(SS注意)赤ちゃん

  • 1二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:47:00

    「あの教室かな、ヴィブロスが指定した場所は」

     僕──シュヴァルグラン、トレセン学園の片隅にある、今は使われていない教室へと来ていた。
     この一帯はもはや物置のようになっていて、しんと静まり返っている。
     周囲には、少し怖いくらいに人の気配がなく、本当にヴィブロスがいるのかも不安になってくるくらい。

    「本当に、いるんだろうな」

     一人そう呟きながら、僕はスマホを取り出し、LANEの画面を見る。

    『\(・ω・\)シュヴァち!(/・ω・)/ピンチ!』

     ……そんなふざけた文面に、場所の詳細が添えられている。
     正直、既読スルーしてやろうかと真剣に考えた、なんならかなりそっち側に寄っていた。
     ただ、無視する後で面倒なことになるのと────ヴィブロスが助けを求めるのが、珍しかったから。
     ヴィブロスは甘え上手で、何かと要領が良い。
     なんやかんやで大体のことは一人でそつなくこなせるし、結果もそれなりに出してくる。
     ……僕の妹ととは思えないほど、優秀な妹だ。
     それ故に、僕や姉さんに対して甘えることは数あれど、助けを求めることは、あまりなかった。
     だから、文面はアレだったけれど、状況は切迫しているのではないかと思い、来てしまったのである。

    「……一応、いるみたいだね」

     教室の扉の前に立って、耳を少し澄ませる。
     微かではあるけれど物音と、内容はわからないけど、聞き覚えのある声が聞こえて来た。
     ……いや、二人いるのかな、片方はヴィブロスで、もう片方は聞き覚えがあるような、ないような。
     まあいい、とりあえず開けてみればわかることだ、そう考えて、扉を開いた。

  • 2二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:47:13

    「ばーぶ、ちゃー♪」
    「あはっ、ヴィルシーナちゃんいい子でちゅね~♡ あっ、シュヴァち!」

     そして僕は即座に扉を閉めた。

  • 3二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:47:28

     ────僕は疲れているのだろうか。

     そうに違いない、でなければあんな地獄の光景は見えないはずだ。
     大きく深呼吸をして、溢れ出た冷や汗を拭い、眉間を軽く揉み込む。
     一旦、先ほどの光景を整理する。

     まるで幼子のような表情でヴィブロスに抱きかかえられている姉さんの姿。

     以前、なんとなく眺めていたニュースで高齢化社会について語っていた。
     将来的には、年老いた姉の介護を、年老いた妹がしなくてはいけないかもしれないという話。
     もしや先ほどの光景は、そういった日本の闇を表現した、現代アート的なパフォーマンスなのではないだろうか。
     そういう、芸術として考えれば、ギリギリ見れないこともないもしれない光景とも言えなくはないかもしれない。
     僕は大きく深呼吸をして、再び地獄の門を開いた。

    「もーっ! シュヴァちってば、何で扉閉めちゃうのー!?」
    「あー、うー、まーまー? ぱーぱー?」
    「うんうんヴィブロスママだよー? ほら、ヴィルシーナちゃーん? シュヴァちパパだよー?」
    「────やっぱり無理だよコレ!」

     僕は教室に入り込むと、慌てて扉を閉めて、近くの机などでバリケードを作った。
     そこにいたのは、慈愛に満ちた表情を浮かべる、母性に溢れた女神のようなヴィブロス。
     そしてあらゆる理性と尊厳を失ったような、姉さんの姿であった。
     キツい。
     身内のこういう姿を見るのは、かなりキツい、
     すぐに帰りたい気持ちを必死に抑えながら、僕はヴィブロスへと問いかけた。

  • 4二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:47:50

    「…………えっと、これ、どうしたの?」
    「うーん、お姉ちゃんの様子がおかしくて、声をかけてみたら赤ちゃんになっちゃってて」
    「そんな風邪ひいてましたみたいに言われても」
    「それで、一旦人気のない場所に避難して、こうして面倒を見てたんだ」
    「だぁー、やーあー」
    「あー、ヨシヨシ♡ 今大事な話してるから、後で遊んであげるからねー?」

     純粋無垢な瞳でヴィブロスに絡みつく姉さんの姿、それをさらりと受け流すヴィブロス。
     いやあ、ヴィブロスはやっぱりすごいな、こんな状況にも平然と適応できるなんて。
     羨ましいとは全く思わないけれど。
     とりあえず、目の前の光景を何とかするべく、僕は一つの提案をした。

    「……姉さんのトレーナーさんを呼ぼう、今後のことを考えると、そうするべきだろ」

     脳裏に、一人の男性の姿が浮かび上がる。
     姉さんの、トレーナーさん。
     僕も何度か顔を合わせたことがあり、姉さんはもちろん、父さんや母さんからも信頼が厚い。
     とても真面目で、誠実で、優しくて、頼りになる人────まあ僕のトレーナーさんほどではないけど。
     こんな状態の姉さんは、彼に投げ、もとい任せるべきだろう。
     すると、ヴィブロスは少しだけ困ったような笑みを浮かべた。

  • 5二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:48:09

    「確かに、お姉ちゃんのトレーナーさんは頼りになるよね、トレっちほどはないけど」
    「じゃあ」
    「でもね、実はシュヴァちと呼ぶ前に、一度来てもらっているんだ」
    「……そうなのか?」
    「うん、ちょっと話が前後しちゃうんだけど、最初は私一人で呼びかけてて、結構お姉ちゃん、戻って来てたんだよ?」
    「…………戻って来てた?」
    「赤ちゃんから、あ姉ちゃんくらいには」
    「ごめん、専門用語をさも当然のように使いこなさないで欲しいんだけど」
    「人語を使えるくらい回復して、もう大丈夫かなーって思ったところにトレーナーさんが来たんだ────そしたらまた赤ちゃんに戻っちゃった」
    「……ええ」
    「ふふっ、お姉ちゃんもトレーナーさんの前では、どうしても甘えん坊になっちゃうんだね♡」
    「きゃっきゃっ♪」
    「良い話っぽく締めてるけど、それで巻き込まれる方の身にもなって欲しいよな」

     まあ、なんとなく、事情はわかった、出来ればわかりたくなかった。
     結論からいえば、姉さんのトレーナーさんを呼んでも無意味、むしろ悪化するということなのだろう。
     それならば、逆に、天敵ともいえる相手を呼ぶのはどうだろうか。

    「じゃあ、いっそジェンティルドンナさんに来てもらうのは? ちょっと荒療治だけど」
    「んー、ジェンティルさんかあ、最終手段としては考えているけど…………シュヴァちはさ」
    「うん?」
    「もしも今のお姉ちゃんの状況になって、それをキタサンやクラウンさんに見られたら、どう思う?」
    「…………キタさんやクラウンさんに、見られたら」

     頭の中で、シミュレーションを走らせていく。
     僕がヴィブロスの胸の中でばぶばぶ言っているのを、キタさんやクラウンさんに見られるという状況を。

  • 6二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:48:30

    「僕がみんなにこんな恥ずかしくてみっともない醜態を晒したとしたら、3日は部屋から出て来られないだろうし、一週間はまともに顔を合わせられないと思う……そっか、確かジェンティルドンナさんを呼ぶのはやめておいた方が良いかもね」
    「うんうん、私、さりげなーくボロクソに言ってるシュヴァち、嫌いじゃないよ♪」
    「それで、僕を呼び出したってことは、何か考えがあるんだろ?」
    「もっちろん! いい、シュヴァち、お姉ちゃんを元に戻すのは、お姉ちゃんとしての本能を呼び覚ます必要があるのー!」
    「……ごめん、もう少しわかる言葉でお願い」
    「ざっくりと言えばー、私達が赤ちゃんと化しているお姉ちゃんに呼びかけと親愛の言葉を投げ続けることにより、お姉ちゃんの中に眠るお姉ちゃんを覚醒させて、お姉ちゃんの中の赤ちゃんを払拭して、私達のお姉ちゃんに戻せば良いんだよ♪」
    「うん、すごいわかりづらい」
    「……まんまー」
    「えへへ、もうちょっとだからね、ヴィルシーナちゃん♡」

     ……まあ、あれかな。
     子どもの頃に見たヒーローショーみたく、姉さんを呼んだり、声援をかければ良いのかな。
     そう考える僕に何を察したのか、ヴィブロスはにこりと微笑みながら、実演するように姉さんの耳に向けて囁いた。

    「お姉ちゃーん…………だいすき♡」
    「……んっ」

     その瞬間、姉さんの身体がぴくりと震えて、一瞬だけ目に理性が戻った気がした。
     なるほど、確かにその効果は、絶大のようだ。
     となると、一つの疑問が浮かび上がる。

    「これ、ヴィブロス一人で良くない?」
    「うーん、トレーナーさんリセットされた時に耐性がついちゃったみたいで、私一人じゃ赤えちゃんくらいまでが限界で」
    「なるほど……?」

     わかるような、わからないような。
     とにかく、何度も呼びかけていけば、姉さんを元に戻すことが出来るようだ。
     僕はさきほどのヴィブロスと同じように、姉さんの耳に顔を近づけて、言葉を紡いだ。

  • 7二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:48:57

    「姉さん」
    「…………あえ?」
    「あっ、あれ?」

     ちゃんと聞こえるように呼び掛けたはずなのに、姉さんの目からは理性が失われ、こてんを首を傾げてしまう。
     するとヴィブロスが少し怒ったように眉を吊り上げながら、声を荒げた。

    「あっ、シュヴァちー! ちゃんと『お姉ちゃん』って呼びかけなきゃ!」
    「えっ、でも」
    「でもじゃないよ、ほら、また赤ちゃんになっちゃったじゃん、ちゃんと『お姉ちゃん』『大好き』って言わなきゃ!」

     圧をかけてくるヴィブロスに、きょとんとした顔で見つめて来る姉さん。
     ……やるしか、ないのか。
     僕は観念して、ヴィブロスが示したような言葉を発する、発しようとしたのだが。

     ────はっ、恥ずかしい!?

     思えば、お姉ちゃんだなんて、長い間、口に出したことはなかった。
     それをいざ言葉にしようと思うと、気恥ずかしさというか、照れくささが襲ってきてしまう。
     僕は口をぱくぱくとしてから、ちらりと、ヴィブロスを見た。
     ヴィブロスはにんまりと笑みを浮かべながら、囃し立てるように言う。

    「『お姉ちゃん♡』だよ、早くー!」
    「ヴィブロス、やっぱやめようよ、こんなこと……ね?」
    「だめだよー! じゃあこのお姉ちゃん元に戻して甘えられるようにしてよーっ!」

     だったら代案を出せ、というヴィブロスの主張はもっともであった。
     このまま姉さんが元に戻らなければ、僕だって困る。
     意を決して、姉さんを救わんとする僕の背中を、ヴィブロスの声援が後押しする。

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:49:15

    「シュ・ヴァ・ち! シュ・ヴァ・ち!」

     ……いやコレ煽ってるだけだな。
     妙にバクバクと鳴り響く心臓の音を聞きながら、僕は絞り出すように、その言葉を紡いでいく。

    「お……ねえ…………ちゃん」
    「おやおや~? 声が小さいぞ~? シュヴァち、はっきりと、もう一回!」
    「…………お姉、ちゃん」
    「もっともっとー! 生きてるって何だろって問いかけるように、お腹の底から声を出してっ!」
    「……っ! おっ、おおっ、お姉ちゃぁぁあああんっ!」
    「もうひと声ー♪」
    「だいっ、好きだぁぁぁぁぁああああっ!」
    「……──っ!」

     僕がヤケクソ気味に叫ぶと、姉さんは痺れるように身体を痙攣させた。
     そして、純粋無垢だった瞳に、複雑で、けれど美しい光が宿り、目つきに力が籠っていく。
     顔つきもどこか凛々しいものになっていき、やがて姉さんは、すっと立ち上がる。
     軽く身嗜みを整えてから、僕らに対して、柔らかく微笑みを浮かべた。

    「シュヴァル、ヴィブロス、ありがとう……ふふっ、見苦しいところを見せちゃったわね」
    「ホントだよ」

     復活を遂げた姉さんに、僕は思わず正直な気持ちをぶつけてしまった。

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:49:37

    「あの……すいませんトレーナーさん、今日のトレーニング、お休みにしてもらえませんか?」
    「シュヴァルがそう言うなんて珍しいね……なんか、疲れてる?」
    「はい、ちょっと、色々とありまして」
    「そっか まあ、いつも頑張ってるから一日くらい休んでも大丈夫だよ、ゆっくりしな」

     授業を終えて、トレーナー室にて。
     件の出来事ですっかり消耗してしまった僕は、トレーナーさんにお休みを申し出た。
     トレーナーさんは少し驚いたような表情を浮かべたものの、優しく微笑んで、それを認めてくれた。
     ……迷惑かけて、申し訳ないなあ。
     沈んだ心のまま、ぽふんと椅子に腰を落として、ぼーっとしてしまう。
     なんか、甘いもの欲しいな。
     そう考えていると、突然目の前のテーブルの上に、こつんと、白い湯気を立てるマグカップが置かれた。

    「はい、ココア」
    「あっ、ありがとうございます……!」

     僕の心のうちを見透かしたように、トレーナーさんはココアを入れてくれた。
     そして、彼自身のマグカップを持ったまま、僕の隣に座る。
     ふわりと彼の匂いを微かに感じながら、テーブルの上に置かれたマグカップを手に取って、口をつけた。

  • 10二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:50:10

    「……あまい」
    「ちょっと砂糖を入れ過ぎちゃったんだけど、大丈夫だった?」
    「はい……大丈夫です、とっても、美味しいです」

     トレーナーさんは、視線を他所に向けながら、そう問いかけている。
     それは彼が嘘をつくときに、現れる癖。
     きっと、僕の状態を鑑みて、意図的に砂糖多めのココアを淹れてくれたのだろう。
     ココアの温もりと、濃厚な甘さと、トレーナーさんの優しさがじんと染み渡って、思わず息をついてしまう。
     それを聞いて、彼は安心したように僕を見た。

    「そっか、良かった……シュヴァルはさ、いつも一生懸命なんだから、もう少し甘えても良いんだよ?」
    「……甘える」
    「ああ、まあ、ヴィブロスほどじゃないしてもさ」

     トレーナーさんは、苦笑を浮かべながら、そう言った。
     甘える、か。
     僕としては、トレーナーさんにいつも甘えてるつもりなんだけどな。
     不器用で、甘え方が上手ではない僕だと、そうは見えないのだろう。

     ふと、姉さんや、ヴィブロスの姿を思い浮かべる。

     憑き物が落ちたように、どこかすっきりとした姉さんの顔。
     大好きなお姉ちゃんが復活して、とても嬉しそうにしているヴィブロスの顔。
     僕も、あんな感じになれれば。
     気が付けば、僕はトレーナーさんの袖を指先で摘まみ、頭を肩に寄せていた。

  • 11二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:50:25

    「……シュヴァル?」
    「……っ」

     驚いたように、目を丸くするトレーナーさん。
     そして僕は、なけなしの勇気を振り絞って、小さな声で、呟くのであった。

    「……………………ばぶぅ」

     ────僕は二週間ほどトレーナーさんとまともに顔を合わせることが出来なかった。

  • 12二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 11:51:06

    お わ り
    生きてるってなんだろ

  • 13二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 12:10:45

    ごめん、なんて?

  • 14二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 12:25:33

    >まあ僕のトレーナーさんほどではないけど


    ちょっとマウント取るな

  • 15二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 12:26:55

    君、脳内にスーパークリークを飼ってはいないかい?

  • 16二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 12:47:50

    >>14

    なんならヴィブロスも>トレっちほどはないけどとか言ってるし何で姉妹でトレーナーマウントしてるんだコイツら

  • 17二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 13:01:10

    呪いは廻るってこと…!?

  • 18二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 13:06:40

    >>17

    無 茶 苦 茶 に し て く れ な い か

  • 19二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 13:45:19

    ヴィブロスの言語野どうかしてるだろこれ

  • 20二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 18:03:19

    ヴィルシーナの精神状態おかしいよ…(困惑)

  • 21124/06/06(木) 21:56:01

    >>13

    赤ちゃんになったお姉ちゃんと赤ちゃんから赤えちゃんを経てあ姉ちゃんまで引き戻してお姉ちゃんに至らせる話です

    >>14

    本当はヴィルシーナにも言わせたかった・・・

    >>15

    誰の心の中にもママはいるのです

    >>17

    小さな絶望の積み重ねがウマ娘を大人にするんだよね・・・

    >>19

    聡い子だから状況の理解が的確なんでしょう

    >>20

    ちなみに赤ちゃんになった理由は何も考えてません

  • 22二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 21:57:15

    トレーナーがママ適正高かったのかな…
    ママ適性ってなんだよ

  • 23二次元好きの匿名さん24/06/06(木) 23:28:33

    とても素晴らしいです…

  • 24124/06/07(金) 06:02:57

    >>22

    むしろヴィルシーナの赤ちゃん適正が高かったんですね

    >>23

    そう言ってもらえると幸いです

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