シュロ「アハハッ! 手前が"百物語"になれば良いんですよぉ」

  • 1二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:28:28

    暗闇の中、蝋燭を手に立ち上がる。
    1つ、2つ、3つ……。部屋の中に置かれた100の蝋燭に火を灯し、円を組むように9つの座布団を置いた。
    うち7つの座布団にはコケシを乗せる。その中から1つを手に取り、背中に"シュロ"と文字を書く。

    ……準備は出来た。
    纏った青羽織を脱ぎ捨てて、空いた2つの座布団の1つに座り、そっと息を吐く。

    「お待たせいたしました皆々様。今宵語られるは百の化生。哀れな怪談家と出遭った怪異の物語……」

    ひとつの声が誰もいないシャーレのオフィスに飲み込まれていく。

    じわり、と一筋の汗が頬を伝う。
    風も無い部屋に置かれた蝋燭たちが、一斉にその影を揺らした。

    これから騙るのは未だ存在しない怪書の話。
    この第1席で100番目を騙れなければ、手前も手前様も黄昏の向こうへ消えてしまう。
    だからこそ、そうならぬために百物語を騙る他なし。

    「それではまずは"わたし"から」

    ……静まり返った部屋の中、"わたし"は小さく口を開いた。

    「一、これは"わたし"が月夜の晩に歩いていたときの話ですが……」

    唾をごくりと飲み込めば、汗がぽたりと顎から落ちる。

    2人で始まり1人で終わる独りぼっちの百物語。
    今宵この場に9人の語り手。さりとて語るは7人ばかし。
    黙して騙るは箭吹シュロ。花鳥風月部の怪談家。
    語り切るまで終わらない、哀れな怪談家の話を始めましょう。

  • 2二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:30:39

    夜が更けて日が昇り早朝。
    百鬼夜行での大失敗からしばらくの間、新たなネタを探しに再び百鬼夜行自治区へと訪れていた。

    「んー、やはり手前の百物語に相応しいものは中々見つかりませんねぇ……」

    からん、ころん、と下駄を鳴らしながら歩く手前ではありますが、気が付く者は誰もおりません。
    特異な状況。けれども"居るけど居ない"状況なんて、怪書を操る我らにとっては朝飯前。

    そうです。手前は噂と話と怪談のスペシャリスト。だから凡百の俗物程度相手に失敗するはずなんてない。
    ――なかったはず、それなのに!!

    「クソッ……。クソッ、クソッ、クソッ!」

    不意に湧いた怒りに思わず地面を蹴る。
    あのシャーレの先生を組み込むまでは間違っていなかったはずなのに。一体どこで語り違えた!?

    「あれほどの逸材を逃すなんて……あんなに頑張ったのに……! うぅ~~!!」

    思い出せば出すほどに涙が出てきそうになって、ぎゅっと目を瞑り、深呼吸。

    「……はぁ」

    コクリコ様は失敗じゃないと言ってくれましたが、それでも手前の失敗は手前の力で挽回したい。
    じゃないと手前には、コクリコ様のお傍に居る資格なんてあるはずがない――。
    とは言えども散策の成果も特に無く、無い無い尽くしで何だか嫌気が差してきました……。

    今日は一度帰りましょう。

    すっかり朝になってしまった自治区を憎々し気に見やりながら、踵を返して花鳥風月部への帰路に就く。
    コクリコ様に慰めてもらいたいなんて、不遜な想像を密かに巡らせて。

  • 3二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:35:08

    「コクリコ様ぁ、いま戻りましたぁ……おや?」

    花鳥風月部に戻ると、コクリコ様の部屋から話し声が聞こえてきました。
    誰かと話しているようですが……おかしいですねぇ?
    もちろん外から客人なんて来るわけがなく、何ならこの時間もいつもなら手前とコクリコ様ぐらいしか居ないはず。

    「…………」

    気になる。
    いや、こっそり覗き見るだなんてしたらコクリコ様に怒られてしまうかも……。
    それでも、気になる……。

    「……少しだけなら」

    そっと扉を押して中を覗き見ると、やはりコクリコ様は誰かと話しているようで。
    それも恐らく小柄な方。手前の位置では丁度死角となっていて、誰が居るのか全く見えない。

    「むむむ……」

    もう少しだけ扉を押して、つま先立ち。
    顎を突き出すようにして少しでも目線を高くしようとして……。

    「あっ……!」

    下駄で上手くバランスが取れるわけもなく、べちゃあと音を立てるように部屋の中に倒れ込む。

    怒られる――!
    いえ、コクリコ様が手前に怒ることは滅多に無いのですが、それでも嫌われたくは無い!

    「ごご、ごめんなさいコクリコ様! つい気になってしまってこのようなことを! もう二度としな……」

  • 4二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:39:38

    「なに? この黒いの」
    「……え?」

    聞こえた言葉の冷たさに、背筋が凍りつく。
    それは手前が想像していなかったお言葉で、一瞬理解ができませんでした。

    けれど、次に聞こえた言葉は更に意味の分からないものでした。

    「シュロ。また変なものでも拾うてきたん?」

    シュロ……?

    ゆっくりと頭を上げます。
    コクリコ様は手前では無く、先ほどまで話されていた方に向かって言ったようでした。
    そして問われた方も「はぁい」と返事をして手前の元に姿を見せます。

    それは流れる白髪。爛々とした赤い瞳。
    花鳥風月部の羽織を腕まで引っ掛けた女の子は、さながら鏡に向き合ったかのように瓜二つ――

    「な、何ですか……? 手前様は……」

    震える声で問いかけると、手前と同じ姿をした"それ"は悪意に満ちた表情を浮かべるのです。

    そして――

    「ケケケ! ここはお前の来るべきところじゃないシュロねぇ!」
    「こいつ偽物ですよコクリコ様ァ!」

    手前は今まで出したことの無い速さでコクリコ様を見て叫んだ。

  • 5二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:43:39

    いや――いやどう考えてもおかしい! おかしいですよコイツ!! 明らかに偽物じゃん!!

    「ケケ、何かしようとも無駄シュロぉ。大人しく元居た場所へ還るシュロぉ」
    「うっさいなぁこの偽物が! コクリコ様! こいつ何なんです!?」
    「シューロッロッロ! わたし程度がコクリコ様に何か出来るとでもお思いシュロかぁ? それはそれは随分と可愛い勘違いシュロねぇ! シューロッロッロ!」
    「シュロシュロうるせぇ!! コクリコ様! どうしてこんなやつさっさと消さないんですか!? お戯れが過ぎます!!」

    いくら手前でも、これは流石に許せるものとそうでないものがある――!!
    コクリコ様が手前の姿をしているだけの偽物と話すだなんて、そんなもの見たくない!!

    「…………」

    ……なのに、コクリコ様。
    どうして手前のことをそんな目で見るのですか?

    「何か話しとるん?」
    「ケケケ! 大したことは言ってませんねぇ。なぁに、すぐに片付けますんで少しだけお待ちくださいシュロぉ」

    ずい、っと"それ"が前に出る。
    怖い。あまりにわけが分からな過ぎて。
    何より、このシュロシュロ言ってるよく分からない何かのことを、どうしてこんなにも怖がっているのか分からなくて怖い。

    誰にも説明のしようが無い、自分でも分からない恐怖の塊が目の前に立っている。

  • 6二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:44:58

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  • 7二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:46:30

    「シュロロ……」
    「う、うぅ……」

    思わず一歩、後ずさる。
    部屋の壁が背中に触れた。

    「シュロロロ……」
    「あ、ぅ、ぅう……っ」

    じわりじわりと追い詰められて、扉の方まで後ずさり――

    「シュロロロロロ!!」
    「うわああぁぁぁ!!」

    脱兎のごとく、コクリコ様の部屋から飛び出す。
    それから逃げて、逃げて、それで――

    ■■■■■

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:50:45

    ■■■■■

    二巡目第六席。11本目の蝋燭を消した。
    語る話は数多く、けれどもまだ始まったばかり。

    先は長く、体力が持つかもまだ分からない。
    けれども外には先生もいる。敵なのに、手前を救おうとする信じられないぐらいのおバカさんが。

    ええ、ええ。本当に度し難いバカなんです。あの人。
    嫌ですねぇ。邪魔ですねぇ。

    百物語が無事に終わっても、また会うときは誰かの悲鳴と嘆きの中で再会するでしょう。

    『絶対に後悔しない』

    そう言い切ったあの顔を思い出して不敵に笑う。

    ならば手前に見せてください。
    そのためにも手前は、手前様と一緒に帰りましょう。

    「十二、"ぼく様"が玄武商会から材料を仕入れたときの話なんだけど……」

    ■■■■■

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 22:56:54

    待機

  • 10二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:01:15

    10まで保守

  • 11二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:02:30

    走って逃げて、振り返ると歩いて手前の元へやってこようとする姿が見えて、泣きながらまた走る。

    「ぁ……っ、やぁ……! やだぁ……っ!!」

    手前がどれだけ走っても、歩く"それ"より確かに早く走っているはずなのに、ずっと、ずっと、手前の視界からは離れてくれない……!

    下駄が脱げても羽織を落としてしまっても"それ"が来るから取りにも行けない。銃に至ってはそもそも逃げ出したときから持っていない。
    息が上がる。身体が痛い。なんで、なんで急にこんな……!!

    「あっ……!」

    足がもつれてもんどり打って転んでしまい、全身が砂利の上を滑ります。

    もう走れない。立ち上がれない。一歩だって歩けない。
    けれど迫りくる"それ"の影が頭から離れない。怖い。怖い。捕まったらどうなるか分からない。けど絶対に"捕まったらいけない"ことだけは何故だか分かる。助けて。怖い。誰か――

    「ぁあーー! あーー!!」

    恐怖に駆られて声が出る。地面の上で目を見開いたまま、頭を抱えて身体を丸めること以外に手前は何も出来ない。

  • 12二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:03:14

    ……。

    …………。

    ………………?

    けれども、いつまで経っても"それ"の足音は聞こえて来ません。
    逃げ切れた……?

    そう思い顔を上げて手前は……。

    「ひっ!!」

    遠くだが、居る。
    "それ"がじっと佇んで、表情の無い顔でずっと手前を見続けている。
    それがあまりにおぞましくて、でも追ってくることも無く、ただそれだけ。

    「な、なんで……?」

    それで少し安心したのか、息が戻るにつれて大事なことを思い出した。

    ――手前は"この状況に類似した怪談"を知っている。
    それは境界を越えられない代わりに境界から出た途端に本性を表す怪談。
    妖怪はあの手この手で境界から出そうとしてくる。例えば境界の外に出たくなったりするものを見せたり、逆に境界の中に居ることを苦痛に思わせるなどして。

    そうだ。手前は怪談家。怪談を知り怪書を手繰るスペシャリスト。
    今回は不意をつかれただけで、冷静になって考えてみれば対処できるも――

  • 13二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:04:00

    「――痛い……っ」

    頭が冷えてきた瞬間に腕と足に酷い痛みが走った。

    どこも撃たれたわけではないのになんで……? と腕を見て、それで……。

    ……腕から赤い血が垂れています。砂利が皮膚を突き破って、手前の身体がずたずたになってい《何故?》

    「あっ、なっ、なっ、なんで……!!」

    痛い……! 身体中が――!!
    砂利の上で転んで全身打った"だけ"なのに、どうして!?
    痛い。痛い。痛い――

    知らない怪我。どうして身体がこんなに脆くなっている!?
    未知の状態に半ばパニックに陥りながらも、手前の頭は別のこと、即ち"それ"についての思考が止まりません。

    "それ"が手前を追ってこられないのは《痛い》手前が境界の中にいるからで。
    この場合の境界は《痛い》百鬼夜行自治区の内か外か《怖い》で。
    百鬼《助けて》夜行に居る限《痛い》り"それ"《痛い》に襲わ《怖い》れない。

    ――百鬼夜行?

    頭に浮かんだ言葉に気付いて、手前は視線を"それ"のいる反対側へと戻します。
    看板に書いてあったのは『百鬼夜行自治区』の文字。

    「あ、はは……は、はっ」

  • 14二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:04:40

    ここにいれば"それ"には襲われない? それこそいったい何の冗談か。

    「はっ……はっ……!」

    遠くから魑魅一座が起こしたであろう爆発音が聞こえて来る。
    そして複数の銃声。「うわぁ!」と誰かの悲鳴が聞こえた。

    「はっ……はっ……はっ……!!」

    ここには手前の顔を知らない者なんてほとんど居ない。
    そしてここには手前に恨みを持つ者がどれほど多いことか。

    「やっ……ぁっ、ああ……!!」

    転んだだけでこんなボロボロになってしまうのに。
    銃で撃たれたら手前の身体がどうなってしまうかなんて――

    その時、ざり、と近くで音がした。

    「――!!」

    それは銃を持った百鬼夜行の生徒だった。

    手前を見た。

    見た。

    「ぅ、ぁあああああ!!」

  • 15二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:05:26

    ――怖い。

    「やだ! 来ないで! 死にたくっ、死にたくない……っ!!」

    無理やり身体を起こして必死に走る。
    銃も爆発も今まで当たり前のようにあったはずなのに。

    「なん……っ、なんでっ!! なんで!!」

    気付いた途端、キヴォトスが地獄と化した。

    見つかっても死ぬ。
    巻き込まれても死ぬ。
    むしろ何なら死なないかなんて知らない。
    安全な場所? そんなもの、一体どこにあるというのですか?

    「ひっ……く、ひっ。ぅあ……ひっ……」

    腕も足も痛くて、きっと足の裏なんかもっと酷いことになっているかも知れない。
    でも何もかもが怖くて、誰にも見つからないように歩き続けて。

    それでようやく人の気配のない物陰を見つけた手前は、崩れるように地べたに座り込みました。

    「痛い……痛い、痛い。怖い……。ぁあ……やだぁ……」

    どうしてでしょう。いったい何が起きているのでしょう。
    何も分かりませんが、それでもひとつだけ分かっていることがあります。

    「コクリコさまぁ……! コクリコさまぁ!! 助けてくださいぃ!!」

  • 16二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:06:03

    こんな身体では当然です。
    流れ弾か報復か制圧か。それとも自治区の外に出るか。
    どちらにしたって、誰かに見つかってしまえば最後。
    どうやら手前は、今日死んでしまうようです。

    「死にたくないィ……! 死にたくありません……ッ!! しに……っ、く……」

    どうしてこんなことになってしまったのでしょう?
    手前には何も分かりません。空はこんなにも青いのに。

    「だれかぁ……! 誰かたすけてぇ……! ふ、ぐ、ぅ、うううううう!!」

    その時でした。視界の端で誰かが見えました。

    「ひっ……」

    手前をぎょっとした目で見ていたのは、あの時手前が蹴り飛ばしたシャーレの先生。
    手前が壊そうとした百花繚乱を守り切った、手前を憎んでいるはずの先生がすぐ傍に立っていたのです。

    「……シュロ?」
    「ひ、ひぃぃぃぃ!!」

  • 17二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:06:34

    這って逃げようとして、当然あえなく捕まって。

    「ああああ!! ごめんなさ……っ、しに、しにたくない!! たす――ああああ!!」

    逃げようと腕の中で抵抗したってビクともしません。
    コクリコ様。どうやら手前はここまでのようです。

    「ぁ、あ、ああああ! やだぁ……! やっ、ま、まだ、おわりたく……っ」

    今まで面倒見てくださって本当にありがとうございました。
    さようなら、コクリコ様。

    「や、ぁああああ!! たすっ、たすけてぇぇええ!!」
    「あ、暴れないで。落ち着いて、大丈夫。大丈夫だから――」

    ■■■■■

  • 18二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:14:24

    ■■■■■

    四巡目第一席、22本目の蝋燭を消す。

    普段の身体であればこのぐらい語り続けるだなんてこと無いのですが、今の身体では少しばかり厳しいようですね……。

    早くも喉が渇き始めるが、シャーレのオフィスを祭祀場とするにあたり飲食物は全て空にしてある。
    一度怪異に成り果てなければならない関係上、飲食物などを口にして陰鬱な怪談の場を弱めるなんて言語道断。
    そのうえで語り切る。それが必要なのだが――

    ふと腕を見ると傷口が開いていた。
    血が滲んで玉になる。

    痛い――でも耐えられないほどじゃない。
    最後までやり切るんだ。……なんて言ったっけ。初志貫徹? まぁ、いいや。

    「二十三、"アタシ"が夕飯食べようとしたときなんだけど……」

    ■■■■■

  • 19二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:18:18

    ■■■■■

    「こ、ここは……?」
    「ここはタクシーの中だよ。いまシャーレへの帰り道」
    「ッ!!」

    目を覚ますと、そこはタクシーの後部座席で寝かされていた。
    そして隣……というより手前の足を腿の上に載せた先生が、手前の爪先に手を置いている。

    なんで……?

    いや逆なら分かる。膝枕をして、頭を撫でるように手を置いているのなら、先生なんかにされたくは無いけれど、分かる。
    なんで足……?

    困惑と疲労で一瞬呆けて。
    自分の恰好と上がった足と先生の視線の高さでふと気付いて――

    「何見てんですか!?」
    「危なっ!」

    顎を蹴り飛ばそうとした瞬間押さえられる手前の足。

    「な、何を考えてるんですか手前様は!? 手前の何を見るつもりだったんですかぁ!?」

    がばっと起き上がって服の裾を押さえると、先生は「あはは……」と頬を掻く。

    「足と頭を間違えちゃって……」
    「とんだバカな言い訳ありますぅ!? なんです足と頭を間違えるって、頭大丈夫ですかぁ!? ……痛っ」

    と、ここでようやく自分の身体がどうなっているかを思い出した。

  • 20二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:20:34

    そういえば全身傷だらけのボロボロでこんな脆い身体では外もまともに歩けない。

    ――はずなのに、そういえば何故先生は無事に歩けるんですかねぇ?

    そんなことを考えていると先生は心配そうな表情を浮かべていた。

    「怪我? 大丈夫?」
    「はぁ~? それぐらい見れば分かりますよねぇ? というか、何でまだ生きてるんですかぁ?」
    「そこまで!?」

    よほどショックを受けたのか、よよよと泣く先生。
    おや、これは少々胸のすく思いがあるものですねぇ。なんて、小さな悪戯心が湧いてくる。

    「おやおやぁ? 頭と足を間違えるだなんて言って生徒の下着を見ようとする先生が生きていて良いわけないですよねぇ?」
    「……シュロ」
    「……っ!」

    突然声色が変わる先生。たったそれだけで手前は現実に引き戻された。

    今の手前は簡単に死ぬかもしれないほどに脆い。そして先生の力は手前よりも強い。
    いま、手前がこのキヴォトスで最も弱い生き物であるという絶望的な現実は別に消えていないのだ。
    そして、手前の敵である先生は手前を好きなように甚振れる――

    「ご、ごめ……」
    「シュロ、頭と足じゃない。足と頭、だよ」
    「…………」

    思考が一瞬止まる。そして――

    「どっちでもいいでしょうそんなこと!?」

  • 21二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:21:10

    コイツほんとになんなんだッ――!!

    ついでにそう叫びそうになって、いや、というか――
    ……先生ってこんな方でしたでしょうか?

    手前の知っている先生は、手前が丹精込めて作り上げた百花繚乱の風流を木っ端微塵に破壊し尽くした憎々しい敵で、困っている生徒は必ず助ける本当に最高のおバカさん――だったはず。

    ん? こんなマジモンのバカ要素、ありましたっけ?

    足を組みながらそんなことを考えていると、ようやくタクシーが止まった。
    シャーレ前に着いたらしく、先生が座席から降りて反対側の手前の元まで。

    「怪我しているなら背負うよ?」
    「別に要りませんけどぉ? そもそも手前と手前様は敵同士。馴れ合いなんて辞め……ちょ――! どこ触って……。本当にどこ触ってんですかこのくそボケェ!!」

    おおよそ人の持ち方として一、二を争うほどに最悪な持たれ方をした手前は、そのままシャーレの中へと担ぎ込まれていった。

    エントランスからエレベータへ。
    シャーレの清掃員や生徒たちが手前たちを見てぎょっとした表情を浮かべておりましたが、誰もな~んも言ってくれません。
    なんで言わないんですかね? こんな持ち方されてんですよ手前は? いくつかの法に照らし合わせたらなんやかんやで極刑確定なんじゃないんですかねこれ?

    「先生、いま手前がどんな持ち方されてるか分かりますか?」
    「う~ん……?」
    「いま手前がどんな気持ちか、分かりますかねぇ?」
    「ちょっと……難しいかな」

    ――地獄に落ちろ!!

  • 22二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:21:40

    恥辱の限りを尽くされながらも辿り着いたのはシャーレのオフィス。
    確か聞いた当番制だとか言って誰かしらが先生の仕事を手伝っているらしい。しかもその"生徒"の範囲は文字通りキヴォトスの生徒。

    まさかここで手前の面が割れている百鬼夜行の生徒がいることは無い、というか居たら連れて来ないでしょうけれど、それでも手前の悪行が広まってしまうのは今後の活動としてあまり良くない、とも思うわけで……。

    当番の生徒だとか消えたりすれば良いのに……。

    手前の呪いはさておかれて。
    オフィスの扉を開ける前、先生は少しばかり険しい表情を浮かべながら妙な独り言を口にした。

    「念のためなんだけど、私とこの子を守れるようすることって出来るかな? ……ありがとう、二人とも」
    「……こんな破廉恥な状況でいったい誰と話してるんですぅ?」

    煽り混じりに不満を上げると、先生は腑抜けた笑いでこう答えた。

    「この後ちょっと怖いことになるかも知れないけど、絶対安全だから驚かないでね」
    「…………え?」

    不吉な言葉を残した先生は、そうして勢いよくオフィスの扉を開けてこう言い放ちました。

    「待たせてごめんねキキョウ!」
    「――――っ」

  • 23二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:23:54

    これはシュロと怪異が入れ代わったか?

  • 24二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:26:40

    エアプシュロでわらってたけどなんかシリアスが強くなってきてびびってる

  • 25二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:34:02

    先生の言葉に手前は数瞬、意識が止まりました。
    キ、キョウ……? 桐生キキョウ? 百花繚乱紛争調停委員会の桐生キキョウ!?

    「~~~~!!」

    そう気付くか早いか、暴れようとする手前に向けてガチャリと銃を構える桐生キキョウ。
    空いてはいけない箇所に穴が空きかねないほどの災厄が目の前に居る。
    その口から漏れ出るのは、ぞっとしないほどに殺意のこもったまさしく忌み句。呪い殺す呪法の言霊に違いなかった。

    「なに……その黒いの」
    「ま、待ってキキョウ。大丈夫。私は無事だよ」
    「…………だったら、次に私が何を言うかも分かってるよね?」
    「もちろん。だから銃は向けないで。この子は私の生徒で、今は怪我もしてるんだ」

    たったそれだけの言葉で何らかの合意が両者の間で取れたようだった。
    「はぁ……」と溜め息を漏らした桐生キキョウは手前から目を離してオフィスを後にする。

    そしてようやく屈辱的な体勢からオフィスのソファに降ろされた手前は、念願の蹴りを先生に食らわせることが出来たのでした。

    ■■■■■

  • 26二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:34:21

    ■■■■■

    六巡目第三席、38本目の蝋燭を消す。

    席は9席、手前が演じる語り手は7人。
    つまるところ、一巡7本で構成されるこの百物語においては、そのまま進めば唯一の勝ち筋である『第一席で100番目を騙る』ことが出来ない。
    そのために必要なのは『語っているうちに1人増えている』という百物語の定型だった。

    "シュロ"と書かれたコケシの乗った第四席は手前共を消しに来る妨害者のための席。
    わざと空けた第五席こそが"途中から参加する怪異"のための席となる。

    問題は怪異を語れば怪異が寄り付き、怪異と騙れば怪異に近づいていくことだ。
    だから多くは任せきれない。手前様の怪談は最低限に。手前がなるべく騙らなければいけない。

    『三十九』

    部屋の外から聞こえてきた声に安堵して、そして手前はうずくまる。

    息が上手く出来ない。視界が揺らぐ。

    ええ、そうでしょうとも。この百物語は手前を怪異にするための儀式なのですから。
    進めば進むだけ記憶と身体が別の何かに置き換えられていく。

    『あれは私がゲヘナに行った時だったかな』

    まだ、半分は遠い。

    ■■■■■

  • 27二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:40:13

    包帯、消毒液、絆創膏、鏡。
    救急キットを手渡された手前は黙々と自分の傷の手当をしていた。

    「いーーぃ……、し、しみ……」
    「我慢我慢。何があるか分からないからね」

    消毒液なんて今まで縁の無い生活。怪我した部分が灼けるような痛みをぶり返して苦しむ手前。
    そんな手前を見て、先生は自身の顎に触れながらこれまでの要約を語り始める。

    「つまり、自分の偽物が居て襲い掛かってくるけど、その偽物は自治区の中には入れない。あと自分の身体が私ぐらい脆くなってしまった、ってことかな。他には?」
    「いたた……他ですかぁ?」

    鏡を手に取って顔に傷が無いか確認しながら他の変化に思考を巡らせるが、今のところはそのふたつだった。

    「のっぺら坊にもなってませんし他は大丈夫そうですねぇ」
    「……そっか。大変だったね」

    絆創膏を貼り終えて溜め息を吐くと、先生は同情するような表情を浮かべて手前に向かって手を伸ばす。

    そして――的確に手前の両目を指で突いた。

    「目がーーー!!」
    「あ、あぁ、ごめん。悪気はなくて……」
    「悪気も無いのに目つぶしする人いますかねぇ!? やっぱりあの時のこと怒ってますよねぇ!?」
    「そのことについては怒っているよ」
    「……ほぉら」

    そもそもの話。
    手前と先生は敵同士。手前は手前の百物語のために皆が底へ沈めた悪意と憎悪を掻き出す存在。
    そして先生は生徒を守るために奔走するおバカさん。初めから相容れるわけがないのだ。

  • 28二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:43:00

    先生以外には今のシュロは黒い何かにしか見えない状態か
    生徒だけなのか先生以外なのか分からんが

  • 29二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:43:39

    「だいたい、手前のこと助けて良かったんですかぁ? きっと先生は『あのとき助けなければ』なんて後悔することになりますよぉ?」
    「そんな後悔はしない」
    「……ッ!」

    嘘はないのでしょう。本当にそう思っている。
    それが分かるからこそ、苛立ちが募っていく。

    「反射的に言ってませんかぁ? ちゃんと頭で考えてます手前様ぁ?」

    半ば挑発。半ば怒りと困惑。
    先生は生徒を守る。生徒を傷付ける存在は先生の敵。
    そして先生が助けた敵ならば、先生が助けたせいで生徒が傷つく。

    先生の敵という概念の中に先生自身も含まれる歪な入れ子構造に虫唾が走る。
    こんなもの、とんだマッチポンプじゃないか。

    すると先生は「うん」と小さく口を開いた。

    「まずなんだけど、シュロがやったことは怒っているよ。みんなを苦しめたのは悪いことだからね」
    「……は? ここでお説教ですかぁ?」
    「そうだよ。だって、君が百鬼夜行自治区を恐ろしいものに感じたのなら、それは間違いなく君の行いに依るものだから」
    「…………はっ」

    考えたくない。因果応報とでも? バカバカしい。
    反省でもしろって? むかつく。だから聞かない。耳を閉ざす。

    「けどね」

    先生は手を伸ばす。
    まるで肩でも掴もうと自然に伸びたその手は手前の肩……ではなく胸を掴んだ。

  • 30二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:44:07

    先生さぁ……

  • 31二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:44:47

    「……ィん!?」

    ――頭おかしいんじゃないですか!?

    それにも関わらず、先生は至極真面目な顔して、さも胸に触ることは自然であるかのように話を続けてきた。

    「いま起こっていることはシュロが負うべき責任じゃない」
    「自分の言ってることがどれだけおかしいか分かってますぅ!?」
    「シュロから見たらそうかも知れないね」
    「誰から見てもおかしいですよ!!」
    「けど、私は先生だから。その責任は私が負うべきだ」
    「だったら今すぐ辞職した方がいいんじゃないんですかねぇ!?」
    「はは……生きてる限りはちゃんと先生を続けたいかな……」
    「だったらいい加減その手を離せよこのバカ!!」

    そうして、二度目の蹴りが先生に炸裂し、手前は手前で傷の痛みに呻いて押さえて痛み分け。

    ■■■■■

  • 32二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:46:56

    先生にもうまく見えてはいないのかな…?目つぶしするし胸触るし、よく傷の手当てできたね…

  • 33二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:51:50

    ■■■■■

    七巡目第二席、45本目の蝋燭を消す。

    記憶は剥がれ落ち、もはや自分が誰なのかも曖昧になる。

    第一席の"わたし"。
    第二席の"アタシ"。
    第三席の"私"。
    第四席のシュロ。
    第五席の先生。
    第六席の"おいら"。
    第七席の"ぼく様"。
    第八席の"僕"。
    第九席の"我"。

    異なる一人称を用いて巡目を確認するやり方自体は間違いでは無かった。
    けれど、七席から成るアバターは確かに自我を撹拌し続ける。

    気持ちが悪い。反吐が出る。
    でも、もうすぐだ。もうすぐ折り返し地点……。

    「四十六、囲炉裏で暖を取っていた"私"は――」

    ■■■■■

  • 34二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:52:31

    大人と子供で見えるもんが違うか

  • 35二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:58:16

    ■■■■■

    「ん、んん……ふぁ~あ」

    ソファの上で目覚めるとじきに日の沈む黄昏時になっていた。

    いつの間にか掛けられていたタオルケットに気が付いて、「物好きですねぇ」と思わず呟く。

    「調子はどう?」
    「良いと思いますぅ~?」

    ぶっきらぼうに答えながら座り直す。
    とりあえず煽ってみたものの、何時間か眠れたおかげかすっかり調子は良くなっていた。

    「ココアで良い?」
    「毒見されてるものなら飲みますけどぉ~?」
    「あはは……」

    先生はずず、とココアを一口飲んでから手前に渡す。
    受け取って飲むと熱すぎない程度の丁度いい温度で、身体の芯から温まる。

    「お腹空いてない?」

    そう聞かれて、そういえば今日はまだ何も食べていないことも思い出した。
    色々あったせいで考えてなかったけど、そう言われると空腹な気がしてきた。

    「まともな食べ物なら食べてあげてもいいですけどねぇ?」

    先生は苦笑しながら、オフィスに置かれた冷蔵庫からいくつか料理を取り出して電子レンジに入れていく。
    遠目に見えたのは……中華料理だろうか?

  • 36二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:59:02

    「ちょうど作り置きがあってね」

    そう言ってテーブルに置かれたのは質素な炒飯。それと"肉あんかけ炒飯の肉あんの部分"が入った小鉢である。

    「……そういえば、この"あん"だけの部分って名前あるんですかねぇ」
    「うーん……、"中華あん"なんじゃないかな」
    「あぁ……」

    言われてみれば確かに。
    納得して"中華あん"を炒飯にかけると、先ほどまで何の特色も無い炒飯が途端にご馳走に見えてくるのだから面白いもので。
    気付けばレンゲを手に取り、ひとさじ掬う。そして一口。

    「お、おぉ……」

    思わず声が漏れ出た。
    まず香るのは出汁の香り。煮詰められてやわらかくなったレタスが中華あんの仄かな甘みの中で確かな存在感を主張する。
    細切りにされた肉を炒飯と一緒にぎゅっと噛み締めると、異なるいくつかの歯ごたえが口内で踊って飽きさせない。
    しっとりとした炒飯もまた格別で、けれども主張はし過ぎない。かけられた中華あんを引き立たせるよう計算して作られた味!

    ――美味しい。今まで食べたことが無いぐらいに!

    レンゲを持つ手が止まらない。少しばかり無作法になってしまうぐらいには勢いよく食べてしまう。
    出されたウーロン茶を飲んで、また食べて――気付けば皿は空になっていた。

    「はぁ~~、おいしかった!」
    「でしょ? 良かった」
    「え、あ、いや……ち、違いますけどねぇ!?」

    ふん、と鼻を鳴らすと先生はくすくすと笑っている。
    その様子にむっとするけれど、それでもそこまで悪いものではなかった。

  • 37二次元好きの匿名さん24/06/01(土) 23:59:50

    「まぁ……そうですねぇ。頭のおかしい先生にもひとつぐらいは取り柄があったんですねぇ~?」
    「ん? ああ、これは昨日の当番の子が作ってくれたんだ」
    「当番の子?」
    「うん、玄武商会って知ってる? 山海経の」
    「玄武商会……?」

    玄武商会とやらは知らないが、山海経の料理は絶品だと言う噂を耳にしたことはあった。
    それをこの手前に出すということはつまり……。

    「これをもう一度食べたければ山海経には手を出すな、ってことですかぁ? 随分いやらしいですねぇ~?」
    「え? い、いや、別にどこであっても悪事は働いて欲しくないけど……」
    「そ…………うですか」

    どうやら本当に違ったらしくて膨れた腹が少し立つ。
    しばらくすると先生も食べ終えたのか、手を合わせて「ごちそうさま」と口にした。

    「シュロ、おかわりは大丈夫?」
    「いりませんよ。もうお腹いっぱいですし」
    「そっか。喉は乾いてない?」
    「大丈夫ですよ。さっきから何なんですかしつこいですねぇ~」
    「シュロ」

    と、先生の雰囲気が突然変わった。

  • 38二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 07:29:07

    敵意とか悪意じゃない。ただ、大事なことを伝える前のような、そういう空気だ。

    「な……なんですか……?」

    思わず声が上擦る手前。
    先生は鏡を持ってきて、手前の前に置いた。
    鏡面に手前の顔が映る。

    「何が見える?」
    「何……って、手前の顔ですけど……」
    「……何か、おかしなところは無い?」
    「おかしな…………?」

    異様な雰囲気に呑まれて思わずじっと鏡を見る。

    "何もおかしくはない"。それは手前の話。
    問題なのは、"先生はおかしいと思っている"という部分だ。

    こんな怪談がある。
    自覚できない、けれども他者から見た異常の発露。
    それが手前に起こっているなら、その物語の終わりはこうだ。

    ――水を覗いて変わり果てた我が身を知り、かくして山間へと走り去る。
    ――その後、彼の姿を見た者は誰もいなかった。

    ……ロ! シュ……!

  • 39二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 07:29:44

    「シュロ!」

    そして再び突かれる目!

    「目がぁーーー!!」

    思わず目を押さえて我に返ると、「あ、ごめん。ちょっと狙ってみた」と先生の声。

    「目を突く以外にありましたよねぇ!?」
    「行けるかなって……」
    「もういいですけど!」

    と、怒りはするものの、よくよく考えればおかしいことだらけだったのだ。
    あの逆膝枕も、あの最低すぎる人の持ち方も、胸掴み説教も目潰しも、全て先生の性癖がねじ狂っているのだと思ってしまっていたのは手前が冷静でなかったからだろう。
    そうだ。シャーレの先生の性癖がねじ狂っているなんておかしな話ではなかろうか。

    そう考えれば色々を腑に落ちる。だから今、それを聞かなきゃいけない。

  • 40二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 07:30:41

    「……それで、先生には手前の姿がどう見えているんです?」
    「そのことなんだけど、私自身もちゃんと見えてるから怪しいからさ。人を呼んだんだ」
    「人……?」

    丁度その時、先生の携帯にモモトークのメッセージが届く。それを見て「もう着いたみたい」と頷いた。

    「びっくりするかも知れないけど、大丈夫だから安心して」
    「それって……」

    手前の言葉はノックの音で掻き消えた。
    「先生、入るよ」の言葉と共に扉が開く。そこに立っていたのは桐生キキョウと――

    「久しぶり。先生」

    青い羽織に銀の髪。そしてその出で立ちは――

    「な、ナグサ……ちゃん……?」

    怪談殺しの"百連"を握るのは百花繚乱紛争調停委員会の副委員長、御稜ナグサであった。

    ■■■■■

  • 41二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 08:30:32

    このレスは削除されています

  • 42二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 08:32:00

    ■■■■■

    八巡目第三席、54本目の蝋燭を消す。

    自分が誰だったのかなんて、もうほとんど思い出せなくなっていた。
    何が好きで、何が趣味で、何が大切で、何を求めていたのかも、何も分からない。

    夢のように揺らめく視界。揺らいでいるのは視覚か、"私"か。

    「アハハッ! なに面白いことやってるんですぅ~?」

    声に気付いて目と思しき何かを向けると、そこには箭吹シュロが座っていた。
    一体何がそんなに面白いのか、ニタニタと口元に浮かべるのは純然たる悪意の凶相。

    「ええ~とぉ、残りが46本だから55番目かぁ」

    そう、第四席の55番目――
    もはや邪魔立て出来ないタイミングで、"わたし"が100番目の怪談を騙ることはもう変えられない。

    「それってぇ、手前様が最後まで耐えられたらの話ですよねぇ~?」

    箭吹シュロは「ま、いっかぁ」と嘲りながら語り始める。

    「五十五、手前がこれまで見てきたものの中でも、いっそう素敵なものがありましてね……」

    ■■■■■

  • 43二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 09:33:05

    ■■■■■

    今日の当番がキキョウだったのも、きっと何かの縁かも知れないと私は思った。
    だからシュロを見せた後、こうしてすぐにナグサまで話を運ぶことが出来たのだ。
    そしていま――

    「先生、ナグサ先輩連れて来たよ」
    「ありがとうキキョウ」

    私は二人をシュロの向かいのソファに座らせて、私はシュロの隣に座った。
    先に口を開いたのはナグサだ。

    「先生、先に聞くけど……"それ"は先生の、いや……"人"なの?」
    「……ナグサにはどう見える?」

    ナグサは俯き、言っても良いものかと逡巡しているようだった。

    「大丈夫。聞かせた方が多分良いから」
    「…………"百物語(かいだん)"にほとんど成りかけている黒い靄、だね」

    びくり、と隣に"居る"シュロが身を震わせた。
    ――手前が、"百物語"……?

    そんな声が聞こえて来た。

    「ナグサ、この子の声は聞こえたかな」
    「ううん。私には聞こえなかったけど、先生には聞こえるの?」
    「うん、聞こえてる」

    隣に座るシュロは「試しに」と言わんばかりに大声でナグサに挑発的な言葉を叫んでいるけど、やはりナグサにもキキョウにも聞こえてはいないようだ。

  • 44二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 09:34:12

    「キキョウもナグサも黒い靄に見えるってことは、私だけが声を聞けるってことみたいだね」
    「どうして……」

    ナグサの言葉には私も首を傾げるしかない。
    大人だからとか先生だからとか、適当に言うことは出来ても分からないのだからどうしようも無い。

    「それでナグサ、この子を元に戻したいんだけど何か良い案は無いかな」
    「…………何も。そもそもどうしてまだこの状態で留まっていられるのかも私には分からない」

    ナグサは顔に陰を落とすように俯いた。
    その理由を私は知っている。知った上で聞いている。
    そのことに良心が痛まないとは決して言えないが、それでもナグサに私は頼ったのだ。

    「そっか……」
    「けど……、遅らせることは出来るかも」
    「本当……!?」

    「確証は無いけど」と言いながら、ナグサは青い羽織を脱いでテーブルの上に置いた。

    「百花繚乱紛争調停委員会の羽織は魔除けの青羽織。いまの状態が"百物語"に成りかけている途中なら、羽織るだけでも時間稼ぎなら出来ると思う。キキョウ、念のため先生にも羽織を貸してあげて」
    「はい。先生はこっちだよ」

    キキョウの羽織を手渡されて受け取るけれど……何か違いがあるのだろうか?

    「私もナグサ先輩と昔の記録探してみるけど、あんたまで道連れになるのはごめんだからね」
    「二人ともありがとう」

    そうして二人が席を立つ。残ったのは私とシュロだけだ。

  • 45二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:37:08

    「シュロ、とりあえず羽織ってみてくれるかな?」

    黒い靄がテーブルの上の羽織まで伸びていき、宙に浮かんだ。
    ふわりと黒い靄が魔除けの青を羽織ると靄が晴れて、黒で塗りつぶされたシュロの輪郭が浮かび上がる。

    「良かった。とりあえず形だけはやっと見えた」

    ――今まで見えていなかったんですか?

    「あはは……。最初見た時は何だったかと思ったよ」

    ――どうして……手前の名前を呼べたんですか? 人の形ですら無いなら分かるはずが無いのに。

    「う~ん……」

    そう聞かれると確かに困る。だから私は思った通りのことを口にした。

    「なんとなく……かな」

    ――は……?

    「直感だよ。シュロだ、って思ったから声をかけた。なんたって私は先生だからね」

    ――意味が分かりませんよ……。

    「そうだね」

    そう言って私はシュロの手を取る。驚いたように私を見るその仕草もやっと"視えた"。

    「ちゃんと手の感触がある」

  • 46二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:37:35

    ――今まではなかったんですか?

    「うん。持ってる、とか、触ってる、とか。そのことだけは分かるんだけど正直それ以外は何も分かってなくてね」

    黒い靄はまるでシュロを包むサナギのようで、一概に下を触れば足、上を触れば頭というわけでも無かったようだった。
    きっとシュロは、あの繭でドロドロに溶け切っていた。人から怪異へ変態する虫のように。
    心の内でそう呟くと、輪郭のみとなったシュロが口を開いたようだった。

    ――そう……ですか。

    「どうにかできそう?」

    ――今はまだ何とも……。けど、手前は怪談家ですからねぇ? 百花繚乱なんかより遥かに知ってますよぉ。

    「そっか、うん。私も手伝うから」

    ――毒を食らわば皿までってやつですかぁ?

    「私としては蓮の台を半座で分かつって言いたいかな」

    ――手前どもは敵同士でしょうに。はぁ……。

    もはや煽る気力も失くしたのか。
    相変わらず表情は見えないけれど、それでもソファに寝転んだ姿を見てから私は再びデスクへ戻っていった。
    念のためでもやっておくべきことが、少しは見えたから。

  • 47二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:38:51

    ■■■■■

    九巡目第二席、61本目の蝋燭を消す。

    「もう歩くのも覚束ないって感じですねぇ~?」

    火を消して席に着くと、挑発するような声が聞こえた。

    「喉も乾き切って聞くに堪えない声になってますよぉ~? それにほら、手も足もぼろぼろ。原型だって保ててない。ちゃんと鏡見てますかぁ~?」

    辛い。苦しい。何のためにこんなことしているのかすらよく分からない。

    「それにほら、先生だっているんでしょう? だったら手前様が最後まで語り続ける必要なんて無いじゃないですかぁ~」

    そうかも。そうだね。

    「それにまだ60番台に入ったばっか! あと半分も残ってるんですよぉ~? 最後までやるにしたって、1個ぐらい休憩してもいいじゃないですかぁ」

    ああ、なんて甘美な誘惑なのだろう、とそう素直に思ってしまった。
    だってまだ半分もある。じゃあ、ひとつぐらいは……。

  • 48二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:39:45

    『六十二』

    外から声が聞こえた。
    語る怪談はいつか見たどこかの怪談。違う、教えた怪談だ。
    語り終えた瞬間に、風すらないこの部屋の蝋燭が一本、まるで息でも吹きかけられたかのようにふっと消えた。

    『大丈夫だよ。"君"自身の席は代わってあげられないけれど、他なら私が代わってあげられる』
    『だから大丈夫。わたしだって、君ほどじゃないけどちょっとは勉強したんだ。それに君からも教えてもらったからね』

    ひとりだったらただ消えて終わっていたかも知れない。
    けれど、ふたりなら。か細い道かも知れないけれど、僅かでも何かを覆す未来があるのなら――

    『悪いけど、ここからは私たちが相手だ』

    ■■■■■

  • 49二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:40:30

    翌朝、手前が目を開けると向かいのソファで死んだように眠る先生の姿が見えた。
    一瞬なにかちょっかいでもかけてやろうかと考えるものの、しっくり来なかったのですぐ却下。

    うんざりするぐらい良い朝だ。いまの手前の状況以外は、本当に。

    何ともなしに嫌味を吐いていると、コンコン、とオフィスの扉がノックされる。

    ――本当に客人が良く来るんですねこの場所には。

    全く落ち着きやしないと溜め息を吐いてどこか物陰に隠れる。
    今の手前の姿は人の輪郭だけが浮かび上がっているらしく、であれば下手に誰かの目に留まって「幽霊が!」なんて騒がれたら面倒だ。

    「先生、入るよ」

  • 50二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:40:55

    このレスは削除されています

  • 51二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 11:41:49

    ――うわぁ……。

    声と共に扉を開いたのはとんでもなく柄の悪そうに見える女だった。
    私服姿のためどこの生徒なのかも分からないけど、人相からしてどう考えても犯罪者だろう。

    その犯罪者はソファで眠る先生に気付くと先生の方へ歩いて行く。

    「流石に早すぎたか……」

    そう言って先生の寝顔をしばらく眺めたあと、向かいのソファに座ってリュック取り出したヘッドフォンを耳に付けた。
    朝の陽ざしが差し込むオフィス。静寂の中、小さな鼻歌だけがわずかに聞こえてきて――

    ……これ何を見せられてるんですかねぇ?
    どうせあれですよね?
    この後先生が目を覚まして、その女が「起こしちゃったかな」とか言って、先生も「ああ、ごめんごめん」とか言ったりして女が「大丈夫」とか言ったりなんだりでちょっと良い雰囲気になるんですよねぇ?
    そういうありきたりのテンプレート、手前からすれば二流三流なんですよ!

    などと、内心イライラしながら様子を眺めていると先生が目を覚ました。そして、なった。それはもう、うんざりするぐらいに。

    -----

  • 52二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 12:30:41

    タイトルに釣られてきたらすげぇ実力者が面白いの書いてた
    期待

  • 53二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 13:12:38

    >>1の部分のやつ

    凄く面白いですねぇこのスレ

    これ描いてる時にめちゃくちゃ喉が渇き始めてビックリしました

  • 54二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 13:55:21

    久しぶりにとんでもねえモンに出会っちまった……

  • 55二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:31:29

    「来てくれてありがとう、カヨコ。ちょっと相談したいことがあったんだ」
    「相談? 珍しいね、先生からなんて」

    首を傾げるカヨコ。
    本当であればシュロの件が落ち着くまで当番に来てもらうことを遠慮してもらおうと思っていたものの、今日の当番だったカヨコには少しだけ時間をもらうことにした。

    「あくまで例え話で聞いて欲しいんだけど……」

    そして私は色々とぼかしながらも、"百鬼夜行で起こった事件の話"をカヨコにした。
    百物語との遭遇。怪書。そしてそれが覆ったときの話を。
    私が相談したかったのは、"何故あの時あの事件は収束したのか"だった。

    カヨコはじっと私の話を聞き続け、時折何か思案するように視線を揺らす。

    「なるほどね。つまり先生は、その生贄の子が何で立ち直れたのか知りたいわけか」
    「そう言うと……こう、語弊が出そうだけど……」

    立ち直るというのは、言ってしまえば個人が自分の感情に決着をつけるかどうかでしかないから、本人以外に「なんで?」と聞いても分かるわけが無いし、何ならそれは立ち直った人間に対する侮辱だ。

    ただ、確かにあの時の百花繚乱は他ならぬシュロの暗躍で起こらなかったはずの悲劇が起こりかけていた。
    そこに私がいて……何なら私も悲劇の駒のひとつにされていたけれど、それでも、あの舞台の上で私は生徒のために何か成し遂げられたのだろうか?

    そうだ、何もしていない。あれは生徒たちみんなが掴んだ結末だ。私に出来たことはひとつもなかった。

  • 56二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:31:49

    ――それで終わっては困る。

    あの場面は百物語に成りかけた生徒が戻ってこられたという唯一の事象。
    あの再演を果たすことができるなら、シュロを救う手がかりになるかも知れない。

    そう思って第三者の視点からもう一度振りたかったのだが――。

    「多分、だけどさ……」とカヨコが口を開く。

    「先生は"空気"を変えたんだよ」
    「空気?」
    「そう、だって怪談なんでしょ。多分先生の聞きたいことは現実的な話じゃないだろうから、そこは省くけど」

    そうやってカヨコは前置きをして、訥々と語り始めた。

  • 57二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:32:06

    ――
    人の心の奥底なんて誰にも分からないし理解できない。理解できない暗がりは怖い。怖いから怪談になる。
    ほら、怖い何かがお前を見ているぞ、って感じでね。それを人の心としたのがその話なんでしょ?

    けれども先生は、それを大したことの無いものだって一蹴した。
    それってさ、ほら。いわゆる、幽霊の正体見たり、ってことだよ。

    怖いと思って見るから怖いだけで、ちゃんと見れば全然怖くないじゃんって、先生はそう言うことをしたんじゃないの?
    だからその時点でもう、怪談としては破綻してる。

    皆が「ああ、そうか。怖くないんだこれ」って納得しちゃったら、もう話が続かないからね。
    ――

  • 58二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:33:58

    ■■■■■

    十巡目第三席、70本目の蝋燭が消える。

    祭祀場と化したシャーレのオフィスに塗り込められたのは、語れば勝手に蝋燭が消えるという機械的な怪奇現象だった。

    "わたし"が語り、先生が語る。
    語る内容に散りばめるのは"化ける物"のキーワード。繰り返し繰り返し、似たような話を古今東西から引っ張り出しては注釈を添えて指し示す。

    その目的はただひとつ、百物語を語り終えたときに現れる怪異の選定。
    対する箭吹シュロはキーワードの中に不純物を差し込むように怪談を語る。

    「いつまでやるつもりなんですかぁ……? 七十一」

    不純物が増えれば増えるほど、"彼女"が望むべき怪異に成れずに失敗する可能性が高まっていく。
    そこに対するのが、箭吹シュロの語った怪談を更に捻じ曲げる怪談となる。

    ――山に入ると腐敗臭を漂わす山童がいて、奇妙な液体を飲ませてくる。
    ――狸に化けられて殺されかけたジュース屋が山へ逃げ込んだらしい。

    重ねることで関連付けて、全く別の怪談に繋ぎ合わせる。
    この百物語は百編でひとつの物語。だからこそ使える強引な力業に成り得るのだ。

  • 59二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:34:28

    「さっさと諦めてくださいよ。何続けようとしてるんですかぁ?」

    ――部屋の中から怪談が語られる。七十二。

    「どいつもこいつもバカばかり――!! 無駄なことして何が楽しいんですかぁ!?」

    ――部屋の外から怪談が語られる。七十三。

    「聞いてるんですか手前ら!! さっきからぶつくさぶつくさと小賢しいんですよ!」

    ――部屋の中から怪談が語られる。七十四。

    「なんで……なんで止めないんですか……ッ!?」

    ――部屋の外から怪談が語られる。七十五。

    この世のものとは思えない二つの声がこの場に満ちる。
    "最初から紛れていた怪異"と"途中から紛れ込んだ怪異"とそれらが演じる"人間もどき"。
    いまこの場に存在する"人"は箭吹シュロただひとりだった。

    ■■■■■

  • 60二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:43:04

    >>53

    ヤッター!絵心の民!かんしゃぁ!

  • 61二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:43:35

    カヨコとか言う女が帰った後の昼下がり。
    先生が「参考になったかな」とか聞いて来たけど、当然なるわけが無い。

    「何の参考になるって言うんですかぁ~? 聞いて分かったことって、結局手前様が手前の天敵ってことだけじゃないですかぁ~」

    何で負けたかを説明されればそれは腹も立つというもの。
    ソファでぶらぶらと足を振りながら口を尖らせる。

    そもそも百鬼夜行の件は手前が怪書を使って作った舞台であって、今回みたいな出自も由来も分からないような事態に対して一体何ができようか。
    というか、怪談家がやるべきことは聴衆に恐れさせることであって、決して自分が恐れることでは無い!!

    「それに、こんな羽織一枚で時間稼ぎだなんて、一体いつまで持つのやら……」
    「力になれなくてごめんね……」
    「はん……! 別に最初からアテにしてませんのでぇ~!」
    「ごめんよ……」

    おっと? なんだか先生が凄い謝ってきますねぇ?

  • 62二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:44:40

    何だか楽しくなってきて「あはぁ……」と笑みが浮かぶ。

    「そもそも大人だとか先生だとか言っておきながら全然役に立ってないじゃないですかぁ~?」
    「うぅ……」
    「それとも何ですぅ? 先生で口先だけなんですかねぇ? そういえばセクハラしかされてませんし、これじゃあ先生失格で……え、ちょ、なんです? なんで無言で歩いてくるんです?」
    「…………」
    「や、やですねぇ先生ぇ~ちょっとからかっ……あっ」

    後ずさって尻もちをついた手前の足を先生は両脇に抱える。
    これってもしかしてジャイアントスイ――

    「ああーーーー!! ごめんなさいぃぃいい!!」
    「あっはっは! 楽しいなシュロぉ! 楽しいだろう!」
    「ああああーーーー!!」

    振り回され続けて数分。無事床に転がされた手前と息も絶え絶えになっている先生の姿がそこにあった。

  • 63二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:45:38

    ――ではなく!

    「そ、……ふぅ、そもそもですが、あの手前と同じ姿をしたものが何なのかすら検討も付いていないぐらいですからね……。手前や誰かに縁や原因があるなら再演も出来ましょうが、それが分からないから手の出しようがありません……」

    「はぁ……はぁ……。そ、そういえば人に化ける妖怪ってどういうのがいるの?」
    「……そうですねぇ。例えばトモカヅキなんかは人に化けますけど、今回のとは全く別物ですよ」
    「別物っていうのは?」
    「あれは海辺の怪談ですし、そもそも人に化けて、化けた相手を殺そうとする話です。今回は人に化けて、化けられた人が人じゃなくなっていくって話なので全然別物なんですよ」

    いわゆる、怪異と入れ替わってしまう話。
    怪異に乗っ取られるとか殺して成りすますとかなら、確かにそういう怪書もあるにはある。
    けれど、初手から入れ替わるタイプなんて手前は知らない。

    「じゃあ……怪書を使うとか?」
    「使うって……どこにそんなものあるんです? 頭大丈……な、何でもないです近寄らないでください」
    「ほ、ほら、ネットとかにも怖い話はいっぱいあるし……!」
    「あ、の、で、す、ねぇ? そんな新造の怪談ひとつひとつに怪書ぐらいの力があったら今頃キヴォトス中妖怪だらけになりますよ?」
    「そ、そっか……」

    怪書の強さは原型に近ければ近いほど強くなる。
    祖とも言える黄昏の向こう。そこから滲み出た妖怪変化を記した書物が怪書なのだ。

    それもただ手書きで紙に記すだけではない。製造方法は不明だが、黄昏に近づけばおのずと分かるというのが通説である。
    少なくとも、ネットに落ちているような創作怪談なんて雑魚の雑魚。とてもじゃないが話にならない。

    「なので、怪書を作ることも出来ません。黄昏に落ちた作家が直接書き記してこっちに投げ入れてくれるなら分かりませんが、落ちた時点で戻ってこられないんだから証明すらしようも無いんですぅ~」

  • 64二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 15:54:54

    「それなら、怪書の内容を書き起こすのは?」
    「それも無理! 覚えていても"その本が存在した"って事実が残る以上、新しく書き直してもそれはただの模造品。新作には成り……」

    一瞬、何かが脳裏を過ぎった。

    新作にはならない。だから過去の怪書の中身を真似ても怪書にはならない。
    また、怪書の中身を書き換えて創作怪談を作ってもオリジナルから離れるために怪書にはならない。

    ――しっとりとした炒飯もまた格別で、けれども主張はし過ぎない。かけられた中華あんを引き立たせるよう計算して作られた味!

    絶対の法則。その間隙を突いてこの状況を覆す一手は、既に手前の中に――

    「そうでしたか……」

    思いついたそれはあまりに無茶で悪趣味で、こんな状況でも無ければ絶対に考えもしなかったものだった。
    ああ、なんて――胸クソの悪い……!

    「あは……アハハっ!」

    考えただけで笑いが込み上げる。それは手前の百物語を汚す行いそのものだったからだ。

    「何か分かったの!?」
    「……ええ、ええ、手前様。この箭吹シュロ、ようやく気付きました」

    抗ったから気付けたことと、抗わなかった場合の結末は最初からずっと隣り合っていたのだ。

    「アハハッ! 手前が"百物語"になれば良いんですよぉ」

    -----

  • 65二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:01:25

    「どういう、こと……?」

    困惑した先生の声。ええ、そうでしょう。だって戻そうとしている相手が"百物語"に成ろうというのですから。

    ――簡単なことです。だって例え手前が人と入れ替わる"百物語"が出てくる怪書を知らなくとも、実際に手前は遭ったのですから。なら少なくとも黄昏の向こうに"それ"はいるのですから。

    ――手前は抄物として怪書を作りながら"百物語"へ変じる。そして黄昏に落ちてから向こう側で"入れ替わりの怪異"の内容を書き加えます。

    ――このとき【入れ替わりの怪異はかつて怪談家と名乗った生徒が変じたもの】とでも注釈を付ければ手前も"入れ替わりの怪異"として名を連ねられる可能性が……まぁ有り得ないことでは無いぐらいですかね。

    ――そうして完成させて、怪書だけをこちら側に投げ込めば良いのです。

    抄物とはいわゆる既存の文の一部を抜粋して注釈を入れたようなものだ。
    独自解釈など主張の強い注釈を避けて、抜粋した原型を引き立たせるように作る。

    そうすれば、『模造品でもなく原型から離れすぎた創作怪談でも無いもの』として怪書もどきぐらいにはなってくれるかも知れない。
    もちろん"怪書もどき"であるから強い力は持たないものの、いまこの現状が"手前もどき"の発生に依るのだから相性は悪くない。

  • 66二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:02:22

    「……投げ込むって、できるの?」
    「ええ、誰かが黄昏の外から怪書を使って"こちら"と"あちら"を繋いだ場合に限り、ですが」
    「じゃあその間シュロは……」
    「手前は消えて、手前の偽物が"本物"になりましょう。その"本物"が手前の遺した怪書もどきを拾って"入れ替わりの現象"ではなく"入れ替わりの怪異そのもの"として手前を呼び出せば、手前は"入れ替わりの怪異"として戻ってこられます」
    「"入れ替わりの怪異"として?」
    「戻って来られればきっと"本物"と入れ替わるチャンスもありましょう。そこまで自我を保てていればの話ですが」
    「……勝率はあるの?」

    無い。そんなものは最初から無かった。

    いつ時間切れで"百物語"に変じるのかも分からなければ、そもそも怪書の作り方だって「黄昏に近づけば分かる」程度の胡乱な噂の中にしかない。
    黄昏の中から"入れ替わりの怪異"を見つけ出して書き記せるのかも分からないし、書けてもいつ黄昏の外と中が繋がるかも分からなければ、開いたときに上手く怪書を投げ込めるかさえ怪しいところ。

    仮に上手く行ったとしてもそんな不出来な粗悪品に近しい何かを"箭吹シュロ"が使うはずもなく、使ったところでわざわざ"入れ替わりの怪異"そのものを再現させる可能性は皆無に等しい。

    そもそも、そこで出てきた"入れ替わりの怪異"が今ここに立つ消えかけの"箭吹シュロ"である保障すらどこにもない。

    ただ、いずれにしたってこの世界から"箭吹シュロ"が消えるわけでは無い。
    "偽物"が"本物"に成り替わるのだから"手前"が消えてもこの世界から人が減らない。
    まさに怪談。誰も消えていないのに消えた事実だけが独り歩きする新作怪談そのものだ。

    「怪談家が怪談になる――。ほら、なんて皮肉で悪趣味な話でしょう?」
    「シュロ――!」

    先生の手が手前の肩を掴む。

  • 67二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:03:51

    「シュロ、百物語に成って黄昏の中から"入れ替わりの怪異"を書き記せば怪書になるんだよね」
    「仮に書けても戻ってこられませんけどね」
    「戻って来れさえすれば"入れ替わりの怪異"が書かれた怪書を使ってシュロは戻れるんだよね」
    「は……? ま、まぁ……その可能性がある、ぐらいですが……」
    「シュロ」

    じっと、手前の目を見ていた。

    「怪書が完成したら黄昏の中からこっちの"人"と入れ替われるかな」
    「な、何を……何を言ってるんですか!? そんなの……」

    不可能ではない。
    それは例えば、殺された者が私怨で怪異となって殺した者の元に現れるように。
    呪い、約束――つまりは縁が結ばれたのなら黄昏の内から外へとその影響を及ぼすことは――

    「……できるんだねシュロ。じゃあ、やるべきだ」

  • 68二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:04:21

    一瞬、時が止まったような感覚した。
    後から沸々と湧いてくる苛立ち。こいつは何を、何で、何でそこまでしようとする?
    その火に油を注ぐように、先生が言葉を紡いだ。

    「いま起こっていることはシュロが負うべき責任じゃない」
    「自分の言ってることがどれだけおかしいか分かってますぅ!?」
    「シュロから見たらそうかも知れないね」
    「誰から見てもおかしいですよ!!」
    「けど、私は先生だから。その責任は私が負うべきだ」
    「だったら今すぐ辞職した方がいいんじゃないんですかねぇ!?」
    「はは……生きてる限りはちゃんと先生を続けたいかな……」
    「だったらいい加減その手を離せよこのバカ!!」
    「離さない」

    「たとえ死んでも、絶対に見離さないって決めたんだ」

    だから教えて、と先生は言う。
    手前の知る限りの全てを。きっと答えはそこにあるはずなのだから、と。

    さあ、作戦会議を始めよう。

    ■■■■■

  • 69二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:45:00

    このレスは削除されています

  • 70二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:47:31

    ■■■■■

    十四巡目第一席。

    シャーレのオフィス前の扉に、力なくもたれかかる者がいる。
    口から上は判然とせず、闇に覆われており、だらしなく床に垂れた手にはタブレットが零れ落ちていた。
    それは死んでいるかのようにも見え、しかして近づいて見れば息をしていることだけは確かだった。

    「…………」

    ふと、口からうわ言のような言葉が落ちる。

    「あれは、"僕"がシャーレに来る前の話です」

    終わらない螺旋。止まることの無い電車。そこに座る少女の夢。日の暮れなずむ黄昏時の記憶。
    もう一緒には行けないこと。そのことを告げられた"僕"は酷く悲しい気持ちになって、一緒に連れて行って欲しいと……。

    ――まだだ。

    静寂を切り裂いたのは誰かの願いだった。

    ――まだ私の生徒が帰って来ていない。

    そして。

  • 71二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:47:57

    「……ッ!」

    そして私は息を吹き返したかのように目を覚ました。

    「ここ……は……?」

    眩い光に目をしばたたかせて、まず気付いたのは廊下の窓から差し込むのは朝の陽ざし。
    百物語は……シュロは戻れたのか――!?
    まさか黄昏に落ちてそのまま出て来られなかったんじゃ――

    ざわつく胸中を抑えて急いで起き上がり、シャーレのオフィスの扉を開いた。
    その向こうには、一人の少女が私に気付いて微笑んだ。

    「しゅ、シュロ……?」

    『…………ありがとう、先生』

    直後、少女の姿はまるでどこかにでも行くかのように。
    そして、蝋燭の炎のように消えてしまった――

    ■■■■■

  • 72二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:50:38

    怪談とは、妖怪変化に限らず怖さや怪しさに主軸を置いた話の総称である。
    細かく分けるなら「伝え聞いたところによると……」から始まる伝承怪談と「実際に体験した話で……」から始まる実話怪談に区別しても良いのかも知れないが、黄昏より来る怪異にその区別は存在しない。

    人が見ようが見なかろうがそこにある。
    見えずとも語られさえすれば、それは既にここに居るのだ。

    そして怪異にも種類がある。

    一つ、縁を辿って現れる怪異。これは怪異と犠牲者の間に直接の因果関係が存在するものを指す。
    例えばそれは見てしまった。触れてしまった。禁足地に踏み入れた。恨みを買った。約束をしたなど。

    一つ、縁も所縁もなく偶発的に遭遇してしまう怪異。これに至っては何の因果も存在しないものを指す。
    例えば、普段と同じ行動を取っていたのにたまたま遭遇してしまうもの。

    そして、縁も所縁もないが儀式的手順を踏むことで呼び寄せられる怪異。
    何の因果も無い怪異を意図して呼び込むある種の召喚と言ったところか。

    「手前様、百物語と聞いて何を思い浮かべますか?」
    「それは……夜中に何人か集まって怖い話をする方かな」

    本来の意味での百物語もまた、怪異を呼び出す儀式のようなものである。

    ――百物語を語り終えてはならぬ。語れば怪異が寄ってくる。

    だから参加者は九十九で話を止めて朝を待つ。語り切れば怪異が現れて何かをするから。

    また、こんな話もある。
    百物語を語っている最中、人がひとり増えている。円を組んで順番に話しているはずなのに何故か順番がズレている。
    果たしてあれは誰だったのだろう、と。

  • 73二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:53:19

    「つまるところ、百物語を語り終えたら怪異が来るわけではないのです。語り始めれば既に怪異はいるのです」

    別に途中参加なんて縛りは無い。何なら初めから混ざっていてもいいのだ。
    あくまで定められているのは、百物語を語り終えたら怪異に何かされる、という部分。

    「なんかゴングみたいだね」
    「そんな風流に欠けること言うの辞めてくれませんかねぇ~?」

    では、どんな怪異に何をされるのか。

    「語った百物語に沿った何かが来るなんて話もありますけれど、実際はこれと決まっているわけではないんですよねぇ」
    「内容に沿うってことはつまり、こっちからある程度の指定もできるってことだよね」

    そのうえで、発想の逆転である。
    偽シュロを"人間"、真シュロを"怪異"に見立てて行う百物語。

    結局のところ、シュロが"百物語"になる部分は変えない。
    違うとすれば落ちた後、怪書を書き上げた時点で黄昏から縁を通じて外にいる"先生"と入れ替わると言う部分。

    具体的にはこうだ。

    100本の怪談を積み上げて真シュロが"入れ替わりの怪異"そのものに変じ、黄昏へ落ちる。
    その後黄昏に落ちた真シュロが"入れ替わりの怪異"のベースを見つけて怪書を書き上げて、外にいる私と入れ替わる。
    こちらに戻ったシュロが偽シュロと再び入れ替わってシュロが元の身体を取り戻す。
    最後にシュロが外から怪書を使って偽シュロと黄昏に落ちた私を入れ替え、これで全てが元通りという算段だ。

    もちろん書き上げられなければシュロは黄昏に落ちたままだし、書き上げて戻っても私と偽シュロの入れ替わりがどこまで可能なのかも分からない。
    成功率は依然として低い。けれど、完全な運任せよりは目のある戦い。

  • 74二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:55:40

    「人が語るはずの百物語を、ほとんど怪異の手前が人を騙るわけですか」
    「問題は偽シュロが百物語を語る場に居てもらうことなんだけど……」
    「それについては問題ないですねぇ」

    真シュロも偽シュロも、真シュロに人の要素があるうちは現状どちらも怪異なのだ。
    だから怪異の席と"シュロ"の席が存在していれば語るうちに縁を辿って引きずり込める。

    「見立て祭事というものですよ。まぁこれに関しては陰陽部あたりが詳しいでしょうけどぉ」

    あくまで重要なのは真シュロが完全に怪異に変じるのはそのまま100番目を語り切る射程に入ってからでなくてはならない。
    早すぎれば偽シュロが来れず、遅すぎれば真シュロが100番目を語れないまま黄昏に呑まれる。

    他にも問題はある。

    「それにシュロ、100本も怪談を語ったら途中で朝になるんじゃない?」
    「なりませんよぉ~? 場を作ればそれはもう外の時間から切り離されますし、問題はそこまでちゃんと作ったうえで語り切れなかった場合なんですけども」
    「……どうなるの?」

    語り切れていないのだから終わらない。かと言って99本まで語って朝を待てば、この世界に戻れるのは人だけだ。怪異は黄昏に還っていくのだから。
    当然ひとりで語り切るのは不可能だろう。体力も精神力も削られ続け、そのうえシュロがシュロから遠ざかっていく。
    だから、私がいる。

    「舞台はこのオフィスに作ります。先生は部屋の外から参加してください」

    作る舞台は9席の百物語。うち7席に語り手を見立てたコケシを置いて、1席にシュロが座る。残った1席は怪異が入り込みやすくするための入口として9席と成す。

    シュロ自身は"初めから参加していた怪異役"、コケシのひとつを"本物のシュロ"に見立てて場を作る。
    1巡9話になるはずだが、あくまで"本物のシュロ"枠は何も語らずスキップして次に順番を回し続ける。
    つまり、1巡7話で怪談が進むこととなるわけだ。

  • 75二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 17:57:30

    シュロはシュロ以外の参加者を騙りながら場を成立させると同時に、自分の中に残る"シュロ"の要素を排斥して怪異に近づく。ここまでが第一フェーズ。

    その後、偽シュロが"本物のシュロ"として参加を始めたら第二フェーズ。
    "本物のシュロ"も百物語を語るかどうかはその場次第。そこでようやく私が出てくる。

    私は"外から参加し始めた怪異役"で、100番目の手番を怪異と化したシュロに渡せるよう参加したりしなかったりを繰り返して順番を調整する必要がある。
    他にはシュロが体力や何らかの理由で語れなくなったときの代打の役割も兼ねているが、シュロ自身が騙る"初めから参加していた怪異役"だけはシュロ自身にやってもらうほかない。今回の肝は怪異が人を騙る部分にある以上、それだけは手出しできないのだ。

    「100番目を渡すのは多分大丈夫」
    「と言いますと?」
    「実質7席で回すって考えて、このまま行けば十五巡目の100番目が第二席になる。けど……そういえば、偽シュロが来るとしたら大体何番目が終わったあたりになるかな」
    「怪異を騙れば騙るほど手前側が人から遠ざかって行くので……早くても50番目以降になりますかねぇ」

    これはあくまでシュロが50本の怪談を語ったときの推測だろう。
    その間に私が差し込めば差し込むだけ、巡の変動が発生する。

    「だったらそれまでに2本分の怪談を私が語ればいい。その後は偽シュロが語った巡では私が騙らず、偽シュロが語らなかったら私が騙る、で、確実に十四巡目で第一席に100番を回せる」
    「なるほど……腐っても先生というこ……か、感心してるんですよ!? 近づかないでください!!」

  • 76二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:17:44

    そして最後のリスク。
    怪異を語れば怪異が近づき、怪異と騙れば怪異に近づいて行く。
    始めてしまえばもう降りられない。100番目までを騙り切る以外に戻って来られる保証が無くなってしまう。

    シュロは怪異として黄昏に落ちて。
    偽シュロが本物としてその存在をこの世界に刻み付け。
    私は――恐らく百物語が完遂されない以上、人と怪異の中間層で漂い続ける。
    どうなるかは分からないが、決して楽観視できない状態になることは間違いない。

    「手前が失敗して百物語の儀式を完遂できなければ、手前様も黄昏に引きずり込まれます。本当にこれで行くんですね?」
    「もちろん。もし失敗しちゃったら、その時は一緒にお化けの世界で暮らそうか」
    「分かっていましたが、本当に最悪のおバカさんですねぇ……」
    「えーと、ほら。こういうのなんて言ったっけ。毒を食らわば皿まで?」

    私が笑うとシュロは不機嫌そうな、けれどもまんざらでもない表情を浮かべる。

    「……蓮の台を半座で分かつ、ですよ」
    「あははっ! そうだね!」
    「なんですか!? 調子に乗らないでもらえますぅ~!?」

  • 77二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:18:32

    さぁ、やることは決まった。
    ……とその前に、ふと一つだけ気になったことがある。

    「そういえばシュロ、怪書のタイトルも必要だよね」
    「そうですね。ま、そっちについてはもう決めてありますけど」

    シュロは目を閉じて静かに口を開いた。

    ――名は体を表す。すなわち、名前こそが存在そのもの。
    ――であるのなら、"黒いの"と呼ばれたこの身体こそがこの物語に相応しい。

    黒靄纏いし怪談家。
    勝利を意味するは棕櫚と猪。
    百の物語を紡いで綴じて、妖怪変化の類いを定める。
    本物かすめて抄物と成すは我が怪書。

          クロイノヒャッカイショウ
    以てこれを『黒猪百怪抄』とする。

    青く透き通った物語と対を為すかのような、赤く薄暗いひとつの怪談。
    それがシュロと綴る嘘偽りだらけの怪異譚であった。

    ■■■■■

  • 78二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:30:56

    97本の蝋燭が消え、この場に灯されたのは3本の蝋燭の炎だけだった。

    「九十八」

    ただ訥々と怪談を吐き出し続ける怪談家"だった者"の姿がそこにある。
    対面するは唯一の"人"、箭吹シュロ。いや、箭吹シュロに成ったばかりの元怪異。

    「なんで、なんでなんでなんで……!」

    独り哀れにこの百物語を止めようと語り手に向かって銃を撃つ。
    だが、止まることなく話が続く。

    「やっと、やっと成れたのに……! クソっ!クソっ!クソっ!」

    怪談を語る怪談家と怪異と騙る怪異譚。そのどちらも大した違いは無いのだと、"この場所"に来てようやく分かった。
    怪異と成りて怪異を統べる。これがあの方の見ていた景色……!!

    「九十九」

    神秘は裏返り恐怖となる。どちらも恐ろしきものならば、丸めて語るのもまた怪談家の所業と言えよう。
    神に成り損ねた九十九では決して止まらぬ百物語。神へと下る怪異譚。
    妖怪変化が忘れられし神ならば、その全てが我らの同胞。拒絶する理由はどこにもなく、ただ受け入れれば良かったのだ。

    怪談家の怪異はただ、謳うように祝福を寿ぐ。

    ――語りましょう。騙りましょう。忘れ去られた神々の物語を。
    ――その苦痛を掬い上げ、崇高へと至る物語として語り続けましょう。

  • 79二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:37:59

    「なんなんだよ……なんなんだよ手前はァ!!」

    箭吹シュロは今なお変容し続ける怪異に掴みかかろうと立ち上がる。
    だが、神秘を恐怖に染め上げつつある異形の怪談家を止められる存在はここに存在しない。

    そして。

    「百」

    とぷん――

    最後の語りを始めた時、まず感じたのは水の音。
    流れる音。何にも成れずに消えた子供たち。
    まるで絵巻を渡るかのように次々と景色が変わり続ける。
    青春。朱夏。白秋。玄冬。

    数秒ごとに切り替わる季節の中、ただひとつ不変なものがあった。
    山の中に建てられた神社。中でも水子供養と呼ばれる、歴史の底に埋もれた旧文明の存在。
    そこでは多くの子供たちが泣いていた。
    何にも成れず、何も成せずに消えていった何かの残滓。

    これだ。これが"入れ替わりの怪異の正体"――!!

    怪書の作り方は、ここに来た時点で当の"昔"に知っていたことを思い出す。
    焼き切れるほどに鮮明な光景は、その強烈な体験を以て決して風化しない絶対的な人間書籍と成り得るのだと。

    故に思い描く。手前共の作り上げた百物語とここでの記憶。
    最後に追加されたのは【入れ替わり、人に化ける怪異の物語】
    そして手にする『偽書・黒猪百怪抄』。

  • 80二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:38:22

    水子の怪異に近づき見やれば、その瞳の奥に百物語の祭祀場が見えた。
    場面は切り替わり、箱を手にした扉の外の先生の瞳が映し出される。

    ――手前のために、一度死んでください手前様。
    ――もちろん。私は先生だからね。

    命綱と身代わり地蔵。その責務を負った先生の瞳に手前が映る。
    鏡合わせの虚像。その中で自分の姿を見つけた瞬間、途端に意識が浮上した。

    はっ、と目を見開くと、そこはシャーレのオフィスで作られた祭祀場の第一席。
    そして"私"に掴みかかろうとする"箭吹シュロ"の姿。
    彼女の顔を左手で掴んで瞳を覗くと、奥に映るのは"私"の姿。

    「あがっ……!!」

    もがく彼女の瞳の奥の"私"の瞳の奥の"彼女"。
    無限に循環する姿を捉えて『黒猪百怪抄』の頁を開いた。

    「"箭吹シュロ"、"私"の生徒を返してもらうよ」
    「やめろぉおおおお!!」

    そして、全ての景色が入れ替わった。

    ■■■■■

  • 81二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:48:40

    ■■■■■

    「コクリコさまぁ!」

    ガバッと身体を起こして周囲を見ると、朝の陽ざしが目に映った。
    ひどく怖い夢を見た気がする。不安になって寝台から飛び出し、コクリコ様の部屋へ。

    「…………」

    扉を開けようとして、何故だか怖くなった。
    開けてはいけない気がする……。でも何でなのかが分からない。

    立ち尽くし、ぎゅっと服の裾を掴んだ。
    どうしていいのか分からず、ぽろぽろと涙が零れる。

    「う、ぅう……うううううう!!」

    すると、がちゃり、と扉が開いた。
    出てきたのは驚いたような顔をするコクリコ様だった。

    「どうしたんシュロ。何か怖い夢でも見たん?」

  • 82二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:49:01

    「……ぁ、ぁあ……」

    ずっとその言葉が聞きたくて。
    つらくて、こわくて、それでも頑張ったのは、もう一度あなたに逢いたくて――

    「シュロ?」
    「うわぁぁぁあああん!!」

    勢いのあまりコクリコ様に抱き着く。
    コクリコ様は困った様子で、それでもそっと優しく手前の頭を撫でてくれました。

    「ただっ、だだいま戻りまじだぁああああ!!」
    「……ふふ、よほど怖い夢でも見たんやね。大丈夫大丈夫」

    そっと抱きしめながら、背中を叩いてくれるコクリコ様。

    「ほら、何か食べたいものとかある?」
    「あ……」
    「あ?」
    「あんかけ炒飯……」

    何でそれが食べたいと思ったのかは分かりませんでしたが、落ち着いたらきっと思い出せる気がしました。
    怪書と怪異と先生との、極めて不本意な日々のことを。

    --「黒猪百怪備忘録」完--

  • 83二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 18:50:35

    to be continued
    《黄昏と万華鏡の後日談》

    (もうちょっとだけ続くんじゃよ)

  • 84二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:30:35

    《黄昏と万華鏡の後日談》


    見えた景色はシャーレのオフィスではない。
    遥か彼方までどこまでも続く山道。沈まない夕陽。神秘の最奥。
    無限の鳥居が立ち並ぶ"どこでもない"場所だった。

    ――やっぱり、出るべきじゃなかった。

    きっと何かを間違えた。だからここに戻って来た。

    呆けたように立ち尽くす少女が振り返ると、ずっと遠くに街が見える。
    見たことの無い無人の街。ただ電車だけが走り続ける閉じた世界。

    ざわり、ざわり――
    木々が葉を揺らす。西日を遮るその影には無数の何かが蠢いている。

    ――"わたし"はやっぱりここから出られない。

    還らなくては。わたしたちのあるべき世界に。

    "わたし"はそっと歩き始める。あの影の元に還ろう
    そうそっと足を踏み入れて――

    ――影に踏み入れようとしたとき、だれかがそっと"わたし"を光の中へと抱き留めた。

    振り返って見るその人は、今まで見た誰よりもボロボロで、今にも崩れ落ちそうなほどに傷ついていた。
    顔は変なお面で隠されていて全く見えなかったけれど、不思議と怖いとは思わない。

    そして、包帯で巻かれたその両手は何よりも力強くて暖かい、まるで春の日差しのようで……。

  • 85二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:31:34

    "子供は帰る時間だよ"

    お面の向こうから聞こえた声に「うん」と頷くと、街の方からどこか懐かしいメロディが流れてきた。

    "帰る場所はそっちじゃない"

    その手が指し示したのは山下の街並み。
    言われてそうだと思い出す。嘘偽りを騙ったところで、ここには居られないのだということを。

    気付けば足は街の方へと向かっていた。

    「あなたは先生?」

    そう聞くと、その人は少しだけ困ったような仕草をした。

    "……偽物の先生、かな"

    「ふぅん……?」

    よく意味が分からなかったけど、それでも先生には違いないのなら――

  • 86二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:32:00

    「先生さようなら!」

    "さようなら"

    "どうか、元気で"

    その言葉と共に世界が揺らぐ。
    最後の言葉に込められたのはきっと祝福だ。

    歩き続ける度に風景が変わっていく、
    最初に見えたのはどこかの部屋。驚いたような顔をしたその人は何かを呟く。
    けれども、あなたのおかげでこの世界に来られたのなら――

    「…………ありがとう、先生」

    揺蕩う意識がどこかに溶けて、わたしは再び歩き始めた。

    -----

  • 87二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:32:33

    しばらく歩いていると、気付けばここは見知らぬ街。
    どこかしらで爆発やら銃弾が飛び交っている極めて危険な街です。

    そこを走るのは『風紀』と書かれた腕章を付けた人たちで、何かを追っているようです。

    その時でした。

    「おい! 大丈夫か!?」

    声をかけてくれたのは銀髪を二つに結んだ女の人で、この人も腕に『風紀』の腕章をつけています。

    「あー、ちょっと怪我してるな。立てるか? いまここは温泉開発部と交戦中なんだ」

    そう言ってわたしの腕を支えてくれるのですが、それよりも気になったのはその目でした。

    銀鏡のように澄んだ赤い瞳と、その奥に映るわたしの姿……。

    「えっ!!」

    "私"が驚いたような声を出した。
    それもそうだろう。全く同じ姿の人間がいたら"私"だって驚く。
    だからやるべきことはここからすぐに一時撤退……!

    「あ、おい、ちょっと……待てぇ!!」

    ■■■■■

  • 88二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:34:00

    ■■■■■

    シュロがいなくなった後のオフィスは、まるで最初から百物語も何もなかったんじゃないかというぐらいに変わっていなかった。
    いや、強いて言うならナグサたちから借りた二着の青羽織と、表題に『黒猪百怪抄』と記された書物……の焼け焦げた残骸だけ。

    羽織については洗濯してから返したのだけど、何故だかキキョウからの視線が冷たい。
    生乾きにならないようちゃんと洗ったのだけれど、使った洗剤の匂いが嫌だったのだろう。
    今度会ったらどんな洗剤を使っているのか聞いてみるのも良いかも知れない。

    そして黒猪百怪抄の残骸について。あの時語った怪談のほとんどは何故か夢でも見ていたかのようにちゃんと思い出すことが出来ない。
    少なくとも最後の頁に燃え残った【人に化ける怪異の物語】に目を通して、ようやく何があったのか思い出せたぐらいである。

    他にも読めそうな頁は残っていたけれど、確か怪異は怪談に惹かれる――だったか。あまり目を通したい代物ではない。まぁ、読めても備忘録程度のことしか分からないだろうけど。
    これに関しては捨てるのも怖いということで、この残骸をシャーレの金庫で厳重に保管することにした。

    そうそう、シュロはあれから見かけていないものの、そもそも普段から見かけるような生徒ではない。
    無事かどうかは分からないけれど、ただ何となく無事な気がした。本当に何となく。

    ああ、それと――

  • 89二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:34:14

    『先生! 心配したんですよ!』
    『先生。これは"詫び"が必要です』
    「あはは……ごめんね二人とも」

    シッテムの箱から聞こえて来る二人の声。
    あの百物語の間、私の生体反応はキヴォトスから完全に消えてしまっていたらしい。
    というより、存在そのものが消えていたらしく、一応事前に二人には伝えていたもののそれはもう大山鳴動に相応しい状況に陥っていたらしい。

    『今度同じようなことがあったら、キヴォトス全土に緊急アラート出しますからね!』
    「それは……勘弁してほしいかな……」

    無茶は"なるべく"しない、と口に出したかったけれど、今度こそお説教を食らってしまう。
    どうやら私は、あまり真実では無い言葉を吐くのが得意ではないようだ。

  • 90二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:35:19

    そうしてシャーレから出て肩をほぐしながら日光浴をしていると、シャーレの前を通りがかる人物がひとり。

    「先生じゃないか。奇遇だな」
    「この声は――イオリちゃん!!」

    ガッ、と滑り込むようにイオリの足元へ。

    「とりあえず、舐めるけど良い?」
    「良いわけあ――なにしてんだ!!」

    出会いがしらの一舐めをした瞬間、振り下ろされる銃底。たんこぶになるかならないかのギリギリの痛みだ。

    「だってバレンタインのときは良いって……」
    「どれだけ前の話をしてるんだ! というか、本当に舐めだして気持ち悪い通り越してただただ怖かったぞあれ……」

    げんなりと肩を落とすイオリ。その様子を見て、私も思わず嬉しくなる。

    「ねぇ、イオリ」
    「なんだよ先生」
    「キヴォトスはどう?」

    一瞬きょとんとした彼女は、すぐさま満面の笑みを浮かべてこう言った。

    「楽しいね! ありがとな、先生!」

    そうして走り去っていく彼女は万華鏡のように姿を変えて、この街へと溶け込んでいった。

    --「黄昏と万華鏡の後日談」(本当に)完--

  • 91二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:35:29

    わぉ、すげぇ分量だ。完結したらpixivとかにも投稿して良さそう

  • 92二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 19:36:11


    素晴らしいスレだった

  • 93二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 20:58:51

    シュロがとても好きになれる素敵なSSでした。乙乙、ありがとう

  • 94二次元好きの匿名さん24/06/02(日) 21:57:52


    とても楽しめました

  • 95二次元好きの匿名さん24/06/03(月) 00:49:24

    乙乙 面白かった やはりシュロはかわいいな
    水子の怪異ちゃんと先生のやり取りとかシュロの計画の世界観活かした感じとかいっぱいちゅき

  • 96二次元好きの匿名さん24/06/03(月) 00:59:51

    最期のイオリは怪異認識で大丈夫か?

  • 97SS書いた人24/06/03(月) 10:20:16

    >>96

    大丈夫だ、問題ない。


    問題ないが、確かに「”イオリ”」って呼ばせたりとか描写ちょっと変えるなりで確度を上げるべきだった!スマヌ…

    あと「入れ替わりの特性も失われたよー」って部分をもっと分かり易くちゃんと書けてなかったので書き直してぇ……

  • 98二次元好きの匿名さん24/06/03(月) 20:58:49

    >>97

    ならば書き直しては?自分の納得いくように書くとよろしいでしょう

  • 99SS書いた人24/06/04(火) 08:05:10

    >>91

    >>98


    いくつか書き直して昔に作ったまま放置していたpixivに投稿しました!

    正直なところ書き過ぎたな感はあったので、長くなりそうだったら今後はpixivで上げていくかも知れません。

    進行形と完了形と各種記号の使い方が良くないなって気付けたのは大きい……!アザマス!

    #ブルーアーカイブ #箭吹シュロ 黒猪百怪備忘録 - 乃木宮秤の小説 - pixiv暗闇の中、蝋燭を手に立ち上がる。 1つ、2つ、3つ……。部屋の中に置かれた100の蝋燭に火を灯し、円を組むように9つの座布団を置いた。 うち7つの座布団にはコケシを乗せる。その中から1つを手に取り、背中に"シュロ"と文字を書く。 ……準備は出来た。 纏った青羽織を脱ぎ捨てて、空い...www.pixiv.net
  • 100二次元好きの匿名さん24/06/04(火) 19:49:40


    すごい面白かった!

  • 101二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 00:41:10

    お疲れ様です

オススメ

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