- 1◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:53:29
雷鳴、強風、雨音。
日が落ちてからずっとこんな調子。
こんな天気のせいかなかなか寝付けない。おまけに今日はシーザリオも遠征でいない。
遠征先、大丈夫かな? 向こうはいいお天気だといいけれど……。
耳当ても無いし、お布団に潜って凌ぐしかない。
がたがた、ごろごろ、ぴしぴし、ざあざあ。
朝には天気、良くなってないかなぁ……。
そんなことを考えているうちに、ゆっくりと意識が遠退く。
"風雨に轟く雷鳴、あいにくの天気となりました。"
"天候雨、バ場状態不良の発表です。"
"12人の快速自慢による一分足らずの電撃戦、最も速いウマ娘は誰か!? 答えは直線1000mの先に有り!!"
"本日のメイン競走、飛燕賞グレード1、まもなく発走です!"
鳴り響くファンファーレに大歓声、そして実況の声。
気が付けばゲート前。見渡す限りの暗雲、そして降りしきる雨と雷光。地面はまるで雲の様。
わたしといえば勝負服に身を包み、出走の準備は万全。
……なんで? なんで!?
なんでわたし、こんなところにいるのー!? - 2◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:53:45
なんで、なんで!? どうして!?
思考が追いつかない。わたしは布団に潜りこんで眠っていたはずなのに。
これは夢? それにしては感覚がはっきりとしている。本当にわけがわからない。
「こんばんは、クラフトさん」
一人頭を抱えていると不意に声をかけられる。
そこにいたのは同じく勝負服姿の鹿毛のウマ娘……同じトレセン生だよね? 思い出せそうで思い出せない。
頭の中で記憶をひっくり返していると向こうから切り出してきた。
「わたしはアストンマーチャン。『マーちゃん』とお呼びください」
そうだ、思い出した! 確か同じティアラ路線の子だ! 同じ路線の子は全員頭に入れたつもりだったけど、ド忘れしちゃうなんてなあ……。
「ごめんなさい! 直ぐに思い出せなくて……。わたしはラインクラフトです! って、わたしのことは知ってるか……」
「はい、知っているのです。忘れませんから」
今度は忘れないようにしないと。アストンマーチャンのこと。
見知った人に出会えて少し安心できたけれど、相変わらずここが何処なのかわからずじまい。本当にどこなんだろう?
「君たち新顔だな? ここは初めてか?」
いつもの様子で佇むマーちゃんの横で思考を巡らせていると、一人のウマ娘が話しかけてきた。
短く切り揃えられた黒鹿毛の髪と黄色い耳当てが印象的なウマ娘。
「あ、はい。気が付いたらここにいて……ここはどこなんでしょう?」
「なら教えてあげよう、ここは夢世界さ。」
「夢、世界?」
「そう夢世界」
いまいち理解が追いつかない。夢世界? それじゃあわたしたちは夢の中でレース? - 3◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:54:05
「理解できねえって顔だね。まあそうだろうな。私もよくわからん」
この人もよくわかってないのか……頭がどうにかなりそう……。
ふとマーちゃんの様子を見ると、目を閉じ胸に手を当てて何か納得したような表情をしている。
マーちゃん、何かわかったの?
「この事は係員の連中に教えて貰った事なんでね。まあ気にすんな。レース、楽しもうぜ?」
そうだ、今はただゴールに向かって走るだけ。わたしたちにできることはそれだけ。
「……そう、ですね。レース、楽しみましょう! 負けませんから!」
「マーちゃんも負けていられませんね。勝つのはマーちゃん。覚えていて下さいね?」
わたしたちが啖呵を切ったのを見て、彼女はフッと笑った。薄暗いのに、目だけ煌々と輝かせて。
「いい度胸だ。私の背中だけ見てな。直ぐにぶっち切ってやるよ」
身体が震える。寒い訳じゃない。そう、武者震い。
1400mでの短距離戦は何度か経験が有る。このコースはそれより短い。
でも、コース自体はおそらく新潟の千直と同じ。それなら頭に入っている。どうやって走ればいいかはわかっている。
そうやすやすと負けるつもりは無い。勝って見せる!
「おうおうおう! 姐さん! 今日こそはあたしの末脚でぶった斬ってやるからな!」
今度は栗毛のウマ娘がやって来た。黒と黄色のストライプが映える鮮やかな勝負服のウマ娘。
「ああやってみな。ゴールまで私の背中しか見れないだろうがな」
「上等だ! やってやんよ!!」
彼女はわたしたちに気付くと、こちらにも啖呵を切って来た。
「てめえら新顔か? あたしらの邪魔すんじゃねえぞ!」
……わたしたちは相手にならないってこと? むっとして言い返そうとした時、暗雲から一筋の光と遅れて雷鳴が轟いた。
あぁ……結構近い! 思わず耳を押さえてみてもダメ。やっぱり苦手……。
マーちゃんも同じように耳を押さえている。レース中は大丈夫だと思うけど、ゲートで鳴ったら嫌だなあ。 - 4◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:54:21
「けっ、だらしねえなあ!」
何にも言い返せない。
「そう言うなよ。君だって最初はそうだっただろ?」
「蒸し返さないでくれよ、姐さん」
「仕方ない。係員さん、ちょっといいかい?」
「ん? どうした、トラブルか?」
あの人は係員と何か話している。
話し終えると係員たちが慌ただしく動き始めた。スターターが降り、道具を携えた装蹄師も出てきた。
"おっと、スターターが降りました。何か有ったのでしょうか?"
"お知らせします。第11競走、1番アストンマーチャン及び12番ラインクラフトは発走地点においてバ装整備及び蹄鉄の打ち換えを行います。"
"発走が少々遅れますことを、ご了承ください。"
"お聞き頂いた通り、発走時刻が少々遅れます。ご了承ください!"
「耳当て貸してやるよ。それと蹄鉄もな」
「その蹄鉄じゃ、まともに走れねえぞ?」
そう言って、黄色の耳当てと蹄鉄を渡してくれた。
蹄鉄はいつものより軽くて薄い。そして弾力のあるもの。いつも使ってる共用鉄とは違うみたい。
どよめきが聞こえる中、マーちゃんとわたしは貸してもらった耳当てと蹄鉄を打ち換えることになった。
打ち換えて貰って少し歩いてみると、確かに違う。
何だろう? あまり滑る感じが無くて妙にしっくりくる。バ場をちゃんと掴めている様な感覚。
それに耳当てのおかげで雷鳴も気にならない。 - 5◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:54:35
「どうだい? これでレースに集中できるだろう?」
「はい、ありがとうございます。でも、良いんですか?」
「別に良いよスペアだし。それに、それを負けの言い訳にされちゃあ困るんでね」
親切で貸してくれたわけじゃない。わたしたちの言い訳を封じるためだ。
無様なレースは出来ない。結果で示さないと。
出走前にみんなの顔を覚えておこう。
ざっと見渡してみたが奇妙な点が有った。
あの人と栗毛の子、そしてわたしたち二人以外は顔がピンボケしたような見えてはっきりとしない。
勝負服だって色合いもわからずまるで白黒写真。
どういうことなんだろう?
疑問に思っていると、察したあの人が説明してくれた。
「私たち以外がはっきりしねえのが気になるのか? あいつらこっちの住人だからな。夜が明けてもここにいるのさ」
こっちの住人?
……もしかしてあの世の住人って、こと!?
「怖がることはねえよ。別に悪さするわけじゃねえし気の良い連中だよ」
顔に出ていたのか、続けて説明してくれた。
ふとその中の一人と目が合った。
表情もはっきりとはしないが、彼女は微笑みながら手を振ってくれた。
そう、だよね。勝手に怖がってちゃ向こうにも悪いよね。
わたしも手を振り返して答える。
同じレースを走るメンバーなんだ。純粋に競り合う仲間でもあるんだ。
はっきりと見えなくても、しっかりと目に焼き付けておこう。 - 6◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:54:49
他の出走者の事はわかった。後は枠番を確認しないと。
マーちゃんは1枠1番、わたしは8枠12番、あの人は5枠5番、そして栗毛の子は7枠9番。
わたしは有利な枠を引けた。
……マーちゃん、大丈夫かな? 新潟の千直では内枠は不利だ。
ここのおそらく同じ傾向。
ちらりと様子を見てみると、何やら思いついたような表情をしている。
何か策が有るのかな?
……今はレースに集中しよう。人の心配をできるほど余裕は無いのだから。
スプリント戦では特にスタートが肝要。少しの出遅れでも命取りになる。
深呼吸して集中。ゲートが開くとき、モーターの小さな作動音が聞こえる。
その音に合わせて蹴り出せば出遅れることは無い。今は呼吸を整え待つだけ。
……来た! ここ!
"スタートしました! 5番と12番ラインクラフトがロケットスタート! 後はほぼ横一線!"
"さあ先行争い誰が行くか! 5番がスーッと外ラチ沿いへ進路を取りまして端に立ちました! そのまま逃げの手!"
"2バ身程後ろ12番ラインクラフトが追走、外ラチいっぱい! 内目に11番その後方8番、6番、3番と続きます!"
枠のおかげで取りたいポジションは取れた。後はある程度脚を貯めないと。
中距離やマイルなんて比じゃないハイペース。焦っちゃダメ、焦ってペースを上げれば持たない。
最後の400mで全てを叩き込む。逃げ相手なら上がり勝負でやるしかない。
"さあ各ウマ娘外ラチに集中……していません! なんと1番アストンマーチャン、内ラチ沿いを独走! 大胆な策に出ました! 先頭からは1バ身をキープ!"
マーちゃん!? 確かに千直ではそういった作戦も有る。何度も通用する策ではない。
でも、『一か八か』で試す価値は有る。たった一度きりの奇襲戦法。
マーちゃん、わたしは負けない。あの二人にも、あなたにも勝つ! - 7◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:55:10
"400m標識を通過、徐々に動きが激しくなってきました! 最後方から9番が早くも進出開始! ポジションを上げていきます!"
栗毛のあの子だ! ただの早仕掛けじゃない。先頭を射程圏内に入れる為の早仕掛け。
このまま押し切られてしまえば今のうちに好位に付けないと届かない。
わたしの後ろに取りついて、丸ごと撫で切るつもりなのだろう。
尋常でない殺気、雷鳴よりも響く足音。焦ってはいけない、惑わされてはいけない。
わたしは自分の走りを貫くだけ。ここで乱されれば勝機はない。もう少しの我慢。
"残り400m! さあ最速の称号は誰のものか!? 各ウマ娘スパートの体勢!!"
ここで捕まえる! 2ハロンで一気に差し切る!!
その時、あの人の身体が一瞬沈んで見えた。一瞬の出来事なのに、随分ゆっくりに見えた。
"5番ここでまた伸びる! 行ってしまうぞ、行ってしまうぞ!! 後続との差がどんどん開いて行く!!"
あんなにハイペースで逃げていたのに、どうして!?
スパートをかけているのに全然追いつけない。並ぶどころか追走すらまともにできない。
"最内1番アストンマーチャン粘るがやや失速気味! 懸命に追いすがるが離され行く!"
マーちゃんも粘っているがどんどん離されていく。
スプリンターの彼女ですら追走手一杯だなんて……。
「邪魔だぁ! どけぇ!!」
後ろにいた栗毛の子があっという間にあの人を差し切ろうとわたしを抜き去って行く。
あんなにすごい脚を使えるなんて……ああ、あんな末脚でも差は縮まらない。
"先頭5番、先頭5番! 2番手は9番! 凄まじい末脚を繰り出すが縮まらない! 名刀を以てしても光は斬れないか!?"
"後方2番、4番追い込み体勢、10番やや苦しいか! 7番、6番ずるずる後退! 12番ラインクラフトも苦しいか! 11番、9番と共に上がって行く!"
後続の子にもどんどん追い抜かれていく。
脚が上がる、胸も苦しい、呼吸が乱れる。 - 8◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:55:23
あんなに速いなんて。
勝負にすらならないなんて。
悔しいなあ。
"5番悠々逃げ切ったぁ! 勝ったのは前年の覇者にして本競走、本コースのレコードホルダー、5番!! 最速ウマ娘の称号を手にし連覇達成!!"
"4バ身ほど切れて9番離されての2着、そして共に上がって来た11番は単独3番手確保。4番手は2番、4番が並んで入線、これは判定をお待ちください!"
"掲示板点滅を開始しました。1着5番、2着9番、3着11番、4、5着写真判定。そしてレコードの赤い文字! ここにきてレコード更新!"
"勝ち時計53秒4、上がり3ハロン31秒6。前年の53秒7をコンマ3秒更新! とてつもない記録です!"
終わってみれば結果はマーちゃんは6着、わたしは7着……掲示板にすら載れないなんて……。
少し無理をし過ぎた。なかなか息が戻らない。
「流石のマーちゃんもマーちゃんアラートを発令します。『ひへー』です。ひへー……でも、見せ場は有ったのです。どやや」
駆けよって来たマーちゃんも息は荒いながらも整い始めていた。やっぱり本職のスプリンターは違うんだなあ。
「よう大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です……レース、ありがとうございました。おめでとうございます!」
あれだけの走りをしたのに息は乱れていない。
まるで歯が立たなかった。枠の有利も活かせず負けてしまった……。
「ラインクラフトと言ったな? 良いセンスだ。進路取りもレース運びも及第点だ……だが、私は君たちより速かった」
「だから私が勝って、君たちが負けた。それだけだ」
その通りだ。完全な力負け。小手先の技術なんて意味をなさない完全な実力による敗北。 - 9◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:55:37
「それとアストンマーチャン、おもしれえことしてくれたな? あんなに離れて競りかけてくるなんて大したもんだ」
「忘れねえようによく覚えておいてやる。またレースしようぜ? 二人ともぶっち切ってやる」
わたしも忘れない。今度はこの人に背中を見せつける。
「はい! また勝負してください! 今度は、今度は負けません。勝ちます!」
「マーちゃんからも宣戦布告するのです。レコードを塗り替えて記憶に残るのです」
あの人はまたフッと笑った。朝焼けに照らされたその瞳は、真っ直ぐで純粋で。
「首洗って待ってな。耳当てと蹄鉄は貸しておいてやる。好きに使え」
わたしは忘れない。この夢の事も、貴女の事も。
「姐さん、次は負けねえぞ! 後200mありゃ勝ててたんだ! 今度は1200で勝負だ!」
割って入るようにあの栗毛の子がやって来た。
「そう言って1200で負けたの誰だっけ? まあいいぜ。次は1200だ」
「ぐぬぅ……今度は負けねえ! ぶっ潰してやる!!」
彼女はそう言った後、くるりとわたしたちの方に向き直った。
「てめえらの事も覚えたからなあ! 忘れねえ!! まとめてぶっ潰してやる!!!!」
あの人しか眼中にない訳じゃない。ちゃんと見ていてくれたんだ。
「はい! 今度は負けません! お二人には負けません!」
「マーちゃんも同じくです。勝ってここにマーちゃん像を立てるのです」
……マーちゃん、流石にそれは難しいんじゃないかな?
「さて、もう夜明けだ。私たちは元の器に戻ってお目覚めタイムだ」
「また会おうぜ、ルーキー」 - 10◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:55:51
気が付けば見知った天井。なんだかすごい夢だったな……耳に違和感が有る。
自分の耳を触ってみると付けた覚えのない耳当て。外して見てみると鮮やかな黄色の耳当て。
……もしかして。
直ぐにシューズを見てみると、あの蹄鉄。そして雨に濡れた痕。
夢じゃない? あれは夢じゃない!
無性に走りたい。そう思って敢えて勝負服を着てターフへ降り立つ。昨夜の雨でコースはべちゃべちゃ。
でも、空は晴れ渡っている。朝日と朝もや。風が心地よい。
……やっぱりあの子もここにいた。あの耳当てを付け、勝負服に身を包んで。
「おはようです。クラフトさん」
「マーちゃん、おはようございます」
彼女もきっと同じ考えなのだろう。
やっぱりあれは夢であって夢じゃない。
「マーちゃん、一緒に走ませんか? 距離は1200で」
「はい、マーちゃんも同じ気分なのです」 - 11◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:56:01
次はいつになるかわからない。
でも、きっと次も有る。
今度は負けない。
勝ちたい。
あの二人に勝ちたい。
あのスピードに追い付くんだ。
追い越すんだ。
見ていてくださいね、先輩たち。
この世界のどこかで、わたしたちの走りを。
そして、また夢の中でレースを、あの戦いを。
待っていてくださいね。
今度は勝手みせますから! - 12◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 00:56:15
以上
↓のスレでの組み合わせで書きました。
【カプ話】俺ばかだから聞くけどよ|あにまん掲示板マーチャン×クラフトカプってアリか?どんな概念になるのかわからないがふと思いついたからスレ立てしたんだわbbs.animanch.com夢って、素敵だね。
- 13二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 01:10:04
良き…
- 14二次元好きの匿名さん24/05/20(月) 01:23:32
とても素晴らしいSS読ませていただきました
どこかあの光景と良く似たレースだけどちょっと違う
あの人と栗毛の子とそれ以外の子達も誰なのかは私には分かりませんが
それは誰かが覚えていたあの子だったり誰かが憧れていたあの子だったりするんでしょうか
ラインクラフトとアストンマーチャン
キミタチダケノティアラに幸あれ - 15◆VLLyLRN6RI24/05/20(月) 12:37:31