(SS・ネタバレ注意)タンデム

  • 1二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:47:46

     このSSは、
    『劇場版ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』
    『小説版ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』
     の一部ネタバレを含んだ内容になっています。
     読み進める際にはその点を留意した上でお読みください。

  • 2二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:48:00

    「むっ? これは…………ああ、久しぶりに回って来たみたいじゃのう」

     トレセン学園の敷地の外れ、川のほとり。
     どこに歴史を感じさせる木造平屋の中、彼はとある書類を手に取った。
     長い白髪に年季の入った丸いサングラス、どっしりとした身体つき。
     しかし、そこには歴戦の兵を感じさせる、特有の雰囲気が溢れていた。
     タナベトレーナーは、テーブルの上に資料を広げながら、一枚の紙を手に取る。

    「最後にワシのところに来たのは……あいつがレースから離れる前か」

     書類を興味深そうに眺めるタナベトレーナーの脳裏には、短い黒髪のウマ娘の姿。
     過去に担当し、早くに彼の下から離れることとなり────そして再び戻って来た一人の少女。
     彼が無意識のうちに頬を緩めて、ペンを手に取る。
     その紙の上には、出バ表の如く、何人ものウマ娘の名前が並んでいた。

    「クジ運が良いのやら悪いのやら、相変わらず意味があるとは思えんがの」

     その書類は、次の週末に行われるメインレースの、トレセン内部における人気投票であった。
     トゥインクルシリーズはウマ娘達の競技であり、スポーツであり、そして当時に興行でもある。
     故に、レースを盛り上げる一貫として、レース前にはファンによる人気投票が行われている。
     上位人気のウマ娘がその実力を見せるか、下位人気のウマ娘が下剋上を果たすか、それも見どころの一つであった。
     とはいえ一般的なファンはウマ娘のトレーニングの実情やその進捗などを知る術がない。
     そのため、大きなレースの前などでは、各陣営のトレーニング映像やタイムなどを公開している。
     さらには学園のウマ娘やトレーナーを無作為に選定し、彼らから事前の投票を集計し、その結果も参考にしてもらっていた。

  • 3二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:48:15

    「まあ、ワシが新人だった頃から変わってない以上、需要はあるんじゃろうがな」

     苦笑いを浮かべつつ、タナベトレーナーは書類にペンを滑らかに走らせる。
     関係者が投票するのだから、その結果はより実情に近いものとなっている────というわけではない。
     ウマ娘であれば自分に近しい人物や尊敬するウマ娘を上位に入れてしまう。
     トレーナーであっても担当やその友人、あるいは知り合いのトレーナーの担当などを優先してしまう。
     結局のところ、ファンの投票に近い、あるいはそれ以上に私情がバリバリに入った、ミーハー的な内容になることが殆どだ。
     故に、彼もそこまで深く考えないで、適当に記入していた。
     そして書き終えた書類を封筒に入れて、糊を手に取ろうとするが、見つからない。

     ────刹那、彼の視界の横から、細くて長い、白い手が入り込んできた。

     その手はひらひらと挨拶をするように動くと、手首をくるりと捻る。
     すると、どこからともなくスティック糊が、その手の中に、忽然と姿を現していた。
     彼は一瞬驚いたものの、すぐに微笑みを浮かべながらスティック糊を手に取って、顔を上げて礼を告げる。

    「ありがとな、フジ、助かったよ」
    「どういたしまして…………後、鍵を開けっ放しにするのはどうかと思うよ?」

     黒髪のショートヘア、前髪には一房の白い流星、右耳には引っかけるようにつけられた髪飾り。
     タナベトレーナーの担当ウマ娘の一人であるフジキセキは、困ったような笑顔を浮かべていた。

  • 4二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:48:41

    「とはいえ今日は学園も休みじゃろう? それなのに制服なんて着おって」
    「ああ、朝からちょっと寮長としての用事があってね、その帰りに近くに来たから寄ってみたんだ」
    「お前も大変だの……ああ、この流れで申し訳ないのじゃが、一つ頼まれてはくれんか?」
    「珍しいね? 構わないけど」
    「さっきの書類を明日、駿川のやつに渡して欲しいんじゃ、明日はワシが朝から行くところがあっての」
    「たづなさんに、だね、それくらいならお安い御用さ……まだ仕事は残ってるの? 手伝おうか?」
    「いや、今の書類で今日の分は終わりじゃ、午後からは特に予定もないのう」
    「……そっか」

     フジキセキはそう言って、タナベトレーナーから先ほどの封筒を受け取る。
     そして彼女はじっと彼のことをしばらく見つめてから、意を決したように口を開いた。

    「それでナベさ……いや、トレーナーさん」
    「……別に好きに呼んでくれて構わないぞ?」
    「いやいや、こういうのは大事だからね、外聞的にも、それに、私にとっても」
    「…………そうか」

     タナベトレーナーとフジキセキの付き合いは長い。
     彼女がデビューし、伝説的な活躍を見せて、引退して、それからジャングルポケットを連れて来て。
     そして、再び彼女がターフに戻る、今に至るまで。
     その間、彼への呼び方はトレーナーさんからナベさんに変わり、そしてトレーナーさんに戻った。
     ジャングルポケットと走った後の、勝負服姿の彼女の笑顔は、今でも彼の脳裏に焼き付いている。
     とはいえ、ナベさん呼びも、そこまで嫌いではなかったのだが。
     ────まあ、そっちはポッケ達が呼んでくれているしの。
     彼はフジキセキの意思を尊重することにして、話を戻した。

  • 5二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:48:58

    「それで、なんかあったか?」
    「うん、これの見返りってわけじゃないんだけど、少し、お願いがあってね」
    「ほう、珍しいな、どれ、言ってみると良い、ワシに出来ることであれば、じゃが」
    「ふふっ、ありがと…………えっと、それで、その、ね?」

     ────本当に珍しいな。
     歯切れの悪い様子で言葉を詰まらせるフジキセキを見て、タナベトレーナーはそう感じた。
     基本的に世話焼きで、自分自身でなんでも出来てしまう彼女が、他人に要望を出すのが、まず珍しい。
     それでいて、普段から舞台女優のように流暢に、ハキハキと喋る彼女がこうなるのも珍しかった。
     彼はそんな彼女の『お願い』に興味を持ち、急かすこともせず、ただ言葉を待つ。
     やがて、彼女はため息をついて、封筒で顔を少し隠しながら、恥ずかしそうに言葉を紡いだ。

    「…………トレーナーさんの、バイクに乗せて欲しいんだ」

     フジキセキが搾り出すように言い放った言葉に、タナベトレーナーは一瞬、思考が止まる。
     直後、なんとか脳を再起動させて、彼は少し眉をひそめながら、言葉を返した。

    「……貸すこと自体のは良いが、お前は免許を持っとらんじゃろ?」
    「そうなんだけど、そういうことじゃなくてさ、トレーナーさんと、バイクに乗りたいんだって」

     少しだけ頬を染めながら、フジキセキは話を続ける。
     さすがに、タナベトレーナーも彼女の話を聞いて、自身の勘違いに気づいた。
     つまり、彼のバイクに乗りたいのではなく────彼の乗るバイク、に乗りたいのである。
     それは理解することが出来たが、それでもなお、疑問が彼の中に残っていた。

  • 6二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:49:12

    「行きたいところでもあるのか? それなら、タクシーでも呼んだ方が」
    「……行先は、そこまで重要じゃなくてさ」
    「それに、二人乗りじゃ、そんなにスピードも出せんぞ?」
    「…………速度も、大事じゃなくてね」
    「なんならお前がワシを抱えて走った方が早く着くんじゃないかの」
    「………………トレーナーさんが良いなら、そうしようか?」
    「………………いや、やめとくれ、ワシの心と体がもたん」

     怖さすら感じる薄い笑顔のフジキセキを前に、タナベトレーナーは思考を巡らせる。
     正直なところをいえば、彼は自分の教え子にはあまりバイクに乗って欲しくない、と考えていた。
     いくら気を付けていても、気を遣っていても、事故は起きる時には起きてしまう。
     それは、ウマ娘の育成にも通じるところがあり、彼は人一倍、それを身に染みて理解していた。
     故に、それが起きた時のリスクが大きいバイクに、彼女達を乗せたくなかった。
     自分のことを棚上げしてるのは、十分承知したうえで。
     しかし。

    「その、だめ、かな?」

     フジキセキは、じっとタナベトレーナーを見て、呟くように言う。
     寮長として、色んなウマ娘の面倒を見て回り、大人びた彼女が。
     憧れのクラシック三冠レースを前に、自身の脚の現実を認めて、諦めてみせた彼女が。
     尻尾を不安そうに揺らめかせながら、懇願するように、彼へと『お願い』を伝えている。
     そこには────何か、大事な意味が込められているのではないか、そう、彼は感じた。

    「……わかった」

     タナベトレーナーの言葉を聞いて、フジキセキの耳と尻尾が、嬉しそうにピンと立ち上がった。

  • 7二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:49:27

    「待たせたの、フジ」
    「ううん、待ってないよ……って、あれ? トレーニングに使ってるバイクとは別のやつなんだ?」
    「あれは一人乗りのバイクじゃったからの」
    「へぇ、複数台持ってたんだね」

     フジキセキは、寮の前で止まっているタナベトレーナーと大型のバイクの姿を、感心した様子で見る。
     彼女の背後では、窓や扉から覗き見ているウマ娘の姿があったが、彼は見て見ぬ振りをした。
     
     ────まあ、今のワシには、あまり似合ってはおらんじゃろうしな。

     ジャングルポケット達の前で、初めてバイクに乗る姿を見せた時の第一声が『……似合わねー』だったことを、彼は微妙に気にしてた。
     居合わせたダンツフレームやマンハッタンカフェなどはそんなことを言わなかったが、ぽかんとしていた辺り、似たような感想なのだろう。
     そもそも、バイクは彼の若い頃からの趣味である。
     当時は短いスパンで乗り換えてたり、もっと多くのバイクを持っていた、
     しかし歳を重ねた今は、小型バイク一台と、大型バイク一台を、長く使い続けている。
     もっとも、普段は前者の方にしか乗っておらず、後者の方はごくたまに、義務的に動かす程度だったが。
     彼が少し懐かしさに浸っていると、フジキセキは思い出したように、くるりとその身を翻した。

    「服装は、これで大丈夫かな?」
    「それなら問題なかろう……しかし、バイク用のヘルメットなんて良く持ってたな?」
    「寮の子に借りたんだ、バイクは持ってないけどパーツとかヘルメットだけは持っている子がいて」
    「……なんで?」

     タナベトレーナーは思わず素で聞き返してしまうが、フジキセキは苦笑いを浮かべるだけだった。
     さすがに制服姿でバイクに乗せるわけにもいかず、一旦彼女を寮へ帰して、迎えに行くという形をとった。
     今の彼女の服装は、パンツスタイルで、布のバタつきや肌の露出がほぼない服装。
     彼の理想でいえば、ちゃんとしたジャケットなどを着せたかったが、それをすぐに用意するのは難しかった。
     ウマ娘用のヘルメットがちゃんと用意出来ただけ、僥倖といえるだろう。

  • 8二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:49:54

    「じゃあフジ、後ろに乗れ、ずっとここにいるのも迷惑じゃろ」
    「あはは、結構、驚かせちゃったみたいだからね……じゃっ、じゃあ、失礼するよ?」

     そう言って、フジキセキは恐る恐るといった様子で、タナベトレーナーの後ろへと跨った。
     彼の背中にずっしりとした重みが乗って、ふと、思い出す。

     ────誰かを乗せたのなんて、何年振りだったかの。

     懐かしさに呑まれそうになるが、彼は振り払うように、首を振った。
     今は大切な教え子を乗せているのだ、余計なことは考えずに、安全第一。
     それを強く意識しながら、彼は後ろで固くなっているフジキセキへと声をかける。

    「……しっかりと、掴まっとれよ、なあに、心配はいらん」
    「……うん、そうだね」

     その言葉を聞いて、フジキセキは柔らかく微笑みながら、タナベトレーナーの腰に手を回した。

  • 9二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:50:14

     トレセン学園から、バイクで約10分ほどの距離。
     学園のその周りの街並みを一望することのできる高台の公園へと、二人は辿りついていた。
     近くの駐車場でバイクを止めて、タナベトレーナーは後ろのフジキセキの様子を窺う。
     彼女はゆっくりとヘルメットを外すと────目を輝かせ、耳をぴこぴこと動かしながら、口を開いた。

    「すごかったよ! 走ってる時みたいな速度を感じて、それでいて少し違くて、とても新鮮で!」
    「……そうか、フジが喜んでくれて良かったわい」

     タナベトレーナーしては、自身の走る速度とあまり変わらない乗り物が、彼女らにとって楽しいのか不安であった。
     しかし、珍しくハシャいでいるようの様子のフジキセキを見て、すぐに杞憂だったと理解する。
     二人は、バイクから離れて、ゆっくりとした足取りで公園内を歩き出す。
     学園から走っていくのに丁度良い距離にあるこの公園は、生徒達にとってはお馴染みのスポットであった。
     彼らも何度か来たことがあるし、その景色には、目新しいものはあまりない。
     ただ、なんとなく落ち着く、そういう場所であった。

    「はいどうぞ、お疲れ様」
    「おおっ、ありがたくいただくよ、フジ」

     ベンチに二人で腰かけると、フジキセキはどこからともなくドリンクを二本取り出した。
     ずっと持っていたのか、それとも目を盗んで購入したのか。
     多分それは教えてくれないんだろうな、と思いながら、タナベトレーナーはドリンクを受け取る。
     良く冷えた飲料に喉を潤しながら、フジキセキはバイクの感想を語り出した。

  • 10二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:50:31

    「……でも、二人乗りって会話とか難しいものなんだね、もっと話せるイメージだったよ」
    「ヘルメットもかぶっとるし、音がのう……ヘルメットで使える通信機みたいものあるそうじゃが」
    「それ良いね、次回までには用意をしておこうかな、そうすれば乗ってる間もトレーナーさんを楽しませられるからね?」
    「はっはっは、あまり考えたことはなかったが、それも悪くないかもしれんな」

     時折笑いながら、二人は会話を続けて。
     気づけば日が傾き始めて、お互いのドリンクが空になった頃、静寂の時間が訪れる。
     そこに気まずさなどは存在せず、ゆっくりと落ちついた、居心地の良い時間。
     彼らはベンチから景色を眺めながら、そんな時間を過ごしていた。

     ────そろそろ、頃合いかの。

     ふと、タナベトレーナーは大きく深呼吸をして、フジキセキに向けて問いかける。

    「フジ、ワシに何か、大事な話が、あるんじゃろう?」

     彼は、覚悟をしていた。
     ジャングルポケットの担当として現役復帰を果たしたものの、彼はすでに高齢。
     今は特に重い病気などを抱えているわけではないが、一年後、二年後はどうなるかわからない。

     少し前、彼と年齢の近いチーフトレーナーが突然倒れ、そのまま引退したという話があった。

     そのトレーナーの担当は、サブについていた新人トレーナーに引き継がれた、とも聞いている。
     幸い、その二人は上手くいったようだが、そんなことが毎回上手くいくとは限らない。
     トレーナーにとってのウマ娘は何度も巡り合っていくものだが、その逆は基本的に一度きり。
     フジキセキの時のような“キセキ”もあるけれど、そう何度も起こるようなものではない。
     故に────先を見据えて、もう少し若いトレーナーと契約をする、という判断もあり得ると、考えていた。
     思えば、不可解な点は、いくつかあった。

  • 11二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:50:44

     フジキセキらしくない、子どもみたいな、ワガママ。
     まるで年頃の少女を思わせるような、ハシャギよう。
     最後の思い出作りのような、時間。
     
     ────老いぼれが、若者の脚を引っ張っていかんな。

     寂しい、という気持ちは、確かにある。
     けれど、自らが走るのをやめさせて、そして再び走りだしてくれた彼女に、長く走って欲しいという気持ちもある。
     だから、彼女のどんな決断も受け入れる覚悟を、彼はしていた。
     フジキセキは彼の問いかけを聞いて、耳をぴくりと動かして、彼の方を向く。

    「…………えっ、別にないけど」

     そしてフジキセキは、きょとんとした表情を浮かべるのであった。

  • 12二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:51:01

    「えっ?」
    「えっ?」

     二人は、目をぱちくりとさせながら、お互いに顔を見合わせる。
     フジキセキは、何の話をしているんだろう、といった困惑した様子で。
     タナベトレーナーは、何か話があるはずだろう、といった困惑した様子で。
     先ほどまでと違う、どこか混沌とした空気の流れる中、彼は再び問いかけを発する。

    「……何かあったから、ここまでワシを連れて来たんじゃろう?」
    「……いや、ただ一緒に来たかったから、連れて来てもらっただけだけど」
    「…………わざわざ、今まで乗ったことない、バイクに乗ってまで?」
    「…………ホントは、昔から乗せて欲しかったんだよ、色々あって、言えなかったけど」

     フジキセキは、少し照れた様子で、顔を逸らした。
     それが、タナベトレーナーにとってあまりにも意外な、彼女の姿であった。
     栗東寮の長、ジャンクルポケットを導く先達、たくさんの生徒にとっての憧れの的。
     寮に住まうウマ娘達の面倒を見て、全ての人を楽しませるエンタテイナーを目指す、大人のような────。

    「……ふふっ、ふはははっ! はははははははっ!」
    「わっ、笑わなくても良いじゃないか!?」
    「いっ、いや、すまんすまん、お前を笑ったわけではないんじゃ……はははっ」
    「……?」

     不満気に唇を尖らせたまま、フジキセキは首を傾げた。
     それはまるで子どものような、年頃の女の子を思わせるような、表情。

  • 13二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:51:19

     ────そうじゃな、子ども、じゃったな。

     あまり、大人びた姿の彼女を見続けていて、忘れていた。
     栄光を手にして、夢を見失い、その夢を託して、新たな夢を見出した彼女を見て、忘れていた。
     彼女が、自分の半分も生きていない、幼い少女であることを、忘れていたのだ。
     ああ、何とも情けない、長く生きておいて、これではむしろ、自分が子どものようではないか。
     タナベトレーナーは心の中で自嘲しながら、フジキセキの頭に手を軽く乗せた。

    「悪かったのう、フジ」
    「……トレーナー、さん?」
    「お前はもう少し、自分のやりたいことを、正直に言ってくれて良い」
    「……っ!」
    「まあ、ポッケのやつほど正直になる必要はないがな」

     あいつはもっと我慢を覚えさせなきゃいかん、とタナベトレーナーは付け足す。
     フジキセキはぽかんとした様子で、そんな彼を見つめていたが、やがて嬉しそうな笑みを浮かべた。

    「ふふっ、そうだね、それじゃあ今度は、もう少し遠くまで行きたいかな?」
    「おう……しかし、お前と遠出したとなると、ポッケがうるさそうじゃな」
    「じゃあ、これは二人だけのヒミツ、ということで」

     そう言って、フジキセキは拳を突き出す。
     タナベトレーナーは、それを見て、彼女と契約したときのことを思い出した。

  • 14二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:51:33

     お前をダービーウマ娘にする、貴方をダービートレーナーにする。

     拳を合わせて、そう、約束を交えた日のことを。
     そして、約束を違えることになってから、ずっと、拳を合わせての約束はしていなかったことを。

    「……ああ、ヒミツで、約束、じゃな」
    「……うん」

     そう言って、二人は拳をこつんと、合わせる。
     この約束は絶対に違えない────とはお互いに、考えなかった。
     ただ、こういう約束を、これから何度も結んでいきたいとは、言葉にせずとも、思い合っていた。

  • 15二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:51:55

    「────ああ、そうだ、言いたいことはないけど、聞きたいことはあったよ」

     駐車場のバイクへと戻った時、フジキセキは思い出したようにそう言った。
     先にバイクへと跨り、ヘルメットをかぶろうとしていたタナベトレーナーは、反射的に振り向いた。

    「聞きたいこと? なんじゃ、言うてみい?」
    「それでは遠慮なく、朝、私に預けた書類って、今度のメインレースの人気投票だよね?」

     ぎくりと、タナベトレーナーが反応した。
     フジキセキはにやりとした笑みを浮かべ、その様子を楽しそうに見つめながら、話を続けていく。

    「入った時にたまたま見えてしまってね?」
    「そっ、そうか」
    「なんたって誰もが注目している大舞台だもの、ああ、輝く綺羅星達が歌うように一斉に瞬いて────」

     フジキセキは、芝居がかった動きで、まるで歌うように言葉を紡いでいく。
     その姿は通りすがりの人達が見惚れてしまうほどに、美しく、華やかな動きであった。
     目の前にいるタナベトレーナーは、微かに冷や汗を流していたけれども。

    「アグネスタキオン、マンハッタンカフェ、ダンツフレーム、新時代の扉を開けた数々の勇士達」

     タナベトレーナーが人気投票を書いたレースは、まさしく、超一流のウマ娘が揃う大レースであった。
     出走する全てのウマ娘がG1ウマ娘、世代を代表する、トップクラスのウマ娘達が名を連ねている。

  • 16二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:52:17

    「そして、テイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロード、メイショウドトウ、歴戦の猛者まで」

     いわゆる覇王世代といわれる彼女達も、参戦している。
     特に長い怪我からようやく復帰したアグネスタキオンやアドマイヤベガの出走は、数多くの驚きを呼んだ。
     その後もフジキセキは、そのレースに出る名高きウマ娘達の名前を、並べていく。
     しかし、そこには明らかな抜けがあった。
     最初に述べた、新時代を切り開いた勇士達の中に、いなくてはいけないウマ娘の名前が抜けていた。
     そして、もう一人、彼女とタナベトレーナーがもっとも良く知るであろう、ウマ娘の名前が。
     フジキセキは、最後の締めくくりと言わんばかり、十分に勿体づけて、最後の二人の名を口にする。

    「そしてジャングルポケットに、フジキセキ」

     そう、そのレースは復帰したフジキセキが、ようやくジャングルポケットと共に走る、最初のレースであった。
     言い終わった瞬間、何故か周囲から疎らな拍手が鳴り、彼女は丁寧な礼をしてから、バイクの後ろへと乗り込む。
     そしてヘルメットをかぶる前に、タナベトレーナーの耳元へ、囁くように問いかけた。

     ────トレセン内部で行われる事前の人気投票には、思いのほか、私情が含まれてしまう。

     ウマ娘であれば、自分と仲が良いウマ娘や、自分の憧れのウマ娘を優先する。
     トレーナーであれば、知り合いの担当だったり────自分のチームの担当を優先する。

  • 17二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:52:32

    「……トレーナーさんは、私とポッケ、どちらに重い印を打ったのかな?」

     学園に戻ったら、教えて欲しいな。
     そう最後に告げて、フジキセキはヘルメットをかぶって、タナベトレーナーの腰に腕を回した。
     ぎゅっと、来た時よりも強い力で、逃がさないと言わんばかりに。
     そんな彼女の様子に、彼は思わず、苦笑を浮かべてしまう。

    「困ったのう」

     そんな口振りとは裏腹に、タナベトレーナーの表情はどこか嬉しそうにすら見える。
     彼はヘルメットをかぶり、どう話すかを考えながら、バイクのエンジンをかけるのだった。

  • 18二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 16:52:56

    お わ り
    映画良かったですね

  • 19二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 17:02:35

    ナベフジたすかる
    バイク乗せてもらって年相応にウキウキなフジかわいい

  • 20二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 19:41:29

    映画の短い描写でも信頼しあってるんだなぁってのがわかるし、タンデムおねだりもありそうって感じるのすごい
    LikeでもLoveでもないけど"愛"ってこういうことなんだろなぁ……良きSSでござった……

  • 21二次元好きの匿名さん24/05/30(木) 20:02:27

    恋愛じゃないけど愛を感じる、親子じゃないけど親子のように考えが通じ合ってる

    そんな大人になりかけた娘と大人の先をずっとあるくおじ様がひたすら尊かったです

  • 22124/05/31(金) 00:20:05

    >>19

    トレーナーがベテランな分アプリより年相応なところが出るかなと考えてます

    この二人の関係は非常に良かった

    >>20

    お互いの信頼を節々に感じさせるところが良かったですよね

    良い塩梅の関係性が書けていれば良かったです

    >>21

    絶妙な感じでとても良いんですよねこの二人

    こういう感じで映画の先の話が見たいと思って書きました

  • 23二次元好きの匿名さん24/05/31(金) 01:04:32

    いいもん読ませてもらった、ありがとう

  • 24124/05/31(金) 07:08:25

    >>23

    こちらこそ読んでいただきありがとうございます

オススメ

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