【SS】満たされた故に溢れる食欲

  • 1◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 22:55:54

    「トレーナーさんが担当するウマ娘、かなり増えましたよね」
    「おぉ、スペか。……そうだなぁ」

     まだ日も高い昼過ぎ。トゥインクルシリーズ真っ盛りの担当ウマ娘をトレーニングする合間のこと。いつの間にか自分の横に並んだスペシャルウィークが、練習コースを眺めてつぶやいた。今日はオフだったはずだが、どうも様子を見に来てくれたらしい。

    「初期からいるスズカさんやテイオーさん、オグリさん達だけじゃなくて、元気いっぱいお祭り娘のキタさん、まっすぐで優しい委員長のトップロードさん、ティアラ路線に向けてひたむきで、すっごく可愛いラインクラフトさんが来てくれて……そして、なんだか私と似た目をしたシーザリオさんも、契約間近。大所帯ですね」
    「本当にありがたいよな。みんな引く手数多のポテンシャルを持ってるのに、こんな俺の元に来てくれたんだから。それもこれも、頑張ってくれたスペ達のおかげだよ。ありがとうな」
    「えへへ、そんなぁ」

     スペシャルウィークはその手に持ったにんじんを、照れた様子で口に放り込む。
    可愛らしい唇に似合わない速度で、瞬く間に消失した手元のにんじん。かと思えば、彼女はポケットから別の一本を取り出し、また齧り始めた。

    「おいおい。確かにドリームトロフィーリーグのレースはもう少し先だが、少しは気をつけろよ? また太るぞ」
    「もう、トレーナーさん、ひどいです! 乙女なんですからね、私だって」

     食べるのをやめ、こちらに向き直るスペシャルウィーク。おや、意外な反応だ。今までだったら、「食べた分、走れば良いんです!」だとか、その場の食欲を優先した言動が目立ったものだが。
     食の権化の一人だったスペも、成長して普通の女の子らしい感性が身についたんだろうか?
     感慨深いと同時に少し寂しいような。
     ……ああ、いかんいかん、まずは非礼を詫びなければ。

    「すまん、少しデリカシーが――」
    「今日だって、もうあと20本くらいでやめておこうかなって思ってるんですから!」

     それで良いのか乙女。これでちゃんと3食がっつり食べるのだから、流石にカロリーオーバーでは?
     トゥインクルシリーズを走っていた彼女であれば、これくらいはモノの数にも入らないのだろうが、しかし。

    「流石に多過ぎだろう。もう少し抑えなさい」
    「えぇ〜!?」

  • 2◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 22:56:10

     大げさに残念がるスペシャルウィーク。変わらないなぁ、この子は。安心感すら覚える。
     ……待てよ?
     変わらない……その食欲まで維持し続けられるというのは、中々に凄い事なのでは? ウマ娘の中には、ピークを過ぎると食の細くなる子もいる。食べられることも速く走るための才能の一つだ。
     それでいてトレーニングの量も申し分ないし……そう考えると、トゥインクルシリーズ時ほどではないにせよ、この子にはまだまだ伸び代を感じる。ドリームトロフィーリーグでもっともっと、これからも走り続けられるだろう。ああ、そういった意味でも、安心だな。

     そんなことを考えているうちに、気づけば5本目のにんじんを食べきるところだった。本当に凄まじいな。
     ……こう言ってはなんだが、そう言えば彼女はトゥインクルシリーズを退いた頃から、乙女というには少々意地汚いレベルで食への執念が強まったように感じる。「食べるのが好き」と言うだけでは首を傾げたくなるほどに。ふと湧いた疑問。気づけばそれが、口をついて出ていた。

    「何で、そんなにたくさん食べるんだ?」
    「え?」

     きょとんとするスペシャルウィーク。
     しまった。先ほどデリカシーの無さを咎められたばかりじゃないか。これではまた怒られてしまう。
     とは言え、この程度であればスペ側も「食べるのが好きだから」という返しをしやすいはず。
     うむ、まだ持ち直せる。その言葉を聞いたら彼女に頷いて、この話題を切り上げよう。リカバリープラン実行のため、スペの答えを待つ。すると、

    「どうしてだと思いますか?」

    返ってきたのは、意外な言葉だった。

  • 3◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 22:56:39

    「え?」

     今度はこちらが聞き返す番だった。

    「どうしてだと思いますか?」

     同じ言葉を繰り返す彼女。口元は可愛らしく微笑んでいるが、目には言い知れぬ力が籠っているようだった。怒り、悲しみ……どちらでもない、複雑な色。
     ちょうど雲が太陽にかかり、自分たち2人を陰が包む。スペシャルウィークの目から、輝きが消えたように見えた。

    「食べるのが、好きだからなんじゃないのか?」
     彼女の口から聞くはずだった答えを、ようやく喉から絞り出す。
    「それもありますね。でも、それだけじゃありません。ねえ、どうしてだと思いますか?」
     わからない。その言葉すら出てこない。目の前の少女が、知らない表情でくすりと笑った。
     次の瞬間。

    「……なーんて、どうですか、トレーナーさん! シーザリオさんのモノマネです!」

     いつもの彼女が、不意に戻ってきた。

    「ダービー、ジャパンカップ、トレーナーさんといっしょに駆けたトゥインクルシリーズ、本当に楽しかったなぁ。走って、勝って、トレーナーさんとお祝いして、料理も美味しくって」
    「あ、ああ」

     それは間違いない。今だって鮮明に覚えている。特にジャパンカップ、海外勢を抑えて差し切った彼女の姿には心が焦がれるようだった。

    「カッコよかったですよね、私」
     そんなこちらの胸の内を見通したように、彼女が問う。
    「ああ、格好よかったよ」
    「もう、『自分で言うのか』とか、言わないんですか? でも、ありがとうございます。……だから、たくさん食べるとあの頃を思い出すようで、嬉しくて楽しくて、ついつい食べ過ぎちゃうんです」

  • 4◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 22:56:57

     ポリポリと頬を掻きながら笑うスペシャルウィーク。先の言動には驚いたが……そうか、そうだったのか。

    「そんなふうに考えてくれてたのか。ありがとうな」
    「とんでもないですよ! やる気をもらってるのは私の方なんですから!」
    「そうか。でも、食べ過ぎは駄目だぞ? 特にレース前はな」
    「えぇ!? ……わかりましたぁ」

     残念そうにしょげ返る彼女。懐かしいやり取りに、心の中が満たされる気がした。……それにしても。

    「そういえば、“シーザリオのモノマネ”だが、もうやめてくれ。心臓に悪い」
    「あれ、似てませんでした?」
    「オンオフのスイッチ、という面では上手いと思うんだが、似てはいないな」
    「そうですか」

     と言うよりも、真に迫っているようで怖かった、という言葉は、胸のうちにしまっておこう。さて。

    「せっかく来てくれたんだ。今日はオフだったはずだが、走るか、スペ?」
    「はい!」

     スペシャルウィークが元気よく放った言葉が、曇天に吸い込まれていく。いつしか雲は厚く、黒く、すべてを覆うように膨らんでいた。

  • 5◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 22:57:13

    「私、嘘は言っていませんよ」

     コースを駆けるためにトレーナーさんから十分距離を取り、ひとりごちる。

    「食べるのが好きなのは本当です。トゥインクルシリーズを思い出して箸が進んじゃうのも。でも、他にもあるんですよ?」

     位置に付く前に、軽くストレッチ。足首を回して、体をほぐす。

    「トレーナーさんのもとに新しい子達がどんどん集まって、殿堂入りした私はドリームトロフィーリーグに移籍して、トレーナーさんは新しい子ばかりに注目して……でも」

     見ていることを彼に気づかれないように。目線だけを彼に送る。

    「食べてるときだけは、あなたが見てくれるような気がするんです。『いつものスペだ』、『食べ過ぎだから気をつけろ』、『太った分だけ扱いてやるからな』って。だから食べるんです、私」

     視線の先で、ふと、彼がいつもと変わらない信頼の眼差しを向けてくれた。ほら、それだけでまた私の中に欲望が満ちていく。ああ、私の、トレーナーさん。

    「それだけじゃないんですよ? あなたが育てる強いウマ娘達を押しのけて、私があなたのそばに立ち続けるためには、強くなければならない。速くなければならない。そのためには誰よりもトレーニングするだけじゃなく、誰よりも食べなきゃ。ですよね?」

     そう。今はもう日本を代表するウマ娘は他にいる。でも、トレーナーさんの率いるチームの総大将は私。主人公は私。あなたを勝ち取るのは私。
     準備ができた。後はトレーニング集中するだけ。でも、その前にほんの一思案。
     そう言えば私、あなたと一緒にいて、すっかり標準語が身についちゃいました。何年も一緒にいるんですから、当然ですよね。
     ……だから次はお返しに、あなたに私の故郷の方言を染みつけるのはどうでしょう? 何年でも待ちます。いつか一緒に行きましょう、北海道へ。その日がとっても楽しみですね、トレーナーさん。
     逸る気持ちを脚に乗せ、私は雨雲に覆われたコースを駆け出した。

  • 6◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 22:57:37

    以上です
    ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

  • 7二次元好きの匿名さん24/06/04(火) 23:03:36

    しっとりスペだと?
    こんなの僕のデータにないのでしっかり記録しました
    ありがとう

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/04(火) 23:04:15

    国宝に認定すべきだろ

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/04(火) 23:10:15

    今まで因子継承用ばかり育成してたけどちょっと本気で育てたくなってきた

  • 10◆bEKUwu.vpc24/06/04(火) 23:18:56

    >>7

    >>8

    >>9

    コメントありがとうございます

    楽しんで頂けたのなら幸いです


    1期やアプリ第1部以来、ちょっとコミカルな言動の目立つ彼女なので

    そのあたりを絡めながらシリアスに、と思って書いたらこうなりました

  • 11二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 03:46:08

    すき

  • 12二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 03:55:43

    長年の関係でしたたかさと独占力が増したスペちゃんいいね……
    トレーナーの周りからの印象が不明だがそのまま差し切っちゃいそう

  • 13二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 11:24:49

    天気がだんだん悪くなってるのが不穏ですき

  • 14二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 14:24:07

    アプリでももっと正妻ポジのスペが見たいけど、第二部から主役変わったからな
    初期からのアプリアイコンの顔は伊達じゃないところを見せてもらった
    よいSSでした

  • 15二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 14:38:23

    >>11

    あなたの絵、すき

  • 16◆bEKUwu.vpc24/06/05(水) 18:53:53

    >>11

    私も好きです!

    絶妙に陰の差したスペの顔、そして胸の前に合わせた手が、その一見明るく見える表情を超えて彼女の本心を滲ませているようで、とてもエモいです!

    SS作者冥利に尽きます! イラスト、ありがとうございます!


    >>12

    どうでしょうね……もしかしたら皆、気はあるものの、ウマ娘同士だからこそ「でも、私のほうが速いです」が最大の武器になっているのかも知れません

    コメント、ありがとうございます!


    >>13

    天気の描写は、このお話が「ただ明るいままでは終わらない」ことを印象付けたくて取り入れました

    楽しんで頂けたのなら幸いです!

    コメント、ありがとうございます!


    >>14

    ギャグに寄り気味な彼女ですが、ウマ娘の顔ですからね

    やはり、もっとかっこいいシーンがほしいところです

    2部の次章では、それが見られることを期待しています

    コメント、ありがとうございます!


    >>15

    いつもいい絵を描かれますよね

    シーンに応じた温かさ、不穏さ、熱さ、それを描く上での職人のようなこだわりをイラストから感じて「うむ!」と唸ってしまいます

    私も好きです!

    コメント、ありがとうございます!

  • 17二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 22:04:02

    しっとりスペちゃんがみたいなとおもって調べてたらちょうどめちゃくそドンピシャにすげえいいものを見てしまった

  • 18◆bEKUwu.vpc24/06/05(水) 22:52:19

    >>17

    真面目でひたむきな子が見せるしっとり、いいですよね

    初期症状の段階では想い人に感知されないとなおよし

    気づいたときには……

    コメント、ありがとうございます!

  • 19二次元好きの匿名さん24/06/05(水) 22:58:18

    流石初期実装ながら実家紹介ウマ娘

  • 20◆bEKUwu.vpc24/06/05(水) 23:19:44

    >>19

    エンディングであれなら、その先はどうなってしまうのか

    他のウマ娘にも言えることですが、想像しがいがありますよね

    コメント、ありがとうございます!

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