- 1◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:10:50
やあ、あと数週間でトレセン学園に入学だね。そんな君に昔話をしよう。このお話をひとつの教訓として、学園生活に活かせてもらえたら嬉しいな。
……昔々あるところに、トレセン学園に通うジェン……こほん、「ゲンチル」というウマ娘がいました。
ゲンチルは所作の一つ一つから気品の漂う、それはそれは美しいウマ娘でした。
そんな彼女を担当したトレーナーは一般家庭に生まれた、とても彼女に見合うような育ちなどしていない、ごく普通の人間。
しかし彼は彼なりに、担当のために一生懸命トレーニングメニューを立案し、並走の予定を組み、職務を全うしておりました。
もともとゲンチルの才覚が優れていたことが大きいですが、地道な努力ののち、クラシック期にはトリプルティアラを取り、ジャパンカップ二連覇、そして有マ記念に勝利することができたのです。
その時点で既に4年間が経っておりました。これは多感な年頃でなくても長い時間です。二人はそれだけの時間を共に過ごし、結果も残し、固い絆で結ばれたのです。
さて、そんなある日のこと、トレーナーのもとに、チームを受け持つよう、学園の長より指令がおりました。なんでもゲンチルのように、もっと沢山のウマ娘を勝利へ導いてほしいとのこと。新人に毛が生えた程度の彼にとっては、勿体無いお言葉です。
トレーナー室へ帰り、その事を早速ゲンチルに伝えると、たいそう喜んでもらえました。「私のトレーナーですもの、当然ね」と、言葉だけみればそうは聞こえませんが、表情を伺えばその裏の喜びは瞭然。今まで数々の称賛を受けてきた彼でしたが、やはり担当からの賛辞が一番でした。 - 2◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:11:15
お互い対面のソファに座って数往復言葉を交わしたところで、ゲンチルはおもむろに「お祝いに、見せたことのない一芸を披露する」と言って立ち上がり、何処からともなくクルミを取り出しました。何をするのかと問うまでもなく、目の前まで来た彼女は、両手の平を差し出すように彼に言います。言われるまま従うと、なんと彼女は靴を脱ぎ、足の指とその付け根でクルミを挟み、砕いて見せたのです。笑みを浮かべて見下ろす彼女。手のひらに落ちるクルミの中身。
さて、このクルミをどうしたものか。一瞬戸惑いつつも、まずトレーナーは彼女を称え、礼を伝え、そして彼女が割ってくれたクルミを口に放り込みました。衛生観念が頭をよぎらなかったわけではありませんが、もしも手の中のそれを捨てたとき、彼女が傷つくことの方が怖かったのです。また、庶民出のトレーナーには、食べ物を捨てることを「もったいない」と強く思う気持ちもありました。
……しかしそれが、良くなかったのです。気づいたのは、直後の彼女の反応を見た時。
「まあ、レディの足に触れたものを、本人の目の前で口にするなんて、恥ずかしいわ。私はただ、床が汚れるから、手で受けて欲しかっただけですのに」
そう言って、彼女は両手で口元を覆いました。彼女の目からは少しも嫌な感情を読み取れず、細指の間からは歯がのぞき、まるで笑っているかのように見えたが故に、初めてトレーナーはゲンチルの考えが分からなくなりました。 - 3◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:12:03
「すまない、俺の勘違いだった。謝る。この通りだ。許してくれないか」
もしかしたら、見たこともないほど激怒するがゆえに、そのように感じるのかもしれない。今までの関係を取り戻さんと、トレーナーは必死に謝りました。それを見たゲンチルは彼に答えます。
「二度と、このような“はしたない事”はしないと誓えますか?」
「しないとも」
「言葉だけでなく、証を下さらないかしら?」
「ああ。君の納得する方法で、誓いを立てるよ」
「……いいでしょう」
彼女が、今度こそ間違いなく微笑みます。どうやら許してもらえそうですが、証書でもしたためるのでしょうか?
すると、彼女は再度、足をトレーナーへ突き出して言いました。
「では、誓いの口づけをここに」
またもやトレーナーは驚きます。じっと待つゲンチル。しかし、これこそはしたない行動なのでは? その疑問を投げかけると、ゲンチルはこう返します。
「足の甲へのキスは、”服従”。最も強い誓いを示すもの。貴方は私の納得する方法で誓ってくださると言いました。今更、反故になどしませんわよね?」
こうなってしまっては観念するより他ありません。迂闊な約束をした数秒前の自分を恥じつつ、彼女の足を手に取り、ゆっくりと口を近づけ、その甲を吸うその直前。
と、同時にカシャリと人工音が目の前からしました。そこにはスマホをかざす彼女の姿。 - 4◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:12:14
「貴方の誓い、確かに受け取りました」
にっこりと満面の笑みをたたえる彼女と対象的に、トレーナーは青ざめます。それを拡散されれば、自分のトレーナー人生が終わってしまう。
「あら、心配せずとも貴方のこの姿は私だけのものよ。他に見せるだなんて勿体ない」
ソファに座ったまま固まるトレーナーを抱き寄せ、彼女は続けます。
「でも、そうね。もしも私以外のウマ娘たちに“はしたない事”をしたら、手元が狂ってしまうかも。重々、気をつけてくださいましね?」
その日を境に、トレーナーとゲンチルの関係は決定することとなります。たった一つの行動が、その後の立ち位置に影響することとなったのです。
その後、チーム自体は大成することとなるのですが、周囲の目からしてもゲンチルとその他のウマ娘ではトレーナーの距離感に差が生じることとなり、いつの間にかトレーナーは彼女と共に夫婦扱いをされることになりました。
ともあれ、数年の後にはトレーナーもまんざらではなくなり、正真正銘の契りを結ぶことになります。よって、このお話の結末はめでたしめでたし。しかし全ての未来はあの日、クルミを口にした瞬間に決まってしまったのでしょう。彼の人生はゲンチルの手のひらの上、もとい、足先につままれてしまったのです。 - 5◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:12:48
「……以上がゲンチルにまつわる昔話だ。この話の教訓は、どんなに親しい間柄になっても、礼儀と節度は大事だということだね。物語の中ではハッピーエンドで終わったけど、こうして生じた関係の変化が必ずしも良い方向に向かうとは限らない。良いかいディーナ、君がもしも担当トレーナーと良好な関係を続けたいなら、一瞬でいいから行動する前、何かを口にする前に、それが何に繋がるか、相手がどう受け止めるかを考えるんだ。きっとその習慣は、トレーナーとの関係だけじゃなく、トレーニングの質を改善することにも繋がっていくはずだからね。……まあ、まずはその前に、君に合った良いトレーナーに出会うことが先決なんだが」
目の前のウマ娘、我が娘は、静かに昔話を聞いていた。途中、何か考える素振りをしていたので、自分なりに内容を消化してくれたのだろう。と、彼女が口を開いた。
「理想的なトレーナーとウマ娘の関係を築くのであれば、お父様がわたくしを見て下さるのが一番ではないでしょうか? お父様であれば、わたくしの性格も脚質も、全て分かっておいででしょう?」
なるほど、一理ある。
「担当トレーナーの方針に触れない範囲でのアドバイスくらいはしてもいいと思うけど、身内以外と関わることも成長の面では大事なんだ。コミュニケーション能力、判断力、色々な面が鍛えられるからね」
「そうですか。残念ですわね」
そうだな、と同意する。正直可能ならば自分が担当したいところではあるのだが、娘の成長のために我慢しなければ。 - 6◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:12:59
「しかし、いきなり放り出されては不安ですの。未来のトレーナーと、うまく関係を築けるかしら?」
「僕たちの子だ。それは心配ないよ。自信を持って」
「そうでしょうか」
可愛らしく小首を傾げるディーナ。すると、何かを思いついたようにポンと手を打つ。
「そうですわ。一発芸を持つのはいかがでしょう? 話のきっかけになるのではなくて?」
芸か。確かにはじめましてのアイスブレイクにはちょうど良いかもしれないな。
「良いんじゃないかな」
「ありがとうございます。……では、こちらをお借りしますわね」
居間の机の上、小さな籠に入れて常備されているクルミ。それを3個ほど持って、自室へ戻ろうとする彼女。
「ちょっと待ちなさい。それ、一体どうする――」
「あら、クルミ数個くらい頂いてもよろしいのでなくて? お父様は毎夜食べていらっしゃいますでしょう。朝を迎えるたび、少しずつクルミの数が減っておりますもの」
「え? いや、それは……」
「晩酌のおつまみにもなると聞きますし……大人の夜のお楽しみ、ですものね? もしかして、お母様に“あーん”などされているのでしょうか? 両親の仲が良くて、娘として嬉しいですわ」
「う、うむ」
「では。ああ、今から運命のトレーナーに会えるのが楽しみですわ」
何も言い返せず、そのまま娘を見送る哀れな男が一人。
彼女はどこまで気づいているのか。もしかして、いやまさか。
ぐるぐると頭を巡る不安を表すように、積まれたクルミがコロコロと籠の中で転がった。 - 7◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:13:28
おしまい
ここまで読んでいただき、ありがとうございました! - 8二次元好きの匿名さん24/07/12(金) 20:14:40
乙
果たして歴史は繰り返すのか - 9二次元好きの匿名さん24/07/12(金) 20:18:16
ディーナちゃん、史実だと愉快な面々に囲まれてるんだよなぁ(厩舎の面子見ながら)
- 10◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:18:19
- 11◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:22:41
- 12二次元好きの匿名さん24/07/12(金) 20:26:47
- 13◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:32:27
- 14◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 20:42:59
- 15二次元好きの匿名さん24/07/12(金) 20:48:31
わざわざ偽名使ってるけど娘には夜の生活含めて見透かされてません?これ
- 16二次元好きの匿名さん24/07/12(金) 20:52:10
ちなみにくるみの花言葉は知性・戦略だそうな
- 17◆bEKUwu.vpc24/07/12(金) 21:24:18
- 18二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 00:05:30
乙です、面白かった!
話の途中くらいから、ディーナが「両親の馴れ初の話だ、これ」ってなってそうなくらいには、日頃からデレてるトレーナーが浮かぶ
相撲部屋と言われるくらいには巨漢を担当する厩舎だとか.. - 19二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 05:17:22
トレーナーさんはハメられたのか
- 20二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 06:31:40
(偽名使ってるのに戦績で特定可能なのは触れてはいけないのだろうか…)
毎晩クルミの数が減る??ふ〜ん… - 21二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 07:08:19
娘はクルミプレイという謎の趣味については何も言わんのか?w
- 22◆bEKUwu.vpc24/07/13(土) 10:12:22
- 23二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 11:49:12
車台ノルマンディー公ロロ(正確にいえばその部下)はジェンティじゃなくてゲンチルのトレーナーよろしくフランス王に足への接吻を求められた時、王の足を引っ掴んで逆さまに持ち上げてからしたという……ゲンチルのトレーナーもそれくらい強引だったら今頃奥さんに頭の上がらない夫になっていなかったのかもしれない
……やり返されて服従とか臣従じゃ効かない隷従状態に堕とされるのがオチな気がするけど
それにしても毎日クルミが減ってるあたり夜毎服従の再確認をさせられてるのか自分から服従の意を進んで示してるのか……どちらにせよゲントレもといジェントレ夫婦はお盛んでお元気で仲睦まじいようで何よりですわ - 24◆bEKUwu.vpc24/07/13(土) 12:58:10
そんな豪胆な方が中世に……
流石に吊り下げるのは担当の大事な足を守る意味でも女性に対する扱い的にもできないかもですが、マイルドにすると……いや、そもそもクルミを口にしたことを咎められている時点で精神的に半分支配されているので無理かもですな
夜のクルミ狩りは夫婦のみぞ知る
6人くらいの子宝に恵まれていてほしいですね
コメントありがとうございます!