- 1二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:14:33
いつからだろう。走ることを楽しめなくなったのは。走る意味を見失ったのは。
「っ……!」
「ストップ!……今日はもう終わりにしよう」
「……分かりました」
四度にわたる惜敗の末、ようやく栄冠を掴んだヴィクトリアマイル。けれどその後から、私の身体は明らかにおかしくなっていった。脚は日に日に重くなり、思うように走れない。
『ヴィルシーナは燃え尽きた』
レースでも惨敗続きの中で、いつしか、そんな声も頻繁に聞こえてくるようになった。本当にそうなのだろう。自分にかつてのような闘志が残っていないことは、嫌でも分かる。
別に明確なきっかけがあるわけではない。ただ、何か抗えない強大な力が、私から走る意味や走りたいという気持ち、抗う気力さえも奪っていった。
『高卒までは学園にいられるから』
『あなたなら他の道でも優秀な成績を残せる』
『走る場所はトゥインクルシリーズだけじゃない』
走ることに、本能以外の意味を感じられない日々。トレーナーさんや先生方からも、それとなく別の道を勧められることが増えた。そうしてしまえればどれだけ楽だろうか。本当は辛くて、苦しくて、今すぐにでも逃げ出してしまいたい。けれど私の中の何かが、私をトゥインクルシリーズに縛り付けていた。
そんな中で迎えたジャパンカップ。かつての宿敵との久々の対戦。彼女が史上初の連覇という偉業を達成した裏で、私は見せ場なく沈んだ。もはや悔しいとすら感じない。今の私は、過去の栄光を忘れられず、力を失ってなお華やかなトゥインクルシリーズにしがみつく、情けない元女王。
「よくも私の前であんな情けない走りをしてくれましたわね」
レース後。バックダンサーにさえなれない私に、彼女は怒りと失望が入り混じったような声でそう言った。まるで、レース前までは期待していたかのように。意味が分からない。
私の現状は、噂程度には知っているはず。燃え尽きる前の私でさえ届かなかった彼女に、今の私が届くわけがないのに。一体何を期待していたのだろう。私は何も返さず、逃げるようにその場を去った。 - 2二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:15:03
私をトゥインクルシリーズに縛り付けるものの正体と、不本意なレース人生に悶々としていたある日。その日はルームメイトが遠征で留守にしており、部屋は静まり返っていた。
いつもなら彼女と談笑の一つでもしていれば気が紛れるのだが、一人というのは辛いものだ。妹たちのところへ行こうにも。彼女らのルームメイトに迷惑がかかってしまう。長い夜を、一人で耐え抜くしかないと思っていたときだった。
「よっすーヴィルシーナ。邪魔すんぞー」
「何のご用ですか?」
突然、部屋の戸を叩く音がした。何も考えず開くと、こちらの返事も聞かずに当然のように入ってきたゴルシさん。私は少し苛立った口調で話しかけた。
「何のご用って、オメー今日なんの日か知らねーのか?ドバイデーだよ」
ドバイデー。日本から遠く離れたドバイの地で、各国の強いウマ娘を招いたレースが行われる日。さすがの私でも分かる。今夜私が一人なのは、それが理由なのだから。
レースがあるのは夜中なのだが、どうやら観戦に付き合わせるつもりらしい。彼女の行動が突然で予測不能なのはいつものこと。気が向かなければ放置して一人で寝ればいいと、特に追い出すこともしなかった。
「っしゃー!!!やったぞあいつ!!おい!!」
深夜にも関わらず歓喜の大声を上げ、私の肩をバシバシと叩くゴルシさん。嬉しいのは分かるが、近所迷惑にもほどがある。正直、眠気はもう限界に近かった。けれど、次のレースには……
私は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。なぜか、次のレースまでは起きていなければいけない気がして。見届けなければいけない気がして。 - 3二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:15:32
「まずまずのスタートを切りました。各ウマ娘がこれから第1コーナーに向かっていきます」
スタートを切って、いつものように中団でレースを進める。画面の向こうには、私のよく知る彼女がいた。終盤まで、全く危なげのない展開。しかし……
「おいおいおいおい!何やってんだよ!囲まれちまったじゃねえか!」
直線を向いた彼女の前に、進路はない。完全にブロックされている。このままでは昨年の二の舞……いや、それ以上に酷い結果になってしまう。きっと、誰もがそう思っただろう。
次の瞬間、彼女は驚きの行動に出た。なんと一瞬ブレーキをかけて、自分に蓋をしていたウマ娘たちをわざと前に行かせたのだ。そして後続が追いつくまでの僅かな時間で開いた隙間にサッと進路を取り、そのまま外に出て突き抜けてしまった。
「外からジェンティル来た来た来たー!ここでかわした!ジェンティルドンナ!残り50!去年の雪辱を見事果たしたー!!」
突風が吹きつけたかのような感覚に襲われ、全身に鳥肌が立った。その直後、自分の中から湧き上がってくる何か。熱くて、苦しくて、けれど懐かしい。
「っ……!」
「おい!どこ行くんだよ!」
気付くと私は、部屋着のまま走り出していた。誰もいない、静寂に包まれた深夜のグラウンド。聞こえてくるのは、自分の息遣いと足音だけ。『走りたい』その衝動を抑えることができない。それは本能ではなく、純粋な望み。私は久しぶりに、心の底から走ることを楽しんでいた。
「っ……はあっ……はあっ……!」
どのくらい走っただろうか。スタミナの限界が来て、私はその場に倒れこんだ。風を切る心地良さも、加速する感覚も、脚の痛みや息苦しささえも、懐かしくて愛おしい。
さっきのレースを見たときに湧き上がってきた何か。それは、私をトゥインクルシリーズに縛り付けていたものと同じなのだと、直感で分かった。恐ろしくて、けれど美しくて、目が離せない。そこにあったのは、確かな『憧れ』 - 4二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:16:13
ああ。そうだ。私はずっと憧れていたんだ。届きそうで届かない、いつの間にか、果てしなく遠くなってしまった彼女に。私の戴冠を阻み続けた、憎くて、妬ましい相手。けれどその姿は、私の心をどうしようもなく掴んで離さなくて。抗えぬ力に飲み込まれて闘志を失っても、その思いだけが、私をトゥインクルシリーズに縛り付けていた。
それはとてつもなく苦しくて、忌々しくて、けれど絶対に失いたくはなくて。それなのに私は、憎いはずの相手に憧れる自分を、ずっと認められずにいたのだ。
心の中のもやが、スーッと晴れていく。なんて清々しい気分だろう。濃藍の空と心地よい夜風に包まれ、私はそのまま意識を失った。
翌朝。目が覚めると、私は自室のベッドにいた。どうやらあの後、ゴルシさんが運んでくれたらしい。昨夜の熱がまだ残っている。この熱が冷めないうちに、決意を伝えなければ。私はトレーナー室に向かって、全速力で駆け出した。
「トレーナーさん!私、まだ走りたい!」
縛り付けていたものの正体に気付いた私の選択は、もう一度、トゥインクルシリーズで返り咲くこと。そしてもう一度、胸を張ってあの人に挑むこと。
復帰初戦は流石に感覚が戻らず、11着と惨敗。案の定、周囲も最初から期待していなかったような反応。憐れむような眼で私を見る者さえいた。けれど、私は確かに何かを掴んだ。もう一度、返り咲くための何かを。 - 5二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:16:45
そして迎えたヴィクトリアマイル。昨年、悲願を掴んだこの舞台。まだ誰も連覇したことはない。けれど、私に史上初の連覇を期待する声は、そう多くはなかった。これでも昨年覇者だと言うのに、当日は11番人気。まあいい。女王の帰還に、これほど相応しい舞台はないだろう。
ファンファーレが鳴り響く。私は大きく深呼吸をして、ゲートに入った。自信と、ほんの少しの不安と、これまでのどのレースよりも強い覚悟と共に。
良い感じにスタートを切った私は、昨年のようにハナを譲ることはしなかった。終始一バ身ほどリードをキープし続ける。
「第4コーナーカーブから直線に向いてきました。ヴィルシーナ、ヴィルシーナそしてスチームサプライズ。更にアイコンプソース。前は3人広がって400の標識を通過。坂を駆け上がってくるヴィルシーナ内ラチ沿い頑張っている」
逃げには不利とされる、東京レース場の長い直線。しかし、私にはまだ脚が残っていた。それでも、後方でずっと溜めていたウマ娘たちに比べれば、不利であることに変わりはない。
「14番ヴィルシーナ!内からアカシルンバ!外からドルフィンキャッチ!間からグラスガール迫ってくるが!」
迫ってくる内のウマ娘を視認した私の脳裏に過ぎったのは、1年半前の苦い記憶。あの日、外から並ばれた私は、僅かに残った脚でスパートをかけた。それでもあの人には届かなかった。僅か7cm差で逃した最後の一冠。長い写真判定の末の敗北だった。
もう二度と、あんな思いはしたくない。ここで負けるわけにはいかない。私は最後の力を振り絞り、残していた脚を全て開放した。
「っ……はあああああああああ!!!!!」
「ヴィルシーナ!ヴィルシーナゴールイン!!ヴィルシーナ!ヴィルシーナ!昨年に続いて連覇!!」 - 6二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:17:05
私は1年ぶりに、ゴール板を先頭で駆け抜けた。あまりにも苦しかった1年の結末は、史上初のヴィクトリアマイル連覇という、華々しいもの。
嬉しい?誇らしい?さっきまで確かに勝利に向かって全力で走っていたはずなのに、今は自分の感情さえ分からない。自分が勝利の感覚を忘れていたことに気付く。
けれど鳴り響く大歓声が自分に向けられたものだと理解したとき、私の中に湧き上がってきた感情は『安堵』だった。もう一度トゥインクルシリーズで返り咲くことを目指すと決めた日から、ずっと心のどこかで不安だったのかもしれない。ここで勝てなければ、自分はもうトゥインクルシリーズにはいられないかもしれないと。もう一度胸を張って、あの人に挑むことが叶わないかもしれないと。
史上初の連覇達成者として歴史に名を残すことよりも、1年ぶりの復活という劇的なドラマの主人公となることよりも、私が望んだもの。今、確かに手に届く距離にある。
「1年ぶりの復活勝利となりました!今の率直なお気持ちをお聞かせください!」
「今はただ、ほっとしています。もう一度、返り咲くことができたのだと……本当に、長く苦しい1年でした。走るのをやめたいと、何度思ったか分かりません。けれど、ある人への憧れが、私をこの場所に留まらせてくれました。今日の勝利は、彼女のおかげとも言えるかもしれません」
記者たちの目の色が変わる。私がこんなことを言う相手が一人しかいないことは、きっと有名なのだろう。私はカメラを見た。どうせ、また見ているのでしょう?
「もう、あの日のような情けない姿は見せないと約束しますわ。だから、次は宝塚記念で。もう一度、本気でぶつかり合いましょう」
レースは違えど、史上初の連覇と言う同じ実績を引っ提げて。今の私は、堂々と胸を張って、彼女に宣戦布告することができる。私たちのトゥインクルシリーズは、きっともうそう長くはない。それなら一度くらい、憧れの先を行ってみたい。私は今、確かに走る意味を取り戻した。呪いは祝福に、憎しみは憧れへと、姿を変えて。 - 7二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:17:24
トレセン学園、食堂。驚きと歓喜の声で賑わうテレビの前で、一人、満足げな笑みを浮かべるウマ娘がいた。
「どうぞ、かかっていらして?」 - 8二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:18:30
お わ り
そうです昨日爆破したスレ主です。懲りずに投下しました。 - 9二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:20:12
あれ?なくなってる?って思ったけどまた見れてよかった
- 10二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:39:38
この後9着になるジェンティルさん…
- 11二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 20:56:17
ドルフィンキャッチでニヤニヤしちゃった
史実だとヴィルシーナの不調は精神的な問題だと言われてたけど、ゲーム本編でもどう描かれるか楽しみにしてたりする
SSありがとう! - 12二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 21:05:08
宿敵や親友のドバイを見届けるゴルシーナ概念ええなあ
- 13二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 21:25:44
昨日見てくれた方いらっしゃいましたか。投下してから気に入らないところが見つかって爆破しちゃいましたが、そう言ってもらえて嬉しいです。
それがあるから実は最後のシーン入れるか悩んだんですよね。きっとジャパンカップのときの言葉をそっくりそのまま返されるジェンティルさん……
14VMのメンバーはシーナ以外未実装だから初めて仮名考えたんですが、結構楽しかったです。アプリだと三年しかないからこの辺難しいと思うんですけど、上手くやってくれると信じてます。
海外レースに出る友人やライバルを夜更かしして応援する概念は良いと思うんです。多分この日はリッキーとかも夜更かししてるんだろうな。
- 14二次元好きの匿名さん24/07/13(土) 21:51:00
感情を溜めに溜め、満を持して貴婦人が相応しい好敵手として認め微笑んでいるであろうラスト
こういうのでいいんだよこういうので - 15二次元好きの匿名さん24/07/14(日) 00:14:52
応援スレに推薦しておいたゾ
- 16二次元好きの匿名さん24/07/14(日) 08:14:17
- 17二次元好きの匿名さん24/07/14(日) 08:28:01
あっ!いつもの人だ!と思ってウキウキで開いたらやっぱりそうだった
熱量は落ちてるんだろうけどその分湿度が増加しているクソデカ感情がすごくすごかった - 18二次元好きの匿名さん24/07/14(日) 08:36:38
いつもの人?文体にそこまで特徴ある自覚ないんですが、匿名掲示板で認知してくれる人がいるって嬉しいですね。ありがとうございます。