『シンザンに挑んだ馬』「リキエイカン」

  • 1二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 16:57:14

    シンザンに最も迫ったと呼ばれる馬、「リキエイカン」を調べてみた

    文章が途中で変わるけど許して

  • 2二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 16:58:46

    リキエイカンは66年生まれの牡馬。
    父はリキエイカンの他にマーチス、インターグロリア、グランドマーチスなどを輩出するなど60年代〜70年にかけて活躍した名種牡馬ネヴァービート。
    母の父も50年代から60年代にかけて活躍したライジングフレームという、なかなかの良血。
     
    リキエイカンは幼少期を北海道浦河の鮫川牧場で過ごした。
    良血ということで牧場からも大きな期待をかけられていたリキエイカンは順調に幼少期を送った。
    そして栗東の柏谷厩舎に入厩し、競走馬としてデビューした。
     
    リキエイカンの同期には、
    有馬記念や天皇賞を制して年度代表馬となるなど史上最強牝馬の一頭に数えられるトウメイ、
    天皇賞を制し当時の獲得賞金記録を更新したメジロアサマ、
    稀代の上がり馬として活躍したアカネテンリュウ、
    他にも多くの実力馬がひしめいた世代。

  • 3二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:00:22

    リキエイカンは3歳8月(旧表記)にデビュー。
    新馬戦を幸先よく勝利し順調なスタートを切ると、その後6戦目まで2勝2着2回3着1回と安定した成績を残し、関西の3歳王者を決める阪神3歳Sに出走。
    5番人気という評価だったが、ヒデコトブキ(翌年の桜花賞馬)やファインハピー(重賞2勝)などの相手を下し優勝。関西の3歳王者となった。
    最優秀3歳牡馬には選出されなかったが、世代の期待馬の代表格との評価を受けた。
     
    ただ、4歳になった後のリキエイカンはスプリングSで8着と初の惨敗を喫してしまい、7番人気で出走した迎えた皐月賞もワイルドモアの10着に大敗。
    続くダービーは17番人気まで評価を下げ、結果はダイシンボルガードの4着に健闘したものの春のクラシック制覇はならなかった。
     
    春こそ不甲斐ない成績に終わったリキエイカンだが、夏になると復調。
    古馬を相手にしたオープン戦や重賞で好走を重ねるなどして調子を上げ、菊花賞には5番人気で出走。
    結果はアカネテンリュウにこそ敗れたものの2着に好走し、実力を証明した。

  • 4二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:01:49

    5歳になったリキエイカンは、2月に久々の重賞制覇を果たすなど勝ち星を重ねて好調を維持し、春天に出走。
    人気は前年に敗れたアカネテンリュウに次ぐ2番人気だった。
    そして結果はアカネテンリュウに雪辱し優勝。天皇賞馬の栄光を手にした。
     
    天皇賞を制し世代最強の一頭となったリキエイカン。
    しかしその後はレースには出るもののどういうわけか凡走が続いた。

    まるで春天優勝で燃え尽きたように重賞では好走すら殆どなく、同期のメジロアサマ、トウメイ、アカネテンリュウなどが第一線で活躍を続ける一方で存在感は急速に薄れていった。

    更に71年夏には調教師の柏谷が飛行機事故で死去する悲劇も起きた。

    その後は橋田俊三厩舎に移籍し現役を続けたものの、再びの輝きを取り戻せないまま、春天優勝からおよそ2年後の7歳夏のレースを最後に引退した。

    春天優勝後の勝ち星は平場オープンの4勝にとどまり、重賞では1度の2着以外はほぼ全て惨敗という成績だった。

  • 5二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:04:15

    リキエイカンの通算成績は48戦13勝、春天や阪神3歳Sなど重賞を3勝。

    春天優勝や菊花賞2着などの成績から長距離馬という印象が強いが、勝ち星や好走の殆どは中距離〜マイル戦であり、本質的には中距離馬だった可能性が高い。

    また春天優勝後に24戦しており、これは天皇賞制覇後の馬の出走数としては最も多い数字だった。
    頑丈で引退まで故障なくレースを重ねたこともあり、当時トップクラスの賞金を稼いだ。
    69年世代の代表馬の一頭といって差し支えないと思う。


    だけど、引退した時点でリキエイカンを待ち受けるであろう未来は既に暗示されていたのかもしれない。

  • 6二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:05:44

    引退したリキエイカンは種牡馬となった。

    天皇賞を制した実績に加えなかなかの良血ということもあり、普通ならそれなりに順調な種牡馬生活を送れる筈だった。

    だが時代が悪かった。
    当時は内国産種牡馬が非常に冷遇されており、良血かつ大きな実績を残した内国産馬といえども種牡馬生活には苦労する馬が多く、また種牡馬実績を残せる内国産馬も殆どいなかった。

    リキエイカンはその時代の煽りをまともに受けた。
    種牡馬初年度〜7年目までの合計種付け頭数は60頭に満たなかった。

    そんな状況もあり種牡馬成績は地方重賞入着馬を輩出するのがやっとという成績で、結局リキエイカンは80年をもって種牡馬引退に追い込まれた。

  • 7二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:08:27

    種牡馬を引退したリキエイカンだが、その後は天皇賞馬として穏やか余生を送れる…わけがなかった。

    当時は内国産種牡馬冷遇時代というだけでなく、引退競走馬の余生軽視という時代でもあった。

    その影響を受けるのはは現役時代に多大な実績を残した名馬とて例外ではなかった。

    例として62年世代馬のリユウフオーレルがいる。
    彼は63年に宝塚記念、秋天、有馬記念などを制して年度代表馬に輝き、翌64年には日本代表馬として海外レースに招待されるなど60年代を代表する名馬だった。
    しかし引退後、種牡馬として不振に終わった彼はその後余生の地は与えられず、最後は行方不明となった。

    またリキエイカンより後の77年世代馬で、78年に有馬記念を優勝するなどの活躍で年度代表馬となったカネミノブも、種牡馬引退後は行方不明になった。
    経済価値のなくなった馬に対しての当時の冷遇は非常に深刻なものがあった。
     
    その時代背景の中では、リキエイカンが穏やかな余生を与えられる筈もなかった。
    それどころか彼に与えられた末路は、用途変更からの即廃用処分という厳しいものだった。

  • 8二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:13:10

    80年秋、かつて春天を優勝し競走馬の頂点に立ったリキエイカンの身柄は、廃用処分の為屠畜場に送られることになった。
     
    廃用が決まったリキエイカンの馬体はボロボロに窶れ果てていた。
    これが10年前に競走馬の頂点である天皇賞を制した馬だと言われても誰が信じるだろうかと思える程だった。
    内国産種牡馬冷遇と競走馬余生軽視という時代背景は、彼をそこまで蝕んでいた。

    屠畜場に移送される際、リキエイカンは何を考えていたのだろうか?
    彼は幼少期から自分の名が呼ばれたらすぐに駆けつけたりするなど、かなり賢い馬だった。
    そんな賢い彼の眼に、この現実はどう映っていたのだろうか?

    彼と同期の名馬達、クラシックを制したワイルドモア、ダイシンボルガード、アカネテンリュウらは、この厳しい時代においてまだ種牡馬生活を続けていた。
    天皇賞を制したメジロアサマは、危機的状況から周囲の尽力によって大きな実績を挙げようとしていた。
    一方で宝塚記念を制したショウフウミドリは、既に種牡馬を引退し行方不明となっていた。

    そんな事までリキエイカンが知ってはいないだろう。
    だが、天皇賞という最高峰の栄光を手にした過去の自分と、今窶れ果てた身で処分されようとしている自分を重ね合わせ、人間に対して何かを思ったであろうことは想像に難くない。

    屠畜場に移送されているリキエイカンは、まるで全てを悟り切ったように静かだった。





    …リキエイカンがその生を終えたのは、それから22年後の夏だった。

  • 9二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:15:43

    「リキエイカンが用途変更になって処分されるらしい」
     
    北海道浦河の鮫川牧場。
    そこの牧場社長である、鮫川清一氏。
    20代ながら父の跡を継いで牧場社長になったばかりの彼は、80年秋のある日にそのことを聞いた。


    この牧場で幼少期を送り、その後競走馬として天皇賞を勝ったリキエイカンのことは、鮫川はもちろん知っていた。
    それどころか、彼は子供の頃まだ幼いリキエイカンを「リキ」と呼んで可愛いがっていた関係だった。

    牧場を旅立った後は会うことはなかったが、リキエイカンのその後の活躍は全て見ていた。
    牧場の期待に応えて関西の3歳王者となり、更に天皇賞馬の栄光に輝いたリキエイカンの存在は、まさに鮫川牧場の最大の誇りであり勲章だった。


    そのリキエイカンが、用途変更になった。
    それどころか、廃用処分されるという。
     
    とても信じられなかった鮫川は、すぐにその真偽を確かめる為、屠畜場に送られるリキエイカンが一時身柄をおいているという牧場へと向かった。


    牧場に着くと、果たしてそこにリキエイカンがいるという。鮫川は彼の場所へ案内された。
    そして、鮫川はリキエイカンの今を目の当たりにした。

    『1頭の汚れた馬がいた。「血統書で馬の特徴を調べなければ分からないくらい変わり果てていた」』(北海道新聞(人に詩あり)より)

  • 10二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:17:09

    鮫川はその場で十数万円を払い、リキエイカンを鮫川牧場をへ連れて帰った。


    帰るとすぐに、リキエイカンの身体の汚れを、丁寧に丁寧に落としてやった。
     
    汚れを落としながら、鮫川は涙が自然とあふれてきた。
     
    『情けなくて情けなくて・・・。 あの時の事を思い出すと、今でも涙がでそうになるんだ」』(北海道新聞(人に詩あり)より)
     

    鮫川は、リキエイカンを牧場で最後まで守ると決めた。
     

    当時、牧場が生産馬を引退後に引き取る事は馬産地では常識外のことだった。

    一頭だけでも、馬を養う経費はそう安いものではない。
    餌代など諸々含めて、最低でも年間百万円はかかる。

    馬は稼がなくなったら、淘汰もやむなし。
    それが常識だった。


    だが鮫川は、そんな馬産地の常識には従わなかった。

     
    『「この馬が出てくれたから牧場の今があるんです。最大の功労者はリキなんだ。これは金の問題じゃないんだ」』(北海道新聞(人に詩あり)より)

  • 11二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:18:47

    リキエイカンを引き取って以後、鮫川の1日の始まりと終わりは彼のために有った。
     
    前日の夜、どんなに酔っても、朝の5時にはリキの馬房に行った。
    仕事が終わった後にも必ず馬房に行った。
    「リキ』と、声をかけて世話をした。
    『馬は、見てあげないと、なにを求めているか分からないから』(北海道新聞(人に詩あり)より)


    歯が弱いリキエイカンの為に、水に浸した柔らかい餌を毎日用意した。
    寝藁も体に負担かけないよう、ふかふかの物を準備した。
    専用の小さい放牧地も作った。
     




    …そして、長い歳月が経った。

    20歳、25歳、30歳…鮫川と共に、リキエイカンは生き続けた。
    30歳を超えると、目が殆ど見えなくなった。
    足も不自由になった。

    それでも、リキエイカンは生き続けた。
    いや、必死に生きようとしていた。
    鮫川には、それがよく分かった。


    そしていつしか、リキエイカンは一つの途轍もない大記録に近づいていた。
     
    クラシック三冠など五冠に輝き、種牡馬としても絶大な功績を残した、競馬史上最高の競走馬の一頭であるシンザンが持つ軽種馬の最長寿記録、〈35歳102日〉という大記録に。

  • 12二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:21:38

    リキエイカンの春天優勝から30年以上の月日が経ち、時代は21世紀に入った。

    2001年4月5日、リキエイカンは遂に35歳回目の誕生日を迎えた。
    シンザンの大記録まで、あと約100日。

    「シンザンを超えろ」を長年合言葉にしてきた競馬界にとって、発展とはそこまで関係のない「寿命」という点とはいえども、それは途轍もない大記録の一つだった。
    その記録に、(同じ天皇賞馬とはいえ)シンザンとは正反対に競馬から捨てられた馬が迫ろうとしていた。

    更新されるか、されないか。
    大きな注目が集まり出していた。
     


    リキエイカンを守り続けてきた鮫川も、その記録を意識していた。

    無論元々は、シンザンの長寿記録を超えようなんて目指してなどいなかった。
    牧場にとって最大の功労者であり恩人であるリキエイカンに、安らかな余生を送って貰いたい。
    その一心で彼と人生を共にしてきた。

    その期待に応え、リキエイカンは生き続けてきた。
    その日々の積み重ねが、いつしか大記録への道筋となっていた。

  • 13二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:24:54

    シンザンの最長寿記録を超えて欲しい、鮫川はそれを願った。

    この記録を越えることがどれだけ大きなことか、彼には分かっていた。

    この記録を超えれば、リキエイカンの名は歴史の深く刻まれ、永遠に讃えられ続けるだろう。
    その名誉を鮫川は求めた。
    それが、牧場の大きな功労者であり、今日まで必死に生きてきたリキエイカンへの最大の恩返しだった。


    それはリキエイカンも同じだっただろう。
    廃用処分される筈だった自分を鮫川は救ってくれた。
    無償の愛で守り続けてくれた。
    その恩に報いる為にも、リキエイカンは必死に生きた。
     

    しかし、リキエイカンも徐々に最期の時が近づいていた。
    日に日に、彼の身は衰弱していった。
    大記録を前に、鮫川とリキエイカンは最後の戦いを続けた。


    シンザンの記録まであと100日、70日、50日、30日、20日、15日…

  • 14二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:27:05

    2001年7月2日早朝。
    リキエイカンの容態は急変した。


    最期の時、鮫川はリキエイカンの側にいた。

    『「寝たら起き上がれないのが分かっていたんだろうね。死ぬ前は横たわる事もしなかった。かわいそうで見ていられなかった。自分の子供のような者だから」』(北海道新聞(人に詩あり)より)


    鮫川に看取られ、リキエイカンは老衰でこの世を去った。

    35歳と88日。
    シンザンの記録に、あと14日まで迫っていた。
     
     
     
     
    …リキエイカンの死から1年後の夏。

    彼との日々を思い出しながら、鮫川はこう振り返る。

    『「シンザンの記録を抜けなかったのは残念だったけど、リキは機械じゃないから・・・。リキに聞いてないけど、今ごろ天国で『幸せな一生だった』と言ってくれると思うんだ」』』(北海道新聞(人に詩あり)より)



    (終わり)

  • 15二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:30:45

    以上

    変な文章になったけど許して

    キョウエイボーガンのことを調べてたらリキエイカンのことを知って、書きたくなった

    リキエイカンと鮫川氏のことはもっと知られて欲しいと思う
    春天優勝馬としては歴代最長寿だし(シンザンは秋天優勝)

  • 16二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 17:34:35

    ナイスネイチャが亡くなった時に話題になってた馬

  • 17二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 18:01:02

    おつ
    初めて知る名前だった

  • 18二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 18:01:35

    愛されたんだな、同じくシンザンに勝てるかもしれないと言われたアサホコの最期を考えると十分幸せだよ

  • 19二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 19:47:20

    故郷に帰って幼馴染?兄弟と過ごせたのは良かったね

  • 20二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 20:49:12

    すごくすごい良かった
    また新しい馬のことを知れてよかったです

  • 21二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 21:02:34

    シンザンに迫った馬なのに66年生まれ?と思って気付いたら全部読み終わってた

  • 22二次元好きの匿名さん24/07/20(土) 23:39:47

    昔の引退馬の扱いって種牡馬で成績残せないと即座に引退からのお肉√なのか


    リユウフオーレルやカネミノブも現代にいたら普通に功労馬扱いだっただろうな

  • 23二次元好きの匿名さん24/07/21(日) 10:52:36

    幼馴染兼親友みたいな存在だったんだな

  • 24二次元好きの匿名さん24/07/21(日) 10:59:27

    70年代の天皇賞馬ではアイフルやイチフジイサミも一時処分の危機に遭った

  • 25二次元好きの匿名さん24/07/21(日) 11:00:44

    自分の名前を久々に呼ばれたとき嬉しかっただろうな

  • 26二次元好きの匿名さん24/07/21(日) 11:17:21

    4歳下のハイセイコーよりも長生きしたのか

  • 27二次元好きの匿名さん24/07/21(日) 21:12:59

    こういった話は探せばもうちょっとあるかな?

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