【ウマトレ♀】貴女が栄養【SS】

  • 1二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:00:11

    しとしとと雨が降り止まぬ窓の外を見ながら、一つため息を吐く。
    この季節はどうにも好きになれない。
    肌に張り付く空気の重みは汗と違ってタオルで拭えるものではなく、元々うねりがちな髪の毛のセットに倍近い時間がかかる。
    朝に無理矢理一本にまとめた黒髪を指に通すと、ところどころで引っかかるのがどうにも不愉快でならない。
    心なしか痛むこめかみをボールペンの頭でグリグリと押していると、背後から軽快な鼻歌が耳に届く。
    すぐに猫背になっていた姿勢を正して扉に目を向けた瞬間、担当ウマ娘であるサウンズオブアースがトレーナー質に飛び込んできた。

    「やあ、ディレットリチェ! 実にドロローソな音が聞こえてきたが、どうしたんだい?」
    「こんにちは、ジメジメしてるから気分が浮かないだけだよ」

    本日の顔合わせはこれが初めてで、今の今まで扉を隔てていたはずなのに、一体何が聞こえたというのか。
    重苦しい自分の身体とは対照的に、実に溌剌とした足取りで彼女は近づいてくる。
    三歩半で彼女の髪が自分の顔にかかり、ウェーブのかかった黒鹿毛がカーテンのように室内照明を隠す。だというのに、こんな日でも完璧に整えられた姿が眩しく感じ、つい目を細めてしまう。
    頬をくすぐる黒鹿毛を手で掬い、口紅が付かないように唇を近づける。
    スルリと指を抜けていく髪の毛に若干の羨ましさも感じつつ向き直れば、空色の瞳が丸くこちらを見据えていた。
    いつもはビズでの挨拶をするのだが、こんなベタベタした肌を彼女に近づけるわけにもいかない。
    無言で近づいてくる顔の前に紙の束を挟めたバインダーをかざせば、案外あっさりと彼女は引き下がった。

  • 2二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:00:30

    「今日は雨だから室内練習したかったんだけど、プールとトレーニング室の申請が間に合わなくて溢れちゃったんだよね」
    「同じことを考えるウマ娘は多いだろうからね、代わりにどんな練習をするんだい?」
    「練習は一旦休み、今日はお勉強をします」

    バインダーを顔の前に立てたまま、引き出しから数冊の参考書を取り出す。
    表紙に書かれたタイトルは『スポーツ栄養学』。今の彼女に一番大切だと思った教科である。
    雨の日はどうしても室内練習をするウマ娘でごった返すため、長時間の集中的なトレーニングが難しい。
    しかし、トレーナー室でできる練習は限られている。サウンズオブアースは普段から他者より多めの練習量をこなしているため、ある程度の融通がきくのがありがたい。

    「セッションの相手の研究ではないのだね。食事は君に言われた通り取っているが、私も勉強した方がいいということかい?」
    「それもあるけど、貴女は元々細すぎるからね……」

    食べることもアスリートとしては重要なトレーニングであり、そこをクリアできなければ数多の怪物じみたウマ娘とはやっていけない。
    体重が軽ければそれだけ早く走れるというケースもあるが、トレセン学園に在籍しているウマ娘の戦績を見れば体重はあった方が勝率は高い。
    勿論太め残りなどはあってはならないが、サウンズオブアースは背丈の割に細めで、決して食欲も旺盛なタイプではない。
    長距離を走る上でのスタミナをつけるためにも、過不足なく栄養を取る必要がある。

  • 3二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:00:46

    「貴女は元々素直ではあるけど、食事管理も知識がつけばより納得してできるでしょ」
    「ああ……なんて優しいディレットリチェ! 君のその愛に満ちた提案に乗ろうじゃないか!」

    そう言いながら彼女は参考書を手に取り、パラパラと捲っていく。
    普段持っている楽譜より数倍分厚い本を持つ手は大きく、開いたページをしっかりと支えられる指の力もある。
    爪が割れている様子もなく、一応の健康体であることに安心した。
    相変わらずペンでリズムを刻みながら、参考書を目で追っていく少女。
    頭に入っているのかは甚だ疑問だが、わからない場所があれば聞いてくるだろう、と席を立った。

    「お茶請け付きで紅茶入れるけど、砂糖はいくつ?」
    「お茶請けはなんだい?」
    「マドレーヌだよ」
    「ベニッシモ! 砂糖は入れなくて大丈夫だよ」

    パチンと綺麗なウインクをしてみせた彼女は、再び参考書に向き直った。
    彼女が口を噤めば、トレーナー室は窓の外からの雨音で満たされる。窓の外は、未だバケツをひっくり返したような雨。
    しかし落ち込んでいたはずの気持ちは、何故か晴々としていた。

  • 4二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:01:03

    実家を出てきた時に購入した古いケトルに水が入っていることを確認し、そのままスイッチを入れる。
    今日は奮発してティーバッグではなく茶葉を使おうと戸棚から花柄の缶を取り出した。
    ポン、という音と一緒に鼻をくすぐる柑橘の香り。
    いつもはアースの甘いコロンと一緒にいることが多いからか、口に入れるものはスッキリとしたものを好むようになっていた。
    沸騰のランプが付いたケトルから、空のティーポットとカップにお湯を注ぐ。
    ポットが十分に温まったことを確認してからお湯を捨て、二人分の茶葉をティーポットへ。すかさずお湯で満たし、蓋をする。
    蒸らしている間に戸棚からマドレーヌを取り出して小皿に並べれば、簡易的なアフタヌーンティーセットの出来上がりだ。

    「あっ……」

    勉強をしている彼女の方から、小さく漏れ出た声。
    持ち上げようとしていたお盆を棚の上に戻して振り向けば、自身の薬指を見つめるアースの姿が目に入った。
    すかさずそれを口に入れている様子を見るに、参考書で切ってしまったのだろう。
    お盆を置いた棚の引き戸を開け、救急箱を取り出す。
    紙で切った程度ならそこまで騒ぎ立てる必要はないが、絆創膏くらいは貼っておかなければ化膿してしまう可能性がある。

    「指出して」
    「グラッツィエ、ディレットリチェ」

  • 5二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:01:21

    閉じられてしまった参考書の上に救急箱を置き、以前遠征先で買った土産物の絆創膏を取り出す。
    ラベンダー柄のソレは特に香りがあるわけではないが、味気ないベージュのものよりは気分も上がるだろう。
    目の前の少女、サウンズオブアースの手は白くしなやかでキメの細かい肌だ。
    様々な楽器を普段から扱っている為、爪の先まで手入れが行き届いている。
    そこに走った赤い線を隠す為、絆創膏を一巻きした。
    アースの右手を自分の左手でそっと持ち上げ、手首から親指、人差し指と輪郭をなぞる。
    人差し指の付け根には、目を凝らさなければ見えないほど薄い日焼け痕。
    それを見るたびに、私しか知らない秘密を暴いたようで気分が良い。
    勝負服を着る際につけている指輪の形をしたソレを親指と中指で挟み、ゆっくりと擦る。
    すると頭上から、クスクスと溢れた笑い声が聞こえた。
    顔を上げれば、トロリと目尻を下げた少女の瞳と視線が合う。
    気のせいかいつもより赤みが差した頬が林檎のようで、可愛らしい表情をするものだと感じ入る。
    普段であればここで他者より激しいスキンシップを取るなり、先ほどし損ねたビズの続きをねだってくるかと思ったがそれもない。
    試しに絆創膏を巻いた薬指の根元に歯を立てないように軽く噛み付くと、唇に塗った紅色が移った。

    「……こういう痕つけてると、色っぽく見えるよね」

  • 6二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:01:38

    白い肌に浮いた紅をなぞれば、新しい指輪の痕が出来上がる。けれどトクトクと指から感じる脈は正常そのもので、少しだけつまらなかった。

    「……アモーレ・ミオ」

    再度痛みだしたこめかみを抑えようと上げた手が、彼女によって阻まれる。
    左手首に彼女の細い指がかかり、柔らかく握り込まれる。
    見た限りではゆるい拘束のはずなのに、自分の力ではびくともしなかった。
    アースはこちらをチラリと見やると、弧を描いた彼女の唇に私の指を持っていき——カプリと歯を立てた。

    「痛っ……くない」

    ウマ娘の噛む力を想像して反射で声が出てしまったが、痛みは全くなかった。
    恥ずかしさのあまり目の前の少女を睨みつければ、彼女は笑って私を抱きしめてくる。
    湿気でベタついた肌同士が触れ合い、全身に唇を落とされているような感覚だ。

    「すまない、あまりにも美味しそうだったのでつい、ね」

    くつくつと笑う彼女に、自分がまんまと餌に引っかかったのだと思い知る。
    いつもよりしおらしくしていたのは、演技だったというわけだ。
    彼女に抱き止められたまま自分の手を見ても、青白く頼りない指に傷など見えなかった。
    たまらず机に放りっぱなしだった栄養学の参考書で彼女の頭を軽く叩き、雨音を打ち消すように叫ぶ。

    「ちゃんとしたご飯を食べなさい!」

  • 7二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:02:03

    fine.

  • 8二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:12:56

    アースもトレーナーも叡智すぎんか?

  • 9二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:13:19

    応援スレに推薦しておいたゾ

  • 10124/07/15(月) 00:19:23

    >>8

    読んでいただきありがとうございます!

    自分がアストレ♀を書くとなぜだかディープな雰囲気になる呪いを受けていまして……


    >>9

    ありがとうございます!

    まさか他薦されるとは……!

    他の人に見ていただく機会が増えると嬉しいです!

  • 11124/07/15(月) 00:21:41

    そして誤字を見つけてしまった……!
    心の目で、どうか! どうか!!

  • 12二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:31:36

    するすると読めて情景浮かぶ文章ですき
    ありがとう

  • 13二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 00:36:35

    このレスは削除されています

  • 14124/07/15(月) 01:09:15

    >>12

    地の文を書くのが好きで、情景に力を入れてるので、そう言っていただけるととても嬉しいです!!

    こちらこそ読んでいただきありがとうございます!

  • 15二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 09:22:21

    朝から良いもの見た

  • 16二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 11:59:45

    >>15

    おはようございます。

    朝から読んでいただきありがとうございます!

    これからも良いものが書けるように頑張ります!

  • 17二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 18:43:34

    普段あまりウマトレ読まないんだけどウインディちゃんスレで見かけたから覗いてみた
    地の文が好みすぎてひっくり返りました
    ウマカテには沢山のSS名人がいますが読んだ中でトップ3に入る勢いで文章が好きです
    また拝見できる機会がありますように

  • 18二次元好きの匿名さん24/07/15(月) 23:26:58

    >>17

    そんなに褒めていただき感涙の極みです!

    文章の書き方が好みに合致したのであれば、これ以上の喜びはありません

    また何か書いた際には読んでいただけると嬉しいです

  • 19二次元好きの匿名さん24/07/16(火) 00:54:08

    アストレ♀すごい助かります
    ありがとうございます…

  • 20二次元好きの匿名さん24/07/16(火) 07:59:52

    >>19

    こちらこそ読んでいただきありがとうございます

    アストレ♀がもっと増えますように!

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