- 1二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:03:29
「あっ」
授業を終えて、トレーナー室へ向かう途中のこと。
少し離れた廊下の先、リボンに巻かれた青毛のツインテールをたなびかせ、一人のウマ娘が横切った。
猫っぽい口元に、左目の泣きぼくろ、姉妹お揃いのエンブレムが入った水兵帽。
妹のヴィブロスは一人、廊下を歩いていた。
学園で見かける時は大抵、友達か姉さんがいるから、珍しいといえば珍しい。
────声をかけておくか、そう考えて、口を開こうとした瞬間だった。
「……トレっちー!」
ヴィブロスは突然、耳と尻尾をぴんと立ち上げて、大きな声を上げる。
その紫色の瞳を宝石のように輝かせて、満面の笑みを浮かべて、駆けだしていく。
彼女が向かっていった先には、のんびりと歩いていた、一人の男性の姿があった。
彼のことは見覚えがある、ヴィブロスのトレーナーさんだ。
「見に行きたいお洋服があるんだー、あとでいっしょにいこいこー♡」
ヴィブロスはトレーナーさんの腕に自らの腕を絡める。
そして。、尻尾をぱたぱた振りながら甘えてみせた。
……なんというか、距離が近いような気がする。
トレーナーさんは困ったような────それでいて満更でもないような笑顔を浮かべた。
そして彼はヴィブロスに、ミーティングをちゃんとやってから、と言い聞かせる。
「むぅー、トレっちのいけずー……でもちゃんと頑張ったら、いーっぱい甘やかしてね?」
トレーナーさんはヴィブロスの言葉にもちろんと頷いて、二人は並んで歩いて行った。
これに関しては、珍しくもない光景だ。
ヴィブロスがトレーナー契約を結んでからは、定期に見かけているような気がする。
ただ、今日だけは何故か、妙に気になってしまって。 - 2二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:03:41
「……トレーナーさんも、僕がああいう風に声をかけたら、嬉しいのかな?」
先ほどの、ヴィブロスのトレーナさんの顔を思い出す。
仕方ないな、と言わんばかりの表情でありながら、どこか嬉しそうな表情。
それは少しだけ、ヴィブロスに甘えられている時の姉さんの表情にも似ていた。
僕も、その気持ちは少しわかる。
面倒と思う時はあるけれど、ああいう風に親しみを込めて素直に甘えて来られると、嬉しくなってしまう。
僕のトレーナーさんも、同じなのかもしれない。
「少なくとも、僕なんかよりも、ヴィブロスみたいな子の方が良いよね……」
小さく、ため息一つ。
僕は悶々とした思いを抱えたまま、一人歩みを進めるのだった。 - 3二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:03:53
「……よし、それじゃあ来月からはこの方針で行こう、お疲れシュヴァル」
「はい、よろしく、お願いします」
「うん、こちらこそよろしく」
僕の言葉に、トレーナーさんは優しく微笑んでくれる。
今日は、トレーナー室で今後の予定について話し合う日となっていた。
ただ前々から目標レースの話などはしていたので、時間はさほどかかっていない。
……正直に言えば、少し、話足りない気持ちがある。
窓から外を見てみれば、まだ日は高く、門限まで時間があるのがわかった。
「予定よりも早く終わったね……今日はこれで終わりだから、自由にして構わないよ?」
腕時計を眺めながらのトレーナーさんの言葉に────僕は心の中でがっくりとしてしまう。
出来れば、もう少し一緒に居たい、一緒にお話がしたい。
そうは思っているのだけれど、素直に言葉は出なくて、胸がきゅーっと締め付けられてしまう。
「えっと、その、何かお手伝いできることとか、ありますか?」
何とか搾り出した言葉は、建前で覆われた、素直じゃない言葉。
トレーナーさんは少し驚いたように反応したけれど、すぐに口元を緩ませた。
「心配してくれてありがとう、でも今は差し迫ってないし、俺もすぐ帰るつもりだから大丈夫だよ」
「そっ……そうですか……」 - 4二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:04:05
苦肉の一球は、あっさりと打ち返されて終わってしまう。
それはそうだろう、あんな聞き方をすれば、こういう風に返されるのは当然だ。
誤魔化しているようにも見えないし、多分、素直に話せば、トレーナーさんは応えてくれるだろう。
でも、それが僕には出来ない。
迷惑にならないだろうか、面倒臭いと思われないだろうか、嫌われたりしないだろうか。
きっとそんなこと、トレーナーさんは思わないのがわかっているのに、不安に言葉が遮られてしまう。
ああ、こんな時、ヴィブロスだったら────。
「……シュヴァル?」
「……あっ」
気が付いたら、僕は隣にいるトレーナーさんの服の袖を引いていた。
ぽかんとした様子で僕を見つめる彼の前で、僕の頭は真っ白になってしまう。
何か言わなくちゃ、何か言わなくちゃ。
ぱくぱくと口は開くけれど、何も言葉は出なくて。
それでトレーナーさんは、笑顔で、ただ小首を傾げて僕のことを待ってくれている。
ふと、脳裏に先ほどのヴィブロスと、そのトレーナーさんの光景が浮かんだ。
ああいう風にすれば、僕も素直に、トレーナーさんに甘えられるだろうか。
ああいう風にすれば、トレーナーさんも、喜んでくれるだろうか。
そんな思考が過ぎった次の瞬間には、詰まっていた言葉が嘘のように、口からすり抜けた。 - 5二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:04:19
「トッ…………トレっち……さん」
自身の言葉が耳から脳に届いた時────全身の血の気が引いた。
僕は、一体何を口走ったんだ?
尊敬しているトレーナーさんに対して、変な呼び方を、したんじゃないか?
藁にもすがる思いで、ちらりと、トレーナーさんの顔を見やる。
彼は、きょとんとした表情で、僕を見つめていた。
……うん、これは、やらかしたみたい。
「ちっ、ちが……っ! ごっ、ごめんなさい、これは、その、ですね……!」
袖から手を離して、その手をばたばたと振り回して、僕は慌てて弁明を試みる。
ああ、トレーナーさんは呆れるだろうか、怒るだろうか、失望してしまうだろうか。
彼の反応が怖くなってきて、僕は口を噤み、俯いて、帽子で視線を隠してしまう。
その、直後だった。
「……ぷっ、ふふっ、あはは!」
トレーナーさんの楽しそうな笑い声に、僕の耳がぴくりと反応する。
恐る恐る顔を上げてみると、そこには嬉しそうに笑うトレーナーさん。
今度は、僕の方が呆気に取られてしまう番だった。
やがて、彼は僕の反応に気づいたのか、こほんと咳払いをして笑いを収める。
……口元は、まだ緩んだままだったけど。
「ごっ、ごめんごめん、何かちょっと嬉しくなっちゃってさ」
「……嬉しい、ですか?」
「ああ、君との距離が縮まった気がして、ね? それでどうしたんだい────」
トレーナーさんは、喋りながら何か思いついたようで、にやりと悪戯っぽく口角を上げる。 - 6二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:04:32
「────シュヴァち?」
「……っ!」
その名前で呼ばれた瞬間、僕の顔がかぁっと燃えるように熱くなる。
真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて、慌てて帽子を深くかぶった。
先ほどのトレーナーさんの声が、頭の中で繰り返し、響き渡る。
胸の奥がくすぐったくなるような、むずがゆい感覚。
でも、それは不愉快ではなくて、嫌じゃなくて、むしろちょっとだけ心地が良くて。
……うん、決めた、ここまでやってしまったなら、とことん突き抜けてしまおう。
僕は、トレーナーさんの服の肩の辺りを、そっとつまむ。
ヴィブロスほど近くはないけれど、いつもよりもほんの少しだけ、短くなった距離。
大きく息を吸い込んで、ドキドキと鳴り響く心臓の音を聞きながら、僕は言葉を紡いだ。
「今日は……僕にかまってください…………その、トレっち、さん」 - 7二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:04:58
- 8二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:07:14
(*^◯^*)良いSSをありがとうなんだ
- 9124/02/27(火) 23:22:51
こちらこそ読んでいただきありがとうございます
- 10二次元好きの匿名さん24/02/27(火) 23:35:26
シュヴァちがカワイイ
- 11124/02/28(水) 08:07:55
そう言っていただけると嬉しいです
- 12二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 20:05:20
不器用なシュヴァルちゃんがとても愛おしいです。
- 13二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 20:10:13
- 14二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 20:25:07
それにしてもこのトレーナー、ノリノリである
- 15124/02/28(水) 23:25:29
- 16二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 23:27:03
「……♪」
今日は、妙に足取りが軽かった。
キタさんやクラウンさんから、今日はご機嫌だね、と言われるくらいだったので相当、顔に出ていたんだろう。
脳裏に浮かぶのは、先日の、トレーナーさんとの出来事。
「へへっ」
思わず、頬が緩み、笑みが零れてしまう。
────先日、少しだけ素直になった僕は、トレーナーさんと一緒にお出かけをした。
ヴィブロスのことを言えないくらいにベタベタに甘えて、いっぱい構ってもらって。
……今考えると、顔から火が出るほど恥ずかしいけど、とても楽しかった。
また、そのうち、お願いしたいなあ。
そう考えていた最中であった。
「シュヴァちー♡」
「うわっ! ……ヴィブロス、いきなりくっつかれると危ないだろ」
突然、左腕が柔らかい感触に包まれ、慣れ親しんだ香りが鼻先をくすぐる。
心臓が飛び跳ねる心地だったが、すぐその相手がわかって、僕はため息をついた。
隣には人懐っこい笑顔を浮かべる、リボンで巻かれた青毛のツインテールのウマ娘の姿。
僕の妹であるヴィブロスは、妙にニコニコとした笑顔で、こちらを見つめてくる。
「このくらい大丈夫だよー、もう、シュヴァちはお固いなあ」
「ヴィブロスが柔軟すぎるだけだって……それに腕とか組むのは、僕も恥ずかしいから」
「えー? でもさー」 - 17二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 23:27:19
ヴィブロスは、腕に抱き着いたまま、首を傾げる。
その表情には先ほどの笑みが、ずっと貼り付いたまま。
凄まじく、嫌な予感がする。
しかし、この時点で何をすることが出来るわけもなく、ヴィブロスの言葉を待つ他なかった。
「────シュヴァち、この間、こうしたよね?」
ヒュッと息が止まり、血の気が引いた。
体温が一気に冷え込むような錯覚、全身の動きがピシリと凍り付いてしまう。
それでも何とかヴィブロスの方を見る。
ヴィブロスはニコニコを通り越して、ニヤニヤとした笑顔で、揶揄うような視線を向けていた。
その言葉通り、先日のお出かけの時は、トレーナーさんに腕を組んでもらっていた。
甘えているうちに、ヴィブロスの距離感が羨ましくなって、そこも真似してしまったのである。
でも、何でそれをヴィブロスが知っているのか。
最悪の予想が脳裏に過るが、僕はそれを否定して、左腕の拘束を、無理矢理解こうとした。
「あら、シュヴァル、奇遇ね?」
しかし、それは出来なかった。
フリーだったはずの右腕も、同じように拘束されてしまったから。
良く聞いた覚えのある声に、ヴィブロス以上に慣れ親しんだ香り。
大きく点差の開いてしまった試合の続報を見るような思いで、右腕側に顔を向ける。
そこには、心の底から愉しそうな笑みを浮かべる、青毛のロングヘアーのウマ娘。 - 18二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 23:27:33
「ねっ……姉、さん」
「こないだね、私とヴィブロスでデートに出かけたのよ」
「へっ、へえ?」
「そうしたら、私達の良く知るウマ娘が、大人の男性と腕を組んで歩いていたのよ」
「シュヴァ……あの子、そーゆーのしたがらないから、ちょーびっくり!」
「そそそ、そうなんだ……」
「それで尾行……いえ、奇遇にも行先が同じだったのだけれど、尻尾を巻き付かせたり、身体をくっつけたり」
「お店であーんもしてたんだよねー♡ ああ、でも小籠包でやるのはやめた方が良いよ」
「果てには私達ともなかなか撮ってくれないプリ機まで……ズルいと思わない?」
「どっ、どどっ、どうかな、ぼぼ僕には、わからない、かな」
だらだらと冷や汗が流れる。
それでいて、顔は火が吹くように熱くなってしまう。
もはや逃げ道はない等しいが、一縷の望みにかけて、僕は必死で誤魔化し続ける。
そんな必死の抵抗を嘲笑うように、姉さんとヴィブロスは、悪戯っぽい笑みを、揃って浮かべた。
「だから、少しだけ聞かせてもらおうかと思って」
「だからねー、もっと何があったのか、聞きたいなーって♡」
二人は、僕の両耳にそっと顔を近づける。
そしてピッタリ合わせたステレオ音声で、小さく囁くのであった。
『────シュヴァちと、トレっちさんのこと♪』 - 19二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 23:28:17
お わ り
>>13を参考にした短めの後日談です
- 20二次元好きの匿名さん24/02/28(水) 23:31:59
シュヴァちが幸せそうでよかった
- 21二次元好きの匿名さん24/02/29(木) 00:18:27
シュヴァち…(かわ)いいやつだったよ…
- 22二次元好きの匿名さん24/02/29(木) 02:15:12
めんこい奴よの…
- 23124/02/29(木) 06:47:51
- 24二次元好きの匿名さん24/02/29(木) 08:35:48
ウワーッ!素晴らしいSSをありがとう!
- 25二次元好きの匿名さん24/02/29(木) 10:34:30
同じくシュヴァルの話を書くものとして、何やら見つけたので読ませていただきましたが……この作者さん、かなりできますね……。こちらも精進しなくては。
- 26二次元好きの匿名さん24/02/29(木) 14:00:14
濃厚な内容をいつもありがとうございます
- 27124/02/29(木) 22:17:35
- 28二次元好きの匿名さん24/03/01(金) 10:17:15
- 29124/03/01(金) 21:15:51
推せるよね……
- 30二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 09:13:41
- 31124/03/02(土) 19:47:21
かわいいね……
- 32二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 07:49:13
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