【モブ視点ハルウララSS】走り続ける理由

  • 1二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:54:52

    コンビニのサラダチキン。

    茹でたブロッコリーを冷凍した物。

    卵2パック。

    麦茶。

    チョコ風味のプロテイン。

    カロリーバー。

    醤油と塩。

    ───これが、冷蔵庫にあるもの全部。

    (適正体重圏内……でもちょいギリ……まだ試合まで間隔あるけど気をつけておくか。)

    95Lの冷蔵庫の前でしゃがみながらサラダチキンの封を切ると、嗅ぎなれた鶏の脂の臭いがする。
    別にサラダチキンが好きな訳ではない。
    料理に興味がない訳でもない。
    だが、自分には必要な事だと判断しているから食べている。

  • 2二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:55:05

    (相手のフリッカージャブ───特に出処が見づらかったな。
    リズムに合わせる練習とブロッキング練習も必要かな。)

    着なれて少し毛玉の出てきた安物のジャージに袖を通し、燃えるゴミの袋を持って軋む木製のドアに手をかけると初夏の爽やかな風が隙間から吹いてきた。
    朝の6時。
    人もまばらな街をボロのランニングシューズで走るのが、いつもの日課だ。
    雨が降っても雪が降ってもバイトがパンパンに詰まっていても欠かさず続けてきた日課。
    全ては、プロでの華やかな勝利のため。
    そう自分を奮い立たせて続けている。

    (川沿い2キロ……目標は……12分。)

    ボロアパートの階段を降りてゴミを出してしっかりと準備運動をする。

    指。

    前腕。

    上腕。

    自分が持った唯一の武器。
    試合で勝利を掴むための道具。
    手入れは欠かさない。

    (拳の腫れ……ちょっと引いたかな。
    熱くないや。)

    スマホのタイマーを起動し、街頭が消え始めた街を走り出す。
    彼は、プロになりたてのボクサーだった。

  • 3二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:55:34



    ひたすら、夢中で川沿いに向かう道を走る。

    郵便ポスト。

    準備中の八百屋。

    犬の捜索ポスターが貼られた電柱。

    どんどんと過ぎて遠くなっていく。
    ひたすら、ひたすら太陽で青く光る河川沿いを走った。
    彼は、無我夢中で走っていられるこの時間が好きだった。

    (……また負けちゃったな。)

    ライト級。
    17階級の中の真ん中。
    最も選手層が厚いと言われる階級。
    いわば激戦区。
    簡単に勝てるとは思っていなかったが、プロに上がってから一度も勝てないとは思わなかった。
    有効な打撃を繰り返し判定での勝利を狙うアマチュアと比べ、プロの拳はその一発でけりをつける事が求められる。
    前の試合で、顎に食らえば意識が刈り取られ、鳩尾に決まれば呼吸が出来なくなる事を身を持って感じた。

  • 4二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:56:04

    だがそんなパンチを放ってくる相手も、ひとたび世界ランカーと闘えばタコ殴りにされてKOを奪われる。
    一人の勝者の裏に、何人もの敗者が存在する世界。
    会社員のような安定した道を捨てて己の身一つで金を得る。
    川に浮かんだ枯れ葉のようにもろく、儚い世界。
    プロボクシングとは、プロスポーツとはそういう世界だった。

    (───勝たなきゃ……何をしてでも。)

    前を進んでいたときだった。


    トレセ〜ン!ファイおー!ファイおー!


    掛け声が聞こえた。
    ピコピコと足が地面を捉えるたびに揺れる獣の耳。
    栗毛、鹿毛、芦毛。
    そして桃色。
    近くにあるトレセン学園の生徒たちだ。
    朝のトレーニングで走り込みでもしているのだろう。

    「「「おはようございま〜す!」」」

    「……はよざーす。」

  • 5二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:56:26

    年頃の少女らしい弾んだ声。
    前しか見えていないような瞳。
    キレイな見た目。
    汗以上にかおる洗剤の甘い香り。

    (……仮に走るのが遅くても引く手あまただよな。多分)

    実を言うと、このトレセンの生徒というのが少し苦手だった。
    ヒトの何倍もある身体能力。
    見た目だっていい。
    それに加えて歌も上手いし踊れる。

    何より、そんなに色んな物を持っていながらレースに本気になれている事。

    (……分かってる。妬みだって事くらい。
    ───でもさ。)

    真剣度くらい、こっちに勝たせてくれよ。

    唇を少し引き絞りながら、走るペースを上げた。

  • 6二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:56:55



    (……やっべ……鍵どっかやったかな。)

    切り返し地点のコンビニで、ジャージのポケットを漁ると、穴が空いていることとアパートの鍵が無いことに気づいた。

    (カラスとかに持って帰られて無いと良いけど……)

    時間は6時15分。
    休憩をしているというのに、心配のせいで息が回復している気がしない。
    あと数分で走って帰らなければならないというのに。
    肩を落としている時だった。

    「ねえねえ!これあなたが落とした奴だよね?」

    ウマ娘の子に声をかけられた。
    桃色の髪と明るそうな声。
    さっきすれ違った時にいた子だろうか。
    桜の花びらのような模様の瞳が他とは異なる特徴的な雰囲気を出している。
    そんな子の手には、自分の部屋の番号が書かれた錆のある黒い鍵。

  • 7二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:58:17

    「!……あぁ、ありがとう。助かったよ。」

    「えへへ♪良かったよ〜。
    トレーニングの帰りにお兄さんとすれ違ったとこに鍵が落ちててね!
    もしかしたら〜って思って拾って探したんだ〜。」

    すれ違っただけの人間のためにわざわざ探してくれていたのか、この子は。
    学校だってあるだろうに。

    「そっか……拾ってくれてありがとう。
    ───レース、頑張ってね。」

    「ありがとうお兄さん!」

    光を湛えた目は、負けがこんでいる負け犬の目には酷く嫌味なものに見えてしまう。
    相手は悪くないというのに、言葉に少しだけ棘が混ざったような気がした。
    期待されて面も良くて。
    いい身分だな。
    そんな事を思う自分の醜さが、手に受け取った鍵のようにくすんで見えた。
    しかし目の前の桃色髪のウマ娘は、そんな思いを知らずにこんな事を言い出した。

  • 8二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:59:09

    「実はわたしね!今まで一度もレースで勝てた事無いんだ〜。」

    「──────え。」

    「頑張ってうさぎ跳びやったりとか腕振ったりとかしてるんだけどね?
    周りの子が速くて全然追いつけないんだよ〜。
    みんなも練習頑張ってるからウララも負けないくらい練習しないとなんだよ!」

    なんだ、その朗らかな顔は。
    なんで負けた事をそんなあっけらかんと言い切れるんだ。
    悔しくないのか。
    自分が腹立たしくなったりしないのか。
    送ってくれた親に申し訳ないと思わないのか。
    勝てないのならそんな努力なんて無意味なものでしか無いじゃないか。

    「───やめたくならないの?」

    「え?」

    思わず声が出た。
    だが止められなかった。

    「頑張っても頑張っても勝てないのなら……他の学校に行きたいと思ったりしないの?
    他の学校なら、トレセンに居たってだけで人気になれるだろう?
    きつい練習だってしなくて良いしさ。
    どうして君……ウララちゃんはトレセンに居るの?」

  • 9二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 19:59:48

    親切にしてくれた子供に対して言うべき言葉じゃない事は分かっていた。
    それでも、それでも言いたかった。
    まだ自分はアマチュアでは勝っていた分モチベーションの面ではマシだ。
    なのにこの子は一度も勝てていないと言った。

    それで朝から走り込みを出来る神経はなんなんだ。

    そう思わずには居られなかった。

    「……?
    う〜ん……よく分かんないな〜。」

    「……そう。」

    「だってウララ、かけっこするのが好きだもん。」

    「───え?」

    「みんなとかけっこたくさん出来て、そのためにみんなと一緒に頑張れるんだよ?トレセンって。」

    「…………。」

    「それでもし一着取れたらね!もっと楽しいと思うんだ!だからわたしトレセンに居るんだよ。」

  • 10二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:00:23

    「────そっか。楽しいんだ。」

    「うん!わたしの友達にね!
    キングちゃんって子が居るんだけどね!キングちゃんってどんなに負けてもへこたれないんだ〜!
    それで最後は勝っちゃうんだよ!
    凄いよね?
    そんな凄いキングちゃんから走り方とかトレーニングの仕方とか教えてもらうとね!
    前よりも速くなってる気がするんだ!
    わたし、それが楽しいんだ!」

    楽しいんだ。彼女にとっては。
    この練習も、自分の勝ち負けさえも。

  • 11二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:01:33

    (……なんで俺ボクシング始めたんだっけ。)

    ───ふと、昔を思い出した。

    子供の頃、親が離婚した。
    父の金遣いが原因だった。
    俺は、母に引き取られた。
    母は身一つで俺を食わせてくれた。
    母は、強い人だった。

    ───でも、俺は弱かった。

    シングルマザーである事を理由に周りにからかわれたり、馬鹿にされたりしても言い返す事もせずヘラヘラしてた。
    内心腸が煮えくり返っているのに。
    言い返すだけの度胸も無かったのだ。
    それで、母を恨んだこともあった。
    見当違いも甚だしいバカ野郎だった。

    ──────そんな時、ボクシングを初めて見た。

    名前も知らなかった日本人選手。
    いかつい外国人選手の恐ろしいパンチに怯むことなく拳を繰り出す。
    瞼は切れ、青あざが出来ても、ファイティングポーズを取って再度挑み、そして最後に派手にノックアウトをきめ、リングの真ん中のライトが当たるところで雄叫びをあげたのだ。

    ───かっこいい。

    子供の頃の俺は、それでボクシングを始めようと決意したのだ。
    中一の時、母に土下座して近くのボクシングジムに入りたい旨を伝えた。
    家計が苦しいだろうに、母は了承してくれた。

  • 12二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:01:59

    それからはひたすらに練習に明け暮れた。
    ランニングでは吐きそうになったし、テーピングをしていてもサンドバッグは痛かった。
    初めてスパーリングをさせてもらった時は、先輩にボコボコに伸された。
    それでも続けた。
    親に頼んだ手前断れなかったのもあるが、地道に練習をする事で強くなっていくのが分かったのもあった。

    そして中二のとき、初めて試合で勝った。
    延長を重ねての判定勝ち。
    粘り勝ちといえば聞こえはいいが、ひどい泥仕合だった。
    それでも、観客と母の応援と拍手がとても心地よかったのを覚えている。


    それが、俺が今もボクシングをしている理由。

  • 13二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:02:25

    (……なんだ。俺も好きなんじゃん。
    ボクシング。)

    この子も一緒だ。
    勝ちたいだとか負けたくないだとか。
    それ以上に、楽しいのだ。
    かけっこが。
    殴り合いが。

    「───参ったな。」

    「なぁに?」

    「いや、何でもないよ……。
    ……変なことを聞いてごめんね。
    ウララちゃんがレースで勝てる事、俺も祈ってるからね。」

    「うん!お兄さんも勝てるといいね!ボクシング!」

    「ありがとう、怪我には気をつけてね。じゃ。」

    「さようなら〜!」

  • 14二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:02:47

    朝6時20分。
    再び走り出す時間だ。

    (───俺ももう一回楽しんでみるか。
    ボクシングを。)

    心持ち一つ、トレーニング一つで勝てるようになるほど勝負の世界は甘くない。
    それでも、それらの積み重ねは決して裏切ることは無い。

    (今度、レースでも見てみようかな。)

    プロボクサーのひよっこは走り出す。
    茨の道を、楽しそうに。
    さながら桜の花吹雪のように。

  • 15二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:10:15

    いいぞ^~これ
    ウララちゃんの不屈メンタルは万病に効くはっきりわかんだね

  • 16二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 20:11:06

    応援スレに推薦しておいた

  • 17124/05/19(日) 20:11:41

    >>16

    ありがてぇ……

  • 18二次元好きの匿名さん24/05/19(日) 23:19:56

    この舞台設定面白そうだし、SSひとつで消化しちゃうのは惜しい気がする
    シリーズもので見たいかも?

  • 19二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 06:52:52

    良い…… 乙

オススメ

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