【SS】夢を現で感じたくて

  • 1◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:10:21

     夕方の街の一角、ひとりのウマ娘が立ち並ぶ建物の壁際に佇んでいる。
     意識がぼんやりとしている中、マルゼンスキーは自分が何をしていたのか思い出そうとする。
     徐々にかかっていた靄が晴れていき、彼女が探していた答えが見つかる。

    「トレーナー君、遅いわね」

     ぽつりとつぶやいた言葉が、目的に結び付く。私服に身を包んでいるマルゼンは、街中で彼女のトレーナーと待ち合わせていた。
     待ち合わせをして、何をするのだったか。買い物? 食事? それとも、デートと称して会いたかった?
     彼女の愛車なしにそれらを目的に出かけるのは珍しいことだった。そう、普段の彼女らしくない。

  • 2◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:11:04

    「何でだったかしら……」

     自分の相棒のタッちゃんが傍にいない物足りなさ、そしてもうひとりの相棒、パートナーと呼び方を変えても良い彼が来ない寂しさが胸の中に入り込んでくる。
     いない理由を探し続けることはせずに、代わりに埋め合わせをしようとしてバッグから携帯を取り出す。

    「あら?」

     マルゼンは手に取った小さな機械を見て首を傾げる。自分の持ち物と思えるのに、どことなく違うように感じる。画面、こんなに小さかったかしら?
     よぎった疑問もまた手放して、彼女の指先は慣れた操作でメールをセンターに問い合わせる。電話は、ちょっと高いから。
     便箋のアイコンの上に空白のバーが表示されて、彼女は緊張して中が埋まっていくのを見守る。

  • 3◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:11:44

    『メールは受信できませんでした』

     何の気遣いもない文面が表示された。何回も見てきて、その度に残念な気持ちにさせてきてくれた言葉。
     溜め息と共に携帯をしまうと、マルゼンは視線を雑踏に向ける。
     日が伸びつつある夕方の街をサラリーマンや学生が埋めていて、種種雑多となっている。
     彼女のように立ち止まっている者も、何処かしらに向かっている者も皆携帯を手にして思い思いの行動をとっている。

     ウマ娘の特徴的な耳には仕事にかかわるものや友人との会話が入ってくる。しかし意外にも、静かに目を伏せていじっている者が多い。
     カチカチとプラスチックのボタンが音を出している。そうしている誰も彼もがメールを打ち、返事を待っている。

     つられるようにマルゼンもまた手の中の隙間を埋めていた。再びボタンを押せば、返ってくるのはお決まりのメッセージだった。
     彼女の目は手元の小さな画面と街中を行ったり来たりしている。制服を着ている子たちが同じことをしていて、溜め息や残念そうな声を上げる。

  • 4◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:12:30

    (あの子たちも同じなのね)

     内心呟きながらも彼女の指は止まらない。いちいちメニューを開いていくのも面倒で、便箋が印字されたボタンを長押しするだけだ。
     何度も何度も同じ仕事をさせられているというのに、携帯は不満を一言も漏らさない。そこにある種の真面目さを感じ、同時に彼女が待っている相手も思い出された。
     毎日毎日担当ウマ娘のトレーニングに付き合い、不満どころか疲れも見せないトレーナー。奇妙な一致に思えて、彼女は押しっぱなしのボタンから指を離した。

    (君も、同じ?)

  • 5◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:13:01

     口に出さずに問いかけても、当然小さな機械は返事をしない。いたわるようにそっと画面を指先で撫でて、マルゼンは視線の向きを変えた。
     彼女が寄りかかっていた壁のすぐ横、そこにはショーウィンドウがあった。何体かのマネキンが纏っている服が展示されている。
     ポーズをキメている姿はデザインを際立たせていて、子供であれ大人であれ、憧れを生じさせるそれらに彼女は惹きつけられる。

     ただ、そっと足元を見れば値段はそれ相応だった。一か月お喋りしっぱなしの電話代といい勝負だ。
     それが付けられているだけの価値はあるのだけど、彼女にとっては欲しいという気持ちを見透かされて足元を見られているようだった。

  • 6◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:13:35

     それでも諦めきれず、マルゼンはディスプレイを見上げていた。かつては与えられるだけだった子供の彼女も、今は大人だ。
     ガラスに薄く映るマルゼンスキーの姿がそれを証明している。そんな彼女が頑張っている自分へのご褒美として買うことは出来る。
     でも、その行動は少し躊躇われた。ファッションショーのように取っ替え引っ替え色々な服を着て、誰かに見てもらって、選んでもらいたいと思った。
     相手は誰? かつての学園の友人? いいえ、違う。あたしより流行に疎くて、大人の余裕があるカレは………………

     その時、手元の携帯から音が聞こえてきた。ピコピコとオーケストラには敵わない電子音、先程より頻度は減らしていたものの無意識に問い合わせていた結果だった。
     慌ててメールを見てみれば、案の定思い描いていた彼、トレーナーからだった。文面は短く、遅刻を謝って今向かっているというもの。

  • 7◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:14:20

    「~~~♪」

     マルゼンは息を吐いてじっとその文字列を見つめていた。溜め息と同じ、声ではない音を口から生み出しながら、それなのにその響きはどこか違っていた。
     何回かの吐息だけで携帯の着信音よりも感情豊かに心境を奏でている彼女は、最後に満足気に余韻を吐き切った。
     次いで返信を素早く打ち込んで彼に返した。彼のものより短い、たった一言。

    『遅いゾ』

     わざわざ最後の一文字をあえて変換して彼女は返した。返事はきっと来ない。その代わり、着信音が彼の足を速めてゴール板に急がせることだろう。
     おあつらえ向きにショーウィンドウが鏡代わりだ。大きすぎるかもしれないけれど、こんなに目立つものを見逃すことはない。

  • 8◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:14:51

     再び壁に背を預けて、彼女は雑踏に目を戻した。行き交う人々は相変わらずなのに、少し前と違って目に映る光景が変わっていく。
     仕事がうまくいったのか声に喜びをにじませるサラリーマン、自分と同じように待ち合わせた相手が来て楽しそうにしている学生。
     時間が過ぎただけではなくて、余裕があるという気の持ちようひとつでここまで変わることに彼女は苦笑いした。

    (まだまだ、子供ね)

     認めたくない答えだったが受け入れざるを得ない。そう、それを次に生かしてこそデキるオトナなのだと考えていれば。
     遠くからマルゼン、と呼ぶ声が聞こえてくる。走る風を捉えるように、彼女の耳はそれを逃さない。

  • 9◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:15:27

     息を切らした彼が彼女のもとにやってくると、新たにガラスの虚像が一人分増えた。
     二人分の同じ相手を見ながら、彼女は彼が息を整えるのを待った。ウマ娘より短いレースでの、ウマ娘より遅いタイム。
     それでも彼女というゴールを目指して走ってきた彼に、何の感情も抱かないでいられるだろうか。

     咄嗟に名付けられない想いで胸がいっぱいになっているところに、ようやく落ち着いた彼が声をかけてきた。
     改めて遅刻を詫びる相手に感情のままに行動したくなるウマ娘だが、デキるオトナのフレーズがブレーキとなった。
     ドラマの中であれば、今来たところと返すシーンが描かれるだろう。ただ、それを言い切るには感情がまだ邪魔をしていた。
     その止まりきらない発露として出てきたのは、頬を膨らませるというものだった。ちょっと、イケてない。

  • 10◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:15:58

     彼女の内心を見通せない彼はまた謝る。それで溜飲が下がったのか、ぷふ、と彼女は元に戻っていく。
     そのまま彼女はそっと腕を手に取った。だらしない顔にならないように引き締めて、それでも隠せない笑顔に彼もようやく微笑む。

     走ってきた彼の熱も夕方に照らされる光も気にしないまま、マルゼンはトレーナーと連れ添って歩いて、そして………………

  • 11◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:16:30

     頬にぺったりとくっつく何かを感じる。そこから離れようと顔を上げれば、マルゼンは自分が座っていることに気付く。
     おはよう、と声が聞こえて彼女はきちんと返したつもりだった。しかし口がうまく動いてなければ声も零して溢れたような音だった。
     低い笑い声も耳に入ってきて、その正体を目が確かめようとする。自分の担当トレーナーであることに気付いた瞬間、目と耳が即座に立ってしまっていた。

     パイプ椅子ごと音を立てて彼女は顔を背けた。すぐに鏡を取り出して変な顔になっていないか確認する。
     そんなに慌てなくても、気にしないといった声が耳に入ってくるが、そういう問題ではなかった。幸いおかしな部分はなかったので一息ついた。

     気まずげに椅子を元に戻せば彼はまだ笑みを残していた。じとーっと横目で睨むと軽く両手を上げてきた。
     トレーナー室で腕を枕にしてうたた寝。まったくイケてないし、デキるオトナでもない。ああもう、と首を振る彼女だったが気分はそこまで悪いものではなかった。

  • 12◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:17:06

     遅刻するカレを待つカノジョ。そのままどこかにデート。マルゼンが好きなドラマに出てくる光景だった。
     夢の中では夢と気付くことはなく、そのまま現実のように感じていた。本当に現実であれば良かったのにと彼女は考えていた。

     振り返ってみれば、どことなくセピア色を感じさせる出来事だった。実際は写真の中ではなく、そんなモノクロではないカラーで彩られているというのに。
     色に溢れているトレーナーがマルゼンに問いかける。いい夢は見れたかい?
     からかう響きはなく、だからこそ彼女も素直に彼に応じた。ええ、モチのロンよ。

  • 13◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:17:37

     そのまま静かに時間が過ぎていく。彼が叩くキーボードの音が空間に抜けていく。聞き慣れたプラスチックの音。
     それが聞き慣れないはずの別の音を思い出させる。メールが来ていないか何度も押し込んだあのボタン。
     そういえば、どうして自分はあの携帯を使いこなせていたのだろう。スマホよりも厚いあの小さな機械。
     母親やドラマの登場人物が使っているのを見ていたから? それとも、本当に自分はあれを使っていた時代に生きていた?

    (……まさか。本当に、夢を見ていたのね)

  • 14◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:18:07

     夢の中だからこそ、いつもの彼女らしくない要素がところどころにあったというだけの話。
     ほかにも夢では二人が大人同士、デートをしていた。最後に自分を見つめてきた彼の顔は、すぐ近くにいる彼とは違っていた。

     現実では子供と大人。年齢だけではなくて、立場も違っている。だから、接し方も違うというのは分かる。
     それでも、レースと違って詰められない距離というのは少しいただけない。本来であれば追いかけられる立場なのに、追いかけるだけ。
     夢と現実のギャップに感情が掛け合わさって、むっとした気持ちが芽生える。

  • 15◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:18:39

     それに従ってマルゼンはトレーナーをまた軽く睨むが、当の本人はきょとんとしている。少しだけ続けた彼女は、やがて溜め息で顔を背ける。
     ちょっと夢に見た残滓がくすぶっているだけで、いつものことだ。少しだけ不満があっても、今更ひどく咎めるようなことはしない。
     そう、いつもの彼。だから、彼女もまたいつもの行動をとる。

    『トレーナー君。デートしましょ』

     変わらない口説き文句を、しかしマルゼンは口の中に留めた。もごもごとする彼女を不思議そうにトレーナーが見やるが、それよりも寸前で閃いたことを実行するのに忙しかった。
     制服のポケットからスマホを取り出して、ぎこちなくメールを打つ。ああ、夢の中はスムーズだったのに。
     一言一句変わらない文面を送ると、すぐに彼のスマホから音が鳴る。彼は不思議から奇妙へと顔を変化させていた。目の前にいる相手からメールが届いたのだから。
     内容を確認した彼はすぐに返事を口にしようとする。しかし、彼女はそれを押し止めた。

  • 16◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:19:10

    「んっ!」

     彼女はスマホを両手で掲げて見せつける。しばし見つめた彼は、合点がいくと仕方がないというように笑ってメールを打ち始めた。
     彼はいつものようにデートに応じてくれる。彼にとってはただ出かけることと同じ意味で、きっと彼女と同じ意味ではない。だからこそ、彼女にとってのトレーナーでもあるのだけど。
     その彼からのメッセージがスマホを鳴らす。分かった、楽しみにしているよと短い内容。それでも、嬉しそうな吐息が彼女から漏れていく。

    「~~~♪」

     今日は殊更に喜んでいるなとトレーナーは見守るが、マルゼンはそれに気付かず思いを馳せる。

  • 17◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:19:40

     夢の中にあったのだから、あの店も服もきっと現実には探しつくしたところで在りはしない。それでも、感じられるものはあると思う。
     時間を決めて待ち合わせをして、待ち切れないからと何十分も前からまだかまだかと焦れながら待ち続けて。時間通りなのにようやく来た相手に少しだけ不満を漏らして。
     困ったように笑う彼の腕を取って、相手の温もりを感じる。そのまま、どこへともなく歩いていって………………

     想像の中の光景に熱を持ちながら、彼女はそっとスマホの画面を見続ける。
     その日に彼からもたらされるメッセージを、今か今かと待っている。

    (はやくこないかしら。ねえ、君?)

     小さな機械はやはり答えなかった。仕方がないというように、彼女は小さく笑った。

  • 18◆zrJQn9eU.SDR24/05/19(日) 18:20:45

    以上です。

    スマホを使うのはアプリでも描写されていますが、ガラケーのレトロさも合うかなと思い書いてみました。
    もしかしたらポケベルや肩掛けも合うかもしれませんが、ちょっとそっちは調べきれませんでした。

  • 19二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:11:33

    乙だゾ〜
    作中から感じるノスタルジックさの正体は年代か
    語彙力がなくて感想を上手く組み立てられないのが悔しいけど、こう言う雰囲気ほんと好きだ

オススメ

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