(SS・トレウマ注意)母の日に手向け花を

  • 1◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:07:28

    「今年もこの日が来たな」
    「そうだな、貴様の準備は良いか?」
    「勿論。それにこれもね」

    子供達をお母様の家へ預けて、彼の車の中で揺られながらそんな言葉を呟く。
    花屋に立ち寄り花束を買い、ある場所に車を停める。
    買ってきた花束と家から持ってきた花を持ち、その先へと進む。

    「ただいま、みんな」
    「御義父様、御義母様、お元気ですか?」

    自分達が帰ってきた事を伝えるために話しかける。
    だが返事は返ってこない……当然だ。
    今語りかけている私達の目の前にあるのは……

    ひとつの墓なのだから———

  • 2◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:07:49

    ここはとある寺。そして目の前にあるのは彼の…夫にして私のかつてのトレーナーの家族が眠る墓。

    柄杓で水を流し、墓を綺麗にする。
    買ってきた花を供え、線香に火をつける。
    二人で手を合わせ、静かに目を瞑る。
    そして同時に目を開き、目の前の墓をじっと見つめる。

    「ありがとなグルーヴ。…どうしたんだい?」
    「……初めて貴様と訪れた事を思い出していてな
    「そういえば随分と前になるよなぁ……」
    「たわけ……あの日の事を忘れるものか」

    そうだ、忘れるものか。
    今日は母の日
    私と彼が同じ道を歩み始めた日
    そして私達が"家族"になった日

    私はあの頃に思いを馳せる
    それは私が卒業前最後の年に遡る———

  • 3◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:08:15

    「こんなに散らかして……私は掃除できて構わないがこれを見たら貴様の母親が泣くぞ?」

    「ははっ…そうだね……」

    相変わらず散らかるトレーナーの部屋を片付ける私。ストレス発散という意味では嬉しい事ではあるのだが、それにしてもよく散らかる部屋だ……とは思う。

    「散らかっている時は頭の中も同じ状態、私のお母様もそう言っていてな、大変だが整理すると仕事も捗ると思うぞ?」
    「ありがとう……気をつけるよ」

    そんな普段と変わらぬ会話をしていると母親という言葉で私はある事を思い出した。

    「そう言えば明日は母の日だ。貴様はどうするのだ?」

    母の日、日頃の母親の苦労を労い感謝を表す日。その日が偶然休日でもあったため一度お母様の所へ顔を出そうと思っていたのだ。

    「あ……その…俺は連絡くらいかな?仕事もあるし」
    「はぁ……いつも応援してくれているのだろう?それに私も一度挨拶をせねばならんと思っていた所だ」
    「いや、いいよ!何もないしさ」

    「私のお母様に貴様が挨拶をしたのに、私が行かない道理はないだろう」

    私の熱意に押されたのか分かったと頷くトレーナー。彼の母親に挨拶をしつつ、普段彼が私を支えてくれている事を伝えて感謝したい、私の知らない彼の事をもっと知りたいとそう思っていた。


    ……今思えばこの時、トレーナーの受け答えの悪さに気づくべきであったのだ。
    この時の私はその軽率な行為に後悔することなど考えもしなかったのだ———

  • 4◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:08:38

    そして当日、身支度を整えトレーナーを待つ。

    「お待たせグルーヴ」
    「遅いぞ……その花は?」

    あれは確か彼の部屋に置かれている花……

    「あぁ、これ? これは母さん達に渡す花」
    「母親に花を渡すか。殊勝な心がけだな」

    ここから距離があるとの事なので私はトレーナーの車に乗り込む。
    (奴の母親か…どのような方なのだろうか……存外、彼に似ているのかもしれんな……ふふっ)
    そんな想像を膨らませながら車に揺られる私。
    これから目の当たりにする現実など知らずに……

    「ちょっとごめんグルーヴ。少し立ち寄らせて」

    「花屋か、まぁいいだろう」

    (この男にも可愛らしい所があるものだな……)
    花屋に立ち寄るとトレーナーは花束を2つ選んで会計に並ぶ。
    (カーネーション以外にそこまで沢山渡すのか?……いや、あの花の種類は———)
    それを見た私は何か違和感を感じていた。
    別にトレーナーの花選びが悪いわけではない。だが、あの花束はあまりにも———
    花屋を後にし私の違和感が晴れないまま、車は再び走り始める。

  • 5◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:09:07

    「さて、そろそろ着くよ」
    「そろそろ到着か……!?」

    トレーナーの実家を一目見ようと辺りを見回した私は目を疑った。

    「トレーナー……ここは……?」

    無意識に"この場所"に来るということが何を意味するのかを理解してしまったのか、私の声は震えていた。

    「うん、ここがその場所だよ」

    到着した場所は寺———
    トレーナーの手にしている花束が、これからの事を物語っていた……

    私とトレーナーは墓所の道を進む。
    (きっと立ち寄る前に祖父母の所にも挨拶をするのだろう。そうだ、きっとそうに違いない……)
    だがそんな私の淡い想像はすぐに打ち砕かれる。

    「ただいま母さん、父さん。今帰ったよ」
    「———ッ!?」

    立ち止まり語りかけるトレーナー。
    あの時買った花は渡すものではなかった。
    そう、その花は…
    墓前に供えるものだったのだ。

  • 6◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:09:33

    「ト…トレーナー……?」

    私の声が、身体が震える。彼の言葉とこの状況を照らし合わせばすぐに理解できるというのに動揺して考えが纏まらない。

    「ごめんね、もう少し早く伝えるべきだったんだけどさ……」

    そんな私をよそにトレーナーは話し始める。

    語られたトレーナーの過去は凄惨なものであった……
    母の日の頃、幼いトレーナーを乗せた車は事故に巻き込まれた。奇跡的にトレーナーは大きな怪我もなく後遺症もなかったのだが、家族は助からなかったのだ。

    「父親も母親も即死だった……」

    壮絶な事故……それだけでも辛すぎるのに彼には更に困難が待ち受けていた。

    「気味が悪いだろ? 他は全員亡くなってるのに一人だけほぼ無事だなんてさ。だからみんな離れていった」

    「は…………?」

    幼きトレーナーは一人無事に生き残った。しかしその事を安堵するどころか気味が悪いと思った親戚は皆、彼から距離を置くようになり、トレーナーは施設に引き取られたのだ。
    彼がどんなふうに生きてきたのか、その光景を思い浮かべると同時に彼へのその仕打ちに対する憤りが激しく湧き上がる。
    ……だがそれを打ち消す程、私の身体の震えは止まらなくなっていた。

    「だから毎年母の日にはここに来るんだ。ちょっと日にちはズレはするけどね」

    「だ…だから……貴様の部屋でその花を育てて……」

    「まぁね。それに母さん達を知っているのはもう俺だけみたいなもんだしさ、こうして忘れないようにって意味も込めてこの花をね」

    私の震えながらの問いかけに彼は部屋から持ってきたその花……"シオンの花"に視線を落としながら答える。

  • 7◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:09:58

    その姿を見た瞬間、私の今までの彼に対する言動がフラッシュバックする。

    「わ…私は……トレーナーに色々酷い事を言って…知らぬ間に…無意識に……」

    思い出すのは昨日の事…前にお母様と彼とで三者面談した時の事…様々な事が浮かんでくる。そしてどれもトレーナーに対して母親が…家族がいない彼に私は自らの家族の事を語っていた、自慢していた……
    震えが止まらなかった、ここから逃げ出したかった。
    だけど逃げられなかった……いや逃げなかった。

    ここで逃げたら何もかもが終わる。
    だからこそ全てを受け止めよう。
    それが模範たる者の姿ではないか。
    だから逃げない、逃げるものか———

    「君は何も悪くない。だってこの事はこっちから言わなければ知る事だってできないからさ」

    静かに話すその声が嵐の前の静けさに感じられる。

    「でもね、グルーヴ」
    (それでも怖い……言わないでくれ……)

    身体の震えが止まらない

    「君のその言葉にね」
    (頼む……やめて…嫌ぁ……!)

    その先の言葉を身体と心が拒否する

    「俺は救われたんだ」
    「え……?」

  • 8◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:10:19

    放たれたのは私が想像していたものとは正反対の言葉。
    思わず素っ頓狂な声を上げる私に彼は語り続ける。

    「時間って残酷でね、長い年月が経つとそれが当然なものに感じてしまうんだ。自分の母親は、家族はいない……それが当たり前になってしまってね」

    墓を眺めながらそう語り、私の方を振り向く。

    「でもグルーヴがお母さんや家族の話をしてくれた事で、俺は母親を…家族の事を忘れずにいれたんだ。ありがとう」
    「そんな…こと……」
    「だけど君の前で言うのも何だけどさ……」

  • 9◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:10:44

    「家族って羨ましいなぁ……」

    「———ッ」

  • 10◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:11:04

    空の彼方を見上げながら震え声でそう語るトレーナーの目には感情が溢れるぐらいに溢れていた。

    そしてこの瞬間、私のなすべき事は決まった
    今思えばこの瞬間、私達の歩みが始まった……そうはっきりと言えるのだ。

  • 11◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:11:33

    「ごめん暗い話になっちゃったな。さて、そろそろ帰———」

    「待て」

    彼の腕を掴み引き止めて私は墓の前に向き直る。

    「トレーナーのお父様、お母様、私は彼の担当のエアグルーヴと申します。常日頃から彼には様々なご指導を頂き、私の目標であったオークスの栄光を勝ち取る事が出来ました」

    当然返事も相槌も返ってはこない。聞いているのかも分からない。

    でも、それでも、だからこそ———

    「ただ時折彼も部屋を散らかしたり…所々抜けている部分はあると思います。…でも怒らないで下さい。そんな彼を支えて、彼に支えられてこそ今の私がいるのです」

    一呼吸してトレーナーの方を向く。何も言わずに私の方をじっと見ている彼に自信ありげな顔を見せてまた墓の方へ向き直る。

    「今日初めてお二人の…彼のお話をお聞きしました。知らない事だったとはいえ、無意識に彼を傷つけてしまった事申し訳ございません……」

    私は深呼吸をする。この先後悔なく言葉を紡ぐ事が出来るように、私の決意を示すように。

    「だからこそお願いします!トレーナーを…○○さんを! 私達の家族として……私をお二人の…彼の家族にさせて下さい!」
    「グ…グルーヴ……?」

    「勘違いするな!私がただ貴様の事を憐れんだからだと思うのか!? 私がそんな事でこの言葉を紡ぐとでも思うのか!? これは私の本心だ! 貴様を本当の意味で支えていきたい!トレーナーと…あなたとずっとそばにいたい……! だからお願いします!」

    私の想いを…決意をぶつけ、物言わぬ墓前で頭を下げる。
    静寂に包まれた時が過ぎていく……

    その時

  • 12◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:11:55

    ———グルーヴさん…この子をお願いね

    「……え?」

    ———○○…グルーヴさんを悲しませるんじゃないぞ?

    「とう…さん……か…あ…さん……?」

    暖かい風が吹き抜けた
    柔らかい風が吹き抜けた
    そして誰かの……優しい声が聞こえた

    「トレーナー…今の声……」
    「ああ、俺にも聞こえた……」

    再び空の彼方を見上げて震えた声で呟くトレーナー。
    彼の顔をまっすぐ見てはいない。だがその瞳には溢れ出た感情が止まる事なく流れ続けていて…

    「たわけ……ッ…いるじゃないか…貴様にも家族が…あなたの事を大切に思ってくれる人が………!」

    気付けば私もそんな彼の背中に顔を押さえるようにして泣いていた………

  • 13◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:12:13

    「ごめんな、大の大人なのにこんな姿……」
    「全く、そんな姿見せるのは私だけだぞ?」

    暫くして普段の様子に戻った私達は改めて墓前に向き直り手を合わせる。
    二人の冥福を祈り、あの時私達を許してくれた事に感謝しながら。

    「グルーヴ……」
    「なんだ? 何か……!?」

    振り向くと私の方を向いて頭を下げているトレーナーがそこにはいた。

    「ありがとう。俺の事を君の家族と…そう思っていてくれて。だから俺からもお願いしたい」

    その言葉に息を呑む私。半分希望、半分不安の天秤のような私の心…どちらに傾くかは彼次第———

    「お願いします……! 俺を君の家族の一員に…君を俺の家族の一員にさせて下さい!」
    「たわけ……たわけぇっ! 誰が断るものか!」

    嗚呼、いつから私はこんなにも涙脆くなってしまったのだろうか…だが、それも悪くはない……
    だが私はハンカチで顔をサッと拭って普段の顔に戻る。
    今彼に見せるのは涙じゃなくて笑顔なのだから……

  • 14◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:12:47

    「あの花を育てるのを……私にも手伝わせてくれ」
    「え……?」

    私はそう彼に頼み込む。

    「今度は貴様だけじゃない……そのシオンの花言葉のように…私も二人への想いを込めていきたいんだ」

    もう彼は独りじゃない。
    彼の家族として私が、そして私の家族としての彼がいるのだから。

    「……ありがとう…これからよろしく頼むよ」
    「ああ!任せておけ!…さて、そろそろ行くぞ」
    「え……どこへ?」

    「たわけ、私の実家に決まっているだろう。もう私達は家族なのだぞ?」

    「……! そうだな…それじゃ行こうか。……父さん母さん、また二人で来るからね」
    「また来ます、お義父様…お義母様」

    そうして私達は歩き始める。
    その一歩一歩を踏み締めるようにゆっくりと歩く。
    これは私達が担当とトレーナーの関係ではなく、家族として歩む第一歩なのだから……

    再び暖かい風が吹き、私達が振り返るとシオンの花が優しく揺れていた———

  • 15◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:13:14

    「あの日から何年も経つのか……」
    「月日が経つのがこんなにも早いとはな……」
    「その間にも色んな事があって」
    「そして今の私達がここにいる訳だな」

    風の便りで知ったのだがあの時トレーナーを見放した彼らは事故を起こして周囲から孤立しているらしい。
    因果応報とはまさにこの事であろう。


    「さて、そろそろ戻りますか」

    「今度は…あの子達も連れていくぞ。私達がしている事を、あなたの事、そしてご義父様やご義母様の事を知ってもらう為にも、お二人を忘れない為にも……な」

    「ありがとな、グルーヴ……」

    彼はあの時のように目に溢れんばかりの感情を滲ませる。全く…私まで涙が出てしまうではないか……だが、それでいい……

    「さぁ行くぞ!私達の帰る所へ、私達を待っている人の所へ!」

    「あぁ!……二人とも、今度は子供達と来るからね」

    「だから私達を見守っていてください。お義父様、お義母さま……」

    ———ああ、楽しみにしているよ
    ———二人とも、みんなも、元気でね

    私達の言葉に答えるかのようにあの時の様に暖かい風が吹き抜け、シオンの花が優しく揺れていたのであった……

  • 16◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:13:57

    以上になります
    母の日という事で一つ
    長文失礼しました

  • 17◆yTmACWg/.TWm24/05/12(日) 06:15:44

    補足

    シオンの花言葉

    「君を忘れない」「遠くにある人を思う」「追憶」


    https://oggi.jp/6809780#i-2

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