お兄ちゃん♡

  • 1二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:57:17

    「この小指、曲げてみて?」

    ……結論から言えば、トレーナーは耐えられなかった。二重の意味で。

    冒頭の言葉は、会話の中で唐突に担当のカレンチャンがトレーナーに投げかけた言葉であった。
    名デザイナー、ビューティー安心沢が手掛ける勝負服を着て走る『ビューティードリームカップ』、そこに出走する為の『ミューズ』の権利を得たカレンは、この日、レースに出る前の最終確認として、新作の勝負服に身を包んでいた。
    黒一色という一般的なウェディングドレスとは真逆ながら、元々の勝負服に黒が使われているが故なのか絶妙にマッチした勝負服に身を包んだカレンに、トレーナーは満足げに頷いた。

    「もー、お兄ちゃんってば、もっと色々感想とかないのー?」

    不満げながら、恐らく計算され尽くした「カワイイ」角度での上目遣い。された側のトレーナーは、悲しいかな、競技者としてのウマ娘を見る目はあれど、プロのデザイナーの如き細かな審美眼や語彙を持ち合わせていなかった。
    「ごめんよ」と、気まずげに後頭部を掻きながらそう返せば、カレンは「ふーん?」と目を細めながら彼を見やる。

    「……そういえば、お兄ちゃん、私の撮影の時、すっご~く熱い視線、送ってくれてたよね?」

    「そりゃまぁ、トレーナーだからな」と味気ない返答をすれば、「た・と・え・ば」と、意味深にその手を掲げ――

    「このポーズの時、とか」

    それは、ビューティードリームカップの広報の一環として撮影したポーズ。顔の前に親指と小指だけを伸ばした右手を縦に構え、やや前かがみ気味かつ流し目でこちらを見やるというそのポーズは、カレンがやる事で言葉だけではとても表現しきれぬ色気を纏わせていた。
    己が掲げる『カワイイ』の啓蒙活動の為の主戦場――もっとも、これはカレンからすれば不適切な表現であろうが――としてウマスタグラムの更新を欠かさない彼女は、当然ながら「どうポーズをつけ、どれぐらい角度をつけ、どのような表情をすれば魅力的に見えるか」、即ち『カワイイ』を熟知している。
    その『カワイイ』の権化たるカレンが、培った経験と実力を被写体として十全に発揮すればどうなるか?

    結果、シックなカラーリングのウェディングドレスと相まって、中等部の少女とはとても思えぬ色気をカレンは放っていた。

    ……そう、中等部なのだ。彼女は。

  • 2二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:57:30

    いくら色気を纏えども、彼女は大人ではない。
    そういった健全な大人らしい理性的な心があると同時に、子供なれども色気タップリという事実に対し、ドキリとしなかったかといえば嘘になる。
    もっと言えばそれは、本当に無意識的な感情であった。ウマ娘に対して不埒な感情を覚えた事など一度として無く、加えて生憎と青春のほとんどをトレーナーになる為の勉学に費やしたが故に色恋とは無縁であったトレーナーには、何故そのような感覚を覚えたのかすら不思議でならなかった。
    たまたま見かけた初めて見る物に何故か心が揺さぶられるような、当人でも明確に言語化するのに時間が掛かってしまうようなそれを、しかし当人ならざるカレンは敏感に感じ取っていた。

    「……お兄ちゃん、私の事、『大人』に見えた?」

    友人のマヤノトップガン風に言えば、素敵な『大人』のレディー。そんな風に見えたかと――ご丁寧に広報写真で使ったポーズを用いながら――カレンが問いかければ、初心らしいトレーナーは僅かに動揺しつつ、「どうかな」と誤魔化した。

    「ホントに~?」
    「……なんやかんや言っても、僕は大人で、君は未成年なわけだし。なんというか、君が僕の事をお兄ちゃんって呼ぶように、僕からすれば守るべき妹、的な?」

    その言葉に、今度はカレンが僅かばかりに目を丸くする。
    カレンは、所謂インフルエンサーの立場にあるウマ娘だ。相応に、あるいはそれ以上に他者と接する機会に溢れている彼女は、自然と人を見る目も養われていた。
    だからこそ、彼の言葉には誤魔化しの色があるのも分かったし――彼が真の意味での『大人』として、カレンを庇護の対象として見ている、というのも分かった。

    「……ふぅ~ん?」

    あえてへの字に口を曲げ、あえて不信感を抱いてるかのような目つきをし、あえて口から発する言葉に「私、不機嫌です」という色を分かりやすく乗せる。それでも彼女の『カワイイ』が陰る事は無い。誰の目から見ても不機嫌そうに見えるのに、誰の目から見ても彼女は「カワイイカレンチャン」のままであった。

    ……同時に、この仕草をするよりも以前に、彼女はある『思いつき』を脳裏に浮かべていた。

  • 3二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:57:58

    「お兄ちゃんは私を『守りたい』って思ってるんだ?」

    「ああ」とトレーナーが頷く。

    「お兄ちゃんなりにカレンを大切だって思ってる?」

    トレーナーが頷く。

    「つ・ま・り……お兄ちゃんは私を『守らないといけない』、『か弱い女の子』って思ってる?」

    今度は、言葉を発する事も、頷く事もしなかった。

    「つ・ま・り」をいつものような甘い声色で発し、そこから続く言葉を――少し間を置いた上で――少しトーンを落としたシリアスな声で語る。前傾姿勢で上目遣い気味にするのも忘れない。
    そんな風に言われたトレーナーは、目に見えて狼狽えているようであった。

    つまるところ、これもまたカレンの計算ずくの言動である。

    善良な『お兄ちゃん』という人間を知り尽くしているが故の、ズルい計算。
    「こうすれば、お兄ちゃんなら罪悪感を感じるだろう」というのを把握し、こう話せばそうなると確信した上で、思惑通りの結果を確定させる、互いの信頼の上で成り立つ計算なのだ。

    「私、不服です」という色を分かりやすく伝えてやれば、善良であろうとするトレーナーなら自分がやらかしたと思うだろう。
    彼の善良さにつけ込むようで、カレンとしても罪悪感が無いわけではないが、しかしそれ以上に、この『思いつき』を実現させたい欲求が勝った。
    小悪魔的な強かさをもって「お兄ちゃんが悪いんだから」と内心己を納得させながら、カレンは目論見を次の段階へとシフトさせていく。

    「……ねぇ、お兄ちゃん」

    そうして、冒頭の「この小指、曲げてみて?」に至る訳である。

  • 4二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:58:44

    唐突な持ちかけに、トレーナーは「えっ」と驚きの声を小さく漏らした。

    「大丈夫、普通に関節が曲がる方に、だよ♪」

    そういう意味での驚きではないのだが、どちらにせよ提案の意図が分からないのでやはり困惑は拭えない。

    「カレンの事、守らないといけない程か弱いって思ってるんでしょ?」

    確かにそうは言ったが…と、トレーナーは頭を掻きながら視線を彷徨わせる。
    実際、人間とウマ娘では圧倒的な身体能力の差がある。その点においてカレンがか弱いなどという事は当然無いし、実際トレーナーがカレンを想っているのは、そういう意味合いでなど決して無い。
    あくまでも、『大人』である自身が庇護すべき、成人にはまだ少し遠い『子供』として彼女を想っているだけだ。

    ――そんな事が分からないカレンではあるまい。

    そんな風にトレーナーが真意を測りかねていると、カレンが小首を傾げながら口を開いた。

    「ん~? お兄ちゃん、これドッキリか何かだと思ってる?」
    「……まぁ、少しは」

    「正直でよろしい!」と、年相応の幼さを感じさせる笑顔を見せるカレン。

    「まぁ、ちょーっとビックリしちゃうカモだけど……別に「隠しカメラで撮ってます!」とかそういう事はないから、安心して?」

    ビックリするけど企画的なドッキリではない、と。そうは言われてもやはりやって良いのかと躊躇ってしまう。
    カレンが自身の何を試したいのかが一切読めないのもそうだが、いくらウマ娘といえど、小指だけを曲げる程度なら簡単に出来そうなものだと思ったからだ。
    実際、小指は手全体の握力において重要な役割を担っているが、小指単体の握力は全指の中で最も低いという。
    いくら力を入れたところで、平均的な成人男性ぐらいの体格と筋肉量は備えているトレーナーがやれば、多少抵抗はあるだろうが曲げる事ぐらい出来るだろう。
    だがしかし、それはそれとして「大の大人が中等部のウマ娘の小指を握る」という絵面に対する、倫理面での躊躇いもあるわけで――

  • 5二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:58:59

    「……もしかして、自信、ないの~?」

    どうしようかと迷っていると、カレンの口元が僅かに弧を描く。明らかな挑発だ。

    「じゃあ……こうした方がいい?」

    そう言いながら、何を思ったのか、おもむろに手袋の指の先端を僅かに咥えると、見せつけるような緩慢さでそれを脱がしていく。
    黒の手袋の下から、カレンの透き通るような白い肌が露わになる度、トレーナーは知らず知らずの内に、ゴクリ、と喉を鳴らした。

    健全である筈なのに、何処かムーディーな音楽が聞こえてきそうなその光景に、理性が「乗るな!」と叫ぶのに対し、感情等の男性的な野性の部分は、先程の挑発も合わせて「なにをッ!」とムキになっていく。

    (……このままやらないという選択肢も、あるにはある。けど……舐められたままというのもなんだか悔しいし、それにやらなかったらやらなかったで、「ここまでやらせておいて」なんてヘソを曲げられるかもしれないし、それにたかが小指程度だ。うん、小指なんだから、別に何もやましい事なんてない)

    後半に関しては半ば自分への言い訳めいているが、どちらにせよこの時点で既にトレーナーは、自ら退路を断っていた。此処で逃げ出すという選択肢は、良き『大人』や『お兄ちゃん』である以上に、『男』としての幼稚なプライドが許さなかった……即ち、耐えられなかったのだ。
    そうこうしている内に全てが露わになったところで、「……分かった」と覚悟を決めたトレーナーは、改めてカレンから差し出された右手の小指へと右手を伸ばす。

  • 6二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:59:13

    良くも悪くも大人の男らしい太い指が、それとは真逆で白くほっそりとしたカレンの小指に近づく。
    あと数センチ、というところで、トレーナーの手が止まった。彼の最後の理性が止めたのだろうか。
    チラ、とトレーナーは目だけでカレンの顔を見やる。
    はたして、彼女は余裕綽々といった表情で、それでいて何かを期待するかのような目で、『お兄ちゃん』を見ていた。

    ――そんな目で見られたら、なぁ。

    悲しいかな、彼はカレンから向けられる期待に弱かった。それ故によくカレンに手玉に取られがちというのも、彼としてもなんとなく理解しているつもりなのだが。
    己の担当に対するどうしようもない甘さに呆れ半分の苦笑を浮かべながらも、しかしもう半分……甘かろうが彼女の為に頑張ると誓った覚悟で、トレーナーはカレンの小指をそっと握り――

  • 7二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:59:26

    「―――――???」

    気づいた時、彼の視界にはトレーナー室の天井が広がっていて。

    「――あは。やっぱりビックリしてる」

    そこに、クスクスと微笑むカレンの顔が入り込む。
    そして、腰一面に冷たい感触が広がるのを感じ取り、ようやく自分が床に倒れた事に気づいた。
    しかし、そこに一切の痛みは無い。よくよく状況を見ると、さっきまでカレンの細い小指を握っていた筈の右手は、逆に手首をカレンに掴まれており、カレンに首から肩にかけて抱きとめられているようだった。

    恐らく、カレンに何かをされた。だが、一体何をされ、結果何が起こったのか。あまりにも一瞬の出来事だったせいで、脳が理解に追いついていないのだ。

    「ねぇお兄ちゃん。教えて欲しい? 何されたのか」

    呆然としながらも、カレンから投げかけられた言葉に、コクコクと頷く。

    「前に話したよね? カレン、合気道の有段者だって」

  • 8二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 21:59:48

    唐突だが、この世には武道を嗜むウマ娘というのは一定数いるにはいる。だが、一般的に彼女らが人間を相手に稽古や試合をしたりするのはご法度扱いである。その理由は……一々説明するまでもないだろう。
    それは、思想・理念上試合というものが存在せず、代わりに演武という形でやり取りをする合気道も例外ではない。
    というのも、如何に相手の力を利用する武道とは言えども、二教以降の技のように関節を極める技もあり、うっかり力加減を誤って怪我をさせてしまえば元も子もないからだ。

    故にこそ、ウマ娘の段級審査は人間のそれよりも厳格である。力を制するというのは、いつの時代も人間に寄り添って生きるウマ娘達にとって、そしてウマ娘と共に生きる人間達にとっても重大な課題なのだ。

    そんな中において、「カレンが有段者である」という事実は、余人が思う以上の意味合いを持つ。

    初段の審査を受けられる基準については、それこそ会派によって様々ではあるが、最古参にして国内最大規模の会派における審査基準としては、「満15歳以上かつ、壱級取得後70日以上稽古した者」となっている。
    更に付け加えるなら、その壱級を取得するに至るまでに更に長い期間を稽古に費やさねばならないという事実もまた、彼女の凄まじさを如実に物語っている。つまりカレンは、『カワイイ』を磨く努力と並行して、合気道にも長い年月を費やしているのだ。

    それを踏まえた上で、カレンは一体何をしたのか。

  • 9二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 22:00:06

    トレーナーが小指を掴み、閉じるように、あるいは引くように力を加えた、その瞬間。
    曲げようとするその力の向きを、カレンから見てそのまま左に流すように動かす。
    加えて、僅かに姿勢を落とすように足を捌くと、不意を突かれたトレーナーはその体勢を崩してしまう。
    しかし、間髪入れずカレンは、今だに小指が握られている右手をクルリと翻す。この瞬間、トレーナーの握る手に隙間が出来、カレンは小指をそこから脱出させた。手首が捻られた事で、トレーナーが握力を維持できなくなった為だ。
    一連の流れるような転換の動きで主導権を奪ったカレンは、左手をトレーナーの肩へと沿わせつつ、右腕をトレーナーの顎下へ。
    そして、そのまま腕を右に弧を描くように動かすと、それに導かれるように、前のめり気味になっていたトレーナーの顔が上を向いた。言うなれば、トレーナーの身体はカレンの為すがままとなっていた。
    それを、トレーナーから見て後方へと、彼の身体が反るように動かし、身体に力が加わる隙を与えない。
    最後に、床へと向かっていくトレーナーを左腕で抱きとめ、右手で彼の右手首を優しく掴み、彼に加わる衝撃を殺す。
    結果、トレーナーの身体は、まるで地面に落ちる羽毛の如くふわりと落ちる事となった。

    合気道において入身投げと称される技、そのほぼアドリブの如き応用の形を、カレンは1秒経ったかどうかという一瞬で、流れるように完遂せしめたのである。

    「相手を傷つける事なく制する」という、争わぬ事を至上とする合気道において最も重要かつ基本を成す事が出来る技量。紛れもなく、彼女が段位を持つに相応しい達人である事の証左であった。

  • 10二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 22:00:19

    「本当なら素人に技を掛けるのは良くないんだけど……」
    「……君なら、きっと僕を痛めつけないとは思ってはいたし、誰かに話すつもりもないんだけど、ね……」

    言葉を濁すトレーナーに、カレンは内心、「やっちゃったカモ!?」と表情に見せないながらも焦る。流石にこれはカワイくないのではないか? お兄ちゃんに嫌われるんじゃないか? そんな考えが脳裏をよぎる。

    ……しかしながら、トレーナーが考えていたのは全く別の事で。

    (……参ったな)

    最初、カレンの小指を握る時、そのままカレンの右手を包み込むような形になって、カレンに「お兄ちゃんってばダイタ~ン♡」なんてからかわれるんじゃないかと思っていた。
    だが、実際にはご覧の通りの状況になってしまった。
    大の大人が、ウマ娘とはいえ中等部の少女に抱きとめられるような形に。

    (…………)

    トレーナーの視界に映るカレンの顔は、電灯の角度からか、影が掛かっているようになっていて。
    だからなのか――普段良く見る、年相応の幼気で『カワイイ』顔が、どことなく『大人』の顔をしているように見えてしまって。

    (……敵わないなぁ)

    トレーナーは――耐えられなかった。この瞬間だけは、察しの良い彼女に内心を悟られたくないと、心の底から祈った。

  • 11二次元好きの匿名さん24/05/11(土) 22:05:04

    以上です。最近仕事がキツ過ぎて小説を書く元気があまりにも無さ過ぎたので、リハビリがてら書いてみました。
    カレンチャンが題材なのは、自分自身が合気道経験者だからなのと、開祖植芝盛平氏の小指に纏わるエピソードから着想を得たからです。

    ……正直書きたかった内容が一部書けずじまいだったり、ちゃんとエミュ出来てるか不安という意味で良い出来ではないと思いますが、読んでいただけたのなら幸いです。長文、失礼しました。

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