- 1◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:46:03
「君も蹄鉄を選んでるの?」
「あ?」
所属する野良レースチーム“群愚丹瑠”の集まりも無い、とある日のこと。そんな日は決まって蹄鉄ショップなどのレース用品店に足を運ぶのが日課となっていた。
あの日、ポッケさん……ジャングルポケット一行の走りを見て、自分も正々堂々勝てるような力を身につけたいと思い、練習の傍ら、道具を見るのが好きになったのだ。
形から入るのは悪い癖だけど、夢を見るだけならタダ。そう言うわけで、今日も手の届かない金額の蹄鉄を眺めながら、時間を潰そうと思っていたのだが。
まさかこんなガラの悪そうなウマ娘に声を掛ける輩がいるとは。優しそうな声に振り向き、下から視線を移していくと、トレーナーバッジが見えた。なるほど、学園のトレーナー様か。
あたしのこと、高価な蹄鉄を吟味している、将来有望なウマ娘とでも思ったか? なら残念だったな。あたしは学園のウマ娘じゃない。あんたが思うようなキラキラした女じゃない。身の丈に合わない夢を遠くで見ているだけの、ただの弱者。
一言言葉を交わすことすら、お互いの時間の無駄だ。なぁに、睨み返して舌打ちでもすりゃ、とっとと踵を返すだろう。そう思い、顔を上げ、その目を見た瞬間。 - 2◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:46:17
シビレた。
電流が走るだとか、目が離せなくなるだとか。今まで心の何処かでバカにしていたハズのお伽噺のような、そんな体験。
目の前の彼以外が色褪せた。羨んでいた蹄鉄の輝きすら霞んでしまった。アタシの世界がくるりと回った。
ああ、なるほど。これが一目惚れってやつか。
気づけば自分の部屋に辿りついていた。ああ、彼の名前と職業をかろうじて聞いた事だけは覚えている。……その後、スキップで帰路についたことも。
バッジが示した通り、彼は学園のトレーナーだった。今年の新人で、まだ担当ウマ娘を探している最中だそうだ。何てことだ。今ほど自分がトレセン学園生でないことを悔いたことはなかった。もし、あたしがトレセン生だったら? その場で逆ナン……もとい、逆スカウトしていたら?
「んむううううう!」
柄にもなく声を上げ、ベッドの上でのたうち回る。抱き枕を抱えて何度も転がった。
一通り暴れた後、ふと、体に力みなぎっていることに気づく。今日は素敵なイベントがあった。ずっとスキップで家まで駆けた。ママに怒られるくらい、自室を荒らした。
なのに、まだ足りない。もっとなにかしたい。――走りたい。
「……まだ、遅くはねぇよな」
ポッケさんに会うまでサボっていたからだとは思いたくないが、まだ本格化と言えるほどの能力の伸びは感じていない。ウマ娘により本格化を迎える年齢はまばらだと言うし、今からならまだ間に合うかも知れない。
いつものジャージ……は夜に走るには黒すぎて危ないから、やや蛍光色を帯びた白く目立つ服を選び、夜の闇に駆け出していく。
動機はほんのちょっと不純かも知れないが、これほどまでに心に突き動かされたのは初めてだ。一生のうちに、こんな感覚を何度味わえるのだろう。一説によれば、ウマ娘は強い感情によってより力を発揮する。で、あるならば。
「待ってろよ、トレーナーさん。あたしが迎えに行くその時をよぉ!」
今こそ、夢に手を伸ばす最後のチャンスかも知れない。夜の闇に、熱に浮かされたような声がこだました。 - 3◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:46:37
「本当におめでとうな、ディン。制服、似合ってんぜ」
「はい、ありがとうございまっす!」
「補欠枠の滑り込み合格だけどな~」
「うっせぇな、結果的に入れたんだからいいんだよ!」
「……まあなんだ、ポッケさんに会ったらよろしくな。まったく、アタシも鼻が高いぜ。なんせ、一緒に野良走ってた仲間から、トレセン学園生が出たんだからな。思い立ってから苦節3年。よくやったよ、お前は」
「へへ」
そう。彼と出会い、夜闇に駆け出したあの日から、実に3年が経った今、あたしはトレセン学園の前にいた。学園の制服を着て、チームのトレードマークだったマスクも外して。
トレセン学園に入るなんて、並大抵の努力じゃ叶わない。国内から、海外から、才能もあって、血筋も良くて、もしかしたら魂から他とは違う、そんなウマ娘たちがここを目指すのだ。
特別なものなど何も無い、あたしみたいなウマ娘が手に取ることのできる唯一の武器は、努力だけ。面白おかしく生きてきただけのあたしだけど、毎日、家に帰って即ぶっ倒れるくらいに自分を追い込んだ。
慣れないメニューを組んで体調を崩したこともある。練習の甲斐なく野良レースに負けて、泣いたことだって。だけど、心が折れそうになるその度に、彼の顔を思い出した。
「……ふへへ」
チョロいなあ、なんて思いながら、それでもニヤケ顔をやめられない。どうしようもなく、また力が漲ってくる。心が満たされる。
「おいディン、どーせ続かない努力なんて無駄だぜー。……無理すんなよ、なぁ。ボロボロじゃねぇか。もう、やめようぜ」
そんな憎まれ口のような心配を重ねていたダチも、1年も続けた頃には諦めて、先輩と一緒に応援してくれるようになった。
そうして、ようやくこの門に手が届いたのだ。
「デビューの日、教えろよな。応援すっから」
「はい! もちろんです! よろしくお願いします! ……じゃあ、また!」
「おー、たまには顔見せろよな!」
仲間たちに踵を返すと、緑色の衣装に身を包んだ秘書さんの横を通り抜け、学園に向かっていった。 - 4◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:46:58
「見つけたァ!!」
練習コースの傍ら、タブレットを片手に佇む彼を見つけた。入学してからまだ数日だというのに、こんなに早く出会えるなんて。
あの日の偶然が、あたしをここまで運んできた。そしてすぐに彼に会えた。これはもうきっと、三女神様が後押ししてくれている。間違いない。
もはやあたしの前に壁はない。心の向くまま、あたしの声にたじろぐ彼のもとまで秒で駆けつけることができた。
「君は――」
「はい! あたし、フワモトオーディンって言います! ディンって……いや、あなたならディンちゃんって呼んでくれてもOKっす!」
「う、うん。ちょ、ちょっと待ってね、えっと、ディンちゃん?」
「はい! はい! あなたのディンちゃんっす! 適正距離はマイル、脚質は差しです! お願いします、あたしのトレーナーになってください!! 絶対幸せにしますから!!」
「ちょっと待って! ストップ!」
肩を掴まれ、前傾姿勢を抑えられる。あったかい。じんわり伝わる彼の体温が気持ちよく……待った。これって、もしかして。
「だ、だめ、っすか……?」
「トレーナー契約は勢いで結ぶものじゃないから……一旦落ち着いて?」
拒絶、された……? その考えがよぎった瞬間、体が冷えていくのを感じた。 - 5◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:47:12
ガッつきすぎたのか?
あたしは毎日彼のことを思い続けていた。この三年間、彼との会話が待ち遠しくて、脳内シミュレートし続けた。彼の笑顔だけを想い続けた。
だから夢にまで見たあなたに会えたのが嬉しくて、たまらなくて、でも久しぶりにあった気もしなくて、つい馴れ馴れしく距離を詰めてしまった。でも、彼にとってはこれが二回目……ううん、もしかしたら最初の出会いはこの数年のうちに綺麗サッパリ忘れ去ってて、初対面と変わらない感覚だったのかも。なのにこんな詰め方したら……普通は引く、よな。
いや、いやだ。なんとか彼を引き止めないと。どうしたら良い? とにかく、あたしの想いを伝えないと!
「あの、あたし、野良レース出身で、その日暮らしの毎日を過ごしてました! で、でもあなたに出会って……あなたは忘れてしまったのかも知れないっすけど、それはあたしにとっては大事な出来事で、嬉しくて、あたしはそれがあったから3年間ずっと頑張れて、今ここにいて! それから、だから」
「……」
彼は静かに、あたしの話を聞いている。
「だから、あたし、あなたの担当ウマ娘になれないなら、ここにいる意味、なくて」
最悪だ。これじゃまるで脅しだ。憧れの人との再会。もっと楽しい話をして、あたしをもっと知ってもらって、それからふたりでレースを勝って。そんなふうに仲良くなれたらなんて思っていたのに、全部台無し。耳が力なく倒れていくのを感じる。目が潤んでいくのがわかる。なんで、あたしはこう大事なときに。その時だった。
「ねえ、お兄ちゃんになにか用?」 - 6◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:47:48
そこにいたのは芦毛のウマ娘。ジャージ姿に少しだけ汗ばんだ様子。きっと周回路で練習していたのだろうその出で立ちと……先程の言動。
「お、お兄ちゃん? いや、あんたは……」
そうだ。言動なんかより先に気にすべきことがある。間違いない、このウマ娘は――
「はーい、お兄ちゃんの担当ウマ娘、カレンチャンです! よろしくね?」
あの“Curren”だ。キラッキラな投稿を続ける人気ウマスタグラマー。夢は確か、“究極の可愛いを極めること”、だったかな? 可愛い系は興味がなかったからウマスタのほうはそこまで詳しくないが、レースなら画面越しに観たことがある。先行策が得意なスプリンター。あたしの距離適性はマイルだから、参考程度にしかしていなかったが、この子が彼の担当ウマ娘だとは。
彼が新人だった頃からもう3年。とっくに担当がついていて、トレーニングして、一緒にレースに参加して、苦楽をともに重ねて絆を深めていてもおかしくはない。むしろ当たり前のことだった。
そして、いくら人気ウマスタグラマーといえど、あの優しいまなざしに3年もさらされ続けて無事とは思えない。ということは、この子があたしのライバルになるのだろうか?
3年のアドバンテージに加えて、この可愛らしさは脅威だ。正直もう泣きそう。……だが、希望はある。
「あたしはフワモトオーディンだ。お兄ちゃんってことは――」
「血はつながってないよ?」
無惨にも希望は打ち砕かれた。血縁関係じゃないのかよ。じゃあ何でお兄ちゃんなんて呼んでるんだ? 複雑なご家庭? ……ひとまず置いておこう。ライバルが目の前にいるのに、弱気になっている場合じゃない。 - 7◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:47:58
「あたしはこの人の担当ウマ娘になりたくって、この学園に入ったんだ! 出会ってから3年間、走りも勉強も頑張って、ようやく編入できた。だから、せっかくまた巡り会えたこのチャンスを逃したくないんだ。首を縦に振ってくれるまで、ここから動かねぇ!」
こうなりゃヤケだ。駄々っ子と言われようが、このままここに居座ってやる。……練習の邪魔にならないところで。
「うーん、どうしようかな。……そうだ。ちょっと向こうでお話、しよっか。少しだけ待っててね、お兄ちゃん」
「あ、ああ。お手柔らかにな」
「大丈夫だよ。いつも通り、カレンを信じて?」
「うん」
いつも通り、か。見せつけてくれるな。Currenに手招きされるまま、渋々ついていく。
しかし、「お手柔らかに」ってなんだろう。あたし、何されるのかな。目の前の可愛い少女が、ちょっと怖くなってきた。
いや、タイマンはあたしにとっても悪くないはずだ。あの日、ポッケさんに負けてから、小細工はやめた。やるなら正々堂々、胸を張って正面から。人間には声が届かないくらいの距離をとり、あたしたちは二人っきりで対峙した。 - 8◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:48:21
「まずは、そうだなぁ……ねえ、ディンちゃんって呼んでも良い?」
「さっきの聞いてたのかよ? 別に良いけどさ」
「さあ、何のこと?」
きょとんと口に人差し指を添える。たったそれだけの振る舞いすら花のよう。あたしが目指す方向性とは違うが、ちょっと嫉妬してしまうほどの可愛らしさだ。
「まあいいや。で、わざわざこんな距離を取って、話ってなんだよ」
「あのね、確かにお兄ちゃんは二人目の担当契約権をもってるよ? カレンを3年間育上げて、お兄ちゃんは実力を示したから。新しい担当はどんな子にしようかなー、なんて話もしてたところだし」
心のなかで小さくガッツポーズ。良かった、席は空いていそうだ。
と、目の前のウマ娘がちょっとニヤニヤしているように見えた。あ、あれ、もしかして顔に出てたのか……?
「私も、短距離以外でお兄ちゃんが実績を積んでくれるのは賛成。お兄ちゃんがどんどん認められるのは嬉しいから。でも、いきなりステイヤーを育てるのは、ちょっと難しいかもって話してたの。経験と離れすぎてるからね。できれば距離的に近いマイラーか、長くとも中距離適性の子がいいよねって。だから、マイルの適性があるディンちゃんは、私たちの考えに合ってるかもね」
「やっぱり聞いてたんじゃねえか」
「えへへ」
あざとさを感じるギリギリのライン。この小悪魔的な仕草がウマスタでの人気の秘訣なのだろうか?
しかし、割と肯定的な意見だな。もしかして、こうして離れて会話をした理由は、裏でこっそりと応援するために……? そんなポジティブな考えが浮かびそうになった、次の瞬間。
「でも、実力のない子を入れて、失敗して、お兄ちゃんの顔に泥を塗られる。それだけは私、嫌なの」 - 9◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:48:37
Currenの目に、鋭さが宿った。
突如、目の前の少女から、その容姿に不釣り合いなほどのプレッシャーを感じた。強大で、戦慄を覚えるほどの。一瞬でこれだけ雰囲気を切り替えることができるのは、人気ウマスタグラマーのなせる業か、それともG1ウマ娘ゆえのことなのか。
「3年間、お兄ちゃんのことを想ってくれてたんだよね?」
「お、おう! 何度でも言うが、あたしはそのためにこの学園に――」
「私は4倍だよ」
「え?」
「小さな頃に出会って、私に優しくしてくれたお兄ちゃんが忘れられなくて。その頃のお兄ちゃんはまだトレーナーじゃなかったし、探す手がかりもなくて、会いたくても会えなかった。でも、ここで再会できて、一緒に走り続けて」
笑顔で語るCurren。身に迫る重圧とアンマッチな表情に、若干の恐怖を覚える。
「ね、想い続けた年数なら私のほうが長いよ。それだけだと、カレンを差し置いて迫るだけの理由にならないよね。だから――」
頬を汗が伝うのを感じる。
「あなたの走りで、語って?」 - 10◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:48:53
「ええと、併走、テストコース左回り、芝……1600mでいいのか? カレンにとっては長めだし、マイルを走る他のウマ娘にお願いする手もあると思うんだけど」
「新入りさんのテストだもん。カレン自身が近くで見てみたいの」
「わかったよ。無理はしないようにね」
「はーい! じゃあ、スタートの合図、お願いね? お兄ちゃん」
Currenがトレーナーさんに手旗を渡し、あたしたちは向正面へ向かう。スタートラインにたどり着くまで、多くを話すことはできなかった。一つの疑問を除いて。
「なぁ、あんたの適性距離、短距離なんだろ? いくら相手が入りたてだからって、200mの距離延長は……いや400mか? ちょっと甘く見過ぎなんじゃねぇの?」
「大丈夫だよ。だって、お兄ちゃんが育ててくれた脚だもん。これくらいのハンデは覆して、きっと勝って見せる。それよりあなたの方こそ大丈夫? 走る前から汗かいてるよ?」
「ナメんな。確かに編入試験はギリギリだったかも知れねぇけどさ。こんなプレッシャーに負けて尻込みするような気持ちで、ここまで来てねぇんだよ。侮ったことを後悔させてやる。ここは、あたしが勝つ」
「ふーん」
「なんだよ」
「ううん、なんでもない。じゃあ、スタート位置に並ぼう?」
そうして横に並んで数呼吸、彼の声を合図に2人が同時に駆け出した。 - 11◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:49:19
(おいおい、“カレンチャン”は先行脚質じゃなかったのかよ!?)
走り出して数秒、前を行くと思われたカレンチャンは、あたしの後ろにピッタリ張り付いて走っていた。予想と全く違う展開に、一瞬戸惑う。野良レースでのアグネスタキオンにも、チームメンバーが似たようなことをされていたけど、今回はターフの上。事情が違う。
そういえば、勉強中に本で読んだことがある。前をゆくウマ娘の影に隠れ、風を受けないようにして体力を温存する方法を。まさか先行ウマ娘が、差しウマ娘の後ろに隠れてまでスタミナを優先するなんて、流石に聞いたことがなかったが。
(くそ、前には誰もいねぇし、後ろにはG1ウマ娘がいるし、走り辛ぇ!)
レースのペースを自分で作るなんて、あまり経験してこなかった。今の走りは早めか、遅めか。それを考えている間に、もはや最終直線が迫ってきていた。
(横には並ばれていない。まだ真後ろに隠れてんのか? 少しはリードが取れたか?)
自分一人で走っているようにも思えるし、すぐ後ろで吐息を感じるような気もする。足音は聞こえるが、耳の横を通る風がうるさくて、よく分からない。
(音で距離を測る練習、できるもんならしときゃよかったな! ああもう、一瞬だ。一瞬だけ、その余裕こいた面を拝んでやる――)
スパートを掛ける直前、僅かに首を振って、視界の端に芦毛のウマ娘を映した。 - 12◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:49:41
あたしの目にした彼女の顔。
それは、あたしの知っているウマスタグラマーの顔じゃなかった。
髪を振り乱し、顔は汗にまみれ、歯を食いしばるようにして走っている。それでも、力強く脚を前に出し、食らいつくその姿に、なにかゾクリとするものを感じた。それは、レース前に感じた恐怖とは全く別のものだった。
いつもの彼女のレースと比べて圧倒的に不利な距離。それでも、本気であたしに勝とうとしている。自分の力、トレーナーと鍛えた力。それを証明しようと必死にあがいている。それが伝わってきた。G1ウマ娘だからどう、とかじゃない。この姿こそが、カレンチャンの目指す理想。その姿にあたしはきっと。
「ああ、ホント、カワイイ、な……カレンッ!!」
「!!」
彼女に向けて叫ぶと同時にスパートを掛ける。もはや叫び返す余力もないのか、カレンは無言だ。だが、背後で芝を蹴り、加速することで応えたのが、今度はしっかり分かった。
残り300m、200m、どんどんゴールが近づいてくる。まだあたしの横にも前にも誰もいない。こちらの体力も限界だが、このまま勝つ。勝って想いを証明する。彼と、このいじっぱりな芦毛のウマ娘に。
眼前に迫るゴール。
そうして息も絶え絶えに、あたしたちはゴールを駆け抜けた。 - 13◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:49:56
「いいレースだったね!」
「あー、ああもう、あそこから負けるのかよぉ!!」
ゴールした勢いそのままに、ゴール板代わりのトレーナーから離れたところでコースの脇に逸れ、2人で芝生の上に倒れ込んでいた。
横にいるカレンチャンはレース中の形相はどこへやら、いつもの可愛らしい笑顔を浮かべていた。
「くそ、悔しいなぁ……」
「ううん、ディンちゃん、すっごく良かったよ? 編入したてとは思えないくらい」
レース前とは違い、なんだかやたら褒めてくるな。これが勝者の余裕ってやつか。
「……これで、おしまいかぁ。せっかく入ったってのに、仲間に合わせる顔がねぇよ」
「おしまい?」
「ああ、言ったろ? あたしがこの学園に入ったのは、あの人の担当になるためなんだよ。それが叶わないなら、ここにいる意味がねぇんだよ」
「そうなんだね。じゃあ、また明日からも、よろしくね?」
「?」
何だ、話が何だか噛み合わない。
「あれだけのハンデもらっても、あんたに勝つことができなかった。そんで負けたってことは、担当ウマ娘になるのは認めないってことだろ?」
「ううん、私は『走りで語って』って言ったんだよ? 勝ったのはカレンだけど、ゴールを迎える前までに、あなたは十分想いを示してくれた。あなたと一緒に走りたいなって思えたの。カレンの“カワイイ”も、ちゃんとあなたに届いてたみたいで、嬉しかったし」
レース前、ちょっと強く言っちゃってゴメンね、なんてカレンは笑う。あれ、これってつまり……。
「担当になってもいいってこと?」
「カレン的にはOKでーす! さ、お兄ちゃんの所に戻ろう? ……って、向こうから来たみたい」
体を起こしたところで喜ぶ間もなく、ちょうど人が一人、こちらに駆けてきたところだった。 - 14◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:50:13
「おーい、大丈夫か!? なかなか起きないから心配したよ!」
「ごめんね、お兄ちゃん。ちょっと女の子同士でお話があったの。ね?」
「あ、ああ」
「ん? そうなのか。気になるけど、じゃあ、それは置いておくとして」
こほん、とトレーナーさんはわざとらしく咳払いを一つ。
「適性距離のアドバンテージはあるにせよ、カレンとあそこまで競り合うなんて本当にすごいよ。そして、全力で走る君の姿に、惹かれるものを感じた。ぜひ、担当ウマ娘になってほしい。僕からもお願いするよ」
右手を出すトレーナーさんに、文句なしのプロポーズ。待ちに待った瞬間が目の前に広がっている。夢? これは夢かな? あたしは、恐る恐るそれを両手で握りしめる。
「はい、こちらこそ、よろしくお願いいたしますっす!」
「いい子が見つかってよかったね、お兄ちゃん!」
「そうだね。なんだか、3年前のカレンに似たところもあるし、懐かしかったなぁ」
「似てた?」
「うん。努力家なところとか、契約を迫るときの有無を言わせない強引さとか」
「もー、それは言わないでよぉ♪」 - 15◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:50:25
「……」
彼の担当になれて嬉しい。嬉しいんだけど、この桃色空間が、本当のレースが今始まったことを実感させる。早く距離を詰めていかなければ、今度こそ先行されたまま、並ぶことすらなく負けてしまう。何かないか。何か。
「だって、せっかくまたお兄ちゃんに出会えたんだもん。今度こそ逃せないって思ったら、勝手に体が動いてたの」
そうだ、呼び名。これだ。カレンは特別な呼び方で彼を呼ぶ。あたしも、あたしと彼だけの特別な呼び方で距離を縮めよう。
カレンがお兄ちゃんなら、あたしは……アニキ? にいにい? カレンの呼び名をちょっと変えただけで、あんまり新鮮さがないな……よし。
「あの」
「ん?」
彼がカレンから目をそらし、こちらを向く。
「改めて、これからもっとあたしのことを知ってもらえるように頑張ります! 不束者ですが、末永くお願いします、〇〇さん!」
「!!」
「うん、よろしくね、ディンちゃん」
カレンの反応を見るに、彼女もしたことがないであろう下の名前呼び。ちょっとだけカレンが動揺したのが分かった。よし、ボスと戦うための武器を一つ、手に入れた。
負けられない。そんな気持ちがカレンの目から溢れているのを感じる。きっとあたしもおんなじ顔をしているんだろうな。ふふ、明日からも頑張らなくっちゃな。
立ち上がり、一人だけよく分かっていない〇〇さんを残して、その日はふたりでクールダウンを始めるのだった。 - 16◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 11:51:19
おしまい
長文、ここまで読んでいただき、有り難うございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです! - 17二次元好きの匿名さん24/04/27(土) 12:01:02
主人公がイベストのモブ…だと…?
すごくすごいよかったです(語彙滅 - 18◆bEKUwu.vpc24/04/27(土) 17:47:03