ナポレオンが作らせた辞書には不可能の文字があった

  • 1二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 01:23:11

    こういうエピソードちょうだい 真偽は問わない

  • 2二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 01:29:55

    リンカーンはゲティスバーグ演説(「人民の人民による人民のための政治」の一節が有名)で「世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。」と言っていたが周知の通りこの演説はむしろ最も引用される演説となった

  • 3二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 01:33:17

    三十六計逃げるに如かずの三十六計の著者である檀道済は主君からの嫌疑から逃れられず処刑された

  • 4二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:05:33

    弘法筆を選ばずという言葉が広まっているのであるが、実際の空海は筆を選んでいた。榊莫山の著書によると、空海は812年6月7日に嵯峨天皇に狸の毛で作った筆4本を差し出して、毛筆は時と処に応じてよく選ばなければならないというようなことを言っていた。性霊集の第4巻に「筆を奉献する表」という一文があり、ここでは空海自らが唐で学んだ筆についての事柄を筆職人に伝え、それによって作られた筆を天皇に献上したときの文章である。この文章の中に筆の大小や長短などを文字の筆勢に応じて取捨選択するべきであると書かれている
    ソースはwikipedia

  • 5二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:07:26

    モーツァルトの作曲した「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はモーツァルトが作曲した中で最も有名な曲の一つであるが実は作曲に至った動機がまるでわかっておらずいつ初演されたかも不明である

    アイネ・クライネ・ナハトムジーク トン・コープマン


  • 6二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:10:40

    小早川秀秋が日和見したから家康が鉄砲撃ちかけたというのはガセ
    そもそも距離が届かないらしいが、
    仮に届いたとして
    もしそんなことして死人が出たらもう小早川が家康の味方するってのは無理だろうに
    それで敵対されたら家康がただのバカになる

  • 7二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:12:48

    実は孫子の兵法を忠実に実行できていたのは
    武田信玄よりも羽柴秀吉
    「まず自分に有利な状況で攻めろ」をやることが多い

    風林火山はその後に陰と雷があるが、
    そのへんは家来には関係ない心がけ

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:26:55

    平家は富士川の戦いで水鳥の羽音を敵襲と勘違いして撤退したらしいが、

    それだけやる気に欠けていたのかと思ったら

    その後数年平家は持っている


    >この水鳥の羽音に関する各本の異同を一覧にすると以下のようになる。

    『源平盛衰記』…日付なし、平家軍は水鳥の羽音に驚き慌てて逃げ去る。

    『平家物語』…10月23日、平家軍は水鳥の羽音に驚き慌てて逃げ去る。

    『山槐記』…10月19日、平家軍は水鳥の羽音に驚き、自ら陣営に火を放って撤退した。

    『吾妻鏡』…10月20日、平家の諸将は包囲されるのを恐れていたところに水鳥の羽音がしたので撤退した。

    『玉葉』…10月18日、羽音の記述はない。開戦前に平家側数百騎の兵が源氏に逃亡したため平家は撤退をした。

    『吉記』…日付不明、羽音の記述はない。敵の軍勢が多いのをみて撤退した。撤退時に敵からの放火と疑われる火災が起こり、それにより混乱があった。

    まあこういうのって負けた側みっともなく描かれがちよね

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:29:35

    ニュートンが方程式を知った時 「便利過ぎてずるい」と感動した
    そして後の論文は運動方程式など色々な力学を体系化したものである

  • 10二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 02:35:42

    中央アジアの覇者であるティムールの棺には「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」と言う言葉が刻まれており、1941年にソ連がティムールの棺を調査したその2日後にドイツによる侵攻が行われた。翌年1942年にソ連はイスラム式の丁重な葬礼でティムールを再埋葬した。

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