- 1二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 19:33:59
- 2二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 19:34:56
- 3124/06/21(金) 19:38:21
- 4124/06/21(金) 19:40:44
- 5二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 19:52:03
このレスは削除されています
- 6二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 19:55:43
- 7二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 19:57:04
- 8二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 19:58:09
歴史ってどこから含まれるんだろ
極端な話1秒前の出来事でも歴史に入る? - 9124/06/21(金) 19:58:37
- 10二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:00:21
入るかもしれないけど実質的に2次大戦以降の歴史の話はこの掲示板では規約違反になりがちなので不可ですね
- 11二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:07:42
承久の乱はそれまでが実質的な武士政権はもうあったとするのか承久の乱によって確立したとみるべきかとか解釈が昔と変わってきたのもありそうだな
- 12二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:11:01
原住民をキリスト教に改宗させて支配しやすい土台作りに利用してたっぽいね
- 13二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:13:06
乱と変は事を起こした方が成功或いは勝利したか否かじゃないっけ?
失敗・敗北
平治の乱(源義朝)
承久の乱(後鳥羽上皇)
成功・勝利
本能寺の変(明智光秀)
桜田門外の変(水戸浪士) - 14二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:20:21
- 15二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:21:29
他の植民地でもやってた手順を踏んでた事は確かではある
とはいえ東アジアにはどこも本格的に手を出してなくて通商のみで終わってるので
あまりやる気は無かったんじゃないかと思われる
というのも当時のスペインポルトガルのアジア植民地はヌエバエスパーニャ(アメリカ大陸のスペイン植民地)の管理下にあって
要は本国から地球3/4周したところにある2次請け組織みたいな状態なので
国家としてはあまり気合い入れて領土を増やそうという考えは無かった
あったとしても本国からコントロールが効き辛いので上手くは行かなかったと思われる
- 16二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:23:50
- 17二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:23:54
まあやれたらやるわみたいなものだろうなと
最初から考えるわけではなくモデルがあるから似たようなことできたらいいなと考えることはあったにしても本気でそれ目的で動くほどのリソースはない - 18二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:26:39
- 19二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:28:40
- 20二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:29:08
スペインポルトガルとしちゃスパイス諸島を抑えた時点で目的の半分ぐらい達成してるしね
- 21二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:30:15
- 22二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:30:22
貿易やら奴隷確保とかそっちの方が目的としての割合は大きそうではあるしな
- 23二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:33:37
大航海時代の貿易と帝国主義時代の植民地支配をごっちゃにするなとあれほど…
- 24二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:34:39
何千年の出来事を2〜3年で触れていくから、「日本から中国に渡るのを6回失敗した時代からあっという間に世界一周までできるようになったんやな〜」みたいな驚きがある
大秦国王安敦とか13世紀モンゴルとか大移動にロマンを感じるんや - 25二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:39:13
というよりそもそも農民の富裕層(所謂庄屋、名主)って地元の武士階級出身なんですよ元々
戦国時代通してその地域を支配していた大名家が滅亡や解体されて天下統一政権ができるに連れて「直接使えたくないし地元から離れたくないから武士辞めるんで許して」って感じで、
上位層の農民と武士は一緒だったものが江戸時代になった時に士農工商として区分分けされただけなので
そんで江戸時代が長くなるにつれ影響力や裕福な層の農民は公的身分をもらうのとコネを作る目的で跡継ぎのいない武家に養子を出したり逆に武家側が援助貰う目的でそういう農家に養子出したりするのが流行りだしたんですね
有名どころだと坂本龍馬は元々数代前に武士階級を金で手に入れた立場ですし新選組局長の近藤勇も近藤家に養子入りした百姓出身だったりします
農家以外にも町勤めの武士は商人兼業だったり武士辞めて商人や職人として生きたり逆に町人側が一定の条件満たせば武士に成れたりと上位層は結構流動的に変われたりしましたね
- 26二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:44:00
江戸後期だとそういう出自の旗本御家人が山ほどいるんだよね
勘定奉行や町奉行のような要職でさえ二代か三代前は武士じゃなかったってのがわりといる
黒船来航後はその傾向がさらにひどくなって金で御家人株を買った奴が一代で勘定奉行になってたりする
- 27二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:45:40
- 28二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:46:48
- 29二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:47:33
薩摩藩「ウチ貧乏だからお前ら勝手に自活しといてね」
薩摩藩士「えっ」 - 30二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:49:07
- 31二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:49:55
- 32二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 20:52:41
- 33124/06/21(金) 20:53:02
- 34二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:16:01
改易と減封ってどう違うの?
- 35二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:17:07
- 36二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:21:52
- 37二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:23:40
- 38二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:23:44
それは転勤と同じでどっちの場合もあり得るというか
- 39二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:26:37
- 40二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:28:28
- 41二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:31:11
- 42二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:46:06
- 43二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:49:50
- 44二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:51:20
異教徒撲滅のためにキリシタン大名とかを通じて寺社仏閣やらなにやらを攻撃しているので全く支配しようとしていないは逆張りが過ぎるのは注意な
少なくとも当時の日本におけるキリスト教はそれ単体でそういう事をしでかしてたし、日本が強すぎたから武力侵攻出来なかっただけで影響下に置きたくなかったわけでもない
というかスペインも「フィリピン総督」なるものがいる時点でめちゃくちゃアジア侵攻してるの分かれ
キリスト教への改宗と服従はセットだったので無関係は無理すぎ - 45二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 21:56:57
- 46二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 22:03:34
- 47二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 22:38:48
幕府が弾圧した理由としてはそもそもカトリック系キリスト教国(スペイン、ポルトガル)が日本人の奴隷貿易行ってたってのがまず前提としてあるんだわ
ちなみにこれが発覚したのは江戸時代じゃなくて桃山時代の豊臣秀吉のころでこれが原因で伴天連追放令っていう政策とキリスト教徒の大名の棄教を秀吉が命じてたりする
その後はなんだかんだ裏で貿易してたりなんなりしてたんだけど上記の奴隷貿易で日本に悪印象与えてたスペイン、ポルトガルに割ってイギリス、オランダといった東インド会社を有するプロテスタント系国家が交易相手として台頭してきたんだわ。
んでこれらのプロテスタント国は布教も禁じるようにしてたのもあって幕府の信用を勝ち取ることに成功、最終的にスペイン、ポルトガルとの交易を打ち切ったって流れがあるんだ。
さらに言うとキリシタン大名や武士が既存の神社仏閣を破壊してキリスト教の聖堂作るわ上記の奴隷貿易の前例あるわでこれを機に幕府側がキリシタンを(表向き)全面禁止→弾圧って流れになったんだわ。
ちなみに弾圧って言っても天草島原の乱の経緯があることや幕府の旗本、役人の中にもキリシタンがいたりしたんで割と後半は(特に過失がなければ)ゆるゆるだったりするのは知っておいて欲しい。
ついでに江戸時代鎖国される中でヨーロッパの国々の中でオランダだけは江戸幕府と交易続いてたの知ってる人は多いと思うけど元々は上記の通りイギリスも交易相手だったんだ。
じゃあなんでイギリスは交易しなくなったのかというと日本に来たイギリス商人があまりにも豪遊しすぎて本国がブチ切れて強制送還→そのまま交易打ち切ったからだったりする、なんで結局オランダの一人勝ちになったわけ。
- 48二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 22:49:23
- 49二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 22:51:33
知らんけど適当に答えるぞ
「踏み絵を踏めず死刑になった者が出た」→「それほどの信仰心を持たせた人間が他にいるはずだ、ちゃんと捕まえろ」
ってなるんやろな…面倒くさいな…っていう考えもあるかもしれない
- 50二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 22:53:13
「いい国作ろう鎌倉幕府」の語感が良すぎて変えて欲しくない
- 51二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 23:10:20
>>46の理屈にのっとると1183年じゃない?
十月宣旨の発行で正式に朝廷に認められた年
- 52二次元好きの匿名さん24/06/21(金) 23:11:42
後白河法皇(私は認めてない、頼朝を征夷大将軍になんか目の黒いうちはさせんぞ)
だからこそ彼が亡くなった後の方がいいのでは? - 53二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 00:01:16
- 54二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 00:30:28
そもそも「幕府」って単語が江戸後期に作られた言葉なわけで
だけどその単語を現代の歴史教育においては鎌倉・室町・江戸の政権の共通呼称にしちゃってるじゃん?
じゃあその時代も統治形態も権力構造もバラバラな3つの政権の共通点は何かって考えた時に
征夷大将軍がトップだったって事しか無いわけで
だったら征夷大将軍就任を「幕府成立」として良いんじゃないかと思うんだよ - 55二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 00:59:25
- 56二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:02:25
- 57二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:13:05
- 58二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:27:48
- 59二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:34:42
公的にはあくまで征夷大将軍は朝廷の一役職って立場なので政府機関としては朝廷>幕府っていう組み分けだぞ
- 60二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:46:29
権威も権威で忙しいんだ
儀礼的な仕事がいっぱいあるからな
国を運営するうえではそのへんは欠かせない
なおざりにすると権威を保てなくなる
大統領に集約しちゃうとめちゃくちゃ忙しくなるし実務でコケたら権威も一緒にやばくなる
だから分離したほうが安定する
- 61二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:49:11
中国だとわかりやすいんだけどなあ
有名な三国志だと曹操や諸葛亮の府が政権を実質運営してる
これらの組織は職掌が明確でいつから彼らの時代が始まったのかを悩む必要はない
日本だとなんで曖昧になるのか - 62二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:51:02
このレスは削除されています
- 63二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 01:52:07
多分そういう話じゃないと思う
- 64二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 08:23:10
邪馬台国って結局近畿にあるってことでいいの?
- 65二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 08:59:27
- 66二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:07:41
・畠山後継者問題で不利な方(義就)を認める→本来の後継者の子(弥三郎)が暴れるので後継者にする→義就を前に弥三郎が逃げたので義就にする→義就がオラついたので弥三郎の弟(政長)を後継者にする→義就はキレた。
・鎌倉公方(足利成氏)謀反→討伐のため兄政知を正式な鎌倉公方として送り込む→政知が堀越で立ち往生→斯波家に加勢を命じるも無視される→政知放置→関東大乱終結→成氏と和睦し公方として承認→政知が空気になる
・斯波義敏が将軍命令を無視→政知側近の渋川義鏡の息子(義廉)を斯波家当主にする→別件で義鏡が失脚→母の死去をうけて義敏に恩赦を出す→側近(伊勢貞親)の進言で義廉討伐を宣言→義廉はキレた。
・あと畠山義就にも恩赦を出す→政長もキレた。
・弟義視を跡継ぎに指名する(富子も同意)→貞親が反対、義視の排除を画策→貞親が義視謀反を訴えるとこれを信じて義視討伐を宣言→細川山名が義視を匿って反対→貞親に切腹を言い渡す(逃亡)→斯波義廉討伐もなかったことにして当主と認める→義敏はキレた。
・義就にビビって政長を解任→屋敷を義就に渡すよう支持する→キレた政長が義就に宣戦布告→将軍「勝手に戦え!」(職務放棄)
・諸大名へ両畠山への加勢を禁じる→細川は遵守、山名は無視して義就を助ける→世間が細川を批難する→将軍家も力を握った山名に同調する→細川勝元、ブチギレ。
・細川派(東軍)が山名派(西軍)を襲撃→義視を東軍総大将に任命→義視が幕府内の西軍派閥を処断→一方義政は西軍にも心を寄せる態度を示す→富子が義視の頑張りを警戒する→大内軍10000が入京→帝が西軍派の公家(義視の支持者)を追放→義視逃亡→義視を呼び戻そうと声を掛ける→日野勝光(義政側近)を排除しろと言われてキレる→伊勢貞親を呼び戻す→義視はキレた。(西軍寝返り)
- 67二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:15:38
- 68二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:19:21
- 69二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:19:34
- 70二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:22:38
- 71二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:42:15
- 72二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:49:14
穢〇非〇の人たちも身分上、被差別民ではあるけど、彼らが携わってた職種(革の加工や墓掘り等々)を独占できたんで経済的には豊かだったみたいね
明治に代わって職種の独占(=特権)が廃止されて残ったのは元○○って差別だけという可哀想な状況に
他に身体に障害持ってる人は現代でいう障碍者雇用枠で墓守や蔵番の仕事を優先的に回してもらってたのも無くなったせいで生活苦に陥ったって高校の時社会の先生言ってたね
- 73二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:51:30
- 74二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:53:21
- 75二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:55:44
- 76二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:55:58
- 77二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 10:59:23
- 78二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:06:06
- 79二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:08:34
- 80二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:15:24
- 81二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:30:26
現代に引き継がれていないから難しいんだけど氏姓(源平藤橘など)と苗字は別の概念なんだよね
元々は朝廷から認められた氏姓だけを使っていたんだけど、同姓でも最早親戚とも呼べないほど離れた家が増え過ぎたので領地や屋敷の場所などに基づく通称としての苗字が生まれた
こういう経緯で昔の貴族や武士は官職や公的な場で使う氏姓と普段使いする苗字の二つを両方持って使い分けてた(持ってなくても持ってたことにした) - 82二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:35:01
というか氏と姓と名字は全部違うもの
例えば織田信長なら
公式なフルネームは「平朝臣織田上総介三郎信長」になるんだが
平→氏(うじ)平氏の末裔である事を表す
朝臣→姓(かばね)有名無実化してるけど一応つけるヤツ(詳しい事知りたかったら八色の姓でググれ)
織田→名字(みょうじ)主に土着した場所の地名等から取られる事が多い普段使いのファミリーネーム
って感じで武士階級以上はだいたいみんな姓(かばね)において源平藤橘のどれかを名乗ってる
- 83二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:38:58
権威は朝廷のほうが上なのに権力は幕府のほうが上なのはどういう理屈かと弟に聞かれて
日本の社会階級は下から市民・武士(日本全国にいて地方を纏めてる支配階級)・貴族(基本京都にいる)・一番上が天皇
政治体系は一番上が天皇でその下に右左大臣や関白みたいな役職がいて征夷大将軍もその中の1つ
征夷大将軍=武士のなかで一番偉い、武士達を纏める人
でも武士は日本中にいて一人じゃ纏められないからそれ用の新たな組織=幕府を作った
と答えたけどこれって合ってますか? - 84二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 11:43:52
弟の年齢によるかなあ
- 85二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:11:13
- 86二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:13:24
- 87二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:15:12
- 88二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:16:26
- 89二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:17:32
- 90二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:22:12
- 91二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:27:55
そもそも神様というものは人界にいない
だから人界に顕れる時は仮の姿なんだ
それは時に龍や獅子、狐、鹿だったりする
それを権現という
故に人の姿をした神を現人神というのも古くからある呼称なんだ - 92二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 13:31:57
- 93二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 14:11:43
朝廷に力がない理由を説明したほうが早いのでは
律令制の形骸化と崩壊
荘園制の発展
武士による土地所有と荘園経営への介入
鎌倉幕府による武士の土地所有と荘園経営介入の制度化
このへんを順を追って説明すると良い
全部教科書の範囲の知識でできる
この頃は土地イコール財力
つまり財源を武士に握られちゃったわけだな
- 94二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 14:48:30
- 95二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 14:53:18
- 96二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 15:09:59
- 97二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 15:13:25
江戸時代の町奉行所は200人ぐらいで百万都市の治安維持しててクッソブラックだったって話だけど
それだけじゃ手が回らない部分は住民自治で私刑&病死届けみたいな事してたって通説はホント? - 98二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 15:19:09
- 99二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 16:51:46
- 100二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 17:10:55
- 101二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:26:17
実際そのせいで後継いだ息子はアル中で精神病んだ挙句脳溢血で25歳(現代だと23歳)の若さで早死にしてるからな
- 102二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:31:52
- 103二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:35:17
鵺退治で有名な源頼政とかは平氏側についてた
犬源氏と蔑まれたり、馬に息子の名前をつけられて鞭打たれたりしたので以仁王を奉じて挙兵
しかし宇治川の戦いで敗北、平等院にて自害
他にも長田氏は源義朝を裏切ったが、頼朝が挙兵するとその列に加わるというコウモリっぷり
美濃・尾張を領地として貰えると思いきや待っていたのは身の終わりとして処刑されましたとさ
因みに頼朝が石橋山の戦いで負けて房総に逃れた時、助けた民衆にこの国の土地を保証するとして安房一国を授けると言った
しかし安房ってのが伝わらず「粟なんて畑で採れるから名字下さい」と言われた
その時思わず「そうか、バカだなあ」と呟いたのがきっかけで左右加、真(馬)賀という名字ができたそうな
- 104二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:36:39
- 105二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:37:20
- 106二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:37:40
日本じゃなくて外国の歴史関連の質問は無しか?
- 107二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:40:19
- 108二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:41:18
実際空いたからな大穴が
- 109二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:48:17
- 110二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 18:58:48
服とかの話だと、地下足袋みたいにわらびを使わずに履くタイプの足袋って存在したのか
- 111二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 19:03:17
装束で腰で毛皮といったら行縢(むかばき)と尻皮(引敷)
前者は狩装束で下半身の皮エプロンみたいなの
流鏑馬の装束に残っている
しりかわ、ひっしきはアウトドア用の腰巻きで
腰から後ろに毛皮を座布団のように垂らし、座ってもケツが濡れないようになってる
修験者とか猟師とかが使ってる感じ
腰から帯のように垂らしてるのは飾りなのかなぁ - 112二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 19:40:03
- 113二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 19:44:02
地下足袋って言葉がいつからあったのかは分からんが
革や刺し子で底を厚く作った足袋履いて外を歩くのは普通にあったみたいよ
むしろ農家なんかじゃ家の中じゃ履かないから野良作業用のゴム長みたいな扱いだったとか
- 114二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 22:42:31
日本の毒について知りたい
中世で毒殺できたのという話は人によって正反対の回答が出てくるので混乱する
これ飲んだら死ぬとわかってた薬は薬で自殺した薬子からトリカブトは知識持っている人に吐かれるが毒殺できそうだが
日本の毒について良い書籍ありますか? - 115二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 22:49:13
- 116二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:05:10
- 117二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:10:21
ちなみに>>116の本で日本の古代~中世での毒については
757年施行の養老律令には三毒の記述があり
附子(トリカブト)、鴆毒(亜砒酸?)、冶葛(ゲルセミウム・エレガンス)の
三種の猛毒の取り扱いについての罰則が定められていたことや
薬子の変についても触れられているが
同時に日本で毒薬の文化が活発になるのは安土桃山時代あたりからとも書かれている
- 118二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:14:37
ありがとうございます読んでないので図書館で探してみて読んでみます
鎌倉の御家人と太平記の直義の死因にツッコミ入れられてたところから興味湧いて
は鴆毒は架空の毒だいや砒素だというところから別れていて混乱するのでこれ読んで巻末から次読む本探そうかな
- 119二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:15:34
- 120二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:16:30
そもそもそれ言った疑惑は清盛じゃなくて時忠じゃなかったけ
- 121二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:18:15
- 122二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:26:27
スペインはインディオに酷いことした!言われてるけど実際どんくらいのことしたの?
ラスカサスの主張まではガチ?
米西戦争時のアメリカのプロパガンダで残虐性が盛られてるって聞いたんだけど - 123二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:27:43
- 124二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:30:47
平安時代の貴族の家に玄関はないらしいがどこから入ったり客を迎えたりしたんだろうか
貴人の玄関っていつ頃からあるのか知りたいです - 125二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:33:14
- 126二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:36:58
- 127二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:39:08
奥州方面での実績があるからね
- 128二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:48:22
- 129二次元好きの匿名さん24/06/22(土) 23:59:46
「"街道一の弓取り"や"弓馬の道"という言葉が示すとおり日本の武士の象徴は弓だった」
なので
「日本の武士は弓を武芸の代表格として使っていたため飛び道具に忌避感がなく驚くほどのスピードで銃が広まった」
というような主張と
「日本の武士は弓をはじめ武芸に執着したため銃の普及は非常に困難だった」
というような主張を見たんだがどっちなの?
「鉄砲戦など木っ端足軽どもの仕事、っぱ真の武士ならこの身の武芸よ」
って兵卒の武器としての銃は否定しないが個人的には弓や槍にこだわったような人もいたらしいと言うし - 130二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:05:29
おっと変換ミス
×街道一の弓取り
○海道一の弓取り
歴史だけ見るなら驚きのスピードだと思うんだけどなぁ - 131二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:07:00
- 132二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:14:16
鎖国はあったとかなかったとか言われてるけど実際どう思う?
個人的には言葉遊びにしか見えないって言ったら悪いけどあれだけ海外渡航とか貿易に制限かけてたら鎖国って言っていいと思うんだけど - 133二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:14:31
- 134二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:17:42
- 135二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:21:21
武田は鉄砲嫌いだったんじゃなくて立地的に鉄砲も硝石も入手困難だったからな
- 136二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:22:26
一覧見ると最初のうちは臣籍降下を行うたびに新しい姓を与えていたけど、途中で考えるのが面倒になったのか大体源時々平くらいに収束している……
臣籍降下 - Wikipediaja.wikipedia.org - 137二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:25:23
- 138二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 00:36:31
- 139二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 01:41:53
- 140二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 02:14:28
歴史上人物の面白い渾名教えて、美大落ちおじさんとか黒電話みたいなやつ。
- 141二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 02:26:21
高価なのとそもそも西洋人が商品売りにくる地域が九州や堺といった西日本以西だったってのもでかいですね
そのせいで東日本の普及はかなり大変だったみたいですし、といっても佐竹や佐野、多賀谷重経(結城家の家臣だが半独立状態だった)みたいに1580年代になると関東でも数百~千丁程度には持つ大名家も増えてきますが
- 142二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 02:27:57
- 143二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 02:29:58
このレスは削除されています
- 144二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 02:30:56
230年代に呉蜀揃って北伐を繰り返したけどほとんど成果はなかった
連携しても限度がある
それにずっと仲良しという仮定がたぶん成り立たない
どっちも天下統一したがってる
ある程度戦果を上げたらその分け前をどっちがとるかで揉めるんじゃないか
- 145二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 11:26:34
- 146二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 11:37:49
呉は『長江上流が弱点』なので潜在的に巴蜀勢力とは仲良くできない
歴史的にも『破竹の勢い』で上流から水軍に攻められて降伏してるからね
親劉備の印象が強い魯粛のときも呂蒙と共同で南郡を攻め取ってる
単刀赴会で有名なアレ
その直後に孫権が合肥を攻めた時が唯一の機会だったかもしれん
劉備が漢中を落とし、孫権が合肥を落としていたらさすがの曹操も著しく動揺してた
関羽のときはノーチャンス
徹頭徹尾、孫権&呂蒙は関羽の横腹を突く気満々だったから
- 147二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 13:23:12
昨日の猟師の件と行縢の件ありがとうございました
足軽って、陣笠じゃない兜って使ってた?
使ってたらどういうのか
わかる人いますか? - 148二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 13:59:38
こういうのを使ってたらしい
恐らく足軽の中でも上位者向けのレンタル兜
甘楽町 | 赤漆塗提灯形兜(あかうるしぬり ちょうちんなり かぶと)www.town.kanra.lg.jp当世具足(御貸具足) | 野田市郷土博物館・市民会館noda-muse.jp - 149二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 19:15:12
質問
日本が鎖国中に貿易をしていたオランダは本当に貿易のためだけに日本と関わっていたのですか?支配するためとか他の目的はあったのかなと
あと出島通るのめちゃくちゃお金かかったって本当? - 150二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 19:27:58
日本と貿易してた主体はオランダ東インド会社なので基本的に目的は利益のみであって特に政治的・宗教的な動機は持たない
逆に言えば利益さえ出るとなれば相当エゲつない事も平気でやる連中だが
日本との関係については損得計算の結果穏便に貿易のみをするという選択に落ち着いたのだと思われる
- 151二次元好きの匿名さん24/06/23(日) 20:01:26
「現人神」という単語の初出は分からないけど、天皇=神という考えが生まれたのは天武・持統朝じゃないかな?壬申の乱によって皇位についた天武は天皇権威、すなわち現天皇である自分の権威高揚を目指したと考えると合点がいくと思うな。『日本書紀』編纂も天武期に始まったから、遡った時代においても天皇を神と捉える考え方が見られるのだと思う。
そのころの和歌に「大君は神にしませば」という表現も複数見られるのも天皇の神性を表しているね
- 152二次元好きの匿名さん24/06/24(月) 03:57:43
このレスは削除されています
- 153二次元好きの匿名さん24/06/24(月) 04:33:39
田沼意次は実際は倹約増税やってたと読んだんだが、ひょっとして田沼意次の時代って景気がむしろ悪い?
- 154二次元好きの匿名さん24/06/24(月) 08:15:32
悪い
というか人口ピークになった享保以降は幕末まで長期不況よ
田沼時代はもとより大御所時代も不況で江戸上方間の交易量も減少してる
まあ、田沼が幕府本位な政策した結果、藩が自立化して藩内で経済回す内需経済に移行してるし
海外貿易どころか国内貿易も不活性な流れになってるって感じ
- 155二次元好きの匿名さん24/06/24(月) 09:00:33
楽市楽座って具体的にどういう物だったの?
「座」の独占を禁止して自由市場にしたとか言われてるけど
座に入ってなかったらそもそも大半の商品て仕入れらんなくない?