【トレウマ・百合SS】ペンダコ

  • 1全5レス(予定)24/05/18(土) 23:30:14

    人生で最も苦しかった時期はいつか?と問われたら私にとっては間違いなく文字を覚えるまでの数年間だ。確かに、小学校にすら入る前のことなんてはっきりとは覚えてない。しかし、その日々は地獄だったと自信を持って言える。

    何故なら、その頃既に私はレースに出会っていたから。私がレースに抱いている情熱を、見終えた後の感情をあの頃既に抱いていたから。これを形にできないなんて気が狂って当然だ。

    絵では意味がなかった。なまじ形を持たせてしまうからだ。なまじ形があるせいで心に渦巻く熱の億分の一も表現出来てないと見せつけられる。無形を有形に翻訳していくうちに生じるズレを見せつけられる。思ったことを描いているはずなのに思ったように描けない絵では意味がなかった。

    だが文字は違う。素直に感情を吐き出すことができた。このことははっきりと思い出せるが、文字を覚えたその日の内にその週に見た全てのレースの感想を書き殴っていた。……思ったことを思ったように表せるのが余程嬉しかったのだろう。『あの時のアンタ狐に憑かれてるかと思ってお祓い呼ぼうとしたのよ』と未だに両親に笑われている。

    「痛ッ」

    かれこれ二十余年、毎日レースへの想いを書き綴っていたせいですっかりペンダコに悩まされるようになった。……しかし、弱ったなあ。利き手のタコの痛みが引ききっていないのに、左までなんて。ここ最近書類仕事が立て込んでいるせいで左右を使い分けても治りが追いつかない。……まあ、治りきってないだけでマシにはなっているし右で書けばいいか。

    「あら、どうしたのかしら?」

    そんなことを考えていると彼女が、担当のメジロラモーヌが話しかけてきた。今日は酷い雨でコースが使えないため、トレーナー室で資料を漁っていたのだ。

    「何でもないよ。ちょっとペンダコが痛むだけ」

    顔を上げ、返答をするだけして直ぐに書類作業に戻る。こんなことで彼女がレースに愛を注ぐための行動を邪魔したくはない。それに、彼女もこの程度の些事に時間を取られたくはないだろう。

    「……見せなさい」

    そんな自分の予想とは裏腹に、ラモーヌが本を読むのをやめてこちらにやって来た。別に構わない。時間を取らせるまでもない。……そう断ろうと思ったが断れない。彼女とは親密な仲になったつもりだが、どうも彼女には頭が上がらない。とにかく、ペンダコの痛む手を見せた。

  • 2全5レス(予定)24/05/18(土) 23:30:25

    すると、私の手のひらをラモーヌが包んだ。彼女の柔らかさ、温かさ、何より優しさが伝わってくる。

    「どうしたのラモーヌ?」

    伝わってくるのは良いのだが、不意のことに驚き思わず顔を上げる。その顔は慈愛のようなものが滲んでいた。

    「私がこうしたいと思っただけ。そこに理由がいるかしら?」

    その直球な言葉と彼女自身の美しさとが相まって、顔を上げていられない。彼女と見つめあっていると照れてしまって仕方ない。自然、自分のそれを包む彼女の手のひらが目に入る。相変わらず雪のように白く、簡単に折れてしまいそうなくらいにほっそりとした美しい手だ。どんな美術品も申し訳なくなって逃げ出すに違いない。そう思わされる美しい手だ。

    本当に美しい手。——自分と違って。

    恥ずかしくなって逃げ出したいのは美術品などではなく私だ。これまで肌ケアだとか化粧だとかそういう自分を磨くものにかける時間と金があるならその全てをレースにつぎ込んできた。人生で真っ当にそういうことをしたのなんてこの学園に入るための面接の時くらいだ。

    ……方々駆けずり回ってそういうののやり方を教わった際誰一人として『好きな人できた?』というような普通の反応も茶化しも受けなかったことが思いだされる。誰も彼も雪が降る、槍が降る、過ぎたと思っていた終末の日は今日だった……しまいには『正気に戻ろう?レースにもターフにも嫁入りはできないよ?』と本気で心配してきた友人までいた。三人も。

    それくらい自分に無頓着だった私の手は酷いものだ。季節的に乾燥していないからマシとはいえ手のひらは幾分カサついている。汚い、とまではいかないが彼女の綺麗な肌とは比べるべくもない

    特に問題のペンダコ。一日だって想いを吐き出せないでいるのが耐えられないからとあれこれ持ち方を変えてみたり、両利きに矯正してみたりした。その結果、両手の中指の第一関節はもちろん両薬指にも大きなものができている。しかも、中指にも薬指にもあまり目立たないだけで、大きなものだけでなく小さなタコがいくつかできていた。本当に——

    「恥ずかしいな」

    思わず声に出てしまった。

  • 3全5レス(予定)24/05/18(土) 23:30:46

    「そんなことはなくってよ」

    ラモーヌが言う。その声音はいつもと変わらないようでいて確かな怒りや失望が含まれていた。誰かがその人の『愛』を否定した時にだけ彼女が見せるものだ。

    「貴方のこの手は何よりも美しいもの」

    再び顔を上げて見ると相変わらずの美しい微笑みの中には先ほどと違い無言の圧力があった。恥じるな、と。ただ愛を貫け、と。そういう圧力が。

    「この手は貴方の愛の結実。至高の美はここにあるわ」

    ………恥いるしかなかった。彼女の上辺の美しさに囚われて、人生全てを捧げたきた愛を否定するなど彼女への、何よりレースへの侮辱だ。これほど自分を愚かと思ったことはない。

    「ごめんね、ラモーヌ」
    「よくってよ」

    その言葉を聞くとラモーヌの表情から圧が消え、手の甲にキスをされる。とても軽い、一瞬の口付けなのにこれ以上なく重い意味の込められキス。

    『二度と見失うな、今日の事ゆめ忘れるな』

    そう、刻み込むためのキスだった。

    貴方をもう失望させない。そう心に誓い、その事を宣言しようと——

    「けれど、このままというのもいけないわね」
    「えっ」

    したところで、ラモーヌがそんなことを言い出した。

  • 4全5レス(予定)24/05/18(土) 23:31:08

    「今はまだ良いけれど、冬場なんて辛そうにしていたでしょう?」

    確かに、毎冬赤切れとか乾燥とかで水が染みるわ、なんとなくヒリヒリするわで煩わしい思いをしている。まあ、たいてい塗り薬を買いに行くのを忘れるか、買いに行く道中にレース関連のポップやらニュースやらに気を取られて忘れるかしているうちに時期がすぎていくのでそこまで困っていないのだが。

    「……それ、『困っていない』のうちに入らないのではなくて?」

    ラモーヌが珍しくレース以外のことで難しそうな顔をしている。……言われてみればそういう気がしてきた。ラモーヌが一つ息を吐く。

    「とりあえず私の使っているものを試してみましょう。肌のケアを今のうちからしていけば今年の冬は大丈夫でしょうし。それからペンダコ用の絆創膏も……」
    「いや、ちょっと待って!?」

    好意はありがたいがそれは困る。絆創膏の方はいい。しかし、名家のお嬢さま、それもラモーヌが普段使いしているケア用品なんてどう考えても弩級の高級品だ。トレーニング用の道具やら書籍・論文集の類やらの買い込みすぎで次の給料日まで節約生活確定な私に手を出せるわけがない。

    ついでに言えば、来月以降こんな生活を改善できる見込みも自身もない。

    「あら、よろしければ当家で養って差し上げましょうか?」
    「私と貴方の関係じゃ冗談にならないよ……」

    もちろんラモーヌがこんな冗談を言うわけがない。というか、冗談自体言っているとこを見た記憶がない。……まさかいい歳した大人が、一応まだ学生である歳下の家に転がり込むわけにはいかない。第一、メジロのお家なんて肩肘が張って日課のレース鑑賞が……

    「とにかく、私のことは気にしないでいいよ」

    趣味云々抜きにしてもあまり彼女に気を遣わせるわけにはいかない。いくらなんでも情けないから。それに、彼女の前でつけられた記憶はないし、もう手遅れとは思うが彼女の前では格好つけたい。それくらいの人並みの意地は流石に持ち合わせているつもりだ。

  • 5全5レス(予定)24/05/18(土) 23:31:34

    「そうはいかないわ」

    しかしラモーヌはというと、そんなつまらない意地に付き合うつもりなどない……というより気づいてないらしい。

    「だって」

    普段のミステリアスな感じだとか、異常なまでの情熱だとかいったものの含まれていない、暖かな笑みで……

    「貴方には笑っていて欲しいもの。私の、愛しい人」

    『もちろん、愛を貫く姿も美しいけれど』と彼女が付け加える………殺し文句というかなんというか、こうも純粋な表情で、表裏のないことを言われると何も言い返せない。

    赤切れだとか乾燥肌だとかに、しかもそれに悩まされるのは当分先のことに『笑っていて欲しい』だなんて大袈裟な。と、思わないでもないがそれを言い出すのも野暮だし、失礼だ。

    彼女の勧めてくれるあれやこれやを使うか、というか買えるかはともかく、これからは少しくらい自分のことも気にかけよう。好きな人に心配をかけるの範囲じゃない。

    ………今まで自分のことに手間をかける意味がわからないでいた。そんな事大したことじゃないと思っていた。しかし、初めて世の人がそうする理由が理解できた気がする。なるほど——

    ——好きな人の求めなら応えたいと思って当然だ。

  • 6おわり24/05/18(土) 23:32:07
  • 7二次元好きの匿名さん24/05/18(土) 23:43:52

    ほうレース第一すぎて女捨ててるトレーナーか

    なんかそのうちラモーヌに化粧仕込まれてラモーヌ色に染められそう

  • 8二次元好きの匿名さん24/05/18(土) 23:44:43

    このトレーナー……何か変

  • 9二次元好きの匿名さん24/05/18(土) 23:46:48

    他のメジロがメジロにしてくるのってラモーヌのせいだったのか…

    いや、若いメジロの影響でメジロにする事を覚えたのか?

  • 10二次元好きの匿名さん24/05/18(土) 23:49:05

    冬場肌ケア怠ると手を洗ったりするたびに染みて痛むのよね……そんな日常的な痛みをその都度忘れるこのレース馬鹿は?

  • 11二次元好きの匿名さん24/05/18(土) 23:53:52

    ないわー自分の愛を見失うとかないわーそれはそれとして好きな人が肌荒れに悩むのは嫌なので我が家で養いますね

    可愛いなラモーヌ

  • 12二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 00:04:05

    トレはすっぴんの地味娘なのかすっぴんで充分な超絶美人なのか…ラモーヌと並ぶなら後者がいいな

  • 13二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 00:22:43

    俺もラモーヌに覗き込まれてぇなあ

  • 14二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 00:35:05

    ペンダゴ治るまで我慢できないからって両利きになるとかなんなの?ラモトレは止まると死んじゃうマグロなの?

  • 15二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 03:41:22

    手を取られてラモーヌにじっくりとタコを治して貰うトレーナーをみてみたい

    それにしてもこの治し方痛そうだな

  • 16二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 03:52:18

    ラモーヌの♀トレウマもの少ないから大助かり

  • 17二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 08:40:04

    手の甲にキス…いいよね

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています