- 1二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:19:36
「トレーナー殿────私に、稽古をつけていただきたい」
ある日のトレーナー室。
俺の目の前には、鬼気迫る、真剣な表情のウマ娘。
吊り目がちの鋭い目つき、ふわりと広がる栗毛のショートボブ、前髪には大きな流星。
担当ウマ娘のヤエノムテキは、きれいな姿勢のまま、頭を下げて来た。
そんな彼女を見て、俺は思わず、首を傾げてしまう。
「…………トレーニングなら、いつもしていると思うけど?」
稽古、というと武術的なものを思い浮かべるが、それはむしろヤエノの方の領分といえる。
金剛八重垣流の教えを重んじる彼女は、この学園においては誰よりも武術家だった。
となると、俺が彼女に対してつけられる『稽古』といえば、いつもしているレースへのトレーニングなのだが。
俺の言葉を聞いて、彼女は首を左右へと振った。
「トレーナー殿には毎日、誠心誠意、私の修行に向き合っていただいていますが……今日は別件で」
「……なるほど、事情は掴めないけど、俺で出来ることならなんでも言ってね」
「はい、ありがとうございます。ふふ、貴方にそう言っていただけると、憂色が晴れる思いです」
ヤエノは柔らかく微笑んで、近くの椅子に腰かける。
ピンと背筋を立てて姿勢良く座る姿は、相変わらず見惚れてしまうほどの美しさであった。
俺は電気ポットを使って、二人分のお茶を淹れると、彼女に向きあう形で椅子に座る。
「それで、俺は何をすれば良いんだ?」
「トレーナー殿には────私を、存分に可愛がっていただきたい!」
「……えっ?」
きりっと、顔を引き締めて、真っ直ぐな目線で俺を射抜くヤエノ。
その整った、美麗な口元から飛び出した言葉は、全く思いがけない内容であった。 - 2二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:19:49
「最近気づきを得たのですが、私は、褒められることに対して、忍耐が極めて不足しているのです」
「……まあ、そうかもしれないけど」
ヤエノが語る内容に対して、俺は同意してみせた。
────ヤエノムテキというウマ娘の骨子には、自己顕示欲がある。
私を認めてもらいたい、私が見て欲しい、私こそが最強だ。
一見すると穏やかで、謙虚な彼女であるが、心の奥底で燃え盛る激しい感情こそが、彼女の本質。
幼少の頃はその『烈火』を制御出来ず、周囲を焼き払い、彼女を孤独へと誘っていた。
しかし『火水合一』経て、幾多の戦いを通じ、その炎は遂に人を惹きつける紅蓮華へと相成ったのである。
そんな経緯もあって、彼女は自己肯定感が低く、褒められることに慣れてないところがあった。
とはいえ、それが問題だとも思えないのだが。
そう考えていると、ヤエノは少しバツの悪そうな表情で、言葉を続けた。
「……最近、アルダンさんやチヨノオーさんらに包囲され、褒められ続ける機会がありました」
「どういう流れでそうなったのかは気になるけど、うん、それで?」
「その時、その、二人は、私がかっ、可愛いとか、美人だとか、ひたすら褒め称え続け、頭を撫でられ……っ!」
「……うん?」
「私はその猛攻に耐えられず、乱心し、果てには情けなく逃走をしてしまいました」
「そっ、そっか」
「あまりにも未熟っ! 結局、私は『止水』にも至れていない……っ!」
ヤエノは唇をぎゅっと噛んで、手を震わせながら、言葉を吐き出す。
……まあ、傍から見ればほんわかした内容だけれど、本人からしてみれば切羽詰まっているようだ。
彼女の言う通り、どうにもヤエノは外見や仕草など、意識していない点を褒められるのが苦手なのだろう。
思えば、彼女と過ごした時間の中で、なんとなく思い当たる節がある。 - 3二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:20:04
「でも、そのくらい、何の問題にもならないんじゃ」
「否ッ! この点を突かれて、レースで醜態を晒す事態にもなりかねません!」
「いや、さすがにそんなことは…………いや、あるかもしれないな」
言いながら、思い直す。
ウマ娘のレースにおいて、相手をけん制し、焦りやためらいを引き出すことは常套手段だ。
人によっては熱いまなざしを送ったり、八方を睨んでみたり、魅惑的なささやきをしてくるとかなんとか。
故に、レースの最中、ヤエノの外見を褒めそやして、動揺を誘うという場面もあるかもしれない。
……本当か? と思う自分もいるが、とりあえず、それは無視する。
俺としてみても────色々と都合が良かったから。
「そういう話であれば、喜んで協力させてもらうね」
「押忍ッ、宜しくお願いします!」
「じゃあ、まずはこれを使ってくれる?」
「はい……ってこれは座布団、ですか? 随分と柔和で、快い触り心地ですが……?」
まず、俺は少し前から用意していたクッションをヤエノに手渡した。
ふわふわでもちもち、とあるダービーウマ娘も大絶賛と噂されている至極の逸品だ。
彼女も満更ではない表情で、それをむにむに揉んでいる。
そして俺は立ち上がり、部屋のカーテンを閉めて、デスクの引き出しからお菓子を取り出した。
とある有名な老舗の和菓子屋さんで作られた、ちょっとお高いおかき。
特別な時に、彼女と食べようと思っていたのだが、それは今だろうと思う。
「これどうぞ、以前頂いたものでさ、ヤエノの口にも合うかなって」
「あっ、ありがとうございます……?」
「お茶のお代わりも淹れるね? あっ、膝とか寒くない? 毛布とかいる? 欲しいものあったら何でも言ってね?」
「えっ、あの、その、トッ、トレーナー、殿?」 - 4二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:20:17
色々と、今の時点で出来る準備を全て済ませて、椅子をヤエノの近くに寄せる。
困惑した顔で目を白黒させている彼女の前に座って、俺は真剣な目で彼女を見つめた。
「ヤエノ、俺はね、ずっと君のことを、たっぷり褒めそやしたい思っていたんだ」
「なっ、なぬを!?」
「以前、天皇賞を走った後のことを覚えているかい?」
先日、ヤエノが勝利を収めた、秋の天皇賞。
彼女は内に秘めた激情を全て解き放ち、心の赴くままの走りで、数多くの強敵を破ってみせた。
その時の姿は今も脳裏に焼き付いているが、今、重要なのはその後、地下バ道での話。
────私にも、褒めていただけるところが、あったのだと。
ヤエノは激戦を称えるライバル達やファンの歓声を思い出しながら、そんなことを言う。
その光景を見ていた俺も胸がいっぱいになるような気分だったが、少しだけ、むっとなってしまった。
彼女の良さを、彼女だけが知らないなんて。
そのことが、どうにも気に入らなくて、俺はつい、その場で彼女の褒めたいところを上げ連ねた。
……まあ、すぐに顔を真っ赤にした彼女に、止められてしまったのだけれど。
「だから、俺は君に『ヤエノムテキ』の良いところを、もっと知ってもらいたいなって思っててさ」
「あの、ちょっとお待ちください、トレーナー殿から、未だかつてないほどの覇気が……っ!?」
「とはいえ君が苦手なのも知ってたし、自重していたんだけど────君が望むなら、是非もなし」
「きゅっ、急にノーリーズンさんみたいなこと……ひゃっ!?」
ヤエノの膝の上に置かれていた両手に、左手を重ねる。
武術によって鍛えあげられた彼女の手は、少し硬いけれど、小さく、温かいものだった。
……まあ、これは彼女がすぐに顔を覆ってしまわないようにするための、対策だけれど。
そして、もう片方の手で、彼女の頭を、出来るだけ優しく触れた。 - 5二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:20:30
「わっ……あっ……頭まで……?」
「ぬいぐるみにしてあげているのを、羨ましそうに見てたから、やっぱりして欲しいのかなって」
「……なっ!?」
最初こそは緊張した様子で、全身に力を入れていたヤエノ。
しかし、ゆっくり撫でて上げていると、次第にリラックスしたように目を細めていった。
こうしていると、やっぱりバレンタインにくれたぬいぐるみと似ているような気がする。
……おっと、撫でているだけじゃあ、ダメだよな。
「それじゃあヤエノ────今から君を、たくさん、『可愛がる』からね?」
「ちょっ、トレーナー殿、心の準備を……っ!?」
「最初は普段伝えづらい外見の話をしようかな、嫌だったらすぐ言ってね、別のところを褒めるから」
「まっ、まままっ、待ってください……っ!」
「まず、ヤエノの耳なんだけど他の子達と違って先っぽがちょっと割れてるところが特徴的でチャーミングだよね、君自身気づいているかはわからないけど緊張している時とかはその二股の部分が別々にぴこぴこ動いていてずっと見ていたくなるんだよね、あっ、そうそう、こんな感じでさ、ちょっと触ってみても良い? 触るね? ああっ、結構どっちの力も強いんだね、それになんか固いんだけど妙に弾力があって触り心地も良くて温かくて……あっ、ふふっ、こうしているとすぐに耳が赤くなってくるところも可愛らしいよね」
「ぴう……あっ……やっ……!?」
「それと、君の目も素敵なんだ、型をやっている時は涼しげでキリっとしていてとても格好良くて、初めて見た時からずっと一目惚れなんだよね、目だけに。それでいて友達と居る時なんかは落ち着いた感じになってて、一緒にいると穏やかな気分になるんだ、それでいて護りたくような可愛いものを前にした時は、とろんと蕩けたように優しくなるのも可愛いんだよね。そして一度レースになるとその目は鮮やかな炎のように激しく燃え盛っていく……なんというか、君の瞳は見る角度によって輝きを変える宝石みたいというか、いつみても新しい魅力や愛らしさを発見出来るんだ」
「…………あうぅ」 - 6二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:20:43
我ながらちょっと気持ち悪いなと思いながらも、溜め込んできた想いが抑えきれない。
あっという間に顔を真っ赤に染め上げたヤエノは、俯いてしまっていた。
両脚をきゅっと締めて、全身は縮こまっていたが────その耳はぴんとこちらを向いている。
そして尻尾も、ぶんぶん、どこか嬉しそうな動きを見せていた。
……なんだか、少し意地悪が、したくなって。
頭を撫でていた手を一旦離して、顎の下に手を添えて、くいっと持ち上げる。
すると、驚いたように大きく目を見開き、瞳を潤ませた、真っ赤な彼女の顔を、良く見ることが出来た。
やがて彼女は困ったように眉尻を垂らして、懇願するような声を漏らす。
「とれーなー……どのぉ……」
俺はそんなヤエノににっこりと笑みを返しながら、甘い言葉を、囁き続けるのであった。 - 7二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:20:55
「あっ、おかき食べてよ、美味しいよ」
「……」
「お茶葉もちょっと良いものに買い替えたんだ、お代わり淹れよっか?」
「…………」
「こっ、今度のお休み、猫カフェに行かないかな? 駅の反対側に新店も出来たから、ハシゴするとか」
「………………」
「……ごめん、調子に乗り過ぎたのは謝るから」
ヤエノを可愛がり始めて、一時間が経過して。
俺が満足した後に残ったのは、ふにゃふにゃの、ヤエノムテキだったものだった。
耳はだらんと力なく垂れて、目尻には涙すら溜めて、その表情は崩れ切って。
しばらくして元に戻ったが、今度はぷくっと頬を膨らませて、目も合わせてくれなくなってしまった。
……それすらも可愛らしいなあ、と思ってしまったのは秘密だ。
「ヤエノ、本当にごめん、二度としないから」
俺がそう言うと、ヤエノの耳がぴくりと反応した。
背けていた顔がこちらに向かい、何やら不満そうに、ジトっと見つめている。
機嫌が直ったわけではないが、とりあえず一歩前進。
俺は再び頭を大きく下げて、謝罪を意を、彼女に告げる。
「すまなかったヤエノ、お詫びに、出来ることだったら、なんでもさせてもらうから」
「………………未だ、弱点を克服出来たとは、到底、言えません」
「えっ」 - 8二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:21:12
発せられた小さな声に、思わず顔を上げてしまう。
ヤエノは真剣な表情を浮かべ────つつも、その頬は少しだけ緩んでいた。
「もっと、私には修業が必要です」
じっと、こちらを見つめる、ヤエノの双眸。
穏やかな瞳とも、鋭い瞳とも、蕩けた瞳とも、燃え盛るような瞳とも違う。
期待と衝動に溢れているような、熱っぽい、どこか妖しげな光を湛える瞳。
未だ見たことない輝きを目の前に、俺はとてもきれいで可愛らしいなな、と思ってしまった。
彼女は恥ずかしそうにはにかみながら、言葉を紡いだ。
「だからトレーナー殿、また今度────私を、たっぷり、可愛がってくださいね? - 9二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:22:00
お わ り
新衣装も欲しかったけど次の更新が怪しくて動けませんでした - 10二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:48:55
お疲れ様
欲しがりのくせにあげたら真っ赤になって可愛い
新衣装は引こう - 11二次元好きの匿名さん24/05/07(火) 22:58:32
素晴らしい!!!
- 12124/05/08(水) 07:20:03