54年〜83年までの天皇賞馬

  • 1二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:43:36

    JRA発足の54年〜グレード制発足前の83年までの天皇賞馬60頭を簡潔に紹介
    当時競馬界の最高峰と目されたレースの勝ち馬がどんなものだったのか調べたくなったので
     
    馬齢は現表記で

  • 2二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:48:53

    54年春天優勝馬 ハクリヨウ 
    53年世代 通算25戦16勝 他53年菊花賞優勝 重賞7勝

    デビューから安定した好成績を残してクラシックに参戦するが、春は皐月賞&ダービーと宿敵ボストニアンの前に惜敗。
    しかし夏以降も調子を落とさず好成績を続け、菊花賞では三冠を目指したボストニアンを破り優勝。
    その後は無敵の快進撃を続け、54年春天では再びボストニアンと対決。同馬に6馬身差の圧勝で完全決着をつける。
    その後も快進撃を続け、54年は5戦5勝で年度代表馬(初代年度代表馬)に選出。
    翌55年も連勝が続いたが、夏のオープンでは69キロの酷量が影響しおよそ1年半ぶりに敗戦、このレースを最後に引退した
    引退後は内国産種牡馬冷遇の時代にありながら2頭の八大競走勝馬をはじめ10頭以上の重賞馬を輩出するなど傑出した成績を残した。75年、老衰の為26歳で逝去

    実績&繁殖成績共に傑出した成績を挙げた、競馬史上に残る名馬中の名馬。
    全盛期は宿敵ボストニアンをはじめタカハタ、ワカクサ、タカオー、オパールオーキツト、ダイサンホウシユウなど当時の強豪相手に全て圧勝する強さを見せた。
    敗れた9戦も全て3着以内という安定感もあった。
    引退後の繁殖成績も含め、顕彰馬に選出されても全く不思議でない名馬。
    宿敵ボストニアンとのライバル関係は繁殖成績も含め歴史的な名勝負となった。

  • 3二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:50:45

    54年秋天優勝馬 オパールオーキツト(牝)
    53年世代 通算76戦23勝(中央9戦4勝 地方67戦19勝) 重賞1勝

    オーストラリア産の牝馬。地方の南関東でデビューし、60戦近く走って19勝を挙げる活躍をした後、5歳秋から中央に移籍。
    移籍後は冴えない成績が続いたが、54年秋の天皇賞で外国産馬として38年ぶりの天皇賞制覇を果たした。
    その後再び南関東に戻り、55年夏引退。

  • 4二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:53:40

    55年春天優勝馬 タカオー
    54年世代 通算64戦31勝(中央46戦27勝 地方18戦4勝) 他53年朝日杯優勝 重賞6勝

    2歳夏のデビューから走りまくって6戦して好成績を残し続け、7戦目の2歳秋から3歳春の17戦目まで朝日杯やスプリングS優勝など含め歴代1位タイの11連勝の快進撃。
    しかし皐月賞では宿敵ダイナナホウシユウの4着に、ダービーでは伏兵ゴールデンウエーブの2着に屈し優勝はならず。
    ダービー後13戦消化してから挑んだ菊花賞もダイナナホウシユウの4着に完敗し、クラシックは無冠。
    しかしその後ハクリヨウなどの強豪と対決をこなしながら調子をあげ、4歳の春天ではダイナナホウシユウが不在ということもあり1番人気に推され、結果レコードで優勝した。
    同年夏以降は斤量問題もあり地方の南関東に移籍したが、連戦の疲労に加え故障もありさしたる活躍はなく、6歳夏に引退。
    引退後はミャンマーに種牡馬として送り出されたが、内戦に巻き込まれて行方不明になった。

    小柄ながら非常に頑丈な馬で、『走る精密機械』の異名をとった馬。
    当時としても異常のペースで走りまくり、優勝した春天が4歳時も関わらず通算43戦目だった。
    通算の実績では差をつけられたものの、クラシック時代はダイナナホウシユウとライバル関係にあった。

  • 5二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:55:24

    55年秋天優勝馬 ダイナナホウシユウ
    54年世代 通算29戦23勝 他54年皐月賞&菊花賞優勝 重賞6勝

    2歳秋にデビューし、卓越したスピードを武器に連戦連勝、そのまま皐月賞まで無敗の11連勝の快進撃。
    しかしNHK杯でタカオーの2着に初敗北を喫すると、ダービーでもゴールデンウエーブの4着に完敗と壁にぶち当たる。
    それでも夏以降再び調子を上げ、菊花賞ではタカオー&ゴールデンウエーブ以下に圧勝で雪辱。
    その後は故障休養などがあったものの、レースでは過酷な斤量を背負いながら抜群の成績を残し続け、4歳秋の天皇賞では外国産馬の強豪フアイナルスコアをハナ差で下し優勝、八大競走3勝目を挙げる。
    その後故障で1年近くの休養を挟み、5歳秋復帰後は阪神大賞典など優勝した後、第1回中山グランプリ(有馬記念)に出走。
    しかしレース中の故障によりメイヂヒカリの11着に大敗、このレースを最後に引退した。

    400キロに満たない馬体ながら圧倒的な強さを見せ続け、『褐色の弾丸列車』の異名をとった伝説的名馬。昭和史上最強馬に彼の名を挙げる声も多い。種牡馬としては成績を残せなかったが、現役成績だけでも顕彰馬に選出されてもおかしくない馬だった。

  • 6二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:57:05

    56年春天優勝馬 メイヂヒカリ
    55年世代 通算21戦16勝 他54年朝日杯&55年菊花賞&56年中山グランプリ優勝 重賞5勝

    2歳時は朝日杯優勝などで2歳王者に選出。
    3歳時は故障の影響で春クラシックは棒に振ったが、秋の菊花賞ではダービー馬オートキツ以下を大差で下し優勝、年度代表馬はオートキツに譲ったが最優秀3歳牡馬に選出。
    更に翌4歳春天ではヤサカやファイナルスコアらを下し優勝、現役最強の座に。
    その後も好成績を残し続け、第1回中山グランプリに出走。
    1番人気に推されるとミツドフアーム、キタノオー、ハクチカラ、ダイサンホウシユウ以下の歴史的強豪を下し初代覇者となる。
    このレースを最後に引退、同年の年度代表馬に選出された。
    種牡馬としても重賞馬を複数頭輩出。90年、顕彰馬に選出。

    『日本刀』と称される瞬発力を武器にターフを席巻した50年代屈指の名馬。
    成績こそダイナナホウシユウやシンザンほどのインパクトはないが、後世の評価は両馬にも劣らない。
    当時の強豪達とは互角以上の結果を残した。
    惜しいのは古馬以降オートキツとの再戦がなかったことぐらいか。

  • 7二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:58:06

    56年秋 ミツドフアーム
    54年世代 通算51戦18勝(中央18戦11勝 地方33戦7勝) 重賞1勝

    オーストラリア産まれの外国産馬。4歳まで地方の南関東に所属し、同年秋に中央に移籍。
    中央では地方以上の成績を残し続け、5歳秋の天皇賞では同じ外国産馬のフアイナルスコアらを破り優勝。
    年末の中山グランプリでも3着に好走した。
    6歳以降は再び南関東に戻った。
    昭和最後の外国産天皇賞馬。
     

  • 8二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:00:02

    57年春 キタノオー
    56年世代 通算29戦16勝 他55年朝日杯&56年菊花賞優勝 重賞7勝

    父はトサミドリ。
    2歳夏にデビューすると好成績を挙げ続け、朝日杯では終生の宿敵となるハクチカラやヘキラクを下して優勝し2歳王者となる。
    その後3歳春のクラシックでは皐月でヘキラクの2着、ダービーではハクチカラの2着と惜敗が続くが、秋の菊花賞では両馬に雪辱し優勝。
    年末の中山グランプリでも2着に好走し、最優秀3歳牡馬に選出される。
    翌4歳春の春天ではハクチカラ不在の為完全な一強となり、結果レコードタイムで優勝。
    秋には重賞で覚醒したハクチカラと激闘を繰り返し引けを取らない強さを見せていた。
    だがその後故障の為離脱を余儀なくされ、年末の有馬記念でのハクチカラとの対決は叶わず終わった。
    5歳以降も現役を続けたが、同年秋に急性肺炎を発症。
    治療も実らず10月中旬に現役のまま病歿した。

    ハクチカラの宿敵として有名。
    同馬との対戦成績は6勝4敗と勝ち越していて、有馬記念での対決が叶わなかったのは残念。
    ハクチカラが顕彰馬に選出された際は彼の選出を望む声も多かった。

  • 9二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:01:50

    57年秋 ハクチカラ
    56年世代 通算49戦21勝(中央32戦20勝 海外17戦1勝) 他56年ダービー&57年有馬優勝 重賞9勝

    2歳秋にデビューすると5戦5勝の快進撃を見せるが、朝日杯で宿敵となるキタノオーに敗れ2歳王者は逃す。
    3歳春のクラシックでは皐月賞こそ体調不良でヘキラクの12着に大敗するが、ダービーではキタノオー、ヘキラクを退け優勝、ダービー馬の栄誉に輝く。
    しかし秋以降はやや精彩を欠き、菊花賞&中山グランプリは共に5着に敗れる。
    その後も4歳春までやや冴えない成績が続いたが、夏以降覚醒。
    好成績を挙げ続けると秋の天皇賞でヘキラクを下し優勝。
    年末の中山グランプリではキタノオー不在もあり圧倒的1番人気に推され、その期待に応えオンワードゼアやラプソデーら後輩の強豪を一蹴し優勝。
    圧倒的な強さでこの年の年度代表馬に選出された。
    5歳以降は海外(アメリカ)に主戦を移し、6歳2月のワシントンバースデイHで優勝。
    日本馬史上初の海外重賞勝利という歴史的快挙を達成した。
    同年夏のレースを最後に引退。
    引退後はインドで種牡馬として活躍し、26歳で逝去。84年、顕彰馬に選出。

    日本競馬史を語るにおいて決して外せない歴史的名馬。
    日本での実績もさることながら日本馬初の海外重賞勝利という功績が余りにも巨大。
    次に海外重賞勝利した日本馬が36年後ということを考えるとその凄さが分かる。
    また中央競馬会発足後初めての中央20勝馬であり、これを達成したのも現在に至るまで彼含めて3頭だけである。

  • 10二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:03:29

    58年春 オンワードゼア
    57年世代 通算38戦13勝(中央31戦11勝 海外3戦0勝 地方5戦2勝) 他58年有馬優勝 重賞4勝

    兄に55年ダービー馬オートキツ。3歳夏まで目立つ活躍はなかったが、秋の菊花賞でラプソデーの2着に好走。
    年末の有馬記念でも低人気ながらハクチカラの2着に入り注目される。
    4歳春の春天ではラプソデーやミスオンワードといった同期の強豪達との対決を制し優勝、第一人者に。
    その後秋以降はやや冴えない成績が続いたが、年末の有馬記念ではミスオンワード、クリペロ、オーテモンらを下し優勝、現役最強を証明しこの年の年度代表馬に選出される。
    5歳以降は前年のハクチカラに続いて海外遠征を敢行する。
    しかし故障などもあり成績を残せず7歳時に帰国。
    そのまま引退し種牡馬となったが、内国産種牡馬冷遇の時代背景もあり10歳時に天皇勝馬としては異例の現役復帰。
    北海道競馬で数戦こなしたがすぐに再び引退して種牡馬に。
    冷遇の影響を受けながらも数頭の重賞馬を輩出し存在感を見せた。

    かなり波乱万丈な現役生活を送った名馬。
    北海道競馬ではオンワードケイという馬名で出走していた。

  • 11二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:05:33

    58年秋 セルローズ(牝)
    57年世代 通算50戦9勝 重賞1勝

    姉に一つ歳上のオークス馬フエアマンナ。
    フエアマンナの活躍もありデビュー時から期待され、セルローズも2歳秋のそれなりの好成績を残しオークスへ。
    オークスの一週間前にフエアマンナがレース中の事故でこの世を去る悲劇が起き、そのこともありオークスでは無敗の桜花賞馬ミスオンワードに次ぐ2番人気で出走。
    しかしミスオンワードの圧倒的な強さの前に3着に敗れる。
    ただ連闘で参戦した日本ダービーでは11着ながら同じく参戦したミスオンワードに先着した。
    その後も数多くレースに出走し続け、目立つ活躍はないものの重賞で幾度も好走を見せる。
    そして4歳秋の天皇賞に出走。ミスオンワードが1番人気に推される中で6番人気の低評価だったが、レースではミスオンワードを半馬身差抑え優勝。
    初重賞制覇を天皇賞の大舞台で達成、この年の最優秀4歳以上牝馬に選出された。
    翌5歳3月のレースを最後に引退。

    牝馬の天皇賞馬の中でも有数の一発屋として知られているが、2年半に満たない現役生活で50戦を走った非常に頑丈な牝馬でもある。
    また成績も比較的安定していて、50戦中33戦で3着以内に入っている。

  • 12二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:07:00

    59年春 トサオー
    58年世代 通算37戦14勝 重賞2勝

    2歳秋にデビューすると安定した成績を残し続ける。
    クラシックでの活躍はなかったが3歳末に重賞初制覇を果たすとその後も好成績を続け4歳春の春天へ。
    同期でクラシック三冠全2着だったカツラシユウホウに次ぐ2番人気に推され、レースではそのカツラシユウホウをクビ差抑え優勝、天皇賞馬の栄誉に輝く。
    その後は故障や斤量苦もあって苦戦が続き、5歳1月に引退。

    58年世代の天皇賞馬の中では最も地味な存在であるが、春天優勝までは31戦中26戦で3着以内に入る安定感を持っていた。

  • 13二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:08:47

    59年秋 ガーネツト(牝)

    58年世代 通算38戦14勝 他59年有馬優勝 重賞2勝


    2歳秋にデビューし4戦目の初勝利後は好成績を続けるが、桜花賞、オークスは共に2番人気に推されながらも敗戦。

    その後は平場オープンや重賞で地味に好走を続け、5歳秋の天皇賞では同期のオーテモンをハナ差で下し優勝。

    更に続く有馬記念でも再びオーテモンや後輩ダービー馬コマツヒカリ、菊花賞馬ハククラマらを下し優勝。この年の最優秀4歳以上牝馬に選出された。

    この年限りで引退。


    牝馬初の有馬記念優勝馬として有名。

    秋天も勝っていたので同年の年度代表馬選出も有力視されたが、結果は皐月賞馬ウイルデイールが選出され、このことは議論を呼んだ。

    重賞勝ちが秋天と有馬のみの牝馬はガーネツトただ一頭である。

    有馬記念の勝ち方は超大外ラチ沿いからのぶち抜きという物凄い勝ち方で一見の価値あり。

    1959年 第4回有馬記念 ガーネツト


  • 14二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:10:14

    60年春 クリペロ
    58年世代 通算31戦15勝 重賞5勝

    3歳1月にデビュー。
    クラシックとは無縁だったが条件戦以下で好結果を残し続け、年末の有馬記念では重賞初出走ながらオンワードゼアの2着に好走。
    翌4歳は大競走に出走はなかったものの重賞4勝するなど活躍し、同年の最優秀4歳以上牡馬に選出。
    翌5歳も連対を外さない好成績を続けた後、春天に出走。
    圧倒的1番人気の期待に応えウイルデイール以下を下し優勝、天皇賞馬の栄誉に輝きこのレースを最後に引退。

    珍名の天皇賞馬として知られているが4歳春以降は抜群の安定感と強さを誇っており、58年世代最強馬の一頭に挙げられる。

  • 15二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:12:40

    60年秋 オーテモン

    58年世代 通算54戦9勝 重賞3勝


    2歳秋にデビュー。条件戦以下では勝つするものの重賞以上では特に活躍もないまま4歳夏まで終える。

    しかし4歳秋の天皇賞でガーネツトの2着に入って以降台頭。

    5歳春に初重賞制覇を果たし、夏にも重賞制覇。

    その後は精彩を欠くレースが続いたが、秋の天皇では8番人気の人気薄ながらコマツヒカリやウイルデイールを下し優勝、前年の雪辱を果たし天皇賞馬の栄光に輝く。

    続く有馬記念では惜しくもスターロツチの2着に敗れたものの、同年の最優秀4歳以上牡馬に選出された。

    翌6歳1月に引退。


    中央競馬発足後初の一桁勝利台の天皇賞馬。ただ非常に頑丈な馬で、通算50戦以上走りながら故障は一度もなかった。ちなみに重馬場が苦手で、優勝した秋天で人気薄だったのはその影響だった。(馬主も勝てると思ってなかったのか平服で観戦していたらしい)

  • 16二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:13:58

    61年春 ヤマニンモアー

    60年世代 通算19戦10勝 重賞4勝


    2歳秋にデビュー。

    当初は特に目立つ戦績でもなかったが3歳に入ると4連勝で一気に台頭。

    ダービーではコダマの2着に好走し、その後も重賞を連勝と活躍。

    菊花賞と有馬記念では惨敗し評価を落としたが、翌4歳初戦の重賞を勝って復調するとその後春天に出走。

    同期のシーザー、ヘリオスといった強豪を下し優勝、このレースを最後に引退。


    強豪世代で知られる60年世代の代表馬の一頭。

    他の代表馬と比べやや影は薄いが残した実績はかなりのもの。

    また大種牡馬ヒンドスタン初期の代表産駒であり、彼の活躍によってヒンドスタンの名声は高まり、後のシンザンなど歴史的名馬の輩出へと繋がっていく。

  • 17二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:15:43

    61年秋 タカマガハラ

    60年世代 51戦10勝(中央35戦7勝 地方15戦3勝 海外1戦0勝) 重賞5勝


    南関東でデビュー。

    2歳時は後に中央でも対決する宿敵オンスロートに歯が立たず活躍なく終わり、3歳春より中央に移籍。

    中央でもしばらくは凡庸な成績が続いたが、4歳春に重賞初制覇して以降覚醒。

    秋までに重賞3勝を重ね、秋天に出走。

    レースでは遅れて中央入りしたオンスロートやホマレボシ、シーザーといった同期の宿敵達を破り天皇賞馬に。

    続く有馬記念ではホマレボシの2着に敗れたが、同年の最優秀4歳以上牡馬に選出。

    5歳以降も活躍を続け、秋には海外遠征し11月のワシントンDC国際にも出走(10着)。

    帰国直後の有馬記念でもオンスロートの2着に入る奮戦ぶりを見せた。6歳1月引退。


    60年世代の古馬4強の一頭。

    4歳夏の台頭以降は引退まで第一人者として活躍した。

    天皇賞を制した4歳秋もさることながら、5歳秋の海外遠征帰りからの有馬2着は当時の海外輸送の困難さを考えれば驚異的な活躍だった。

  • 18二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:17:15

    62年春 オンスロート

    60年世代 通算41戦26勝(中央14戦9勝 地方27戦17勝) 他62年有馬優勝 重賞4勝


    南関東でデビュー。

    2歳時は全日本2歳優駿を制すなど12戦11勝と圧倒的な強さを見せる。

    3歳時は爪の不安もありやや不振が続いたが秋以降復調し、公営日本一に選出される活躍を経て4歳秋に中央デビュー。

    同年は秋天ではタカマガハラの2着、有馬記念ではホマレボシの3着と大競走で惜敗が続いたが、翌5歳の春天ではシーザーらを下し天皇賞馬に。

    更に同年夏以降は破竹の連勝を続け、年末の有馬記念では前年秋天で敗れたタカマガハラに雪辱し優勝。

    文句なしで同年の最優秀4歳以上牡馬&年度代表馬に選出された。

    これ以後はレースに出ず引退。


    60年代世代古馬4強の一頭で、史上最強の地方馬の一頭。

    まじで強い。イナリワンに安定感を足したような馬。

    第7回 有馬記念(グランプリ) オンスロート 牡5 54 山岡忞 1962.12.23  出走馬:タカマガハラ、アサリユウ、オカメ、トウコン、エムローン、ケンホウ、リユウゼット、スズホー


  • 19二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:38:00

    62年秋 クリヒデ(牝)

    61世代 通算31戦5勝 重賞1勝


    兄は天皇賞馬クリペロ。

    3歳2月にデビュー。オークスではチトセホープの10着に敗れるなど、4歳秋までは重賞2着3回が目立つ程度の活躍だった。

    ところが8番人気の低評価で出走した秋天でシーザーら格上の強豪を下し波乱の優勝。

    翌5歳1月のレースを最後に引退。


    歴代天皇賞馬の中でも有数の一発屋。

    通算勝率が最も低い天皇賞馬でもある。

    ただ勝ち星は僅か5勝の一方で2着は14回とかなり多い。

    冴えない天皇賞馬だが引退後は繁殖牝馬として複数の重賞馬を輩出するなど活躍。

    現在も牝系は続いており、直系子孫にはノースブリッジやあのディープボンドがいる。

  • 20二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:41:47

    63年春 コレヒサ

    62年世代 通算20戦10勝 重賞3勝


    3歳2月にデビュー。

    ダービーでは11番人気ながらフエアーウインの2着に好走した一方で1番人気の菊花賞ではヒロキミの5着に敗れるなど、しばらく新聞を読んでそうな成績を続けていた。

    しかし4歳2戦目の重賞を勝って以後は連勝を続け、1番人気に支持された春天はリユウフオーレルや皐月賞馬ヤマノオーなどの同期の強豪を下し優勝して天皇賞馬に。

    その後は年末まで休養し、翌5歳夏までオープンを走った後引退。


    62年世代の古馬4強の一頭。

    ただ実績に優る他3頭の存在感が強い上、弟の活躍の影にも隠れてしまいがちなやや不憫な馬。

    だが63年前半期最も強かったのは間違いなく彼。

  • 21二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:44:54

    63年秋 リユウフオーレル

    62年世代 通算37戦15勝(中央36戦15勝 海外1戦0勝)他63年宝塚&有馬優勝 重賞7勝


    2歳秋にデビュー。

    皐月&ダービーは共に8着敗戦と3歳夏までは特に目立つ存在ではなかった。

    しかし秋に重賞初制覇し、菊花賞で人気薄ながらヒロキミの2着に好走して以後は一気に覚醒。

    4歳時は春天こそコレヒサの2着に惜敗したが、夏の宝塚記念で優勝。

    秋には秋天でヒカルポーラ、ヒロキミ、ヤマノオーら同期のライバルを下し天皇賞制覇。

    更に年末の有馬記念ではヒロキミや後輩の二冠馬メイズイ、菊花賞馬グレートヨルカを下し優勝。

    関西馬初の有馬記念制覇を果たし、メイズイと共にこの年の年度代表馬に選出された。

    5歳以降も65キロの斤量で重賞勝つなど活躍を続け、同年秋には日本代表馬として海外のワシントンDC国際に出走(8着)、このレースを最後に引退。


    62年世代の古馬4強の一頭で、その中でも最も高い実績を残した馬。

    4歳から引退までの活躍は史上で見ても相当高いレベルにあり、シンザンと並び60年代を代表する最強馬の一頭に推す声もある。

    第8回 有馬記念(グランプリ) リユウフオーレル 牡4 55 宮本悳 1963.12.22  出走馬:メイズイ、トキクイン、ヒロキミ、ハヤトオー、 クニイサミ、グレートヨルカ、ミオソチス


  • 22二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:45:00

    歴史を感じるなぁ

  • 23二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:46:22

    64年春 ヒカルポーラ

    62年世代 通算40戦16勝 他64年宝塚優勝 重賞3勝


    2歳秋にデビュー。

    3歳夏までは特に活躍はなかったが、秋の菊花賞で人気薄ながら3着に好走。

    その後故障により長期離脱を余儀なくされたが、4歳秋に復帰すると好成績を続け、秋天では宿敵リユウフオーレルと激闘の末2着に好走。

    その後重賞初制覇を果たし、5歳春の春天では後輩二冠馬メイズイとの対決を制し天皇賞制覇。

    更に続く宝塚記念ではリユウフオーレルらを下し優勝、史上初の同一年春天&宝塚優勝を果たす。

    ただその後も連勝を続けたが、7連勝目をかけた年末の有馬記念でヤマトキヨウダイの5着とまさかの惨敗を喫し、最優秀古馬牡馬も逃す。

    翌6歳も現役を続け、後輩の三冠馬シンザンや皐月賞馬チトセオーと激闘を繰り広げ、同年末の有馬記念を最後に引退。


    62年世代の古馬4強の一頭で、4頭の中では最も長く現役を続けた馬。

    当時の天皇賞馬としては珍しく6歳末まで現役を続け、最後まで第一線で活躍した。

    リユウフオーレル、メイズイ、シンザンといった歴史的強馬全てと大競走で対決するなど、60年代前半を彩った名馬。

  • 24二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:47:50

    64年秋 ヤマトキヨウダイ
    63年世代 通算38戦12勝 他64年有馬優勝 重賞4勝

    2歳秋にデビュー。
    3歳時は条件戦ばかりを走り、クラシックとは無縁で重賞でも好走なく4歳春まで終える。
    しかし夏に重賞初制覇を果たすと秋にも重賞を勝利し一躍秋天の有力候補に。
    迎えた秋天では同期の二冠馬メイズイや宿敵の名牝トーストらと対決、結果レコードタイムで優勝し天皇賞馬の栄誉に輝いた。
    続く有馬記念では前記の2頭に加え春天馬ヒカルポーラとの対決となったが、ここでも強敵達を下し優勝、この年の最優秀古馬牡馬に選出された。
    翌5歳も現役を続けたが、9戦して掲示板は外さなかったものの勝ち星は挙げられず、同年末の有馬記念を最後に引退した。

    アサホコと並び63年世代では古馬以降最も活躍した馬。
    重賞4勝は全て2500m以上のレースというステイヤーだった。
     

  • 25二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:49:18

    65年春 アサホコ

    63年世代 通算50戦12勝 重賞5勝


    2歳秋にデビュー。

    3歳までに25戦をこなすが全て条件戦以下で成績も凡庸、4歳以降も殆ど条件戦ばかりを走り、秋に重賞で1度2着があったのが目立つ程度で4歳までを終える。

    しかし5歳初戦で重賞初制覇を果たすと突如覚醒。

    その後怒涛の重賞連勝で春天に駒を進め、バリモスニセイなど後輩の強豪達を7馬身差の圧勝で一蹴、当時の新記録となる重賞5連勝で一気に春の盾をとる。

    その後は故障もあり目立つ活躍はなく、6歳5月のレースを最後に引退。


    突如覚醒した晩成の名馬。

    4歳までの成績と5歳以降の成績を見比べると信じられない程の変貌ぶり。

    優勝した春天ではシンザンも出走予定であり(体調不良で回避)、もし対決してたらシンザンでも勝てなかったのではと言われるほどの強さを見せていた。

    結局シンザンとは未対決に終わったのは残念である。

  • 26二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:50:52

    65年秋 シンザン

    64年世代 通算19戦15勝 他64年皐月&ダービー&菊花、65年宝塚&有馬優勝 重賞8勝


    2歳秋にデビューし連戦連勝。

    敗戦しても連対を外さない抜群の強さと安定感を見せ続け、3歳時はクラシック三冠を全て優勝し史上2頭目の三冠馬に。

    4歳時は春こそ体調不良で休養したが夏に復帰後は連戦連勝、ヒカルポーラ、ヤマトキヨウダイといった先輩の強豪を相次いで重賞戦線で下し、迎えた秋天ではハクズイコウ、バリモスニセイ、ウメノチカラといった同期の強豪を問題にせず優勝。

    ラストランとなった有馬記念も大外ラチ沿いから末脚を爆発させるという豪快な勝ち方で締めくくり有終の美を飾った。

    引退後は種牡馬としても巨大な実績を残し、36年の長寿を全う。


    もはや説明不要の史上最も偉大な競走馬の一頭。

    五冠、19戦全連対、2年連続年度代表馬、種牡馬成績、長寿…挙げれば枚挙に暇がない。

    後世に数多の歴史的名馬は現れているが、彼を超えた馬はまだ出てないかもしれない。

    唯一シンザンと並べる馬があるとすれば、生命力の面でアサヒエンペラーぐらいか(勿論ネタだが)。

    20世紀の名馬 7位 シンザン


  • 27二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:52:25

    66年春 ハクズイコウ

    64年世代 通算18戦11勝 重賞2勝


    デビューは3歳秋とかなり遅かった。

    しかしデビュー後は翌4歳秋まで全てオープン戦以下ながら10戦9勝2着1回という抜群の成績を残し、秋天でもシンザンの2着に好走。

    翌5歳初戦で重賞初制覇を果たす。

    迎えた春天では後輩の皐月賞馬チトセオー、ダービー馬キーストン、菊花賞ダイコータ、更にカブトシローなど強敵が相手となったが、1番人気の期待に応え強敵達を下し優勝。

    タイムも従来のレコードを約2秒更新する大レコードだった。

    その後は故障もあり活躍は出来ず、6歳1月に引退。


    64年世代ではシンザン以外で唯一の古馬大競走勝利馬。

    シンザンに負けた秋天が有名な印象があるが、春天でのレコード勝ちからも分かるように彼も世代を代表する強豪馬だった。

    1966 天皇賞春 ハクズイコウ


  • 28二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:52:41

    >>26

    それまでの馬が30とか40とか走ってるのに比べるとシンザンの出走数少ないな

  • 29二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:54:18

    66年秋 コレヒデ
    65年世代 通算29戦14勝 他66年有馬優勝 重賞5勝

    兄は天皇賞馬コレヒサ。
    3歳1月にデビュー。
    4歳初戦まで14戦して7勝を挙げるが負けたレースはダービー17着や菊花賞8着など殆どが大敗という極端な戦績。
    しかし4歳2月に重賞初制覇後は安定して好成績を残せるようになり、夏以降は連勝して秋天に出走。
    グレートヨルカやセフトウエー、カブトシローなどの相手を下し優勝、天皇賞馬となる。
    その後一戦挟んで迎えた有馬記念では、春天馬ハクズイコウや同期カブトシロー、後輩菊花賞馬ナスノコトブキやスピードシンボリなどを相手に勝利。
    秋天と有馬の二冠に輝き、文句なしでこの年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬に選出される。
    翌5歳時も重賞を勝つ活躍を見せ、同年末に引退。

    60年代の中では最も地味な年度代表馬として知られる。
    前後の世代の年度代表馬が顕彰馬ということも影響してるか。
    ただ残した実績や倒した相手などを見れば彼が年度代表馬に相応しい強さを持ってたことは明らか。

  • 30二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:56:13

    67年春 スピードシンボリ

    66年世代 通算43戦17勝(中央39戦17勝 海外4戦0勝) 他70年宝塚&69、70年有馬優勝 重賞12勝


    2歳秋にデビュー。

    皐月賞、ダービーでは共に惨敗するなど3歳夏までは特に活躍はなかったが、秋になると菊花賞で14番人気ながらナスノコトブキの2着に好走、年末の有馬記念でもコレヒデの3着と徐々に台頭。

    4歳になると初戦から破竹の重賞連勝を続け、春天ではカブトシローとの激闘を制し優勝、一気に頂点へ。

    秋には海外のワシントンDC国際に日本代表馬として出走し5着と健闘。

    これらの活躍が評価され同年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬に選出される。

    翌5歳は重賞1勝に留まるなどやや不振だったが、6歳時は春に重賞連勝と復調。

    夏から秋にかけては再び海外遠征し、帰国後の有馬記念では前年有馬記念馬リュウズキや菊花賞馬アカネテンリュウ、ダービー馬ダイシンボルガードといった錚々たる後輩と激闘の末優勝。

    翌7歳も現役を続け、夏には宝塚記念をレコード優勝。

    そして引退レースの有馬記念ではアカネテンリュウやダテテンリュウといった後輩菊花賞馬との激闘を制して連覇達成。

    同年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬に選出されて引退した。


    この馬も説明不要の名馬中の名馬。

    歴代1位タイの重賞12勝や有馬記念連覇、2度の年度代表馬という巨大な実績に加え、海外遠征の先駆者としての功績も大きく、顕彰馬に選ばれたのも当然。

    6、7歳で有馬記念連覇(+宝塚記念制覇)なんて今後成し遂げられる馬はいるのだろうか。

    20世紀の名馬 33位 スピードシンボリ


  • 31二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:58:09

    67年秋 カブトシロー

    65年世代 通算69戦14勝 他67年有馬優勝 重賞3勝


    2歳夏にデビュー。

    数多くレースに出走し、3歳末に重賞初制覇を果たすがそれ以外は特に活躍なし。

    翌4歳時はオープンの1勝に留まったが、春天で9番人気ながらハクズイコウの3着、有馬記念では7番人気ながらコレヒデの2着と人気薄で好走。

    翌5歳は年初から勝てないまでも好走を続け、春天ではスピードシンボリの2着になど活躍。

    ところが秋に入ると1番人気の重賞で相次いで惨敗し、その為秋天では8番人気の低評価で出走。

    しかし人気薄でやる気が出たのか他の強豪を捩じ伏せて優勝、天皇賞馬の栄光に輝く。

    続く有馬記念では春に敗れたスピードシンボリなどを相手に6馬身差の圧勝で優勝。一気に頂点を極める(なお同年の年度代表馬も最優秀古馬牡馬もスピードシンボリが選ばれる)。

    翌6歳も現役を続け、ヒカルタカイを相手に圧勝するなどオープンで5勝を挙げる活躍を見せ(重賞は上位人気でほぼ全惨敗)、同年末の有馬記念を最後に引退。


    「新聞が読める馬」として有名。

    人気が高いと惨敗し、人気が低いと好走するという癖馬ぶりでファンを零喜二憂させ続けた。

    ただその代償か秋天と有馬を同年に勝ちながら何も受賞されなかった唯一の馬でもある。

    通算戦績が示すように非常に頑丈な馬でもあり、通算54戦目での天皇賞制覇は中央競馬史上最も遅い記録。

    20世紀の名馬 92位 カブトシロー


  • 32二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:59:46

    68年春 ヒカルタカイ

    67年世代 通算31戦15勝(中央11戦3勝 地方20戦12勝) 他68年宝塚優勝 重賞2勝


    2歳夏に南関東でデビュー。

    2歳時は全日本2歳優駿を優勝するなど早くから頭角を現し、3歳時は圧倒的な強さで史上初の南関東三冠制覇を達成。

    翌4歳春より中央に移籍し、数戦叩いた後春天に出走。

    他馬が不良馬場に苦しむ中で直線を独走、およそ18馬身差という大差をつける圧縮で天皇賞馬となる。

    続く宝塚記念では良馬場を快走、カブトシロー以下を下しレコード優勝、確かな実力を証明する。

    その後は故障の為年内のレースには出なかったが同年の最優秀古馬牡馬に選出。

    翌5歳も現役を続けたが衰えか精彩を欠くレースが続き、同年末に引退。


    南関東初の三冠馬、また史上唯一八大競走で大差勝ちした馬として有名。

    映像を見れば分かるが直線での他馬との脚色の差ががとんでもない。

    故障の影響で4歳夏以降冴えなかったこと、スピードシンボリと未対戦に終わったことは残念。

  • 33二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:01:13

    68年秋 ニツトエイト

    67年世代 36戦8勝 他67年菊花優勝 重賞2勝


    2歳秋にデビュー。3歳夏までは条件戦以下で走っていた。

    秋になると重賞での好走もあり菊花賞へ。

    9番人気の低評価だったが、皐月賞馬リュウズキ以下を下し優勝、波乱で菊花賞を制する。

    その後は時折好走するものの冴えないレースが続き、4歳秋の秋天馬では6番人気で出走。

    しかしここでもリュウズキやフイニイといった強豪を下し優勝、天皇賞馬となる。

    その後も現役を続けたが特に活躍もなく、6歳末の有馬記念を最後に引退。


    「白面の荒法師」と呼ばれた程の気性難の馬で有名。

    気性難のせいか戦績もムラが激しく、重賞勝ちは菊花賞と秋天の二つのみ。

    ただハマった時の強さは確かなものがあり、菊花賞はゴール前ですんごい脚を見せての差し切り勝ち、そして秋天は従来のレコードを約1秒半更新する大レコード勝ちだった。

    1967年菊花賞 伏兵ニットエイトがゴール前急襲、リュウズキを交わす


  • 34二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:03:17

    69年春 タケシバオー

    68年世代 通算29戦16勝(中央27戦16勝 海外2戦0勝) 他67年朝日杯優勝 重賞7勝


    2歳夏にデビュー。

    同年は秋以降連勝し朝日杯も制して2歳王者に。

    3歳に入ってからも連勝が続いたが、春以降は惜敗が続き、皐月賞はマーチスの2着、ダービーはタニノハローモアの2着に敗戦。

    秋には海外に遠征するが大敗し3歳までを終える。

    しかし4歳になると急激に覚醒。

    ダート戦で日本レコード含めた圧勝をした後、芝のレースでも日本レコード出すなど連勝。

    迎えた春天では同期の宿敵マーチス、アサカオーなどを相手に完勝で優勝、天皇賞馬となる。

    その後も快進撃を続け、秋のスプリンターズSではリュウズキを下しレコード優勝。

    しかしその後再び敢行した海外遠征では体調不良により大敗、疲労もありこの年限りで引退した。

    同年の最優秀古馬牡馬、年度代表馬に選出。2004年、顕彰馬に選出。


    「野武士」の異名をとった元祖怪物馬。

    4歳時の戦績は何度見ても訳分からない。

    これほど多岐の条件で圧倒的な強さを見せた馬は現在まででもこの馬ぐらいしかおらず、史上最強馬の一頭に推す声も多い。獲得賞金が史上初めて1億円を超えた馬でもある。

    20世紀の名馬 39位 タケシバオー


  • 35二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:04:25

    69年秋 メジロタイヨウ

    67年世代 通算43戦13勝 重賞3勝


    3歳2月にデビューし、さしたる活躍もなく4歳夏までは条件馬。

    4歳秋に重賞初制覇を果たすと、その後5歳夏にも重賞制覇と徐々に成績を上げ、同年の秋天に出走。

    極悪の不良馬場でリュウズキ、マーチス、フイニイらの強豪と死闘の末優勝、天皇馬となる。翌6歳1月に引退。


    メジロ勢初の天皇賞馬。

    後のメジロ勢の代表馬達と比べると実績も印象もやや薄いが、メジロの栄光の歴史が彼から始まったことは歴史の事実。

    また重賞やオープンで破った相手にはスピードシンボリやトウメイなどもおり、確かな強さはそなえていた。

    1969年天皇賞秋 メジロタイヨウ ~春のタケシバオーに続きチャイナロック産駒が優勝


  • 36二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:05:51

    70年春 リキエイカン

    69年世代 通算48戦13勝 他68年阪神2歳S優勝 重賞3勝


    2歳夏にデビュー。

    同年は阪神2歳Sでヒデコトブキ(後の桜花賞馬)らを下し優勝、関西馬の最有力馬となる。

    しかし3歳春は皐月賞はワイルドモアの17着、ダービーはダイシンボルガードの4着に敗戦と苦戦続き。

    秋には復調したが菊花賞ではアカネテンリュウの2着に惜敗しクラシック戴冠はならなかった。

    それでも4歳になると年初から好成績を続け、春天には2番人気で出走。

    アカネテンリュウやフイニイらを下し優勝、天皇賞馬の栄誉に輝いた。

    その後は長く現役を続けたが、オープンでは勝つものの重賞以上では苦戦が続き、6歳夏に引退。


    多士済々の69世代の代表馬の一頭だが、春天優勝以後の実績が乏しい為やや印象が薄い。

    また種牡馬としても成績を残せなかった為一時は廃用の危機に晒されたが、有志の尽力によって無事に安住の地に恵まれ、その後はシンザンの持つ八大競走勝利馬最長寿記録にあと2週間まで迫るという大長寿を全うした。

  • 37二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:07:05

    70年秋 メジロアサマ

    69年世代 通算48戦18勝 重賞6勝


    2歳夏にデビュー。

    3歳までは特に目立つ活躍なかったが、4歳夏に初重賞制覇を果たすと台頭。

    重賞で好成績を残し続け秋天に出走。

    アカネテンリュウやフイニイらの強敵を下し、前年のメジロタイヨウに続いてメジロ勢秋天連覇を果たす。

    翌5歳もメジロの後輩メジロムサシと重賞戦線で激闘を繰り広げるなど活躍。

    6歳時も重賞戦線で活躍し、引退レースとなった年末の有馬記念もイシノヒカルの2着に好走、最後まで一線級の力を見せた。


    メジロの三代天皇賞馬の初代で、69世代の中では最も長く活躍した名馬。

    台頭した4歳夏から引退までの2年半は古馬最強格としての強さを見せ続けた。

    また獲得賞金1億8636万は当時の最多獲得賞金額だった。

    1970年天皇賞秋 メジロアサマ、3代天皇賞制覇の始まり、アカネテンリュウ悲願成らず


  • 38二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:08:47

    71年春 メジロムサシ

    70年世代 通算36戦10勝(中央34戦10勝 海外2戦0勝) 他71年宝塚優勝 重賞4勝


    2歳夏にデビュー。

    3歳のクラシック時は二冠馬タニノムーティエや菊花賞馬ダテテンリュウの前にさしたる活躍なく終わる。

    しかし4歳3月に初重賞制覇を果たすと、続く春天ではダテテンリュウ以下を下し優勝。

    天皇賞馬の栄誉に輝くと、更に続く宝塚記念では前年春天馬リキエイカンやメジロの先輩天皇賞馬メジロアサマと対決、両馬を下して優勝し一気に現役最強馬へ。

    その後も活躍を続け、同年の最優秀古馬牡馬に選出。

    翌5歳は海外遠征を敢行。

    しかし当時の海外輸送の困難さもあり結果残せず。

    帰国後も現役を続けたが以後は活躍なく、6歳末に引退。


    70年世代では古馬以降最も活躍した馬。

    クラシック戦線を牽引したタニノムーティエ、ダテテンリュウ、アローエクスプレスらが古馬以降は未活躍に終わった中、クラシック皆勤勢としてただ一頭奮闘した。

    4歳時はトウメイさえいなければメジロ唯一となる年度代表馬に選出されてもおかしくない活躍ぶりだった。

    1971年天皇賞春 メジロムサシかオオクラか!道悪避け大外の競り合い


  • 39二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:10:25

    71年秋 トウメイ(牝)

    69年世代 通算31戦16勝 他71年有馬優勝 重賞7勝


    2歳夏にデビュー。

    当初は全く期待されてなかったが予想外の好走を続け、3歳春には重賞初制覇。

    しかし桜花賞はヒデコトブキの2着、オークスはシャダイターキンの3着と惜敗した。

    その後も安定感ある走りを続け、4歳春には再び重賞制覇。

    しかしその後故障により長期休養。

    翌5歳1月に復帰すると当初は中々勝てなかったが、春の重賞で復活勝利を挙げるとその後4連勝と覚醒。

    秋のオープン戦で惜敗し連勝が止まったが、続く重賞では過酷な斤量を背負いながら楽勝。

    迎えた秋天では距離不安が囁かれながらもダイシンボルガード、アカネテンリュウらを下し優勝、クリヒデ以来9年ぶりの牝馬秋天制覇を達成。

    続く有馬記念でもメジロムサシやダイシンボルガードを下し優勝。

    スターロツチ以来11年ぶりの牝馬有馬制覇を果たし、この年の最優秀古馬牝馬&年度代表馬に選出された。

    この年限りで引退。

    繁殖牝馬としても14頭の産駒からテンメイを輩出するなど活躍。繁殖牝馬引退後は31歳という長寿を全うした。


    昭和を代表する歴史的名牝。

    秋天、有馬優勝という実績もさることながら通算31戦中26戦連対で掲示板外なし(重賞では13戦7勝2着4回3着2回)という異次元の安定感も備えていた。

    5歳時の強さは牝馬史上最強とも評価されている。

    繁殖での活躍や長寿なども併せて牝馬版のシンザンとでもいうべきか。

    20世紀最後の牝馬の有馬記念優勝馬でもある。

    20世紀の名馬 41位 トウメイ


  • 40二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:12:07

    72年春 ベルワイド

    71年世代 通算33戦8勝 重賞3勝


    2歳秋デビュー。

    3歳時に重賞初制覇をしたが三冠レースでは二冠馬ヒカルイマイや菊花賞馬ニホンピロムーテーの前に歯が立たず終える。

    だが4歳の初戦を勝つと春天では本命馬不在もあり1番人気に推され、その期待に応えアカネテンリュウらの強豪を下し優勝、一気に頂点に立つ。

    その後は長く不振に陥ってしまうが、5歳秋の重賞ではメジロムサシ、タニノチカラ、ストロングエイトらの強豪を相手にレコード優勝、天皇賞馬の実力を見せつけた。

    その後は活躍なく、翌6歳末の有馬記念を最後に引退。


    71年世代唯一の古馬大競走勝ち馬。

    ヒカルイマイ、ニホンピロムーテーが古馬で未活躍だったことや次世代が強豪揃いだったこともあり71年世代の古馬成績はかなり悲惨だが、その中では最も奮戦した馬といえる。

    優勝した春天での2着馬キームスビィミーとの叩き合いは結構名勝負。

    【懐かしいラジオ競馬実況】1972年天皇賞春~ベルワイド優勝・アカネテンリュウ無念の3着~ラジオ日本


  • 41二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:14:17

    72年秋 ヤマニンウエーブ

    70年世代 通算48戦10勝 重賞2勝


    3歳2月にデビュー。

    しばらくは一介の条件馬で、5歳春までは全て条件戦以下で走る。

    5歳夏以降はぽつぽつ重賞に出るようになると、秋に重賞初制覇。

    そして秋天では八大競走勝利馬不在という混戦の中7番人気で出走。

    色々と壮絶な展開となったレースの中、鞍上の好騎乗もあり先頭でゴールし優勝。

    天皇賞馬の栄光に輝き、同年の最優秀古馬牡馬に選出された。

    以降は未勝利に終わったが重い斤量を背負いながら何度も重賞で好走するなど実力を見せ、7歳2月に引退。


    凡庸な条件馬から台頭し天皇賞馬を勝った晩成馬。

    当時の古馬の面子がやや手薄だったこともあり評価は低いが、天皇賞制覇後もそれなりの走りを見せていた点確かな実力はそなえていた。

    福永洋一に初めて天皇賞を勝たせた馬でもある。

    【競馬】1972年天皇賞秋 パッシングゴール大逃げもヤマニンウェーブが差し切る ~ラジオ実況


  • 42二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:15:55

    73年春 タイテエム

    72年世代 通算16戦8勝 重賞5勝


    2歳秋にデビュー。

    3歳春の重賞で優勝するなど好成績を残しクラシックの有力候補に挙げられるが、皐月賞はランドプリンスの7着、ダービーはロングエースの2着と宿敵に惜敗。

    秋の重賞2戦ではその2頭に雪辱し連勝したが、菊花賞ではもう一頭の宿敵イシノヒカルの2着に敗れ、クラシック戴冠はならず。

    だが古馬になって以後も活躍を続け、4歳春天では1番人気に支持されるとランドプリンス、ハマノパレード、ナオキら同期の強豪を下し悲願の大競走初制覇。

    しかし次戦の宝塚記念でハマノパレードの2着に敗れた後故障が発覚、4歳夏にして引退を余儀なくされた。

    引退後は種牡馬として多数の重賞馬を輩出するなど活躍した。


    昭和最強とされる72年世代を代表する一頭で、クラシック4強の一角。

    クラシックでの宿敵達との激闘は非常にレベルが高く、誰もが他世代なら三冠を狙える強さだと称された程。

    その激闘の影響により宿敵達は古馬以降苦しんだが、その中でただ一頭古馬以降に大競走を制した。

    最近ではウマ娘の逆オファーでも有名に。

    名馬物語 タイテエム


  • 43二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:17:33

    73年秋 タニノチカラ

    72年世代 通算24戦13勝 他74年有馬優勝 重賞6勝


    兄は二冠馬タニノムーティエ。

    2歳秋にデビューし好成績を続けていたが、同年末に故障し長期離脱。

    更に休養中にも大きな故障を負い一時は予後不良寸前になるが、奇跡的に回復。

    およそ1年半以上の休養を経て4歳夏に復帰。

    復帰後は条件戦で圧勝を続け、秋には重賞初制覇。

    続く重賞でもメジロムサシやヤマニンウエーブを破って優勝するなど強さを見せつけた後、秋天に出走。

    ナオキやストロングら同期の強豪を相手に完勝で優勝、天皇賞馬となる。

    年末の有馬記念はストロングエイトの4着に敗れたが同年の最優秀古馬牡馬に選出。

    翌5歳は春こそ惜敗が続いたが、休養を経て復帰した秋以降は圧倒的な強さで連勝。

    有馬記念ではハイセイコー、タケホープ、ストロングエイト、ベルワイド、イチフジイサミらの強豪を相手に5馬身差をつける圧勝で前年の雪辱を果たし優勝、2年連続で最優秀古馬牡馬に選出。

    翌6歳も春の重賞で大差勝ちするなど異次元の強さを見せたが、故障の為6歳4月のレースを最後に引退。


    72年世代を代表する一頭で、重い故障を乗り越えて復活した名馬として有名。

    特に5歳秋から引退までのレースぶりは70年代最強とも呼ばれる強さを見せつけていた。

    後世にも重度の故障を乗り越えて頂点に立った馬は数多く現れるが、その中で彼ほどのパフォーマンスを残した馬はまだいないだろう。

    通算24戦中22戦で3着以内という安定感もそなえていた。

    20世紀の名馬 80位 タニノチカラ


  • 44二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:19:00

    74年春 タケホープ

    73年世代 通算19戦7勝 他73年ダービー&菊花優勝 重賞4勝


    姉はオークス馬タケフブキ。

    2歳夏にデビューするが、歳春までは全く目立つことない戦績で、辛くも出走が叶ったダービーも9番人気の低評価。

    しかしここで大本命のハイセイコーを下すという歴史的大波乱で優勝。

    更に秋の菊花賞では6番人気の低評価ながら激闘の末ハイセイコーを再び下し優勝、フロックでない実力を証明し同年の最優秀3歳牡馬&年度代表馬に選出。

    翌4歳も初戦の重賞で優勝し、春天ではハイセイコーや前年有馬記念馬ストロングエイトらと対決。

    再び激闘の末優勝を果たし、八大競走3連勝で現役最強馬となる。

    その後疲労の為休養し、秋に復帰すると年末の有馬記念に1番人気で出走したがタニノチカラの3着に敗戦、このレースを最後に引退。


    稀代のアイドルホースハイセイコーの宿敵として有名。

    実績ではハイセイコー以上といえるものを残した。

    70年代最強の長距離馬に彼を挙げる声も多い。

    ハイセイコーと共に顕彰馬に選出されなかったのは残念。

    現在最後のダービー&菊の二冠馬でもある。

    20世紀の名馬 29位 タケホープ


  • 45二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:20:30

    74年秋 カミノテシオ

    73年世代 通算21戦5勝 重賞2勝


    2歳秋にデビュー。

    3歳1月に重賞初制覇を果たすが、皐月賞ではハイセイコーの7着に惨敗。

    その後調子を上げダービーではレース前まで2番人気に支持されるが、直前の故障により為無念の出走取消、更に長期休養を余儀なくされる。

    1年以上の休養を経て4歳夏に復帰。

    復帰後は重賞戦で着実に成績を残し、秋天には本命不在の中5番人気で出走。

    結果イチフジイサミ、ストロングエイトといった強敵を下し優勝、天皇賞馬の栄誉に輝く。

    しかしその後は燃え尽きたように凡走が続き、好走も残せないまま5歳秋に引退した。


    73年世代の代表馬の一頭だが、優勝した秋天が本命不在だったことやその他の実績の乏しさなどから史上最弱の天皇賞馬に挙げられる程評価が低い不憫な馬。

    ただこの馬が秋天を勝てた理由は長距離適性と東京コースが得意だったのが大きく(秋天優勝まで東京では7戦4勝2着1回3着2回)、優勝しても不思議でなかったことは確か。

    また1年以上にわたる故障休養を乗り越えて栄光を手にした不屈の馬でもあり、その点はもう少し評価されてもいい。

    幸い余生には恵まれて27歳まで生きた。

    1974年天皇賞秋 カミノテシオ ~実況:ラジオ関東・林洋右アナ


  • 46二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:21:30

    >>43

    72世代は最強世代として名が上がるけどあんまり知らなかったな

    それはそれとしてタニノチカラの動画なのにサムネがハイセイコーなのちょっと草

  • 47二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:22:45

    75年春 イチフジイサミ

    73年世代 通算41戦7勝 重賞3勝


    2歳夏にデビュー。

    2歳時は10戦して未勝利だったが3歳初戦で初勝利を挙げるとその後も勝ち星を重ねてクラシックへ。

    しかし皐月賞はハイセイコーの4着に敗戦。

    ダービーではハイセイコーに先着したがタケホープとの叩き合いで不利を受ける不運もあり2着に惜敗。

    重賞初制覇を果たした後の秋の菊花賞では勝ったタケホープとハイセイコーの激闘に全く加われずの3着と悔しい結果に終わる。

    翌4歳以後はしばらく不振が続いたが、夏以降には重賞制覇するなど調子を取り戻し、秋天には2番人気で出走。

    しかしここでも勝ったカミノテシオに不利を受ける不運がありまたも2着に惜敗。

    それでもめげず翌5歳も現役を続けると、春天で前年二冠馬で年度代表馬のキタノカチドキと対決。

    直線で同馬との一騎打ちを制し優勝、悲願の大競走制覇を果たす。その後は特に活躍なく、同年秋に引退。


    73年世代においてハイセイコー、タケホープに次ぐ「第3の馬」として知られる。

    両馬に比べると印象実績はやや劣るものの、数々の不運を乗り越えて天皇賞を制した彼も紛れもない名馬であることは間違いない。

    初勝利まで最もレースを費やした天皇賞馬でもある。

    ちなみに引退後繋養地に移送される際は「タケホープ号」という馬運車に乗せられて、その中で好物であるリンゴの「ふじ」を沢山食べてたらしい。

    1975年天皇賞春 イチフジイサミが2冠馬キタノカチドキとの接戦制す


  • 48二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:24:52

    75年秋 フジノパーシア

    74年世代 通算23戦11勝(中央22戦11勝 海外1戦0勝) 他76年宝塚優勝 重賞5勝


    2歳末にデビュー。

    故障休養もありクラシックには出れず、条件戦のみを走り3歳までを終える。

    4歳になると2月に重賞初出走で初制覇、その後夏以降は重賞やオープンで好成績を続け台頭。

    迎えた秋天では2番人気で出走し、カーネルシンボリ、トウコウエルザなどの強豪達を退け優勝し天皇賞馬に。

    年末の有馬記念はイシノアラシの2着に惜敗したが、同年の最優秀古馬牡馬に選出された。

    翌5歳は年初こそ不振だったが春以降は復調。

    夏の宝塚記念ではエリモジョージ、イシノアラシ、トウコウエルザ、ロングホークなどの強敵を下して優勝し古馬最強を証明。

    秋には海外遠征してワシントンDC国際に出走した(7着)。

    同年有馬記念を最後に引退。

    同年は最優秀古馬牡馬は逃したがフリーハンデでは古馬トップの評価を受けた。


    70年代中盤において古馬の王座に君臨した名馬。

    悪馬場の猛者としても知られ、優勝した秋天と宝塚は共に不良、重馬場だった。

    前後の世代の名馬の印象が強い為後世の印象は薄いが、70年代を代表する名馬の一頭。

    優駿回想 『フジノパーシア』


  • 49二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:26:29

    76年春 エリモジョージ

    75年世代 通算44戦10勝 他78年宝塚優勝 重賞7勝


    2歳夏にデビュー。

    3歳1月に早くも重賞初制覇を果たすが、その後は皐月賞でカブラヤオーの3着に入った以外は全て惨敗し、夏には休養中の厩舎で火災に遭う不運もあり以後はレースに出ず3歳を終える。

    4歳以後もそこまで目立つ成績はなかったが、12番人気で出走した春天では不良馬場を快走、イシノアラシ、ロングホーク、コクサイプリンスら同期の強豪を相手に逃げ切りで大波乱の天皇賞馬となる。

    その後は負けレースは全て惨敗だった一方で二つの重賞で圧勝するなど極端な成績で4歳を終える。

    翌5歳は後輩のTTGの台頭もあり年間を通じて全くの不振に終わるが、翌6歳は年初から好調で重賞を相次いで圧勝。

    夏の宝塚記念ではグリーングラス、ホクトボーイといった後輩の天皇賞馬を相手に4馬身差という圧勝で優勝する。

    しかし現役最強馬になったと思われたものの以後は謎の惨敗が延々と続き、7歳夏の宝塚記念を最後に引退。


    「気まぐれジョージ」の異名で有名な癖馬の天皇賞馬。

    負ける時は全く見せ場なく惨敗する一方で勝つ時は史上最強レベルのパフォーマンスを見せるという極端にも程がある馬で、主戦騎手だった福永洋一をしても理解が出来ないといわしめた癖馬。

    レース映像が数多く残っているが勝った時と負けた時の落差が大き過ぎて頭がおかしくなる。

    20世紀の名馬 57位 エリモジョージ


  • 50二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:28:11

    76年秋 アイフル

    74年世代 通算43戦12勝 重賞5勝


    2歳秋にデビュー。

    4歳まではほぼ全て条件戦以下で走り、重賞での活躍はなかった。

    しかし5歳初戦で重賞初制覇を果たすと、その後夏にも重賞優勝をするなど好走を連発し台頭。

    そして秋の天皇賞では4番人気で出走し、イシノアラシ、コクサイプリンス、ロングホークらの後輩の強豪を下し優勝、天皇賞馬の栄光に輝く。

    年末の有馬記念でもトウショウボーイの3着に好走し、同年の最優秀古馬牡馬に選出。

    6歳時も現役を続け、重賞を2勝するなど好成績を残した。

    同年夏の宝塚記念を最後に引退。


    フジノパーシアと並び74年世代では最も古馬戦線で活躍した馬。

    全盛期が次世代の台頭と被った為やや印象が薄いのがやや不憫。

    印象は薄いが特筆すべきはその安定感で、通算43戦中12勝の他に2着13回3着10回と1〜3着全てで二桁回数を記録している。

    その為長く条件馬であったにも関わらずかなりの獲得賞金を稼いでおり、引退時は平地馬の歴代賞金王だった。

    そのこともあり、馬主孝行の天皇賞馬としても知られている。

    優駿回想 九州編 『アイフル』


  • 51二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:29:57

    77年春 テンポイント

    76年世代 通算18戦11勝 他75年阪神3p2歳S、77年有馬優勝 重賞8勝


    2歳秋にデビュー。

    デビュー戦から圧勝を続け、阪神2歳Sでは7馬身差の圧勝で制し「関西の星」と期待される。

    3歳になってからも連勝を続け、無敗のまま迎えた皐月賞では1番人気で出走。しかしここでは終生の宿敵となるトウショウボーイの2着に完敗。

    続くダービーではレース中の故障もありクライムカイザーの7着に敗れる。

    その後秋の菊花賞ではトウショウボーイには先着したが新たな宿敵となるグリーングラスの2着に惜敗。

    年末の有馬記念では再びトウショウボーイの2着と、惜敗続きの無冠で3歳を終える。

    しかし4歳になると初戦の重賞を制した後は連戦連勝。

    春天ではグリーングラスやクライムカイザーの宿敵を相手に雪辱し優勝、悲願の優勝で頂点に立つ。

    だが続く宝塚記念では最強の宿敵トウショウボーイの2着に敗れた。

    それでもその後秋の重賞で圧勝するなど好調を維持し、年末の有馬記念では遂にトウショウボーイを破り優勝、同年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬に文句なしで選出された。

    しかし翌5歳1月、海外遠征への壮行レースとして出走した重賞戦でレース中に故障。

    その後の懸命の治療も実らず、同年3月にこの世を去った。

    90年、顕彰馬に選出。


    『栗毛の貴公子』の異名をとった名馬中の名馬。

    同じく顕彰馬となったトウショウボーイとは宿命のライバルとして幾戦もの名勝負を残した。

    特に4歳時の有馬記念は史上最高の名勝負として語り継がれている。

    強さ、実績、印象全てでこれほど人々の記憶に残り続ける名馬は稀有だろう。

    20世紀の名馬 14位 テンポイント


  • 52二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:31:29

    77年秋 ホクトボーイ

    76年世代 通算41戦13勝 重賞5勝


    2歳秋デビュー。

    3歳時はクラシックでは未活躍に終わったが年末に重賞初制覇。

    4歳春は年初から重賞で好走し、春天では10番人気ながらテンポイントの3着に好走。

    その後秋にも重賞を2勝するなど好調を維持し、秋天では5番人気で出走。

    レースでは大本命の同期トウショウボーイとグリーングラスが揃って暴走し沈む波乱の展開の中、最後方待機から直線で全頭ごぼう抜きで優勝、天皇賞馬の栄光に輝いた。

    それ以後は目立つ活躍はなかったが長く第一線で走り続け、オープンや重賞で勝ち星を重ねた。

    6歳末の有馬記念を最後に引退。


    76年世代の代表馬の一頭。

    TTGの印象が強過ぎる世代だが、世代の大競走勝ち馬の中での最多勝馬は彼であり、通算獲得賞金も世代3位につけている。

    展開がはまったとはいえ天皇賞での勝ち方は圧巻。

    【ラジオ競馬実況】1977年天皇賞秋はホクトボーイ。トウショウボーイ、グリーングラス伸びず


  • 53二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:33:16

    78年春 グリーングラス

    76年世代 通算26戦8勝 他76年菊花、79年有馬優勝 重賞5勝


    3歳1月にデビュー。

    春クラシックとは無縁だったが、12番人気で出た菊花賞でトウショウボーイ、クライムカイザー、テンポイントを破る大波乱で優勝。

    翌4歳時も重賞で2勝し宝塚記念と有馬記念で3着に入るなど活躍。

    そして5歳の春天では1番人気に支持され、宿敵カシュウチカラなどを下し優勝、天皇賞馬となる。

    その後は故障休養を挟みながらも第一線で活躍を続け、5歳夏と6歳夏の宝塚記念で2着に好走。

    そして引退レースとなった6歳末の有馬記念では、カシュウチカラ、ホクトボーイ、カネミノブ、サクラショウリ、ビンゴガルー、テンメイ、インターグシケン、インターグロリア、バンブトンコートといった超豪華メンバーを相手に優勝。

    有終の美を飾り、同年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬に選出された。


    同期のトウショウボーイ、テンポイントと並び「TTG」と称される名馬。

    両頭と違い顕彰馬に選出はされてないが実績は遜色ないものを残した。

    長距離の重賞でレコード勝ちしていることから分かるように強さと安定感を備えたスピード型の長距離馬で、内ラチからの伸び脚は非常に力強いものがあった。

    個人的にウマ娘でみたい馬の筆頭。

    20世紀の名馬 26位 グリーングラス


  • 54二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:34:30

    78年秋 テンメイ

    77年世代 通算62戦13勝(通算36戦6勝 地方26戦7勝) 重賞2勝


    母はトウメイ。

    2歳秋にデビュー。

    春クラシックとは無縁でずっと条件戦以下を走っていたが、辛くも出走が叶った菊花賞では9番人気ながらプレストウコウの2着に好走し注目される。

    その後4歳秋まで何度か重賞で好走した後、秋天に出走。

    プレストウコウ、カネミノブ、カシュウチカラとの対決となり、直線で逃げ粘るプレストウコウを差し切って優勝。

    菊花賞の雪辱を果たし天皇賞馬の栄光に輝いた。

    以後は5歳秋の重賞で優勝したがそれ以外は特に目立つ活躍なく、6歳夏以降はどういうわけか岩手の地方競馬に移籍。

    7歳夏まで走り引退した。


    現在でも史上唯一となる母子二代で天皇賞制覇を果たした馬で、そのことで歴史に名を残している。

    天皇賞、母子制覇!トウメイ&テンメイ。ルーラーシップは続けるか?


  • 55二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:35:58

    79年春 カシュウチカラ

    76年世代 通算47戦19勝 重賞5勝


    3歳1月にデビュー。

    3歳までは条件馬でクラシックとは無縁で終わる。

    しかし翌4歳2月の重賞で人気薄ながらグリーングラスやクライムカイザーといった同期の強豪を下し重賞初制覇。

    その後夏の重賞でも人気薄ながら優勝し、秋天ではホクトボーイの4着と徐々に台頭。

    翌5歳は初戦から重賞連勝するなど好調を維持し、春天に出走。

    しかしここでは宿敵グリーングラスの3着に敗戦。

    その後秋の天皇賞でもテンメイの3着に惜敗する。

    しかし諦めず翌6歳春の春天に出走。

    結果サクラショウリ以下の後輩の強豪を下し優勝、悲願の天皇賞制覇を果たした。

    その後は活躍なく、8歳2月に引退。


    不屈の執念で天皇賞を制した馬。グリーングラスとは対戦成績が拮抗しておりライバル関係にあった。

    長く現役を続けたこともあり、ホウヨウボーイやプリテイキャストといった後輩の天皇賞馬とも対戦している。

    76年世代の大競走勝ち馬の中では最も長い30歳の長寿を全うした。

    『執念が通じました!カシュウチカラです!』第79回 天皇賞(春) カシュウチカラ 牡6 58 郷原洋行 1979.4.29  出走馬:サクラショウリ、シービークロス、キャプテンナムラ他


  • 56二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:37:43

    79年秋 スリージャイアンツ

    78年世代 通算26戦8勝 重賞2勝


    兄はフジノパーシア。

    2歳秋にデビュー。

    4歳春まではほぼ全て条件戦以下で走る。

    同年4月に重賞初制覇するとその後長距離の重賞で結果を残し、秋天に出走。

    レースは極悪の不良馬場での開催となり、サクラショウリ、カネミノブ、バンブトンコート、メジロイーグルなどの強豪が揃って苦しむ中、直線でメジロファントムとの叩き合いとなり、最後はハナ差で差し返して勝利、天皇賞馬の栄光に輝く。

    だがその後病の為戦線離脱。

    更に闘病生活を送る中で蹄葉炎を発症、現役のまま6歳春にこの世を去った。


    史上最悪レベルの極悪馬場の天皇賞優勝馬として知られる。

    事実この秋天の優勝タイムでは1950年以降では最も遅いタイムだった。

    ただその一方でメジロファントムとの叩き合いは名勝負といえるものだった。

    秋天以外の実績も印象も薄い為、この馬が現役中に病歿した悲運の天皇賞馬ということもあまり知られてないかもしれない。

  • 57二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:38:53

    80年春 ニチドウタロー

    79年世代 通算11戦5勝 


    2歳秋にデビュー。

    同年は3勝挙げるがその後故障で離脱し3歳夏まで休養。

    秋に復帰するも惨敗が続き、菊花賞もハシハーミットの6着に敗戦。

    4歳初戦の重賞は落馬で敗れるなど不振が続いた。

    しかし4月のオープン戦をレコードで制し久々の勝利を挙げると、連闘で春天に出走。

    シービークロス、テルテンリュウ、メジロトランザムなどの強豪を下しレコードで優勝、天皇賞馬となる。

    だが夏の宝塚記念でテルテンリュウの10着に敗れた後、故障の為引退。


    連闘で天皇賞を制した馬。

    村本善之に初めて八大競走勝利を与えた馬でもある。

    1980年 天皇賞春(阪神)の振り返り。ニチドウタロー


  • 58二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:39:28

    >>51

    >>52

    >>53

    >>55

    76世代やっぱり強いよねえ

    グリーングラスはウマ娘になって欲しいのわかる

    TTG、CHKと揃わんかな

  • 59二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:41:08

    80年秋 プリテイキャスト(牝)

    78年世代 通算41戦8勝 重賞2勝


    2歳秋にデビュー。

    3歳時はエリザベス女王杯でリードスワローの4着が目立つ程度の成績。

    4歳時は条件戦の1勝に留まり、重賞は全て大敗した。

    5歳春の長距離重賞で人気薄ながらカシュウチカラなどに7馬身差をつける逃げ切り勝ちで重賞初制覇。

    だが続く春天ではニチドウタローの15着に大敗。

    夏以降はそれなりの成績を残したが、秋天の前哨戦の重賞では最下位に大敗。

    迎えた秋天では、カツラノハイセイコ、ホウヨウボーイ、カネミノブ、メジロファントム、シービークロスなどの強豪が集う中で8番人気の低評価で出走。

    しかしレースでは牽制し合う有力馬達を尻目におよそ30馬身の大逃げを敢行。

    これが見事にハマり、最後まで後続を寄せ付けず7馬身差の圧勝で優勝、天皇賞馬の栄光に輝いた。

    次戦の有馬記念を最後に引退、同年の最優秀古馬牝馬に選出。


    天皇賞史上に残る大逃亡劇で優勝した牝馬として有名。

    3200mの天皇賞を勝った最後の牝馬でもある。

    1980 第82回天皇賞(秋) プリテイキャスト


  • 60二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:42:35

    81年春 カツラノハイセイコ

    79年世代 通算23戦8勝 他79年ダービー優勝 重賞4勝


    父はハイセイコー。

    2歳秋にデビュー。

    同年は特に活躍なかったが3歳になると連勝し台頭。

    皐月賞ではビンゴガルーの2着に惜敗したが、ダービーでは激闘の末優勝、父の雪辱を果たす。

    その後は故障で長期離脱を余儀なくされたが同年の最優秀3歳牡馬に選出。

    4歳秋に復帰すると重賞を勝ち年末の有馬記念でもホウヨウボーイの2着に入るなど復活。

    翌5歳も年初から好調を維持し、春天に出走。

    直線でのカツアールとの激闘を制して優勝し、父の果たせなかった春天制覇を果たした。

    次戦の宝塚記念でカツアールの2着に入ったレースを最後に引退。


    ハイセイコーの代表産駒にして最高の孝行馬とされる名馬。

    勝負根性の強い馬でダービーや春天ではそれが如何なく発揮された。

    寿命も父を超える33歳の長寿を全うした。

    20世紀の名馬 62位 カツラノハイセイコ


  • 61二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:44:35

    81年秋 ホウヨウボーイ

    78年世代 通算19戦11勝 他80年有馬優勝 重賞4勝


    2歳末ににデビュー。

    デビュー戦を圧勝したが直後故障の為長期離脱、更に復帰目前に再び故障。

    引退も検討されたが現役続行を決め長期休養。

    4歳8月に復帰すると連対を外さない好走を続け、5歳春に重賞初制覇。

    その後休養を経て秋に復帰し、秋天ではプリテイキャストの7着に惨敗したが年末の有馬記念ではカツラノハイセイコ、カネミノブ、メジロファントムらとの激闘を制し優勝。

    同年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬に選出される。

    翌6歳は故障の為春天出走はならなかったが、秋に復帰すると秋天に出走。

    カツアール、モンテプリンス、アンバーシャダイらとの対決となり、結果モンテプリンスとの壮絶な叩き合いをハナ差制しレコードタイムで優勝。

    前年の雪辱を晴らし天皇賞馬となる。

    続くJCはスタート時のアクシデントもあり6着に惨敗、引退レースとなった有馬記念もアンバーシャダイの2着に惜敗したが、2年連続で最優秀古馬牡馬&年度代表馬に選出された。


    タニノチカラと並び相次ぐ重度の故障を乗り越えて頂点を極めた馬として有名。

    やや実績が地味なのと時代の印象が薄い影響もあり評価はあまり高くないが、80年代前半を代表する名馬であることは間違いない。

    【競馬】天皇賞・秋 (昭和56年)


  • 62二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:46:23

    82年春 モンテプリンス

    80年世代 通算24戦7勝 他82年宝塚優勝 重賞5勝


    2歳秋にデビュー。

    3歳春までは悪馬場での成績不振もあり特に目立つ存在ではなかったが、皐月賞で不良馬場ながらハワイアンイメージの4着に入り、次の重賞を7馬身差の圧勝で勝つと一躍世代の有力候補に。

    しかしダービーでは1番人気に推さながらオペックホースのクビ差2着に惜敗。秋の菊花賞も1番人気ながらノースガストのクビ差2着に敗れクラシック戴冠はならず。

    その後は幾度の故障休養を経て4歳秋に本格復帰。

    しかし秋天ではホウヨウボーイと激闘の末ハナ差2着に泣き、年末の有馬記念もアンバーシャダイの3着と大競走での惜敗が続く。

    しかし5歳に入ると年始から好調を維持し、春天に1番人気で出走。

    アンバーシャダイとの一騎打ちを制しレコードで優勝、悲願の大競走制覇を果たす。

    続く宝塚記念でもカツアール、キョウエイプロミス、メジロティターンらの強豪を下し優勝、現役最強馬となる。

    しかしその後故障により離脱。

    年末の有馬記念で復帰したが馬場状態に苦しみヒカリデユールの11着に大敗、このレースを最後に引退した。

    同年優駿特別賞を受賞。


    故障や悪馬場に苦しみながらも頂点を極めた不屈の名馬。

    3歳〜5歳にかけて第一線で活躍し、群雄割拠の時代において大きな存在感を残した。

    春天でアンバーシャダイを捩じ伏せた強さは圧巻で、八大競走時代末期の最強馬として彼の名を挙げる声も多い。

    なお82年の最優秀古馬牡馬&年度代表馬はヒカリデユールが選出されたがモンテプリンスの選出を推す声も多く、このことは大きな議論を呼んだ。

    弟のモンテファストも84年の春天を制している。

    1982年 天皇賞(春) 無冠返上モンテプリンス


  • 63二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:48:06

    82年秋 メジロティターン

    81年世代 通算27戦7勝 重賞3勝


    父はメジロアサマ。

    3歳1月にデビューし、秋までは条件戦以下で走る。

    秋の重賞で初出走ながら重賞初制覇を果たすが、故障の為菊花賞には出れずこの年を終える。

    翌4歳春に復帰すると、夏の重賞で10馬身差の圧勝で復活。

    その後は惨敗が続き評価を落としたが、迎えた秋の天皇賞ではアンバーシャダイ、ヒカデユール、カツアール、キョウエイプロミスといった強豪を相手に勝利。

    それも前年更新されたレコードを更に1秒更新するという圧巻の内容での優勝だった。

    ただその後は未勝利で特に目立つ活躍もなく、5歳末の有馬記念を最後に引退。

    引退後は種牡馬としてメジロマックイーンを輩出。


    メジロ三代天皇賞馬の二代目として知られる。

    父メジロアサマや産駒のメジロマックイーンと対照的に非常に戦績が極端で、勝つ時は圧勝で負ける時は惨敗ということが殆どだった。

    その為現役時代の評価はイマイチ低い。

    しかし優勝した秋天で見せたパフォーマンスは、3200mの秋天の歴史上でも最強のものの一つといえるだろう。

    第86回 天皇賞(秋) メジロティターン 牡4 58 伊藤正徳 1982.10.31  出走馬:ヒカリデユール、カツアール、トドロキヒホウ、アンバーシャダイ、メジロファントム、キョウエイ


  • 64二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:50:24

     

    83年春 アンバーシャダイ

    80年世代 34戦11勝 他81年有馬優勝 重賞5勝


    3歳1月デビュー。

    3歳時ほぼ全て条件戦で走り、運良く出れたダービーもオペックホースの9着に惨敗するなど活躍なく終える。

    翌4歳もしばらくは目立つことはなかったが、夏以降ジリジリと台頭。

    重賞でも好走し始め秋天ではホウヨウボーイの4着に健闘、続く重賞で重賞初制覇を果たす。

    そして年末の有馬記念ではホウヨウボーイ、モンテプリンスの2強を撃破し優勝、一気に頂点に立つ。

    翌4歳は初戦の重賞で後輩菊花賞馬ミナガワマンナを下し優勝。

    しかし次戦の重賞ではミナガワマンナの雪辱を許し2着。

    本番の春天ではモンテプリンスの悲願達成の前に2着に敗戦と惜敗続き。

    夏の休養を経て復帰した秋は、初戦の重賞でキョウエイプロミスにまさかの4着敗北。

    本番の天皇賞はメジロティターンの5着に完敗し、必勝を期した有馬記念ではゴール寸前でヒカリデユールの強襲を受け2着と、この年は1勝のみで終える。

    しかし翌6歳初戦の重賞でメジロティターン、ミナガワマンナ、後輩菊花賞馬ホリスキーらを下し復活優勝。

    続く重賞も前記3頭と激闘し2着に入った後、春天に出走。

    レースでは直線で追い込んできたホリスキーとの一騎打ちとなり、一度交わされた後再び差し返すという粘り腰を見せ優勝、天皇賞馬の栄光に輝いた。

    またこの優勝で歴代1位の獲得賞金馬に。

    その後故障休養経て秋に復帰し、秋天ではキョウエイプロミスの3着。

    JCは6着に惨敗したが引退レースの有馬記念ではリードホーユーの3着に入るなど、衰えながらも最後まで一線級の実力を見せた。

    同年優駿特別賞を受賞。

    引退後は種牡馬としてメジロライアンをはじめ多くの活躍馬を輩出した。


    八大競走時代最後の王者として讃えられる名馬。

    4歳秋の台頭以後は引退まで古馬戦線を牽引した。

    群雄割拠の時代にあって安定した成績を残し続けたことも特筆される。

    名勝負も数多く残しており、もっと語られて欲しい馬である。

    1983 天皇賞春 アンバーシャダイ


  • 65二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:52:22

    83年秋 キョウエイプロミス

    80年世代 通算29戦7勝 重賞3勝


    2歳夏にデビュー。

    3歳夏までほぼ条件戦を走り、その後故障の為長期離脱。4歳夏に復帰するとぽつぽつ好走し、5歳始めにオープン入り。

    春の長距離重賞で重賞初制覇を果たすと、秋にも重賞で人気薄ながらアンバーシャダイやメジロティターンを下し優勝。

    秋天ではメジロティターンの7着に敗れたが年末の有馬記念では人気薄ながらヒカリデユールの3着に好走と、徐々に頭角を現す。

    しかしその後再び故障休養を余儀なくされ、6歳夏まで棒に振る。

    秋に復帰すると、復帰戦2着を経て秋天に出走。

    アンバーシャダイやモンテファストを破り、6歳にして悲願の大競走制覇を果たす。

    続くJCでは脚部不安の中で出走。

    敗れはしたがスタネーラのアタマ差2着に入り日本馬初のJC連対の好走をする。

    しかしレース中の故障により引退。

    同年の最優秀古馬牡馬に選出。


    最後の3200m秋天の勝ち馬であり、JCでの激走ぶりでも有名。

    幾度も故障に泣かされながらそれを乗り越えて頂点を極め、最後は日本競馬の未来を切り拓いてターフを去ったその勇姿は今なお語り継がれている。

    1983年 ジャパンカップ スタネーラvsキョウエイプロミス


  • 66二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 21:53:46

    以上

    この時代の天皇賞馬はやはりすごい名馬が殆どだった。
    個人的には70年代の天皇賞馬が好きかな。

  • 67二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 22:15:09

    >>59

    誰か捕まえにいけよとしきりに促したのに誰も行かないから自分で捕まえにいったけど及ばなかったノリさんのパパ

    親子で同じシチュエーションに遭遇するとは

  • 68二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 22:18:27

    お疲れ様です
    30戦40戦が当たり前のように出てくるのは昔の馬が頑丈だったからなのか何なのか

  • 69二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 22:19:28

    調教感覚でレースを使ったり平場オープンの存在がでかいこの時代は

  • 70二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 22:57:29

    フイニイが天皇賞馬になれなかったのは残念

  • 71二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 22:58:32

    >>60

    このカツラノハイセイコの春天から勝ち抜き制度が廃止されたんだよね

  • 72二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 01:35:44

    >>4

    ダービー後13戦消化してから挑んだ菊花賞、で目を疑ったけど>>69の存在があるからか。時代を感じる

  • 73二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 02:45:26

    資料価値のあるスレ
    ありがたくお気に入りに入れてたまに見返そう

  • 74二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 10:43:43

    母子天皇賞馬は未だにトウメイ×テンメイだけなのか

  • 75二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 15:32:08

    >>73

    資料として役に立てるなら嬉しい

  • 76二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 19:10:30

    凄く詳しくてわかりやすい

  • 77二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 19:17:50

    >>51

    流星の貴公子…流星の貴公子〜…

  • 78二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 19:21:22

    >>63

    当時障害路線で猛威を奮っていたテンポイントの全弟キングスポイントも出走してるレース(いいよね

    有馬に出たオジュウみたいな感じ

  • 79二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 19:25:36

    >>38

    ツインターボの五代母から牝系が同じなのか

  • 80二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 20:05:42

    >>78

    スリージャイアンツが優勝した79年秋天にも障害王バローネターフが出てる

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