中だぞ、起きろ!? 殴れーっ!」
ほほ笑んで観察する元の目の前に、再び竜吉の拳が迫る - 7図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:23:42
一方、青空は。
殴られた。倒れた。立ち上がった。
それが何度目かなどとはもう誰も数えていない。観客も、夕華や生野も。蒼臼《あおうす》も青空自身も。
何度も倒されていた。何度でも立ち上がった。
そしてまた、青空は構える。
蒼臼《あおうす》は、蒼臼は、震えていた。
そしてそれでも、拳を繰り出す。
青空は、空気を裂く縦拳を寸前でかわす。それでもグローブの表面がわずかに顔面を擦り、頬に焦げるような痛みが走る。
――解る。
足を踏み出し、反撃の拳を突き入れる。
それが防がれ、身を寄せられ。縦拳――【形意《シンイー》・崩拳《ポンチュエン》】――が打ち込まれる。
片手を腹に寄せ、防いだつもりだったが。その拳ごと深く腹へと穿《うが》たれる。さらには響く、その衝撃が。体の奥を、内臓を背骨を軋ませるように。
「ご……!」
――解るぜ。
目の焦点をぼやけさせつつ、肩を大きく上下させ、かすれるような呼吸を繰り返しつつ。青空はそう思っていた。 - 8図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:24:17
――解る。伝わってくる、お前の想い。お前自身を押し潰すほどの、その重さ。
――だがよ。
一つかみ分ほど口にせり上がった反吐《へど》をリングに吐き捨て、青空は駆けた。繰り出す、ワンツー。そこからの左フック。
――だがよ。お前は何も解っちゃいねぇ。
蒼臼は拳を掲げ、防ぐ。
そこへさらに青空は打ち込む。
――解っちゃいねえ、お前は。心の強さを。
「……!」
ガードを固めて受けていた蒼臼が頬を歪め、顔面へと打ち返す。
青空は両手を交差させ、それを完全に受け止めた。
歯を剥いて笑う。
――解っちゃいねぇ、お前は。お前の心の強さを。
「……!?」
蒼臼の、動きが止まる。
そこへ青空はたたみかけた、連続の拳を。左左右、ガードの隙間をくぐるようなアッパー。
――強ぇんだよ、お前は。お前の心は。 - 9図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:24:51
蒼臼の頭が揺らぎ、それでも打ち下ろすような拳を放ってくる。
防ぎ切れず床に打ち倒され、震え。
それでも青空はリングを這い、膝に手をつき、立ち上がる。
構えると同時、間髪入れずに拳を繰り出す。右拳から突き込んで軽く左、続けて右フック。
――それをお前が証明してる。お前自身のその拳が。
繰り出した拳が、かき分けるような相手の両腕でいなされた。そして胸へと突き立てられる両拳――【形意《シンイー》・馬形《マーシン》】――。
「っ……!」
体の中を、あるいは脳すらも揺さぶられ、崩されるような感覚。
リングに片膝をつき。それでもまた、青空は立ち上がる。
唇の端を吊り上げ、笑った。
――それだ、その拳。拳法。
――ずっと鍛え続けてなきゃ、拳にそんなキレはねぇ。サボってた奴の拳に、そんな重みは宿らねぇ。
「っ……!」
引きつったような表情を浮かべ、蒼臼は拳を振るう。その動きがやや大振りになり、軌道がぶれる。
身をかわし、息を整えつつ。青空は目をそらさなかった、蒼臼の目から。
――戦争に出て、大陸で自分の弱さの底を見た、って言ってたけどよ。
――なのに、それでも。お前は鍛え続けてきた、その大陸で学んだだろう拳法を。目をそらしたいはずのそれを。ずっと、鍛え続けてきた。
つぶやく。
「お前は……心が強ぇんだ」 - 10図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:25:33
蒼臼は口を開けていた。
目を見開いていた。青空を、いや、その先にあの大陸を見ているかのように。かつての自分を見ているかのように。
肩が震える。呼吸が早まる。
「違う……違う、私は……弱い、弱いから、だからっ、もう何も、全てを、否定――」
青空は首を横に振る。優しく。
「違ぇだろ。お前はずっと見据えてきたんだ、自分を。目をそらさずに。お前はもう……立ち上がってるんだ」
蒼臼は口を開けていた。まるで空気が足りないかのように、その口をぱくぱくと開け閉めする。
「が……、ちが……ぅ……、あ、あぁぁぁぁあ!」
うめくような、悲鳴のような叫びと共に。蒼臼は拳を繰り出した。それは拳法からも、拳闘術からも外れた力任せの打撃だったが。
かわし切れず、防御の上からさらに何度も打ち込まれ。半ば突き倒されるように、青空は倒れ込んだ。
大の字になり、カウントエイトまで呼吸を整えた後――そのまま寝ていたいのは山々だったが――青空は立ち上がる。構えた。
「来いよ。いや、行くぜ。お前はもう立ち上がってる、だから。歩き出させてやる、俺の拳でよ。ぶっ飛ばして、よろめきながらでもよぉ」
音を立てて両の拳を突き合わせた。その後、自分の両頬を拳で叩《はた》く。構え直した。
「お前の心は、強ぇからよ」
(次話へ続く) - 11図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:30:17
第十五話 死闘と、決着と
笑みを浮かべて近づく元から、鮫島竜吉は後ずさっていた。退いていた、逃れようとしていた――何度殴っても立ち上がってくる相手から。何度殴りかかっても、笑顔を浮かべてかわす敵から。
逃げていた。立ち向かいようもない恐怖から――死から。
思い出す、足下はリングではなく瓦礫《がれき》の山、倒壊した家々、響く人々のうめき――原爆の落とされた日。
その中を逃げる、迫り来る炎から。死から。何もかも見捨てて――。
「ひいいぃ……っ!」
だが、今。後ずさった竜吉の背が何かに突き当たった。コーナーポスト。もはや逃れようもない、リングの隅。
「あ……あ、ああああ……!」
歯がかち合って音を立てる。膝が、拳ががくがくと震える。その指先も、冷たく震える。かつて、元に噛みちぎられた指先が。
グローブごしに右手を噛んだ。今はない指先が痛んだ。
「そ、そうじゃ……そうじゃ、中岡……っ! わしゃあおどれに、返さにゃならんのじゃ! この右手の借り、おどれに噛みちぎられた指の借りを……!」
構え直し、叫ぶ。
「クソッタレが! おどれの指もちぎり捨ててやろうかっ、中岡ぁぁぁ!!」
一方、元は。
ほほ笑みながら、絵の修行のため観察を続けていた元は、その声を聞いた。
「――おどれの指もちぎり捨ててやろうかっ――」
脳裏に浮かぶ、昨日のこと。黒崎の雇ったチンピラに襲われたときのこと。奴らはナイフを振るい、元の腕や指を切ろうとしてきた――。
元の腕が、指が、冷たく震える。
「なんじゃと、わりゃあ! わしの手を、絵を、夢を……奪おうっちゅうんか……!」
見据える、迫り来る拳を。観察する、それを。
だが、もはやかわそうとはしない。顔面に受け入れつつ、振り抜く。自らの拳を。
観察していたからこそ解る、相手の防御の隙間。顔面の空いた位置。そこへと至る最適な軌道。
それを、撃ち抜く。
夕華が目を見開いた。
「あれは……!」 - 12図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:31:19
相手の渾身の一撃を恐れず受け入れ、その上で自分の全力を上乗せして打ち返す奥義。大神夕日、そして大神青空の“技”【真・瀑受転巌《ばくじゅてんがん》】。
元が放った拳は、奇しくもそれと同じだった。
「……!」
声もなく、竜吉の体は宙を舞い。音を立てて、リングに落ちた。
カウントが取られる中、それでも元は竜吉の方へと向かっていた。獣のように歯を剥いて、拳を振り上げて。
「おどりゃっ、おどりゃ許さんぞ、わしのっ、わしの夢を、手を――!」
生野が叫ぶ。
「待て! やめろ元、カウント中――」
ダウン中の相手に対する攻撃は、当然重大な反則となる。いや、それ以上に――
「やめろ! 勝負はついた、もういいだろ!? それ以上は――」
青ざめた顔で生野が叫ぶも、元の突進は止まらない。
が。倒れた竜吉のそば、リング外に現れた男の姿を見て、元は足を止めていた。
「元! やめろっ、わしみたいな真似はすんな!」
黒崎。昨日元にチンピラをけしかけた本人、黒崎がそこで叫んでいた。
「お前は絵を描くんじゃろうが、国境なんぞ取っ払うような絵を! 世界中の人の心を揺り動かす絵を! そんとな男が、わしみたいなつまらん真似をするなっ!」
「黒、崎……」
呆けたように口を開け、元は拳をだらり、と下げ。竜吉の前に、へたり込んだ。
「ほう、じゃ……ほうじゃ、わしは……なんちゅうことを……」
カウントテンが響き渡る。竜吉は倒れたまま、目を見開いて元と黒崎を見ている。
元は座り込んだままそちらへ向き直り。頭を下げた。
「……すまんかった」
竜吉が目を瞬かせる間に、元は言った。
「すまんかった。……自分が手を、指を切られそうになって分かった。指のこと……すまんかった」
また、頭を下げた。 - 13図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:31:52
寝そべったまま、竜吉は目を見開いていたが。
その目に涙がにじみ、目の端からこぼれ、なおも溢れ出した。
「中岡。わしは……怖かった」
グローブをはめた両手で顔を押さえ。鼻をすすり、しゃくり上げながら続けた。
「怖かった……怖かったんじゃ……あの日。原爆《ピカ》の落とされたあの日、何もかも壊されたあの日……お前に助けてもろうて、けど……火が、火がそこまで迫って、やっと助かったと思ったところに迫って……じゃけえ、逃げた。逃げてしもうた……何もかも見捨てて。お前の、家族も、見捨てて」
うううう、と声を上げ、子供のように涙を流した。
「怖かった、怖かったんじゃ! 死ぬのが……怖かった、じゃけえ……! すまん……すまん……」
元は黙っていた。黒崎も生野も。父親である鮫島は口を引き結び、目をそらすかのように顔を背けていた。
会場の誰もが黙る中、元が言った。
「……わしも……わしも逃げた、あの炎から。父ちゃんや姉ちゃん、進次を焼く炎から、逃げた。殺人者じゃ、わしも」
深くうつむく。
「お前のこと、絶対に許しはせん……けど……責めはせんよ」
すまん、すまんと繰り返す竜吉の言葉と、すすり泣く声だけが、試合場に響いていた。 - 14図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:32:38
その静寂を引き裂くように高い音が鳴る。グローブが肌を打つ音。
未だ、青空と|蒼臼《あおうす》の死闘は続いていた。青空の圧倒的劣勢で。
|蒼臼《あおうす》は唾を散らしながら声を上げる。
「どうした、ほらどうしたぁ! 私を、私をぶっ飛ばすんじゃなかったか、あぁ!?」
防御を固めた青空へと連続で拳を叩き込む。そのうちの一つがまともに当たり、青空は崩れるように倒れた。
肩を大きく上下させ、荒い息の下から蒼臼は言う。
「どうしたっ……何が心の強さだっ、何が私は強いだ……! 私はっ、弱いんだ、どうしようもないんだ……!」
「……じゃ、ねぇ……」
震えながら、崩れ落ちそうになりながら、青空は立ち上がる。
「そうじゃ、ねぇよ」
笑ってみせる。
「お前はもう立ち上がってる、お前の心は歩き出したがってる……なのに、どうしようもないなんて、言い訳ばかり続けてる」
貫くように蒼臼の目を見る。
「目を背けんなよ。自分の、心の強さからよ」
「な……っ」
蒼臼は口を開いていたが。やがて笑い出した。無理に上げたような声で。
「ハ……ハハハハっ! 笑わせる、笑わせてくれる! 私に手も足も出ない奴が、何を生意気な! せめて先の、黒岩とかいう者ほどになってから口をきいてもらおうか、あぁ!?」
手も足も出ないというのはそのとおりではあった。あの黒岩と互角以上に戦った相手だ、青空の腕ではかなわなかった。大半の攻撃はいなされ、貫くような反撃を返されるばかりだった。
それでも、青空は揺るがない。
「そんなこと言ってよぉ。その手も足も出ない奴を、全っ然倒せねぇのは誰だよ、あぁ?」
荒い息をつきながら、笑ってみせる。
「潰してみろよ。お前より弱い俺を。できるもんならよ」 - 15図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:33:15
「この……!」
蒼臼の顔が固く引きつる。
リング外で黒岩が身を起こした。
「青坊の奴、狙ってやがる……カウンターを」
相手の向かってくる力をも利用して、打撃の威力を倍増させるカウンター。それは確かに青空の得意技であり、現状を打開する可能性のある策でもあった。
だが。
黒岩は歯を軋らせる。
「できんのか、この局面で……!」
自在にカウンターが取れるなら、そもそもここまで追い詰められてはいない。蒼臼の拳は、青空が完全に御せるような生半可な練度ではなかった。
全力で放たれるであろう相手の一撃。そのカウンターに成功すれば、確かに逆転も有り得るだろう。
だが失敗すれば、叩き潰される。おそらく青空ですら、二度と立ち上がることがかなわないほどに。
蒼臼は待たなかった。
躊躇《ちゅうちょ》なく、いや、絡みつく躊躇《ちゅうちょ》を振り払うかのように、即時に踏み込み、拳を振るう。最重にして最強、全ての体重を乗せて利き腕の右で打ち込む縦拳、【形意《シンイー》・崩拳《ポンチュエン》】。 - 16図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:34:01
が。
「……!」
不意に蒼臼の体に痛みが走る、まるで背後から殴られたかのように。
だが背後には誰もいない。へたり込んだままでいた元はダウン扱いとなり、とっくにカウントテンが取られている。
痛みが走るのは背中側、腰の上。その奥、そこにある内臓、すなわち腎臓。
そこを打ったのは、かつて打ったのは。ここにはいない、黒岩だった。
蒼臼からの決定打を受けたとき、倒れ込んだ黒岩が狙っていたのは。相手への抱きつき《クリンチ》でダウンをこらえることではなかった。拳を蒼臼の背中へ回し、一撃をそこへ入れていた。
腎臓打ち《キドニーブロウ》。それは古武術に伝わる裏技、通常の拳闘では反則となる打撃。つまりそれほど、危険な攻撃。
そして今。気を取られ、鈍った蒼臼の打撃に。青空は十二分に、反応してみせた。
相手からの打撃を受け入れつつ、その勢いをも自らの拳に乗せ。放つカウンター、【真・|瀑受転巌《ばくじゅてんがん》】。ストレートとして放ったそれが、蒼臼の顔面へと突き立った。
生野が拳を握る。
「やった……!」
黒岩は舌打ちする。
「いや、浅い……!」
蒼臼からの打撃にそもそも力が乗り切っていない。そのため、カウンターとしての威力は大きく削がれてしまっていた。
しかし、青空は動きを止めていなかった。蒼臼の前に踏み込む。同時、身を沈める。 - 17図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:34:39
蒼臼は的確に反応した、長年の修練を積んだ闘技者としての本能といってもよかった。青空が別の相手との戦いで見せた“技”、視界の外から繰り出される打点の高い右フック――【疾駆流撃】――が来る、そう判断していた。
左フックとして放たれる可能性さえ瞬時に考慮し、防御すべく頭の両側に腕を掲げる。
だが。青空が選択したのは、そのどちらでもなかった。
夕華が、元が声を上げる。
「あれは――」
「あれは……!」
全て手放したかのように脱力し、沈み込み。その反動を持って地を蹴り。天を衝く如く、跳び上がりながら拳を突き上げる。踏まれても踏まれても強く真っ直ぐに伸びる、麦のように。
夕日の残した書から青空が会得した“技”の一つ。奥義【麦穂天立《ばくすいてんりゅう》】。
打ち抜いた。無防備な蒼臼のあごを。そしてその体を、宙高く打ち上げた。
カウントテンが響き、ゴングがけたたましく鳴り。
青空の下へ、元が生野が、夕華が黒岩が駆け寄った。
西日本支部代表の男が床にへたり込む中。
会場は大きくどよめく。誰もが声を上げていた。勝者を、というより、この試合を称える声を。つまりは、この試合を汚すことを許さない、そんな響きを持った声を。
結果としてこの試合の勝者を、認める声を。
(次話へ続く) - 18図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:40:33
第十六話 もう一つの戦いと、戦争の亡霊と
試合の直後、重くかき曇る空の下。
試合場の裏手、建物の陰で男は声を上げた。西日本支部の代表者である、恰幅《かっぷく》のよい男。
「ええかお前ら! あの東京モンども、絶対に生きて広島から出すな! 広島極道のメンツに懸けてものう……!」
辺りに集められたヤクザらは互いに顔を見合わせる。
小さくざわめきが起こる中、一人が声を上げた。
「そ、そうじゃけど組長《オヤジ》……一回ついた勝負を反故《ほご》にすんのは、そりゃ、ええんですかい……?」
代表の男は顔を歪ませる。
「ええんですかもクソもあるかドアホッ! わしら西日本支部が一服盛っただのその上で負けただの、東の連中に知られてみい! それこそわしらんメンツ丸潰れじゃ……あげくどんな因縁つけられるやも分からん! 殺るしかないんじゃい……!」
「で、ですけど……ええんですか、それこそ東の奴らに怪しまれたり……」
口ごもる男の胸ぐらを代表の男はつかみ、首を絞めるようにねじ上げた。
「ですけどもヘチマもあるかっ、今日の結果を知っとる東のモンはあいつらだけじゃ! 殺ってしまえば知らぬ存ぜぬで通せるわっ! そうじゃ、あいつらは怖じ気づいて来んかったんじゃ、試合なんぞなかったんじゃ! ええなおどれら! あぁ!?」
戸惑ったような返事が上がる中。
物陰にいた、隆太が笑いを押し殺す。
「ヒヒヒ……なーにがメンツじゃ、んなもん一服盛った時点で、自分でドブに捨てとるわいアホッ」
隣でムスビが声をひそめる。
「わ、笑《わろ》うとる場合かっ、どうするんじゃっ」 - 19図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:41:43
隆太もムスビも、昨日黒岩の目を盗んで呑めた酒はわずかだった。結果、痺れ薬の作用は組員らより遥かに少なくて済んだ。
加えて二人とも原爆孤児、食える物も食えそうにない物も腹に入れて命をつないできた男たちだ。胃腸の鍛え方が違う。一度便所に立っただけで、二人ともおおむね症状が消えていた。
そうして宿を抜け出し、青空たちの応援に来たのだが。
隆太はかつて打山《うちやま》組というヤクザの賭博場へと乗り込み、銃を突きつけて金を強奪したことがある。さらには成り行き上、組長の腕を撃って川に落としたことも。その以前には、ドングリという親友を鉄砲玉として使い捨てた岡内組の者を、殺しこそしていないが二人撃ったことも。
そういうわけで、広島中のヤクザが集まっているであろう会場内にはさすがに入れず、周辺で様子をうかがっていた。中から漏れ聞こえる声で、おおよその状況や青空たちが勝ったことは知ることができた。
青空たちが出てくれば勝利を祝おうと、物陰で待っていたところに。ヤクザたちが現れ、物騒な算段を始めたのだった。
口をわななかせてムスビが言う。
「ほ、ほんまにどうするんじゃ……! とにかく、青空さんらに知らせて……」
隆太が首をひねる。
「ほうじゃが……こんな試合場の裏に人を集めた、っちゅうことはじゃ。よそで殺る気じゃあないじゃろう。今すぐ試合場ん中で殺るか、外に出たとたんに襲う、か」
ムスビが細い目を見開く。
「そ、そんなもんどうしようもないわい、中で襲われりゃ逃げ場もないし、外に出んわけにゃいかんのじゃけえ、どうやっても待ち伏せされるわ! どっ、どうすりゃええんじゃ……」
そのとき、代表の横で別の男が声を上げた。口ひげをたくわえた、紳士然とした身なりながらひどく顔を歪めた男。
隆太とムスビにも、立て看板の写真で見覚えがあった。かつて元をいびり倒し、元の家族を見捨てて逃げたという、議員の鮫島。
「何を言うとんじゃっ! 東京ヤクザだけやあない、広島モンのくせにそちらへ味方しおった、あの元というガキ! 途中でそいつを応援しくさった奴も! あのガキどもを逃がすなっ、ブチ殺して……いや、オホン!」
わざとらしく咳払いし、言葉を濁す。
「あー、丁重に! 丁重に、二度と余計なことを喋れんように! してつかあさいや、んん?」 - 20図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:46:41
「あいつ、なんちゅうことを……!」
ムスビが表情を凍りつかせる。
一方、隆太の顔からは表情が消えていた。何の感情も読み取れないかのような顔つきだった。
無言でジャンパーの内ポケットをまさぐる。中から取り出したのは、拳銃だった。
「ムスビ。わりゃあ、あんちゃんや青空さんら、全員にこのことを知らせてくれ。わしゃ、あのクソ親父二人を撃殺し《ハジい》たる」
銃の撃鉄を起こし、代表と鮫島を見据える。
「あいつらさえ殺りゃあ残りのもんは大混乱じゃ、逃げ切ることもできるじゃろ。それに、ほとんどの追手はわしの方に来るはずじゃ……ええか、全員に知らせるんじゃ。逃げるタイミングを間違うなよ」
ムスビの手がさらに震える。
「ちょ、ちょお待たんか! お前また、そんなムチャクチャを――」
そのとき。代表の前に現れた男がいた。
先ほどの死闘の跡か、顔をいくらか腫らし、唇に血をにじませた男。蒼臼《あおうす》李一《りいち》だった。
「……待ってくれ。……先程の試合、私が不甲斐無かった。だが」
深く頭を下げた後、顔を上げる、真っ直ぐに代表の顔を見た。
「結果は結果、勝負は勝負。彼らの勝ち取ったものと、命は……保証すべきだ」
その頬やまぶたに多少の腫れこそあったものの、かつて宿っていた凶相は消えていた。
まるでその代わりのように、代表の男に凶相が宿る。
「あぁあ!? 何を言うんじゃいおんどれ負け犬が! おどれこそ命の心配せないかんのじゃぞクソが! 指詰めるか蜂の巣になるか選べやボケクソが!」
蒼臼は小さく息をつき、首を横に振る。そして、構えた。
いよいよ代表の男が顔を歪め、懐から拳銃を取り出す。
周りのヤクザらも身構えた。多くの者は刃物を抜き、何人かは拳銃を手にしていた。
隆太は唇の端を吊り上げた。
「何か知らんがええぞ、仲間割れか……上手いことすりゃあ、あいつの方に追手が――」
ムスビは隆太とヤクザらを何度も見回す。
「ちょっと、ちょっと待たんか、どうすりゃええんじゃ――」
ヤクザらと蒼臼がにらみ合う。
地面に足をにじらせ、わずかに青臼が距離を詰めた。 - 21図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:47:19
そのとき。
野太い男の声が、尾を引いて響いた。
「ああぁぁぁ~~、待ってくれぇぇ~~……やめてぇくれぇぇぇ~~……」
妙な声だった。たとえるなら、たくましい豪傑が重病人のフリをして言ったような、無理のある声だった。
そして、姿を見せた声の主は。やはりどこか、おかしかった。
枯れ草にも似た、荒れた長髪。それを引きずるかのようにうつむいて、男が歩いてくる。破れた軍服を身にまとい、風に吹かれるかのようにふらふらと。
それだけなら幽霊、戦地で死んだ兵士の亡霊か、とも思えただろうが。
たくましかった、その幽霊は。豪傑といってもよかった。
上背が高く肩幅広く、胸板は分厚かった。腕も脚の筋肉も、軍服を破きそうなほど太い。それにもちろん、幽霊には似合わぬ、二本の足があった。
うつむき、長髪に顔を隠したまま豪傑は言った。
「ぅうらめしやあぁぁぁ~~~~……やぁめろぉぉお、戦争は、やめろぉぉぉぉ~……」
代表の男は目を瞬かせていたが、やがて口を開いた。
「……なんじゃ、お前は」
鮫島も言う。
「戦争はとっくに終わっとろうが、頭のおかしい奴じゃっ! さっさと帰らんか!」
豪傑は口を開く。今度はしっかりとした口調で。
「いいや、終わってはいないな。こんなに銃や刃物を持ち出す連中がいるんじゃあな。これだけは言わせてくれよ……戦争など、争いなど無意味だったんだ……だから……すまない」 - 22二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 17:47:57
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- 23図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:48:30
男は、高々と拳を掲げ。それを地面へと叩きつけた。
とたん、音を立てて地がひび割れた。同時、拳に打ち飛ばされたかのように空気が弾け、突風となって辺りへ吹きつけた。
風に打たれてよろめきつつ、代表の男は目を見開く。
「な……ええええぇぇ!?」
割れた地面に足を取られながら、鮫島は口を開ける。
「わ……ああああぁぁ!?」
物陰で隆太らも、思わず声を上げた。
「なな、なんじゃこりゃあ……!?」
「そんな、こんなアホウなことが……!」
蒼臼はただ目を見開いていた。いつの間にか、構えた手は下ろされていた。
長髪の下からのぞいた、豪傑の顔を見てつぶやく。
「あんたは……戦前の、ミドル級王者……大神――」
それをさえぎるように、豪傑は首を横に振る。
そして代表の男らを見据えた。
「俺はな……戦争の亡霊だよ。多くの人を殺めてきた、敵も……味方も」
両の拳に目を落とす。
そして顔を上げ、ヤクザたち一人一人を見渡す。
「もう、俺みたいな思いは誰にも味わわせたくないんだ……殺すのも、殺されるのも御免だ。それはお前たちにもそう……争いなどない平和な――」
代表の男が拳銃を男に向ける。
「じゃかあしいわアホンダラ! 何か知らんが邪魔すんなら、死――」
ね、と代表が言う前に。
「いや聞けよ」
豪傑はその目の前に踏み込んでいた、残像を残すほどの速さで。そして繰り出すジャブが銃身を打つ。 - 24図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:49:43
次の瞬間。拳銃の、部品の継ぎ目が弾けたように外れ、ネジが割れ飛び。構えたままの代表の手を残して、バラバラに砕け落ちていた。
「え……えっ、え……っ?」
代表は目を瞬かせ、自分の手と相手と、割れ落ちた銃とを何度も見比べていた。
「お、組長《オヤジ》! 野郎、組長《オヤジ》に何しゃあがるんじゃあ!」
ヤクザらが色めき立ち、手にした武器を構える。
短刀《ドス》を手にした男たちが周りを囲み、刃を突き出して殺到する。
豪傑は慌てる様子もなかった。
「だから。聞けよ」
まるで炎が、怒涛《どとう》が舞うようだった。
荒れた髪をなびかせ、残像を残して豪傑は駆ける。身を沈めては刃をかわし、起き上がりざまアッパーで敵を打ち飛ばす。体ごとぶち当たるようにして、数人まとめて。
続くストレートに打ち倒された敵は後ろに続く者らを巻き込んで倒れ、フックが巻き起こす風圧に複数人が薙ぎ倒される。
一切の刃は豪傑に触れることもできなかった。ただ持ち主と共に跳ねとばされて、火の粉のように|飛沫《しぶき》のように、煌《きら》めきながら宙を舞うのみだった。
銃を手にした数人のヤクザが、震えながら銃口を向ける。
「くっ……くたばれやああぁ!」
豪傑は慌てた様子もなく、拳を肩の上へと引き絞る。
「来るなら来い、教えてやる。心の無い強さなど、無意味だということを」
引き金が引かれるより早く、拳を地に叩きつける。
瞬間。ご、と音を立てて突風が辺りを打ち、吹き荒《すさ》び。
その風が、地を抉《えぐ》った。まるで目に見えない巨人が、たわむれに土をすくい取ったかのように深く、遠く。土を吹き飛ばしていた。その上にいたヤクザたちごと。 - 25図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:52:28
枯葉のように軽々と宙を舞い、そして重い音を立てて落ちたヤクザらを見ながら。隆太とムスビはただ口を開けていた。
「…………」
「…………」
もはや言葉もなかった。
突風に巻き込まれて地べたに倒れた代表の男、そして鮫島の方に豪傑は近づく。
「ひ、ひいぃぃぃっ……!」
「あわ、あわわわわ……!」
腰を抜かしたか、震えるばかりで逃げることすらできない二人。
その前に豪傑はかがみ込む。うつむいた。
「……俺はな。こんなことしたくないんだ。生にも死にも抗うことなく、何もせず、欲も持たず、戦わずにいたい……そうして、誰も傷つくことのない平和な世の中の到来を待ちたい。……が」
二人の顔をのぞき込み、突然顔を歪めた。現れたときのような、無理にうめいたような声で叫ぶ。
「ぁぁああ、ぅうらあぁめぇぇしいいぃぃやあぁぁぁぁ!!」
「ぎゃあああああ!?」
「わああああああ!?」
悲鳴を上げる代表と鮫島に覆いかぶさるように、豪傑は身を乗り出した。
「ぁぁああ、俺は戦争の亡霊だああぁぁ……戦争はぁぁ、争いはやめろォォォ……」 - 26図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:53:15
代表の腕をつかんで言う。
「あるいはなぁ……戦後の混乱期、|暴力《ちから》のある者がある種の秩序をもたらす、それも必要悪だったのかもしれんがなぁ……もういいだろう」
みしみしみしと骨が鳴るほど、腕をつかむ手に力を込める。
「もうそんな言い訳はするな、過ぎた悪さをするんじゃあない……! 特にてめぇで言い出した約束を|反故《ほご》にして、勝者を、それを応援した者まで! 殺めるような真似はなあぁ……!」
「ひ……ぎいいぃぃぃ~!?」
泡を吹き、涙を流す代表を放り出し。
豪傑は鮫島の肩をつかんだ。
「なあぁ、先生よおぉぉ……あんた議員サンなんだってなぁぁぁ……」
震えながら鮫島は言う。
「そそっ、そうじゃ! 愛と平和の戦士、鮫島――」
肩をつかむ力が強くなる。
「先生、議員の先生よぉおぉぉ……だったら、だったらよぉぉ! もう戦争のない世の中を作ってくれよ……! もう俺のような奴が、俺のような思いをする奴が、出なくて済む世の中をよぉおおおお……!」
さらに肩をつかむ力が強まる。めぎめぎめぎと骨が鳴るほど。
「っあ……~~~~~!!?」
震えながら涙と小便を垂れ流す鮫島。
横では代表の男が同じようになっていた。
豪傑は立ち上がり、二人に背を向ける。
「また来るぞ。お前たちの悪さが過ぎ、争いがもたらされたときにはな」 - 27二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 17:53:44
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- 28図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:54:37
倒れたままのヤクザたちの間を、悠々と歩み去っていった。
が、不意に立ち止まる。ほほ笑んだ。
「このことは誰にも、秘密にな」
その目が、物陰で見ていた隆太とムスビの視線と合った。
「……!」
「見、見つかっ――」
二人は震えながら身を縮め、物陰にひそむ。
しばらくして顔を出すと。豪傑はいなくなっていた。そこにいたはずの蒼臼も。
目を瞬かせ、つぶやく。
「何だったんじゃ……ありゃ」
「さあ、のう……」
――後年。
広島県議会議員、愛と平和の戦士・鮫島伝次郎は精力的に活動を続けた。
第二秘書である息子、竜吉はともかくとして、第一秘書である恰幅のよい男が『元極道』と噂されるなど、裏社会とのつながりが疑われ、黒い噂のつきまとう人物ではあった。
しかし、あらゆる戦争・紛争に対し断固として抗議し、派閥の利害すら越えて平和のために奔走した。そのことだけは生涯一貫していたと、彼の政敵すらも認めるところであった。
その一方で、第一秘書共々精神的に不安定な一面があり、肩の古傷の痛みを訴えては「戦争の亡霊が来る」などとわめく姿がたびたび見られた、とも伝えられている――。 - 29二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 17:55:12
つまらん
- 30図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:55:38
最終話 ド級のリトライと、ド級の旅立ちと
豪傑がヤクザらを薙ぎ倒し、歩み去った後。
その背を追って駆けてきた、蒼臼は声を上げた。
「待て! 待ってくれ……大神、夕日……!」
雲間から差し込んだ日の光の中、豪傑――大神夕日は立ち止まる。声に背を向けたまま。
蒼臼は言った。
「あんた…あんた、いったい……」
背を向けたまま、夕日はかぶりを振る。拳に目を落とした。
「俺は……罪を犯した。それを償うための旅を続けている……償い切れる罪ではないがな」
肩を落とし、ため息をつく。
「いつもこんな荒事をしてるわけじゃないがな……それでも、俺の薄汚れた力、世の中のために振るうとしたら……こうなってしまう」
「なぜ」
ぽつりと蒼臼がつぶやいた。
「なぜ、殺さなかった……あいつらを。どうせまた同じ罪を繰り返す、あいつらは」
夕日はかぶりを振った。
「俺は。殺めたくないんだ、誰も。もう、誰も。……それに、どんな悪人だって罪を償う機会を奪いたくない。……俺自身そうであるように」
蒼臼の方を向き、ほほ笑む。寂しげに。
「罪を犯した者でも、人生は続く……続いてしまうんだ。だから……リトライだ。そうした者なりのリトライができると、思いたいんだ」 - 31図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:56:02
蒼臼は口を開けていた。
そして。気づけば、足を踏み出していた。夕日の方に、歩いていた。
――お前はもう立ち上がってる、お前の心は歩き出したがってる――そう、青空は言っていた。
夕日に向かって頭を下げた。
「私も。一緒に行かせて下さい……あなたと共に。私も……罪を犯した。多くの人を、裏切った。その罪を、償う旅に」
「……どうしたい」
「え?」
夕日は真っ直ぐ、深く蒼臼の目を見た。
「どうしたいんだ、お前は。償うために」
蒼臼の脳裏によぎる、あの村での想い出。村の男たちと拳法を修練した日々。
うつむいた。
「彼らに……謝りたい。私が、裏切った人たちに。……今すぐには無理かもしれない、彼らがまだそこにいるのか、そうしたところで意味などあるのか、分からない、許されるはずもない。けれど……それでも、謝りたい」
そこで、気づいたように目を見開き、顔を上げる。
「そうして、そうだ……彼らから教わった拳法。これを、極めたい……そして、できれば、伝えたい。他の者に、日本に、彼らの拳法を。……それが私の、リトライだ」
「……そうか。リトライか」
それだけ言って夕日はうなずき、歩き出した。
蒼臼もまた、歩き出す。
夕日は顔を上げ、つぶやいた。
「でも、ただのリトライじゃないぞ……ド級のリトライ、ドリトライだ。……だったな、青空」 - 32図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:56:32
その少し後。
青空たち虎威組一行は広島駅のホームにいた。すでに汽車は煙突から黒い煙を吐き出し、出発の時を待っている。
宿で倒れていた組員二人も動ける程度には回復していた。二人は地に額をこすりつけ、夕華や青空たちに何度も詫びていたが。夕華は早々にそれを制し、やめさせている。
今、二人は荷物番を買って出、全員分の荷物を持って先に車内にいる。
ホームで、夕華が元に深く頭を下げた。
「ありがとう、元。……本当に、本当に……感謝し切れない、言葉もないよ。本当に――」
元はさえぎるように手を向ける。
「よしてくれえやおばちゃん、わしが勝手にやったことじゃ。……わしはわしで、|竜吉《あいつ》と向き合うこともできた……それにじゃ」
足下に置いていたスケッチブックを取り、鉛筆を走らせる。
荒削りではあるが、素早く描かれていったのは。向かってくる敵の腕、そしてまるで目の前に迫りくるかのような、巨大な拳。
「絵のええ勉強になったわい! 全力で殴ってくる奴をあんだけ間近で観察する機会なんぞ、そうそうないけえのう!」
横から黒崎がスケッチブックをのぞき込む。
「ほおう……大胆な構図じゃのう。ほうじゃが、遠近法はこれで合《お》うとるんか? ほんまにこんな風に――」
元が拳を振り上げる。
「なんじゃと、ほいだらおどれの目でも確かめてみんかいっ!」
顔を引きつらせて身を引く黒崎。
「ムチャクチャ言うなっ! 殴られ過ぎてパーになったんか、わりゃ!」 - 33図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:57:17
苦笑した後、夕華が言う。
「元、それに応援してくれたあんたも。……すまない、あたいらはこの地を離れるが。あんたらも|極道《やつ》らに目をつけられてる可能性がある、すぐにここを去るんだ。帰り道に気をつけて、決して後をつけられないように――」
隆太が口を開く。
「あ~……その心配はのう、全然いらんと思うんよ。っちゅうのも、とんでもない豪傑――」
ムスビが慌ててその口を塞いだ。
「ア、アホウ! その話はお前――……いや、実はのう、わしらも心配してヤクザの様子をこっそり見とったんじゃが。『東京モンやそっちに味方した奴、応援した奴に手ぇ出すな、絶対に出すな』ちゅう話じゃったよ」
嘘ではない。謎の豪傑がヤクザどもをぶちのめした後、代表の男がそう厳命していた。倒れたままのヤクザたちに、泣きながら。
夕華はけげんそうに目を瞬かす。
「そう、かい……? 何にせよ、気をつけておくれ。……それに、元。礼をしてもし切れないところだが……本当に済まない、今のあたいらじゃ――」
元は手を突き出してその言葉をさえぎる。
「もうその話はええわい。わしはわしの好きにしただけ――」
そのとき。不意に黒岩が顔を突き出した。そのまま黙って、無表情に元たちを見下ろす。
元は顔をこわばらせ、後ずさる。
「な、なんじゃ――」
「……虎威ジム」
ぼそりと黒岩がつぶやく。あさっての方向に目をそらして続けた。
「……もし、東京に来たらよお。俺らの、ジムに寄れ。……そんときゃ俺が、一杯……おごってやるよ」
「黒岩……」
夕華が、青空が生野が、揃って目を見開く。
隆太がはやし立てた。
「やーい、黒岩の兄さんが真っ赤っかじゃ! まるでゆでダコじゃのう!」
「……」
黒岩は無言のまま拳を握り鳴らし、隆太の方へと歩んだ。 - 34図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:58:09
逃げ出す隆太と追う黒岩を横目に、青空は言った。
「本当にありがとう、元。……いや、その話はもういいんだったな」
歯を見せて笑う。
「お前に会えて、本当に良かった。楽しかったぜ、元」
元も笑った。
「おう、わしも楽しかった! 青空さんに、皆に会えて良かったわい!」
二人は、どちらからとなく手を握り合った。
生野が婦人服の入った包みを掲げる。
「土産までもらっちまって、悪かったな。……お前ら、元気で」
ムスビがうなずき、逃げ回りながら隆太が声を上げる。
「ほうよ、皆も達者でのう! ♪さっよなっら三角、まった来って四角♪」
生野が後を受けて口ずさむ。
「♪四っ角は豆腐 豆腐は白い♪ 白いは――」
そのとき、汽笛が鳴った。
口元に手を当て、夕華が言う。
「何やってんだい黒岩、汽車が出るよ!」
隆太の首根っこを捕まえていた黒岩は、無表情のままその背を叩いた。
「……世話になったな、お前ら」
そうして、虎威組全員が汽車に乗り込む。
車掌の笛が鳴り、汽笛が響く。車体が揺れ、汽車が走り出す。
車窓から身を乗り出し、青空が叫んだ。
「またな元! またなお前らー!」
ホームを駆けながら元が叫ぶ。
「またの青空さーん! またの皆―! 達者でのーう!」 - 35図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:58:46
ホームの端で、遠ざかる汽車を見ながら元がつぶやく。
「東京か……皆そこに帰ったら、そこでの闘いが始まるんじゃのう」
黒崎が言う。
「ほうじゃな……東京か。全国から色んな奴が上京して、闘っていくんじゃろうな。拳闘だけやあない、どんな分野でも……芸術でも」
「芸術……色んな絵描きが集まって、闘っていく……か。わしも、行ってみたいのう。東京に」
隆太が笑う。
「ほうじゃの、黒岩の兄さんにはたーっぷりとおごってもらわんといけんけぇのう!」
ムスビがため息をついた。
「お前は、ほんっまに食うこととゼニのことしか頭にないのう……」
元は汽車の向かっていく先を見つめ、拳を握り締める。
「青空さん……わしもいつか行くよ、東京に。世界中の人の心を揺さぶる絵描きになりに。心の強さで、あきらめずに。そんときゃきっと、世界チャンピョンの絵を描かせてくれえや」
空を見上げた。どこまでも青い空を。 - 36図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 17:59:31
青空と生野は並んで、車窓から広島の方を見ていた。
生野がつぶやく。
「さようなら広島の街、さようなら広島の皆、か」
黒岩が鼻を鳴らす。
「いつまでも浸ってんじゃねえぞ、後ろ向いてよお」
夕華が言う。
「そうさね……これからがあたいらの本当の闘い。真っ当なジムとしての再出発さ」
青空は唾を飲み込んだ。
「本当の、闘い……」
プロとしての拳闘。そこにはいったい、どんな強者がいるだろうか。日本には、そして世界には。
想像するだけで肩が重く、指先が冷たく震える。
しかし、青空はかぶりを振る。笑ってみせた。
「望むところだ。俺は世界に……自分の未来に挑戦するんだ。負けるもんかよ」
拳を握り締めた。
「負けねぇよ。踏まれても踏まれても芽を出す麦のように、強くなってやる。ここからが俺らの再出発《リトライ》――」
両の拳を打ちつける。笑った。
「でもただのリトライじゃねぇぞ。ド級のリトライ、ドリトライだ」
車窓から空を見上げた。後ろではない、前を向いて。
行く先の彼方、どこまでも青い空を見上げていた。
青空と元、強き心の男たちは。
どちらも未だ、物語の途中。
(了) - 37図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 18:02:15
以上で御完結だあっ! お読みいただきあざーっス(ガシッ)!
感謝が深まるんだ……本気(マジ)でね - 38二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:02:31
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- 39二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:03:14
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- 40二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:05:22
- 41二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:06:00
なんか…トリ外し忘れてない?
- 42二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:06:10
ボケーッ
- 43二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:06:26
お前…なんで自演なんかやったんだ
- 44二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:06:28
ヒャハハハ こいつメチャメチャおもろいでエ
- 45二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:07:07
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- 46二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:07:20
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- 47二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:07:38
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- 48二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:09:34
ボケーッ!
- 49二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:10:00
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- 50二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:10:19
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- 51二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:10:50
- 52二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:12:07
おっレス削除した
- 53二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:12:19
- 54二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:12:29
- 55二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:12:32
- 56二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:13:19
この謎小説より自演失敗の方がおもしれーよ
- 57二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:13:19
なりすましの可能性はないのん?と思ったけどトリップ付いてるんスね…おおっ…うん…
- 58二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:13:31
自
演
失
敗
ファ~眠い - 59二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:14:06
魚拓とっとく伝タフ
- 60図書委員◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 18:15:32
- 61二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:17:02
どうしてこの祭りになりかけのタイミングで縦長が都合よくわいたのか教えてくれよ
縦長…聞いたことがあります|あにまん掲示板縦に長いとbbs.animanch.com - 62二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:17:05
- 63二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:23:46
ド級
- 64二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:24:17
自分の失態を消すために縦長連投するとは… 立派な心がけや
- 65二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:24:40
でもただの惨めなアホじゃねぇぞ⋯
- 66二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:28:31
このレスは削除されています
- 67二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 18:32:00
はいジャンプカテのスレは10で落ちてるので誰も見てないです
- 68二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 19:21:20
- 69二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 19:22:17
ま…まさか…このスレのスレ主の通報連打で削除…?
- 70二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 19:33:09
- 71二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:01:04
- 72二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:03:53
- 73二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:06:24
因みに発狂と同時に縦長荒らしが湧いたらしいよ
- 74二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:12:31
- 75二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:14:49
SSに関してはともかく自演バレからの顛末は面白いと思ったのが俺なんだよね
- 76二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:15:17
- 77二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:18:07
そもそもハーメルンとあにまんにマルチ投稿するのが謎すぎるんだよね
- 78二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:19:35
- 79二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:21:20
でもただの承認欲求じゃねぇぞ!?
ド級の承認欲求、ド承認欲求だ!! - 80二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:23:40
- 81二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:24:32
タイミング的に縦長荒らししたのもそうなんスかね
- 82二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:24:39
なまじ4スレ目まで続くような長さがあるせいで今さらスレごと消すのも惜しくて
血の涙を流してる1を思い浮かべると涙が出ちゃうよ - 83二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:24:41
- 84二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:26:32
- 85二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:33:40
面白かっただけに最後が自演バレで終わったのが残念ですね…ガチでね
まっ愚弄の飛び交うタフカテだからバランスは取れてるんだけどね - 86二次元好きの匿名さん24/02/22(木) 21:33:40
気にせず評価してやれ…鬼龍のように
- 87ボウタ◆3807WhQ6Ak24/02/22(木) 21:39:12
500億分の1の確率でもしなりすましだとしても次からはオーズのサブタイみたいな若干複雑な文をトリップにすることをオススメしますよ
- 88二次元好きの匿名さん24/02/23(金) 08:18:55
保守
- 89二次元好きの匿名さん24/02/23(金) 15:32:50
このレスは削除されています
- 90二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:15:46
保守
- 91二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 09:37:43
晒し上げのん
- 92二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 09:38:57
もう荼毘に伏させてあげていいんじゃないスか?
- 93二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 09:52:47
ここも新しい執筆地獄部屋になったのかも知れないね
- 94二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 19:15:23