【SS】遠く離れたドバイから

  • 11/2424/03/28(木) 14:33:36

    注:このSSは今年の1月から書き始めたものなので一部公式と設定が異なるキャラがいます
    また、災害描写と未実装幻覚ウマ娘が登場します。








    その日、私は授業に集中できないでいた。いや、その日にかかわらずここ数日の私は落ち着きがなかった。
    前年の有馬記念を制し、URA賞最優秀クラシックウマ娘に選出された私、ヴィクトワールピサはドバイワールドカップに招待され、それを受諾した。
    創設されてから15年、数々の日本のウマ娘が挑戦したが、いまだ勝てていないレース。「見ていろ私がその一人目になってやる!」なんてことを思いながら、私は浮足立つ日々を送っていた。
    そして、出発の日まで2週間を切った今日、いまいち頭に入ってこない先生の声を聴いていた時──

    "それ"は起こった。

  • 22/24 ─3月11日(1)─24/03/28(木) 14:34:07

    『緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください』
    不快なチャイムとともに校内放送がスピーカーから流れる。突如訪れた非日常に教室にいる私たちはどうすればいいか分からなかった。
    「早く机の下に入って!」
    先生の指示で私たちは我に返り、慌てて机の下に逃げ込んだ。次第に床が小刻みに揺れ始め、窓やドアがガタガタとなる。これは初期微動というやつか。ということはこの後に主要動が来るはずだ。 
    そう思った瞬間、揺れがひときわ大きくなり私は小さく悲鳴を上げた。体が揺さぶられ足元がおぼつかなくなる。机の脚にしがみつき、机の上の教科書や筆箱が床に落ちてくるのを見ながら、私は揺れが収まるのを待っていた。

  • 33/24 ─3月11日(2)─24/03/28(木) 14:34:42

    揺れが収まった後、先生の指示に従って私たちは屋外へ避難を始めた。途中、携帯でニュースを見たのであろう娘たちが話しているのが聞こえてくる。
    「震源は宮城県沖だって」
    「震度7らしいよ」
    この地震はかなり大きなものらしい。私は不安に駆られながら早足で廊下を歩いた。
    外に出てグラウンド向かう途中、道の隅で立ち尽くしている青い髪色の娘を見つけた。
    「大丈夫? どうしたの?」
    私は心配になり駆け寄って声をかけた。よく見ると携帯電話を握りしめている。その娘は震えた声で言った。
    「い、今ね、福島の娘たちに電話してるんだけど、つ、つ、繋がらなくてね」
    どうやら福島に知り合いがいるらしい。パニックになりかけているその娘を落ち着かせながら私は言う。
    「大丈夫。その娘たちもきっと今頃避難してるはずだから。ほら、私たちも避難しよう?」
    私はその娘と手を繋ぎながら一緒にグラウンドへ向かった。

  • 44/24 ─3月11日(3)─24/03/28(木) 14:35:17

    私達が普段使っている練習コースは、普段は安全のためトレーニングを行う生徒やそのトレーナーなど最低限の人しか入れない。そのコースを今は避難してきた沢山の人が埋め尽くしていた。その中の一人が私を見つけ声をかけてきた。
    「ピサ! 無事だったか!」
    「トレーナー!」
    契約を結んでから2年間、共に歩んできたかけがえのない相棒。無事に再会できてよかった。
    「その娘は?」
    「避難する途中で会いました。様子が心配だったから一緒に避難してきたんです」
    「そうか。君、名前は?」
    トレーナーは横でずっと私の手を握っている彼女に向かって聞いた。
    「ツインターボ」
    青い髪の娘はそう答えた。

  • 55/24 ─3月11日(4)─24/03/28(木) 14:35:54

    生徒たちの点呼が完了し全員の安全が確認された後、今日の授業とトレーニングはすべて中止し、寮に戻るようにと放送が入った。
    ツインターボに聞いたところ、彼女の寮は美浦寮らしい。私とは違う寮だったが寮につくまで一緒について行ってあげることにした。
    寮まで行く途中彼女は何回も電話を掛けなおしていたが、依然として繋がらないままのようだった。
    美浦寮に入ると、ロビー横のスペースで備え付けのテレビを見ていた数人の生徒のうちの一人がターボを見つけてやってきた。
    「ターボ! 大丈夫だったかい!?」
    「あっ、イナリ!」
    イナリと呼ばれたウマ娘はツインターボに駆け寄った。
    「寮にいなかったから心配しちまったよ。怪我はないかい?」
    「ターボは大丈夫だよ。この人たちが一緒に──」
    ふと、ターボの視線が寮のテレビに留まった。
    「あ、あれ……」
    ターボは震えた手で画面を指さす。私はそこに映された光景を見た。
    何かが──黒い何かが東北の街を飲み込んでいく。しばらくしてあれは大量の海水だと気づく。津波だ。津波が東北の街を破壊していく。港湾に入り込み、川を遡り、堤防を乗り越えていく。車も、船も、畑も、家も、何もかも流されていく。すべてが瓦礫に変わっていく。
    「やだ…いやだ……」
    ターボが悲痛な声を上げる。津波が街を蹂躙していく様を私たちは何もできずただ見ていることしかできなかった。

    3月11日午後2時46分、M9.0の巨大地震が三陸沖の日本海溝で発生した。後に東北地方太平洋沖地震と呼ばれるその地震は、震度6弱以上の強い揺れを広範囲にもたらした。また、この地震によって生じた9mを超える大津波により約560平方キロメートルもの面積が浸水し多くの人の命を奪った。

  • 66/24 ─3月11日(5)─24/03/28(木) 14:36:19

    日が暮れて夜になった。学園の食堂は設備が破損したため営業できなくなったそうだ。私は自室で物足りない非常食をちびちび食べている。
    テレビからは暗いニュースばかり流れてくる。最初は数人だった死者が今は数十人に増えている。これからどんどん増えていくだろう。津波のせいで孤立した人たちが何千人もいるらしい。画面には火災で真っ赤に染まった気仙沼市の街が映っていた。
    東北だけではない。東京都内でも死者や負傷者が何人も出ている。電車が止まり、家に帰れなくなった人たちが何万人もいる。トレセン学園の職員の人たちの中にも帰れなくなった人がたくさんいるそうだ。
    これから、この国はどうなってしまうのだろう。不安が心を蝕んでくる。
    外の空気を吸うために私は部屋を出た。寒さが身に刺さる。被災地の人々はきちんと暖を取れているのだろうか?

  • 77/24 ─3月11日(6)─24/03/28(木) 14:36:51

    門限も近いというのに、広場には沢山の生徒たちが集まっていた。皆、三女神様の像に向かって祈っている。被災地にいる家族、友達、そして、見知らぬ人々の幸福のために、それぞれが思いを三女神様に託している。私も像に向かって祈った。今はただ──そうすることしかできないから。
    人並外れた力を持っていても私達は所詮学生だ。誰かを救う力なんて持っていない。
    「ピサ、ここにいたか」
    トレーナーが話しかけてきた。私を探しているようだった。
    「こんな時に聞くのもなんだが……ドバイの件、どうする?」
    ドバイ? ああ、そんなものがあったっけ。
    「行けるわけないじゃないですか……こんな時に……」
    当然だ。今、日本中が大混乱に陥っている。そんな時に呑気に海外遠征なんてできるわけないのだから。
    「そうか……」
    トレーナーはそれ以上何も言わなかった。

    3月11日、URAは12、13日に中山、阪神、小倉で開催予定だった全レースを中止すると発表した。

  • 88/24 ─3月12日(1)─24/03/28(木) 14:37:25

    あれから一夜が明けた。
    部屋のテレビは相変わらず絶望的な状況を伝えるばかりだ。消防庁の発表では死者はわかっている範囲で164人、行方不明者258人、負傷者は1027人だそうだ。画面には津波でめちゃくちゃになった町から人がヘリで救出される光景が映っていた。
    「お腹すいたな……」
    私は部屋を出て下の階に降りた。
    談話室ではフジキセキ寮長の他、何人かの生徒が集まって話をしていた。その人たちから聞いた話によると、近隣のスーパーには食べられるものがほとんど残っていなかったそうだ。そのため、寮の炊事場で何か作っても、寮生全員に行き渡る量を作るのは難しい。しばらくは各部屋に備蓄してある非常食で食いつなぐしかないようだ。
    「もっと遠くまで足を延ばしてみるのはどうですか?」
    「あれ以上遠くへ行くのは危険だからダメだよ。道中何があるかわからないからね」
    あれから、何度も余震が襲ってきている。外出先で事故に巻き込まれる可能性もあるのだ。これ以降、寮長は学園外への外出の許可は出さなかった。

    その後、学園から正式に、学生は学園外への外出は避け、トレーニングも施設の安全が確認できるまで中止するようにと指示が出る。私たちはやることもなく、鬱屈とした日々を過ごすことになった。
    お腹は減り、トレーニングはできなくなり、レースは中止になる。この非日常はいつまで続くんだろう。

  • 99/24 ─3月12日(2)─24/03/28(木) 14:38:06

    大樹の洞の方からは時折叫び声が聞こえてくる。やりきれない気持ちを抱えている生徒がたくさんいるのだろう。
    三女神様の像の前には今日も祈りを捧げる生徒が集まっていた。私はその中にツインターボの姿を見つけた。
    「あ、ピサ」
    ターボが私に気づいて声をかけてきた。
    「あれから友達には連絡ついた?」
    ターボは首を横に振った。
    「何回も電話かけてるけど繋がらない……」
    今にも泣きそうな表情でそう言った。
    いたたまれない気持ちになった私はどうにかしてターボを励ましてあげたかった。しかし、なんて声を掛けて良いのかわからない。そのとき──
    「お嬢ちゃんたち! お腹すいてるだろう? おにぎりたくさん作ったからお食べ!」
    大量のおにぎりをお盆に載せた人たちがやってきた。いつもトレセンの食堂で働いているおばさん達だった。広場にいた生徒達が歓喜の声をあげた。たちまち行列ができる。私とターボも列に並ぶ。
    「こんなにたくさん……どうしたんですか?」
    「ウマ娘の職員さんがセンターからお米を運んできてくれてね。そこで厨房の無事だった炊飯器を使ってこしらえたのさ」
    運んできたというがここから給食センターまでかなりの距離がある。まさか、その距離を徒歩で運んできたのだろうか? それに昨日の地震で厨房はめちゃくちゃになっているはずだ。
    「いままでずっと働いてたんですか...? こんな大変な時に……」
    「いいんだよ、お嬢ちゃんたちをお腹いっぱいにするのがあたしたちの仕事だからね。どのみち電車が止まって帰れないし、今私たちにできることをやっただけさ」
    私は胸がいっぱいになる。深々と頭を下げてお礼を言った。
    「本当に……本当にありがとうございます!」

  • 1010/24 ─3月12日(3)24/03/28(木) 14:39:07

    私はターボと一緒に噴水の縁に座り、もらったおにぎりを食べた。具が何も入っていない白米だけのおにぎり。それがこんなにも美味しく、暖かいものだったなんて。
    「美味しいね、ターボ」
    「うん! おいしい!」
    ターボは笑顔で答えた。お腹が膨れて少し気が楽になったのだろう。
    この子の笑顔は初めて見た。見ているとこっちも元気になってくる、そんな笑顔だ。この子にはできるだけ笑顔でいてほしい。だから私は言った。
    「福島の娘たちもきっと大丈夫だよ。無事に避難して、私たちみたいに美味しいごはん食べれているはず。だからターボも元気出して。ターボの笑顔は皆も笑顔にするからね」
    「…!! それっ、福島の娘たちにも言われた! 『ターボと話すと元気になる』って!」
    ターボは福島での思い出を話した。温泉旅行に行ったこと。旅館の近くにあったウマ娘リハビリセンターでたくさんのウマ娘と知り合ったこと。また遊びに来ると約束したこと。
    「福島はいいところだぞ! 景色キレイで、食べ物もおいしい! レース場も楽しく走れちゃう最高の場所なの! ターボ、福島でたくさん勝って、一日けんちじ?にもなったんだぞ!」
    「県知事に!? ターボはすごいね! 私は福島で走ったことないな。いつか行ってみたいなぁ」
    「ホント!? ぜったい来てね! ……いつか、ね」
    私たちの間に沈黙が流れる。
    手元のおにぎりを見つめながらターボが口を開いた。
    「……そうだよね。今はだめでもいつかは元通りになるよね! よし、ピサ! ターボと約束しよ! いつか一緒に福島に行くの!」
    「一緒に? いいよ。約束しよう!」
    ターボはあっという間におにぎりを頬張り立ち上がった。
    「うしし! よーし、おにぎり食べて元気出たし、ターボ、校舎の片付け手伝ってくる!」
    ターボは勢いよく駆け出して行った。行動が唐突でせわしいが、これが本来のツインターボの性格なのだろう。確かに見ていて元気が出てくる。福島の娘たちの気持ちが分かる。
    おにぎりを食べ元気が出た私は、ターボ同様に自分の教室へ私物を取りに向かった。

  • 1111/24 ─3月12日(4)24/03/28(木) 14:39:49

    私がそのニュースを知ったのは日が暮れた頃だった。つけっぱなしになっていた自室のテレビからアナウンサーの緊迫した声が聞こえる。
    『ご覧いただいているのは、本日午後3時半頃の福島第一原子力発電所の映像です。大きな爆発が起こっているのが確認できます』
    画面には海のそばに建っている大きな建物が白い煙を上げている様子が映っていた。

    3月12日午後3時36分、福島第一原子力発電所1号機の建屋が水素爆発、広範囲に放射性物質が拡散され、政府は原発から半径2km以内に出していた避難指示を半径20kmに拡大した。

    私はそのニュースを聞いたとき、世界史の授業で先生から聞いたチェルノブイリ原発事故を思い出していた。あの事故でも放射性物質が広範囲に拡散され、今も広い範囲が居住禁止地域になっているそうだ。
    このまま、福島は死の街となってしまうのだろうか。
    ターボと交わした約束を思い出す。はたして福島に行ける日は二度とこないのかもしれない。
    思い出の地が地震と津波にさらわれていても、それでも前を向いていた人たちに今度はこの仕打ちだ。
    災害は容赦なく彼らから大切なものを奪っていく。

    私はただ何もできずにそれを見ていることしかできない。

  • 1212/24 ─3月13日(1)24/03/28(木) 14:40:23

    地震のあった日、校舎は散らかっていたが、今はもうすっかり綺麗になっている。食堂も再開のめどが立ったそうだ。職員さんが必死に働いてくれたおかげだ。大人ってすごい。
    私はターボを探しながら校舎の中を歩いていた。しかし、広場や美浦寮にも見当たらない。どこにいるんだろう?
    彼女が心配だった。事故のことで気に病んでいないだろうか?
    「ヴィクトワールピサはツインターボを『捜索』している?」
    「え?」
    突然、話しかけられた。その人は私の知っている人だった。
    「ネオユニヴァース先輩?」
    ネオユニヴァース先輩は私がトレセンに来た時からお世話になっている人だ。言葉遣いが独特で何を言っているのかあまり分からないが、何故か私の世話を焼いてくれる不思議な人だ。
    先輩は何故か私がターボを探していることを知っていた。先輩はたまに不思議な洞察力を発揮するときがある。
    「ツインターボは『理事長室』だよ。彼女は”別宇宙”の『運命』を引き寄せている」
    「…どういうことですか?」
    「”別宇宙”では、あの時彼女は既に…『いなかった』。でもこちらでは…違う。彼女は”REVE”によって皆を”ABSS”から救おうとしているよ」
    「……?」
    困った。いつも以上に何を言っているのかわからない。とりあえず理事長室に行けばターボに会えるのはわかった。
    「教えてくれてありがとうございます。 私、理事長室に行ってきますね」
    「待って」
    先輩は去ろうとする私を呼び止めた。
    「ヴィクトワールピサも”成し遂げる”をしなければならない。あの地に行って、”旗”を掲げて……」
    「私が? そんな…私にできることなんて……」
    「……ある。自分が何者か、君は思い出す必要がある。……ツインターボの所に行ってあげて」
    「…分かりました」
    私は困惑しながらも理事長室に向かった。
    先輩は私に成し遂げることがあると言った。
    私なんかに何ができるのだろうか。

  • 1313/24 ─3月13日(2)24/03/28(木) 14:40:54

    ──トレセン学園の理事長室

    「お願いりじちょー! レース中止しないで!」
    ツインターボは秋川理事長にレース開催の打診をしていた。
    「落ち着きたまえっ! それはURAが決めることで私の一存では決められぬ事ッ! それに各施設が被害を受けている中でレースを行うのは困難ッ! 君だって分かっているはずだろう?」
    地震発生後、東北関東の各地のレース場が損害を受けトゥインクルシリーズのレース開催は難しい状況になっていた。東京ではメモリアルスタンドのガラスが割れ、中山では水漏れやスタンドの天板の落下が起きた。そして──福島レース場はとりわけ壊滅的な打撃を受けていた。スタンドの天井の一部が崩落し、バ場は放射能で汚染され使用不可。4月の開催は絶望的だった。
    「でもさでもさ、阪神や小倉とかは使えるでしょ? そこ使ってレースやろうよ!」
    「むぅ…確かに南方のレース場は被害を免れたが、そもそも、この状況下でレースを開催するということ事態が不謹慎だという意見も出ているのだ…」
    「…そんなのダメだよ! 何とかしてりじちょーからエライ人たちにお願いできないかな?」
    「疑問ッ! 君は何故そこまでレース開催にこだわるのだ?」
    「ターボ、福島の人たちのために何かしてあげたいの! でも、ターボにできることって走ることしかできないから、じゃあたくさんレース走って、そしたらテレビやラジオで聞けるでしょ? それで皆を元気にしたいの」
    ツインターボは必死に懇願する。秋川理事長はそれをじっと見つめ、そして大きくうなずいた。
    「承知ッ! 君の気持ちはよく分かった! 私からURA本部に直接掛け合ってみよう!」
    「…!! ありがとう! りじちょー! 楽しみにしてるね!」
    秋川理事長に大きくお辞儀をしてツインターボは理事長室を後にした。

  • 1414/24 ─3月13日(3)24/03/28(木) 14:41:32

    私は理事長室の中から出てきたターボと鉢合わせした。
    「ターボ、理事長と何を話してたの?」
    「りじちょーにね、レースを中止しないでってお願いしたの!」
    「えっ…それはなんで?」
    「ターボね、皆にニコニコしてほしくていろいろ考えたの。ターボにできることって走ることだけだから、じゃあレースして皆に元気出してもらおうって考えて、それで理事長にお願いしたの」
    「……駄目だよターボ。そんな無理言って理事長に迷惑かけちゃ」
    「え?」
    「こんな時にレースなんて出来ないよ。皆大変な思いをしてるのに私たちだけなんて。この先どんなことが起こるのかも分からない。福島だってあんなことになって…」
    「…で、でも、今のターボ達にできることは何でも──」
    「私達に出来ることなんて何もないのっ! 頑張ってる大人の人たちの邪魔しないで、普通の日に戻れるように祈ることしか出来ないのっ!」
    思わずそんなことを言ってしまった。ターボは呆然とした顔で私を見る。
    「ごめんターボ、そんなつもりじゃ──」
    「ふつうの日って何? ターボ達がレースするのはふつうじゃないの? いつもみたいにレースしてみんなが笑っているのの何が悪いの!?」
    「それは…」
    「ターボやるから! 絶対走るから! みんなでいつもみたいにレースやって、みんなをニコニコにするんだから!」
    ターボは走り出し、あっという間に私の前からいなくなってしまった。廊下で私はひとり立ち尽くした。

    私はどうすればよかったのかわからない。
    私なんかに一体何ができるのかわからない。
    わからない。

  • 1515/24 ─3月19日(1)24/03/28(木) 14:42:21

    地震があった日から1週間程が経った土曜。3月19日の晴れた日。私は阪神レース場にいた。
    「ターボ全開ーッ!!!」
    『ツインターボ、やはり大逃げだ! 後続に大きく差をつけ先頭を走る!』
    黒いリボンを付けたターボが大勢の観客の前で走っていた。私はそれをトレーナーと共に観客席から観戦していた。

    URAは被災を免れた阪神・小倉レース場でレースを再開、19日から27日までの合計5日間のレースを「東北関東大震災被災地支援レース」として開催し、売り上げの一部を被災地への義援金として拠出することを決めた。

    あれからいろいろなことがあった。
    トレセン学園は月曜から授業とトレーニングを再開した。食堂も職員さんが必死に働き無事に営業を再開できるようになった。「今できることを全力でやらなくちゃね」とぼろぼろになった靴をはいたウマ娘の職員さんは言っていた。
    明るいニュースだけではなかった。福島第一原発は3号機と4号機が水素爆発、2号機の格納容器も破損し、再び放射性物質を広い範囲に拡散してしまうことになった。「放射能が雨に乗って日本中が汚染される」そんな噂も立った。

    そのニュースを聞いても、ターボは決して落ち込まなかった。学生ボランティアにも参加し、少しでも福島の人々のためにと動いていた。
    今日のレースについてもターボは積極的に働きかけていた。出走を渋るウマ娘を説得し、たくさんの人に観戦するよう呼びかけていた。
    「ピサも見に来てよ。ピサにターボ達が走るところ見ててほしいんだ」
    数日前、ターボにそう言われたが私は行く気になれなかった。しかし、トレーナーが現地観戦を強く勧めてきた。
    「せっかく皆が走るんだ。応援に行ってあげようよ」
    そう言われたこともあり、私は現地に行くことを決めた。

  • 1616/24 ─3月19日(2)24/03/28(木) 14:42:46

    そして今日、ターボはターフを走っている。スタミナを燃やし尽くす彼女の代名詞とも呼べる大逃げで観客の視線を独り占めする。私も彼女の走りに釘付けになる。
    レースは終盤に差し掛かった。最終直線に先頭で入ったターボは阪神の急坂を上る。
    「ぜぇ、はぁ、はぁ」
    レース序盤からハイペースで飛ばしたターボのスタミナは尽きかけていた。急坂でみるみるスピードが落ちていく。そこへ後ろから追い上げてきたウマ娘達が差を詰めてくる。
    ──追いつかれる!
    「いけーーーターボ! 頑張ってーーーー!」
    私は思わず叫んだ。彼女に向けて目一杯の想いを込めて応援する。
    「でぇりゃああああああぁあ!」
    その想いが届いたのかどうか、ターボはゴール直前で再び加速する。後続の猛追が届く寸前、ターボは先頭のままゴール板を通過した。
    『一着はツインターボ! 根性で逃げ切った!』
    歓声が上がる。無謀と思われた大逃げでターボは見事勝利して見せた。
    「よくやったぞー! ツインターボ!」
    観客の人たちはターボに向かって惜しみない称賛を送る。
    「キャハハ! みんなー元気かー!? ターボは元気いっぱいだぞー!」
    どこにそんな体力が残っていたのか。ターボは観客席の前を走り回り、クルクル回り、勢い余ってズッコケる。会場からは笑いが漏れた。私も思わず笑う。
    地震が起こってから、人々は不安な日々を送り、暗い表情になっていた。
    しかし今日、阪神レース場は人々の明るい表情で溢れていた。

  • 1717/24 ─3月19日(3)24/03/28(木) 14:43:23

    記者さんがターボにインタビューする。
    「おめでとうございます! ツインターボさん!」
    「えへへ、ありがと!」
    「今の気持ちをお聞かせください!」
    「ええとターボはね、皆に元気を出してほしくて出走したの! 地震があって悲しい気持ちになってる人がたくさんいるけど、ターボ達のレース見て元気出してほしかったの! 今日、みんなニッコニコになってくれてターボものすごく嬉しいぞ!」
    観客たちはターボのインタビューを笑顔で聞いている。
    「あとねあとね、これは元福島県一日県知事のターボからのお願い! 今はめちゃめちゃになっちゃったけど、福島は必ず元通りになるぞ! そしたら皆も福島に来てほしいんだ! 皆でレース見てさ、元気いっぱいになって、そしていろんな観光地に行ってほしいの! お祭りもあるよ! 皆で鎧とか着てレースしたり街中歩き回るんだ! いつかぜったい来てね! ターボとの約束だぞ! 以上、県知事のターボからでした!」
    場内から拍手が起こる。観客全員が彼女の言葉に希望を見出していた。
    思い出の街が壊れても、友人が消息不明になっても、原発事故が起こっても、彼女は決して希望を捨てなかったのだ。その姿は皆を勇気づけた。

  • 1818/24 ─3月19日(4)24/03/28(木) 14:44:17

    ウマ娘はたくさんの”想い”を背負い、走る。そんなことを聞いたことがある。確かにターボは人々の想いを背負い、走っていた。これがウマ娘の持つ力か。
    ふと考える。じゃあ私は? 私も皆の想いを背負ったウマ娘だ。ファンから選ばれ有馬記念を制し、URA賞に選ばれたウマ娘だ。
    私にできること、私にしか出来ないこと。そんなことが、一つだけあるじゃないか!
    「トレーナー!」
    隣で一緒にレースを見ていたトレーナーに私は言う。
    「ドバイワールドカップ、今から行くことってできますか!?」
    それを聞いたトレーナーは優しく笑いながら言った。
    「そう言ってくれると思ってたよ」
    どうやらトレーナーは私がこう言うことを見越していたようだった。

    URAは合計5日間で行われた被災地支援レースの売り上げから約11億3000万円を拠出、また、レース場に来たファンの募金により合計4473万円が集まり被災地復興支援のために寄付された。

    喪章をつけた彼女達の走りは確かに人々を一つに繋げていた。

  • 1919/24 ─3月22日(1)24/03/28(木) 14:45:06

    あれから数日後、出発の日はすぐに来た。

    トレセン学園の門を出るとき、たくさんの生徒が見送りに来てくれた。その中にはツインターボとネオユニヴァース先輩の姿もあった。
    「ピサ、頑張ってね! テレビ見て応援するから!」
    「ありがとうターボ。 あの時はごめん。あんなこと言って」
    「いいの。ピサはターボのレース見て元気出た?」
    「うん! おかげでドバイに行く決心ができたよ! ドバイワールドカップ、絶対一着取ってくるからね!」
    私は隣にいたネオユニヴァース先輩と話す。
    「先輩、私にしかできないこと、やっと気付くことができました。私、みんなの希望になれるように頑張ってきます!」
    「”別宇宙”とは2Wの『ディレイ』。でも大丈夫、間に合った。頑張ってね。ヴィクトワールピサなら必ず成し遂げられる。”あの人”もそれを望んでいたよ」
    「”あの人”って誰のことですか?」
    「”別宇宙”でネオユニヴァースと共にいた。そして、ネオユニヴァースが残した光と共に”成し遂げる”をした。……とても大切な人」
    「そうなんですね。任せて下さい。先輩の大切な人の想いも乗せて、私は走りますから!」

    出発の時間になった。校門にメンバーが集まった。
    今年、ドバイワールドカップデーのレースには私以外に4人のウマ娘が出走登録していた。UAEダービーに出走するレーザーバレット、ドバイシーマクラシックに出走するルーラーシップ、そして、私と同じドバイワールドカップに出走するブエナビスタとトランセンドだ。
    その4人とともに私は日本を発つ。
    私達は互いに顔を見合わせる。本来、私たち5人はライバル同士だ。しかし、今はまるで仲間のような連帯感がある。目的は同じ、日本に勇気と希望を届けるため。
    たくさんの人々の為に、日の丸と希望を胸に抱いて私たち”チーム・ニッポン”はドバイに向けて出発した。

  • 2020/24 ─3月26日(1)24/03/28(木) 14:45:49

    日本からはるか遠い異国であるアラブ首長国連邦。ドバイワールドカップが行われるメイダンレース場はその中のドバイ首長国に2010年に開場した。
    このレース場は他とは違い、砂の代わりにタペタと呼ばれる特殊な素材が用いられたオールウェザーコースが導入されており、ドバイワールドカップはそこで行われる。ダートと同様に均一に均すことができ、かつクッション性やグリップ力に優れている。
    しかし、芝ともダートとも違うそれは私たちにとって未知の感触だった。このバ場の上で私たちは世界の強豪と戦わなければならない。
    さらにこの日の気温は30度。まだ冬の寒さが残っていた日本とは環境のギャップがあまりに大きい。
    『1着はリワイルディング! 悲願のG1に手が届いた!』
    ドバイシーマクラシックが終わった。焦ってしまったのかルーラーシップは向正面で掛かり、最終直線で沈み6着という結果で終わってしまった。
    レーザーバレットも慣れないオールウェザーに苦戦し、結局9着となった。
    世界の壁の高さを目の当たりにする。ドバイの栄冠はこんなにも遠いものなのか。
    残るレースは私達3人が出走するドバイワールドカップのみとなった。

  • 2121/24 ─3月26日(2)24/03/28(木) 14:46:55

    心臓がうるさく脈打っている。
    緊張でおかしくなりそうな気持ちをどうにか抑えながらパドックで調整をしていた時、声をかけられた。
    「アナタ達ガ、ニッポンノウマ娘デスカ?」
    たどたどしい日本語でそう聞かれた。同じレースに出走するドバイのウマ娘だった。
    「は、はい……」
    何を言われるのだろうか。私達3人に緊張が走る。
    そのウマ娘は私に近づき、そして──抱きしめた。
    「ニッポンノ復興ヲ、祈ッテイマス」
    日本語で、確かにそう言ってくれた。
    「…っ! ありがとうございます…!」
    すると周りにいた他のウマ娘も集まってきて私達を代わる代わる抱きしめてくれた。
    例え国が違っても、誰かを思いやる気持ちは同じということを知った。

    「デハ、良イレースヲ」
    ドバイのウマ娘はそう言って離れていった。
    分かっている。日本を応援してくれる人でもコースの上では平等にライバルだ。
    夜空に花火が揚がった。もうすぐドバイワールドカップが始まる。
    『さあ、各ウマ娘次々とゲートに入っていきます』
    少し狭いゲートの中に私は入る。泣いても笑っても数分後には決着がつく。後悔の無いレースにしよう。私は深呼吸しスタート姿勢をとった。
    『全ウマ娘、体制整いました!』

  • 2222/24 ─3月26日(3)24/03/28(木) 14:48:01

    ガチャンッ!
    「くっ!」
    しまった、出遅れた!
    落ち着け。まだ終わったわけじゃない。私は冷静に周囲の状況を見ながらバ群の最後方につく。
    ブエナビスタがすぐ目の前にいた。いつも通り後ろに控えながら走るつもりのようだ。
    私のいつもの戦法は中段からの差し切り。こんなに後ろからのレースはほとんど経験がない。おまけに今回のレースはかなりスローペースのようで先行有利な展開だ。ブエナビスタもそれに気づき位置を上げようとするが、前をバ群に阻まれて思うように動けない様子だった。
    だんだんと気持ちが焦ってくる。このまま、何もできずに終わってしまうのだろうか。
    向正面に入ろうとしたとき、ふと先団の様子が目に入った。なんとトランセンドが先頭に立ち集団を牽引していた。世界の強豪達に引けを取らず強気に前に出ている。ふと私は阪神で見た"あの子"のレースを思い出した。
    ──そうだよね。皆をニコニコにするにはこうするしかないよね!
    『おっとここでヴィクトワールピサ。なんと大外から一気に上がって2番手に付けました! 日本のウマ娘2人が、集団を先導しています!』
    一瞬、トランセンドと目が合った。私には彼女が微かに笑ったように見えた。
    バ群はコーナーに差し掛かり、徐々にペースが上がっていく。後ろからウマ娘たちが位置を上げて迫ってくるのを感じる。私たち2人はそのプレッシャーに耐えながら先頭を維持している。
    ついに最終直線に入った。
    残り300m。さほど残っていない足を解放し私はスピードを上げる。スローペースだったとはいえ慣れないオールウェザーのバ場は確かに私の体力を奪っている。
    残り200m。私はトランセンドをかわしついに先頭に立つ。しかし彼女も負けじと食い下がる。彼女だけではない。後ろから無数の足音が襲い掛かろうとするのが聞こえてくる。
    残り100m。足が重い…。いうことを聞かない足を無理やり前に出して走る。動け、私の足、動け、動け、動け!
    「うあああああぁああああああ!」
    最後の力をふり絞り叫ぶ。私の想い、皆の想い、知らない誰かの想い。色々なものを背負って、私はメイダンのゴール版に飛び込んだ。

  • 2323/24 ─3月26日(4)24/03/28(木) 14:48:31

    『ヴィクトワールピサ、トランセンド! ワンツーフィニッシュ! ニッポンのウマ娘が快挙を成し遂げました!』
    耳をつんざくような歓声が湧き上がる。
    息が苦しい。心臓が煩い。それでも、朦朧とする意識の中でも微かに聞こえるあの喧騒が、確かに私の成し遂げたことを証明していた。
    涙が溢れてくる。トランセンドとブエナビスタがやって来て私を抱きしめてくれた。
    「おめでとう! おめでとう!」
    ライバルなのに、悔しいはずなのに、2人とも私を心から祝福してくれていた。
    これは私だけではない。私達チーム・ニッポンが成し遂げた偉業なんだ。
    日本の皆、私、やったよ。世界に勝ったよ。
    周りを見渡すと、観客も、共に走ったウマ娘達も、全員が私を祝福していた。
    照明に照らされ砂塵がきらめくメイダン競馬場。そこには人種も国籍も、勝者と敗者の垣根も超えた何百、何千もの笑顔があった。

  • 2424/24 ──24/03/28(木) 14:49:12

    日本の皆さん、見てますか?
    この想い、届いていますか?
    8000キロ離れたこの地で、私は世界の強豪達に勝ちました。
    勇気を持ってください。
    希望を捨てないでください。
    いつか、皆が再び心から笑いあえる日が来るように、
    私は祈っています。
    遠く離れたドバイから
    私は祈っています。

  • 2525/24 ─3月27日─24/03/28(木) 14:49:39

    「すごい……」
    アタシはテレビの録画でその光景を見た。
    日本のウマ娘が偉業を成し遂げた。
    その姿は見る人に確かに希望を与えていた。
    お姉ちゃんが言ってたっけ。「わたし達の走りは皆に夢を見せるんだ」って。
    アタシもなれるのかな。あんな風に人々の希望になれるのかな。
    「なるんだ! アタシだって皆の希望になれるような、世界に勝てるような、そんなウマ娘に!」
    いてもたってもいられなくなったアタシはジャージに着替える。
    父さんからもらった金色の髪飾りを着け外に飛び出す。
    たくさん走って強くなって皆に夢を見せるんだ。
    「まずは皐月賞だ!」

    終わり

  • 26スレ主24/03/28(木) 14:50:51

    ウマ娘ツインターボとヴィクトワールピサ、被災地支援競馬とドバイワールドカップをテーマにしたSSを書いてみました。


    このSSではヴィクトワールピサは震災後に日本を出発していましたが、史実では3月9日に日本を発ち、ドバイ現地で震災の報を聞いたそうです。

    https://jra.jp/special/jra70th/pdf/history/2011-3-2.pdfjra.jp

    SSに震災の描写がありますが、当時スレ主は小学生だったため当時のことをほとんど覚えておらず、いろいろ資料を読んで想像で書きました。

    東日本大震災タイムラインプロジェクト|NHK NEWS WEB2011年3月11日の東日本大震災と東電福島第一原発事故で起きたことを、公的機関の記録、NHKやメディアのニュース、個人の証言やSNSの投稿などのデータを集め、タイムライン形式で伝えていきますwww3.nhk.or.jp
    地震発生から72時間 東日本大震災復興10年年表|NHK災害アーカイブス災害の実態を伝え、復興支援と防災をめざして 2011年3月11日の「東日本大震災」で被災した人々の証言を中心に NHKが持つ震災にかかわる映像を公開し「あの時、何が起こり、人々はどう行動したのか」「復興支援と明日の防災のために何ができるか」をともに考えていくサイトです。www.nhk.or.jp
    2011年3月11日…あのとき「東京」で何が起きていたのか? | ゴールドオンライン東日本大震災から9年。記憶が薄れていくなか、首都・東京では直下地震のリスクが高まっている。いま一度、あのとき、東京で何が起きたのかを振り返り、防災に活かしていきたい。gentosha-go.com
  • 27二次元好きの匿名さん24/03/28(木) 14:53:36

    このレスは削除されています

  • 28二次元好きの匿名さん24/03/28(木) 14:57:40

    このレスは削除されています

  • 29スレ主24/03/28(木) 15:00:18

    最後にこのSSを書くにあたって参考にした資料を貼っておきます。

    震災と競馬の関わりや福島の馬事文化、ドバイワールドカップのことについて知ることができるのでぜひ読んでください。


    1/5

    東日本大震災タイムラインプロジェクト (NHK)

    東日本大震災タイムラインプロジェクト|NHK NEWS WEB2011年3月11日の東日本大震災と東電福島第一原発事故で起きたことを、公的機関の記録、NHKやメディアのニュース、個人の証言やSNSの投稿などのデータを集め、タイムライン形式で伝えていきますwww3.nhk.or.jp

    地震発生から72時間 東日本大震災復興10年年表|NHK災害アーカイブス

    地震発生から72時間 東日本大震災復興10年年表|NHK災害アーカイブス災害の実態を伝え、復興支援と防災をめざして 2011年3月11日の「東日本大震災」で被災した人々の証言を中心に NHKが持つ震災にかかわる映像を公開し「あの時、何が起こり、人々はどう行動したのか」「復興支援と明日の防災のために何ができるか」をともに考えていくサイトです。www.nhk.or.jp

    3/11 — The Tsunami: The First 3 Days (NHK WORLD-JAPAN)

    3/11 — The Tsunami: The First 3 Days (※冒頭から津波の映像が流れますのでご注意ください。東日本大震災の映像記録番組です。)- NHK WORLD PRIME

    年3月11日…あのとき「東京」で何が起きていたのか? (THE GOLD ONLINE)

    2011年3月11日…あのとき「東京」で何が起きていたのか? | ゴールドオンライン東日本大震災から9年。記憶が薄れていくなか、首都・東京では直下地震のリスクが高まっている。いま一度、あのとき、東京で何が起きたのかを振り返り、防災に活かしていきたい。gentosha-go.com

    地震発生時のNHK放送

    2011年3月11日 東日本大震災発生の瞬間(14:46~16:48)NHK国会中継の最中


  • 30スレ主24/03/28(木) 15:01:28

    2/5

    2011年の競馬 (ウィキペディア)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC

    地震によるJRA施設の被害状況 (ラジオNIKKEI)

    https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-199017.html

    桜TRや重賞は次週へ 福島競馬場損傷大 (日刊スポーツ)

    https://web.archive.org/web/20110315203247/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20110313-747785.html

    10年前を思い返して (netkeiba)

    https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=48489

    【10大ニュース】1位 東日本大震災で開催中止 (スポニチアネックス)

    https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/12/31/kiji/K20111231002342420.html

    【3.11の記憶】東日本大震災から13年 ― 当時の影響とそれぞれの蹄跡 (netkeiba)

    https://dir.netkeiba.com/keibamatome/special/10years_after/index.html

    馬の温泉だより 2011年3月

    https://blog.jra.jp/onsen/2011/03/

    JRA、阪神と小倉でレース再開 2週間ぶり (朝日新聞デジタル)

    https://www.asahi.com/special/10005/TKY201103190376.html

  • 31スレ主24/03/28(木) 15:02:47

    3/5

    被災地支援競走 (ウィキペディア)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0%E6%94%AF%E6%8F%B4%E7%AB%B6%E8%B5%B0

    被災地支援の取組み (JRA)

    https://jra.jp/company/social/support/

    JRAの被災地支援の取組みについて (JRA)

    https://www.jra.go.jp/news/other/shien.html

    「東北関東大震災被災地支援競馬」を実施 (競馬ブックweb)

    https://p.keibabook.co.jp/news/detail/54027

    27日(日)までの阪神競馬・小倉競馬を「東北関東大震災被災地支援競馬」として実施 (ラジオNIKKEI)

    https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-199305.html

    「東北関東大震災被災地支援競馬」の実施結果 (ラジオNIKKEI)

    https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-199894.html

  • 32スレ主24/03/28(木) 15:04:07

    4/5

    2011ドバイワールドC詳報 (JRA70周年特設サイト)

    https://jra.jp/special/jra70th/pdf/history/2011-3-2.pdfjra.jp

    ヴィクトワールピサ文句なしV! ドバイへ視界良好=中山記念 (スポーツナビ)

    https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201102280001-spnavi

    「この勝利をニッポンの皆様に捧げます」デムーロが涙した2011年ドバイワールドC【ヴィクトワールピサの激走】 (Number Web)

    https://number.bunshun.jp/articles/-/847536

    【3.11―あの日から10年】「日本のために勝ちたい」ミルコ・デムーロ騎手 特別コラム (netkeiba)

    https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=48478&rf=kmatome

    第5回「黒い馬場のタペタ」 (中山馬主協会)

    https://nakayama-racehorseowners.or.jp/main/baji/item/1982/264

    【10大ニュース】2位 ヴィクト「ドバイ」制覇 (スポニチアネックス)

    https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2011/12/31/kiji/K20111231002342430.html

    ドバイワールドカップの映像

    ドバイワールドカップ!!!

    「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」(世界各地でのエピソード集)中東(中東その2) (外務省)

    https://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/episode/episode24.html

    東日本大震災関連の出来事 (在アラブ首長国連邦日本国大使館)

    https://www.uae.emb-japan.go.jp/2011earthquake_j.htm

  • 33スレ主24/03/28(木) 15:06:14

    5/5

    大震災から6年、今年も「福島競馬」が続くワケ (東洋経済ONLINE)

    https://toyokeizai.net/articles/-/180685

    福島競馬場改修工事レポート (福島馬主協会)

    http://www.fukushima-umanushi.jp/column/feature/feature139.html

    東日本大震災から10年 甚大な被害を乗り越え、福島競馬場にファンファーレが響いた日 (スポーツ報知)

    https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20210309-OHT1T50215.html


    「福島競馬場」が日本で最も熱かったあの夏 (東洋経済ONLINE)

    https://toyokeizai.net/articles/-/228000

    馬事文化のまち みなみそうま (南相馬市)

    https://www.city.minamisoma.lg.jp/portal/sections/61/6150/61503/study/3265.html

    相馬野馬追 公式サイト

    https://soma-nomaoi.jp/

    競走馬リハビリテーションセンター

    https://company.jra.jp/equinst/rehabilitation/index.html

    ツインターボの育成イベント


    以上です

  • 34二次元好きの匿名さん24/03/28(木) 16:17:17

    よかった

  • 35二次元好きの匿名さん24/03/28(木) 17:22:59

    良いもの読ませていただいた...途中から泣いちゃった
    最後に出てきた金色の髪飾りの子はオルフェかな?

  • 36スレ主24/03/28(木) 18:24:38

    >>35

    ありがとうございます

    最後の子はオルフェです

    書いてる途中にぱかライブでいろいろ発表があって、迷った結果最初のイメージのまま書くことにしました。

    できればトランセンドとノーリーズンも登場させたかった…

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