【SS】野菜の良さに気づくブライアン

  • 11/424/03/10(日) 19:53:33

    「ブーちゃん!」
     背後からデカい声でそう呼ばれたとき、私は昼休みの食堂でステーキ定食を盆に乗せてなるべく騒がしくない空席を探し歩いていたところだった。昼休みというのはつまり肉をかっ食らう時間で、このステーキも私に食われるのを待っている。余計な言葉を口にするのは食べ物に失礼というものだ。
     食堂は生徒でごった返し配膳と会話の喧騒に包まれていたが、私を呼ぶその声は聞き逃しようがなかった。声はおそらく二バ身ほど後方から発せられたが、声量は十バ身先にいるヤツを呼んでいるかのようにデカかったからだ。その差のせいで、ひょっとしたらブーちゃんというのは私ではないのかもしれんと期待したくらいだった。
     いや、たしかに私はブーちゃんではないが、私をそう呼ぶヤツを一人だけ知っているし、そいつの声だというのも間違えようがないほどはっきり聞こえていた。
    「……ブーちゃん!!」
     今度はすぐ後ろから呼ばれた。距離は近づいたが、声量はさっきより遠ざかったヤツを呼ぶかのようにデカくなった。どうやら後ろにいるヤツは距離というものが分からんらしい。
     この声に応えてしまっては静かな食事など望めないだろう。どうせ立ち話では終わらず食事を共にとることになるに違いない。ちょうど私は窓に面したカウンター席がまとまって空いているのを見つけたから、よほど声を無視して行こうかと思った。
     しかしこうも呼ばれては既に周りじゅうの生徒が食事の手を止めてこちらを盗み見ていて、無視をしようものなら噂が立ち後々に姉貴から小言をくうこともまた予想できた。
     私はため息をつき、今日は静かな食事にはならんことを理解した。諦めて声の主に応えるほうが結局は早いし小言もない。
     それでも、静かな食事を無下にした代償は払ってもらわねばならん。手元の盆から立ち上る肉の香りで腹の虫はぐうぐう鳴いているがいかんせんその虫の居所が悪い。

  • 22/424/03/10(日) 19:54:29

    「ああ、ビッグか」
     私はそう応えて振り返り、ちょうど大の男がそばに立っていることに気づいたように見上げた。私の視線の先には天窓があって、さらにその向こうには青空が広がっていた。
     今日は天気がいい。校舎の屋上で一眠りするには絶好の日和で、その暖かな日差しに目を細めた。
    「ちょっと! 下!! わざとだ!!」
     まどろみかけた意識に、下方から耳をつんざく声が炸裂した。
     私は思わず舌打ちした。肉が足りていないせいでコイツが警報器並みの声を出すことをもう忘れていた。なぜ私の周りには声の大きいヤツばかり集まるんだ。
     目だけを下に向けると視界の端に毛糸のポンポンを捉えた。さらに顎を少し引くとポンポンの両脇に長耳も見えた。それは白地に桃色の縞模様を描いたカバーで覆われ、後ろへ強く引き絞られ震えていた。
     声の主はサムソンビッグだった。ポンポン付きのニット帽の下から明るい鹿毛が覗いている。一四五センチの体躯は怒った猫のように丸められてより小さく見え、ポンポンの頂点が私の鼻先に届くかどうかといったところだ。手に持った盆には乗っているのはカツ定食。たしか今日はささみカツだったと記憶している。
    「もー! ……あそこ座るの?」
     ビッグは怒っていたかと思えばすぐにけろりと耳を立てて、私が狙っていたカウンター席へさっさと歩を進めていった。
     なぜ狙いがバレているのかは分からんが、むしろ好都合だ。ビッグが私を追い抜いた今、私は反対方向に進めば静かな食事を取り戻せるかもしれん。周りのヤツらも食事に戻っている。
     そう思ってすり足で半歩踵を返したところで、ヤツは急に尻尾を振り上げて私のほうへ向き直った。そのしかめっ面には半身の私を見ても驚きの色は表れず、やっぱりそうだと言いたげだった。いやに鋭い嗅覚を持っているな。
     ビッグが口を開けてすぅっと息を吸い込んだので、私は耳を伏せて言った。
    「うるさい」
    「どこ行……ッ、まだなにも言ってない!!」
     空気がびりびりと震えて、また周りのヤツらの目線が集まった。静かな食事をとることも、警報器を止めることも叶わんとは。

  • 33/424/03/10(日) 19:57:08

     カウンター席が空いていたのは幸いだった。お互い正面の窓を向くから自分の食事に集中する格好になる。ビッグは私の右隣の席に座ってひたすら何かをさえずっていたが、私は時たま適当に返事をしてやればよかった。
     ビッグの声が途切れたら返事をし、また途切れたら返事をする。なまじ声が大きいから途切れたらすぐ分かった。ヤツは返事さえあれば満足して話し続けたから、ステーキを食いながらでも容易かった。
     そのうちにステーキは残り一切れになった。最後はさっぱりした口で楽しもうと思ってコップに残った水を一息にあおると、窓の向こうで風にそよぐ木々が目に入った。青々とした葉は日差しを受けて瞬いている。やはり食事の後は屋上で昼寝するとしよう。
     そう決めてコップを盆にカツンと置くと、ビッグは私の盆を見てから口にものを入れたまま喋った。
    「はえお……んん、食べおわったんだと思った」
     ビッグの皿にはささみカツがまだ三分の一ほど残っていた。食っている最中に喋るから遅いんだ。最後にそれだけ言ってやろうかと思ったら、ビッグが目を見開いて尻尾を振り上げた。また余計な嗅覚を発揮したんだろう。
    「野菜食べないと大きくなれないよ!」
     ビッグは大口を開けて一丁前なことを言った。その視線の先には私の皿に乗っている野菜――ブロッコリーにニンジン、とうもろこし、そして緑のなんだか分からんヤツ――があって、本当に余計な嗅覚だと思った。
     私が注文したのは〝ステーキ定食〟だから野菜の字はない。ニンジンはまだいいが、他の野菜は勝手に皿に乗っているだけだ。

     いや、待て――。大きくなれない、と言ったか? オマエが、私に?
     これはきっと聞き間違いだろう。あまりにデカい声が続くから私の耳がおかしくなったんだ。
    「野菜! 食べないと大っきくなれないよ!!」
     ビッグの声が途切れたのに返事をし忘れたせいでヤツはまた大口で吠え、矛盾した文言が私の耳を貫いて頭にがんがんと響いた。コイツ、口が顔の半分はあるんじゃないのか。
     なにが大きくなれない、だ。まったく、野菜を食べるヤツは声が大きくなるらしい。そういえば姉貴もトレーナーも小うるさいときがある。
     私は皿の上の野菜を睨めつけ、オマエらのせいかと思った。野菜はどいつも肉の脂で取り繕い、素知らぬ顔でつやつやと光っていた。

     ……仕方ないな。私はブロッコリーにフォークを突き刺した。

  • 44/424/03/10(日) 19:57:59

    「ならオマエこそ食え」
     ついでに隣のニンジンも刺してから、ビッグの開いたままの大口に突っ込んだ。その口がむぐ、と咥えたのに合わせてフォークだけを引き抜くと、ヤツは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり今日いちばんのしかめっ面をして唸り声を上げた。
    「んー!? んーー!! ふょっほ!!」
     騒がしいヤツだ。ビッグは少しのあいだ唸りながら地団駄を踏んでいたが、やがて椅子に座り直し、私を睨んだまま黙々と咀嚼し始めた。
     どうして私が悪いみたいな顔をする。私の野菜を、ニンジンを、オマエに情けをかけて食わしてやったんだぞ。感謝されてもいいくらいだろう。
     さっきまでのおしゃべりはどこにいったんだと、そう思ってビッグの顔を睨み返しているうちに、はたと気がついた。

     ――コイツは今、黙っている。

     今度は私が尻尾を振り上げた。つまり、野菜を食うヤツは声が大きいが、野菜を食っている間だけは静かになる。
     かつてトレーナーに言われた〝溜めて放つ〟の言葉が頭をよぎった。逆転の発想だ。騒がしいヤツには野菜を食わしてやればよかったんだ。
     私は皿に残っている野菜を見直した。それらは今や朗らかな日差しのもとで輝いていて、学園の三女神像、その微笑みを彷彿とさせた。
     誰にも言ったことはないが、あの像の前を通ったとき、まるで像に呼ばれたかのような錯覚とともに体に妙な熱が灯って走りのキレが増したなんて経験をしたことがある。
     それと似た感覚だ。なぜ定食の皿に野菜が乗るのか。なぜどこに食いに行ってもサラダや野菜スープがあるのか。急に視界がひらけた気がして、積年の謎がするすると解けていった。
     試しに残りのブロッコリーをフォークで刺すと、ビッグは歯をかたく食いしばって威嚇してきた。ほんの少し唸り声を出してはいるが、警報器とは比ぶべくもない。遠くで回る換気扇の、すぐに無意識へ潜り込んでしまうような静かさだった。
     溜めて放つ。レースが狩りであるように、静かな食事もまた己の力で掴み取るものだった。野菜はずっと傍で私を待っていてくれたのに、気づくのが遅すぎたくらいだ。
    「フッ、野菜はいいな」
    「……えっ、なんで……?」
     私は高揚感に包まれたまま、ビッグの呆けた口にブロッコリーを突っ込んだ。

  • 5二次元好きの匿名さん24/03/10(日) 19:58:34

    おしまい。
    果たしてサムソンビッグは野菜好きなのか
    スタブロの皐月賞回まであと4時間です

  • 6二次元好きの匿名さん24/03/10(日) 20:00:43

    乙 
    サムソンビッグとブライアンの絡み早く欲しいね

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