『光景記』 作・倉本山月記千奈

  • 1倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:28:01

    篠澤の広は博学才穎、令和の初年、若くして名を虎榜に連ねたが、性、変態、自ら責るところ頗る厚く、学者に甘んずるを潔しとしなかった。
    いくばくもなく大学を退いた後は、初星学園に入学し、ひたすらアイドル活動に耽った。
    天才学者となって長くつまらない日々を過ごすよりは、自分に最も向かないアイドル活動でやりがいを感じようとしたのである。
    案の定、レッスンは容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。
    広は予定通り焦躁に駆られて来た。

  • 2倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:28:52

    これ以前よりその容貌だけは美しく、肉落ち骨秀で、まつ毛のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の美少女の俤は、いまだ健在である。
    彼女は恍惚として楽しみ、狂悖の性は愈々抑え難がたくなった。
    一週間の後、授業でレッスンに出、ステージのほとりに宿った時、遂に発狂した。
    彼女は二度と戻って来なかった。附近の教室を捜索しても、何の手掛りもない。
    その後広がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

  • 3二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:30:12

    性、変態(直球)

  • 4倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:30:21

    翌週、倉本の令嬢、千奈という者、アイドルを目指して初星学園に使し、途に学園の校内に宿った。
    残月の光をたよりに校内の草地を通って行った時、果して一匹のガガンボが1-2の中から躍り出た。

  • 5倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:31:04

    ガガンボは、あわや千奈にハートの合図を送るかと見えたが、忽ち身を飜して、元の1-2に隠れた。
    1-2の中から人間の声で「あぶないところだったよ…」と繰返し呟くのが聞えた。
    その声に千奈は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼女は咄嗟に思いあたって、叫んだ。
    「そ、その細すぎる手足は、クラスメイトの篠澤さんではありませんの~~~!?」

  • 6倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:32:17

    千奈は広と同年に初星学園に入学し、友人の少かった広にとっては、最も親しい友であった。
    温和な千奈の性格が、変態な広の性癖と衝突しなかったためであろう。
    1-2の中からは、暫く返辞が無かった。ややあって、か細い声が答えた。「うん、私。広だよ」と。
    後で考えれば不思議だったが、その時、千奈は、この超自然の怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。
    彼女は1-2の傍らに立って、見えざる声と対談した。
    学園の噂(全て事実)、佑芽の消息、千奈の現在のプロデューサー、それに対する広の祝辞。
    クラスメイト時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それ等が語られた後、1-2中の声は次のように語った。

  • 7二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:32:19

    篠澤さん?その声は篠澤さんではありませんこと?

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:33:02

    本物のガガンボを貼るな

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:33:04

    声じゃねえのかよ

  • 10倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:33:47

    私は元来趣味のアイドルで名を成す積りでいたんだ。でも、業未だまま成らざるに、この運命に立至ったんだ。
    曾て作るところの詩数百篇もまだリリースできてない。遺稿の所在ももうわからなくなってるだろうね。
    でも、今も記誦できるものが数十あるんだ。これを私の為に伝録してほしいんだ。
    何も、これに仍って一人前のアイドル面をしたいんじゃないよ。
    作の巧拙はともかく、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないんだ。

  • 11倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:34:30

    広の声は1-2の中から細々と響いた。
    長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。
    しかし、千奈は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。
    成程、広の素質が第一流に属するものであることは疑いない。
    しかし、このままでは、トップアイドルとなるのには、何処か(プロデューサーの不在という点において)欠けるところがあるのではないか、と。

  • 12二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:34:58

    なーんで詩数なんて作ってるんですかね…?

  • 13倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:35:47

    旧詩を吐き終った広の声は、突然調子を変え、自らを嘲るか如くに言った。
    羞しいことだけど、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、私は、私のシングルがファンの机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるの。
    1-2の中に横たわって見る夢にだよ。
    嗤っていいよ。アイドルに成りそこなってガガンボになった哀れな女を。(千奈は昔の広の自嘲して気持ちよくなる癖を思出しながら、哀しく聞いていた。)
    そうだ。お笑い草ついでに、今の懐いを即席の詩に歌って見ようか。このガガンボの中に、まだ、曾ての広が生きているしるしに。
    その詩に言う。

    楽亦聞声触 而不確光目
    向方向睫毛 向方向誰瞬
    見不見彼方 我選然其時
    揮我目奥々 我聞声呼我
    明熱而很賑 揮選我景色

  • 14倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:36:54

    時に、残月、光冷かに、白露は地に滋く、校舎間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。
    千奈は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、このアイドルの薄倖を嘆じた。広の声は再び続ける。
    何故こんな運命になったか判らないけど、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもないんだよ。
    人間であった時、私は努めてアイドルのレッスンを受けた。
    人々は私に向いてない、学会に戻るべきだといった。
    実は、それが殆どマゾヒズムに近いものであることを、人々は知らなかった。
    勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、サディズムが無かったとは云わないよ。
    でも、それは臆病なサディズムとでもいうべきものだったんだ。

  • 15二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:37:07

    自嘲して気持ちよくなる広なんか嫌だなww

  • 16倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:38:04

    私はアイドルに向いていないと思いながら、進んでプロデューサーを探したり、求めて友と交って切磋琢磨に努めたりすることを怠らなかった。
    これは私の臆病なサディズムと、尊大なマゾヒズムとの所為なんだ。
    己の珠に非ることを誇れるが故に、敢て刻苦して磨きまくったんだよ。
    私は次第に世と離れ、人と遠ざかり、快感と恍惚とによって益々己の内なる臆病なサディズムを飼いほそらせる結果になった。
    人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だっていわれてる。
    私の場合、この尊大なマゾヒズムがガガンボだった。ガガンボだったんだよ。
    人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないことへの恍惚と、刻苦を求める快感とが私の凡てだったんだ。
    今となっては天に足掻き地に転んでままならなくなっても、誰一人私の気持を分ってくれる者はない。
    ちょうど、人間だった頃、私の傷つき易やすい内心をプロデューサーが理解してくれなかったように。
    私の衣装の濡れたのは、夜露のためばかりではなかったんだ。

  • 17二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:38:45

    >彼女は二度と戻って来なかった。附近の教室を捜索しても、何の手掛りもない。


    誰かもうちょっと捜索してやれよ!!

  • 18倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:38:54

    漸く四辺の暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、何処からか、はつみちゃんの声が哀しげに響き始めた。
    最早、別れを告げなければいけないね。酔わねばならぬ時が、(ガガンボに還らねばならぬ時が)近づいたからね、と、広の声が言った。
    でも、お別れする前にもう一つ頼みがあるよ。それは佑芽のことだよ。
    佑芽は未だアイドル科にいる。固より、私の運命に就いては知る筈はずがない。
    千奈が初星学園から帰ったら、私は既に退学したと佑芽に告げて貰えないかな。
    決して今日のことだけは明かさないで欲しい。
    厚かましいお願だが、佑芽の学力を憐れんで、2位の人に代わりに勉強を教わるようにアドバイスしてくれれば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫いよ。

  • 19倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:39:43

    千奈もまた涙を泛べ、欣んで広の意に副いたい旨を答えた。
    広の声はしかし忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻って、言った。
    本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったんだ、私が人間だったなら。
    補修に苦しむクラスメイトのことよりも、己の乏しいアイドル業の方を気にかけているような女だから、こんなガガンボに身を堕すんだね。

  • 20二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:41:20

    >ガガンボに身を堕すんだ


    墜としすぎだろ

  • 21二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:41:21

    かなしいなあ

  • 22倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:41:26

    そうして、附加て言うことに、千奈が学園からの帰途には決して1-2を通らないで欲しい、その時には自分が酔っていてわずかな衝撃でショック死するかも知れないから。
    又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの観客席に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。
    勇に誇ろうとしてではない。私のレッスンの成果を示して、以って、再び此処を過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
    千奈は1-2に向って、懇ろに別れの言葉を述べ、幾度か1-2を振返りながら、涙の中に出発した。
    千奈が観客席についた時、言われた通りに振返って、ステージを眺めた。
    忽ち、一人のアイドルが舞台袖からステージに躍り出たのを彼女は見た。
    アイドルは、既に白く光を失った月を仰いで、二歩三歩ダンスしたかと思うと、舞台袖に倒れこんで、再びその姿を見なかった。

    【Eエンド】

  • 23二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:43:01


    妙に読ませる文章なのは中島敦を褒めるべきか、倉本山月記千奈を褒めるべきか悩むところだな…

  • 24二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:43:43

    >>13

    光景の原文初めて見た

  • 25二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:44:27

    千奈ちゃんはさあ…文豪なの?

  • 26二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:44:30

    >>16

    会長が広の内心を理解してくれなかったばっかりに…

  • 27二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:44:36

    >>23

    両方だ!

  • 28二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:45:57

    広がプロデューサーに恵まれなかったifみたいで、
    なんか悲しいな

  • 29倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:46:38

    <解説>

    その作品が発表されるやいなや文壇に衝撃を与え「倉本羅生門千奈の再来」と謳われながら、生来の病苦により夭逝した悲劇の天才、倉本山月記千奈(1909-1942)。

    その代表作といえるのが、国語教科書でも常連となった作品の一つであるこの『光景記』であろう。

    山月記千奈は中国古典を下地とし、自らの哲学を以てより高次な精神性を描くことに長けており、この『光景記』にもその手腕が遺憾なく発揮されている。

    『光景記』の元となったのは中国唐代の説話「篠澤」およびそれを脚色して小説化した「人蚊伝」である。

    「人蚊伝」は中国においては一般的なテーマである「人間の異形への変化」を描いた作品の一つであり、アイドルがガガンボ(大蚊)に身を落とす悲劇を描いている。

    しかし、『光景記』は単なる「人蚊伝」の翻訳・焼き直しではなく、他の多くの山月記千奈の作品と同様に、彼女の哲学が練りこまれたことでより洗練・昇華された作品として成立している。

    「人蚊伝」においてアイドルがガガンボになった理由は、自らを省みない過度なレッスンにより肉体が削げ落ちたことによる、単純な因果応報として描写されている。

    一方で『光景記』においては、主人公たる篠澤広の鬱屈した内面を「臆病なサディズム」「尊大なマゾヒズム」と表現し、その狭間に生きる悲哀や狂気こそが

    ガガンボへの変化の要因であると描くことによって、篠澤広というアイドルの特異な精神性を浮き彫りにしている。

  • 30倉本山月記千奈24/06/18(火) 20:47:46

    >>29

    また、山月記千奈は『光景記』において「人蚊伝」には描写されなかったプロデューサーの影を作中に散りばめることによって、アイドルとプロデューサーの関係性についてもメスを入れている。

    作中で広は「進んでプロデューサーを探し」ていたにも関わらず、千奈により「プロデューサーの不在」を指摘されている。

    これは明言はされてはいないが、プロデューサーが広の精神性と向き合うことができず、プロデュースを放棄したという過程を容易に想起させる。

    「私の衣装の濡れたのは、夜露のためばかりではなかった」という一文も、この裏付けといえるであろう。

    アイドルがガガンボになった原因は彼女自身の複雑な内面によるのみならず、プロデューサーの責任放棄にもあるということを、山月記千奈は仄めかしているのだ。

    山月記千奈はこの作品を通してアイドルをプロデュースするという行為に伴う責任を問うており、一度プロデュースすると決めたのであれば

    アイドルと真摯に向き合い、最後まで責任を持ってプロデュースすることこそが、プロデューサーとして当然の義務であると言外に述べているのである。

    たとえ広担当ではないとしても、学Pたるもの、この精神を忘れることはアイドルをガガンボに堕とすも同然であることを弁え、プロデュース業に励まねばなるまい。(了)

  • 31二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 20:53:47

    倉本山月記千奈先生、もうお亡くなりになっていたのか…

  • 32二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:01:53

    ワイもなんか書いてみたくなってきた

  • 33二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:05:04

    >>26

    (お祖父様が素質があると言っていたけど…やっぱり耄碌したのかしら…)

  • 34二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:07:18

    人蚊伝とかいうなんかちょっと気が抜けた感じの名前好き

  • 35倉本山月記千奈24/06/18(火) 21:15:37

    <解説の解説>

    >「倉本羅生門千奈の再来」

    これは初星文学の原点にして頂点たる羅生門千奈先生への侮辱ではなく、元ネタになった『山月記』の著者である中島敦がその並外れた文才により「芥川龍之介の再来」と称されていたことによります。

    本当に惜しい人を亡くした…

    >中国古典を下地

    『山月記』は中国の唐代の「李徴」と、それを元に発展した「人虎伝」を元ネタとしています。

    「李徴」では李徴が何故虎になったのかは語られません。

    「人虎伝」での李徴は人妻をレ〇プした挙句、バレたので家に火を放って一家諸共焼き殺すというあにまん民未満の人間の屑であり、その報いで虎になりました。

    『山月記』ではこれらを下地にしたうえで、李徴が虎になった原因を「芸術家の持つ自尊心と羞恥心の狭間の苦悶」とすることで

    単なる勧善懲悪論だった「人虎伝」から文学的な深みを持たせた作品に昇華させています。

    また、「李徴」「人虎伝」での李徴は詩人としては優秀とされていますが、『山月記』では優秀であるものの僅かに足りないものがあると評することで

    「己の才能にのみに頼り、努力や推敲を欠いた文学は真の名作足りえないのではないか」という文学論も定義しているのです。


    みんなも沈もう!文学沼!

  • 36二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:21:27

    ありがとう

  • 37二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:24:20

    同じく山月記で村月記を作ろうとしていたが先を越されてしまった

  • 38倉本山月記千奈24/06/18(火) 21:26:46

    >>37

    待ってるで!

  • 39二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:28:20

    なんかこういう所にも、
    千奈の愛嬌とかバラエティ適正出てるよな

    千奈ちゃんが文豪してるの想像したら面白いもん

  • 40二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 21:29:30

    浅学非才でも楽しめるように解説の解説があるの助かる

  • 41二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 22:24:32

    ずっと「何を言ってるんだこいつら?」と思いながら最後まで読み切れてしまった...

  • 42二次元好きの匿名さん24/06/18(火) 23:07:50

    高校のよくわからん国語の授業を思い出した

  • 43二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 07:09:37

    >>38

    半分くらいできたけど面倒くさくなってきた

  • 44二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 07:13:35

    >>43

    作品作るの大変だよな…

    見かけたら応援コメントするで!

  • 45二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 07:29:12

    よくわからん虫になったザムザと巨大ガガンボになったこのスレの広とどっちがマシな末路だろうか

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