昭和に活躍した騎手を96人調べてみた

  • 1二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:34:40

    3つの分類に分けて簡潔に紹介してみる

  • 2二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:37:30

    渋い活躍した騎手・時代を彩った騎手・頂点で争った騎手
     
     
    阿部正太郎 
    (13年生まれ 33年〜57年)
    2373戦431勝 重賞11勝 G1級4勝 
    主な騎乗馬 クモハタ ブランドソール グランドライト キヨフジ チエリオ

    33年デビュー。
    2年目には20勝を挙げその後も安定成績で活躍。
    39年にはクモハタでダービーを制しダービージョッキーに、同年は自己最多の40勝を挙げた。
    41年にはブランドソールで桜花賞優勝。
    43年にはグランドソウルで春天を優勝と、一線級の騎手として活躍。
    戦後も活躍を続け、51年にはキヨフジでオークス制覇。
    53年からはチエリオとのコンビで重賞5勝を挙げた。
    56年にレース中の落馬事故で重傷を負い引退。
    引退後は調教師になり、門下生として加賀武見や法理弘などを育てた。

  • 3二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:39:57

    佐藤勇 (18年生まれ 33年〜56年)
    2560戦578勝 重賞10勝 G1級3勝 
    ハヤタケ ミスセフト レダ

    33年に15歳でデビュー。
    4年目に二桁勝利を挙げると、39年には57勝、40年には自己最多の62勝と一気に台頭。
    42年にはハヤタケで菊花賞を優勝。43年にはミスセフトで桜花賞を制した。
    しかし同年夏以降は戦争に招集され離脱、終戦後はシベリアに抑留され苦難の時期を送る。
    49年に帰国して騎手復帰し、翌50年には48勝を挙げ復活。
    翌年以降も5年間で250勝近く勝ち星を重ね、牝馬のレダでの春天優勝やワカクサ、ヤサカなどの名馬とのコンビで活躍、トップジョッキーとしての地位を確立した。
    54年には日本騎手初の500勝を達成。
    減量苦もあり56年に引退。
    引退後は調教師となりヒカルポーラ、シルバーランド、オペックホースなど幾多の名馬を輩出。
    門下生としても高橋成忠や清水英次を育てた。
    90年には調教師として1000勝を達成。

  • 4二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:42:31

    岩下密政(14年生まれ 34年〜59年)
    1854戦288勝 重賞9勝 G1級6勝 
    トキノチカラ トキノミノル ゴールデンウェーブ ヒロイチ

    34年騎手デビュー。
    4年目に二桁勝利を挙げると徐々に台頭。
    40年にはトキノチカラで春天を制し重賞初制覇を八大競走で達成。
    同年は自己最多の35勝を挙げた。
    その後は戦中戦後の混乱もあり不振の成績が続いたが、50年からコンビを組んだトキノミノルで朝日杯、皐月賞、ダービーと優勝。
    54年ダービーでは低人気のゴールデンウエーブでダイナナホウシユウやタカオーを下し優勝。
    55年にはヒロイチでオークスを制した。
    59年に騎手を引退。引退後は調教師となったが、72年に交通事故に遭い58歳で死去。
    トキノミノルの主戦騎手として知られる。

  • 5二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:44:30

    高橋英夫(19年生まれ 37年〜68年)
    5880戦937勝 重賞24勝 G1級3勝 
    キングナイト フエアーウイン

    37年にデビュー。
    41年に初の二桁勝利を達成。
    戦後以降は20勝以上の成績を続け、49年にはキングナイトでオークスを制し八大競走制覇。
    50年以降はトップジョッキーとしての地位を確立し、55年は82勝、56年は87勝を挙げ2年連続で全国リーディング1位に。
    57年には自己最多の98勝。
    翌年以降は騎乗数の減少により勝ち星は減ったが活躍は続け、62年にはフエアーウインでダービーを制しダービージョッキーの栄誉に輝いた。
    68年引退。
    引退後は調教師としてダイナカールなどを輩出した。
    戦後を代表する名騎手の一人で、岡部幸雄が最も尊敬するホースマンとしても知られる。

  • 6二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:46:26

    渡辺正人(16年生まれ 33年〜63年)
    2547戦439勝 重賞19勝 G1級5勝 
    コマミノル ミツハタ タイセイホープ ウイルデイール コダマ

    33年にデビュー。
    4年目の36年に26勝を挙げ、その後5年連続で二桁勝利を達成。
    しかし41年から戦争に招集され離脱、46年に復帰したが戦後の混乱期もあり成績不振が続く。
    しかし50年にコマミノルでオークスを制し八大競走初制覇を果たすと、52年にはミツハタで春天を制するなど49勝を挙げ一気に台頭。
    その後40代を過ぎても活躍を続け、58年にタイセイホープで皐月賞優勝。
    翌59年もウイルデイールで皐月賞を制し、更に翌60年も代打騎乗したコダマで皐月賞を優勝と、皐月賞3連覇を達成。
    騎乗数が減りながらも成績を残し、63年に騎手引退。
    騎手としては初めての引退式が開催された。
    引退後は競馬解説者、評論家として活躍した。
    皐月賞3連覇の偉業を達成した騎手として歴史に名を残している。

  • 7二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:48:41

    上田三千夫(26年生まれ 43年〜66年)
    3838戦551勝 重賞21勝 G1級5勝 
    ダイナナホウシユウ ホウシユウクイン サチホマレ

    43年にデビューし10勝を挙げたが、戦中の混乱もあり一時騎手を廃業。
    46年に騎手復帰し、50年には34勝、51年にはサチホマレで重賞初制覇を果たすなど自己最多の69勝を挙げ、全国リーディング1位に輝くなど一気に台頭。
    53年からコンビを組んだダイナナホウシユウでは皐月賞、菊花賞、秋天と八大競走3勝を挙げた。
    54年も68勝を挙げ全国リーディング2位にランクインし、58年にはホウシユウクインで桜花賞を制するなど活躍を続けた。
    60年以後は徐々に成績が下降し、66年に引退。
    引退後は調教師となった。
    ダイナナホウシユウの主戦騎手として知られる。

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:51:09

    栗田勝(32年生まれ 51年〜71年)
    4255戦766勝 重賞52勝 G1級11勝 
    ミスオンワード シユンエイ コダマ シンザン ダイコータ

    51年デビューし、54年に27勝、55年に重賞初制覇を含む37勝と台頭。
    55年からコンビを組んだミスオンワードとは無敗で桜花賞、オークスを優勝。
    58年にはアラブ馬シュンエイでアラブ重賞3勝。
    59年からはコダマとのコンビで阪神3歳S、ダービー、宝塚を優勝。
    そして63年からコンビを組んだシンザンとは牡馬三冠と秋天を優勝。
    64年にはダイコータとのコンビで菊花賞など重賞5勝を挙げた。
    その後も68年に65勝を挙げるなど一線級の活躍を続けたが、減量苦もあり71年に引退。
    引退後は調教師となったが、80年に肝硬変の為急死。享年47歳。
    ミスオンワード、シュンエイ、コダマ、シンザン、ダイコータと数々の歴史的名馬の主戦をとった名騎手で、現在でも知名度の高い騎手。

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:51:41

    田中和一郎厩舎って地味にヤバいのな
    小西喜蔵・阿部正太郎・岩下密政の3人が所属してたとかしゅごい(小並)

  • 10二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:52:41

    杉村一馬(32年生まれ 48年〜68年)
    3403戦381勝 重賞8勝 G1級3勝 
    クモワカ ジツホマレ トキノキロク ワカクモ

    48年デビュー。
    51年には二桁勝利を挙げ、クモワカで桜花賞2着に入り注目される。
    翌52年には自己最多の37勝を挙げ、53年にはジツホマレでオークスを制し重賞初制覇を八大競走で飾るなど台頭。
    その後は騎乗数や勝利数が落ち込んだが、60年にはトキノキロクで桜花賞を優勝。
    66年にはクモワカの仔ワカクモで桜花賞を優勝した。
    68年引退。

  • 11二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:54:14

    小野定夫(33年生まれ 55〜69年)
    2342戦334勝 重賞10勝 
    ヒシマサル(初代) ヒシマサヒデ ヒシヤクシン

    55年に騎手デビュー。
    初年度から31勝を挙げ、その後も全国リーディング10位台の成績を数年に渡って続けるなど活躍。
    58〜59年にかけては初代ヒシマサルで重賞4勝を挙げる。
    61年以降フリーとなってからは乗鞍が減少したが成績は落とさず、66年以降はヒシマサルの産駒であるヒシマサヒデやヒシヤクインで重賞勝利を重ねる。
    しかし69年夏、レース中の落馬事故により急逝した。享年35歳。

  • 12二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:56:17

    宮本悳(30年生まれ 51年〜71年)
    3111戦388勝 重賞24勝 G1級5勝 
    リユウライト リユウフオーレル リユウフアーロス タニノハローモア

    51年に騎手デビュー。
    デビューからしばらくは重賞勝利もなく勝ち星も一桁台と鳴かず飛ばずだったが、58年以降騎乗機会が増えると59年に重賞初勝利を含む27勝。
    60年にはリユウライトで阪神3歳Sを優勝するなど28勝、61年には37勝を挙げる活躍で一気に台頭。
    61年以降はリユウフオーレルとコンビを組み、宝塚記念・秋天・有馬などを優勝する活躍。
    66年以降はリユウファーロスで重賞4勝を挙げ、68年にはタニノハローモアでダービーを制しダービージョッキーの栄誉に輝く。
    71年に騎手引退。
    30代を超えてから活躍した。

  • 13二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 13:58:49

    松本善登(33年生まれ 55年〜81年)
    3554戦467勝 重賞27勝 G1級4勝 主な騎乗馬 
    コウタロー シンザン ショウフウミドリ カツラノハイセイコ コウイチサブロウ

    55年に騎手デビュー。
    58に重賞初勝利を挙げ、62年にはコウタローで阪神3歳Sを優勝する一方、62年と63年にはサチフジで京都大障害を制するなど、しばらくは平地と障害双方のレースに出ていた。
    64年にオンワードセカンドの主戦騎手となって以降は平地に専念し、65年有馬記念では引退レースだったシンザンに代打騎乗し優勝。
    その後はいぶし銀と呼ばれる渋い活躍を続け、72年にはショウフウミドリで宝塚を優勝。
    76年からはコウイチサブロウとのコンビで重賞3勝。
    そして79年にはカツラノハイセイコでダービーを制覇。
    当時の最高齢でのダービージョッキーとなる。
    しかしその後肺癌に冒され、現役のまま81年12月に病歿した。享年48歳。
    シンザンの引退レースでの外ラチ沿いの名騎乗は有名。

  • 14二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:00:53

    古山良司(26年生まれ 50年〜70年)
    4409戦619勝 重賞24勝 G1級6勝 
    タカオー コマツヒカリ ヤマノオー ヒロヨシ タケシバオー

    50年に騎手デビュー。
    2年目には重賞初制覇を果たすなど早くから台頭し、53〜55年にかけてはタカオーで春天を制するなど150勝を挙げる大活躍、全国リーディングでも5位以内に入るなどトップジョッキーの一人に。
    59年にはコマツヒカリでダービーを制しダービージョッキーの栄誉に輝くなど絶頂を極めた。
    その後は酒の飲み過ぎでの素行不良などがたたって干される時期が続き低迷期に陥るが、62年にはヤマノオーで皐月賞制覇し復活。
    66年にはヒロヨシでオークスを優勝。
    そして69年にはタケシバオーとのコンビで春天優勝など重賞3勝の活躍を残した。
    70年に騎手引退。

  • 15二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:03:10

    宇田明彦(31年生まれ 50年〜72年)
    1617戦202勝 重賞14勝 G1級2勝 
    ダテホーライ ダテテンリュウ

    50年に騎手デビュー。
    デビュー後8年はなかなか騎乗機会に恵まれなかったが、所属厩舎を変えた59年から騎乗機会が急増。
    同年に初重賞制覇を含む30勝を挙げて台頭。
    以後もコンスタントに活躍を残し、68年以降はダテホーライとのコンビで宝塚記念含む重賞6勝を挙げる。
    70年にはダテテンリュウとのコンビで菊花賞を制覇し八大競走制覇。
    72年に引退。
    引退後は調教師としても活躍した。
    南井克巳が最も心酔した人物。

  • 16二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:03:54

    >>11

    この人が亡くなってフリー騎手が横山富雄しかいなかった時期が次のフリー騎手誕生まで結構長かったんだよな

  • 17二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:05:09

    (森安重勝(37年生まれ 57年〜81年)
    3678戦543勝 重賞26勝 G1級6勝 
    コレヒサ メイズイ ワイルドモア シャダイターキン シュピック

    兄は騎手の森安弘明。
    57年デビュー。4年目の60年に重賞初制覇含む40勝を挙げ台頭。
    63年にはコレヒサで春天を制し八大競走初制覇。
    同年はメイズイで皐月賞とダービーの二冠を制覇。
    64年には交通事故を起こした影響で不振に終わるが65年以降は復調。
    69年はワイルドモアで皐月賞、シャダイターキンでオークスを優勝。
    翌70年もシュピックでオークスを制した。
    70年代中盤以降は糖尿病に苦しみ、騎乗回数が減ったこともあり81年に引退。
    引退から僅か3年後にガンの為病歿。享年46歳。
    メイズイの主戦騎手として(というか菊花賞での暴走騎乗で)有名だが、他にも大きな実績を挙げた騎手。

  • 18二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:07:59

    伊藤(勝尾)竹男(33年生まれ 51年〜69年)
    3071戦471勝 重賞34勝 G1級10勝 
    キタノオー ダイゴホマレ ガーネツト カネツセーキ アイテイオー ニットエイト ウメノチカラ

    51年デビュー。
    5年目の55年にキタノイヅミで中山大障害春を制し重賞初制覇。
    同年はキタノオーで朝日杯を制すなど40勝を挙げ台頭。
    翌56年にもキタノオーで菊花賞を制し八大競走初制覇、翌57年には同馬で春天も制した。
    翌58年にはダイゴホマレでダービーを制しダービージョッキーに輝き、翌59年には牝馬ガーネツトで秋天と有馬を制するなど、大舞台で活躍を続ける。
    その後も60年にはキタノオーザで菊花賞制覇、61年にはカネツセーキで無敗の朝日杯制覇。
    63年にはアイテイオーでオークス制覇。
    64年には自己最多の71勝を挙げ、ウメノチカラでシンザンと牡馬三冠で激闘。
    その後は落馬事故の負傷などの影響で騎乗数が減りしばらく活躍はなかったが、67年菊花賞では人気薄のニットエイトをテン乗りで優勝させて大舞台での強さを見せた。
    減量苦もあり68年以後は騎乗せず引退、引退後は調教師になった。
    「勝負師」と称されるほど大舞台で強く、八大競走で8勝を挙げた。

  • 19二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:10:03

    横山富雄(40年生まれ 61年〜83年)
    4192戦529勝 重賞30勝 G1級7勝 
    フジノオー フジノホマレ メジロタイヨウ メジロムサシ ニットウチドリ キクノオー ファイブホープ

    61年デビュー。
    デビューからしばらくh平地よりも障害で成績を残し、63年からコンビを組んだフジノオーで中山大障害を4度優勝する快挙を達成する。
    68年にはフジノホマレでも中山大障害を制するが、69年には平地でメジロタイヨウで秋天を制し八大競走初制覇。
    71年からは平地に専念し、同年はメジロムサシで春天&宝塚を優勝。
    73年にはニットウチドリとのコンビで桜花賞&ビクトリアCを優勝。
    75年にはキクノオーとのコンビで重賞4勝を挙げ、78年にはファイブホープでオークスを制するなど活躍した。
    それ以後は大競走制覇はなかったがメジロファントムやメジロトランザムとのコンビで大競走を沸かせた。
    83年引退。
    引退後は調教助手となった。
    息子に横山典弘、孫に横山和生、横山武史、菊沢一樹がいる。

  • 20二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:12:16

    久保敏文(43年生まれ 63年〜94年)
    4687戦562勝 重賞32勝 G1級3勝
    マーチス ヒデコトブキ リュウキコウ ホクトボーイ

    63年騎手デビュー。
    1年目から二桁勝利を続けるなど堅実な活躍を見せ、68年からはマーチスで重賞4勝、69年にはヒデコトブキで桜花賞制覇を果たすなど台頭。
    その後も一流のジョッキーとして存在感を見せ続け、75年からはホクトボーイとのコンビで秋天優勝含む重賞4勝の活躍、リュウキコウとのコンビでも阪神3歳S優勝含む重賞4勝を挙げた。
    クラシックでは勝てなかったが78年ダービーでは人気薄のアグネスホープで2着、82年菊花賞ではこれも人気薄のマサヒコボーイで3着に入った。
    80年代終盤以降は若手の台頭などで騎乗回数も減り、94年に騎手引退。
    その後は競馬界には残らず実業家となり成功、99年には元騎手としては非常に珍しい馬主資格を取得した。
    70年代の関西を代表する騎手の一人。

  • 21二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:13:22

    佐々木昭次(38年生まれ 62年〜88年)
    3835戦379勝 重賞10勝 G1級2勝
    エイトクラウン ナオキ クラウンピラード

    62年騎手デビュー。
    2年目以降は二桁勝利を続け、64年にはエイトクラウンで阪神3歳Sを制し重賞初制覇。
    その後は目立つ活躍はないものの、68〜70年にかけて3年連続30勝以上するなど成績を残し続ける。
    そして71年からはエイトクラウンの仔であるナオキとコンビを組み、宝塚記念優勝(史上唯一の母仔宝塚記念制覇)含む重賞5勝の活躍を見せる。
    また同じエイトクラウンの仔で75年からコンビを組んだクラウンピラードとは重賞制覇こそなかったが、春秋天皇賞で2着に好走するなど重賞戦線で活躍した。
    78年以降は騎乗回数が減ったこともあって二桁勝利はなく、88年引退。

  • 22二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:14:13

    矢野一博(36年生まれ 55年〜77年)
    2601戦325勝 重賞12勝 G1級1勝
    メジロボサツ メジロアサマ

    55年騎手デビュー。2年目には20勝を挙げる活躍を残し、5年目以降は二桁勝利を続ける。
    堅実な成績を残しながらも重賞とは中々縁がなかったが、65年にメジロボサツで朝日杯を制し重賞初制覇。
    同馬とは重賞3勝を挙げた。
    66年にはメジロフレームでスプリングSを制すなど自己最多の34勝。
    その後も70年にはメジロアサマで安田記念を優勝、イナボレスで重賞2勝を挙げるなど活躍を残し、77年に騎手引退。

  • 23二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:16:01

    高橋成忠(40年生まれ 59年〜77年)
    5176戦749勝 重賞34勝 G1級6勝 
    ヒカルポーラ リキエイカン タマミ シルバーランド スカイリーダ

    59年にデビュー。
    1年目から重賞初制覇を含む二桁勝利を挙げる。
    その後も徐々に成績を上げ、64年にはヒカルポーラで春天と宝塚を優勝。
    66年には62勝を挙げ全国リーディング3位につけ、翌67年にはシーエースで桜花賞を制するなど84勝を挙げ全国リーディング1位に輝きトップジョッキーの一人に。
    その後70年まで5年連続でリーディング4位以内に入る勝ち星を挙げた。
    また70年にはタマミで桜花賞を、リキエイカンで春天を優勝と大舞台でも活躍。
    70年代以降は騎乗数や勝ち星が減少したが、シルバーランドとのコンビで4勝、スカイリーダとのコンビで重賞3勝を挙げるなど存在感を見せた。
    調教師免許取得に伴い77年に引退。
    調教師としてはケイエスミラクルなどの活躍馬を輩出。
    派手な活躍はないが60〜70年代のトップジョッキーの一人。

  • 24二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:18:01

    徳吉一己(41年生まれ 58年〜93年)
    4994戦536勝 重賞14勝
    ヤマブキオー

    58年騎手デビュー。
    2年目からは4年連続で二桁勝利。
    その後数年低迷したが67年に重賞初制覇、68年にはメジロタイヨウで重賞制覇を果たすなど復調。
    派手な活躍はなかったが職人芸と呼ばれる騎乗で安定した成績を残し、67年以降は14年連続で二桁勝利を記録。
    73年からコンビを組んだヤマブキオーとは重賞3勝を挙げた。
    81年は一桁勝利に終わったが翌82年は自己最多の30勝を挙げ復活。
    その後も二桁勝利を7回記録するなど最晩年まで渋く存在感を見せた。
    93年騎手引退。
    引退後は競馬学校の教官として活躍した。
    なお引退レースでは1位入線しながら降着処分となった。

  • 25二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:20:14

    久保田秀次郎(44年生まれ 63年〜68年) 
    253戦48勝 重賞3勝 G1級1勝 
    フラワーウツド カブトシロー

    63年に騎手デビュー。
    2年目以降は騎乗数が少ないながらも好成績を残し、64年にはフラワーウツドで重賞初制覇。
    66年からはカブトシローとコンビを組み活躍、67年には同馬で秋天を制し八大競走初制覇。
    しかしその後調教中の落馬で負傷し、怪我の後遺症の為68年以後は騎乗なく引退。
    騎乗回数が少ないながらかなりの好成績を残しており、通算連対率は3割5分超え、複勝率は5割を超えている。

  • 26二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:23:35

    簗田善則(52年生まれ 63年〜80年)
    3315戦371勝 重賞16勝 
    フアインローズ トウメイ イットー

    63年騎手デビュー。2年目に二桁勝利を挙げると、66年には牝馬のハードイツトで重賞初制覇し菊花賞でも3着に入る活躍。
    67年からコンビを組んだフアインローズとは重賞4勝を挙げ、69年は自己最多の48勝を挙げるなどトップクラスの活躍を残す。
    70年には牝馬トウメイで重賞制覇、73年には通算300勝到達、74年からは牝馬イットーで重賞2勝を挙げるなど活躍を続けた。
    しかし70年代中盤以降は騎乗回数が減少して成績も下降、80年には体調を崩して2回の騎乗に留まり、同年末に癌性胸膜炎でこの世を去る悲運に見舞われた。享年38歳。
    牝馬での活躍が多かった。

  • 27二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:25:24

    飯田明弘 (46年生まれ 69年〜88年)
    5305戦632勝 重賞24勝 
    リキタイコー テルノエイト ハシケンエルド

    やや遅めながら69年に23歳で騎手デビュー。
    1年目から二桁勝利を続け、70年には重賞初制覇。
    73年からは13年連続で30勝以上を挙げ、75年には自己最多の51勝で全国リーディング3位になるなど好成績を残す。
    大競走勝ちはなかったがそれ以下の重賞では好走が多く、延べ19頭の馬で重賞24勝を挙げた。
    87年有馬では人気薄のハシケンエルドで3着に好走した。
    88年騎手引退。
    引退後は調教師となり、最晩年にメイショウマンボを輩出した。
    地味だがかなりの好成績を残した騎手。

  • 28二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:27:47

    嶋田功(45年生まれ 64年〜88年)
    7327戦951勝 重賞52勝 G1級12勝
    ナスノカオリ タケフブキ ナスノチグサ タケホープ トウコウエルザ テイタニヤ アイフル テンモン ビクトリアクラウン

    実家は牧場。64年にデビュー。
    2年目に重賞初制覇含む33勝と頭角を現す。
    68年には52勝を挙げ全国リーディング9位にランクイン。
    71年にはナスノカオリで桜花賞を制し八大競走初制覇。
    72年にもタケフブキでオークスを優勝。
    同年秋に落馬事故で一時は生命を危ぶまれる重傷を負うが翌73年春に復帰し、ナスノチグサでオークスを連覇。更にダービーではタケフブキの弟タケホープで人気薄ながら優勝、ダービージョッキーとなる。
    74年にはタケホープで春天優勝、トウコウエルザでオークスとビクトリアCを優勝するなど、大舞台で活躍を続ける。
    75年は再度の落馬故障離脱もありやや不振に終わったが、76年にはテイタニヤとのコンビで桜花賞&オークスを優勝、秋にはアイフルで秋天を優勝と復活。
    その後は大舞台での活躍から遠ざかったが78年、79年と全国リーディング5位にランクイン。
    81年にはテンモンとのコンビでオークスを優勝、82年はビクトリアクラウンでエリザベス女王杯を制し大舞台での強さ健在を見せつけた。
    80年代中盤に入っても安定した活躍を続けていたが、体力の限界を理由に88年に引退。
    引退後は調教師となった。
    大舞台で強さを見せた名騎手。
    特に牝馬での強さが目立ち、オークスでは4連続騎乗機会優勝という偉業を達成している。

  • 29二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:29:51

    菅原泰夫(46年生まれ 64年〜92年)
    6431戦769勝 重賞36勝 G1級7勝 
    カブラヤオー テスコガビー ミナガワマンナ ホリスキー ダイシンフブキ アイフル ランニングフリー

    生家は牧場。64年に嶋田功らと共にデビュー。
    2年目に重賞初制覇を果たしたが、早くから頭角を現した嶋田と対照的に年間二桁勝利がやっとの成績が続く。
    しかし徐々に成績を上げ、74年には初めての30勝台に到達。
    そして翌75年にはカブラヤオーで皐月賞&ダービーを、テスコガビーで桜花賞&オークスを優勝。牡牝の春二冠制覇という偉業でその名を轟かせる。
    同年は自己最多の40勝を挙げた。
    その後は目立つ活躍がないながらも安定した成績を続け、81年の菊花賞では人気薄のミナガワマンナで優勝。
    翌82年の菊花賞でもこれまた人気薄のホリスキーで優勝し存在感を見せた。
    85年にはダイシンフブキで朝日杯を制しG1初制覇。
    88年以降はランニングフリーやナルシスノワールとのコンビで渋い活躍を続けるなど最晩年まで存在感を見せた。
    92年引退。引退後は調教師となった。
    カブラヤオー&テスコガビーの主戦騎手として有名で、その他の大競走勝ちも印象深い為記録以上に記憶に残る名騎手。

  • 30二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:32:16

    田村正光(49年生まれ 69年〜99年)
    7222戦779勝 重賞28勝 G1級1勝
    トクザクラ スズパレード

    49年に騎手デビュー。
    1年目で重賞初制覇を含む20勝を挙げ早くも頭角を現す。
    71年からはトクザクラとコンビを組み朝日杯優勝含む重賞4勝挙げるなど、実績を積み重ねる。
    70年代後半は騎乗回数の減少などで不振が続き4年で60勝に留まったが、80年に43勝を挙げて復活。
    81年には6年ぶりの重賞制覇を含む51勝と充実期を迎える。
    83年は64勝で自己最高のリーディング6位にランクイン。
    84年以降はスズパレードやスダホークとのコンビで重賞での好成績を積み重ね、88年には自己最高の75勝を挙げる。
    しかし90年代に入ると若手の台頭もあり騎乗数、成績と下降。
    93年は一桁勝利に終わりデビューからの連続二桁勝利も24年で途切れる。
    その後は故障もあり活躍はなく、99年に引退。
    初重賞制覇はデビューから僅か2週間後という短さであり、これは武幸四郎に破られるまでの最短記録だった。

  • 31二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:34:18

    蓑田早人(50年生まれ 69年〜99年)
    4665戦420勝 重賞11勝 G1級1勝 
    オンワードガイ ヤマブキオー

    69年にデビューし、いきなり25勝を挙げる活躍。
    70年にはオンワードガイとのコンビで朝日杯を制し重賞初制覇、同馬とは重賞4勝を挙げた。
    大舞台での活躍はなかったがローカルでコンスタントに成績を残し、74年からはヤマブキオーとのコンビで重賞2勝。
    80年代に入ると重賞勝利からは遠ざかったが地味に成績を残し続け、88年には久々に重賞制覇。
    90年代以降は二桁勝利も難しくなったが騎乗回数は特に減らず存在感を残し続けた。
    99年に引退。
    年間最多勝数は30勝未満ながら二桁勝利を24回記録した。
    徳吉一己とは同じ厩舎に所属して兄弟弟子の関係にあり、引退後は徳吉の後を継いで競馬学校教官となった。

  • 32二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:36:14

    清水英次(47年生まれ 67年〜97年)
    5569戦550勝 重賞23勝 G1級4勝 
    トウメイ テンメイ リーゼンクロス メジロモンスニー

    67年にデビュー。13勝を挙げたが2年目は病気の為無騎乗に終わる。
    翌年復帰し4年目は15勝と復調。
    そして5年目の71年はトウメイとコンビを組み、マイラーズCで重賞初制覇。更にその後は同年秋天、有馬と八大競走制覇し脚光を浴びる。
    以後は中堅騎手として渋い活躍を続け、78年にはトウメイの仔であるテンメイとのコンビで秋天制覇し史上初の母仔天皇賞制覇の偉業を達成。
    82年にはリーゼンクロスで桜花賞を制しクラシック初制覇。
    83年はメジロモンスニーとコンビを組み、皐月&ダービーでミスターシービーと激闘の2着、同馬とは他に重賞で2勝を挙げた。
    その後大競走での活躍からは遠ざかったがローカル重賞などで好成績を残し続け、90年代以後は騎乗数が減りながらも二桁勝利を続けた。
    しかし94年春にレース中の落馬事故で頭部に重傷を負う悲運に見舞われ、その後懸命のリハビリも叶わず96年に復帰を断念し引退。
    引退後もリハビリ生活を続けたが怪我の影響は重く、引退から9年後に逝去した。享年57歳。

  • 33二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:38:40

    安田富男(47年生まれ 68年〜01年)
    8378戦758勝 重賞38勝 G1級2勝 
    ノボルトウコウ グリーングラス プレストウコウ ジュウジアロー ニシノスキー ユーワジェームス スガノオージ

    68年デビュー。
    2年目まで連続で二桁勝利を挙げるが怠け癖や遊び癖がたたり3年目以降は騎乗回数も減り一桁勝利が続く。
    その後結婚などをきっかけに真面目に競馬に取り組むようになると、74年にノボルトウコウで重賞初制覇するなど2年目以来の二桁勝利を挙げ復調。
    同馬とは75年までで重賞3勝を挙げた。75年は初の20勝台に乗せ、76年はグリーングラスで菊花賞を制し八大競走初制覇と台頭。
    その後は地味に活躍を続け、80年代に入るとジュウジアローとのコンビで重賞3勝。
    82年にはニシノスキーで朝日杯を制し、83年には初の40勝台に到達。
    87年にはユーワジェームスとのコンビで重賞制覇や有馬2着など活躍し、自己最多の59勝を挙げ自己最高のリーディング8位に。
    90年代に入ってからも渋い活躍を続け、95年からコンビを組んだスガノオージとは重賞2勝、96年には史上初のJRA全馬場重賞勝利を達成。
    97年にはシルクライトニングで皐月2着と、40代後半になっても存在感を示し続けた。
    01年引退。豪快なエピソードの豊富な名騎手。
    人気薄の馬を好走させることが多かった。

  • 34二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:42:50

    津田昭(40年生まれ 59年〜83年)
    4081戦426勝 重賞12勝
    スピードシンボリ コンチネンタル

    59年デビュー。
    平地障害双方を走り、60年に障害で重賞初制覇。
    65年までは平地障害双方で二桁勝利を挙げていた。
    66年以降は平地での活躍が主になり、同年はスピードシンボリで重賞制覇するなど27勝。
    69年は平地で自己最多の35勝を挙げ、以後は平地に専念。
    70年からはコンチネンタルとコンビを組み重賞4勝を挙げる。
    73年にはイチフジイサミでダービー2着と好走したが、その後は騎乗回数の減少により特に活躍なく、83年に騎手引退。
    引退後は調教助手として活躍。

  • 35二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:45:40

    加賀武見(37年生まれ 60年〜88年)
    8664戦1352勝 重賞68勝 G1級10勝 
    タカマガハラ アサホコ アサカオー アローエクスプレス ベルワイド、カミノテシオ、イシノアラシ クライムカイザー カネミノブ 

    やや遅い23歳にに騎手デビューしたが、1年目にいきなり重賞初制覇含む58勝を挙げ全国リーディング3位に入り込む鮮烈な活躍。
    2年目の61年にはクニノハヤで中山大障害春を優勝、秋にはタカマガハラとのコンビで秋天を制し八大競走初制覇。同年は63勝を挙げる。
    翌62年以降は平地に専念し、同年は80勝を挙げ全国リーディング1位に輝き、その後5年連続でリーディング1位に君臨。
    63年には101勝、64年には自己最多の120勝を挙げる。
    勝ち星と比較して大舞台での活躍は目立たなかったが、65年にはアサホコとのコンビで春天含む重賞5連勝の快挙を達成。
    同年はハツユキで桜花賞を、ペロナでオークスも優勝した。
    67年には落馬事故などの影響で50勝に留まりリーディング1位から陥落するが、翌68年は96勝を挙げ1位に返り咲く。
    同年にはアサカオーで菊花賞を優勝。
    69年も91勝でリーディング1位に入ったが、翌年以降は福永洋一の台頭もあり1位に返り咲くことはなかった。
    70年代に入ると騎乗数や勝ち星は下降していったが大舞台で活躍。
    70年はアローエクスプレスとのコンビでクラシックを沸かせ、72年にはベルワイドで春天優勝。
    74年にはカミノテシオで秋天を優勝、75年にはイシノアラシで有馬記念を優勝。
    そして76年にはクライムカイザーでダービーを制し悲願のダービージョッキーに。
    その後も78年にはカネミノブとのコンビで有馬記念を制した。
    勝ち星の面では73年に1000勝を達成。
    81年以降は重賞勝ちは殆どなくなったが時折存在感ある騎乗を見せた。
    88年引退。
    「闘将」とあだ名された60〜70年代を代表する名騎手。

  • 36二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:48:50

    郷原洋行(44年生まれ 62年〜93年)
    11906戦1515勝 重賞83勝 G1級10勝 
    リュウズキ イチフジイサミ プレストウコウ オペックホース ニッポーテイオー ウィナーズサークル

    62年にデビュー。2年目の63年には30勝、64年には重賞初制覇含む38勝を挙げて頭角を現す。
    66〜68年にかけては全国リーディング2位に入り、67年にはリュウズキで皐月賞を勝ち八大競走初制覇を果たすなどトップジョッキーの仲間入り。
    71年からは9年連続で全国リーディング5位以内にランクイン。
    大競走ではしばらく勝ちから遠ざかっていたが、75年春天をイチフジイサミで制し久々の大競走制覇を果たすと77年にはプレストウコウで菊花賞を優勝。
    79年はカシュウチカラで春天を、スリージャイアンツで秋天を優勝。
    同年初めて全国リーディング1位に輝く。
    80年は成績を落としたがオペックホースでダービーを制し悲願のダービージョッキーに。
    その後は活躍を続けつつも徐々に成績を落としていったが、86年からコンビを組んだニッポーテイオーで秋天、マイルCS、安田記念とG1を3勝する活躍。
    更に89年にはウィナーズサークルで2度目のダービー制覇を果たすなど、40代を超えても第一線で活躍を続けた。
    93年に引退。
    引退後は調教師となってゴーカイを輩出。
    「剛腕」の渾名をとった名騎手で、加賀武見とはライバル関係にあった。

  • 37二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:50:51

    田島信行(55年生まれ 73年〜02年)
    6768戦608勝 重賞22勝 G1級1勝
    キタノカチドキ リードエーティ キョウエイレア ヒシマサル

    73年デビュー。
    1年目から二桁勝利を続け、75年にはキタノカチドキに代打騎乗してマイラーズCを制し重賞初制覇。
    81年にはリードエーティで阪神3歳Sを優勝するなど重賞4勝の活躍。
    84年には隻眼馬キョウエイレアで重賞制覇。
    88年までは年間20勝台が最高だったが89年には46勝を挙げ、92年にはヒシマサルとのコンビで重賞3勝を挙げるなどの活躍で自己最多の57勝。
    翌年以降は成績は下降し、02年に引退。
    キタノカチドキで勝ったマイラーズCは名勝負として有名。
    ヒシマサルとのコンビがずっと続いていればと思う。

  • 38二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:52:23

    内田国夫(51年生まれ 69年〜95年)
    3705戦296勝 重賞9勝 G1級2勝 
    ゴールドイーグル サニーシプレー リワードウイング

    69年デビュー。
    平地と障害双方を走り、73年に障害で重賞初制覇を果たすがそれ以外は特に活躍はなかった。
    77年から平地に専念すると、同年はゴールドイーグルやハードバージで重賞3勝を挙げる活躍。
    80年にはサニーシプレーで阪神3歳S優勝。
    85年にはリワードウイングでエリザベス女王杯を制し八大競走制覇。
    その後は特に活躍なく、95年に引退。
    鞭をあまり使わない騎乗技術はそれなりの評価を受けていた。

  • 39二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:54:22

    前栗林氏が騎手を辞めようとしたとある腕利きの人を呼び出して説得に近いようなことをしたなんてエピソードを見たけどアレ郷原騎手に対してだったんだ

  • 40二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:55:00

    岩元市三(47年生まれ 74年〜89年)
    4917戦578勝 重賞29勝 G1級2勝 
    キングラナーク スリーファイヤー ラフオンテース バンブーアトラス 

    74年に27歳という遅さながら騎手デビュー。
    デビュー年から二桁勝利を挙げ、77年にはキングラナークで重賞初制覇。同馬とは重賞3勝を挙げた。
    78年から79年にかけてはスリーファイヤーで重賞4勝、79年後半にはラフオンテースとのコンビで朝日杯優勝などを優勝。同馬とは81年にも重賞3勝を挙げた。
    82年にはバンブーアトラスでダービーを制し八大競走初制覇でダービージョッキーの栄誉に輝く。
    84年には自己最多の73勝を挙げ自己最高のリーディング5位に入るなど、トップジョッキーの活躍を見せる。
    その後も活躍を続けたが、調教師免許取得に伴い89年に引退。
    調教師としてテイエムオペラオーを輩出した。
    「マムシ」の異名をとった名騎手。
    テイエムオペラオーの馬主である竹園正繼とは幼馴染で、そのことが競馬界にも大きな影響を与えた。

  • 41二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:57:03

    中島啓之(43年生まれ 62年〜85年)
    6635戦729勝 重賞29勝 G1級4勝
    ストロングエイト コーネルランサー コクサイプリンス アズマハンター エイティトウショウ

    父は元騎手で37年にヒサトモでダービーを制した中島時一。
    62年にデビュー。
    2年目に20勝を挙げ、65年に重賞初制覇。
    その後も20勝台の勝利を続け重賞を何度も制したが、大競走では特に活躍はなかった。
    しかし73年の有馬記念を人気薄のストロングエイトで制し八大競走初制覇、翌74年にはコーネルランサーでダービーを制しダービージョッキーの栄誉に輝き、75年にはコクサイプリンスで菊花賞を制するなど一気に一線級に台頭。
    80年には自己最高の63勝を挙げ自己最高のリーディング3位にランクイン。
    82年にはアズマハンターで皐月賞制覇。
    他にもエイティトウショウで重賞3勝を挙げるなど一線級で活躍を続けた。
    しかし85年春に体調を崩し倒れる。入院生活を送りながらも騎乗を続け、同年夏にはトウショウサミットで重賞制覇、オークスではナカミアンゼリカで2着に入るなど鬼気迫る活躍を見せる。
    その後病が末期の肝臓癌と判明したが、決死の願いが通りトウショウサミットでダービーに騎乗(18着)。
    その後は騎乗せずに入院生活に入ったが、ダービーの2週間後に病歿。享年42歳。
    周囲から人格者として深く慕われており、その早過ぎる最期は誰もが惜しんだ。

  • 42二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 14:58:40

    松田(新田)幸春(50年生まれ 69年〜92年)
    3908戦377勝 重賞16勝 G1級3勝
    ディアマンテ リニアクイン ミヤマポピー

    69年デビュー。
    3年目の71年に重賞初制覇を含む29勝を挙げ、72年にはパッシングゴールで重賞2勝や秋天2着などの活躍で台頭。
    74年には自己最多の34勝を挙げ、75年にはロングファストとのコンビでダービー&菊花賞で2着。
    76年にはロングホークで重賞2勝やディアマンテで第1回エリザベス女王杯を優勝。
    そして77年にはリニアクインでオークスを制し八大競走初制覇。
    その後は特に目立つ活躍はなかったが、88年にミヤマポピーでエリザベス女王杯を制し久々の大競走優勝。
    92年に騎手引退。引退後は調教助手に。

  • 43二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:00:33

    吉永正人(41年生まれ 61年〜86年)
    2753戦461勝 重賞37勝 G1級8勝
    ライトワールド ギャラントダンサー シービークイン シービークロス モンテプリンス モンテファスト ミスターシービー

    実家は牧場。61年にデビュー。
    平地障害双方を主戦とし64年に重賞初制覇を挙げたが、68年まで通算100勝未満と目立つ存在ではなかった。
    68年からコンビを組んだライトワールドで重賞3勝や秋天2着などの活躍をしたのをきっかけに、71年からは平地に専念。同年は自己最多の40勝を挙げ全国リーディング8位に入る活躍。
    以後は70年代末まで勝利数こそ目立たなかったが、重賞戦線ではギャラントダンサーでの朝日杯優勝やシービークインで重賞3勝、シービークロスで重賞4勝など活躍した。
    そして80年以降はモンテプリンスとのコンビで大競走を活躍。同馬で82年春天と宝塚を制し八大競走初制覇を果たす。
    更に同年末からはミスターシービーとコンビを組み、83年に同馬で史上3頭目の牡馬三冠制覇の偉業を達成。
    翌84年にはモンテプリンスの全弟モンテファストで春天優勝、ミスターシービーで秋天を制した。
    だが華々しい活躍の一方で減量に長年苦しんでおり、その影響もあり86年に騎手を引退した。
    ミスターシービーの主戦騎手として知られ、個性的な騎乗ぶりでも有名な名騎手。

  • 44二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:03:11

    田島良保(47年生まれ 67年〜92年)
    7790戦817勝 重賞40勝 G1級7勝 
    ヒカルイマイ ハマノパレード ノースガスト タカラスチール ライトカラー オーバーレインボー トウショウレオ

    67年デビュー。1年目から重賞を2勝する活躍を見せる。
    5年目の71年にはヒカルイマイとのコンビで皐月賞&ダービーを優勝。戦後史上最年少の若さでダービージョッキーとなる。
    その後も73年にハマノパレードで宝塚記念で優勝。
    重賞で活躍する一方で勝ち星は伸び悩むが、79年に44勝を挙げて以降は勝ち星も多くなる。
    80年菊花賞ではノースガストで菊花賞を制し久々の八大競走制覇。
    83年と84には自己最多の60勝を挙げる。
    86年にはタカラスチールでマイルCSを制しG1初制覇。
    89年にはライトカラーでオークスを優勝など、晩年になっても存在感ある活躍を見せた。
    体力の限界の理由に92年に引退。
    「必殺仕事人」の異名をとった騎手で、大本命馬がいるレースで波乱を起こすことが多かった。

  • 45二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:05:50

    伊藤正徳(48年生まれ 68年〜87年)
    2115戦282勝 重賞17勝 G1級2勝 
    ラッキールーラ メジロティターン

    父は元騎手で38年にトクマサでダービーを制した伊藤正四郎。
    68年デビュー。1年目から障害で重賞初制覇含む二桁勝利を挙げる。
    71年には重賞2勝含む自己最多の23勝。
    その後も二桁勝利を続けながら重賞で時折勝つ渋い活躍を続けた。
    76年は一桁勝利で重賞も未勝利に終わったが、77年にはラッキールーラでダービーを制し八大競走初制覇でダービージョッキーの栄誉に輝く。
    その後はしばらく目立つ活躍はなかったが、82年にはメジロティターンで秋天を優勝し大競走2勝目。
    87年に調教師免許を取得し引退。
    調教師としてエアジハードなどを輩出した。
    歌が上手いことでも知られ、現役時代はレコードを発売してる。

  • 46二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:07:13

    OKB君に畜生発言をしたのって伊藤正徳騎手だっけか
    そろそろ怒涛の大尾形パンチが来るんかね

  • 47二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:07:51

    上野(伊藤)清章(50年生まれ 69年〜98年)
    5390戦561勝 重賞32勝 G1級4勝 
    バンブトンコート ハギノトップレディ ハギノカムイオー

    69年デビュー。2年目に重賞初制覇含む25勝を挙げる。
    その後はしばらく活躍はなかったが。所属厩舎の移籍と結婚をきっかけに成績が上昇。
    77年からコンビを組んだバンブトンコートで阪神3歳Sを優勝。同年は重賞5勝含む37勝を挙げた。
    バンブトンコートとはその後もコンビで活躍を続け、79年までで重賞6勝を挙げた。
    80年にはハギノトップレディとのコンビで桜花賞を優勝し八大競走初制覇するなど自己最多の40勝。同馬とはその後エリザベス女王杯優勝含む重賞4勝を挙げた。
    82年からハギノカムイオーとのコンビで宝塚優勝含む重賞6勝を挙げるなど、80年代中盤まで一線級の活躍を見せた。
    しかし離婚や所属厩舎の破門があった80年代後半より成績は低下。
    90年代以降は重賞勝利もなく勝ち星も伸び悩み、98年に引退。
    引退後は調教助手となった。

  • 48二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:10:09

    樋口弘(47年生まれ 65年〜94年)
    3805戦395勝 重賞11勝 G1級2勝 
    カツアール キョウワサンダー

    65年デビュー。1年目から二桁勝利を挙げる。
    3年目は重賞初制覇含む25勝、4年目は自己最多の43勝を挙げるなど順調に台頭。
    その後はやや重賞勝利から遠ざかったが72年に重賞2勝を挙げる。
    しかし73年に交通事故を起こし、その責任により騎手免許を返上して一時引退。
    78年に復帰を認められ騎手復帰すると、同年末の有馬記念では人気薄のインターグロリアで2着に好走。
    同馬では翌年重賞も制し、勝ち星も20勝台と復活。
    81年からはカツアールとコンビを組み、宝塚優勝や春天2着など大競走で何度も好走。
    そして84年にはキョウワサンダーとのコンビでエリザベス女王杯を低人気ながら優勝しG1初制覇を果たす。
    80年代後半からは騎乗回数の減少により成績も低下し、94年に引退。
    引退後は調教助手に。

  • 49二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:12:09

    西浦勝一(51年生まれ 69年〜96年)
    6103戦635勝 重賞26勝 G1級5勝 
    テルテンリュウ アグネステスコ カツラギエース ヤエノムテキ

    69年騎手デビュー。デビューから2年は僅か5勝と散々なスタートだったが、4年目に16勝、5年目に初重賞制覇含む20勝と徐々に台頭。
    その後は20勝前後の成績を続けるも重賞勝利から遠ざかるが、79年にテルテンリュウとのコンビで重賞制覇やダービー3着など活躍。80年には同馬で宝塚記念を優勝した。
    81年にはアグネステスコでエリザベス女王杯を優勝。
    そして83年からはカツラギエースとコンビを組み、84年夏には同馬で宝塚記念を制しG1初制覇、更に秋にはJCで日本馬初の優勝という快挙を達成し、世界にその名を轟かせる。
    その後85年にはカツラギバイデンで阪神3歳S優勝。88年にはヤエノムテキとのコンビで皐月賞を制しクラシック初制覇。
    89年には自己最多の41勝を挙げ、90年にはヤエノムテキで秋天を優勝と活躍を続けた。
    その後は目立つ活躍はないものの安定した成績を残し、95年にはキャリア2番目の37勝を挙げるなど最晩年まで存在感を見せた。
    調教師免許取得に伴い翌96年に引退。
    調教師としてはテイエムオーシャン、カワカミプリンセスを輩出した。
    JCを優勝した「世界の西浦」として有名。

  • 50二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:14:22

    (加用正(53年生まれ 76年〜93年)
    5493戦559勝 重賞20勝 
    ウエスタンジョージ ダイナカーペンター ダイタクヘリオス

    騎手試験合格に苦労しながらも76年に騎手デビュー。
    デビューこそ遅れたが1年目は19勝、2年目30勝、3年目43勝と順調に台頭。
    80年には重賞初制覇含む自己最多の53勝を挙げ全国リーディング6位に。
    同年からコンビを組んだウエスタンジョージとは重賞3勝を挙げた。
    技術の高い中堅騎手としてその後も安定した活躍を続ける。
    88年にはダイナカーペンターとのコンビで阪神大賞典でタマモクロスと同着優勝、89年菊花賞ではレインボーアンバーで菊花賞2着。
    91年の高松宮杯では代打騎乗のダイタクヘリオスでダイイルビーを破り優勝するなど、時折存在感を見せる活躍を見せた。
    調教師免許取得し93年に引退。
    大競走勝ちはなかったが重賞勝利数は20勝に達した。

  • 51二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:17:10

    猿橋重利(56年生まれ 77年〜97年)
    5038戦422勝 重賞18勝 G1級1勝 
    シャダイソフィア エリモローラ ライフタテヤマ

    77年騎手デビュー。2年目に23勝を挙げる。
    80年に重賞初制覇を果たし、81年以降は20勝以上の安定した成績を続ける。
    83年にはシャダイソフィアで桜花賞を制し八大競走初制覇、同馬とは重賞3勝を挙げた。
    その後もエリモローラとのコンビで重賞3勝、86年には自己最多の50勝を挙げ自己最高の全国11位にランクインするなど、中堅騎手として活躍。
    85年からコンビを組んだライフタテヤマとは重賞3勝を挙げた。
    90年代に入ると徐々に成績は下降し、97年に引退。
    悲運の名牝シャダイソフィア&ダート王ライフタテヤマの主戦騎手として知られる。

  • 52二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:19:51

    根本康広(56年生まれ 77年〜97年)
    2633戦265勝 重賞14勝 G1級3勝 
    バローネターフ ナカミショウグン ギャロップダイナ メリーナイス

    77年デビュー。平地障害双方を主戦とし、2年目には平地で21勝。
    3年目には障害でバローネターフとのコンビで春秋中山大障害を優勝。
    80年には平地で自己最多の22勝、81年にはナカミショウグンで中山大障害春を制するなど、どちらかというと障害での活躍が目立った。
    83年以降は平地に専念し、85年秋天では代打騎乗した人気薄のギャロップダイナでシンボリルドルフを下して優勝しG1初制覇。
    翌86年にはメリーナイスとのコンビで朝日杯優勝、更に翌年には同馬でダービーを制しダービージョッキーの栄誉に輝く。
    その後は目立つ活躍はなかったが91年からコンビを組んだトモエリージェントでは重賞3勝を挙げた。
    調教師免許取得に伴い97年に引退。
    通算勝利数は200勝台ながら数々の歴史的快挙を挙げた記憶に残る騎手。

  • 53二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:22:15

    大崎昭一(45年生まれ 63年〜99年)
    8884戦970勝 重賞36勝 G1級8勝 
    カブトシロー ダイシンボルガード フジノパーシア グリーングラス カツトップエース レッツゴーターキン

    63年デビュー。2年目に36勝、3年目に重賞初制覇と順調に台頭。
    その後故障で一時成績を落としたが、67年にはカブトシローで有馬記念を制し八大競走初制覇。
    69年にはダイシンボルガードでダービーを制し24歳の若さでダービージョッキーに。
    その後幾度の故障を負う不運に見舞われながらも活躍を続け、75年にはフジノパーシアで秋天優勝、76年には同馬で宝塚記念も優勝。同年は自己最多の51勝を挙げ全国リーディング5位にランクイン。
    79年有馬記念では引退レースだったグリーングラスに騎乗し優勝。
    81年にはカツトップエースとのコンビで皐月賞&ダービーの二冠を制覇。
    その後も82年に通算500勝達成、84年からはスズマッハとのコンビでダービー&安田記念で2着に入るなど存在感ある活躍を見せた。
    しかし85年夏、俗に「新潟事件」と呼ばれる八百長不正疑惑により騎乗停止処分を下される。
    その後疑惑は冤罪と認められ処分は解除されたが騎乗回数が激減する。
    有志の支えで現役を続け、その後は主にローカル戦線で活躍を続ける。
    そして92年にレッツゴーターキンとコンビを組み、人気薄で出走した同年秋天で優勝。久々の大競走制覇を果たす。
    その後も地味に活躍を続けたが徐々に成績が下降。
    病気の影響もあり1000勝には僅かに届かず98年に騎手引退した。
    職人芸ともにいえる大胆な騎乗で第一線で活躍した名騎手だが、相次ぐ故障や冤罪などに苦しめられた悲運の騎手でもある。

  • 54二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:24:13

    岡富俊一(61年生まれ 82年〜03年)
    2940戦230勝 重賞11勝 G1級1勝 
    キョウエイウオリア トウカイローマン ヤマニンアピール

    82年デビュー。デビューから平地と障害の双方を主戦とし、1年目、2年目と自己最多の30勝を挙げる。
    83年には障害でキョウエイウオリアで重賞初制覇。
    84年にはトウカイローマンとのコンビで人気薄ながらオークスを制しG1初制覇。
    88年にはヤマニンアピールとのコンビで中山大障害秋含む重賞4勝を挙げる。
    89年にはナムラモノノフで平地重賞制覇、91年には障害転向した同馬で障害重賞制覇。
    93年以降は騎乗数の減少もあり一桁台の勝利が続き重賞も中々勝てなかったが、99年に障害で久々の重賞制覇。
    03年に引退。引退後は調教助手に。
    平地・障害双方で通算100勝以上を挙げた。

  • 55二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:26:15

    加藤和宏(56年生まれ 75年〜05年)
    6476戦604勝 重賞32勝 G1級7勝 
    ホウヨウボーイ アンバーシャダイ シャダイアイバー シリウスシンボリ ホクトベガ ワールドクリーク ウインドストース

    75年デビュー。2年目から二桁勝利を続けるなど順調に台頭。
    80年にはホウヨウボーイとのコンビで春に重賞初制覇、更に年末には有馬記念を制し八大競走初制覇を果たす。
    ホウヨウボーイとは翌81年も秋天を優勝し、同馬を2年連続年度代表馬に導いた。
    その後も82年にシャダイアイバーでオークス優勝、83年にはアンバーシャダイで春天優勝と大舞台で活躍。
    85年にはシリウスシンボリとのコンビでダービーを制しダービージョッキーの栄誉に輝く。
    87年からはウインドストースとのコンビで重賞を4勝。
    大舞台で好成績を残す一方で騎乗回数が多くないこともあり勝ち星は伸び悩んだが、89年にフリー騎手となって以降は騎乗回数と勝ち星が増え、92年以降は5年連続で30勝以上を記録。
    93年にはホクトベガとのコンビでエリザベス女王杯を制し久々のG1制覇。
    その後も重賞戦線で活躍を続け、99年にはワールドクリークで東京大賞典を制し統一G1初制覇を果たした。
    00年以降は成績が下降し、05年引退。
    騎乗回数や勝ち星が少なかった為全国リーディング20位以内に入ることはなかったが大舞台での活躍が光った騎手。

  • 56二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:28:26

    東信二(51年生まれ 71年〜98年)
    5291戦512勝 重賞21勝 G1級3勝 
    アンバーシャダイ サクラスターオー サクラトウコウ

    70年にデビュー。
    2年目から3年連続で30勝以上するなど早くも台頭。
    73年に重賞初制覇。
    騎乗数に恵まれないながらも二桁勝利や重賞制覇を重ねるなど確かな実力者として存在感を見せ、81年有馬記念では代打騎乗したアンバーシャダイで優勝し八大競走初制覇。
    その後も重賞勝利を積み重ね、87年にはサクラスターオーとのコンビで皐月賞と菊花賞を優勝。
    90年以降は騎乗数の減少が深刻になり成績も低迷し、98年に引退。
    引退後はテレビの競馬解説者として活躍した。
    「代打屋」の異名をとり、実績以上に評価の高い騎手。
    サクラスターオーとのコンビは有名。

  • 57二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:30:27

    蛯沢誠治(51年生まれ 70年〜00年)
    9334戦887勝 重賞42勝 G1級2勝 
    スルガスンプジョウ カネミカサ ビゼンニシキ スズパレード タレンティドガール

    騎手を目指して12歳で上京し、19歳の51年にデビュー。
    デビュー3年目に重賞初制覇含む30勝、4年目には43勝を挙げ、74年にはスルガスンプジョウとのコンビで重賞3勝するなど順調に台頭。
    しかし75年に運転免許不正取得に連座していたことが発覚し、騎手免許を剥奪される。
    その後周囲の奔走や当人の反省が受け入れられ78年に騎手復帰。
    復帰週にカネミカサとのコンビで中山記念を優勝、同年は35勝を挙げて復活した。カネミカサとは通算で重賞4勝を挙げた。
    その後も安定した活躍を続け、84年にはビゼンニシキとのコンビで重賞2勝や皐月賞でシンボリルドルフと激闘の2着など活躍。
    85年には初めて50勝台に勝ち星を伸ばし、87年にはスズパレードとのコンビで宝塚記念を制しG1初制覇。同馬とは通算で重賞5勝を挙げた。
    87年にはタレンティドガールとコンビを組み、エリザベス女王杯ではマックスビューティの牝馬三冠を阻んで優勝。
    88年は自己最多の73勝を挙げるなど、一線級の騎手として活躍。
    90年以降は若手の台頭もあり徐々に成績は下降。
    98年には初めて一桁台に勝利が落ち込み、00年に引退。
    引退後は調教助手となったが、食道癌の為03年に病歿。享年52歳。

  • 58二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:33:41

    村本善之(55年生まれ 75年〜03年)
    8737戦972勝 重賞43勝 G1級7勝 
    ニチドウアラシ ニチドウタロー スズカコバン メジロデュレン ラッキーゲラン アドラーブル イクノディクタス ダンツシアトル

    75年デビュー。
    1年目から二桁勝利を続け、79年にはニチドウアラシで重賞初制覇。同馬とは重賞3勝を挙げた。
    翌80年にはニチドウタローで春天を制し八大競走初制覇。
    83年からは3年連続で50勝以上を挙げ全国リーディングジョッキー10位以内にランクイン。
    85年にはスズカコバンで宝塚優勝しG1初制覇。
    翌86年にはメジロデュレンとのコンビで菊花賞を制しクラシック初制覇。翌87年にも同馬で有馬記念を制するなど、第一線で活躍。
    その後も88年にラッキーゲランで阪神3歳S優勝、92年にアドラーブルでオークスを優勝。95年にはダンツシアトルで宝塚記念を優勝。
    他にもイクノディクタスとのコンビで重賞4勝や安田&宝塚で2着に入るなど、平成に入ってもいぶし銀の活躍を見せた。
    00年以降は成績が下降し、05年引退。
    1000勝には届かなかったがデビューから26年連続で二桁勝利を挙げるなど安定感と存在感を見せた名騎手。

  • 59二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:36:18

    小島太(47年生まれ 66年〜96年)
    8476戦1024勝 重賞84勝 G1級10勝 
    サクライワイ サクラショウリ ビンゴガルー サクラユタカオー サクラチヨノオー サクラホクトオー サクラバクシンオー サクラチトセオー サクラキャンドル 

    66年デビュー。2年目に初重賞制覇含む31勝を挙げ台頭。
    その後一時成績を落としたが70年に入ると復調し、73年には48勝を挙げ全国リーディング3位にランクイン。
    同年からはサクライワイとのコンビで重賞4勝を挙げる活躍。
    78年にはサクラショウリでダービーを制し八大競走初制覇とダービージョッキーの栄誉を手にする。同馬とは翌79年の宝塚記念でも優勝した。同年にはビンゴガルーで皐月賞を優勝するなど、大競走でも活躍を見せるようになる。
    81年には自己最多の59勝を挙げる。
    その後はしばらく大競走勝利から見放されるが重賞勝利は多く積み重ね、86年にサクラユタカオー秋天を勝ち久々の大競走制覇。
    87年にはサクラチヨノオーで朝日杯を優勝、翌年には同馬で2度目のダービー制覇。同年にはサクラホクトオーで朝日杯優勝も果たした。
    90年以降も活躍を続け、93年、94年はサクラバクシンオーでスプリンターズSを連覇。
    95年にはサクラチトセオーで秋天優勝、サクラキャンドルでエリザベス女王杯を優勝するなど大舞台で活躍を見せた。
    調教師免許取得に伴い96年に引退。
    調教師としてはイーグルカフェやマンハッタンカフェを輩出。
    サクラ冠の主戦騎手として有名。毀誉褒貶の激しい人物としても知られ、そのエピソードには事欠かない。
    騎手の腕としては名騎乗も多かったがそれ以上に騎乗ミスが多かったとも言われ、所属厩舎の調教師をよく嘆かせた。
    しかし紛れもなく70〜90年代を彩った名(迷)騎手であった。

  • 60二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:39:05

    大久保正陽(35年生まれ 57年〜69年)
    517戦51勝 重賞5勝 ヘリオス

    父は騎手で調教師の大久保亀吉。
    父の厩舎に所属し57年にデビュー。デビューから一桁台の勝利が続くが、59年は3勝止まりながら重賞初制覇。
    60年、61年は短距離王ヘリオスの主戦を務め、同馬だけで重賞4勝含む12勝を挙げた。
    その後は活躍なく69年に騎手引退。
    引退後は調教師となり、エリモジョージ、ヤマノシラギク、メジロパーマー、ナリタタイシン、ナリタブライアン、シルクジャスティスなど多くの名馬を輩出。

  • 61二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:39:44

    清水出美(43年生まれ 63年〜83年)
    2854戦287勝 重賞4勝 G1級1勝 ユウユウ

    63年デビュー。4年目の66年に重賞初制覇含む20勝と活躍。
    68年にはコウユウとのコンビで桜花賞を制し八大競走初制覇。同年は自己最多の40勝を挙げ全国リーディング13位にランクイン。
    しかしその後は20〜10勝台の成績に留まり重賞勝ちもなくなる。
    77年以降は一桁台の勝利が多くなり、83年に引退。
    引退後は調教師となりゴールドシチーを輩出。
    コウユウとは全22戦でコンビを組んだ。
     

  • 62二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:40:40

    牧野三雄(45年生まれ 66年〜86年)
    1917戦173勝 重賞6勝 
    オンワードヒル

    66年騎手デビュー。
    1年目からオンワードヒルとコンビを組み、同馬で重賞5勝を挙げた。その活躍もあり1年、2年目と22勝を挙げる。これが自己最多勝利となった。
    以後は10勝台〜一桁の勝利が続き、重賞での活躍もなくなる。それでも80年には久々に重賞制覇を果たした。
    86年騎手引退。

  • 63二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:42:20

    山本正司(36年生まれ 56年〜73年)
    1952戦212勝 重賞10勝 
    G1級1勝 キーストン

    56年騎手デビュー。デビューからしばらくは平地と障害の双方を主戦としたがほぼ活躍はなし。
    63年から平地に専念すると、64年にはキーストンとのコンビで5戦5勝。
    翌年には同馬で弥生賞を勝ち重賞初制覇、そしてダービーも勝利し八大競走制覇とダービージョッキーの栄誉に輝く。
    キーストンとはその後も活躍を続け、66年には自己最多の25勝を挙げる。
    67年末にキーストンは悲運の最期を遂げたが、その後も重賞戦線で活躍を続けた。
    調教師免許取得に伴い73年に引退。
    調教師としてはオヤマテスコ、ハッピープログレス、ヘヴンリーロマンスなどの名馬を輩出した。
    キーストンの主戦騎手として有名。

  • 64二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:43:46

    丸目敏栄(40年生まれ 59年〜74年)
    2886戦369勝 重賞9勝 G1級1勝 アカネテンリュウ

    59年デビュー。1年目に早くも重賞初制覇を果たし、2年目には32勝を挙げるなど早くも頭角を現す。
    一時は病気による長期離脱もあったが年間30勝以上の成績を続け、中堅の実力騎手として活躍。
    69年にはアカネテンリュウとコンビを組み、同年の菊花賞を制して八大競走。
    同年は自己最多タイの45勝を挙げた。
    アカネテンリュウとはその後も重賞勝利や大競走での好走を繰り返し活躍を続けた。
    しかし71年夏にレース中の落馬事故で数ヶ月間意識不明となる重傷を負う。
    一命は取り留めたものの、怪我の影響で騎手復帰は叶わずそのまま引退。
    引退後は調教師となったが、80年に脳出血の為急逝。享年40歳。
    アカネテンリュウの主戦騎手であり、悲運の騎手としても知られる。

  • 65二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:45:15

    清水久雄(36年生まれ 55年〜74年)
    2926戦437勝 重賞9勝 G1級2勝 
    テイトオー タマホープ

    55年デビュー。
    3年目に阪神3歳S優勝など重賞3勝含む38勝、翌年も重賞勝ち含む38勝を挙げ台頭。
    その後は20勝〜10勝台の中堅騎手に落ち着いたが、66年にはテイトオーとのコンビでダービーに出走し人気薄ながら優勝、八大競走初制覇をダービーで達成。
    その後は70年にタマホープとのコンビで重賞2勝や菊花賞2着などの活躍を残した。
    調教師免許取得に伴い74年に引退。調教師としてはイソノルーブルを輩出。
    66年のダービージョッキーではあるがダービー出走もこの年のみの為、「ダービー勝率10割男」とも呼ばれている。

  • 66二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:46:01

    町田精生(42年生まれ 59年〜78年)
    2223戦219勝 重賞4勝 
    スイジン

    59年デビュー。2年目の61年に二桁勝利を挙げ、63、64年と2年連続で20勝以上するなど順調に台頭。
    しかしその後は離脱もあって成績は伸び悩んだ。
    それでも68年に重賞初制覇を果たすと、69年からはスイジンとのコンビで重賞3勝を挙げる活躍を残した。
    70年以降は特に活躍なく、78年に引退。
    代表主戦馬のスイジンとは58戦でコンビを組んだ。

  • 67二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:47:40

    安田伊佐夫(44年生まれ 63年〜79年)
    2982戦341勝 重賞12勝 G1級3勝 
    タニノムーティエ クリオンワード

    63年デビュー。3年目に二桁勝利を挙げたがしばらく目立つ活躍はなかった。
    しかし69年にタニノムーティエとコンビを組み、阪神3歳Sを優勝し重賞初制覇。
    翌70年は同馬とのコンビで春のクラシックを席捲。皐月賞&ダービーの二冠を制し八大競走制覇とダービージョッキーの栄誉に輝く。
    タニノムーティエは故障もあり三冠はならなかったが歴史に残る活躍を見せた。
    タニノムーティエ引退後も成績を残し、72年には自己最多の39勝で全国リーディング8位にランクイン。
    73年からはクリオンワードとのコンビで重賞2勝や春天3着宝塚2着などの活躍を見せた。
    70年代中盤以降も活躍を続けたが、調教師免許取得に伴い79年に引退。
    調教師としてはライフタテヤマやメイショウドトウを輩出した。
    タニノムーティエの主戦騎手として知られ、同馬だけでG1級3勝含む重賞6勝を挙げた。

  • 68二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:48:56

    川端義雄(43年生まれ 67年〜87年)
    2975戦296勝 重賞9勝 G1級1勝 
    ランドプリンス

    67年に24歳とやや遅めのデビュー。1年目から重賞初制覇を含む二桁勝利を挙げ、その後もコンスタントに二桁勝利を続ける。
    71年からはランドプリンスとコンビを組み、翌72年の皐月賞を優勝し八大競走初制覇。ダービーは2着に敗れ秋も惜敗したが3強の一角と呼ばれる活躍を残し、同年は自己最多の24勝を挙げた。
    ランドプリンス引退後は騎乗回数が少ないながらも年間二桁勝利を続けて重賞勝ちも重ねるなど、中堅騎手として息長く存在感を見せた。
    87年引退。

  • 69二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:50:24

    寺井千万基(51年生まれ 73年〜78年)
    171戦31勝 重賞6勝 
    グランドマーチス

    73年にデビュー。減量苦もあり障害戦のみを主戦とする。
    デビュー戦から障害転向したばかりのグランドマーチスとコンビを組み、初勝利も同馬で挙げる。
    74年には同馬で中山大障害春を優勝、秋にも京都大障害と中山大障害秋を制し、障害の最強コンビとなる。
    75年も中山大障害春と中山大障害春秋をコンビで制覇。同年の中山大障害秋は落馬離脱の為乗れなかったが、翌年の復帰後は同馬の引退レースまでコンビを組んだ。
    グランドマーチス引退後は燃え尽きたようになり、78年を最後にレースに出ず80年に引退。
    障害唯一の顕彰馬グランドマーチスの主戦騎手として歴史に名を残している。
    通算31勝中18勝を同馬で挙げており、重賞勝ちも全て同馬だった。

  • 70二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:51:34

    梅内(榎屋)忍(44年生まれ 62年〜85年)
    2373戦253勝 重賞6勝 G1級1勝 
    キシュウローレル

    62年デビュー。1年目は未勝利に終わったが、2年目に重賞初制覇含む7勝を挙げ、3年目以降は二桁勝利を続ける。
    68、70年には20勝台に到達。
    72年からはキシュウローレルとコンビを組み、阪神3歳S含む重賞2勝を挙げる。
    同馬とは翌年以降もコンビを続け、翌73年の桜花賞では2着に好走するなど活躍。
    しかし翌74年秋の引退レースでキシュウローレルは故障落馬事故により悲運の最期を遂げ、梅内も重傷を負う。
    その後復帰したが怪我の影響などにより成績は低下、以後は活躍なく85年に引退。
    引退後は調教助手となった。
    悲運の快速牝馬キシュウローレルの主戦騎手として知られている。
    同馬とは全戦出コンビを組んだ。

  • 71二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:53:14

    須貝彦三(41年生まれ 59年〜74年)
    2784戦304勝 重賞6勝 G1級1勝 
    タイテエム

    59年デビュー。3年目の61年には20勝、62年には重賞初制覇、63年は29勝を挙げるなど順調に台頭。
    67年には自己最多の51勝を挙げ全国リーディング5位にランクイン。
    翌年以降は成績を落としたが、73年にはタイテエムとのコンビで春天を制し八大競走初制覇。
    翌74年、調教師免許取得に伴い引退。
    調教師としてはファンドリナイロ、ヒカリデユールなどを輩出。
    弟に元騎手の須貝四郎、息子に元騎手で現調教師の須貝尚介がいる。

  • 72二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:55:39

    >>59

    通算1000勝以上の騎手の中では勝利数に対する重賞の比率が8.2%で武豊(7.9%)やルメール(7.9%)以上だから

    大舞台になればなるほど強い騎手

  • 73二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:55:44

    田島日出雄(41年生まれ 59年〜83年)
    4135戦411勝 重賞8勝 G1級3勝 
    タニノチカラ

    59年デビュー。平地と障害双方を主戦とし、3年目以降は二桁勝利を続ける。
    66年に平地で重賞初制覇含む31勝を挙げ、以後は平地に専念。
    その後67、68、71年と30勝以上を記録する。
    その後は勝ち星は伸び悩んだが、73年からはタニノチカラとコンビを組み、同年秋天を優勝して八大競走初制覇。
    翌年以降も同馬とのコンビで活躍を続け、74年有馬記念でも優勝した。
    タニノチカラ引退後は特に活躍なく、83年に引退。
    引退後は調教助手に。
    タニノチカラの主戦騎手として後世に名を残しており、重賞8勝中6勝を同馬で挙げている。

  • 74二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:58:00

    中神輝一郎(44年生まれ 62年〜67年)
    280戦51勝 重賞2勝 
    ハマテツソ

    62年デビュー。65年まで計40勝と凡庸な成績だったが、66年にハマテツソとのコンビで重賞2勝を挙げる活躍。
    翌年には同馬と海外遠征しブラジルのレースに出走(11着)。
    しかしその後ハマテツソは帰国したものの、中神は帰国せずそのまま消息不明となり引退同然の扱いとなった。
    その後中神はブラジルに留まって現地の競馬で騎手をしていることが判明。
    ブラジル競馬では20年近く走り300勝近くを挙げるなどトップジョッキーとして活躍をした。
    95年に帰国し、その後は故郷に戻って暮らしている。
    数奇な騎手生活を送ったことで有名。

  • 75二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 15:59:40

    高橋司(50年生まれ 70年〜83年)
    1130戦78勝 重賞3勝 ホワイトフォンテン

    70年に騎手デビュー。3年目と4年目に二桁勝利を挙げるがその他の年は一桁勝利が続き、活躍も皆無だった。
    しかし75年にホワイトフォンテンとコンビを組むと、夏の重賞で人気薄ながら優勝し人馬共に重賞初制覇。
    翌年もコンビを続け重賞戦線で活躍し2勝を挙げた。
    ホワイトフォンテン引退後は特に活躍なく、83年に騎手引退。
    元祖個性的逃げ馬として有名なホワイトフォンテンの主戦騎手で、その活躍ぶりから人馬共に大きな人気を集めた。
    重賞3勝はすべてホワイトフォンテンで勝ったもの。

  • 76二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:00:37

    広松孝司(51年生まれ 70年〜92年)
    887戦112勝 重賞10勝 
    ファンドリナイロ

    70年デビュー。障害を主に走り、74年に障害重賞初制覇。
    77年春からはファンドリナイロとコンビを組み、同年は障害重賞を3勝。
    翌年もコンビを続け、中山大障害春含む障害重賞3勝を挙げた。
    ファンドリナイロ引退後も障害主戦で現役を続け、目立つ活躍はないが障害重賞を2勝するなど成績を残した。
    91年に引退。
    障害の名馬ファンドリナイロの主戦騎手として名を残している。

  • 77二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:02:33

    菅野澄男(54年生まれ 73年〜86年)

    949戦62勝 重賞1勝 

    カブラヤオー


    73年にデビュー。

    ほぼ活躍することなく86年に引退したが、菅野はカブラヤオーの初期の主戦騎手で、2歳時の初勝利と2勝目は彼の騎乗で挙げた。

    3歳以降は兄弟子の菅原泰夫が同馬の主戦騎手となったが、クラシック前の東京4歳Sでは同じく菅原の主戦騎手だったテスコガビーが出走した為、菅原はテスコガビーに騎乗し、カブラヤオーは菅野が騎乗。

    結果は激戦の末に菅野のカブラヤオーが優勝した(菅野はこれが生涯唯一の重賞制覇)。

    その後カブラヤオーは菅原主戦で二冠を制したが、故障休養後の翌年の復帰戦では菅野の騎乗で復活勝利を挙げている。

    75年東京4歳Sは現在でも名勝負として語り継がれており、その為このレースを制した菅野の名は結構知られている。

    1975年 東京4歳ステークス カブラヤオーvsテスコガビー ~実況:林洋右(ラジオ関東)


  • 78二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:03:33

    出口明見(49年生まれ 70年〜93年)
    2718戦179勝 重賞5勝 
    カシュウチカラ

    70年デビュー。2年目に20勝を挙げるがその後は二桁勝利前後の成績が続く。
    しかし76年に重賞初制覇を果たすと、翌77年からはカシュウチカラとのコンビで活躍。
    同年は同馬で重賞2勝を挙げ、勝利数も久々の20勝と活躍。
    翌78年もカシュウチカラと重賞2勝や春秋天皇賞3着と活躍した。
    しかし翌79年の春天ではカシュウチカラの鞍上は出口から郷原洋行に代わり、結果郷原の騎乗でカシュウチカラは春天を優勝。
    その後カシュウチカラは出口主戦に戻ったものの、高齢と衰えから不振続きで引退。
    出口はその後も現役を続けたが、80年以降は重賞未勝利で勝利数も一桁台が続き、93年に騎手を引退した。
    カシュウチカラの主戦騎手で同馬と重賞4勝を挙げたが、大競走を共に勝てなかったことが惜しまれる騎手。

  • 79二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:05:17

    鹿戸明(43年生まれ 64年〜83年)
    3004戦284勝 重賞13勝 G1級3勝 
    テンポイント

    64年デビュー。2年目から二桁勝利を挙げ71年には重賞初制覇を果たすが、しばらくは特に目立つ活躍はなかった。
    しかし75年からはテンポイントとデビューからコンビを組み、無敗で阪神3歳Sを優勝。
    翌年もテンポイントとのコンビでクラシックで活躍(ダービーのみ武邦彦騎乗)。同年大競走勝ちはなかったがトウショウボーイやグリーングラスと激闘を繰り返した。
    そして翌77年はテンポイントとのコンビで春天を制し人馬とも悲願の八大競走初制覇。その後も活躍馬続け、年末の有馬記念では宿敵トウショウボーイを名勝負の末に下し優勝、人馬共に絶頂期を迎える。
    しかし翌年にテンポイントはレース中の故障により悲運の最期を遂げる。
    テンポイントの死後も鹿戸は現役を続けたが、殆ど活躍することなく83年に引退した。
    引退後は調教師となりドウカンヤシマなどを輩出。
    流星の貴公子テンポイントの主戦騎手として歴史に名を残す騎手。
    同馬以外での活躍は殆どなく、唯一無二のコンビだった。

  • 80二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:07:11

    池上昌弘(47年生まれ 67年〜88年) 
    1679戦138勝 重賞9勝 G1級2勝 
    メジロアサマ ハクホオショウ トウショウボーイ

    67年デビュー。
    1年目から3年連続で二桁勝利を挙げると、70年からはメジロアサマとコンビを組み、秋に重賞初制覇。更に秋天も制し八大競走初制覇を果たして脚光を浴びる。
    その後もメジロアサマとのコンビで活躍し、71年には重賞2勝や宝塚2着、73年には重賞1勝に有馬記念2着と活躍した。
    メジロアサマ引退後の73年にはハクホオショウとコンビを組み重賞を2勝。
    74は自己最多の17勝を挙げる。
    76年にはトウショウボーイとデビューからコンビを組み無敗で皐月賞を制覇。
    しかしその後同馬ではダービー2着など惜敗が続き、夏以降は降板させられる。
    その後はもともと騎乗数や勝利数が少なったこともあり成績は低迷。
    10年以上も一桁勝利が続いた末に88年に引退した。
    メジロアサマ、トウショウボーイといった歴史的名馬とのコンビを務めたことで知られるが、それ以後の悲惨な成績もありやや暗い印象を残した騎手。

  • 81二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:08:49

    中野渡清一(41年生まれ 61年〜88年)
    5122戦566勝 重賞9勝 G1級3勝 
    タケシバオー ルピナス マルゼンスキー

    61年にデビュー。1年目から32勝を挙げて注目され、5年目以降は6年連続で30勝以上を達成。
    66年に重賞初制覇を果たし、67年にはタケシバオーとのコンビで朝日杯優勝。
    同馬では翌68年春までで重賞2勝含む7勝を挙げた。
    同年にはルピナスでオークスを制し八大競走初制覇し、自己最高の50勝を挙げた。
    その後は安定した成績を残しながらも目立つ活躍からは遠ざかったが、76年にはマルゼンスキーとデビューからコンビを組み、朝日杯優勝など翌年まで続く同馬の歴史的な圧勝街道を共にした。
    マルゼンスキー引退後は徐々に成績が下がり活躍することもなくなり、80年代に入ると一桁勝利が続いた。
    それでも85年からは引退まで3年連続で二桁勝利を挙げ存在感を見せた。
    88年に引退。
    マルゼンスキーとの全戦でコンビを組み、同馬での騎乗や逸話などで歴史に名を残している。
    ただその一方でタケシバオーの初期の主戦騎手だったことはあまり知られてないかもしれない。

  • 82二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:10:31

    佐々木晶三(56年生まれ 74年〜83年)
    1183戦137勝 重賞2勝 G1級1勝 
    ホースメンテスコ

    74年にデビュー。1年目に19勝、2年目に25勝と順調に台頭。
    しかし減量苦に悩み、5年目の78年は一桁勝利に終わる。翌79も一桁勝利に終わったが、桜花賞でコンビを組んだホースメンテスコで人気薄ながら優勝。初重賞制覇を八大競走で達成した。
    翌年以降は3年連続で二桁勝利を挙げるなど復調したが、減量苦もあり83年に引退。
    引退後は調教助手になり、その後調教師に。調教師としてシーキングザパール、タップダンスシチー、コスモサンビーム、インティライミ、アーネストリー、キズナ、アップトゥデイト、ラムジェットなど多数の名馬を輩出し現在でも活躍。

  • 83二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:11:27

    竹原啓二(53年生まれ 73年〜96年) 2468戦332勝 重賞9勝 
    フジマドンナ ニフティニース

    73年デビュー。2年目以降は二桁勝利を続け、76年に重賞初制覇。
    80年からはフジマドンナとコンビを組み活躍。同馬では重賞3勝を挙げ、史上初の7歳牝馬重賞制覇や牝馬獲得賞金記録更新などの快挙を達成した。
    その後はしばらく活躍から遠ざかったが、88年に久々の重賞制覇を挙げると、菊花賞では人気薄のガクエンツービートにテン乗りで2着に好走。
    90年からはニフティエースとコンビを組み、重賞2勝含む7勝を挙げた。
    94年にはニフティエースの弟ニフティダンサーで重賞を勝つがこれが最後の活躍となり、96年に引退。
    年間騎乗回数が150回を超えたことがないものの二桁勝利を22回記録するなど、渋い腕利きとして存在感を見せた。

  • 84二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:12:49

    柴崎勇(49年生まれ 70年〜94年)
    3928戦277勝 重賞10勝 G1級1勝 
    ナスノセイラン ギャロップダイナ

    70年デビュー。平地と障害を主戦とし、72年にはナスノセイランで中山大障害春を制し重賞初制覇。
    77年以降は平地に専念し、同年に平地重賞初制覇。
    その後は二桁勝利を続けながらも目立つ活躍はなかったが、フリー騎手となった84年以降から活躍。
    同年は重賞3勝を挙げ、翌85年も重賞2勝。
    86年にはギャロップダイナで安田記念を制しG1初制覇。
    同年には同馬と海外遠征や有馬記念2着などの活躍を見せた。
    88年以降は活躍から遠ざかり、94年に引退。引退後は調教師となった。
    ギャロップダイナには同馬の条件時代から数多く騎乗しており主戦騎手といえる立場にあった。

  • 85二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:14:41

    木藤隆行(57年生まれ 75年〜95年)
    1752戦155勝 重賞7勝 G1級1勝 
    エルプス

    75年にデビュー。4年目の79年に20勝を挙げるが騎乗回数の少なさもあり一桁勝利の年が多く、重賞勝ちもないまま10年目の84年を迎える。
    同年にデビューしたばかりのエルプスとコンビを組み、秋に同馬で重賞初制覇を果たす。
    翌年もエルプスとのコンビで活躍を続け、桜花賞では2番人気で優勝。
    八大競走初制覇を果たした。その後も重賞を勝つなど、同年末に同馬が引退するまでコンビで活躍を続けた。
    エルプス引退後は重賞で何度か勝ったものの目立つ活躍はなく、95年に引退。
    小柄の快速牝馬エルプスとの名コンビで知られている。
    同馬とは桜花賞含めて重賞5勝を挙げた。

  • 86二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:16:02

    音無秀孝(54年生まれ 79年〜95年)
    1212戦84勝 重賞6勝 G1級1勝 
    ミスラディカル ノアノハコブネ

    25歳と遅めの79年にデビュー。初勝利は2年目で、3年目を終えた時点でも通算勝利数は二桁に届かないなど全く目立つ存在ではなかった。
    しかし4年目の82年にミスラディカルとデビューからコンビを組み、重賞2勝やエリザベス女王杯2着などの活躍を見せ、初の二桁勝利。
    翌年も同馬とのコンビで重賞を2勝。この年も二桁勝利を挙げた。
    翌84年にミスラディカルは引退したが、同年は自己最多の18勝を挙げる。
    翌85年にはノアノハコブネとコンビを組み、オークスでは21番人気ながら大波乱の優勝でG1初制覇を果たす。
    翌86年にはユウミロクとのコンビでオークスを2着、87年には同馬で重賞を勝った。
    その後は活躍なく、93年に引退。
    引退後は調教助手を経て調教師になり、カンパニー、オレハマッテルゼ、クリソライト、ミッキーアイルなど多数の名馬を輩出し現在でも活躍。

  • 87二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:16:59

    法理弘(45年生まれ 64年〜79年)
    505戦77勝 重賞5勝 
    ハセタカラ メリーダンサー クリユタカ グランドマーチス

    64年にデビュー。障害を主戦とし、70年にハセタカラで引退レースだった中山大障害春を制し重賞初制覇。
    同年には鉄女メリーダンサーで京都大障害も優勝。
    翌71年もメリーダンサーで障害重賞を勝利。
    翌72年からはクリユタカとコンビを組み、翌73年に中山大障害秋で人気薄ながらレコードタイムで優勝。
    そして75年秋の中山大障害では、主戦の寺井千万基が落馬負傷で不在となっていたグランドマーチスに代打騎乗。
    バローネターフなどを下し同馬に中山大障害4連覇の偉業をもたらした。
    その後は活躍なく、79年に引退。

  • 88二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:18:32

    星野忍(51年生まれ 71年〜97年)
    2330戦310勝 重賞13勝 
    オキノサコン オキノサキガケ キョウエイウオリア ワカタイショウ ポレール

    71年にデビュー。障害で主に勝ち星を挙げ、3年目に障害重賞初制覇。
    78年には障害重賞2勝を挙げ、80年にはオキノサコンで中山大障害春を優勝。
    83年にはオキノサキガケで春秋中山大障害連覇を果たす。
    84年には障害で年間20勝を達成。
    その後はやや活躍から遠ざかったが、89年には10歳馬キョウエイウオリアで中山大障害を制し史上最高齢重賞優勝の快挙を達成。
    また同年に史上初の障害200勝を達成。
    翌90年にはワカタイショウで中山大障害秋を優勝。
    96年にはポレールで春秋中山大障害連覇を果たすなど、最晩年まで障害のトップジョッキーとして活躍。
    97年引退。障害通算254勝は2021年に更新されるまで史上1位の記録だった。

  • 89二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:19:32

    崎山博樹(50年生まれ 71年〜84年)
    993戦76勝 重賞2勝 
    カツラギエース

    71年デビュー。3年目の73年に21勝を挙げたがその後は一桁勝利が続き、活躍もほぼ皆無。
    しかし81年に年間3勝ながら重賞初制覇を果たすと、翌82年にはカツラギエースとコンビを組む。
    デビュー戦含め2勝を挙げると翌年もコンビを続行。
    皐月賞&ダービーでは敗れたがNHK杯では勝つなど存在感を見せ、秋以降の雪辱が期待された。
    しかし秋諸戦の神戸新聞杯で騎乗ミスにより2着に敗れ、この責任により崎山はカツラギエースから降板を余儀なくされる。
    翌84年、騎手を引退した。
    カツラギエースの初期の主戦騎手として知られる。
    もし神戸新聞杯での騎乗ミスがなかったら歴史はどうなっていたか分からない。

  • 90二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:21:38

    内山正博(63年生まれ 84年〜03年)
    3675戦255勝 重賞2勝 G1級1勝 
    サッカーボーイ

    84年にデビュー。1年目は21勝、2年目は重賞初制覇含む23勝と順調なスタートを切る。
    そして87年にはサッカーボーイとデビューからコンビを組み、阪神3歳Sではレコードタイムの圧勝で人馬ともG1初制覇。
    しかし翌年の弥生賞3着を最後に内山はサッカーボーイから降板。
    その後は92年から4年連続で20勝以上するなど存在感は見せたものの重賞勝ちはなく、03年に引退。
    引退後は調教助手となった。
    サッカーボーイの初期の主戦騎手。
    サッカーボーイといえばどうしても河内洋のイメージが強いが、阪神3歳Sでの圧勝は内山の騎乗によるものだということは知られているかどうか。

  • 91二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:23:37

    楠孝志(47年生まれ 69年〜93年)
    3486戦302勝 重賞5勝 G1級1勝 
    パッシングショット

    田村正光・上野(伊藤)清章・内田国夫・西浦勝一らと共に69年にデビュー。
    1年に23勝、2年目に重賞初制覇含む22勝と順調なスタートを切る。
    しかしその後80年代後半までは79年の29勝が最高で、重賞勝利も3勝に留まるなど同期と比べて成績は伸び悩む。
    しかし90年にはパッシングショットとのコンビでCBC賞を制し10年ぶりに重賞制覇。
    更に秋には同馬でマイルCSを人気薄ながら優勝、43歳でG1初制覇を果たした。
    同年末にパッシングショット引退後は活躍なく、93年に引退した。

  • 92二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:25:16

    佐藤正雄(48年生まれ 69年〜93年)
    2732戦208勝 重賞2勝 G1級1勝 
    ニシノフラワー

    69年デビュー。デビューから3年連続で二桁勝利を挙げるが、その後は10年一桁勝利が続き、重賞も未勝利が続く。
    82年〜87年にかけては二桁勝利を5回記録するが、相変わらず重賞とは無縁だった。
    しかし91年、ニシノフラワーとデビューからコンビを組むと、札幌3歳Sで優勝し43歳で重賞初制覇。
    更に阪神3歳牝馬Sでも優勝、G1初制覇も果たした。
    しかし翌年の桜花賞前哨戦で敗れると自らニシノフラワーから降板、翌93年に騎手を引退した。
    引退後は調教助手を経て調教師となり、ワンダーアキュートを輩出した。
    ニシノフラワーの初期の主戦騎手として知られ、騎手最晩年に栄光を手にした騎手。

  • 93二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:27:23

    中野栄治(53年生まれ 71年〜95年)
    3670戦370勝 重賞16勝 G1級2勝 
    ドロッポロード アイネスフウジン

    71年騎手デビュー。デビュー2年目から2桁勝利を続け、76年に重賞初制覇。
    80年から81年にかけてはドロッポロードとのコンビで重賞3勝を挙げる。
    その後も安定した成績で重賞勝ちを積み重ねるなど中堅騎手として存在感を見せていた。
    しかし体重管理の失敗などにより80年代後半から成績が落ち、89年は交通事故もあり騎乗回数も激減してしまう。
    しかし同年秋からふとしたきっかけでアイネスフウジンとデビューからコンビを組み、好成績を積み重ねると年末の朝日杯で優勝しG1初制覇。
    翌90年もコンビを続けてクラシックに挑み、皐月賞こそ2着に惜敗したがダービーでは圧巻の逃げ切りで優勝。
    ダービージョッキーの栄誉に輝く。
    アイネスフウジンはダービーを最後に引退し、中野もこの以後は活躍なく95年に騎手を引退した。
    引退後は調教師としてトロットスターを輩出。
    史上最多の観客が詰めかけた90年のダービーの勝者で、優勝後の「中野コール」という競馬史に残る名場面で有名。
    アイネスフウジンと共に、ダービーが続く限り永遠に語り継がれる名騎手。

  • 94二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:29:00

    蛯名武五郎(18年生まれ 36年〜61年)
    3907戦864勝 重賞31勝 G1級12勝 
    ヒデヒカリ ボストニアン メイヂヒカリ ヘキラク キヨタケ カツラシユウホウ

    36年デビュー。3年目から二桁勝利を挙げ、39年には33勝、42年には44勝、43年には63勝を挙げるなど戦前からトップジョッキーとして活躍。
    戦後になると48年にヒデヒカリで皐月賞を制し初重賞制覇。
    53年にはボストニアンで皐月&ダービーの二冠を制覇。
    54年〜56年にかけてはメイヂヒカリとのコンビで朝日杯&菊花賞&春天&有馬記念を優勝。
    56年にはヘキラクで皐月賞も制した。
    57年にはヒカルメイジで2度目のダービー制覇、59年にはキヨタケで桜花賞を制するなど、保田隆芳と共に戦後のトップジョッキーとして君臨。
    57年にはカツラシユウホウで牡馬三冠全2着の怪記録も残した。
    61年に引退。
    引退後は調教師となったが、70年に病気の為52歳で逝去。
    戦前・戦後を代表する大騎手の一人。

  • 95二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:30:54

    八木沢勝美(20年生まれ 39年〜64年)
    2871戦457勝 重賞20勝 G1級10勝 
    ヤシマドオター クリノハナ スウヰイスー ヤマイチ ミスマルサ オンワードゼア タカハタ ホマレボシ

    39年デビュー。
    戦前からそれなりの成績を残していたが、本格的な活躍は戦後から。
    49年にヤシマドオターで桜花賞を制し八大競走初制覇。
    同年は43勝を挙げ全国リーディング2位に。
    51年にはタカハタで朝日杯を優勝。
    52年はクリノハナで皐月賞&ダービーを優勝、スウヰイスーでオークスを優勝。
    54年にはヤマイチで桜花賞&オークスを優勝するなど大競走で活躍。
    57年以降は勝ち星は10勝台に留まったが、58年にはミスマルサでオークスを優勝、オンワードゼアで有馬記念を制するなど大競走でも強さを見せた。
    61年にはホマレボシで重賞3勝。
    64年に騎手引退。
    その後は調教師となり、メジロタイヨウやニットウチドリを輩出した。

  • 96二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:33:04

    保田隆芳(20年生まれ 36年〜70年)
    6143戦1295勝 重賞114勝 G1級27勝 
    テツモン ニユーフオード ヤシマドオター ハタカゼ イツセイ スウヰイスー タカハタ ハクリヨウ ハクチカラ ミツドフアーム ハククラマ クリペロ ヤシマフアースト ハクシヨウ グレートヨルカ メイズイ ハクズイコウ コレヒデ ヤマピット マーチス 

    36年に16歳でデビュー。3年目の38年にアステリモアでオークスを優勝するなど27勝、39年にはテツモンで秋天を制し43勝を挙げるなど10代からトップジョッキーとして活躍。
    41年からは兵役に就きその後徴兵され、しばらく競馬界から離れる。
    終戦後の46年に復帰。ブランクもありしばらくは成績が上がらなかったが、49年にニユーフオードで秋天を優勝、50年にヤシマドオターで秋天を制すなど復活。51年にはハタカゼで秋天を制し秋天三連覇の偉業を達成。
    52年にはスウヰイスーで桜花賞制覇。53年にはハクリヨウで菊花賞、54年には春天を制し同馬を初代年度代表馬に導く。
    56年にはミツドフアームで秋天を制した他、ハクチカラでダービーを制しダービージョッキーに輝く。
    同馬とは翌年にも秋天&有馬記念を制覇し、その後海外遠征にも赴いた。
    59年にはハククラで菊花賞優勝、この年は自己最多の89勝を挙げ初の全国リーディング1位に輝く(その後3年連続で1位)。
    60年にはクリペロで春天を優勝。61年にはハクリヨウで2度目のダービー制覇。63年にはグレートヨルカで菊花賞優勝し、同年は史上初の1000勝を達成。その後も66年にハクズイコウで春天優勝、同年秋にはコレヒデで秋天(と有馬)を優勝し、10度目の天皇賞制覇を達成。
    67年にはヤマピツトでオークス制覇。68年にはマーチスで皐月賞を制し史上初の八大競走完全制覇。
    数々の偉業を達成し、70年に引退。
    引退後は調教師となり、メジロアサマ、トウショウボーイを輩出した。
    競馬史に燦然と輝く大騎手の一人。
    残した実績もさることながら、ハクチカラとの海外遠征後に海外で主流だったモンキー乗りを取り入れるなど日本の騎乗技術の進歩に貢献した功績も大きく、保田の影響により日本競馬の発展は10年早まったと評価されている。

  • 97二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:35:26

    野平祐二(28年生まれ 44年〜75年)
    7279戦1339勝 重賞71勝 G1級10勝 
    トサオー カネケヤキ スピードシンボリ ヒカルタカイ 

    44年にデビューしたが、戦争末期だったこともあり本格的なデビューは戦後になってから。
    47年からは二桁勝利を続け、52年に重賞初制覇。
    55年以降は勝ち星を量産し、57年には中央競馬初の年間100勝、翌58年には当時の最多記録である121勝を達成し一躍トップジョッキーに。
    翌59年にはトサオーで春天を制し八大競走初制覇。
    64年にはカネケヤキで桜花賞&オークスの二冠を制覇。
    65年〜70年にかけてはスピードシンボリとのコンビで春天&宝塚&有馬(2回)を優勝し海外遠征も敢行するなど活躍した。
    68年にはヒカルタカイで春天を大差で優勝、同年宝塚も制した。
    70年以降は大競走勝ちからは遠ざかったが安定して勝ち星を積み重ね、72年夏に1296勝目を挙げ歴代最多勝利数を更新。
    その後も活躍を続け、75年に引退。
    引退後は調教師となりシンボリルドルフを輩出。
    「ミスター競馬」と称される競馬界の巨人。
    何度も海外遠征を行い多くの騎乗・調教技術を取り入れ、近代の騎乗・調教技術の発展に大きく貢献した。
    また72年に欧州に遠征した際は現地の馬でレースに勝ち、日本人騎手として欧州競走初勝利を挙げている。

  • 98二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:37:00

    森安弘明(32年生まれ 51年〜69年)
    651戦143勝 重賞29勝 G1級5勝 
    カンセイ クリチカラ クリペロ クリヒデ ヤマノオー ナスノコトブキ ニットエイト リュウズキ 

    弟は同じく騎手の森安重勝。51年デビュー。
    大柄な体格で減量に苦しみその為騎乗回数には恵まれず、年間最多騎乗は66年の88回、最多勝利も同年の28勝に留まった。
    しかし騎乗回数が少ないながらも類稀な勝負強さで重賞戦線で活躍。
    デビュー3年目の53年にカンセイで桜花賞を制し重賞初制覇を八大競走で飾り、54年〜56年にかけてはクリチカラとのコンビで重賞5勝。
    59年にはクリペロで重賞3勝。
    62年にはクリヒデで秋天を優勝。
    63年にはヤマノオーで重賞3勝(この年挙げた勝利はこの3勝のみ)。
    自己最多騎乗数と勝利数を挙げた66年はナスノコトブキとのコンビで菊花賞含む重賞3勝、他にも重賞3勝を挙げた。
    68年にはニットエイトで秋天、リュウズキで有馬記念を優勝と勝負強さを見せた。
    しかし減量苦により翌69年引退。
    引退後は調教師となった。
    「重賞男」の異名をとった勝負師騎手。騎乗数が少ないながらも残した成績は非常に高い。

  • 99二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:39:08

    福永洋一(48年生まれ 68年〜79年)
    5086戦983勝 重賞49勝 G1級8勝 
    ニホンピロムーテー ヒデハヤテ ヤマニンウエーブ エリモジョージ トウショウボーイ インターグロリア ハードバージ

    68年デビュー。2年目に44勝を挙げて台頭し、3年目の70年には重賞初制覇含む86勝を挙げ全国リーディング1位に(その後9年連続で1位)。
    71年にはニホンピロムーテーとのコンビで菊花賞を制し八大競走初制覇。
    72年にはヤマニンウエーブで秋天優勝。
    74年からはエリモジョージとコンビを組み、春天&宝塚含む重賞7勝を挙げる。
    77年にはインターグロリアで桜花賞&エリザベス女王杯を優勝。同馬では他にも重賞3勝を挙げた。
    また同年にはハードバージとのコンビで皐月賞を伝説の名騎乗で優勝。
    78年にはオヤマテスコで桜花賞を制すなど重賞11勝、年間勝ち星は歴代最多の131勝を挙げ9年連続で全国リーディング1位に輝くなど絶頂期を迎えた。
    しかし翌79年春のレース中に落馬事故で重大な故障を負い、辛くも一命は取り留めたが騎手引退を余儀なくされた。
    史上最高の騎手の一人と評価される名騎手。
    天才としか言いようのない名騎乗の数々で傑出した成績と強烈な印象を残した。
    もし無事ならばどれだけ歴史的な成績と名騎乗を見せ続けていたか測りしれず未だに惜しまれる。
    しかし息子の福永祐一が騎手となり、洋一の果たせなかったダービー制覇や三冠制覇などを成し遂げる歴史的な名騎手となった。

  • 100二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:41:03

    武邦彦(38年生まれ 57年〜85年)
    7679戦1163勝 重賞80勝 G1級12勝 
    ロングエース アチーブスター タケホープ キタノカチドキ トウショウボーイ インターグシケン ハッピープログレス

    57年デビュー。3年目に初重賞制覇し、7年目の63年に35勝を挙げて台頭。
    68年には77勝、68年には79勝を挙げるなどトップジョッキーの一人に。
    重賞では数多く勝利を重ねながらもしばらく大競走とは縁がなかったが、72年にアチーブスターで桜花賞を制し悲願の八大競走初制覇。
    更に同年にはロングエースでダービーも制しダービージョッキーの栄誉に輝いた。
    その後も73年にタケホープで菊花賞制覇、74年からはキタノカチドキとのコンビで阪神3歳S&皐月賞&菊花賞を優勝。
    75年にはタカエノカオリで桜花賞優勝。
    76年からはトウショウボーイとのコンビで有馬記念&宝塚を優勝。
    78年にはインターグシケンで菊花賞、リードスワローでエリザベス女王杯を制すなど大競走制覇を重ねた。
    80年には1000勝を達成。
    80年代以降は大舞台での活躍からは遠ざかったが安定した成績を続け、85年に引退。
    調教師としてバンブーメモリーを輩出した。
    「名人」とあだ名された60年〜70年代を代表する名騎手。
    福永洋一とはライバルと言える関係にあった。
    息子で三男の武豊は父を超える大騎手となり、四男の幸四郎も騎手としてG1を何度も制すなど活躍した。

  • 101二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:43:36

    増沢末夫(37年生まれ 57年〜92年)
    12780戦2016勝 重賞84勝 G1級8勝 
    アサデンコウ イシノヒカル ハイセイコー ハワイアンイメージ ダイナガリバー メイワキミコ キヨヒダカ ダイナフェアリー コーセイ ユキノサンライズ

    57年デビュー。2年目と3年目に30勝以上を挙げ台頭。
    その後一時成績を落としたが、64年以降は安定して30勝以上の成績を続ける。
    重賞はなかなか勝てずにいたが、67年にアサデンコウでダービーを制し重賞初制覇をダービーで飾る。
    その後は重賞でも勝ち星を重ね、72年にはイシノヒカルで菊花賞と有馬記念を優勝。
    翌73年にはハイセイコーとコンビを組み、皐月賞&宝塚含む重賞7勝の活躍。社会的人気を博した同馬と共に一躍名を挙げる。
    その後しばらく大競走勝ちはなかったが、80年にはハワイアンイメージで皐月賞制覇。
    81年には96勝を挙げ初の全国リーディング1位に輝き、翌82年も104勝で2年連続1位に。
    翌年以降も80勝以上を続け、84年には騎手最多勝記録を更新。
    86年には自己最多の106勝を挙げる。同年にはダイナガリバーで19年ぶりにダービー制覇し、当時の史上最年長ダービー制覇の記録を樹立。同馬では有馬記念制覇も果たした。
    90年には年間100勝を達成するなど50代を過ぎても活躍。
    そして91年に史上初の2000勝を達成した。
    翌92年に引退。
    「鉄人」と呼ばれた大騎手。
    ハイセイコーやダイナガリバーでの活躍は有名だが、それ以上に故障とは無縁だった頑丈ぶりと40代後半以降の活躍が評価されている。
    ローカルでの強さも目立ち、福島では通算671勝を挙げている。

  • 102二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:45:10

    柴田政人(48年生まれ 67年〜95年)
    11728戦1767勝 重賞84勝 G1級15勝 
    アローエクスプレス ファンタスト プリテイキャスト ブロケード キョウエイプロミス スクラムダイナ ミホシンザン パーシャンボーイ フレッシュボイス イナリワン ウイニングチケット

    67年デビュー。2年目に22勝を挙げ、70年にアローエクスプレスで重賞初制覇。
    73年には61勝を挙げ全国リーディング3位に入り、以降トップジョッキーの一人として活躍。
    大競走は中々勝てなかったが78年にファンタストで皐月賞を制し八大競走初制覇。
    80年にはプリテイキャストで秋天を有名な大逃亡劇で制し優勝。
    81年にはブロケードで桜花賞制覇、83年にはキョウエイプロミスで秋天を優勝。
    84年はスクラムダイナで朝日杯を制しG1初制覇。
    翌85年からはミホシンザンとのコンビで皐月賞&菊花賞&春天を優勝。
    85年は自身初の100勝を達成。
    86年にはパーシャンボーイで宝塚を優勝(外国産馬初のG1制覇)、87年はフレッシュボイスで安田記念を代打騎乗ながら優勝。
    88年は自己最多の132勝を挙げ、初の全国リーディング1位に輝いた。
    華々しい活躍を続ける一方でダービーには中々勝てなかったが、93年にウイニングチケットで悲願のダービー制覇を果たす。
    同年は自己2番目の113勝を挙げるなどトップジョッキーとして強さを見せつけた。
    しかし翌94年に落馬事故により重傷を負い、その影響により翌95年に引退した。
    70年〜90年代にかけてトップジョッキーとして活躍した名騎手。
    実績だけでなく義理や人間関係に篤い性格でも知られ、そのことにより周囲から大きく慕われた。

  • 103二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 16:48:33

    河内洋(55年生まれ 74年〜03年)
    14940戦2111勝 重賞141勝 G1級23勝 
    アグネスレディー ハシハーミット カツラノハイセイコ ヒカリデユール ニホンピロウイナー メジロラモーヌ オグリキャップ サッカーボーイ アグネスフローラ ダイイチルビー ニシノフラワー メジロブライト アグネスフライト アグネスタキオン

    74年デビュー。1年目から20勝以上を続け、79年には68勝で全国リーディング3位にランクイン。
    79年にはアグネスレディーで桜花賞を制し八大競走初制覇。
    同年にはハシハーミットで菊花賞も優勝。
    翌80年は72勝を挙げ初の全国リーディング1位に輝く。
    81年にはカツラノハイセイコで春天制覇。82年にはヒカリデユールで有馬記念を優勝。
    84年からはニホンピロウイナーとのコンビでマイルCS(2度)&安田記念とG1を3勝。
    85年は自己最多の118勝を挙げ2度目のリーディング1位に。
    翌86年にはメジロラモーヌとのコンビで史上初の牝馬三冠制覇の偉業を達成。
    同年も117勝を挙げリーディング1位に輝いた。
    88年にはアラホウトクで桜花賞、サッカーボーイでマイルCSを優勝。
    同年はオグリキャップでも重賞5勝を挙げた。
    90年にはアグネスレディーの仔アグネスフローラで母仔二代の桜花賞制覇を達成。
    91年にはダイイチルビーで安田記念&スプリンターズSを優勝。
    92年もニシノフラワーで桜花賞&スプリンターズSを優勝。
    93年にはレガシーワールドでJCを優勝するなど、大舞台で活躍を続けた。
    その後はやや大競走勝ちから遠ざかったが、98年にメジロブライトで春天を制し久々のG1優勝。
    そして00年にはアグネスレディーの仔アグネスフライトでダービーを制し悲願のダービージョッキーに。
    更に01年には同じアグネスレディーの仔アグネスタキオンで皐月賞も優勝しクラシック完全制覇の偉業を達成。
    更に同年には史上3人目の2000勝も達成した。
    その後も活躍を続け、調教師免許取得に伴い03年に引退。
    70年代〜00年代にかけ第一線で活躍した大騎手。
    職人芸と呼ばれた騎乗技術は随一と評価された。

    (終わり)

  • 104二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 18:16:29

    お疲れ様でした
    しかしこう考えると的場の爺さん化け物だな

  • 105二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 18:21:38

    >>28

    自殺のニュース聞いて悲しい気持ちになったな

  • 106二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 18:25:18

    おつ
    ミスター競馬まだかなーと待ってたら最後怒涛の勢いでレジェンド続いてわらっちゃった

  • 107二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 19:00:49

    >>32

    ナリタタイシンとブライアン乗ってたヒトだ

  • 108二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 19:12:40

    スレ主ありがとう
    馬の世代交代って早いよなあとか思ってたけど
    人間だって100年経たない間にこんなに人が入れ替わってるんだからお互い生き物なんだなあって思うわ

  • 109二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 19:24:36

    今更だけど岡部幸雄・南井克巳・的場均・田原成貴・武豊は平成以降の活躍が目立つので割愛した

  • 110二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 19:25:35

    >>15

    宇田厩舎の厩舎服のデザインは所属してた南井と藤岡に(手を加えつつ)継承された話

  • 111二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 19:43:14

    >>52

    根本調教師ってバローネターフの主戦騎手でもあったのか

  • 112二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 19:52:24

    >>69

    グランドマーチスが障害に転向するきっかけになったのもこの寺井騎手の乗り馬を確保するためだったという

    その寺井騎手もグランドマーチス以外ではほとんど勝っていなかったとは…

    グランドマーチスを活躍させるために現れたのではないかとさえ思える

  • 113二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 20:04:35

    本当に一人一人きっちり書いてて凄かった
    読み応えのある文章ありがとう

  • 114二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 20:55:39

    >>111

    主戦騎手は別にいて、根本は最後の3戦だけバローネターフに騎乗してる

  • 115二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 21:05:56

    >>41

    ナンバーに載ってた小島さんのインタビューが未だに引きずってる感じがして切なかった

  • 116二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 21:40:51

    安田隆行…は平成が全盛期か一応

  • 117二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 22:23:44

    山岡忞…は駄目だな

  • 118二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 22:56:19

    加藤先生とかいうツイ廃レジェンド
    営業ベタで損してるけど実力は大僧正に比肩するって言ったのは誰だっけか……

  • 119二次元好きの匿名さん24/06/11(火) 23:47:35

    騎手の平均現役年数ってどれくらいなんだろ

  • 120二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 06:36:35

    >>101

    『さらばハイセイコー』で歌手やってるんだよね

  • 121二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 06:56:59

    >>49

    引退1週間前のテリトーリアルの勝利が印象的でした

    ホッコータルマエも管理してたとか凄い人だ

  • 122二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 07:17:34

    >>49

    ヤエノムテキの秋天勝利は岡部騎手じゃない?

    こっちのコンビの時はクリークが勝った秋天

  • 123二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 07:32:18

    スレ主はもしや前に八大競走時代の天皇賞馬スレを立ててた人?
    面白かったからもしよかったらまた見せてくれよな

  • 124二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 07:42:43

    >>55

    01年の皐月賞で名前見た時はびっくりしましたね

  • 125二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 07:45:52

    >>57

    スズパレードの主戦騎手の蛯沢さんは「イン突きの名人」と言われていて、サクラユタカオーを倒した85年のダービー卿CTはお見事だった

  • 126二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 07:57:19

    >>122

    ごめん間違えた

    指摘の通り90年秋天のヤエノムテキの鞍上は岡部で西浦じゃなかった

  • 127二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 08:20:13

    >>119

    実はそこまで競技者としての寿命は長くなくて平均すると10年から15年ぐらいらしい

  • 128二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 15:52:14

    >>127

    30代中盤に引退するのが平均なのか

  • 129二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 15:57:42

    >>128

    野球選手とかもそうだけど

    ベテランと言われる歳になるまで続けられるプロのアスリートはどの競技もそう多くないんだ

    特に騎手はキャリアどころか生涯に響く怪我をするリスクも他の競技より高いんだ

    その点を踏まえれば特におかしな数字ではないんだ

  • 130二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 16:09:28

    >>129

    5Gの異次元ぶりが際立つ

  • 131二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 18:26:08

    >>60

    ブライアンの件で随分批判されたけど名調教師だったと思う

  • 132二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 22:04:02

    ウイポで騎手チョイスする時に地味に参考になりそうなスレ

  • 133二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 22:24:55

    >>101

    >>102

    >>103

    地味に騎乗回数1万回超えなの時代を考えると凄いな

  • 134二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 22:26:42

    >>132

    なんかの参考になるなら嬉しい

  • 135二次元好きの匿名さん24/06/12(水) 22:31:44

    岩元さんと竹園さんの話は出来すぎだろって思う

  • 136二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 08:47:35

    >>54

    つい先日亡くなった人だね

  • 137二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:47:39

    異質な人がちらほら

  • 138二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 20:03:55

    昔の人達だからしゃーないけど病死が結構多いな…

  • 139二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 20:20:33

    ワイの爺ちゃんのお弟子さんもちゃんと書かれてたわ。感謝

  • 140二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 20:40:09

    岩元厩舎というとオペラオーの話は切り離せないけど

    オペラオーのほんの少し前にポレールという当時重賞の中山大障害を春秋春と三連覇した馬もいたそうな

    記録によれば三連覇した次走が当時まだ2年目だった和田竜二を乗せての春天(!?)で

    16頭立ての12着であったと

    ポレール (Polaire) | 競走馬データ - netkeibaポレール (Polaire)の競走馬データです。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬、騎手・調教師・馬主・生産者の全データがご覧いただけます。db.netkeiba.com
  • 141二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 23:22:26

    菅原泰夫の同一年牡牝二冠制覇は空前絶後の快挙だろうな

オススメ

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