- 1二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:24:29
- 2二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:25:41
- 3二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:26:17
- 4二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:26:55
光武帝スレのアレかもしれん
- 5二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:27:34
後の藤原氏の面々のムーヴ考えると狙って靴飛んでくる場所にいたとしても驚かんぞ
- 6二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:28:08
- 7二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:33:46
その界隈(義務教育の範囲)
- 8二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:34:53
おもんないと思う
- 9二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:35:27
その時代で一番の支配者だった蘇我氏を、後の時代の支配者である藤原氏の祖が滅ぼしてるのは歴史のロマンを感じる
- 10二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:36:12
その画像は皆知ってるって前提が不相応な人物に使うのであって小学校の歴史の授業で出てくるような人物に使うのは自分が無知晒してるだけ
- 11二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:37:17
入鹿殺した後この人が何やったのかイマイチわからん
- 12二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:38:14
- 13二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:39:30
- 14二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:40:03
厩戸皇子に乗っかってたところあるのに子供の山背大兄王死に追いやったあたりで完全に蘇我氏逝ったな感ある
- 15二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:43:13
それはまあわかるんだがwikiにもあんまなんも書いてないからさ
- 16二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:45:35
モンストで女になってたな
- 17二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:47:59
- 18二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:47:59
最初は中臣鎌子だったらしいしええんちゃうか
- 19二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:50:36
確かに世界(史)には通用せんな
- 20二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 09:54:42
ただ本家が滅びた後も蘇我氏自体は有力豪族(貴族)第一位としてしばらく続いてたりする
・蘇我倉山田石川麻呂・・・大化の改新で中大兄皇子らに協力し次の孝徳天皇政権では臣下No2の右大臣になる(後に讒言で自害に追い込まれる)
・蘇我連子・・・石川麻呂の弟で斉明天皇と天智天皇(中大兄皇子)政権下で大臣を務める
・蘇我赤兄・・・同じく石川麻呂の弟で天智天皇と弘文天皇(大友皇子)政権下で臣下筆頭の左大臣になる(後に壬申の乱で流罪に)
・蘇我果安・・・同じく石川麻呂の弟で天智天皇と弘文天皇の側近の一人(後に壬申の乱で自害)
貴族筆頭としての地位が完全に没落したのは壬申の乱の影響の方が大きいかもしれない
- 21二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 10:46:34
藤原氏の隆盛は息子の不比等さんの頑張りも大きいから・・・
・政界に入った時には父親も天智天皇も亡くなっていて何の後ろ盾もなく下級官人からスタート
・そもそも当時は天智天皇派を一掃した天武天皇の天下だったため不比等には逆風だった可能性すらある
・「当初の予定では藤原姓は鎌足一代だけ説」が正しければ藤原氏の当主ですらなかった(中臣氏の当主は別にいた)
という逆風から
・当時まだ有力だった蘇我氏からお嫁さんをもらい家格を上昇させる
・天武天皇の正当後継者である草壁皇子に仕えて政権中枢に入る足がかりを掴む
・草壁皇子の息子である文武天皇の擁立の功績により天皇の側近という地位をゲット
・更に元明天皇の女官で文武天皇の乳母だった橘三千代と再婚したり聖武天皇に娘の光明子を嫁がせて皇室との関係を深める
・実務でも「飛鳥浄御原令」「大宝律令」「養老律令」の編纂で大きな功績を残して評価される(むしろこの功績があったからこそ上記のチャンスを活かすことができたと言える)
という結果を残して藤原氏という有力貴族の家を実質一代で築き上げてる - 22二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 11:10:09
二人の血脈が日本の貴族階級の地位を占め続けて
婚姻関係で目茶苦茶混じり合うんだから並のBLより濃い関係しとる - 23二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 11:24:56
前々から中大兄皇子と接触できる機会を伺っててチャンスをものにした感あるよね
- 24二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 11:34:37
政権を握った孫たち4人は流行り病で同時期に全滅!
曾孫の何人かは謀反を起こして処刑!
……なんでこの状況から巻き返しができてるんですか?(他氏族感) - 25二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 11:57:09
恵美押勝の乱で藤原絶許ウーマンと化した称徳天皇の崩御後から桓武天皇の代までで改めて政争をモノにしたからですかね…
あとは4兄弟から複数分家に分かれてて反乱起こした一部のやつがいても他の筋でしっかり勝ち馬に乗って藤原の家を残してるのも - 26二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 12:08:35
授業で習う中臣鎌足の大化の改新が、今の大河に繋がって、そのままさらに現代にまで繋がってるんだからヤベーわ
- 27二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 12:12:36
太閤は草履取りだし日本人は靴になんかこだわりでもあんの?
- 28二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 16:10:39
我ら藤原不比等の四人の息子!
長屋王の変の首謀者にして兄弟一の学識を誇る長男の武智麻呂!
政治力なら兄弟随一! 他の兄弟とは少し距離を置いていた次男の房前!
当時の貴族は政治だけじゃない! 蝦夷を討伐して九州防衛のマニュアルを作った兄弟屈指の武闘派! 三男の宇合!
酒と詩が好き! 四男の麻呂!
四人揃って我ら藤原四兄弟!!! - 29二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 16:21:12
最初の勝組南家 恵美押勝の乱で一線を引く
次の勝組式家 薬子の乱で大体衰退
最終勝利家北家 五摂関家まで輩出する
...京家はどこ行った? - 30二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 16:53:28
- 31二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 16:56:11
>>30大友皇子だけでなく大海人皇子にも嫁がせてたからね
- 32二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 16:57:16
- 33二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 17:16:08
- 34二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 17:53:54
長男が南家で次男が北家?
てことは三男四男で東西か?
「式家」「京家」
なんでやねん - 35二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 18:47:38
「南家」…武智麻呂の邸宅が弟の房前邸の南にあったから
「北家」…逆に房前の邸宅が兄の武智麻呂邸の北にあったから
「式家」…宇合が式部卿という官職に就いていたから
「京家」…麻呂が左京大夫という官職に就いていたから
武智麻呂と房前は昔だと嫡男を争ったという説があるくらいほぼ同格で年の差も一つ違い(今は武智麻呂が最初から嫡男だったという説が主流)
それに比べて下二人は上二人に比べて10歳以上年の差があったし上の二人が死後に正一位を贈られていたのに下二人には贈られていない……というように明らかな差があった
だから家の異名の名付け方も差異があった
……というのを今考えた
- 36二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 22:34:29
「南家」
不比等の長男である武智麻呂の子孫たち
嫡男である武智麻呂の血筋ということもあり四家の中では最も早く栄える
特に武智麻呂の次男である仲麻呂は叔母(光明皇后)の後押しもあり絶大な権力を握る
このことは仲麻呂が生前に正一位に叙せられたことからも察せられる(生前に正一位になったのは日本史上僅か7人のみ)
しかし光明皇后の死後にその権勢は衰え最終的に反乱に追い込まれた仲麻呂は敗れて処刑されることになる
仲麻呂死後は式家や北家の台頭に押されるも桓武天皇の時期まではギリギリ最上級貴族であり続けた
だが北家の圧倒的な躍進や新たな上級貴族である源氏の誕生によりやがて中級貴族に落ちていくことになる
しかし平安時代末期に信西に代表される南家の末裔が院の近臣として巻き返しを図る
最上級貴族に返り咲くことはできなかったものの高倉家が堂上貴族として家を残すことに成功した(武智麻呂の血筋そのものは室町時代に断絶)
また武家としては源頼朝に重用されるものの曽我兄弟の敵討ちで殺された工藤祐経が南家の末裔だったりする - 37二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 22:46:00
- 38二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 22:53:09
「北家」
不比等の次男である房前の子孫たち
藤原氏トップになった家系だが実は奈良時代は南家に平安時代初期は式家に押されてそこまで強力な家ではなかった
転機となったのは冬嗣が嵯峨天皇に重用されたことから始まる
冬嗣は性格は温和で機転が利き中国古典の知識も豊富で「弘仁格式」「日本後紀」の編纂に関わるなど実務でも優秀な人物であり嵯峨天皇に寵愛された
急速に昇進した冬嗣は娘を仁明天皇に嫁がせて次代の文徳天皇の外祖父になることに成功
以後その子や孫たちも天皇の外祖父として三代に渡って権力を握ったことで他とは隔絶した地位を築く
その後は北家の中での権力争いが繰り広げられるものの道長の誕生により終結することになる
道長以降は御堂流と呼ばれた彼の血筋が北家の主流となり更に嫡流は五摂家と呼ばれる五つの家に分かれて平安時代から江戸時代まで貴族の頂点として君臨し続けた
武家としても将門を討伐した秀郷の家系が名門として各地に広がり非常に多くの武士が北家の末裔を称した
有名どころでは奥州の覇者である奥州藤原氏やかの上杉氏も北家の血筋だとされている - 39二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 23:13:23
「式家」
不比等の三男である宇合の子孫
四兄弟死後に宇合の長男である広嗣が政権中枢から遠ざけられた不満から反乱を起こしてしまい関係のなかった弟たちも連座で流罪になってしまう
後に許されたとはいえ当然北家や南家と比べると式家は昇進で大幅な遅れを取ることになり不遇な時期が続く
転機となったのは称徳天皇が崩御し天武朝が断絶した時だった
式家の良継や百川は天智系の光仁天皇の擁立に成功し更にその息子の桓武天皇に娘たちを嫁がせる
その結果桓武天皇の後に天皇となった平城・嵯峨・淳和天皇は全員が式家の血を引いており平安時代初期の式家の繁栄に繋がる
しかし桓武天皇に寵愛された種継が暗殺されその子供の仲成と薬子も薬子の変で粛清
その他有力な子孫たちも早死にが続いたことにより完全に北家の後塵を拝することになる
それでも室町時代まで中~上貴族として残るもののやがてそれも途絶え公家としては完全に没落する
武家としては信長や秀吉に仕えた遠藤慶隆が式家の後裔とされる - 40二次元好きの匿名さん24/05/09(木) 23:34:48
「京家」
不比等の四男である麻呂の子孫
元々家祖である麻呂が末弟(しかも異母弟)でかつ地位も最も低かったため四家の中では最も境遇が悪かった
おまけに麻呂の長男で京家の代表者である浜成が
・奈良時代後期に権勢を誇った仲麻呂と対立したため昇進が停滞する
・仲麻呂没落後も特に重用されない
・他の三家が光仁天皇擁立に協力したにも関わらず天武朝に愛着があった浜成は一人これに反対したため冷遇される
・光仁天皇の後継者を決める際も桓武天皇擁立に反対し続けたため桓武天皇即位後は一層冷遇される
・止めに娘婿の氷上川継が謀反を企てたことに連座して失脚してそのまま復帰できないまま死去
……という悪手を繰り返したせいで平安時代入った時には京家の命運を尽きているという悲惨な状態だった
それでも浜成の孫である冬緒は実務に秀でた優秀な人物だったため例外的に重用され70歳を過ぎた冬緒が度々隠居を申し出てもその度に引き留められるほどであった
その冬緒の死後は京家は完全に没落し歴史の闇に消えることになる
武家としては直江兼続が娘婿として後を継いだ直江氏が珍しく京家の末裔を称していた