- 1二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:23:56
- 2二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:24:47
子供が投げてもガラスを割れるんだ
大人が本気でやったら死ぬ - 3二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:25:16
防衛の際に壁の上から岩熱湯糞を落とすのはよくある話
- 4二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:26:31
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- 5二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:26:53
昔だと都合の良い大きさの石ってどれぐらい転がってるんだろうな
- 6二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:30:41
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- 7二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:31:37
スレ画見た上で史実じゃどうなの? ってことじゃないのか
- 8二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:33:05
- 9二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:34:30
少なくとも宮本武蔵は撃退してるわけだからな
- 10二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:34:32
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- 11二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:34:49
- 12二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:36:30
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- 13二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:36:34
スレ画は見たことあるけどこれが史実に忠実だったのは今知ったわ
もう一回見ようかな - 14二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:37:51
スレ画は武器とは何たるかをちゃんと描写してて良かったな
「最新武器の火縄銃で戦ったろ」→「数が少ないし時間もかかるから防ぎ矢で補助したろ」→「さらに後ろから投石もさせたろ」
最新武器が登場したからってそれだけしか使わない道理なんてないもんな - 15二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:37:58
- 16二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:39:51
殺傷力は高いけど射程は弓とは比べ物にならないし、石一個と矢一本では石の方がずっと重いから大量に用意しての運用は難しい
十分に準備して籠城で使ったり、逆に矢弾が尽きた状況で咄嗟に使うのはあるかもしれないけど - 17二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:40:16
- 18二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:41:28
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- 19二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:41:59
投石器はダビデ王が有名だよね
- 20二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:43:13
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- 21二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:43:24
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- 22二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:44:57
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- 23二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:46:28
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- 24二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:46:36
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- 25二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:47:00
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- 26二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:48:03
スレ画に関しては認めて話を区切ってから
じゃあ他の規模の戦いはどうなんだろうねって素直に聞けばいいんだよ
俺はそんな話してないからわかんねーかなぁ…って煽ったら馬鹿だと思われるよそら
なんとかそっちに話をずらそうとしてるけど一つ一つ解決していこうとしてソースまで要求して通るわけないんだ - 27二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:48:04
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- 28二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:48:31
- 29二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:52:52
大きさにもよるけど頭に直撃しなけりゃ即死はしないからな
- 30二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:54:01
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- 31二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:54:34
ソース探してきて損した
- 32二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:55:49
- 33二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:56:38
古代ローマでは投げ槍や弓の訓練と同時に投石機(機械ではなく紐みたいなもの)を使った訓練があり、的にちゃんと当てられないと配給の小麦を大麦に変えられる罰を受けたという(大麦は小麦よりまずくて不評だった
- 34二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 11:58:49
既に言及されてるけどダビデ王が有名だよね
投石器 - Wikipediaja.wikipedia.org - 35二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:14:43
- 36二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:16:01
- 37二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:31:13
それのソースであろう軍忠状の調査をしたのはコンラン教授と鈴木眞哉で、「日本刀は使われなかった」とかの主張はその孫引きだ
で、ソースとなる軍忠状は逃げ若でも描かれたように、勝者側の戦果報告で、負傷原因は書かれても死因は書いてないんだな
そして神奈川大学の近藤好和教授は、軍忠状などはあくまで負傷者の受け身の資料であり、戦死の場合はおおむね死因が不明で、何よりも攻撃側のことが何もわからず、矢傷が多くとも歩兵が射たのか騎兵が射たのかわからないために一等史料ではあるが、不完全だと言及している
鈴木はそれに対し、確かに合戦の全てを明らかにはできないが、戦死者の割合が低いことから大した問題ではないという反論をしている
- 38二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:33:46
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- 39二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:33:48
遊びというか乱世なら人を⚪︎す用の投石の仕方を農民でも子供の頃から教わって練習して育ってる
- 40二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:34:33
明日は戦なので足軽のみなさんは家から石10個は持ってきてください、みたいな指示もあったのかな
- 41二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:35:31
軍忠状からわかっているデータをかく。石の負傷効率は各自で考えて。死因は不明だ
プリンストン大学教授 トマス・D・コンラン
弓歩兵と打物騎兵が南北朝期における最も有利な軍事組織であり、大太刀が当時は最もリーチが長く、頑丈なために最も有効な白兵武器であり、大太刀と薙刀はより広い円形範囲で打撃・斬撃・刺突ができるために槍より利用価値が高く、弓の殺.害効率は悪い事を主張している
「南北朝期合戦の一考察 戦死傷からみた特質」
軍忠状に見える人数と死傷者数 カッコ内は曖昧な数字
西暦1333年~1394年 人数は8634人(2791人) 殺.害された者は1173人(1881人) 負傷者は1250人(130人)
負傷者数
矢傷523人、73%
原因不明の切傷178人、25%
槍傷15人、2%
石傷5人、1%
死傷した馬の数
原因不明の切傷による殺.害8頭、原因不明の切傷による負傷7頭、矢による殺.害3頭、矢による負傷12頭、槍による殺.害1頭、槍による負傷0頭 - 42二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:36:43
武田軍は野戦でわざわざ荷車にちょうどいい感じの石を乗せて運んで投石してたくらいだし
- 43二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:37:48
日曜歴史家 鈴木眞哉
南北朝期から戦国期を通して日本人の戦は遠戦志向であり、負傷者数の割合から日本刀の実用性は疑問とし、主に首取りの道具であった説を主張
「刀と首取り」
西暦1333-80年及び1457年の1件 主に南北朝
戦死者44人 負傷者583人
矢傷または射傷480人、86.6% 切傷46人、8.3% 石傷または礫傷15人、2.7% 槍傷または突傷6人、1.1% 矢傷および切傷4人 矢傷および槍傷1人 長柄傷1人 矢傷および石傷1人
西暦1467-1637年 戦国期
戦死者190人 負傷者1497人
矢傷・射傷604人、41.3% 鉄砲傷286人、19.6% 槍傷・突傷261人、17.9% 石傷・礫傷150人、10.3% 刀傷・太刀傷56人、3.8% 切傷33人2.3% 薙刀傷2人 その他の殻竿などの武器による傷3人 矢傷・射傷および刀傷1人 矢傷・射傷および切傷4人 鉄砲傷および切傷1人 槍傷および刀傷11人
「戦闘報告書が語る日本中世の戦場」
西暦1333年~1387年 南北朝期
戦死者54人 負傷者606人
矢傷・射傷500人、86.08% 切傷56人、9.64% 石傷・礫傷15人、2.58% 槍傷・突傷9人、1.55% その他1人、0.17%
西暦1467年~1561年 戦国前期の鉄砲による死傷者が出てこない時期
戦死者60人 負傷者747人
矢傷・射傷457人、61.18% 槍傷・突傷140人、18.74% 石傷・礫傷121人、16.20% 切傷24人、3.21% 刀傷・太刀傷5人、0.67%
西暦1563年~1638年 戦国後期
戦死者239人 負傷者825人
鉄砲傷・手火矢傷373人、45.2% 槍傷・突傷170人、20.61% 矢傷143人、17.33% 石傷・礫傷74人、8.97% 刀傷・太刀傷53人、6.42% 薙刀傷7人、0.85% 切傷3人、0.36% その他2人、0.24%
西暦1467~1638年 戦国全期
負傷者1572人
矢傷・射傷600人、38.1% 鉄砲傷・手火矢傷373人、23.73% 槍傷・突傷310人、19.73% 石傷・礫傷195人、12.40% 刀傷・太刀傷58人、3.69% 切傷27人、1.72% 薙刀傷7人、0.45% その他2人、0.13% - 44二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:39:18
そもそも
【石は矢や鉄砲よりも強い最強武器】【石なんて無意味】
って0か100で語るのが間違いなだけでしょ
矢も鉄砲も槍も刀も拳も関節技も石も全部使われたし全部死者が大勢出てる - 45二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:40:41
補足
鈴木自身も認めているように南北朝期のサンプル数ではコンランの方が多いが、彼の視点で史料を選び、独自にカウントしたらしい
あと石の死者が割合的には低いだろうとは思う。
怪我せずに即死させる武器でもないのに、負傷者の数も少なめだからな
- 46二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:41:11
- 47二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:42:56
- 48二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:44:27
実際の所、石だろうと矢だろうと食らうのは嫌だから牽制になった、ぐらいかつそれで十分だったんじゃない?
負傷者だけ見ても、使い手が限られただろう弓矢に遥かに劣るし
ネット民が期待するような、死による死者累々というシーンはなかったと思う - 49二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:51:45
鈴木は日本騎馬はポニーだから騎馬突撃はなかった、とか過去に主張してるようにウケ狙いの本を多々出してるから、どうしても疑ってしまう
けどネットでウケが良いのも事実 - 50二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:54:34
- 51二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:55:03
- 52二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 12:59:27
手盾を使わなくなった時代にはそれなりに有効とはいえ当たっても致命傷になる確率は他の武器より高くなさそうだからあくまで足止め程度だろう
- 53二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:00:34
- 54二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:04:13
- 55二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:04:43
投石紐使えば弓並みの射程が出るとは言っても紐で振り回すぶんスペース要るから集団運用すると微妙になるんじゃないかな
- 56二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:05:10
- 57二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:39:14
軍忠状のデータ書いたもんだけど、ソース不明だが説得力ある逸話を紹介
塚原卜伝曰く、刀傷より矢傷と主張するほうが恥をかかなくて済むと考える者たちは多かったそうだ
石傷もすり傷・打撲から裂傷・骨折まで幅広く、自己申告された程度がわからない上、恩賞目当ての書類に農民が投げてくる石で怪我しましたと書くのがどれぐらい恥だったのかも全くわからない
つまり戦争直後の負傷者はもっといたかもしれない
投石が戦場を左右した、とかは否定できるだろうけど、結局は近藤教授のおっしゃるとおりに不完全な資料なんで、あくまで「戦場で石投げてた」を裏付けるぐらいの話なんだろうね - 58二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 13:50:50
- 59二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 14:11:04
戦国前期の投石による負傷者が多いのは、戦争の大規模化かつ鉄砲普及前だから、弓を使えない大量の歩兵が一斉に石投げる時代だったのかな
これだけで漫画一つ描けそう - 60二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 14:20:46
投げるに適した石自体が限られるから、言葉のイメージほど気軽に連射できたわけでもないのよな
- 61二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 14:28:51
日本にも手ぬぐいで投石をする技術はあったものの、素手で投げることも含めて印地など呼ばれる一方で「投石紐」といった武器名も存在せず、日本の戦場でどの程度使われたかは不明なのよね
印地 - Wikipediaja.wikipedia.org - 62二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 14:48:22
- 63二次元好きの匿名さん24/06/13(木) 14:49:23
一行抜けた。弥生時代の遺跡から投石紐用の弾も発掘された話
- 64二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 01:42:13
- 65二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 01:55:15
あー昔読んだファンタジー小説でも暴動起こした市民が広場の敷石砕いて投石に使ってたな
その辺が元ネタなのかな - 66二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 02:11:46
コンラン教授と鈴木眞哉の著作から、投石の実体について検証した人がいた
石の殺傷力は防衛戦のみ友好だったのだろう、とのこと
まずコンラン氏の著書より
・石は基本的に城郭の防戦のために使われた。武士が石で戦傷を受けるのは多くの場合、城を攻めた時であった。石は城郭から投げ落とされる岩石以外、武器としてはそれほど効果はなかったと言えよう。
両者の数字(5人と15人)の齟齬は、鈴木眞哉の著作で「打傷」を投石に含めた事による
・応安四年(一三七一)一二月二七日、肥前某城で戦った松浦党の左近太某が左膝を射られ、「右のス子(脛)打疵」(有浦文書」)と上申したのもおそらく落された石が脛に当たったということであろう。
実際の軍忠状も比較した結論としてはコンラン氏と同様。負傷者はもっといたかもしれない、ぐらい
・南北朝時代の石傷について私なりに確認した結果、やはり南北朝時代においては石による負傷の申告は数の上ではさほど多くなく、用途としては応仁の乱~島原の乱の時期と同様城を守るために高所から使われたと考えられる武器であった、と先行研究同様の結論を出さざるを得ませんでした
・確実な記録以上に石による負傷者数があったことを伺わせる情報も拾うことができています。(略)これは「史料残存の偶然性」に頼る負傷統計が抱えている根本的な問題でもあるのでどうしようもないことです。
【戦国負傷統計を見直す・補】南北朝時代の石の負傷記録は攻城戦のものばかりで数も多くはないことの確認 - 東国剣記【戦国負傷統計を見直す】と謳っていますが、番外編としてそれ以前の南北朝時代の負傷統計の方にも少しずつ手を付けていくこととしました。この時代の石による負傷については先行研究において、 ■トーマス・コンラン 『南北朝期合戦の一考察 ――戦死傷から見た特質――』(※1)・石は基本的に城郭の防戦のために使われた。武士が石で戦傷を受けるのは多くの場合、城を攻めた時であった。石は城郭から投げ落とされる岩石以外、武器としてはそれほど効果はなかったと言えよう。 といった分析があります。こちらの論文の載る南北朝時代の負傷統計を確認してみると、 ■『南北朝期合戦の一考察 ――戦死傷から見た特質――』矢 523〔7…tougoku-kenki.hatenablog.com - 67二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 02:25:36
上記事より先だったんだけど江戸時代についても触れている。基本的に鈴木眞哉へのツッコミがメインで、こちらも戦国時代の投石による負傷は城・高所からのものによるという結論
氏はこれを根拠として戦国武士たちは基本的には白兵戦を嫌がるが、戦功の証拠である首を得るために仕方なく本来必要のない接近戦を行うこともある「遠戦志向」だったという説を打ち立てたのです。
この説は多くの人の興味を惹き、戦国時代を扱った他書籍・雑誌やネット記事・テレビ番組など様々なところで何度も取り上げられました。氏の説に影響を受けたと思しき創作物なども見られるようになったほどです。20年ほど経過した現在となっては完全に定番化したと見ていいでしょう。
(略)
一世を風靡したと言っていいこの説ですが、実際にはあくまで戦国時代の戦いの一面を切り出したものに過ぎません
【戦国負傷統計を見直す1】戦国時代全体の石礫傷の4分1以上が天文21年7月23日に集中するという異様な偏り - 東国剣記戦国合戦の負傷の種類別統計があるという話をこの時代に興味をお持ちの方は大抵耳にしたことがあるか、あるいは実際にそのデータを見た機会があるかと思います。その統計は鈴木眞哉氏が『刀と首取り』(2000年3月21日初版第一刷)(※1)『謎とき日本合戦史』(2001年9月20日第一刷)(※2)などで広く一般に向けてセンセーショナルに発表した説の根拠とされたもののことです。 以下に、便宜上縦軸をパーセントではなく人数とした以外『謎とき日本合戦史』P115にあるのと同じ内容にしたグラフを上げます。『刀と首取り』P83にも戦傷の内訳はありますが、一年以上後に出た『謎とき』の方が全体的に傷の数も多くなっている…tougoku-kenki.hatenablog.com【戦国負傷統計を見直す2】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認(前) - 東国剣記tougoku-kenki.hatenablog.com 前回は志川滝山城合戦という決して有名とは言えない中国地方の一攻城戦で得られたデータだけで、戦国時代全体の石傷の28パーセントを占めるという著しい偏りについて紹介しました。 今回と次回はそれ以外の戦国合戦における石礫傷の内訳を明らかにしていきますが、タイトルにあらかじめ書いてしまっている通りの結果となります。ただ、結論以上に大事なことはブラックボックスとなってしまっているデータの中身をしっかりと明らかにして見てもらうことだと思っています。したがってあまり面白みのない古文書の文面と人名と統計だけが延々続く項目となりますが、戦国合戦に興味を持…tougoku-kenki.hatenablog.com【戦国負傷統計を見直す3】戦国時代申告された石礫傷はほとんどが城・高所に関連するものと確認(後) - 東国剣記tougoku-kenki.hatenablog.com 戦国時代の全石礫傷の内訳を公開する記事の後半です。タイトルで結果は明らかにしてしまっていますが、高低差の確認できない石礫傷の割合が最終的に何%になるかは楽しみにしていてください。 さて、第一回・第二回で扱った石礫傷の採取元は、すべてが中国地方の勢力に申告されたものであるという偏りを持っていました。今回の分はというと、永禄6年を最後に毛利氏や中国地方の勢力での石礫傷の申告はなくなるものの、それに代わって隣接する支配領域を持ち毛利氏と幾度も鉾を交ている大友家中での申告ばかりになります。 結局日本全国の石傷などはデータの上からは確認できず、戦…tougoku-kenki.hatenablog.com - 68二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 02:37:16
最後によくネタにされる「島原の乱で武蔵が投石で負傷した」の検証
武蔵は手紙でそう書いているが、彼の所属していた豊前中津藩の新しく発見された資料では無傷
その検証結果はまだ執筆されてないね
それはさておき一揆勢は弾薬を温存し射撃が限られたが、変わりに雨のように石を落としたとのこと
そういった石は他の城で確認されたものでも4kgなど、おそらく数kgあるものだから「投石」でイメージするスケールを超えている
そして攻め手は浪人を多数盾代わりに投入、負傷者続出
石の雨をくぐり抜けたら槍などの長物で反撃されたとのこと
ソースも多々出されてるから気になるなら各自で裏取ったり分析もできるし、読み応えあるよ
【島原の乱の宮本武蔵1】島原の乱の石礫傷について - 東国剣記この【島原の乱の宮本武蔵】という項目は石礫による負傷を扱っており、【戦国負傷統計を見直す】1・2・3に関連した内容となっています。戦国時代の負傷統計に表れる石礫傷が実際にどういったものだったか詳しく知りたい方はそちらもご覧ください。 さて、島原の乱における宮本武蔵といえば、石による負傷を負って立てなくなったというエピソードが有名です。無敗の有名な剣豪として知られるイメージとのギャップから剣術など実戦では役に立たない証拠などと言われたり、農民の投石に負ける程度の武蔵の兵法は実戦的なものではなかったなどと取る人もいるようです。では、そのエピソードの根拠となる武蔵自身の書簡を紹介することから始めまし…tougoku-kenki.hatenablog.com【島原の乱の宮本武蔵2】豊前中津藩の出陣者リストでは無傷の宮本武蔵 - 東国剣記tougoku-kenki.hatenablog.com 前回の記事で島原の乱における一揆方の石による攻撃が平地での手ごろな石投げではなく、高所からの石落としという致命傷にもなり兼ねない恐るべき攻撃を含むものであったことはおわかりいただけたかと思います。 今回は手紙では「拙者も石にあたり、すねたちかね申す」(※1)と書いた武蔵が、この合戦で属した豊前中津藩の記録ではどうなっているかというお話です。 宮本武蔵が島原の乱の際に養子伊織を仕えさせた小倉藩小笠原家ではなく分家となる中津藩小笠原家から出陣していたことは『武州伝来記』のようなごく一部の文献に記されていましたが、それが事実であったことが宇都…tougoku-kenki.hatenablog.com - 69二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 02:44:17
簡単な纏めだけ引用。データへの指摘であり、鈴木氏を批判する内容ではないので紛らわしい書き方してごめん
これを参考にするなら、戦国時代での軍忠状は平地での石の投げ合いを否定する内容になっていること、可といってそれを全否定はしていない
上コメで触れられた、戦国時代での石による負傷者数増加は城が数kgの石を大量に落とせる構造になった結果なんだろう
結局日本全国の石傷などはデータの上からは確認できず、戦国時代の石礫傷の全統計と言いながら中身は中国地方と北部九州の勢力のみから申告されたものだけだったということです。しかもそのほとんどがタイトルにあるように城・高所に関連するものです。繰り返しの主張になりますが、これが「戦国時代負傷統計」の一つの現実なのです。
(略)
野戦投石は『信長公記』『三河物語』など戦国人の残した著作の三方ヶ原合戦の記述に現れるなど戦場で全く使われなかったというわけではありませんが、管見では慶長~寛永辺りに書かれた上記二つ以外の比較的信頼できるとされるような戦国人の覚書類でもあまり見かけることのないむしろ例外的な戦術です。戦国時代には石礫傷が多いと聞いていたから戦国時代を扱った創作物で野戦投石部隊が活躍するのは考証的に正しい、と信じていた方は今回の内訳を見て少なくとも戦傷統計はその根拠にならない、むしろ野戦投石部隊が活躍した根拠とするには致命的に相性が悪いとさえ言えると知っていただければと思います。
- 70二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 02:57:32
投石は実は野盗とかがよく使ったみたいなの何かで読んだ
戦国時代とかだと誰でも刀ぐらい持ってるし戦場帰りがゴロゴロいるけど
鎧はなかなか着てないから石投げて動けなくさせてから身包み剥ぐのが効果的だったとか - 71二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:03:07
『刀と首取り―戦国合戦異説』(2000)の後に作られたクレしんのアッパレ!戦国大合戦(2002)映画制作スタッフとそれをリアルと評価する人達も、鈴木眞哉の影響が大きかったと言えるわけか
中井貴一の「武田信玄」(1988)では、礫投げは武田のローカル戦術ぽく描かれてたから時代の流れだね
まあ、確かに3m近くの高さから数kgの石がランダムに降ってきたら鎧とか関係なく怪我するし効果的だ - 72二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:11:07
- 73二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:18:02
武器として残らないってのは大きいかもな
火薬とかも使うと残らないし… - 74二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:29:20
- 75二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:31:54
城から落とす石の実物と記録が両方残ってるんだわ
そして石以前に戦国の野戦で投石が行われたという記録自体が信長公記・三河物語以外の有名どころに載ってないんだわ
ただ、南北朝には投石したと思しき記録があるとのこと
それは逃げ若における描写とも一致する
むしろ逃げ若は鈴木の主張を無視して、武士は様々な武器を使ったと書いたうえでの話だから、学者の見解としても妥当なところじゃない?
- 76二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:37:06
あまり叩きになるようなことは書きたくないが、鈴木眞哉は元公務員が仕事しながら歴史研究やってた人
その近著も「戦国時代の大誤解 」(2019)で以下のように逆張り続けてるんで、個人的に信用できない
歴史もののテレビドラマが果たしている役割は大きい。ことに大河ドラマには教科書にはない物語性があり、歴史知識を深めることができる。
しかし、しばしばつくる側にも史実とフィクションの区別がついていない場合がある。当事者が事実と創作の違いを認識していたとしても問題があるのだから、はじめからそれを混同していたらどうなるか…確信犯的にとんでもない〈歴史〉を流布させる結果となる。
◎武田の騎馬隊も織田の鉄砲三段撃ちもウソ
◎戦国時代の馬はみなポニーだった
◎源義経は色白で反っ歯の小男だった
◎甲冑を着けて行軍はしない
など魅力ある戦国武将たち、ドラマチックな合戦や名場面が実は、全部ウソだったら…
大河ドラマに描かれたかなりの部分はフィクションであり、必ずしも真実の歴史ではないと論じたのが本書である。在野の研究者である著者が通説をいったん疑ってみることの重要性を説く。
あなたの“歴史常識"が試される全50項目! - 77二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:41:29
ぶっちゃけ、彼の本で評価されたのは「軍忠状」というソース付きの2冊
ソースがあるセンセーショナルな本というだけでみんな信じてしまったということだろう
石による負傷についても、同じデータからコンラン氏がそれ以前に「城からの落石のみ」と書いていたのは当然スルーされた - 78二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:45:53
いいところで、戦場での投石による傷は報告するまでもないレベルだったと言うぐらいかな?
他コメと同じような結論になるけど - 79二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:51:33
- 80二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:53:56
- 81二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 03:56:58
- 82二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 04:24:05
- 83二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 07:32:08
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- 84二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 07:37:31
このレスは削除されています
- 85二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 07:42:34
ゴチャゴチャしてきたので時系列で纏めてみた。鈴木のデータの死亡者が少ない事が近藤教授への反論につながってる所に作為性を感じる
クレしんとセンゴクが鈴木ブームの最中に作られ、それを広めたことがよく分かる
でもクレしんは鈴木とほぼ無関係でガッツリ接近戦もしてるし、改めてちゃんと考証してると感心したわ
昔 信長公記、三河物語に武田の投石部隊が記載
1988 大河ドラマ「武田信玄」にて投石部隊が活躍し、知られていく
1997 コンラン教授「南北朝期合戦の一考察」にて南北朝の軍忠状調査を記す
弓歩兵と打物騎兵が主力。弓の殺.害率は低く石は基本的に城郭の防戦用
近藤好和教授は軍忠状などは負傷者の受身の資料であり死因不明、攻撃側不明で不完全と言及
2000以降 鈴木眞哉「刀と首取り」他著作にて南北朝と戦国時代の軍忠状調査を記す
南北朝・戦国は「遠戦志向」で接近戦を嫌い、首取りのためにやむなく白兵戦且つ日本刀は主に首取り用
コンラン教授より少ない戦死者などの差異は、独自集計によると返答
近藤教授へは戦死者の割合が低いことから大した問題ではないと反論
2002 「アッパレ!戦国大合戦」上映。リアルな戦国合戦と今でも高評価。鈴木史観とはほぼ無関係
石もっこ(投石紐)は現存する軍忠状に負傷記録なし。城壁からの落石は描かれてない
2004 「センゴク」連載開始。「刀なんぞ役にも立たん」といったセリフは広告で使われた
軍忠状は死因が書いてあるとされ、矢による死者は7割と語られた
2023 ブロガーのtougoku_kenki氏が鈴木眞哉のデータを軍忠状の石傷についての記載を元に検証 (ソース有)
南北朝時代は落石による負傷のみ。一方で野戦での投石を示す史料有
戦国時代は中国地方と北部九州のみ、ほぼ城・高所
当時の城壁には数kgの石を落とす装置があった
野戦での投石は信長公記、三河物語以外の戦国人の覚書類ではあまり見かけない
情報不足は「史料残存の偶然性」に頼る根本問題であり、存在を否定しない - 86二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 07:53:13
和伝流手裏剣道、山井流柔術拳法を継承する木崎克彦宗家へ、印地打ちついての取材があった
投石だけで言えば、その流派の認識でも騎馬突撃などの前の露払い、戦意を砕くことが目的で殺傷能力があるとは考えてない模様
和伝流手裏剣道は大井俣窪八幡神社の「石投げ神事」が起源で、投石から総合武術へ発展
投石部隊の役割は石を雨あられのように集団で投げる事で、特定のものを狙って投げるのではなく敵集団に向かって投げていたと思われる。手裏剣術とコンセプトから異なり、石もっこ(投石紐)などで飛距離を伸ばすようになったと考えている
和伝流は投石で崩し、騎馬隊で勝負を決める集団戦法を個人戦法にした流派。集団対集団の武技が印字打ちで、個人対個人の武技が手裏剣術になり、和伝流は印字打ちから手裏剣術へ移行していったとの事
敵の戦意を喪失させるための石と、敵の制圧をするための槍を一つにしたのが手裏剣という考え方
投石技術を求めて①(歴史編)印地、礫の技術を有する和伝流手裏剣道のインタービュー記事です。ninshidan.or.jp - 87二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 07:57:46
今までをまとめるとこんな感じ?
・戦国時代の野戦における投石の記録は少なく、負傷記録は残っていないので程度不明
現在の印地打ちに関する武術家の話もあわせ、戦国時代の投石による殺傷能力は低いと考えられる
・籠城で城壁から数kgの石を落とす戦法は記録からほぼ間違いない
あと「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」が6/19まで無料公開中だ。見よう
エラー | ABEMAabema.tv - 88二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 07:59:46
- 89二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 19:57:06
結局のところ、戦国で大規模に投石やってたのは武田ぐらいかもな
- 90二次元好きな匿名さん24/06/14(金) 20:04:05
- 91二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 20:22:31
このレスは削除されています
- 92二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 20:26:04
なんかズレまくりだが突っ込むと
・子供向けのアッパレ!戦国大合戦で子供だましではなく戦国オタクも唸るような戦争シーンを描いたのがとんでもない、という話よ
・本作の武士たちのアクションは緻密さなど要求されず実写でも再現可能な地味なもので「作り手の想像通り動いてくれる」とはあまり重要ではない。むしろ想像を超える熱演などされうるのが実写映画よ
・そもそも馬の動きなどはアニメが苦手なぐらい。SHIROBAKOでネタにしただけでなく、NHK連続テレビ小説「なつぞら」では東洋動画(モデルは東映動画)での採用試験で馬の原画を描かされたほど
ちなみに新井淳氏はSTAR DRIVER 輝きのタクトで特徴的な戦闘シーンを描いた人
https://twitter.com/arasan_fourth/status/1132972660810342400
- 93二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 21:03:39
関東平野では分厚い関東ローム層が覆っているから石なんて貴重品だぞ
山の方とか西日本ならその辺にいっぱい転がっているのかもしれないが - 94二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 21:29:36
石合戦なんて石のある地方でしかできないじゃないか
- 95二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 21:42:53
ある籠城戦の記録によると、攻め手側の死傷者数のうち半数以上は投石によるものだとか
石垣登ってる時に小石程度でも当たればそりゃ落っこちるよな - 96二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:05:53
「描かれた中世城郭 城絵図・屏風・絵巻物」って本に収録の重文「後三年合戦絵巻」見ると
義家が攻める金沢柵に板塀には岩(石落とし)が括られており岩の直撃受けて兜吹っ飛ぶ武士の姿も描かれてる
メインの使い方は高所にある城から攻め手目掛けての落石と思われる - 97二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:14:16
まぁ実際敵がたくさん来たら怖いしなんか投げれるものあったら投げときたいわな
猫の手も借りたいならぬ小石でも投げたいってか - 98二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:20:51
高所からの石落としは弾体の重さがあるから脅威だろうな
逆に普通の投石程度なら木盾や革鎧でも十分に防げるから相手の装備次第で役に立たないし - 99二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:36:18
関東でも山城でなら石が採れるから石使ったって八王子城のガイドさんが言ってた
1番効力発揮するのは人の頭くらいの石を斜面に転がすように投げると落下スピードがついて斜面を登ってくる敵兵薙ぎ倒せるって - 100二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:39:08
- 101二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:52:23
- 102二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 22:55:40
- 103二次元好きの匿名さん24/06/14(金) 23:04:17
- 104二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 00:05:54
長州「お前ら幕府の手先の伊予藩がうちの領民を襲って、無辜の老人や子供まで容赦なく殺してる。こんなこと許されていいのか藩主を処分しろよ」
伊予藩の申し開き「よく言うわあいつら子供も老人もめちゃくちゃ石投げてくるもん殺すしかないし 何が無辜の民だ普通に戦闘員じゃねえか」
幕末にこんな記録が残ってるくらいだし、投石って本当に馬鹿にならんのね - 105二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 00:12:20
これで熊殺傷できる?
- 106二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 00:24:26
銃ブチ込んでもすぐには死なない化け物だぞ無理に決まってんだろ
- 107二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 00:27:32
板金ならともかく小札なら余裕で貫通するだろ
- 108二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 02:19:58
大蔵井高虎が使ってた南蛮胴や当世具足みたいな一枚板の鉄製の鎧だと焼き入れなど作られた年代の冶金技術にもよるがまず至近距離からの直射でも胴体部分は無理凹ますことはできても貫通しない
比較的薄いところか隙間狙うしかない
ラメラーアーマーや大鎧などの小札を重ねた奴なら隙間を狙ったりそもそも小札の厚さが薄ければ鉄製でも十分貫通可能
ただしそうならないためにも大袖など矢を防ぐための構造はある
まあ近距離での直射でやっとなのに弓の基本である曲射じゃほぼ貫通は見込めない
まあ防げないなら着る意味なんてないし鉄製の鎧はむっちゃ高価だから着れる人数は限られるし
それでも弱いところにあたれば普通に貫通するから弓矢は有効だけど - 109二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 06:13:43
- 110二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 07:18:50
城に行くと投石用の石が積んであることがあるぞ
防衛のために拳大の丸い石を川から拾ってきたみたいなことが看板に書いてあったわ - 111二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 07:36:09
投石機の有効射程は和弓と遜色ないぞ
- 112二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:05:08
横から突っ込むけどさ、元の >>74 は投石は鎧に圧倒的不利だから矢を使うという話だ
材質にかかわらず白兵武器の衝撃に耐えられる鎧なら、投石など余裕
>石は矢と違って貫通力ないから、鎧や盾で防がれちゃうのがね
>やっぱり矢よ
それに対し、鉄製とか勝手に条件つけて反論するのは「ストローマン」ていうんだよ
>鉄製になったら人間の力だけじゃ弓の直射でも貫通できん
>せめてクロスボウみたいな(略)
>ストローマン(英: straw man)は、議論において、相手の考え・意見を歪めて引用し、その歪められた主張に対してさらに反論するという間違っている論法のこと、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す。
ストローマン - Wikipediaja.wikipedia.org仮に「弓矢で鎧は貫通できる」とストローマン化したところで、よく起きうる一例だけ上げれば証明可能
例えば「東京大阪を日帰りできる」は新幹線で簡単に証明可能、だが「歩くとなったら日帰りできん」などは反論にならん
そんな「歩くとなったら」みたいに南蛮胴とかストローマンの度合いを深める >>108 は完全に明後日の方向なんだわ
多数の雑兵が着てたとか証明できる?
1番目の動画だと、和弓で日本の胴鎧(ラメラーアーマー)を貫通している。腕脚ならもっと遠くで貫通するだろう
2番目では中世のプレートアーマーの、腕の装甲が二重になっている箇所をクロスボウでない弓矢で貫通してるので5cmの刺し傷を受けるだろう
クロスボウなら尚の事だ
こういった鎧を着ていれば投石に何発も耐えられるだろうけど、矢傷は防げず軍忠状に書く、どころか当時なら敗血症で記録すら残せない可能性もあるから >>74 は正しいのよ
絡みたいなら、もうちょっと現実を反映した理論武装と実例から雑学増やせるネタにしようぜ
18:00頃から和弓VS日本の鎧
! - Arrows vs Amour 2
- 113二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:06:15
なお雑学スレに限らずストローマンの反論は定番なので、その確認をオススメする
レスが手短に済む - 114二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:07:36
- 115二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:08:13
投石の威力については学生運動や外国の暴動が参考になる
例えば1968年から1969年にかけた日大紛争は、投石により警察が態度を硬化、学生たちが「敵」を増やしていった事件
学生たちが10mぐらいから落とした16kgのコンクリを頭にくらった機動隊員が25日後に亡くなったが、平地での投石では機動隊の足止め程度
学生側の認識も、10発命中させるのと重症負わせるのが同価値(まあ適当に決めたのだろうけど)
つまり戦国時代での落石と投石の比較と同様、 そして >>104 のケースでは「鎮圧」に完全武装の兵士が不可欠だったんだろう
中途半端な武力は身を滅ぼすってわけだ
>1968年9月4日未明、東京地方裁判所の仮執行処分に基づき機動隊などによる強制排除が行われた際、経済学部本館のバリケード封鎖解除に出動していた機動隊の巡査部長が、学生が校舎4階から落とした約16kgのコンクリート片を頭部に受けて重傷を負い、29日に死亡した。これは、警察にとって学園紛争で初の死者、公安事件としては戦後3人目の犠牲者であった。
>全共闘が占拠していた校舎には、「投石で警官に命中させたものにはいこい(タバコの銘柄)一本。十人に命中させるか重傷を負わせたものにはピース一本」と書かれた標語があった
>警視庁公安部・村上健警視正は「警視庁はこれまで学生側にも言い分があると思っていたが、もうこれからは手加減しない」と記者会見で憤りをあらわにした。学生に対する怒りは、検挙よりも解散を重視していた警察の方針を徹底的な取締へ転換させた。
写真は9月12日に神保町近辺で発生した大規模な衝突時に、 >>64 のように歩道の敷石をはがして運搬準備、及び投石などに苦戦する機動隊員
>これらの衝突で被害を受けた付近の商店や住民は学生らに対する態度を硬化させ、日大全共闘を批判するメディアが増え始めた。
日大紛争 - Wikipediaja.wikipedia.org - 116二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:10:34
- 117二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:17:45
投石用の石どころか、「石弓」という装置が組み込まれた城もあった
クロスボウの事も石弓と書くことがあるんで、紛らわしいけどね
画像の丸がついてる穴から縄でくくった数kgの石を狙い落とす事で命中率を挙げてるらしい
ブロガーの人から孫引きだけど
■藤本正行 『絵画に見る中世の合戦 城の攻防』
・塀の下方に狭間のような四角い穴が開いており、ここから先端に大石を吊り下げた縄が出ている。いわゆる石弓である。金沢の柵については(『後三年合戦絵詞』の)詞書に「岸たかくして、壁のそばだてるがごとし。遠物をば矢をもちてこれを射、ちかき者をば石弓をはづしてこれをうつ。しぬるもの数しらず」とあり、さらに義家軍の伴次郎助兼が「岸ちかくせめよせたりけるを、石弓をはづしかけたりけるに、すでにあたりなむとしけるを」とあって、伴次郎の甲に石弓があたった場面も描かれている
- 118二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 08:26:25
石弓の残骸。正直、使用されていた時のイメージがわからない
弓建嶺の石弓の姿が明らかになりました。 - 豊富郷土資料館のブログ昨年の12月に中央市歴史文化ボランティアの会で調査した弓建嶺の祠では、短い...toyokyoudos.cocolog-nifty.com石弓 - Wikipediaja.wikipedia.orgなお、石弓よりも石落としのほうがメジャーだし、例えば姫路城など直接見に行くこともできる
こっちは大量の石や汚物、煮え湯に加え銃眼のように使われたと言われるが、各城での実態は不明
石落とし - Wikipediaja.wikipedia.orgというわけで、落石戦法自体が城の設計に含まれてる事も多かっただろう
- 119二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 09:22:44
- 120二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 09:32:17
平地での投石はそこまで威力はないだろうな
平地の地表に石がある地方ばかりじゃないだろう
石が最も威力を発揮するのはやはり高低差がある山城・丘城、櫓や天守からの落石・投石じゃないだろうか
高低差さえあれば女子供老人が投げられるサイズの小さな石でも相当な威力を発揮する - 121二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 09:41:47
質問なんだけど西日本では地表に投石に向くようなサイズの石っていっぱい落ちてるの?
関東平野ではちっちゃい小石くらいしか見た事ないんだけど
関東では岩石層は関東ローム層の数十メートル下だから石無いんだよね - 122二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 10:23:01
教えてくれてありがとう、早とちりだった
- 123二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 10:50:46
- 124二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 10:54:47
キャッチャーやっても怖いのにましてや戦場でビュンビュン飛んで来る石や矢を潜り抜ける自信ないわ
- 125二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:00:42
土壌調査会社によれば、関西は石が豊富というよりローム層が石が少ない
でも武田の投石部隊は石を戦場まで輸送していた一方、それ以外では野戦で大規模な投石を行った記録がほぼないので、関西でも地面の石を集めて戦争できるほどではないかと
関東の場合
関東地域にはロームと呼ばれる土質があります。関東ローム層といえば学校の授業で学んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
関東ローム層は、その昔火山の噴火により、降り積もった火山灰により形成された土質です。そのため、立川や武蔵野地域等富士山や多くの活火山がある地域で多く見られます。ロームは粘性を持った土質で、手掘りでも土壌を採取しやすい土質です。反対に、関東の南側では昔海だった場所が多いため、貝殻等を多く含む土質も存在します。
関西の場合
関西地域は砂がメインになる土質がひろがっています。粘土が含まれて掘りやすい部分もありますが、石などが多くふくまれていて、しっかりとした地盤になっています。特に京都市などは土壌汚染調査の際には、地盤が固く掘るのが大変だという話も聞いたことがあります。掘るのに苦労する分、しっかりとした地盤で、人が住むのには適した場所になるのでしょうか。
土壌汚染調査~関東と関西の地質の違いについて~こんにちは 普段は東京での勤務をしていますが、今回は出張で大阪の現場で土壌採取を行いました。自主的な土壌汚染調 ...www.georhizome.co.jp - 126二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:02:09
京都で石合戦のトラブルが多かったのは、関西でも石が多かったからかもしれないね
- 127二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:07:47
このレスは削除されています
- 128二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:08:00
- 129二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:43:56
風土によって戦法や築城法が違ってくるのは理に適っているな
関東平野では石は採れないから城に石垣が無い土の城だが関東ローム層の切岸は最恐の防御を誇る
西日本から来た城好きが関東ロームの切岸をナメてよく骨折してる - 130二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:46:42
戦国で手持ち盾が目立った無かったように、戦術や文化的な違いもあるのかも
城の防衛に石が多用されたのはこのスレだけでもソース多々だけど、信長公記、三河物語でわざわざ武田が投石部隊持ってたと書かれるということは、織田徳川及びそれらと戦った相手は大規模運用することはなかったんだろう
だから戦場での投石は印象が薄いから描かれないんじゃないかな
大河ドラマの武田信玄でも、武田が戦場で石を投げることを特徴的に描いていた上、渡辺正行が投石の達人の雑兵というオリキャラ役で登場、川中島の戦いでは山本勘助(西田敏行)と行動をともにしての最後の命令を伝えたりの最期の姿を語るだの最終回まで生き残るとか印象が強かった
- 131二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 11:56:44
武田ゆかりの和伝流手裏剣道でも、投石は武士として品位に欠けると考えられ、石を投げる行為が廃れ手裏剣術へ移行していったと考えられてるそうだ(勿論事実は彼らもわかっていない)
江戸時代の武術ブームの頃には、石とかw 弓や手裏剣やろうぜ! な雰囲気だったんじゃね? - 132二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 20:23:44
石もそうだけど最近までウンコも投げられてたらしいな
- 133二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 20:29:16
昔は破傷風ワクチンとかないからすぐ死にそう
- 134二次元好きの匿名さん24/06/15(土) 22:12:43
太平記では楠木正成が火計は使っても糞尿を使ったという記録もなく、それに触れない歴史記事も多い
一方で江戸時代には「軍用に使う千早の総雪隠」「楠は鼻をつまんで下知をなし」のような川柳があった
いつからトイレ武将扱いされたかはわからないけど、彼のトレードマークとなったぐらいに実戦で使われた記録はない模様
逃げ若では腐った血をばらまくだけでもビビるシーンがあったけど、当時の衛生レベルで貯めておいた糞尿をばらまこうものなら使い手も感染症がヤバイ
籠城戦で攻め手の頭上から糞尿を撒き散らした話もあるけど、それは確保している間も使った後も匂いと病気を抱える自爆行為となる
つまりは糞尿を使ったという詳細な記録もなく理屈の上でも危険だから、使われたこともあるぐらいで一般的な戦術じゃないと思う
一方で楠木正成と糞尿戦法をセットで紹介するブロクではそれを大きくアピールするように、「糞尿戦術は実施された」というネタは大ウケしたから色々派生しているのかも
絵は千早城の橋を渡る敵兵を、油で橋ごと燃やす「長梯子の計」
だがこれも太平記にしか記述がないが、『千早赤坂の史跡』によると「太平記には誇張はあるにしても実際に実行されたと考えられる」とされるなど、楠木正成は伝説化したため盛られて真偽不明なネタが多い