- 1二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:48:42
早朝。私がトレーニングルームを訪れると、そこには片手でバーベルを持ち上げる彼女の姿があった。本当なら、見つからないように、被らないように、時間を調整したい。けれど、授業時間以外ほとんどずっとトレーニングをしている彼女と時間をずらすなんて不可能だ。ましてや、今日は雨。授業前に泥まみれになるわけにもいかず、彼女と同じ空間でトレーニングをするしかなかった。まあいい。因縁の相手がすぐ知覚にいる方が、本番に近い精神状態が作れる。私はダンベルの並んだ棚から、二つを選び取った。次は、次こそは、絶対に負けたくない。
「……よし。朝はこのくらいにしておきましょう」
ダンベルを片付けていると、ふとバーベルが目に入った。先ほどまでこれを片手で持ち上げていた彼女の姿が脳裏に過る。私の悪い癖だ。自分には無理だと分かっていても、ついつい彼女に近づこうと無茶をしてしまう。私の対抗心など気にも留めずにバイクを漕ぐ本人を目の前にして、私はその悪い癖を抑えることができなかった。 - 2二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:49:41
「……このくらいなら」
手近にあった少し軽めのバーベルに右手をかける。ウマ娘離れしたあの筋力には敵わずとも、私にだってこのくらいならできるはず。そう自分の力を過信したのが悪かった。
「っ……!!!」
バーベルは、いとも簡単に私の手から滑り落ちた。限界地を超えた重さ、ダンベルトレーニング後の疲労と手汗。最悪の要因が重なってしまった。ドンッ!と鈍い音がする。咄嗟の判断も間に合わず、バーベルは私の右足を直撃した。直後に襲ってくる激痛。私は歯を食いしばり、その場に座り込むことしかできなかった。何とか足の上からバーベルを取り除くことはできたものの、痛みから立ち上がることができない。今この部屋にいるのは、私とバイクを漕ぐ彼女だけ。痛さと情けなさで涙が出る。それを隠すように、私は思わず目をギュッと瞑った。次の瞬間、身体がふわりと浮く感覚がした。驚いて目を開けると、彼女と目が合う。 - 3二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:50:33
「動かないでくださる?」
「な、何を……!」
「凄い音でしたわよ。早く保健室へ」
俗にいう『お姫様抱っこ』の状態で、私をがっちりとホールドする彼女。私は仕方なく、その肩に手をまわして身を委ねた。逃げようとしても、彼女のパワーには敵わない。それに今これを拒否してしまえば、私は痛みが引くまであの場所で1人耐えるしかないのだから。
「どうして……こんなことを……」
「目の前で知り合いが動けなくなったのを放っておくほど、私は薄情ではなくってよ」
私を抱えたまま、いとも容易く階段を下りていく彼女。小象ほどの重さの鉄球を顔色一つ変えずに持ち上げるその筋力を考えると、自分より小柄なウマ娘1人なんて、何も持っていないのと同じなのかもしれない。
保健室の扉を開けると、そこに先生はいなかった。まだ朝の六時を回ったばかり。まだ出勤していなくても当然の時間である。 - 4二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:51:22
「まあ、応急処置程度はできるでしょう。少しいい子にしていなさい」
そう言うと、彼女は私を椅子に座らせた。抱き上げられていた感触が、まだ身体に残っている。私だって、目の前で知り合いが怪我をしていれば、迷わず同じことをするだろう。けれどあの非情なまでに勝利に貪欲な、一度も勝ったことのない私のことなんて目に入っていないであろう彼女に助けられたその事実に、ほんの少し、複雑な気分になる。倒すべき宿敵に弱さを見せたことでプライドが傷ついたのか、あるいは、冷徹だと思っていた彼女が私へ優しさを向けたことに対する勝手な失望か。
足に冷たいものが触れる。どうやら氷水を用意してくれたらしい。
「痛みは?」
「……少しはマシ」
「そう」
彼女はそれ以上何も言わなかった。わざわざ私の目の前に椅子を持ってきて腰掛け、時折新しい氷を入れてくれる。この異様な空間に、雨音だけが響いている。 - 5二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:52:39
「……トレーニングは?」
「私が戻ったら、先生が来るまでどうするつもりですの?」
どうやら先生が来るまでは、私から目を離さないつもりらしい。驚いた。まさか彼女にこんな世話焼きな一面があったなんて。まあ、この点に関してだけ言えば、日頃から妹たちの世話をしている私の方が遥かに格上だけれども。
「随分と不服そうですわね。そんなに私に恩を売りたくないのかしら」
「そうかもしれませんね。それに、あなたが私に優しさを向けたことに驚いて」
無意識のうちに、表情が硬くなっていたらしい。思っていたことがそのままするすると口から出てきた。先輩相手に、我ながら凄いことを言ったものだ。
「別に、優しくしたつもりはありませんわ」
「人として当然のこと……とでも言うつもり?」
その問いに、彼女は笑みを返すだけだった。雨音以外何も聞こえない、けれど不思議と居心地の悪くない空間。 - 6二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:53:01
「あら。誰かいるの?」
どのくらい時間が経っただろうか。先生の声で、私はふと、現実に呼び戻されたような感覚になった。
「すいません。自主練中に器具を足に落として……」
「分かったわ。見せて」
「それでは、私はこれで失礼しますわ」
「待って」
先生に軽く会釈をし、その場を去ろうとする彼女。私はとっさに呼び止めた。
「何かしら」
「……ありがとうございました」
「素直にお礼の言える人は嫌いじゃなくってよ。ヴィルシーナさん」
そう言うと、彼女は保健室を後にする。今日のこの出来事は私にとって、不思議と悪くない思い出になった。理由は……自分にも分からない。 - 7二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 22:54:08
お わ り
ウマ娘のSS初めて書いたからエミュ上手くできてなかったらすいません! - 8二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 23:11:25
始めてとは思えない素晴らしいssだ...
- 9二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 23:12:38
めっちゃよかった
ヴィルシーナの内面の描写の鮮やかさが印象的でした
素晴らしい作品をありがとう!!薄い感想しか書けなくて申し訳ないです - 10二次元好きの匿名さん24/02/25(日) 23:24:35
感想ありがとうございます。実馬ジェンヴィル好きだった人間だからこれから腕を磨いていきたい所存。
- 11二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 02:52:14
よかった
ジェンティル側の描写もほしいなー。お願いおねがーい☆ - 12二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 07:32:01
同じ話をジェンティル視点で書き直す感じでいいですかね。やってみます。
- 13二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 07:57:18
ジェンヴィル供給助かります(泣)
なんだかんだ闘争心ある子には優しいジェンティルさん概念すき - 14二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:15:12
その日は、朝からあいにくの雨だった。日課の朝練は室内で行おう。今日も私が一番乗り。誰もいないトレーニングルームで1人黙々と鍛錬に励むこの時間が、私は好きだ。
一瞬ダンベルの棚を見たが、すぐにバーベルの方へと視線を移す。どうも普通のウマ娘はこれを両手で上げるらしいが、私は片手。一応、自分の力が他のウマ娘を軽く凌駕していることは理解している。学園の備品は、一般的なウマ娘に合わせて用意されるものだということも。けれど自分に合ったトレーニング器具がないというのは、なかなかに難儀なものである。こうして、本来とは違う用途で器具を使うしかないのだから。 - 15二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:15:38
ドンッ!
筋力トレーニングを終えてバイクを漕いでいると、突然背後から鈍い音がした。重くて硬い物を、それなりの高さから落としたような音。さすがの私も、バイクを止めて振り返る。
見慣れた青い髪が視界に入ってきた。どうやら、音の正体は彼女らしい。傍にはバーベルが落ちている。なるほど。あれを見られていたらしい。いつも何かにつけて私と張り合おうとする彼女のことだ。真似事をしようとしたのだろう。
呆れなのか同情なのか、それとも単に知り合いの身を案じているのか。私の足は、自然と彼女の方へ向かっていた。いつもの闘争心はどこへやら。情けない、苦痛に歪んだ顔。目には涙まで浮かんでいる。自分の足では歩くのは困難だろう。逃げられないように、彼女の身体をがっちりとホールドして抱き上げた。驚いて目を開けた彼女と目が合う。 - 16二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:16:08
「動かないでくださる?」
「な、何を……!」
「凄い音でしたわよ。早く保健室へ」
彼女は不服そうな顔をしながらも、私の肩に手をまわした。逃げそうな気配はない。それを確認し、私は保健室へ向かって歩き出した。私に比べて、ずっと華奢な体。きっと、朝のトレーニングで使ったあのバーベルの方が重いだろう。
「どうして……こんなことを……」
「目の前で知り合いが動けなくなったのを放っておくほど、私は薄情ではなくってよ」
まあ、あの場には私と彼女しかいなかった……と言うのも理由ではある。あえて言う必要もないかと思い、特に口にはしなかった。 - 17二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:16:44
保健室に到着したは良いものの、まだ先生は出勤していない時間。設備は24時間自由に使えるため、急場しのぎの手当くらいはできる。
「まあ、応急処置程度はできるでしょう。少しいい子にしていなさい」
彼女を椅子に座らせて、バケツに氷水を用意する。応急処置くらいは造作もないこと。腫れあがった彼女の足を、洗面器へと入れた。
彼女の側に転がっていた、あのバーベル。私なら軽々と持ち上げられるが、きっと彼女には相当重かったはず。それにたとえ彼女に私と同等の力があったとしても、手を滑らせれば無事では済まない。こんなこと、本人が一番よく分かっているはずなのに。本当に、馬鹿な後輩を持つと苦労する。 - 18二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:17:17
「痛みは?」
「……少しはマシ」
「そう」
彼女と二人になるのは初めてではない。レース前であれば、喧嘩腰で宣戦布告してくる彼女の相手をするのがお決まりだ。けれど、今は特に話すこともない。
毎回真っ向から本気で挑んでくる彼女のことは、決して嫌いではない。けれど、今あえてそれを伝える必要はないだろう。特にやることもなく、私は彼女の前に椅子を持ってきて腰かけた。外で降りしきる雨の音と、時折バケツに氷を入れる音だけが、保健室に響いていた。 - 19二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:17:46
「……トレーニングは?」
この期に及んで、『宿敵』のトレーニングの心配を始める彼女。よほど私と同じ空間にいたくないのだろうか。
「私が戻ったら、先生が来るまでどうするつもりですの?」
歩けない彼女は、それ以上何も言わない。ただ、不服そうな、気に入らない表情で私を見ている。
「随分と不服そうですわね。そんなに私に恩を売りたくないのかしら」
「そうかもしれませんね。それに、あなたが私に優しさを向けたことに驚いて」
……本当に生意気。まるで、私が後輩を心配する優しさも持ち合わせていないような言い方。こういうのには、少し意地悪なことを言いたくなってしまう。 - 20二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:18:13
「別に、優しくしたつもりはありませんわ」
「人として当然のこと……とでも言うつもり?」
『優しくしたつもりはない』そんな言葉にさえ、彼女は全く怯まない。本当に生意気。馬鹿で、生意気で、可愛げなんてあったものじゃなくて。だから私は彼女を気に入って、らしくもなく世話を焼いたのかもしれない。不思議と笑みがこぼれる。さあ、あなたはこの私の笑みをどう受け取る? - 21二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:20:11
「あら、誰かいるの?」
先生が保健室に入ってきた。どうやら私の役目は終わりのようだ。私は先生に軽く会釈をし、部屋を出ようとした。
「待って」
彼女が私を呼び止める。
「何かしら」
「……ありがとうございました」
先ほどとは違う、少しは和らいだ表情で。けれど、『宿敵に恩を売ってしまった』という気持ちの隠し切れない声で、彼女はそう言った。
「素直にお礼の言える人は嫌いじゃなくってよ。ヴィルシーナさん」
私は、精一杯明るい声で彼女の名を呼んだ。恩を売ったと思っているのなら、次のレースで私を楽しませて頂戴。それで帳消しにしてあげる。いつものように、生意気に、可愛げなく、私の背中を追ってきなさい。 - 22二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:21:11
お わ り
ジェンティル視点難しかったー!!公式ジェンティルの資料が少ないので願望と妄想で補ってますがご容赦を! - 23二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:24:01
リアルタイムで追って読ませていただきました
馬鹿、生意気、可愛げのない……そう思いながらも挑んでくる者は決して無碍にしない、どころかそれでこそって感じでワクワクしてるジェンティルさんちょいツンデレ(?)っぽくててぇてぇ……
できたらSSスレとかで他薦したいので引用していいですか?割とマジで - 24二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:27:21
- 25二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 15:37:55
良いものを見た…
- 26二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 21:41:06
ありがたや……ありがたや……