ハイセイコーと対決した主な同期10頭

  • 1二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 17:47:38

    第二次競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップはスーパークリーク・ヤエノムテキ・サッカーボーイ・バンブーメモリー・メジロアルダン・ダイユウサクなど錚々たる同期達と対戦してる
    一方で第一次競馬ブームを巻き起こしたハイセイコーが対戦した同期達はどんな馬だったのかはあまり知らなかったので、調べてみて主な馬を10頭選出してみた

  • 2二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 17:57:03

    その1 ゴールドイーグル 
    地方16戦11勝 中央6戦2勝 重賞2勝 
    (ハイセイコーとの対戦レース 72年ゴールドジュニア(地方) 0勝1敗)

    九州産馬で、父は秋天や有馬を優勝したカブトシロー

    ハイセイコーと同じく南関東でデビュー。
    2歳時の特別戦であるゴールドジュニアでハイセイコーと対戦し、レコード勝ちした同馬から2秒近く離された2着に完敗した。

    ハイセイコー中央移籍後も地方を転々としながら活躍を続け、4歳夏の中央競馬招待(重賞級レース)ではイナボレス、ノボルトウコウ、トーヨーアサヒといった中央の強豪相手に6馬身差で圧勝。
    このレース後に中央へ移籍。

    しかし脚部不安の影響で長期休養を余儀なくされ、中央デビューは6歳春と遅れる。
    それも僅か2戦したのみで再び長期休養という不運に見舞われる。

    それでも7歳春に復帰すると、3月のサンケイ大阪杯でホクトボーイ、エリモジョージなどを破り優勝。
    念願の中央初勝利を重賞優勝で飾る。

    更に続くマイラーズCでも6馬身差の圧勝で優勝。
    重賞連勝で春天の有力候補に躍り出る。

    迎えた春天ではテンポイント、グリーングラスに次ぐ3番人気で出走。
    しかし不運にもレース中に脚部不安を発症し惨敗。
    その後はレースに出ることなく引退した。

    引退後は種牡馬になったものの活躍馬は輩出せず、その後は不明。

    7歳での重賞連勝はスピードシンボリ以来の快挙だった

  • 3二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:05:08

    その2 クリオンワード 

    通算27戦7勝 重賞2勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年スプリングS、ダービー、74年春天、宝塚 1勝3敗)


    デビューから安定した走りを続け、3歳春のきさらぎ賞で重賞初制覇。

    スプリングSではハイセイコーに次ぐ2着と好走。

    しかし皐月賞は体調不良の為出走を断念。

    その後ハイセイコーに次ぐ2番人気で出走したダービーは18着に大敗。

    以後はクラシックを断念する。


    ダービー後も不振が続いたが、4歳春のオープンで久々の勝利を挙げ、続く重賞レースでも好走し調子を上げる。

    迎えた春天ではハイセイコー、タケホープ、ストロングエイトに次ぐ4番人気で出走。

    激闘の末惜しくもタケホープに敗れたが、ハイセイコーには先着の3着と好走した。


    続く宝塚記念でもストロングエイト、ハイセイコーに次ぐ3番人気で出走。

    レコード勝ちしたハイセイコーに完敗したものの2着と再び好走し実力を見せる。


    その後はやや冴えないレースが続いたが、年末の阪神大賞典(当時年末開催)では先輩後輩の強敵達を3馬身差で退け久々の重賞制覇。

    翌5歳も重賞で好走を続け、その後地方に移籍。

    7歳まで現役を続けた。


    通算16戦で1番人気になるなど馬券人気の高い馬で、5番人気以下になったのは1戦だけだった。

    1973年 きさらぎ賞 クリオンワード ~ラジオ実況


  • 4二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:11:00

    その3 ホワイトフォンテン 
    通算50戦11勝 重賞4勝
    (ハイセイコーとの対戦レース 73年ダービー 0勝1敗)

    3歳4月までに4勝を挙げるが目立つ活躍はなく、15番人気で出走したダービーでは果敢にハイペースで逃げたものの直線前で限界になり24着に大敗。

    その後は中距離以下のレースに出続け、オープンでは時折好走するものの重賞ではさっぱりという時期が続く。

    しかし5歳春の日本際長距離S(現廃止)に勝利したのをきっかけに長距離へ転向。
    そして夏の日本経済賞(現日経賞)では、単勝100倍を超えるブービー人気ながらフジノパーシア、イチフジイサミなどの強豪を相手に逃げ切りで勝利。
    大波乱で重賞初制覇を果たす。

    更に秋の毎日王冠でも7番人気の低評価を覆して再び逃げ切り優勝。
    長距離の逃げ馬として資質を開花させる。

    ただその後は惨敗が続き、翌6歳1月のAJCCではブービー人気に評価を落として出走。
    しかしここでまたもやフジノパーシア、イシノアラシ、コクサイプリンスなどの強豪を相手に見事な逃げ切りを見せ波乱の優勝。

    その後ダイヤモンドSでは3着に逃げ粘り、夏のアルゼンチン共和国杯では重賞で初めて1番人気に推されるが、ここではアイフルの4着に敗れる。

    それでも続く日本経済賞ではそのアイフルやイシノアラシなどの相手を寄せ付けず、またまたまた圧巻の逃げ切りを披露。
    日本経済賞連覇で重賞4勝目を挙げる。

    その後は急激に燃え尽きたように大敗が続き、翌7歳1月に引退した。

    「白い逃亡者」の異名をとった元祖個性的逃げ馬ともいうべき馬。
    マニアなファンの中ではハイセイコーにも劣らない人気を博した。
    人気薄での重賞勝ちが多かったとはいえ倒した相手は当代の長距離の猛者ばかりであり、その価値は極めて高い。
    彼の次に日経賞を連覇した馬は47年後のタイトルホルダーまで現れなかった。
     

  • 5二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:15:34

    その4 シルバーランド 

    通算27戦14勝 重賞5勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年京都新聞杯、菊花賞 0勝2敗)


    父はシンザン。

    デビューから連勝スタートを切ったが虚弱体質の為脚部不安に悩まされ、3歳春は休養を余儀なくされる。

    秋のクラシックには間に合ったが苦手の重馬場のレースが相次いだことや不適性の距離もあり敗戦が続き、菊花賞も9着に終わる。


    それでも年末の愛知杯では史上初めて2000m2分を切る日本レコードを出して重賞初制覇、類稀なスピード能力を見せつける。


    その後も休養を挟みながら4歳時には愛知杯連覇、6歳春にはマイラーズC優勝、秋にはCBC賞をレコードで優勝するなど中距離以下の第一人者として活躍。


    7歳時には苦手の重馬場も克服し、秋の京阪杯では斤量60キロを背負いながら重馬場を快走し優勝。

    重賞5勝目を挙げ、このレースを最後に引退した。


    シンザンの代表産駒の一頭で、同期のヤマブキオーと共に70年代を代表する晩成型の中距離馬。

    2000m以下の良馬場ならば16戦12勝2着2回3着2回とほぼ完璧な強さを見せていた。

    晩年には適性外の距離や重馬場にも適応しており、最後まで衰えは見せなかった。

    また産駒から史上唯一競走馬からオリンピック出場を果たしたミルキーウェイを輩出している。

    第22回京阪杯 シルバーランド 引退レース 昭和52年1977


  • 6二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:23:38

    その5 ホウシュウエイト 

    通算19戦8勝 重賞2勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年皐月賞、ダービー、菊花賞、74年京都大賞典、有馬記念 1勝4敗)


    3歳1月にデビューしてからは毎日杯優勝など連対を外さない安定感を見せてクラシックに参戦。


    しかし皐月賞ではハイセイコーに次ぐ2番人気で出走し3着、ダービーでは3番人気で4着。クラシック最終戦の菊花賞も3番人気ながら4着にと、クラシックはやや不満な結果で終わる。


    それでも大競走以外では抜群の安定感を残し続け、4歳初戦の日経新春杯ではヤマニンウエーブらを下し優勝。


    その後春天は脚部不安の為回避を余儀なくされたが、夏に復帰後はオープンを連勝。

    秋の京都大賞典ではハイセイコー、タニノチカラらをおいて1番人気に推され出走。

    タニノチカラには敗れたが2着とハイセイコーには先着する。


    迎えた秋天ではハイセイコーが回避したこともあり1番人気で出走。

    しかし痛恨の5着に敗戦。

    年末の有馬記念も4着に敗れ、その後脚部不安の深刻化によりこれがラストランとなった。


    脚部不安を抱えながらも抜群の安定感を誇った馬。

    大競走以外の14戦は8勝2着6回の全連対で、大競走含めても掲示板外の結果はなかった。

    その為人気上位に推されることが殆どで、通算13戦で1番人気、4番人気以下だったのは最後の有馬記念のみで。

    また、レースでハイセイコーより上位人気になった数少ない馬でもある。

  • 7二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:29:26

    その6 ニットウチドリ 

    通算21戦6勝 73年桜花賞、ビクトリアC優勝 他重賞1勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年有馬記念、74年AJCC 1勝1敗)


    デビューから優秀な成績を残し、3歳春の阪神4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー賞)では無敵と思われたキシュウローレルを下し優勝。

    桜花賞本番でもキシュウローレルを下し、桜の女王に輝く。


    続くオークスは距離不安が囁かれながらもナスノチグサの2着に入り、秋のビクトリアC(当時の牝馬3冠目)ではナスノチグサを下し優勝、牝馬二冠に輝く。


    更に出走した年末の有馬記念では、7番人気の低評価ながらスタートから逃げに出るとタニノチカラ、ハイセイコーら後続勢が牽制し合うのを尻目に直線で逃げ切りを図り、ゴール前でストロングエイトに差されたものの2着と大健闘の結果を残した。


    4歳以降は燃え尽きたように掲示板外の惨敗が続き、4歳秋に引退。


    3歳時に牝馬三冠&有馬記念で全連対を果たした初めての牝馬。

    古馬以降の実績が皆無なので評価は微妙だが、3歳時の実績は歴代牝馬の中でも屈指のものといえる。

    ハイセイコーが唯一先着を許した牝馬。

    3歳までに獲得賞金が1億を超えた初めての牝馬でもあった。

    『果たしてこの2頭の一騎打ちになるかどうか!…ニットウチドリ強し!』第33回 桜花賞 ニットウチドリ 牝3 55 横山富雄 1973.4.8 出走馬:キシュウローレル、キソジ、ホウシ


  • 8二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:35:14

    その7 カミノテシオ 

    通算21戦5勝 74年秋天優勝 他重賞1勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年弥生賞、皐月賞 0勝2敗)


    2歳秋にデビュー。

    2歳時は2勝を挙げ、3歳1月の京成杯で重賞初制覇。

    弥生賞では中央移籍初戦となったハイセイコーと対決し、同馬から3馬身引き離された4着に完敗。

    続く皐月賞では脚の状態が今一つだったこともあり再びハイセイコーの7着に敗戦。


    それでもダービー前哨戦のオープン戦では5馬身差の圧勝で復調し、ダービー前の調子も絶好調だったことから、本番では打倒ハイセイコーの1番手と目される。

    しかしダービー前日に球節炎を発症した為ダービー出走は取り消され、更に1年以上の休養を余儀なくされる。


    4歳夏に復帰後は徐々に調子をあげていき、秋の天皇賞に出走。

    5番人気ながらイチフジイサミ、ディクタボーイなどの同期を退けて優勝し、天皇賞馬の栄光に輝く。


    その後は燃え尽きたように凡走が続き、翌5歳秋に引退した。


    引退後は種牡馬になったが活躍馬は出せず早々に引退、その後は功労馬として27歳まで生きた。


    東京コースが得意で、4歳までは東京で通算7戦して4勝2着1回3着2回と好成績を残していた。

    1974年天皇賞秋 カミノテシオ ~実況:ラジオ関東・林洋右アナ


  • 9二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:40:57

    その8 イチフジイサミ 

    通算41戦7勝 75年春天優勝 他重賞2勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年皐月、ダービー、菊花、有馬、74年AJCC、有馬 2勝4敗)


    2歳にデビューしたが、同年は10戦して未勝利に終わる。

    3歳初戦に初勝利を挙げるとその後は勝ち星や好走を重ねクラシックに出走。

    皐月賞では10番人気ながら4着に好走した。


    そして何故か12番人気に落として迎えたダービーでは、直線でハイセイコーを抜き去り一時は先頭に。

    しかしその後追ってきたタケホープとの叩き合いで不利を受ける不運もあり、惜しくも2着に敗れる。


    それでも続く日本短波賞(現ラジオたんぱ賞)で重賞初制覇。

    秋に入るとセントライト記念を2着とし菊花賞へ。

    だがタケホープとハイセイコーの一騎打ちに全く加われず3着に完敗、クラシックは無冠で終わる。


    その後年末の有馬記念はまさかの最下位に敗れ、4歳になってもしばらく不振が続く。


    それでも夏に入ると徐々に復調し、秋のオールカマーで優勝。

    調子を上げて迎えた秋天では2番人気に推される。

    しかしここでも直線でカミノテシオに不利を受ける不運があり、同馬の2着とまたしても大競走で惜敗する。

    年末の有馬記念もハイセイコーとタケホープの最後の激闘の遥か後方で再び8着に大敗。これまでかと思われたが翌5歳も現役を続行。


    年初からまずまずの結果を残した後、春天に2番人気で出走。

    直線で1番人気のキタノカチドキとの一騎打ちになり、最後は長距離適性の差が出てイチフジイサミが抜け出し優勝、悲願の大競走制覇を果たす。


    その後は燃え尽きたように凡走を重ね、この年の秋を最後に引退した。


    タケホープ、ハイセイコーと共に73年クラシック3強の1頭と呼ばれる馬。

    他の2頭と比べ実績や印象は劣るが、キタノカチドキを下しての春天優勝は高く評価されている。また初勝利まで最もレースを費やした天皇賞馬でもある。

    1975年天皇賞春 イチフジイサミが2冠馬キタノカチドキとの接戦制す


  • 10二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:46:16

    その9 ヤマブキオー 通算47戦20勝 重賞6勝

    (ハイセイコーとの対戦レース 74年オープン 1勝0敗)


    脚部不安による休養もありクラシックとは無縁。4歳から台頭し、春の中京記念で重賞初制覇。


    その後は故障で秋まで休養した後、復帰戦のオープン戦でハイセイコーやタケホープを破る金星。


    その後は脚部不安もあり冴えないレースが続いたが、5歳秋のダービー卿CTで重賞2勝目を挙げ、更に有馬記念でも5着と健闘。


    6歳春から充実期を迎え、中山記念、京王杯SH(現京王杯SC)、金鯱賞と優勝。有馬記念でも4着と健闘する。


    7歳に入ってもAJCC2着や地方競馬招待で優勝など衰えを見せず、夏の函館記念では63.5キロの斤量を背負いながら優勝し重賞6勝目。


    翌8歳も現役を続け、中山記念3着と結果を残したあと春のオープン戦でハクチカラ以来の中央20勝を達成。この年の有馬記念を最後に引退した。


    ハイセイコーの最後の初対決の相手となった同期馬で、昭和を代表する中距離馬の一頭。

    6歳以降に全盛期を迎えた晩成型で、当時としては珍しく8歳まで中距離の第一線で活躍した。

    1800mで11勝と無類の強さを誇っており、1600m戦でも6戦して全連対だった。

    馬場状態不問でダートでも強く、斤量も苦にしないオールラウンダーであり、70年代を語るにおいて外さない名馬。

    中央平地で20勝を挙げた馬は現在でも彼が最後。

    通算獲得賞金はハイセイコーを大きく上回り73年世代でトップ。

    1976年 中山記念 ヤマブキオー


  • 11二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:50:50

    その10 タケホープ 

    通算19戦7勝 73年ダービー・菊花賞、74年春天優勝 他重賞1勝 73年年度代表馬

    (ハイセイコーとの対戦レース 73年弥生賞、ダービー、京都新聞杯、菊花賞、74年AJCC、中山記念、春天、オープン、有馬記念 4勝5敗)


    1歳上の半姉にオークス馬タケフブキ。

    新馬戦で勝利を飾るがその後は目立つ活躍もなく、弥生賞ではハイセイコーから1秒以上引き離された7着に惨敗。皐月賞への出走も叶わず。

    しかしダービーのトライアルレースではハナ差で勝利し出走権を獲得。


    ダービーでは9番人気の低評価だったが直線で伸び悩むハイセイコーを捉え、同じく抜け出したイチフジイサミとの叩き合いも制して大波乱の優勝を果たす(タイムもレコード)。


    その後秋まで休養。復帰戦の京都新聞杯は8着に惨敗し評価を落としたが、本番の菊花賞では直線でハイセイコーとの一騎打ちをハナ差で制し優勝。

    二冠に輝きこの年の年度代表馬に選出された。


    翌4歳になると初戦のAJCCでハイセイコーらを下し優勝。

    続く中山記念ではハイセイコーの3着に敗れたが、春天では長距離に苦しむハイセイコーを相手にせず、ストロングエイト、クリオンワードとのゴール前の激闘を制し優勝。八大競走3連勝の偉業を達成する。


    その後は疲労もあり秋まで休養にあて、一戦叩いた後ハイセイコーと共に引退レースとして有馬記念に出走。

    タニノチカラが圧勝した後方でハイセイコーとの最後の名勝負を演じた(結果はハイセイコー2着、タケホープ3着)。


    引退後は種牡馬になったが活躍馬は特になく、その後は功労馬として余生を送った。


    ハイセイコーにとって最強の宿敵であり、昭和を代表する長距離馬の一頭。

    通算成績こそハイセイコーが勝ち越したが、タケホープが先着したレースは全て同馬優勝しており、印象的には互角以上のものを残した。

    距離適性の差(ハイセイコーは中距離得意、タケホープは長距離得意)もあり、最後の有馬以外は適性距離のレースだった方が先着している。

    顕彰馬になってないのが惜しい馬。

    20世紀の名馬 29位 タケホープ


  • 12二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 18:55:10

    以上。
    他の主な同期の相手には、史上2頭目の小倉三冠馬となったロッコーイチ、小柄なステイヤーとして重賞3勝を挙げたスカイリーダ、皐月賞とNHK杯で2着だったカネイコマ、悲運のシンザン産駒ブルスイショー、未完の大器ユウシオなど。

    オグリキャップと比べてやや同期の面子の実績は微妙かもしれないけど、当時の距離体系等も考えたら仕方ないかも。

  • 13二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 19:04:06

    この世代は個性的な名馬が多い

  • 14二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 19:12:25

    偶然にせよ最後にハイセイコーが敗れた同期がヤマブキオーというのが歴史の妙味

  • 15二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 19:25:01

    スレで出たゴールドイーグルとかゴールドスペンサーとかこの時代の地方馬強いの多いよね。

  • 16二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 19:31:53

    TBRが騎手を目指したきっかけがハイセイコーじゃなくハイセイコーを破ったタケホープってのがなんともTBRらしい
    悪い意味じゃなくてね

  • 17二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 20:12:55

    シルバーランドの戦績見たらびびる
    中距離馬ではシンザンの最高傑作と言われるだけのことはある

  • 18二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 23:03:25

    ホワイトフォンテンが異質だな
    5歳夏以降だけでG2級の重賞4勝ってかなりの実力がないと出来ない

  • 19二次元好きの匿名さん24/03/27(水) 23:16:09

    >>16

    ゴールドスペンサーは少し後の世代かな

    80年前後の世代に地方の強豪が中央で多く活躍した

オススメ

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