- 1二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:27:31
- 2二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:27:55
ゼウスとか
- 3二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:28:20
スレタイと例が矛盾してるような…
- 4二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:31:35
- 5二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:32:06
ヘズに悪意はないんだ
バルドルが不死身になったことが嬉しかった神々がバルドルに物を投げる遊びが流行ってたんだけど
そこに加わってなかったヘズにロキが「バルドルの不死身を讃える意味もあるんだからやろうぜ」って誘ってヤドリギを射させたんだ
ヤドリギが弱点なのはバルドルの母とそこから聞き出したロキしか知らなかったからヘズはまさかこんなことになると思ってなかった
- 6二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:32:52
- 7二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:35:02
- 8二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:37:13
- 9二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:42:33
万暦帝
- 10二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:43:25
イブ
- 11二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:44:34
嘘とごまかしを与えたヘルメスが悪いよー
- 12二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:44:45
このレスは削除されています
- 13二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:44:58
- 14二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:45:30
ユダ
- 15二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:45:33
- 16二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:47:24
- 17二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:47:58
なんか撃てたから皇太子撃ったセルビア人
- 18二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:53:02
バナナ神話
- 19二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:55:59
人間にとっての最初の「やらかし」ならイブでいいんじゃないの
- 20二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:57:24
いうてもともと神々が人類減らすために大戦争起こそうとしてしパリスいなくてもどっかのタイミングでトロイア戦争みたいなのは起こった気がする
- 21二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 12:57:38
ゴイアニア被曝事故で光る粉の正体に気付なかった人々
- 22二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:00:06
- 23二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:00:33
やらかしで済ますには悲惨すぎるけどやらかしたのは確かだなぁ……
- 24二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:02:25
神々が力を合わせてやらかしをさせる為だけに作った女…
プロメテウスが「(俺が不在の間家に人を)入れるなよ?絶対に入れるなよ!?」って言ってたのに超絶美人が来たら一目惚れして入れちゃうエピメテウス側にも問題があるけど
- 25二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:04:05
ギリシア神話ならミノス王
- 26二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:04:56
いわゆる”バナナ”を選んだ連中
目先の食欲に負けたせいで不老不死を手に入れ損なった… - 27二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:11:09
- 28二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:17:01
- 29二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:17:13
遅かれ早かれな面はあったと思うが、ベルリンの壁崩壊のきっかけのやらかしっぷりは中々のもの
「翌日の公式発表後に規定の場所からの出国を認める」を「今この瞬間からどこからでも出国可能になった」と広報担当が間違って発表してしまったせいで大変なことに - 30二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:22:18
・出入国規定の問題で市民の不満が噴出してて一刻も早く沈静化をしたい状況
・書記長のホーネッカーが失脚したばっかりで政局が混乱してる
・広報担当は出入国問題の会議を途中で退席していて詳細な内容を把握していなかった
・レジュメとして持たされた公開前の資料をマスコミに公開済みだと勘違い
まあやらかしも起きるわな
- 31二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:35:32
- 32二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:37:51
室町幕府は誰が一番悪いかもう分からん
暗殺されて権威失墜やらかした義教も無能すぎてやる気ない方がマシだった義政とかいるし
最初の方でも土岐頼遠の事件とかもし対応間違えたらと考えると - 33二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:38:00
ユダ
- 34二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:40:11
コンホヴァル死後には支持率高い次男が王位辞退して後継いだ長男は相変わらずコナハトとごたごたして早々に死亡
ここまで把握してるけどなんかぐだぐだなまま衰退した感じで滅んだ瞬間は知らないんだ
実際いくつか読んだ本もクーフリン関連や牛捕りメインでそこまでは載ってなかった
フェルグスがコナハト行くほどコンホヴァルに愛想尽かしてなきゃ色々マシだったから大体原因はコンホヴァルのやらかしに行きつきはするんだけど
- 35二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:41:28
- 36二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:44:57
ドリタラーシュトラ
- 37二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 13:48:43
このレスは削除されています
- 38二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:03:41
- 39二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:09:38
- 40二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:14:03
アキレウスの両親の結婚自体ゼウスの計画みたいなもんだし…
神々も巻き込んだ大きな戦争起こして人口減らしたい
→人を巻き込む形でプライドの高い女神同士で諍いを起こそう
→父親より優れた子を生む女神がいたのでテミスは人間にあげてその子は戦場で戦死させたら良いと言う
→では人間とその女神を結婚させてその結婚式にほとんどの神々を呼び盛大なものにしよう
ただし不和を司る女神エリスだけハブれば怒って不和を起こすだろうな
→結果パリスの審判
- 41二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:14:16
- 42二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:20:14
- 43二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:22:55
そもそも日本人はこの前の段階のイザナミによって寿命つけられてるから
- 44二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:27:47
- 45二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:28:40
- 46二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:32:01
こういうの、歴史の場合だとひとつのやらかしに色んな要因あったりするから挙げづらいところあるな
- 47二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 14:34:23
>>38世界一の美女(人妻)はヴィーナス選んだ時の景品な、アテナ選んだ時の景品は必ず戦に勝てる勝利の加護、ヘラ選んだ時の景品は小アジアの支配権。
- 48124/03/02(土) 14:38:00
- 49二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:15:19
アカイア勢がなかなか帰れなくなったのは小アイアスのせいだっけ?アガメムノンだっけ?
- 50二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:22:30
オデュッセウスがポセイドンの息子である1つ目の巨人の目を潰したせい
- 51二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:31:01
趙活とか馬謖やら諸葛恪やらはここ一番でやらかしてあれがなければ…の筆頭格になる
- 52二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:44:36
- 53二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:54:55
あの業界だと一番やらかしてるのは曹操なのかな?
- 54二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:58:13
オーストリアの皇太子殺したアホ
- 55二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 16:59:29
中華史上有数の悪宦官趙高
こいつが始皇帝の遺言を握り潰して胡亥と一緒に暴政の限りを尽くしてなければ秦があんなにアッサリと滅びることはなかった - 56二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:15:02
顔は別に悪くなかったけどお母さんそっくり過ぎたから拒否した説もある
- 57二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:18:19
- 58二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:32:19
日本では知名度の低いビザンツ帝国史だけど、千年帝国を大きく傾けたという点でアンドロニコス・ドゥーカスのやらかしは大きいと思うんで紹介させて欲しい。
アンドロニコス・ドゥーカスは11世紀のビザンツ(東ローマ)帝国の有力貴族ドゥーカス家出身の将軍。
前皇帝の親族で、現皇帝(ロマノス4世)と政治的に敵対していたこともあって、トルコ軍との戦いで、皇帝の足を引っ張るために勝手に撤退した。
結果、帝国軍は総崩れとなり、ロマノス4世は捕虜となり、帝位はドゥーカス家のミカエル(アンドロニコスの従兄弟)のものとなって
アンドロニコスの企みは一見、上手くいったかのように思えた。
だが、これがきっかけになって、トルコ軍そっちのけで、前皇帝(ロマノス)派と新皇帝(ミカエル)派の大内乱が勃発。
内乱によりトルコ軍のアナトリア半島(現トルコのアジア部分)侵攻に対する組織的な防衛が不可能になったのを始め、
中央の統制が失われたことで辺境の軍閥は半独立状態に、対トルコ戦に雇っていた傭兵団は給料未払いにを理由に都市を勝手に占領するわ、
自領防衛の不可能を悟った地方貴族達は生き残りをかけて帝都に攻め上ってクーデターを起こすなど帝国内はカオスな状態に陥った。
(続く) - 59二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:33:23
(続き)
この過程でロマノス4世はアンドロニコスに、アンドロニコスは傭兵団に破れ、その時の傷が原因でそれぞれ死亡、ミカエルはクーデターで帝位を追われた。
完全無防備になったアナトリアの諸都市は、自営のためにやむを得ずトルコ人を領主として迎え入れざるを得なくなった。※トルコ人は自力で都市を落とせるだけの攻城兵器を持っていなかった。
こうしてトルコ人以外誰の得もないまま、ローマ帝国以来一千年のアナトリア支配は終わりを告げた。
後にコムネノス朝が沿岸部の奪還に成功するものの、ビザンツ帝国がアナトリア全土の統治を回復することは二度となかった。
これ以降もしばらくビザンツ帝国は続くが、アナトリアは帝国のマンパワーの供給地であり、アナトリアの喪失は軍事大国としてのビザンツ帝国の終わりに等しかった。
ちなみに、アンドロニコスの娘がアンナ・コムネナ(女性歴史家として有名)のかーちゃんです。 - 60二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:36:59
このレスは削除されています
- 61二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:40:12
- 62二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:43:38
- 63二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:47:13
- 64二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 17:47:55
趙高は秦を滅ぼすためにわざと暴政を行った説があるくらいだからスレの趣旨的には李斯の方を推す
始皇帝の右腕として統一戦争から統治まで支えるも趙高の「扶蘇様が即位したら貴方失脚しますよ?」の甘言に屈して胡亥擁立に協力してしまう
保身のためとはいえ決して秦に対して悪意があったわけじゃなかったのに結果として帝国滅亡の片棒を担いでしまうことに
- 65二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:11:00
あれは可哀想ではあるけど自業自得のミスを誤魔化そうとしてウソついたんだから悪党だろ
- 66二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:19:28
説明を入れた方がいいというのは確かなので
>>22で書いたラオメドンについて紹介
ラオメドンはトロイアの王でゼウスの子孫の一人
当時のトロイアはゼウスのお気に入りで都市イリオスにパラディオン(アテナ自身が彫った強力なアテナの守護神像)を与えてる
さて当時のギリシャではゼウスにポセイドン、アポロン、ヘラが反旗を翻したは良いもののあっさりと鎮圧されて特にポセイドンとアポロンは一時的に天界から追放された
しかしここで問題があり二柱の生存や復職を考えれば神の食べ物を与えなければいけない
ただし甘やかすわけにもいかないため何らかの労働をした報酬として与えなければならなかった
ここでゼウスは「折角だしイリオスにいいプレゼントをあげよう」と思いつく(続く)
- 67二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:20:46
- 68二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:26:50
(続き)
ということでポセイドンとアポロンはゼウスの命令でイリオスで働くことになった
仕事内容はポセイドンは城壁の建築、アポロンは家畜の世話(神の手で作られた城壁は絶対に破れない類のもの)
そしてついに1年の追放期間を終えるくらいで城壁は完成したんだがここで問題が発生した
なんとトロイア王ラオメドンは二柱の神に対して報酬を渋ったのだった
これにはポセイドンもアポロンもブチギレ、ついでにアテナもブチギレ、ゼウスも立場上お気持ち表明はしなかったが内心完全に見限った
その結果として城壁も完全ではなくなり、木馬という奇策やヘラクレスの弓などが必要とは言え絶対の城壁ではなくなってしまった
またポセイドンとアポロンはそれぞれ怪物と疫病でイリオスを苦しめる神罰を敢行し特にポセイドンはトロイア戦争の際も根に持ちまくって積極的にトロイア勢が不利になるよう干渉している
ちなみにポセイドンの放った怪物はヘラクレスが倒したがまたしても報酬を渋ったためヘラクレスに城攻めを仕掛けられて最終的にトロイアは一度目の陥落を迎えてラオメドンは殺された
反省心というものはないのかお前には - 69二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:32:42
アッシリア帝国の名もなきとある将軍
まず当時のアッシリア帝国は最盛期の王だったアッシュールバニパルが亡くなって衰退期に入っており、王になっていたシン・シャル・イシュクンも即位直後に宦官に反乱を起こされるなど混乱が続いていた
そんな中、幾度もアッシリアから独立しようと反乱を起こし続けていたバビロニアでナボポラッサルによる新たな反乱が勃発し、バビロニアの中心部であるバビロン市やウルク市がアッシリアの手から離れた
更に鎮圧に来たアッシリア軍を撃退したナボポラッサルはバビロン王に即位し、新バビロニア王国を建国してアッシリアから完全に独立した
新バビロニア王国の建国に加えて、これまで無敵を誇っていたアッシリア軍が敗れたのを見たバビロニアの他の都市や属国が相次いで離反するなど、アッシリアは危機的状況に陥っていた
ただ、これまでもバビロニアがアッシリアに反乱を起こして一時的に独立することは何度もあったため、シン・シャル・イシュクンや当時のアッシリア人がどこまでこの状況に危機感を抱いていたかは疑問が残る
実際シン・シャル・イシュクンは自らを軍を率いてウルク市は陥落させており、統治基盤を固めきっていないナボポラッサルの反乱がアッシリアに鎮圧されるのも時間の問題…………かに思われた
そんな中、とある(おそらく王族の)アッシリアの将軍が帝国の首都であるニネヴェで反乱を起こした
シン・シャル・イシュクンは主力軍の大半を自身と共にバビロニアへ、残りを反乱続きで統治の怪しくなっていた帝国各地に分散させており、首都を守っていたのは王への忠誠心の薄い急増の軍しかいなかった
そのため首都防衛軍はほぼ無抵抗のままこの反乱者をアッシリアと認めてその配下に降ってしまう
……簒奪者が首都を占領したこの状況を放置してバビロニアの反乱を鎮圧するという選択肢は、当然シン・シャル・イシュクンにはなかった
バビロニアへの遠征を中止し、首都ニネヴェに進軍したシン・シャル・イシュクンは見事簒奪者を敗死させてアッシリア王の玉座を守り通すことができた
……しかし、それは同時にナボポラッサルに権威の確立とバビロニア全土を統一させる時間を与えてしまうという致命的な隙を産んでしまったことに他ならなかった - 70二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:32:42
- 71二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:32:52
最終的にナボポラッサルが率いる新バビロニア王国と、ほぼ同時期に独立を果たしていた新興のメディア王国に攻め込まれたアッシリア帝国は、聖地アッシュール、首都ニネヴェ、王であるシン・シャル・イシュクンの首……そして、独立国家としての地位――その全てを奪われることになる
この名も残っていないアッシリア将軍がどのような人物かは全く分かっていない
しかし、一つ確実に言えるのは、彼は正当な王であるシン・シャル・イシュクンの破滅は願ったかもしれないが、自らが欲した「世界帝国アッシリア」の滅亡までは当然望んでいなかったことくらいであろう
だが、結果的に彼は自らの100日余りの王位を手にした代わりに、1000年以上続いたアッシリア人の歴史を終焉させる最後の引き金を引いてしまったのである
- 72二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:40:29
- 73二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:41:15
パリスのあかんところは
その審判でアフロディーテを選んだことで世界一の美女を景品とし、ヘレネーを手に入れたが
旦那のメネラオスの財産ごと奪い、メネラオスが返してと交渉に来たのに殺すつもりで追い返したこと
これでトロイア戦争が起こってしまったわけだが
途中でメネラオスとパリスの一騎打ちでこの戦争をもう終わらせよう
ってなったのに敗北して兜を掴まれ引き渡されそうなところを別の奴がメネラオスを矢で射って殺しかけ有耶無耶になった
兄ヘクトールが戦死した時も兵たちがパリスの方が良かったのにと愚痴られるくらいの人望の無さで
最後はピロクテテスに射られたや傷を前に捨てた奥さんなら癒せると縋ったが断られる
- 74二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 18:44:49
国の歴史って読む方も専門化し易いから興味の無い国の歴史って中々手が伸びないのよね
わかりやすく説明してくれてタスカル - 75二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:02:46
- 76二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:06:15
九品官人法を作った陳羣
地方の有力者が中央官僚のリクルートをして派閥地獄になった漢の時代の悪癖をなんとかするため中央官僚が地方に行ってリクルーターをした結果、よくわからんから地方の有力者のいうことをそのまま間に受けて人材採用してより地方出身者の派閥化が加速した稀代の悪法
元々は人事を政府主導にすることでマトモな能力の人材を確保しようとして全部真逆に進んでしまったという悲しい実例 - 77二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:19:46
信長が現代人目線だと普通に部下を気遣ってくれるタイプと判明して尚更なんなんだよお前…ってなったやつ
- 78二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:21:19
上杉房能
上杉の苗字を聞いてピンと来た人もいるかもしれないがこの人は山内上杉(関東管領上杉家)の有力分家の一つ、越後守護上杉家の当主で守護大名。
ちなみに当時の山内上杉家当主(関東管領)はこの人の兄(上杉顕定)が本家の養子になって継いでいるため非常に結びつきが深く、当時の山内上杉と分家・扇谷上杉家の関東の覇権争いでは守護代である長尾能景(上杉謙信の祖父)を送って決戦で負けた顕定を逆転勝利に導いているなど上杉一門としてかなりの活躍を見せていた。
立河原の戦い - Wikipediaja.wikipedia.orgある時能景は越中守護の畠山氏の要請で越中の一向一揆討伐に向かうこととなり越中守護代の神保慶宗と共同でこれにあたることとなった。
一揆軍と長尾勢が決戦しようとしたその時、突如要請した側の神保慶宗が裏切って一向一揆側についたのである。
このため長尾勢は一揆+神保家と挟撃され、最終的に能景は戦死してしまうこととなった。
さてここからが房能のやらかしとなるのだが元々能景と房能はたびたび対立することがあり、今回の能景のピンチに対して主君である房能は援軍を派遣しないことを決定する。
能景の後は息子である長尾為景が継ぐこととなったが彼は主君房能に上記の件でブチ切れており、房能に謀反を行い最終的に打ち取ることに成功する。
この為景の行いにマジギレしたのが房能の実兄、関東管領上杉顕定で大軍をもって越後へ侵攻し為景を一度は打ち破り越中へ追放することに成功する。
しかしそれから1年後、再び越後へ戻ってきた為景に敗北しまさかの戦死を遂げてしまう。
顕定の後は古河公方(関東公方)足利成氏の息子で顕定の養子であった上杉顕実が遺言もあり山内上杉家を継ぐものの、
山内上杉家の分家出身で同じく顕定の養子となっていた上杉憲房がそれに反発、上杉内部で抗争することになり山内上杉家の勢力が弱体化してしまう結果となった。
家臣との仲たがいから本家含めて北陸、関東一円の戦乱を巻き起こしてしまったお話……だけで終わらない(続く)
- 79二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:23:08
- 80二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:26:13
- 81二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:28:26
NATOにウクライナが加盟することで生じる前線負担を阻止しようとした結果、北欧が全部最前線になったおじさんがなんだって?
- 82二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 19:42:49
続き
さて房能が戦死した後、越後守護上杉家は分家から上杉定実という人を為景が担いで当主とすることで存続した。
この定実という人には跡継ぎとなる息子がいないためあるとき隣国の大大名である伊達家から養子をとろうという話になり当時の伊達家当主、伊達稙宗も越後に影響力を持てると非常に協力的であった。
しかしながら長尾家他越後国人内部でもこの決定には非難が多く、それらに対抗するため稙宗は家中選りすぐりの武士百人を同時に派遣することを決定する。
さあこの決定に対して稙宗の嫡男・晴宗と伊達家家臣団がブチ切れた。
というのも当時の伊達家は婚姻政策の結果周辺の有力国人、大名に片っ端から養子を送り込むor縁を結び過ぎて全員親戚で家臣の領地を増やすことができない状態に陥ってしまっていたのである。
ここで貴重な(ほぼ唯一の)進行先である越後まで失ったら家臣としては生活が困窮してしまうだけではなく、家中の精鋭を派遣することによる伊達家自身の武威の低下を懸念していたという事情もあり晴宗は稙宗を軟禁し強引に家督を継承しようとする。
家臣の手引きで稙宗が逃亡しここに東北中南部から北関東にかけての非常に広い範囲の戦乱兼東北の戦国時代を告げる大戦、「天文の乱(洞の乱)」が勃発することになる。
天文の乱 - Wikipediaja.wikipedia.orgちなみに詳細はここでは省くが結果的に伊達晴宗側が勝利し越後上杉家は跡継ぎなく断絶、最終的に国主の座と山内上杉家の家督全てを上杉謙信(能景の孫)に奪われてしまう結果となった。
家臣との仲たがいの結果自身の立場も本家も何もかも失い、東北の戦国時代幕開けのきっかけとなってしまったお話でしたとさ。
- 83二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:00:09
新王朝の重鎮である王邑
新王朝は項羽と劉邦で有名な漢王朝(前漢)……を王莽が滅ぼして生まれた国であった
王莽はそれ以降の中華帝国=儒教国家の仕組みを作り上げるなど、決して無能なだけの人物ではなかったが、あまりに理想主義的かつ現実を見ていない政策(例、外国への行き過ぎた差別、土地所有の制限など)を行った結果、建国して10年余りしかにも関わらず、各地で反乱が起こっていた
その中でも特に大勢力に発展していた反乱軍の一つが、後に更始帝と呼ばれる漢の皇族をトップにした緑林軍であった
王邑は皇帝である王莽の従兄弟である皇族であり、三公と呼ばれる皇帝に次ぐ権力を誇る臣下のトップの一人でもあった
彼は王莽が漢の臣下であった時代から彼に仕えていた腹心であり、当時漢から王莽を除こうと反乱を起こした有力者を鎮圧するという戦功もいくつか上げていた
つまり、彼は決して軍事に対して素人ではなかったのだ
そんな彼が王莽により緑林軍征伐の司令官の一人に任命されたのは当然の流れであった
王邑は同じく三公であった王尋と共に公称100万(実際は50万未満)の大軍を率いて緑林軍征伐に向かった
……しかし、戦の経験もあるはずの王邑はこの戦いで数々のミスを犯した
彼らは63人もの別流派の軍師を軍に招き、多数の猛獣を引き連れ、更に宝物の数々も積み込んでいたため、進軍速度が遅く、おそらく意思決定も上手くいかなかった
更に王邑は緑林軍に包囲されていた大都市の苑の救援ではなく、昆陽という一都市の奪還に全軍を差し向け、おまけに昆陽からの降伏の願いも黙殺して包囲を続けて時間を浪費した
そして包囲中のある夜、反乱軍の一部が昆陽から脱出した
逃げ出せたのは僅か13騎
おそらく王邑たちは気にも留めなかったであろう
しばらくして脱出した13騎の反乱軍が援軍を連れて戻ってきた
それでも数は僅か3000余り
公称100万の王邑たちに比べると雀の涙に等しい
王邑たちはあざ笑うかのように自ら1万の兵を率いて、援軍に来た反乱軍を蹂躙しようと馬を走らせた
……数時間後、そこには王尋を討ち取られ、援軍と昆陽の反乱軍に挟撃されて、命からがら戦場を離脱する王邑の姿があった
公称100万の軍を率いた偉大なる新の将軍は、僅か数千人の敗残兵と共に首都長安に帰還したのだった - 84二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:00:55
- 85二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:01:24
(続き)
……さて、ここまでだと王邑は新の破滅を招いた疫病神である
実際にそれは間違っていない王邑が新の主力軍を壊滅させたことが新崩壊の大きな要因になったのが間違いないのだから
しかし、彼は無能だったかもしれないし、数々の失敗を犯したかもしれないが、決して悪意を持ってこの惨状を招いたわけではなかった
それは彼の最期が雄弁と物語っている
このような言い訳もできない大敗を犯した以上、もはや自分の命運を決まっている――おそらく昆陽から敗走した王邑もそう思っていたに違いない
しかし王莽は王邑を罰しなかったどころか、三公の別の役職に改めて就けるなど王邑を重用し続けた
この時の王邑の胸の内は推して知るべしである
そして、ついに反乱軍が新の首都長安を包囲した
王邑は自ら兵を率いて首都防衛のために戦った
昼夜を問わずに戦い続け、首都から逃げようとした息子を叱り飛ばして連れ戻し、また反乱軍と戦った
……しかし、勢いに乗る反乱軍に対して、主力軍を失っている新では最初から勝機はなかった
ついに城壁を突破された王邑は息子と共に皇帝の護衛に着いた
王莽の首を取ろうと反乱軍が群がる中、王邑とその息子は剣振るって戦い続けた――自らの命を落とす、その瞬間まで
――その日、長安から戦火の煙が立ち上る中、”簒奪者”は八つ裂きにされた
その傍らには最後の最後まで忠誠を誓って戦い続けた――王朝崩壊の戦犯の遺体が、転がっていた
- 86二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:09:34
キリストを処刑してなかったらキリスト教がここまでになってなかっただろうなっていう妄想をしたことならある
- 87二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:18:15
なんつーか…時代のうねりにはどんな名将も呑まれるだけって感じだな
- 88二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:22:12
- 89二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:23:00
- 90二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:31:42
ギネヴィア本人がアルスター神話に出てくるわけじゃない
ランスロット&ギネヴィアとよく似た騎士と王妃の不義の恋の物語が一応より古い世代設定のコンホヴァルの物語にもあるという話
アルスター神話:コンホヴァル(王)-ノイシュ(王の部下)-ディアドラ(王妃)
アーサー王物語:アーサー(王)-ランスロット(王の部下)-ギネヴィア(王妃)
ついでにアルスターの後の世代のフィオナにも「フィン-ディルムッド-グラニア」という類型もあり
ただなんとなく時代が下るごとに王-騎士-王妃の間でのやらかしや同情割合がちょっとずつ違う気がする
比較すると、人によってはギネヴィアやグラニアを悪女と呼んでも多分ディアドラは悲劇の存在と言われるだろうという印象
コンホヴァルは最初は良かったけど一旦許してからえげつなく殺しにかかって他の有力部下の信用まで失った件が痛い
- 91二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:36:44
ここまで上がってるのに比べたら小さいかもしれないけど
馬謖が街亭の守りをきっちりしていたら魏と蜀のパワーバランスはどうなっていたんだろうな - 92二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:40:05
挑発されたからって戦争すんなや子供か
- 93二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 20:41:43
- 94二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 21:16:14
- 95二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 21:24:06
- 96二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 21:37:59
中国の春秋時代前期、周王朝に桓王と呼ばれることになる王が即位した
この当時、周王朝は往年の力を失って衰退していた
周王は天帝の息子の”天子”であり、天から世界全土を支配することを認められた唯一の存在である――という建前も今や空しく、周王の家来であるはずの諸侯たちすら統制するのが難しくなっていた
桓王の祖父である平王は周の混乱の中で諸侯に擁立されており、彼は自らの分を――すなわち諸侯たちの神輿であるということを――弁えて50年に渡る治世を比較的平穏に終えた
……そんな祖父の姿を若い桓王がどう見ていたかなど、火を見るより明らかであった
即位した桓王は諸侯の力を削り、王権の再強化に向けて邁進した
弱ったとはいえ周王は諸侯たちの君主であり、この時はまだ全盛期の周王朝の時代が遠くに過ぎ去ってはいない時だった
諸侯たちも程度の差こそあれ周王に畏れや敬意を表していた
桓王の政策は上手くいくかと思われた
……しかし、それはある諸侯の存在により頓挫する
鄭に荘公という諸侯がいた
荘公は有能な君主であり、弟との内戦を勝ち残り、小国ながら諸侯の第一人者として頭角を表していた
そんな荘公がある時、鄭の領土を超えて周の領地にある穀物を勝手に収穫したため、桓王が激怒して荘公の周の朝廷内での役職を罷免した
自業自得であるにも関わらず荘公はそれに不満を抱き、以後桓王の元に参朝しなくなった
この時、桓王はもしかしたらチャンスだと思ったかもしれない
「臣下の身を弁えず王に逆らった鄭を征伐して見せしめにすれば、他の諸侯も自分を畏れて王の権威を取り戻すことができるかもしれない」
桓王は鄭の遠征を決め、諸侯に号令をかけた
集まった諸侯は蔡や衛など小国ばかりで、晋や斉などの有力な諸侯は事の推移を見守っていたが、桓王は満足だった
「晋などが集まらなかったのはそれだけ鄭の影響力が大きいということ。逆に言えば、鄭を除けば晋や斉も自分に従うしかないということだ」
鄭に味方する諸侯はなく、戦いは周とそれに従う衛、蔡などの連合軍 VS 鄭一国という圧倒的な兵力差となった
おそらく、桓王は戦いの前から勝利を確信していたことだろう
――そして、桓王は敗北した - 97二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 21:38:42
(続き)
鄭は領土こそ小さかったが、当時の先進地域に城を構え、更に名君である荘公の元ですでに数多くの戦いを潜り抜けた精鋭の兵が集まっていた
鄭の猛攻の前に、周、衛、蔡、虢、陳の各軍は崩壊し、更に桓王自身も戦場を脱出するしかなかった
……こうして周の力は完全に失われた
有力者とはいえ、本来なら一臣下に過ぎない鄭に君主である周王が敗北する‐―その事実はあまりにも重すぎた
もはや周王を軽んじようが、勝手に他の諸侯を滅ぼそうが、周には何もできない……その事実が知れ渡ってしまったのである
以後、周王朝は秦に滅ぼされるまで450年ほど続くが、全国王朝としての周はこの時に完全に滅んだ
桓王は軽率ではあったかもしれないが決して暗愚でもなければ、増してや酒や女などの享楽に溺れて国を傾けたのではない
ただ、一心不乱に王としての権威を再び確立しようとして――その結果、王の権威を致命的なまでに失墜させてしまっただけである
なお、桓王が鄭に敗れた時に、鄭の将軍は敗走する桓王を見ながら追撃を進言したが、荘公はそれに取り合わなかった
「――それは偉大なる天子に対して、あまりにも無礼であろう」
荘公は部下に対してそう語ったという
……それは、あまりにも皮肉な一幕だと言えよう
- 98二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 22:14:07
- 99二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 23:29:36
- 100二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 23:36:22
知恵の実食ったアホ
- 101二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 23:42:38
- 102二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 23:43:24
あわわっ、ホンモノが来とるやん
- 103二次元好きの匿名さん24/03/02(土) 23:45:12
ロ シア自体がユーラシアに跨がる立地と国力と、独裁的な体質からそういう存在を産みやすいと思う
- 104二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 00:04:33
- 105二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 00:04:53
ありがとう。「事実は小説よりも奇なり」の最低な例を知れた
- 106二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 00:23:14
- 107二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 00:26:55
ビザンツの三重防壁の鍵を閉め忘れた人
まっこれがあろうがなかろうがビザンツは滅んでたんだろうけど - 108二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 00:39:58
このレスは削除されています
- 109二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 03:54:14
自らの管理不行き届きを棚上げしてエデンから人間を追放した神はメンヘラに違いない
- 110二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 06:54:56
アレクサンドリア図書館を焼いた奴ら
- 111二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 07:59:55
善意もヘチマもなくやらかした例をあげるのはやめれ
- 112二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 09:27:18
机上の空論の趙括
中国戦国時代の趙に趙括という”天才”と呼ばれた若者がいた
彼は強国である秦をも退かせた超の名将、趙奢の息子であり、幼い頃より兵法書をよく好んで読んでいた
時として名将である父親すら論破するほど兵法に明るく、その将来を期待されていた――先見の明がある者を除いて
ある時、秦と趙との間で領土を巡る争いから戦争が起こった。
趙軍を指揮するのは趙奢と同じく名将と呼ばれる廉頗だったが、圧倒的な国力を誇る秦軍の前に廉頗でさえ野戦では敗れ、籠城するのが精一杯の状況だった
二年もの間、秦と趙は睨み合う状況が続く中、趙では「秦が趙括を恐れている」という噂が流れた
二年という長期戦、しかも初戦では秦に敗北している状況に業を煮やしていた趙王は、周囲の反対――その中には名臣藺相如や趙括の母親すら含まれていたが――を押し切って廉頗を更迭し、次代の期待の星である趙括を代わりに将軍に任命した
ほぼ初めての実戦であるにも関わらず、趙括に恐れや迷いなどは一切なかった
彼は尊敬する名将の父親ですら兵法論議で論破しており、自身の才に絶対の自信を持っていた
王様より賜った将軍就任祝いを使って国の土地を買い荒らすほどの余裕すら、今の趙括にはあった
さて、前線に出た趙括はまずは前任の廉頗が敷いていた”全く兵法の教えになっていない”陣形を、兵法書通りのものに変更した
恐らく、兵法の信奉者である趙括の目には、老将が敷いていた陣はひどく滑稽なのものに映っていたことだろう
更に趙括は秦の陣を見ながらこう考えた
「秦軍は趙軍よりも数で劣っていて、おまけに持久戦で疲れ切っている。今、一気呵成に攻めれば必ず勝てる――!」
意を決した趙括は40万の全軍を率いて出陣した
二年もの沈黙を破って出撃してきた趙の大軍の前に、秦軍は抵抗すらままならず撤退した
趙括は初めての実戦でここまで自分の思う通りに事が運ぶことに興奮しながら、逃げる秦軍を追いかけた
「父と比較して自分を認めなかった奴らに、これでようやく自分の価値を認めさせることができる――!」
……もしかしたら、若き将軍の頭にはこんな考えも過ったかもしれない
しかし、残酷なことに、ここまでの流れは全て秦の予定調和であった
秦が趙括を恐れているという噂も、秦の軍が疲れ切っているように見えたのも、あっけなく秦軍が後退したのも……全て、秦の策洛であった - 113二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 09:27:39
趙括が深追いしている間その後方では秦の別動隊が趙軍の退路を塞いだ
それとほぼ同時に無様に逃げていたはずの前方の秦軍も反転して反撃を開始した
――趙括が気づいた時にはすでに大勢の味方が討ち取られ、あまつさえ自分達が秦の大軍に包囲されているという絶望的な状況であった
それでも趙括は諦めなかった
46日もの間食料もないまま包囲され続け、味方の兵がどんどん飢え死にし、残った兵が死んだ味方の肉を喰らって飢えをしのぎ、趙括や彼が率いる精鋭すら弱ってもなお、彼は諦めなかった
彼は趙の将軍である
祖国のためにも、どれだけ絶望的な状況を迎えても一片の可能性がある限り、降伏するという選択肢は彼にはなかった
……もしかしたら、そこには若さ故の蛮勇も含まれていたかもしれないが
しかし、例えそうだとしても趙括は決して望んでこのような状況を作ったわけではなかった
例え机上の空論だろうと、実戦経験のない頭でっかちな考えだろうと、趙括は――間違いなく自らの名声のためでもあるが――祖国趙の勝利のために、自らが最良と考える戦術を取ったのは疑いようもない
彼はあくまで自らの善意でこの状況を作っただけなのだ
生き残った趙軍20万の内、比較的元気な兵をかき集めた趙括は、最後の力を振り絞って秦軍に突撃した
この破れかぶれに見える突撃が、秦の包囲を突破して形勢を立て直すためだったのか、それとも秦軍を率いる将軍、白起を討ち取って一発逆転を狙うためだったのか……それはもう誰にも分からない
……一つだけ言えることは、この最後の反転攻勢は秦からの矢の雨嵐により、あっけなく失敗に終わったことくらいだろう
長平の戦い
この戦いで趙は40万もの大軍を失ったことで致命的な打撃を受け、衰退への道を進んだ
そして、趙括は歴史書に”趙を滅亡に導いた無能な将軍”として名を残すことになった
後世に趙括を父の趙奢より優れていると称した者は……ただの一人もいはしない
- 114二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 09:34:23
- 115二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 09:39:39
いくらなんでも後付けっぽくすらある賢明さよね
- 116二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 09:39:53
でも「趙括が失敗しても一族は許して」の願いがあったから三国志の馬超というDQn……名将が生まれたし……(震え声)
- 117二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 13:28:56
アッシリアでもう一つ善意のやらかしを紹介
――アッシリアの偉大なる王エサルハドンは悩んでいた
彼にはシャマシュ・シュム・ウキンとアッシュールバニパルという二人の後継者候補の息子がいた
シャマシュ・シュム・ウキンの方が年長だったが、(おそらく)彼は正妻ではない庶子であり、後継者としての正当性にケチが付いた
このままでは後継者争いに発展する――自らも兄弟との内戦を勝ち残って王位に就いたエサルハドンは、そのことがよく分かっていた
――しかし、エサルハドンも王である以前に一人の父親であった
どちらの息子にもできるだけ幸せな人生を送って欲しい――そのような子を持つ親としての当然の愛情があったのである
そこでエサルハドンは奇策に出た
アッシュールバニパルを次期アッシリア王に指名しながらも、兄であるシャマシュ・シュム・ウキンも同時にバビロン王の後継者に任命したのである
この時点でバビロン市はアッシリア帝国に征服されており、エサルハドンはアッシリア王であると同時にバビロン王も兼ねていた
そして、バビロン市はアッシリアから見ても歴史があり、敬意を表すに足る偉大な都市でありながら、同時に幾度も反乱を起こすという歴代アッシリア王の頭痛の種でもあった
「こうすれば息子たちも殺し合わずに済み、そして属王とはいえ自らの王を持てるバビロン人も満足するであろう……」
”父”と”王”という二つの異なる視点で考えた奇策だったのだ
「シャマシュ・シュム・ウキンよ。お前は弟であるアッシュールバニパルを王として認め、生涯忠誠を誓うのだ」
「そして、アッシュールバニパルよ。お前は兄を尊重し、バビロニアのことはバビロン王である兄に自由にさせるのだ」
――偉大なる王エサルハドンは生前に息子たちにそう誓わせ、やがて遠征中に病気で亡くなった
精神的に不安定な面もあったエサルハドンだが、おそらく息子たちの将来については不安なく逝くことができただろう
……エサルハドンの視点では、だが - 118二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 13:32:07
アッシリアの最後の偉大なる王であるアッシュールバニパルが即位した時、兄であるシャマシュ・シュム・ウキンもバビロン王に即位して弟に忠実に仕えるようになった
……しかし、バビロニアを含むアッシリア全土に直接影響力を持てないアッシュールバニパルにとっては、この”属王”の存在は疎ましいものがあった
彼は少しづつ兄の権力を削ろうと画策し、それに伴いバビロニア各都市の太守はバビロン王であるシャマシュ・シュム・ウキンではなく、本来の王であるアッシュールバニパルに従うようになっていた
だが、シャマシュ・シュム・ウキンは耐えた
ここで逆らっても勝ち目がないと思ったのかもしれない。アッシリア帝国を二つに割るのを良しとしなかったのかもしれない。……あるいは、父の言葉を思い出し、兄弟での仲たがいを避けたかったのかもしれない
理由はどうあれ、シャマシュ・シュム・ウキンはこの従属的な立場を16年間もの間耐え忍んだ
しかし、バビロニア全土に弟の密偵が目を光らせ、自分の命令がどんな細かいものであれ弟の許可がなければ発することができず、そしてアッシリア人の臣下が自分の存在を軽んじる現状に……ついにシャマシュ・シュム・ウキンは耐えきれなくなった
そして、シャマシュ・シュム・ウキンはバビロン人の支持のもと”アッシリア王”に対して反乱を起こした
反乱はバビロニア全土に広がり、エラムなどの周辺国もアッシリアを弱体化させるチャンスだと目を光らせて介入してきた
流石のアッシュールバニパルもこの大規模な反乱には手を焼き、南バビロニアの太守に自らに寝返るよう手紙も出していた
……しかし、所詮は無謀な試みだった
頼りにしていた強国エラムはアッシリア軍に敗れ、バビロン市は2年もの間包囲され、バビロン人は飢えに苦しんだ
反乱の発生から3年が経ちついにバビロン市が陥落した時、バビロン王は自らの宮殿に火をつけて家族と共に運命を共にした
この3年にも及ぶ内乱はアッシリア帝国の国力を著しく消耗させ、研究者によってはアッシリア帝国崩壊の遠因をこの兄弟喧嘩に求める者さえいるほどである
また、バビロン人はこの幾度目かも分からない反乱失敗により、更なるアッシリアへの憎悪を抱くことになる
――その憎悪はそれから約20年後にナボポラッサルという男により爆発することになるが、それはまた別の話である……
- 119二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 13:32:39
エサルハドンは偉大なる王であった
しかし、彼は息子への愛情が強かった故に選択を誤った
彼の誤った選択は帝国だけでなく、自らの息子にも暗い運命を与える結果となってしまったのだ
最後にアッシリア軍に包囲されている中でシャマシュ・シュム・ウキンが絶望と共に神に祈りを捧げた文章を紹介して終わりたい
『余は昼夜を問わずハトの如く慟哭する。余は自らを哀れみ、余はただ嘆く。我が瞳から涙が落ちるのを止めることは適わず――』
- 120二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 14:17:15
- 121二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 17:29:02
洪武帝は若く軟弱(洪武帝視点)な孫の建文帝ために功臣を粛清しまくった
……がそのせいで永楽帝が反乱を起こした時に有能な将軍がほとんどいなくて建文帝が敗北する大きな要因になってしまった - 122二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 20:08:10
前漢の宣帝も息子の元帝が儒教に必要以上にのめり込んでいたから真剣に廃太子を検討したけど
自分が皇族から外されて庶民として暮らしてた頃から苦労を共にした妻の忘れ形見だったから
聡明そうな孫の存在もあってそのまま元帝を皇太子に留めた
……で即位した元帝は案の定儒教の教えに従った現実にそぐわない政策を行って国を混乱させたり
王皇后を娶ったばかりにやがて親族から王莽が出て来たりと前漢滅亡の要因になってしまったというね……
(元帝が儒教の教えに従っている者を朝廷で出世できるようにした結果のちに王莽が台頭してくる要因になってるし)
情がないよりは当然あった方がいいんだろうけど支配者たる者 時として情を廃した決定が必要な時もあるという悲しい話
- 123二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 20:16:52
個人的には宣帝は前漢で最も優れた皇帝だと思っているけどその息子はワーストレベルという…
- 124二次元好きの匿名さん24/03/03(日) 22:00:24
- 125二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 07:30:06
- 126二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 07:53:33
武霊王「太子に立ててた公子章よりも、その弟の公子何の方が可愛くなったなぁ……。よし! 公子何を次代の王にして、ワシも隠居するか!(実権を手放すとは言ってない) 公子章は廃太子ね」
公子章「え……?」
公子何(恵文王)「やったぜ」
↓
武霊王「うーん……思えば公子章には可哀想なことをしてしまった。よし! 公子章に代の土地を与えて慰めてやるか!」
公子章「ありがとうございます!」(……諦めてたけど、これワンチャン趙王にもなれるんじゃね? よし、反乱起こすか!)
↓
公子章「うわーん! 反乱に失敗しちゃったよぉ! 父上ー! 匿ってー!」
武霊王「おーよしよし。ワシの館で匿ってやるからなー。な、こうやって公子章も反省しているから、許してやってくれんか?」
恵文王「許すわけねーだろ!? このまま父上の館ごと包囲して逃げれないようにしてやる!」
↓
公子章「かゆ……うま……」(餓死)
武霊王「の、のぉ……公子章も死んでしまったし早く包囲を解いてくれんか……?」
恵文王「嫌です」(ここで包囲解いたらアンタに何されるかわかったもんじゃねーだろうが!)
武霊王「そ、そんな……」(餓死) - 127二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 08:17:37
多分そのうち別のことでも火はついたから原因ではないけど間違いなくきっかけではある事件なんだよなあ
- 128二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 12:34:04
これはピョートル三世
コイツがフリードリヒ大王に推し活して無条件で軍を引き上げたり領土の譲渡をし無かったら七年戦争はほぼ確実にオーストリアが勝ってた
そしてプロイセンが滅びオーストリアが勝つという事はその後のドイツの歴史がかなり変わる事を意味する
ピョートル3世 (ロシア皇帝) - Wikipediaja.m.wikipedia.org - 129二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 12:48:19
- 130二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 12:52:17
母親であるエリザヴェータ女帝への反発心も少なからずあるけど、ピョートル三世に関しては本当にフリードリヒ大王のオタクで大王に褒めてもらいたかったからやったアホみたいな行為なんや
まぁその結果エカテリーナ二世っていう同時代のマリア・テレジアと双璧を成す最強女帝が爆誕する訳だし、『ロシアにとっては』最終的に良かったのかもね
- 131二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 12:57:02
まあ、ファンだったというのが全てではなく
既に戦争でロシアが疲弊しきっていたとか、プロイセンが潰れると中欧がオーストリア一強になってロシアに望ましくないという理由はある
ただ無条件で撤兵&占領地返還という一方的なガバガバ譲歩は……
- 132二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 13:38:25
- 133二次元好きの匿名さん24/03/04(月) 22:37:30
色々事情があったとはいえ軍団を廃止したせいで治安の悪化と武士の台頭を招いた桓武天皇もやらかしたと言えるかも
- 134二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 09:07:14
項羽の叔父の項伯
項伯は劉邦配下の張良に恩があった関係で鴻門の会で劉邦の命を救い、本来なら劉邦を僻地の巴蜀に封じようと考えていた項羽に肥沃な漢中も一緒に与えるように進言した。
結果として劉邦を始末することも、弱体化させることにも失敗した項羽は、やがて滅亡の道に進むことになる。
そして、甥を破滅させた項伯は劉邦に降伏して、諸侯の一人として優遇されることになった。
……とまあ、項伯は項羽陣営の大戦犯ではあるが、項伯が劉邦の肩を持ったのは項羽に対して悪感情を持ってたから……というわけではなく、本人が義侠的な精神の持ち主であくまで命の恩人の張良(とその上司の劉邦)に報いようとしただけと分析されることが多かったりする。
……漢中を与えられるように張良から賄賂を受け取っている? あれはあくまで鴻門の会の時のお礼だから……
あと、劉邦は項伯だけでなく他の敵対していた項一族も許していて、諸侯にするだけでなく「漢の世の中で”項”の名前で過ごすのは生きづらいであろう」と、皇族と同じ”劉”の性まで与えられるほど配慮されることになった。
これも項伯の功績に報いるためだと考えられる。
結果として、族滅させられてもおかしくなかった項一族は無事に生き延びることができ、前漢の時代には一族から臣下のトップの丞相を出すほどに繁栄した。
おまけに(真偽は不明だが)南北朝時代の南朝宋を建国した劉裕はこの劉性を与えられた項一族の末裔という説もあったりする。
そう考えると、項羽が成し遂げられなかった皇帝への即位という夢を、長い時間をかけて項伯が実現した……とも、言えるのかもしれない。
項羽にとって項伯は間違いなく自身の滅亡に至る戦犯だったが、項一族全体にとっては項伯は救世主であったとも言える。
身内に優しい(もしくは甘い)項羽は劉邦に段々と追い詰められるようになっても、最後まで叔父の項伯を重用し続けた。
もし、項伯やその一族が栄達していくのを項羽が草葉の陰で見ていたとしても、「流石は俺の叔父だ。上手くやりやがったな!」と笑いながら許していたのかもしれない。 - 135二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 15:16:11
モンゴルから逃げてきた亡国の王子のクチュルクを気に入って娘婿にしたらクーデター起こされて帝位を奪われた天禧帝
おまけに皇帝になったクチュルクが妻の影響で仏教にどハマリして現地のイスラム教徒を弾圧したせいで臣民からの指示が激減
結果としてモンゴル帝国の侵攻時も味方するイスラム教徒の民がほとんど出ずクチュルクも西遼も滅亡することに……
見る目がなかったといえばそれまでだけど好意でやったことが裏目に出て帝位を奪われるだけでなく国も崩壊する羽目になった天禧帝は泣いていい - 136二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 17:13:28
それら諸々があって中華の皇位継承関係は清の時代に太子密建法が確立されてついに完成されたんだよね
おかげで清朝の皇帝に無能な人物は一人もおらずうまく存続することができた、まあ代わりに下の腐敗がひどくなりすぎて結局ダメだったんだが
太子密建 - Wikipediaja.wikipedia.org - 137二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 17:26:36
- 138二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 17:36:04
- 139二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 17:36:07
- 140二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 17:40:47
- 141二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 19:13:22
- 142二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 20:14:31
何事にも必ず成功は無いとは言え後継者選びは失敗しやすいイメージ
- 143二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 21:22:44
血縁が関係ない物でも失敗するのが後継者選びだもんなあ
逆に言えばここが一番の狙い目なんだよね - 144二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 21:24:30
最悪な後継者の決め方はアレキサンダー大王で異論ないよな?
- 145二次元好きの匿名さん24/03/05(火) 23:54:58
- 146二次元好きの匿名さん24/03/06(水) 07:45:32
- 147二次元好きの匿名さん24/03/06(水) 09:52:07
エサルハドンと似たような失敗を繰り返した人は他にも結構いる
例えばアッバース朝最盛期のカリフのハールン・アッ=ラーシド
彼は嫡流の次男アミーンにカリフ位を譲る代わりにその次の後継者を兄にするように約束させ
庶子の長兄マアムーンには弟に仕える代わりに帝国の東半分の領有とアミーンの後継者の地位を約束した
……でハールン・アッ=ラーシドが亡くなって僅か二年後にアミーンが父の遺言を破って自分の息子を後継者に指名してしまう
当然兄のマアムーンは大反発して内戦が勃発
二年間に渡る内戦の結果首都バクダートは陥落してアミーンは処刑されマアムーンが即位してめでたしめでたし……
……かと思いきやマアムーンがアッバース朝と敵対していたシーア派の当主を後継者に指名するという逆ミラクルCを起こしたせいで帝国各地で反乱祭りになるという最悪の結果に
これによりアッバース朝の支配力は大きく減退して衰退への道を歩んでいくことに
- 148二次元好きの匿名さん24/03/06(水) 09:57:07
一周回って認知症説が有力になってるの笑うんだよ
- 149二次元好きの匿名さん24/03/06(水) 19:06:49
- 150二次元好きの匿名さん24/03/06(水) 22:14:57
プロメテウスの人間に美味しい肉を食べられるように画策したら寿命も一緒に与えてしまった…っていうのも善意のやらかしに入るかな?
生き物のどこを食べるのか神々と人間で分けることになった時に美味しくないけど腐らない骨を食べることになった神は不死が定められ
美味しいけど腐る肉を食べる人間は寿命ができたっていう - 151二次元好きの匿名さん24/03/06(水) 23:42:09
チンパンジーとヤったアホ
- 152二次元好きの匿名さん24/03/07(木) 00:15:21
これは東の蛮族と舐めてかかったら相手がチンギスハンでホラズム朝の最盛期を築いたのに一瞬で全てを失ったホラズム・シャーのムハンマド
長官が使節をスパイと判断して処刑アンド略奪した件の賠償求めに来た使者を一人殺して二人侮辱して送り返すのは不味いと思うの - 153二次元好きの匿名さん24/03/07(木) 09:05:24
- 154二次元好きの匿名さん24/03/07(木) 10:52:41
エイズか
- 155二次元好きの匿名さん24/03/07(木) 10:55:18
一応言うと区域ごとに人種ちげぇ!言語ちげえ!思想ちげぇ!歴史認識ちげぇ!宗教ちげぇ!だからアナ二ーとかいうアホみたいな理由で崩壊しただけで時間の問題だったの確実だからまぁチトーはめちゃくちゃ上手くやってたけど次のやつが1部民族だけえこ贔屓するわ賄賂貰いまくりだわでこっちが元凶
- 156二次元好きの匿名さん24/03/07(木) 10:56:58
たまに現れる一族の長男見逃したら……パターン好き
- 157二次元好きの匿名さん24/03/07(木) 22:19:43
甥の王莽を目をかけて出世させたら漢王朝を滅ぼされた王政君
彼女自身は漢王朝に対する愛着も敬意もあったところが皮肉としか言いようがない
「年老いてもうすぐ死ぬ私でも、お前たちが族滅することくらいは分かります!」
王莽の腹心の脅しに屈して玉璽と共に投げ捨てられた言葉が物悲しい