『ああああああ!そんなことよりっ、目が覚めたら虫になってたよ!』 作:秦谷グレゴール美鈴

  • 1二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:08:25

     ある朝、わたしが気がかりな夢から目ざめたとき、まりちゃんがベッドの上で一匹の巨大な毛虫に変ってしまっているのに気づきました。まりちゃんは普段より幾分柔らかい背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、こんもりと盛り上がっている自分のお腹が見えたようですが、知らんぷりをしていました。お腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていました。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が、まりちゃんの眼の前にしょんぼりと光っていました。

  • 2二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:10:19

     「美鈴、私、太ったりしてないよね?」と、まりちゃんは言いました。でも、夢ではありませんでした。自分たちの部屋、二人暮らしにしては少し狭いですががまともな部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにありました。テーブルの上には寝る前に食べていたであろうお菓子が包みをといて拡げられていましたが――まりちゃんは食べるのが好きでした――、そのテーブルの上方の壁には写真がかかっていました。それはわたしたちのユニットがついさきごろある雑誌で紹介されたものを切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものでした。写っているのは三人のアイドルで、仕立ててもらったステージ衣装と可愛らしい髪飾りとをつけ、きっちりとポーズを決め、見るものすべてを魅了してしまうようなかれんな表情を、こちらに向ってかかげていました。

  • 3二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:10:42

    何で被ってるんだよ!!!

  • 4二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:11:21

    考えることは同じか...

  • 5二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:11:51

    名作だから被ることも珍しくないか…

  • 6二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:11:54

     まりちゃんの視線はつぎに窓へ向けられました。陰鬱な天気は――雨だれが窓わくのブリキを打っている音が聞こえました――まりちゃんをすっかり憂鬱にしました。「もう少し寝て、バカバカしいことはみんな忘れよう」と、言いましたが、全然そうはいきませんでした。というのは、まりちゃんはわたしの腕の中で眠る習慣でしたが、この今の状態ではそういう姿勢を取ることはできません。いくらわたしの腕に入ろうとしても、いつでもお腹がつっかかってしまうのでした。百回もそれを試み、両眼を閉じて自分のお腹を見ないでもすむようにしていましたが、わき腹にこれまでまだ感じたことのないような軽い鈍痛を感じ始めたときに、やっとそんなことをやるのはやめたようでした。

  • 7二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:13:18

     「ああ、なんでこんな体になってしまったのだろう」と、まりちゃんは言いました。「毎日、毎日、レッスンしてるのに。食べる量よりも、消費カロリーの方がずっと大きいし、その上、繊細で儚げな性格というものがかかってる。学校での食事、規則的な食事、たえず味が変って長つづきして、心からうちとけ合うような美鈴の食事。まったく原因が分からない!」 わたしが、「そんなときは、ゆっくり休みましょう」と言うと、まりちゃんはお腹に空腹を感じたまま、以前の姿勢に戻ったようでした。

  • 8二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:14:26

     そして、まりちゃんはたんすの上でかちかち鳴っている目ざまし時計のほうに眼をやりました。「しまった!」と、まりちゃんは言いました。もう十時半で、針は落ちつき払って進んでいきます。半もすぎて、もう四十五分に近づいています。目ざましが鳴らなかったのでしょうか。ベッドから見ても、きちんと六時に合わせてあったことがわかりました。きっと鳴ったのでしょう。ですが、この部屋の家具をゆさぶるようなベルの音を安らかに聞きのがして眠っていたなんていうことがありうるでしょうか。いえ、けっして安らかに眠っていたわけではないのですが、おそらくそれだけにいっそうぐっすり眠っていたのです。ですが、今はどうしたらいいのでしょう。つぎの汽車は十一時に出ます。午後の授業に間に合うためには、気ちがいのように急がなければならないでしょう。そして、レッスンの準備はまだしていませんし、わたし自身がそれほど気分がすぐれないし、活溌な感じでもありません。そして、たとい汽車に間に合ったとしてさえ、先生がたの雷は避けることができないでしょう。それに、今の場合、わたしの考えもそれほどまちがっているでしょうか。事実、まりちゃんは、長く眠ったのにほんとうに食欲が残っていることを別にすれば、とくに強い空腹さえ感じているようでした。

  • 9二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:16:01

     ベッドを離れる決心をすることができないままに、そうしたすべてのことをゆっくりと考えていると――ちょうど目ざまし時計が十時四十分を打ちました――、わたしたちのベッドの頭のほうにあるドアをノックする音がしました。
     「二人とも、朝よ。起きなさい」と、その声は叫びました――燐羽ちゃんでした――「十時四十五分よ。今日は学校じゃないの?」
     あのやさしい声。まりちゃんは返事をする自分の声を聞いたとき、ぎくりとしました。それはたしかにまぎれもなくまりちゃんの以前の声であったのですが、そのなかに下のほうから、抑えることのできない苦しそうなぐーぐーという音がまじっていました。その音は、明らかにただ最初の瞬間においてだけは言葉の明瞭さを保たせておくのですが、その余韻をすっかり破壊してしまって、正しく聞き取ったかどうかわからないようにするほどでした。まりちゃんはくわしく返事して、すべてを説明しようと思っていたのでしたが、こうした事情では、わたしが「はい、わかりました、もう起きますから」と、いうにとどめました。ですが、このちょっとした対話によって、わたしたちが期待に反してまだ家にいるのだ、ということの注意をひいてしまいました。そして、燐羽ちゃんはこの説明で満足して立ち去るどころか、早くもわきのドアを、軽くではありますがもう一度ノックしました。

  • 10二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:18:54

     「手毬、美鈴」と、燐羽ちゃんは叫びました。「いったい、どうしたの?」そして、すこしたってから、もっと低い声でもう一度注意するのでした。「手毬!美鈴!」
     まりちゃんは燐羽ちゃんに向っていいました。
     「もう起きるから」
     まりちゃんは発音に大いに気を使い、一つ一つの言葉のあいだに長い間をはさむことによっていっさいの目立つ点を取り除こうと努めました。
     「美鈴、開けてちょうだい。ね、お願い」
     燐羽ちゃんはまだドアの前にいるようでした。だが、わたしはドアを開けることなど考えてもみず、アイドルになった習慣から身につけるようになった家でもすべてのドアに夜のあいだ鍵をかけておくという用心をよかったと思いました。
     はじめは、落ちつき払って、だれにもじゃまされずに起き上がり、服を着て、まず何よりさきに朝食を取ろう、それから、はじめてそれからのことを考えようと思ったのでした。ですが、このままベッドのなかにいたほうがよい、いまさら急いだところで学校に到達することはあるまい、とはっきりと気づいたのでした。これまでしょっちゅうベッドのなかで、おそらくはまりちゃんに腕枕をしたためでしょうが、そのために起った軽い痛みを感じた、ということをわたしは思い出しました。そして、自分のきょうのさまざまな考えごともだんだん消え去ることだろう、と大いに期待しました。

  • 11二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:19:27

    イマジナリー燐羽ちゃん!?実在したのか

  • 12二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:20:24

     しかし、まりちゃんはひどい空腹を感じていたようでした。まりちゃんがかけぶとんをはねのけるのは、まったく簡単でした。ただちょっとお腹をふくらませるだけで、ふとんは自然とずり落ちました。ですが、そのあとが面倒なことになりました。その理由はことにまりちゃんの身体の幅がひどく広かったからでした。身体を起こすためには、手足を使うはずでした。ところが、人間の手足のかわりにたくさんの小さな刺毛がついていて、それがたえずひどくちがった動きかたをして、おまけにそれらを思うように動かすことができません。やっとからだを曲げようとすると、最初に起こることは、自分の身体がのびてしまうことでした。やっとその毛を自分の思うようにすることに成功したかと思うと、そのあいだにほかのすべての毛がまるで解放されたかのように、なんともほほえましい大さわぎをやるのでした。

     「とりあえず朝食にしましょうか」とわたしが言うと、まりちゃんは少しおとなしくなったようでした。わたしはまずまりちゃんの下の部分を動かしてベッドから出そうとしましたが、まだ触れてもいないし、正しい想像をめぐらすこともできないでいるこの下半身の部分は、ひどく動かすことがむずかしいとわかりました。動作はのろのろ進むだけでした。とうとう、まりちゃんはまるで半狂乱になって、力をこめ、むちゃくちゃに身体を前へ突き出しましたが、方角を誤ってしまい、指のほうのベッド柱にはげしくぶつかり、そのとき感じた痛みで、「痛くて歩けない、おぶってぇ」とかわいらしく言いました。

  • 13二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:22:14

     わたしがまりちゃんをベッドから剥ぎ取るように離し背負うと、あと五分で七時十五分になるところでした。――そのとき、玄関でインターホンが鳴りました。いつものように燐羽ちゃんがしっかりした足取りで玄関へ出ていき、ドアを開けました。

     わたしはただ訪問者の最初の挨拶を聞いただけで、それがだれか、早くもわかりました。――それはプロデューサーさんでした。なぜわたしたちだけが、ほんのちょっと遅刻しただけですぐ最大の疑いをかけられるように運命づけられたのでしょうか。いったいプロデューサー科のすべてが一人の除外もなくやくざなのでしょうか。
     たとい朝のたった三、四時間は学校のために使わなかったにせよ、食欲との葛藤と少しの夜ふかしによってこのような有様になって、まさにそのためにベッドを離れられないような忠実で誠実な人間が、アイドルのあいだにはいないというのでしょうか。少しの電話だけでほんとうに十分ではないでしょうか――そもそもこうやって様子をたずねることが必要だとしてのことですが――。プロデューサーさんが自身でやってこなければならないのでしょうか。
     そして、プロデューサーさんがやってくることによって、この疑わしい件の調査はただプロデューサーさんの分別にだけしかまかせられないのだ、ということを罪のない燐羽ちゃんに見せつけられなくてはならないのでしょうか。

     ほんとうに決心がついたためというよりも、むしろこうしたもの思いによって置かれた興奮のために、わたしはふだんより力を込めてベッドから跳び下りました。どすんと大きな音がしましたが、それほどひどい物音ではありませんでした。絨毯がしいてあるため、墜落の力は少しは弱められたし、そう際立って大きな鈍い物音はしませんでした。ただ、まりちゃんを十分用心してしっかりともたげていなかったので地面に打ちつけてしまいました。まりちゃんは痛みのあまり頭を廻して、絨毯にこすっていました。

  • 14二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:28:11

     「あの部屋のなかで何か落ちる音がしましたね」と扉の向こうでプロデューサーさんが言いました。わたしたちに知らせるため、扉の向こうからは燐羽ちゃんの叫ぶ声がしました。
    「手毬、美鈴、プロデューサーがきているのよ」
    「わかっていますよ」と、わたしはつぶやきました。しかし、ふたりが聞くことができるほどにあえて声を高めようとはしませんでした。

     「手毬、美鈴」と、ふたたび燐羽ちゃんが扉の向こうからいいました。「プロデューサーが来て、あなたたちはなぜ朝の汽車でたたなかったか、ときいてる。なんて言ったらいいのか、私にはわからない。それに、プロデューサーさんはあなたたちとじかに話したいといってる。だから、ドアを開けて。部屋が取り散らしてあることはいつものことでしょ」「おはようございます、月村さん、秦谷さん」と、燐羽ちゃんの言葉にはさんでプロデューサーさんは親しげに叫びました。

     わたしが「すぐいきますよ」と言って、ようやく重い体で扉の鍵を開けたとき、早くもプロデューサーさんが声高く「おお!」と叫ぶのを聞きました――まるでまりちゃんがさわぐときのように響きました――。そして、少しの間をおいて、「まったく、遅刻ばっかりでは困りますよ」と、いつものような小言をいいました。「ようやく起きたのね」とわたしたちが通るのに十分な通り路をつくるために、もう一方のドア板を開けて燐羽ちゃんが言いました。やがて、ついにわたしたちは部屋から出て、すこし遅めの朝食を食べたあと、学校へと向かったのでした。

  • 15二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:29:45

    登場人物全員の適応力高すぎる

  • 16二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:30:47

    ***


     「美鈴ちゃん起きて、美鈴ちゃん」と叫ぶ声によって、わたしのひと時の幻像は消えていきました。静かに身体を起こし、まだ重い瞼を開くと、わたしが居る場所は初星学園の生徒会室のようでした。わたしは机に伏して眠っていたようで、わたしを起こした佑芽さんは「会長、美鈴ちゃんがやっと起きました」と元気な声で会長に報告していました。
     会長は、「おはよう、美鈴」といってこちらに向き直りました。そして、「ずいぶんよく眠っていたけれど、いったいどんな夢を見ていたの」と、やさしそうな微笑みをもらしました。
     すこし疲れていたためでしょうか、ずいぶんと妙な夢を見ていたようです。わたしたち三人しかいない生徒会室には、今日も暖かい陽がふり注いでいました。そしてわたしは、「すこし、おかしな夢をみていたようです」とつぶやきながら眼をこすろうとしたとき、わたしの腕が巨大な前脚に変わっていることに気が付いたのでした。

  • 17二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:32:50

     わたしが放課後、気がかりな夢から目ざめたとき、自分が椅子の上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づきました。わたしは甲殻のように固い背中で椅子に腰かけ、頭を少し下げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色のお腹が見えました。お腹の盛り上がりの上には、ひざ掛けがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていました。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていました。

     「美鈴、今度の体育祭の費用の件だけど」と、会長は言いました。まだわたしは、夢の中にいるのでしょうか、一瞬そう思いましたが、わたしの感覚は、この光景は夢ではないことをすぐに理解しました。わたしたちの生徒会室、生徒会室にしては少し広い部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにありました。わたしのテーブルの上にはファイルに整理されたいくつかの資料があって、佑芽さんの机の上は相変わらずちらかっていることがとくに目だちました。窓の方に目を向けると、さわやかな風が葉桜を揺らしているのが見えました。

  • 18二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:35:01

    無限ループって怖くね?

  • 19二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:35:19

     なぜわたしは、このような姿になってしまったのでしょうか。なぜ佑芽さんや会長は、わたしの姿に疑問を、または恐怖を抱いたりしないのでしょうか。わたしの頭の中は混乱しきって、頭痛をおぼえ、身体に寒気がしました。お二人がわたしに話しかけていますが、その声もまた夢の中のできごとのように聞こえます。
    「美鈴ちゃん、だいじょうぶですか。具合でも悪いんですか」と佑芽さんが心配そうに言いました。そして、会長は「熱はないようだけれど」とわたしの額に手を当てました。

    「すこし、気分が悪いようです」と、わたしはやっとのことで声を発しましたが、この声が伝わっているのかは分かりません。
    「最近、美鈴には無理をさせてばかりだったわね。今日は帰ってゆっくり休んでちょうだい」会長はそういって、わたしを帰らせることにしたようでした。
     会長の指示にしたがって、わたしが椅子から立ち上がろうとしたときでした――そのとたん、わたしは今日やるべきことの中で、もっとも重要なことを思い出しました。それは絶対に忘れてはならない大切な予定でした。
    「佑芽さん、いま、何時でしょうか」わたしは急き込むように佑芽さんに尋ねました。
    わたしの声はきちんと伝わっているようで、佑芽さんが机の上のデジタル時計を見ながら、教えてくれました。「え、えっと、四時五十分だよ」
     それを聞いた瞬間、わたしは短くお礼の言葉を発し、ひどい音を立てながら扉を開けて、目的の場所へと這っていきました。

  • 20二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:37:25

     わたしが慣れない身体を這わせながら、ようやく特設のライブ会場につくと、ライブは既に始まっていました。いつか額縁の中でも見たような、いいえ、それ以上にかれんで美しい表情をかかげるアイドル・月村手毬がステージに立っていました。

     会場は一体となり、熱気に包まれています。すべての視線は彼女に注がれ、彼女はそれに応えるように全力のパフォーマンスを披露します。その姿はまるで美しい蝶のようで、歌い、踊り、舞い、ステージの上から零れるほどに咲いています。やがてライブは終わり、彼女はその輝きを残したまま、暗転とともにステージの中へ消えていきました。

     わたしはしばらく、その場を離れることができませんでした。あたりは暗くなって、ついにわたし一人だけがこの場に取り残されていました。そしてわたしは、自分がまだ毒虫に変わってしまったままであることを思い出しました。わたしは、わたしがこのような姿になってしまったわけを、かすかに理解したような気がしました。深いまどろみの中で、わたしがさいごに私が見た景色は、とても遠くて、触れることもできない暗闇なのでした。

    【D End】

  • 21二次元好きの匿名さん24/06/19(水) 21:38:43

    これでDだったらEはどうなるんだよ…

オススメ

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