(SS注意)幸せな小旅行

  • 1二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:34:21

     ぐぅ、と腹の虫が鳴いた。
     トレーナー室の窓から空を見てみれば、赤みが差し込んでいる。
     もうこんな時間かと背筋を伸ばせば、ばきばきと小気味の良い音が鳴り響いた。
     さて、仕事の残りも後少しといったところだが、何かお腹に入れておきたいところ。

    「……そういえば、この間貰ったお菓子があったな」

     先日、地方トレセンへの遠征から戻ってきた同期に、お土産を貰ったことを思い出す。
     メジャーなお菓子の、地方限定のフレーバー。
     とても美味しいという話を聞いたので、楽しみにしながらも、なかなか食べる機会がなかった。
     今が、その時なのかもしれない。
     そう考えて、俺はお菓子を入れておいたデスクの引き出しを開けた────のだが。

    「あれ?」

     そこに、お菓子の姿はなかった。
     入れた場所を勘違いしたかと思い、他の引き出しも見てみるがどこにもない。
     デスク以外のところに仕舞うことはないはずだし、家に持ち帰った記憶もないのだけれど。
     腕を組んで、首を傾げて、過去の記憶を思い出そうとする、その刹那であった。

  • 2二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:34:33

     パリッ、と軽い小さな音が、鼓膜を揺らした。

     それは、本当に微かな音であった。
     仕事に集中していたり、物音を立てて探し物をしていたりすれば、気づかないほどに。
     その音は、ミーティングなどで使用する、長机の方から聞こえてきた。
     俺は、まさかと思いつつ、その音が聞こえる先に視線を向ける。

    「……スティル?」

     そこには、お土産の机に広げて、静かに、上品に、そしてもくもくと食べているウマ娘の姿。
     赤いリボンで結ばれた栗毛の長い髪、頭には白いベール、真紅の瞳は机のお菓子に向けられていた。
     彼女は突然動きを止めて、ゆったりとした動きでこちらを見る。
     そして、お菓子の袋を一つ手にとって、差し出すように俺へ向けた。

    「トレーナーさんも、お食べになりますか?」

     担当ウマ娘のスティルインラブは、柔らかく微笑んで、そう言った。

  • 3二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:34:47

    「……びっくりしたよ、いつからいたんだ?」
    「ふふ、ずっとおりましたよ? トレーナーさんのすぐ傍に」

     スティルはそう言いながら、また一つお菓子を口に入れる。
     そして耳をぴこぴこと動かして、顔を綻ばせた。
     ……貰った量はそこそこ多かったはずなのだが、もう少ししか残っていない。
     …………まあスティルが喜んでくれたなら、それで良しとしよう、担当とお菓子の取り合いでひと悶着とか勘弁だし。
     俺も残ったお菓子を一つ手にとって、ぱくりと口に入れた。

    「んっ、美味しい……ところでスティルは何をしていたの? ずっとお菓子を食べていたわけじゃないでしょ?」
    「はい、少しトレーナーさんにお願いがあって来たのですが、お仕事に集中なされていたようだったので」
    「なんだ、声をかけてくれて全然構わなかったのに」
    「真剣な表情でお仕事をされるトレーナーさんの表情に見惚れてしまい、つい」
    「……そっ、そっか」

     本気とも冗談ともとれる表情で、スティルはくすくすと笑みを零す。
     彼女との付き合いは結構なものになるが、この手の言動にはいまだ慣れることが出来ない。
     照れているのを誤魔化すように咳払いを一つ、俺は強引に話を進めて行く。

    「こほん、それで、お願いしたいことって何?」
    「今度の週末、ご一緒していただきたいことろがありまして」
    「週末は、とりあえず予定はなかったはずだから大丈夫だよ、ちなみにどこへ行くんだい?」
    「ああ、良かったです……少し、遠くになってしまうのですが」

     スティルの尻尾が、嬉しそうにゆらりと揺れる。
     そして彼女は、少しだけ遠慮がちな表情で、言葉を紡いだ。

    「その────福島まで、お願いできますか?」

  • 4二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:35:03

     曰く、スティルの後輩のウマ娘が、福島でとある神事に参加することとなったらしい。
     当日は見に行けるかがはっきりしないため、今のうちに激励をしてあげたい、とのことだった。
     何分、彼女自身初めて行く場所への遠出ということもあり、保護者として同行して欲しいそうである。
     無論、俺に断る理由などない。
     みしろ頼ってくれて、嬉しいくらいである。
     そんなわけで、俺達はお菓子を食べながら、週末の予定について話し始めたのであった。
     正直、福島までの日帰り旅行気分だったのは、否定出来ない。

     そして、週末────俺達は、福島まで何のトラブルもなく、行くことが出来た。

     スティルの後輩に会うことも出来て、その子は目に涙を浮かべながら喜んでくれた。
     スティル自身も満足行く時間が過ごせたようで、俺個人としても神事の稽古という珍しい光景を見ることが出来た。
     夕食も一緒に摂って、寮の門限に間に合うギリギリの時間まで共に過ごし、それからその子と別れ、駅へ向かった。
     そこまで、何の問題もなかった、のだけど。

    「……」
    「……」

     呆然と立ち尽くす俺達の前には、もう春本番だというのに雪景色が広がっていた。
     空には星々が綺麗に煌めく時間になっていて、駅の人の数も大分疎らになっている。
     無論のこと、ここはトレセン学園近くの駅ではなく、それどころか関東圏ですらなかった。

    「……本当にごめんスティル、まさか反対方向の新幹線に乗ってしまうなんて」
    「いえ、私もすっかり眠ってしまったので」

     深々と頭を下げる俺に対して、スティルもまた申し訳なさそうな表情で応えた。

     ────結論からいえば、俺達は今、新青森駅にいた。

  • 5二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:35:17

    「近くのビジネスホテルが確保出来たから、そこへ向かおうか」
    「はい……それと、上着、ありがとうございます」
    「気にしないで、俺のミスだからさ」
    「……そうですか」

     スティルは何か言いたそうではあったが、あえて何も言わなかった。
     その後、俺は駅員さんに事情を離して、翌日の始発の便で戻ることになった。
     そして学園に連絡して、寮に連絡して、近くのホテルを探して、そして現在に至る。

    「……」
    「……」

     俺達は、気まずい雰囲気のまま、ホテルへ向けて歩みを進める。
     知らない土地で一泊を過ごすことになるなんて、スティルも不安だろう。
     そんな彼女の不安を和らげてあげないといけないのに、俺は申し訳なさで頭がいっぱいだった。
     それも含めて、自己嫌悪に染まっている最中、ぴゅうっと冷たい風が吹く。
     身体は思わずぶるりと震えそうになるが、彼女に心配をかけないようにするためにも、我慢する。

    「……トレーナーさん」

     その時、スティルの言葉と共に、俺の冷え切った手が柔らかい温もりに包まれた。
     慌てて見やれば、彼女の小さな右手が、俺の左手を握りしめている。
     そして彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

  • 6二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:35:31

    「正直に言うと、私は少し得をしたなと、思っております」
    「……えっ?」
    「こうして、トレーナーさんと、少しでも長く過ごすことが出来たんですから」

     ああ、本当に、この子は優しい子だ。
     一度レースとなれば本能を露にするけれど、普段はこんなにも気遣いの出来る子である。
     ……なら、俺もいつまでも凹んでなんていたら、彼女に失礼だな。
     無理矢理、気を持ち直して、笑みを浮かべてみせる。

    「うん、俺もキミと長く過ごせるのは、嬉しいよ」
    「……まあ、それじゃあ私達、相思相愛なんですね?」
    「ははっ、そうかもしれないね、まあ、俺は帰ったら始末書やら報告書が待っているけれど」
    「あら、それは一大事ですね、それじゃあ、いっそのこと」

     スティルは、ぎゅっと、握る手の力を強めた。
     それはまるで、絶対に離さないと、宣言するが如く。
     彼女は冗談めかした微笑みをみせると、俺の耳元で、小さな声でそっと囁いた。

    「────このまま二人で、逃げてしまいましょうか?」

  • 7二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:35:43

     どこか、いつも違う声のトーンに、背筋がぞくりと走る。
     慌ててスティルの顔を見るが、そこにはいつもと変わらない、彼女の笑顔があった。
     ……気のせい、だったのだろうか。
     
    「それは、出来ないかな、俺はまだキミを輝かせないといけないから」
    「ふふっ、それは嬉しくて、少し残念ですね…………ふあっ」
    「……眠い? 大丈夫?」
    「ええ、失礼しました……私は小さな頃から、乗り物では眠ることが出来なくて」
    「そうなんだ、明日も早いし、早く布団に入らないとね」

     スティルの言葉に、何か違和感を覚えつつも、俺はホテルへ向かう歩調を早める。
     しかし、彼女の足はぴたりと止まってしまった。
     何事かと思って、振り向くと、その真紅の瞳と真っ直ぐ目が合う。
     
    「トレーナーさん」

     スティルは、目を穏やかに細めて、頬を赤く染めて、笑みを浮かべる。
     スティルは、目を鋭く光らせて、口元を歪ませて、笑みを浮かべる。
     俺の手を握る力が、更に強くなり、彼女は牙を剥くかのように口を開き、言葉を紡いだ。

    「逃げたいと思った時は、いつでも私におっしゃってくださいね?」

  • 8二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:35:55

    お わ り
    いいですよね

  • 9二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:38:15

    あなたは風語録の人!?
    これは良いものを見せていただきました…史実要素を拾うのがお上手すぎる

  • 10二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:38:21

    良い…
    スティルの怖可愛さが素晴らしい…
    良いものをありがとうございます

  • 11二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:40:29

    いいものを読ませていただきました
    心の英明が疼きます

  • 12二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:40:38

    史実要素の落とし込みも綺麗で見事!としか言いようがありません
    良いもの読ませてもらいました
    ありがとうございます

  • 13二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:41:06

    今度こそ幸になってくれ

  • 14二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 01:42:47

    >>7

    >「私は小さな頃から、乗り物では眠ることが出来なくて」

    >>4

    >「いえ、私もすっかり眠ってしまったので」


    スティル……お前、"やった"な???

  • 15二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 02:41:08

    俺が今アグロライターって名前つけた
    スティル……お前……

  • 16二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 03:26:06

    ようキャラも定まってないの書こうと思ったな

  • 17二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 03:29:25

    なんで碌にキャラ定まってないウマ娘でこんな良質なSSを書けるんだ…

  • 18二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 05:28:55

    風語録の人だ!この人未実装で定まってなくてもそのキャラに合ってるようなSS書くから凄く凄いのよね(語彙力)

    私の勝手な想像で顔と雰囲気からジェンティルドンナ刺さってそうなイメージあるんだけどどうなんやろか

  • 19124/02/24(土) 07:13:58

    感想ありがとうございます

    >>9

    元々エピソード満載なので取り入れやすいですね

    >>10

    その辺りが良い感じで出せてれば良かったです

    >>11

    心のみゆぴーが……

    >>12

    上手いこと要素が噛み合ってくれました

    >>13

    幸になって欲しいよね……

    >>14

    寝た子を起こすなというわけで

    >>15

    かわいいよね……

    >>16

    ある種いまがチャンスということで

    >>17

    そう言っていただけると嬉しいです

    >>18

    ヴィルシーナが刺さって時点で自動的に刺さります……勿論見た目も良き良き

  • 20二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 13:15:07

    とてもよいSS!!!!(気ぶり)
    スティル&スティルトレに幸あれ

  • 21124/02/24(土) 19:27:46

    >>20

    本当に幸せになって欲しい……

  • 22二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 19:39:41

    なんかこう、史実ネタをちりばめた良質なSSはさあ、ホント最高だな

  • 23二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 19:40:06

    すごいすき。ありがとう。

  • 24二次元好きの匿名さん24/02/24(土) 19:46:50

    駆け落ちはせんだろうけど温泉旅行で擬似駆け落ち拝める日が楽しみですね…

  • 25124/02/24(土) 22:59:54

    >>22

    まだ色々と情報が少ないので史実ネタは入れやすいですね

    >>23

    そう言っていただけると幸いです

    >>24

    育成実装が楽しみです

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