- 1二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 02:19:35
- 2二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 02:20:53
面白そうな話題なのになぜこの時間に建てた
- 3二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 02:22:23
上手いのに、上手いのに立てた時間が!!
- 4二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 02:31:42
保守しよう
このスレで解説させてやる - 5二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 02:35:16
本当になんでこの時間に立てたんだよ
- 6二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 02:55:26
めちゃくちゃ素敵やん
- 7二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:35:35
耳聞こえなさそうな帽子!耳聞こえなさそうな帽子じゃないか!
- 8二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:38:00
もーお!
- 9二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:47:30
- 10二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:48:06
- 11二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:49:32
- 12二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:50:58
保守
- 13二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 03:54:52
わからん その時は14時まで生存を確認して安眠を貪ったら12時には死んでいた
- 14122/02/12(土) 10:37:17
起きたらめっちゃ保守されてる…ありがとうございます
実は導入部分もまともに出来てないので、また夕方あたりに来れたら来ますね〜 - 15二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 10:43:19
オレハマッテルゼ
- 16二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 13:38:05
言われてみればシンボリルドルフは「初代」の無敗三冠バなんだよな
そこは由来と同じか - 17二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 13:47:31
実はルドルフ一世とその息子の間に違う家の皇帝がいるし100年くらいハプスブルク家の皇帝じゃない期間がある
選挙制なので - 18シンボリルドルフ一世22/02/12(土) 17:03:40
待たせてしまってすまない。シンボリルドルフだ。
おや、その格好は何だと言いたげだね。
これは、神聖ローマ皇帝・ルドルフ一世の装いだよ。
彼は私にとって非常に重要な人物だ。何を隠そうと、彼こそが私の名の由来となっているからね。
さて、まずは彼の業績について簡単に話そうか。
ルドルフ一世は、1273年に神聖ローマ皇帝に即位し、神聖ローマ帝国の大空位時代を終わらせた。
この即位が、ドイツの有名貴族であるハプスブルク家が神聖ローマ帝国において権力を握るきっかけとなったんだ。
共通テストであればこれだけ押さえておけば問題なさそうだ。
だが、裏を返せば、ドイツ史では重要な人物といえるが世界史規模の視点で考えるとどうしても話題性に乏しくなりがちなのは否めない。
世界史を学んだのが遠い昔なので記憶を思い起こすのに悪戦苦闘しているが、彼の偉業について、可能な限り掘り下げるよう尽力する。 - 19122/02/12(土) 17:04:29
書き溜めのストックが全然ないのでまた来ます
結構時間かかるかもすみません! - 20二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 17:05:38
ひょっとしてぼんぼりルドルフの人?違ったらごめんなさい…
- 21122/02/12(土) 17:06:47
いえす!
- 22二次元好きの匿名さん22/02/12(土) 17:39:09
応援してるんだ 史と付くものはなんでも好きな雑食なんだ
- 23シンボリルドルフ一世22/02/13(日) 02:19:29
ルドルフ1世について話す前に、神聖ローマ帝国および大空位時代について触れておこう。
神聖ローマ帝国とは、現在のドイツを中心とする複合国家で、962年にオットー1世がローマ教皇からローマ帝国皇帝の冠を賜ったのが始まりだ。
16世紀にハプスブルク家(後述)が皇帝位を独占して最盛期を迎えた。
しかし盛者必衰、三十年戦争の結果として17世紀半ばには実質的な国家の解体となり、ナポレオン戦争に敗れ1806年に消滅してしまった。
最大版図は英仏を除く西ヨーロッパまで広がり、ローマ教皇に対抗する世俗の権力として政治的に非常に重要な存在だった。…中世〜近世の西欧史を語るのに、教皇と皇帝の対立は欠かせないからね。
実は「神聖ローマ帝国」という国号が使用されるようになったのは、大空位時代真っ只中の1256年だといわれている。
それ以前は、この国家は「ドイツの王様が皇帝の称号も持っているし、古代ローマ帝国領域の支配権も持っている」ことの証明にすぎなかったそうだ。
おっと、神聖ローマ帝国について長く語ってしまったね。オットー1世だけに。ふふふっ。
★
神聖ローマ帝国の興亡についてはここの記述が詳しい。このレスを作成するにあたって大いに助けられたよ。
神聖ローマ帝国www.y-history.net神聖ローマ帝国の支配領域の変遷だ、参考になると幸いだ(Wikipediaより引用)↓
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- 24シンボリルドルフ一世22/02/13(日) 02:20:57
さて、大空位時代についての解説に移ろう。
大空位時代とは、1254年〜1273年にかけて、神聖ローマ帝国の神聖ローマ皇帝にドイツ人が即位しなかった期間のことだ。
ルドルフ1世の名付け親であるフリードリヒ2世が1250年に死去し、次の皇帝も1254年に病死してしまった。
これにより当時の王朝であるシュタウフェン朝が滅亡し、選挙王制のもとで皇帝に選ばれたのはオランダ人。
その次に即位したのは悪名高い「欠地王」ジョンの息子、すなわちイギリス人。
シュタウフェン朝はイタリアの支配に重点を置いていたため、ドイツでは諸侯の内部抗争があり、統制が取れているとは言えない状態であった。
そんな中大空位時代を迎えてしまいらドイツを中枢とする国家なのにドイツ人以外が指導者となるのだから、混乱に陥るのは至極真っ当だな。
選挙の候補者となった有力諸侯でさえ、混乱に乗じて好き勝手に権利を搾取していたらしい。
そして、約19年にもわたる不安定な時代を終わらせたのが、ルドルフ1世の即位だ。
次からはルドルフ1世について本格的に紹介するぞ。楽しみにしていてくれ。 - 25シンボリルドルフ一世22/02/13(日) 03:27:57
ルドルフ1世は1218年、アルザス地方(現在のフランス)で生まれた。
正確に言うと、ハプスブルクの家系においては「ルドルフ4世」。記念すべき4人目のルドルフ君ということだ。
ハプスブルク家は一般的なスイスの地方領主で、父親のハプスブルク伯アルブレヒト4世は当時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に忠実に仕えていた。…フリードリヒ2世がルドルフ1世の名付け親ということは、覚えているだろうか? 皇帝がハプスブルク家に信頼を寄せていたことが窺えるな。
そして世は大空位時代。
先述のとおり不安定な情勢が続くなか、1272年にイギリス人皇帝リチャードが逝去する。
当然、次の皇帝を選定すべく選挙が執り行われる。
そこで、マインツ大司教とニュルンベルク大司教の2名がルドルフ1世を皇帝に推薦した。
理由としては
①他の選帝侯*と個人的ないざこざがないので後々面倒なことは起こらなさそう
②ルドルフ1世は既に50歳で高齢だから、統治はどうせ短期間で終わる
③ルドルフ1世はシュタウフェン朝断絶後もシュタウフェン家を支持していたので義理堅さに期待できる
…といったところらしい。
一方でルドルフ1世は父亡き後、ハプスブルク分家から土地を奪いスイスの土地を余す所なく購入し、土地収入でかなりの資力を得た。
よってハプスブルク家はスイス最大の封建領主に成り上がるが、井の中の蛙というべきか、帝国全体でみれば未だ無力な存在であった。
選挙実施時もルドルフ1世は土地と権限を巡って争っていたバーゼル(現在のスイス)を攻め込んでいるところだった。
ニュルンベルク司教から皇帝選出の知らせを聞いたルドルフ1世は、即座にバーゼルと講和し、ドイツへUターンしたのだ。
アーヘン(現在のドイツ)での戴冠式を経て、正式に皇帝に即位した。
しかし、唯1人ルドルフ1世の選出に異を唱える選帝侯がいた。
ボヘミア王オタカル2世だ。
ボヘミア(現在のチェコ)とオーストリアを支配するそこそこ力のある人物だったが、オタカル2世は自分が皇帝に選出されると自負しており、その傲慢な性格ゆえ他の選帝侯からの評価は芳しくなかった。 - 26シンボリルドルフ一世22/02/13(日) 03:35:05
- 27二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 09:25:57
ほしゅ
- 28二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 09:37:18
- 29二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 10:04:01
出陣中に「あなた皇帝です」された人だったかな
中国にも似た人いたね - 30二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 10:05:04
ローマ教皇「そんな。困ります」
- 31二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 17:05:45
勉強になるスレだ
- 32二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 17:07:01
バビロン保守
- 33二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 17:26:47
ローマ皇帝で思い出したけどドマイナーで珍名な西ローマ皇帝がいてマヨリアヌスとかいうマヨラーかよってなる名前なんだが中興の祖になれたかもしれない最後の救世主でうーんこのってなる
- 34二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 17:52:01
ユダヤ系あにまん民俺、激怒
- 35二次元好きの匿名さん22/02/13(日) 23:48:26
このレスは削除されています
- 36シンボリルドルフ一世22/02/13(日) 23:49:29
オタカル2世は選挙に出席せず、ルドルフ1世即位後の1274年11月の帝国会議の参加をも拒んだ。
この会議は、諸侯たちにフリードリヒ2世の死後に搾取した財産の返還を求めたうえで、協議の末領土などを再び与えようと試みる重要なものだった。
諸侯らにとっては名誉回復の千載一遇のチャンスだったにもかかわらず、オタカル2世は顔を出さなかったのだ。
彼は、ルドルフ1世を相当目の敵にしていたに違いない。
痺れを切らしたルドルフ1世は、同月(英語版Wikiでは1275年)にオタカル2世に対し帝国追放令を出した。
悪いことに、この後に開かれた別の帝国会議にも参加しなかった。
オタカル2世は代わりに使者を派遣し、会議の場で使者はラテン語で弁明し始めた。
しかし、ルドルフ1世は使者にラテン語での弁明を止めるよう諫言した。
ドイツ語とラテン語を対比させることで、外国人が皇帝候補となっていた状況に不満を抱いていた諸侯らの心を掴み、諸侯間でのオタカル2世の評価を下げたそうだ。
加えて、オーストリア貴族でさえも、ルドルフを支持するようになったといわれている。驚きだな。
そして1276年6月、ルドルフ1世は再びオタカル2世に追放令ーーー重帝国追放令ーーーを出した。
オタカル2世がボヘミア王に即位した後に獲得した領土(オーストリア含む)を没収する、との脅し付きだ。
1276年11月、ルドルフ1世はウィーンを包囲し、オタカル2世を降伏させた。
追放令は取り消されたもののオタカル2世はルドルフ1世に奪われた土地を取り返すべく、戦いの準備を進めていた。
来たる1278年8月、オーストリア東部でマルヒフェルトの戦いが勃発。
序盤こそオタカル2世側が優勢であったが、ルドルフ1世側は至る所に伏兵を仕掛けており、オタカル2世勢力は大敗、本人は命を落とした。
閑話休題。
当時の戦法として、待ち伏せはフェアでなかったそうだ。
マルヒフェルトの戦いなのにマル秘は不名誉だったのだな。ふふっ。
ともあれ、ルドルフ1世はオーストリアを手中に収め、ハプスブルク家の本拠地をウィーンに移した。
1291年、ルドルフ1世死去。73歳だった。 - 37シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 00:06:33
ここまでがハプスブルク家による初の神聖ローマ帝国統治の一部始終となる。
とはいえ、>>17の仰る通り、ルドルフ1世の次はハプスブルク家ではなくナッサウ家からアドルフという皇帝が輩出された。うむ、奇遇なことに名前が一文字違いだな。
そして、本格的に神聖ローマ帝国の政治をハプスブルク家が掌握するのは、200年ほど後の話になる。
アルブレヒト2世(在位1438年〜)、フリードリヒ3世(在位1440年〜)、マクシミリアン1世(在位1493年〜)と3連続でハプスブルク家から皇帝が選出され、ようやくハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝位を独占していると断言できる状態になった。
こののち神聖ローマ帝国の最盛期を築いたカール5世、啓蒙専制君主として著名なヨーゼフ2世といった有名人をハプスブルク家から皇帝として擁立できたのは、まさにルドルフ1世の偉業があってからこそといえるだろう。
ハプスブルク帝国の始祖として伝説ともなったそうだ。
★
これにてルドルフ1世にまつわる出来事について述べるのはお終いだ。
しかし、有史時代において王位に就いた人物は複数いるね。
その中で、何故私がルドルフ1世の名を賜ったのか疑問に思わないか。
決定的な理由こそ岡部騎手をはじめとする関係者に尋ねてみる必要がありそうだが、自己流なりに考察してみたい。
故にもう少しお付き合いいただけると感謝する。
- 38シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 00:23:04
第一に、私は生徒会長として責務を果たしているが、ルドルフ1世が大国の為政者であったこととの繋がりはかなり大きい。
また、私の話し方は常々堅いと評される一方で、臨機応変にものを考えられるとお褒めの言葉を頂くことがある。
>>36の、使者のラテン語の弁明を止めた逸話にまつわる性格と解釈できよう。
加えて、戴冠式の後にルドルフ1世の賢さを伺わせるエピソードがある。
王笏(王様が持ってる長い棒みたいなもの)が見当たらず、とっさに壁面から十字架を取り出した。
十字架にキスをし語ったことには…「ここにわれわれと全世界に救済を給わった印がある。これをわれらが笏としよう」
仮にこの2エピソードから、ウマ娘シンボリルドルフとして包容力、カリスマ性、人を動かす力を受け継ぐことができたならば、それほど光栄なことはない。
- 39シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 01:30:38
第二に、私はクラシック三冠を無敗で達成している。
この功績は全ウマ娘史上初、現在も私を含めて3名しか達成していない。
>>16の仰るように、為政者は数あれど「初めて」何かを達成した者というのは少ない。
コロンブスの卵という言い伝えもあるように、歴史上の大帝国の礎を作り上げたルドルフ1世の名は、私の功績に妥当であるといえるな。
- 40シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 01:37:48
だが、やはり全てを関連付けるのは至難の業、ルドルフ1世と合致しない点も多くある。
まずは、私の勝負服だ。
軍人のような勝負服と評されることが多いが、残念ながらルドルフ1世の正装とは程遠い。
ルドルフ1世の肖像画や像を参照するに、公の場での服装は柔らかそうな布地を使用しているとみられ、現代の価値観では簡素で精彩に欠けるようにも感じられるな。
進軍の際は全身を甲冑で武装しているが、こちらも中世ならでは…と隔世の感は拭えない。
私の勝負服と似た服装は、18世紀辺りまで時間を進めないと確認できない。
オーストリア皇帝フリードリヒ2世は甲冑を纏い前面に紋章のある服を着ている絵が残されている。
19世紀に入り、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の写真では勲章をぶら下げており、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム1世の写真からは、前閉じのボタンで尚且つ肩にエポレットが付いているのを確認できるな。
フリードリヒ2世
フランツ・ヨーゼフ1世
ヴィルヘルム1世
シンボリルドルフ(ウマ娘)↓
- 41シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 01:39:58
- 42シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 01:43:54
もう一つ、ルドルフ1世と合致しない重大事項がある。
ルドルフ1世は、正確にいうと「神聖ローマ皇帝」ではないのだ。
では今までの話は何だったんだとお怒りかもしれないが、落ち着いて聞いてほしい。
当時、「神聖ローマ皇帝」の称号を得るには、ローマに赴きローマ教皇より戴冠される必要があった。
しかしルドルフ1世はこの手続きを行わなかったうえ、神聖ローマ帝国の支配下にあるはずのイタリア統治はないがしろにしていた。
したがって、生涯を通してルドルフ1世は「神聖ローマ皇帝」ではなく「ドイツ王(orドイツ皇帝)」として神聖ローマ帝国の君主を務めたことになる。
便宜上「神聖ローマ皇帝」として説明を進めさせてもらっていたが、彼は「皇帝」の肩書に固執していたわけではなさそうだな…。 - 43シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 01:56:04
最後に一つ与太話を。
ルドルフは一般的な英語圏またはドイツ語圏の男性名で、『高名な狼』を意味する。
代表的なニックネームは「ルディ」だが、私はそのように呼ばれたことはないな。
そうそう、ルドルフと名を冠する有名人は多く存在する。
現代日本を例に挙げると「じゅん」「さとし」「まさき」「しょう」「ゆきお」のような普遍的な名前だから想像に難くないだろう。
しかし、王族の名を覚えるとなると、かえってその普遍性が障壁になる。
…ドイツ歴代の王族の家系図を見ると、ルドルフという名が散見されるね。
ルドルフ1世の息子もルドルフと名付けられ、>>25で述べたように、ルドルフ1世本人も彼の先祖であるハプスブルク家においては「ルドルフ4世」ーーーすなわち、同じ家系で4人目のルドルフだ。
名前のレパートリーが現代ほど多くなかったうえ、貴族階級は子に親と同じ名前を付けることを好んだという背景が大きな要因だろう。
家系図に増殖するルドルフもそうだが、ルドルフの名付け親・フリードリヒ2世と18世紀のオーストリア皇帝・フリードリヒ2世のように、近隣の国で君主の名前が時代を超えて重複するという事例は枚挙に暇がない。
世の受験生が世界史を苦手とする理由が頷けるよ。
- 44二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 01:58:20
この頃真のローマ帝国の方は丁度パレオロゴス朝が始まった辺りか…
- 45シンボリルドルフ一世22/02/14(月) 02:06:54
私の名の由来であるルドルフ1世についての話、楽しんでいただけただろうか。
一晩の思いつきのイラストにすぎないにもかかわらず解説の場を設けてもらい、スレ主に代わり心から感謝する。
彼の逸話は中世ドイツ史のほんの一部にすぎないが、浅学ながら調べていくうちに我ながら勉強になった。
私が参考にしたウェブサイトを載せるので、これを以て生徒会の仕事に戻るよ。
また何処かのスレで会えるといいな、トレーナー君。
ja.m.wikipedia.orgハプスブルク家www.y-history.net - 46122/02/14(月) 02:07:58
スレ内の画像はいずれも
・Wikipediaのパブリックドメイン
・アプリ内スクリーンショット
・自作
です。
どうぞよしなに - 47二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 02:28:54
だから失地王とか肥満王みたいに区別用のあだ名がつくわけですな
- 48二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 06:53:03
保守
- 49二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 08:18:27
余程のお気に入りなのかフランス王ルイつけすぎ問題とかあるしね
- 50二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 17:39:21
まあフランスもとい初代フランク王の名前が後にルイに転訛するクローヴィスだからな…
- 51二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 18:47:17
どうして国民的アイドルグループの名前の中に岡部騎手が混じっているんですかね…
- 52二次元好きの匿名さん22/02/14(月) 18:55:55
イスラムはおろかノマドでもアフリカでも中国でもビザンツ=ローマ帝国だったのでセーフ