【トレウマSS】ハッピー・エンドを謳うには

1二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:46:28

　テーブルに乗せられた角皿の上、ぎっちりと正方形に敷き詰められたうちの一つを摘み上げる。そのまま口へ放り込んで、風情もなにもなく噛み砕いた。

　長期休暇に飼い慣らされた体と、生来の悪癖にうんざりしながら起き上がる。冷蔵庫には十分とは言わずとも食料をストックしていたはずだが。日の高い今更、自分ひとりのために料理する気分でもなし。
　かといってカップ麺もな、などと考えている私の耳を、いまだに慣れることのないチャイムが貫いた。……そういえば昨日、寝ぼけ眼に荷物が届く知らせを受け取ったような記憶がある。
　昼飯のことは後に回すこととして、まるで思い当たらない荷物へ対応するべく、インターホンへと歩き出した。

　ホワイトデー。ともすればバレンタインデーよりもしょうもない、その日のうちに交換しちまえばいいんじゃねぇの？みたいな感想さえ捻り出さなければ出てこないような日だ。
　未だレース場へ残る友人の誕生日だっつう認識のが強くなってたし、バレンタインデーは実際に交換で済ませたもんだから。
　荷物を開けて、無駄に愛らしくラッピングされた瓶入りの飴とメッセージカードを目の前にしてさえ、ホワイトデーの贈り物が手元にある謂れに辿り着けずにいた。

　もう一つ噛み砕く。手前で買ったものではない上に、まるで趣味じゃねぇフレーバー……とくれば当然送り主ってのがいる。だからって納得いく訳じゃあねぇが。
　そりゃそうだよな、なんせそいつにはバレンタインに何も贈っちゃいない。……ただ、昼飯を一緒に食いはしたけれども。
　その時間に対する返礼だというなら、ばかばかしいにも程がある。……私だってもらってんだよ、アンタの時間をさ。
　クソ長い休みのせいでもともと不平等だってのに、こんなもん受け取っちまったら私の立つ瀬がないだろうが。

　……それと、寄越されたのは飴だけじゃない。互いを引き立て合うような、鮮やかな青紫のメッセージカードには……やはり、というべきか。
　手書きの文字で、誘ってくれてありがとうだの、嬉しかっただのと長ったらしく綴られて。締めの部分にゃ口に合わなければ送り返して欲しい、なんて書きやがる。
　返してなんかやるもんかよ。……ああ、いや、違うか。これだけ甘ったるいモン押しつけてきたんだから、たっぷり時間かけて“お返し”してやんねぇと、だよなァ？

2二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:46:38

　いっそ笑えてくるほどに私を煽る挑発の下、宛先として示された住所はトレーナー寮じゃない。物を増やしすぎたとか何とかで引っ越した、って話をクリスマスに聞いたのを覚えている。
　それを私に話してどうすんだよ、なんて思ったことも。……こんなの、ただのたわいもない一話題でしかねぇのにさ。
　透き通る金を窓にかざして仰ぎ見る。いまLANEを送ったとして、アイツは今日の晩を私に差し出すだろうか？
　……ま、どっちだって構いやしねぇよ。どうせ空かないんなら別の日でも提案してくんだろ。返しにいけりゃあ、それでいい。そう笑って、いい加減にベタついてきた飴を、またしても味わうことなく——噛み砕いた。

***

　珍しくも明るさを最大にした照明の下。毛先から根元に向けて、解きほぐすように梳る。それが終わりゃ椿油を手櫛でなじませて、仕上げに歯の細かい櫛で整える。髪も同じように、つっても尻尾ほど素直にいかねぇから、櫛じゃなくてブラシ使うんだけどさ。
　卒業してから、いいや……予定を抑えられなくなってから、か。何もなくても丁寧に、己を磨き上げるようになったのは。別段、整っていない状態で会ったって気にすることもなかったんだが。
　なんせいつこっちの要求が通るかわかりゃしねぇ。揺さぶりかけんのに都合が良い以上、常にコンディションを保つのは最低条件だった。……それはそれとして、習慣にまでなっちまったのは、想定外っちゃ想定外と言えるかもな？

　そんなわけで、……まあ、つまるところ今晩は空いていて、今から乗り込もうって話なんだが。……昼に送ったLANEの返事は、昼休憩だったろうことを考慮したとしても早すぎる、と言っていいものだった。
　この早さからすると、なにがなんでも予定を空けるか、あるいは予定が入らない目処でも立ってたか、ってところだな。……そう、たとえば。もともと今晩の予定は空白で埋めていた、なんてな。
　んな思い上がりが通ってたまるかよってなモンだけどさ。もし仮に、その通りだ、と言うんであれば……、っはは……ああ、全く——莫迦な男だ。

3二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:47:05

　なんて詮無いことウダウダやっててもキリがねぇし、ちょっと行って帰ってくるだけなんだから、飴と身一つだけありゃ上等だろ。ぐしゃぐしゃになること考えたらもうちっと気合い入れた方が映えるとは思うが……いやナシだナシ、ボケすぎだっつの。
　スマホに財布、鍵もか。ポケットに押し込んでもいいだろうけど、こんだけあっと逆に身動き取りづらいだろうしなァ。……確か、使いもしないのに買わされた小せぇバッグがあったはず、……っし。履き慣れたショートブーツに足を突っ込んだそのときに、ポケットの中でスマホが震えだす。
　何かと思えば、……元、トレーナーからの帰宅報告。待ち構える準備は万全ってこったな？たいがい勇み足な私が言えた義理じゃねぇけどさ、ちっとばっかし浮かれすぎだと思うぜ。気の抜けたように小さく笑う。少しだけ、冷えた頭でしっかりと鍵をかけて。目的地へ向かって飛び出した。

***

　3月も半ばとはいえ、暖かくなりきるにはまだ早い。当然、日が落ち切ったとなれば寒さは私へと容赦なく襲いかかる。ただ、そんくらいのが冷静さをギリギリでも維持できていいのかも知れねぇよな。なんせ寒さに震える今でさえ、浮かれに浮かれた私の脚は、何もかも振り解いて駆け出しちまいそうでしかたねぇんだからさ。
　……別に、衝動に突き動かされるまま突っ走って、今までのこと全部水に流してやっても良い、くらいは思ってるし、むしろその方が正しいんじゃねぇかって気さえするが。それでも、やっぱり取り立てられなかった代償は、他の何かで埋めてもらわなきゃ落ち着かねぇ。

　一歩一歩、セーブしながら歩くたびに。少しずつ全身のコントロールを取り戻していく。そんで、表情以外がマトモに動くようになった頃。……目的地の端っこに指先を引っ掛けた。
　マンションの正面玄関、その一枚目のドアをすり抜けて、インターホンに部屋番号を入力する。さして待つこともなく二枚目の自動ドアが開き、同時に、すぐ行くからちょっと待ってて、の声。部屋がどこかわかってんだから、わざわざ迎えに来なくたっても良いだろうが。

4二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:47:39

だからと言ってすれ違う訳にもいかねぇし、しぶしぶエントランスホールの半ばあたり、エレベーターが視界に入る位置に陣取っておく。手持ち無沙汰に、ここまで来る間じゅうさんざ暴れ散らかした尻尾を撫でつけていれば、小走りな足音。嬉しさを隠せていない顔で寄ってくる相手に文句をつけて、ごく不自然に取られた手を、静かに繋ぎなおした。

　私の近況なんかはこの狭っ苦しい微妙な雰囲気を誤魔化すにはまるで役に立ちやしねぇから、必然的に会話の中身は部屋の間取りとか、増えた物らがちゃんと片付けられてんのか、みたいなもんになる。
　とりあえず今あるのは整頓できていて、でも増やすペースを抑えられないから収まり切らないかもって具合らしい。そうなったらまた引っ越すのかと聞けば、流石に物を理由にしるのはこれっきりだと。
　エントランスホールから部屋までならそれほど時間のかかる距離じゃねぇし、途切れた会話を再開させようと口を開きかけたところで、ドアの前に辿り着く。ポケットから鍵を出すのに邪魔だろう、と解いた手の温かさがいやに惜しくて、どうもうまくいかねぇな
とため息をついた。

***

　飲む物を用意するために冷蔵庫へ向かうのについて行って覗き込む。お客さんなんだから待ってても良いのになんて笑ってるけどな、そんじゃ嫌なんだから仕方ねぇだろ。
　勝手にドアポケットからボトルコーヒーを引っ張り出せば、呼応するように寄越れるデカ目のコーヒーマグ。こういうとこ行き届いてんのが気に入らねぇんだよな、なんとなくさ。
　テレビの前のローテーブルに並べられた菓子をつまみながら、毒にも薬にもならないバラエティ番組でも流せば、さっきまでのぎこちなさが嘘だったかのように会話が弾む。番組と番組の間隙になってようやく、ここまでわざわざやってきた意味を思い出した。
　二人がけソファの上、ただでさえ無い距離を、逃げ場をなくしてしまうように詰めていく。あからさまに不貞腐れたような声で、今日この日に飴を送りつけてきた理由、すなわち……一年以上も焦らしてくれやがったのになんで今更気が変わったのか、についての弁明を強請った。

5二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:48:05

　……長い長い沈黙のあと。こぼれ落ちたかのように、バレンタインの日に、トレーナーの続きで居られなくなっていたのに気づいたから、と吐き出される。
　否定はしない。メニューを選び切ることができなくて食べられる限界まで頼んでしまうのも、うんざりするほどの甘党だってのも。油断すっと箸の持ち方が微妙になることだって、この一年ではじめて知ったから。
　ただ、同時に。気にするレベルの話じゃねぇだろ、とも思う。こんくらいのクセだったら、場合によっちゃ現役でも知っててもおかしくはないはずだ。なら、トレーナーの枠からはみ出してないといっても、過言ではないだろ？
　それに、気づいちまったとしてもさ、しれっとした顔で無かったことにすりゃよかったんだよ。まあ、無理だったからこうなったんだろうがね。
　……ともかく、このタイミングで選びなおしたのには納得がいった、だから、コレだけで勘弁してやっても…………。……いーや無理だ！手心なんざ知ったこっちゃねぇ！こんの秘密主義なクソボケ野郎の腹ん中、丸ごと全部引きずり出してやらぁ！

　まさかさ、本当にそっくりそのままゲロっちまうとは思ってなかった訳でな？いつ惚れただのLANEひとつで飛んでくる理由だの、下世話な話、とかもうビックリするぐらい口を滑らしてやんの！笑いが止まらない、ってのはまさにこのことだよなァ？
　物が増えまくる理由とか特に傑作だろ、物っつーか正確に言や私のグッズ、とか特集記事なんだけど。会う頻度が低くなったら寂しくて仕方ねーんで見かけるたびに散財してな。あんまりにも重くてドン引きものだってのにさ、それを厭う理性はどっかに忘れてきちまったらしい。

　私が笑うたび恥じらう耳は酷く赤くて、それにどうしようもないくらい嗜虐心を煽られる。ソファの端で静かに佇むミニバッグから飴の入った瓶を取り出せば、ひゅ、とちいさく悲痛そうに、息を呑む音がした。
　安心しなよ、アンタが思うような返し方じゃないからさ。……その言葉も、届いてはいないらしい。おもむろに飴を口に含んで、体を向き合わせ、硬直した頭ごと引き寄せて、噛み付くように。
　昔なら、私のことならちゃんと気づいてくれたのに。自分のことにかかり切りで、視界に入れてすらくれやしない。そんな不満も、今まで取り落とされていた思いも。溢れないように熱で蕩かして、一滴も残さず流し込む。

6二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:48:34

　強張った体の力が抜けたのを確認してから解放すれば、照れくさそうにごめんねと言って笑う。そんなもん別に欲しかねぇけど、けじめみたいなもんだろうから受け取ってやる。ありがとう、と一緒に押し付けられた誠意は、まあ……行き過ぎでなきゃ良かったんじゃねぇの？行き過ぎだったから良くねぇんだけどな、んのクソボケ野郎がよ……！

***

　圧迫感がなくなっていることに気づいて目を覚ます。閉じようとする瞼をこじ開けて起き上がり、寝室を出た。リビングには朝食を食べ終えて食後のコーヒーを飲んでいる想い人。どうやら運良く間に合ったらしい。
　歯を磨きたいと伝えれば、洗面台の下にストックがあるから使っていいよ、と返ってくる。次いで何か言おうとしたのをやめて、嫌かもしれないけど、の前置きのあと、コップは一つしかないからそれ使ってと言う。
　ほぼ半分寝ながらその通りにして、リビングに戻ろうとしたところで鉢合わせる。もう出るのなら後でいいか、と考えたのに。まだ時間あるから大丈夫だよ、とかさ。あんまり私のこと甘やかすなよな。
　そそくさとリビングに戻って、テーブルに飾られっぱなしになっていた瓶を捕まえる。その中から一つ摘み上げて口の中へ。……未だ収まらない熱を、届けるために。

　……残された飴は20粒。蜜月にゃちと短いが、——春季休暇はまだ終わらない。

7二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:49:21

おしまい
ホワイトデーもせっかくだからやりたかったので書きました
お読みいただきありがとうございます

8二次元好きの匿名さん24/03/14(木) 21:51:00

前作および前編はこちら

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