- 1◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:20:18
彼女との出会いは去年、模擬レースをしているところだった。何となしにどんなウマ娘がいるのだろうと足を運んだトラックで、彼女は闘志を抑えきれない様子で、しかし難なく1着を取ったら、ただそれを眺めていた僕に一言告げて彼女は踵を返した。
「次のレースも見に来てください」
トレーナーになってから8年、『新人』とか『若手』といった枕詞が外れる時期になっても、先輩達のようにGⅠウマ娘を輩出することなく燻っていた僕の一体どこを気に入ったのかは分からないが……言われた通りに見に来ると、彼女は同じように次のレースで、とだけ告げるのだ。
彼女の名前も知らぬままそれを繰り返して、しばらく経った頃。模擬レースに参加し始めたウマ娘はデビューが近い、というのはトレセンでは常識だった。そこから計算して、あの娘もそろそろメイクデビューだろうか、誰がトレーナーに付くんだろうかと他人事のように考えていると、トレーナー室のドアがいつの間にか開いていて。とっさに振り返るが後ろには誰もおらず、正面に顔を戻すと、彼女がいた。
「き、君は……いつから……!?」
「スティルインラブ、です。ふふ……ずっとおりましたよ?トレーナーさんのすぐ傍に……」
そこからはすぐにトレーナー契約が完了し、僕はスティルインラブのトレーナーとなった。最初は信じられなかった、彼女のような素質ウマ娘を担当することになるなんて。しかし、11月30日。阪神レース場のコースでようやく現実味を帯びることになった。 - 2◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:21:25
スティルインラブは1番人気の期待通り、2着に3バ身半の差を付けて圧勝した。
ただパドックでそれを見ていた僕に彼女は駆け寄って、少しだけ汗ばんだ手で僕の手を握る。
「勝ちましたよ、トレーナーさん」
「うん、おめでとう!スティルインラブ」
その一瞬で、僕は彼女のトレーナーであることを自覚して、そして側で支えなければならないのだと気を改めた。そしてメイクデビューの後、しばらく経って。
「トレーナーさん」
「うわっ!?君は急に現れるね……」
彼女は来年、クラシック路線かティアラ路線どちらに進むかという選択を僕に告げに来ていて、その答えはというと。
「……ティアラ路線に進みます」
「……理由を聞いても?」
最強、と語られるウマ娘は、ティアラ路線よりもクラシック路線に進んでいることが多い。それはクラシック路線が早くから整備され、歴史と権威があり、そしてタフで迫力あるレースがゆえだ。そしてティアラ路線に進んだウマ娘とクラシック路線に進んだウマ娘がぶつかる時、大抵はクラシックに軍配が上がる。最近では必ずしもそうであるとは言えなくなってきたが、未だにティアラ路線のウマ娘はクラシック路線に比べて地力に劣る、という見方は根強い。
もちろん、だからといってそのレースにウマ娘が賭ける想いなどが劣っているわけではないけど……事実、ティアラ路線はクラシック路線よりも注目度は低い。なぜ選ぶのかについて聞くと。 - 3◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:21:51
「……メジロラモーヌ」
「メジロラモーヌ?確かに彼女はティアラ三冠ウマ娘だね」
『メジロの至宝』と呼ばれトゥインクルシリーズに参加する前から注目を集めていた彼女は、ティアラ路線の成立以降初となる三冠ウマ娘となり、そして有マ記念で不利を受けて9着に敗退。その後はトゥインクルシリーズのレースからは離れていると聞いている。
「私と同じようにレースに滾る熱情を懸ける彼女と、いつか同じ場で競い合いたい……そう思ったのです」
「なるほど……わかった」
確たる理由を以て臨むのであれば、僕からは反対することはなかった。スティルインラブのレースはティアラ路線を意識して組むことにした。 - 4◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:22:47
年を明けて迎えた京都レース場・芝1400m、紅梅ステークス。既に同じ舞台で重賞2着の実績を持つ鹿毛のウマ娘が1番人気に推され、スティルインラブは2番だった。しかし彼女はその評価をものともせず、1と1/4バ身の差を付けて快勝。
「……トレーナーさん」
「ああ、スティルインラブ。次はチューリップ賞だ」
「呼びづらいでしょうから、スティルで良いですよ?」
「……わかった、スティル」
メイクデビューの時はGⅠのことは考えていなかった。しかしこの紅梅ステークスの走りでスティルはGⅠを、もっと言えば桜花賞を勝つ素質があると僕は理解した。
そうして今日、桜花賞トライアルであるチューリップ賞。本番と同条件の阪神・芝1600mで行われるこのレースは、絶対に負けるわけには行かなかった。
というのも、幾度か機会に恵まれながらも僕はまだ担当にGⅠを取らせたことがない。もしここで負けたら……もしかすると、スティルは僕ではなく別のベテラントレーナーと契約し直すかもしれない。紅梅ステークスの少し後から不安に思い続けていた。スティルがチューリップ賞で断然の1番人気に推されたことも、追い討ちをかけた。 - 5◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:23:22
いよいよスタートを迎える。上々のスタート、青々とした芝の上をスティルが駆けていく。直線に入って、スティルの目の前には3人のウマ娘。そして壁の内側が開き、そこだ!と思った瞬間──塞がれた。
「なっ……」
自分の前を見ると、そのウマ娘を担当している先輩トレーナーの横顔がニッと口角を上げていた。しまった、ワナだった。スティルは最初から彼らにマークされていたんだ。
内を潰されたスティルは咄嗟の判断で外を選び、猛追したがハナ差及ばず2着。マークされている可能性を考えられなかった、僕の未熟さによる負けだ。
先輩トレーナーの指導技術と、それを信じて動いた相手ウマ娘の勝ちだった。
そして僕は、絶望していた。本番と同じ舞台でこれだけやれたなら、桜花賞では絶対勝つだろう。しかし、その隣には僕がいないだろうことも同時に理解していた。僕よりも経験豊富な、別のトレーナーが付いているだろう。その指示ならば難なく桜花賞ウマ娘の称号を手にすることができるだろう。 - 6◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:23:53
──トレセンへ引き揚げるのも、億劫に思える。
- 7◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:24:49
──嫌だ、府中に戻りたくない。ずっとこの阪神で微睡んでいたい。 - 8◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:25:30
──このまま、スティルと遠くへ逃げたい。 - 9◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:25:59
この重苦しい感情から逃れたくて、他のトレーナーに取られるくらいならばいっそ駆け落ちしてしまおうなどと突拍子もない、なのに本気の考えに頭が支配されていると、手に覚えのある感触が。
「……トレーナーさん?震えていますよ」
「あ、あ、スティル……」
何とか絞り出せた声は情けなくて、僕に釣られてかスティルまで不安そうな表情をしている。これだと益々彼女に見放されてしまうと自嘲する。
「……桜花賞、今度こそ勝つためにトレーニングを練り直してもらえますか?」
「えっと、スティル……」
「はい、スティルですよ。これからまたよろしくお願いしますね」
どうやら、今のところトレーナーを替えるつもりはないらしい。しかし、それに甘えていてはいつ愛想を尽かされるか分からない。気を引き締めて、次の桜花賞こそスティルに勝利を、と僕は決心した。 - 10◆gHYzC6mo/XKI24/02/26(月) 21:26:30
- 11二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 21:36:31
- 12二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 21:39:07
- 13二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 21:42:05
掘り下げの少ないところでこのレベルのSS遁を…
- 14二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 21:50:54
マヤタルの皮を被った騎手のイチャイチャ…
- 15二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 21:52:50
鞍上の姿がダブってしまうSS、私の性癖に合っております
- 16二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 22:04:30
見た目からスティル→トレーナーが重そうなのは想像できるけど
トレーナーも多分スティルに抱いてる想いは相当重いよね - 17二次元好きの匿名さん24/02/26(月) 23:37:42
この後ティアラ三冠取ったんだよね…