理解しえぬトラウマと他者と奇跡と砂漠の暁から考えるイメージによる展開予測 ホシノ。ホシノ。ホシノ。ホシノ。ホシノ。好きだ。

  • 1124/07/22(月) 05:38:54

    目次

    要約文:限界まで切り詰めた文章。750字。

    第一文章:対話論。絶対に分かりあえぬ他者とそれでも関わる方法は?

    論争関係は対話関係ではない。故にホシノは孤独である。だから寂しい。

    対策委員会の面々が提示しえていないのは具体的解決策の代替え案ではない。

    論争的関係。声によって構成される対話。解決を兆さない終わりなき対話。


    第二文章:ホシノの強さ、凄さ、可愛さとは何か。トラウマとは何か。大人とは何か。

    ホシノは純粋精神をもつ人間である。傷つきやすさと精神の強さとは両立する。

    乗り越えるべきトラウマと、そうではないトラウマ。

    対処、克服能力の高さによる強さ。弱者の術を持たぬ繊細な裸形精神の強靭さ。


    第三文章:闇と奇跡。地平線。暁のホルス的イメージ。

    砂漠の暁。その光と陰(それは青春の暗喩)の中に、ユメ先輩とホシノがいるイメージ。


    第四文章:暁的存在としてのホシノ。

    理解しえぬ奇跡。暗闇と奇跡の暁。トラウマは克服されずに、奇跡と対話関係を構築する。


    第五文章:ホシノを好きになるということ。

    好き。



    長文を読むのが面倒ならば、第五文章さえ読んでもらえればそれでいい。

    ホシノを語ろう、ホシノを。


    というか今日のメンテ後更新かい! 聞いてないわ。




    これは以前
    bbs.animanch.com
  • 2124/07/22(月) 05:39:12

    要約文:限界まで切り詰めた文章。750字。

     論争的関係。声によって構成される対話。解決を兆さない終わりなき対話。というものがある。
     現状アビドスpart4までに行われている会話はすべて論争的関係である。対策委員会の面々が提示しえていないのは、列車砲問題解決の具体的方法ではない。ホシノのトラウマに十分に対峙するだけの何かを提示しえていないのだ。だから論争者として現れる。故にホシノは孤独である。だから寂しい。
     絶対に理解しえぬ他者に出会うこと、それは希望だ。
     
     乗り越えるべきトラウマと、決して克服されてはならぬトラウマがある。トラウマとは悪ではない。
     トラウマとは、「全ての出来事がそこへ回帰する経験」や、「自分自身には絶対に分かりえぬ経験。尚且つそこから自分自身を形成している経験」という形で表せる。
     この苦しみを切り抜けよう、乗り越えようと言うのは、弱者の在り方である。
     対処、克服能力の高さによる強さ。弱者の術を持たぬ繊細な裸形精神の強靭さ。
     後者こそがホシノの強さであり、この人間だけが他者を端くれ的に解釈しない恐ろしい人間になり得る。純粋精神を放棄するということが、大人になるということではない。

     事象の地平線。あまねく奇跡の地平線。暁のホルス。
     砂漠の暁、その太陽。この感動の形態は、日本的な享受する類の感動では決してない。
     それは鮮烈に強烈に身体を貫く。砂漠的広大さ。砂漠の虚空の強さもこれである。
     青春の実相というものがある。それに触れたものとそうでないものとが決定的に違う、青春の実相。
     それは暗闇から立ち上がる。しかし、それは光である。
     暗闇と奇跡。この世界に、ユメ先輩とホシノとがいる。

     絶対にトラウマや、自己自身では理解できぬ他者。
     トラウマという一つの人生モデルの居着きから離れるにはこれが必要だ。
     ホシノにおいてこれは奇跡である。

  • 3124/07/22(月) 05:39:40

    第一文章:対話論。絶対に分かりあえぬ他者とそれでも関わる方法は?

     対話。と一口にいってもそれには色々な種類がある。
     見解の対立、闘争、不一致といった論争的関係。これと対話的関係とは全く別のものなのだ。
     現在、アビドス三章part4に至るまで、行われているのはすべて論争的なものである。対話的なものではない。対策委員会とホシノとの間にも、ヒナとホシノとの間にも対話的関係は築かれていない。「みんなで考えましょう」「一人で解決する」。「あなたは悪くない」「何が分かる」。
     対策委員会の面々はただ論敵として現れる。ただホシノの行動、トラウマ否定者として現れる。
     彼女らが提示できていないのは、列車砲問題解決の為の具体的道筋などではない。
     ホシノのトラウマに十分に対峙するに足る何かを提示出来ていないのだ。
     故に、ホシノは孤独だ。だから寂しい。
      

  • 4124/07/22(月) 05:40:04

     対話的関係とは論争関係ではない。
     対話的関係とは他者に対する理解、共感によってもたらされるものでもない。
     では対話的関係とは何なのか? 
     一つにはそれは、同意等によって構成されるものである。
    「人生は素晴らしい」「人生は空しい」と異なる判断が口にされた場合。個々の間に発生するのは見解の対立、闘争、不一致である。それは論争であって、そこに対話関係は発生しない。しかし、
    「人生は素晴らしい」「人生は素晴らしい」と二人の口から同じ判断が口にされる時。この二人は同じ言葉を口にしている。しかし、発生主体が異なる以上その言葉とはどこかで違うものである。それが声だ、と言ってみてもいい。その異なる声が合わさるところに於いて、人は対話関係を構築する。
     また他の可能性としてこんなのがある。
     先の、「人生は素晴らしい」「人生は空しい」という異なる判断による闘争的関係は、弁証法的解決。つまりどちらかが正しくて、どちらかが正しくないとか。二つ合わせて新しい定理を構築することによって、この対立を解決しよう。という性質がある。ここにおいて言葉は他の見解を否定するために発される。
     しかし、そうでない場合もある。
     二人の人間が異なる言葉を発する。だが、どちらがより正当かや、新しい定理による解決を兆さない。言葉は他者の見解を否定するために発されない。判断を常に宙づりに、絶対に固着されることなく、それが生まれたその時の瑞々しさ、流動性を保ったままにしようとする対話。言い得ぬものを言い得ぬままにしようとする対話。終わりなき対話を構成しようとする対話。そういう類の関係性がある。 
     これだけが、絶対に理解しえぬ他者とそれでも関係を築く方法である。
     闘争的関係ではなく対話的関係が築かれること、それすなわち他者と出会うこと。勝手なイメージであるが、これがこれからの主題となるのではないかと思う。
     ここでのキーワードは「絶対に理解しえぬもの」「一意的解決の否定、言葉による解釈の無効性」である。
     その点に於いて他者とトラウマは共通性を持つ。

  • 5124/07/22(月) 05:40:33

    第二文章:ホシノの強さ、凄さ、可愛さとは何か。トラウマとは何か。大人とは何か。 

     話は変わるが、ヒナや、シロコテラーが述べてきたホシノの強さとは一体何なのか? 
     それは、絶対に理解しえぬものを、絶対に理解しえぬものとして保有する力ではないか? 心を知性と言葉と解釈とで武装しない生き方。何一つ自分の守る術を持たない裸形精神。繊細であること。繊細であり続けること。そのような強さ。自己防衛術というごまかしを持たぬ強さ。
     世間一般においてトラウマは”解決されるべき、克服されるべき経験”として現れる。簡易のもので言えば、ホラー映画やグロ画像を見たときのそれ。深刻なもので言えば、幼児期の児童虐待に起因するものなどがそれだ。
     こう考えれば、トラウマとは悪である。出来れば負わない方がいいもの。そうでなければ克服すべきものである。この観点から見れば、強い人間とはどんな状況でもトラウマを負わない人間。もしくはトラウマを克服し得る人間。であるという風に解釈される。トラウマの克服とは成長である。
     だがホシノの強さはそういうものじゃない。
     そうじゃない。ここでのトラウマは負わない方がいいものでも、解決し克服されるべきものでもない。故にそれは悪でも、「ひきずってしまう」という否定的な形で現れるものでもない。しまう、というのはただ必然的であり、外部的であるという意味で用いられる。
    (又、シロコテラーの場合とも違う。ホシノの場合片面では、トラウマは象徴的行為・事件に起因するトラウマである。だがこれと同時に、時間性を持つ経験に起因するトラウマでもある。罪性がトリガーとなり、ユメ先輩とのあの頃。ストーリーで度々触れられる過去シーンは急に不可解なものとなる。
     対策委員会時代の事は「かわいい、かわいい後輩たちとの楽しい時間」であるという風に語ることが出来る。将来的に懐かしむことが出来る。しかし、生徒会時代の事をそのようにして語ることは出来ない。
     それは自己の罪性に起因するところも多分にある。しかし、それ以上のなんらかの意味性を保有するのではないか? でなければ、手帳の言葉というのはこれほど重要な意味を帯びてこない。
     死者復活系の物語は大概がこの性質を帯びているから、これは魅力の出発点であり、本源ではない。しかし、ホシノのトラウマが決して一意的に悪と言えないことを明証しているように思う

  • 6124/07/22(月) 05:41:22

     人間は苦しいものに出会うと、それを簡単に解決しようとする。しかしそれは弱者の術だ。
     苦しみを切り抜ける人間的覚悟のだらしなさ。
     苦しみや悲しみの極地にあって、堪えきれず涙を流すこと。(涙は無意識的自己浄化作用である。であるが故に、弱者性、脆さというのはそこに現れる)。
     美や決定的経験、分からないものに遭遇した時に、それを言葉によって解釈しようとすること。
     「他者について言葉の端くれを取り上げて(言動とはすべて端くれ的である)、意見をでっちあげようとする人間」
     魂のことを後にして、生活の処理のよくつく機敏な人間。
     純粋精神を放棄すること。
     繊細さを捨て、知性や言葉で解釈をして、生活の処理のよくつく人間。この人間の在り方こそが、社会人の、大人の生き方なのではないか?  いいや違う。大人とはそういう存在ではない。
     
     ある種の経験をしたものと、そうでない人間とでは決定的な差が存在する。
     青年とは喪失の物語である。かけがえのないものを失って、それが自分の責任であるときに、取り返しのつかないことをしてしまった時、人は青年になる。
     ホシノは現状プレ先世界の人々を除いて、ゲームプレイヤーたる先生を含め、こういう青年になってしまった唯一の人間だ。
     純粋精神と喪失から始まる青春。ブルアカの大人論はここから始まるのではないか?。

  • 7124/07/22(月) 05:41:35

     ホシノは自分の守る術を持たない傷つきやすい人間である。それでも、いやだからこそ彼女は強い。
     戦闘力も知性も信用するに足らず、記憶も経験も能力も現状に対処できるほどの力を持たず、言葉は喪失し、失語の沈黙の内に、ただただ唖のように呻く事しか出来ない。何一つ恃むべきものをなくした、そんな時にも、彼女は大地に踏みとどまり、じっと前を見ることのできる人間だ。
     全てを喪失し、砂漠という場に投げ入れられて、彼女はそれでも立ち上がることが出来る。
     深くて大きな空洞を持った人間の声を、声の生まれたところの由来を持っている人間。
     
     言葉の端くれから解釈することなしに他者の魂に触れることができる人間。
     シロコテラーが言っていたホシノの強さとはこのことではないか?
    (これはホシノがトラウマを持っているが故に保有する性質ではなく、生まれながらの性質である。こういう人間に触れるということ。これは生まれ乍らの詩人の肉体を理解する辛さと繋がる。悲しさがある。こういう純粋精神をもつ人間に触れるということは)
     
     というイメージがある。なぜそのイメージが直観されたのかは分からない。our new storyの音調の中にそういうものが含まれていたのだろうか?分からない。けれどそう感じたに足る理由はどこかにある。守らなければならないのは、こういう傷つきやすい人間、裸形性の人間だ。

  • 8124/07/22(月) 05:41:59

    第三文章:闇と奇跡。地平線。暁のホルス的イメージ。

     話を対話論に戻す前に、一度ホシノの砂漠性をいうものを語りたい。といっても又この文章も自分の妄想、イメージからスタートさせる。
    「ホシノには砂漠を歩いているイメージ」がある。孤独に。
     このイメージは割と皆と共有できると思う。少なくともユウカにこんなイメージはない。
     こういう性質をもった人間は中々おらず、かつ魅力的である。という話はさておく。
     ホシノはただ一人砂漠を歩行するイメージがある。
     それと同時に「ホシノには暁のイメージ」がある。オッドアイ、暁のホルスという二つ名。

     砂漠の日の出。虚空的宇宙。色と形のない漆黒の闇の世界。遠い岩山の頂きがかすかに茜色に染まりはじめる。そうして一瞬、鮮烈な一条の光が人間を射る。刻々として、その眩しいばかりの光は、大地に色と形を与えはじめ、岩山の表面は茜色に、壁の部分は紫色になっていき、砂漠は薄墨色から濃い茶色に変化して、足もとの砂の色までがプリズムのように五彩、七彩に輝いてくる。
     生命の根源の力。太陽。

     地平線。事象の地平線。あまねく奇跡の地平線。

     その鮮烈な砂漠における芸術は、そこでの感動の種類、感動の性質。そこに向かう人間の態度は、この日本の感動様態とは全く違うもので。少なくとも享受などという生易しいものとは無縁で……。
     青春には暗みがある。湖水の底の恐ろしいほどの深み。昼間の住人が決して理解できぬ暗み。
     それは人生の混沌であったり、青春期の混乱であったり。それがなんなのかは分からないが、そういう暗がりから立ち上がる一種の青春の実相というものがある。それに触れ得た人間とそうでない人間とは決定的に違う、そういう実相。ここでなにか出てくる感動、涙は、our new storyの曲を聴くときに出てきそうな涙と近似するところがある。と、そう思う。
     その実相は暗がりから立ち上がる。しかしそれは光である。
     光と闇。虚空的宇宙のただ中で、恐らくこれから予期される絶望と奇跡との只中に、ユメ先輩とホシノがいる。そんなイメージがある。
     これは単なる暗示であって、実際にそうなるかどうかは分からない。
     ただ次の展開を考えると余りにしっくりとくる。

  • 9124/07/22(月) 05:42:48

    第四文章:暁的存在としてのホシノ。

     対話論に戻る。
     トラウマと人間との関係と、師匠と弟子との関係は同一構造を持つ。
     同一のトラウマ、師を持つ人間が、同一のことを学び、同一の人間が形成される訳ではない。師から弟子に伝達される内容は、本や文章によって記される類の内容ではない。そこには肉体と声とが必要だ。同じことがトラウマにも言える。

     トラウマは「全ての出来事がそこへ回帰する経験」や、「自分自身には絶対に分かりえぬ経験。尚且つそこから自分自身を形成している経験」という形で表せる。
     又、他者というのも「自分の理解も共感も絶した」存在。「絶対に現状の自己自身では理解できぬ」存在である。
     トラウマによって、現状の自己自身によって、絶対に理解しえぬ経験。
     他者に出会うこと。これこそが、人をトラウマから離脱させる。
     
     今のホシノに理解できぬもの。
     それは奇跡ではないか?

  • 10124/07/22(月) 05:42:59

     絶対に解決しえぬトラウマをこれから作品上でどのように扱うのか。
     曰く技芸、武術において、人は単一のロールモデルが示す「すっきりした」プログラムにしたがって訓育されている限り、必ず技術的な限界にぶつかる。らしい。
     そのロールモデルは決して間違っているわけではない。しかし、そのプログラムの意味を理解した時、その教育効果は不意に限界に突き当たる。
     引き続きそのプログラムで訓練しても、局所的な技術や部分的な能力は上がるだろうが、それは「檻の中でぶくぶく太ってゆく」ような満腹感しかもたらさない。
     しかし、プログラムそのものは異論の余地なく「正しい」のだ。故に、それとは違う「もっと正しいプログラム」に乗り移ることは解決にはならない。そうではなくて、この「正しいプログラム」に「正しいがゆえに居着いてしまった私」をそこから引き離すことが問題なのである。
     らしい。
     
     トラウマはそこに自己回帰する経験であり、それは悪ではなく、一個の理解しえぬ人生モデルだ。それは克服されるのではなく、新たな一個の理解しえぬ人生モデル。トラウマでは理解することのできないもの。ホシノでは奇跡が立ち現れることによって、その二項。絶対に言語化できぬトラウマと、理解できぬが確実に存在する奇跡、は終わりなき対話を始める。決して解決はない。そうして、暁の世界でホシノは過去の居つきから離れ、皆とともに新たな青春を開始する。

     そういう風になるのではないか?

  • 11124/07/22(月) 05:43:47

    第五文章:ホシノを好きになるということ。

     結局どうして私はホシノの事が好きなのか。
     ホシノを受け止められるほどの器をもった人間でありたい。ホシノに奇跡を提示し得るだけの人間になりたい。ホシノの魂に、声の発される場所に触れ得るだけの人間に。たとえ崩れてしまっても、ホシノを支え得るだけの人間に……。
    (ただ私単一のばあいであるが)
     ホシノに対する好きになり方。それは「愛でたい」「可愛がりたい」「幸せにしたい」「ぺろぺろしたい」「抱きしめたい」「撫でてあげたい」「笑っていて欲しい」とかとはちょっと違う。「思わずにやけてしまう」というのとも違う。
    「可愛い」とか「カッコイイ」という感情が天元突破しているタイプのそれとも違う。
    「ホシノと十分に並びうるだけの人間。知性、心その他すべて含めた人間性の声において、十分に並びうるだけの人間でありたい」という風になる。理性の上では。
     だというのになぜかホシノを見ていると発狂したくなるような気持ちがする。天元突破しているタイプのそれではない。でも何かが、よくわからない何かがこみ上げてくるのである。意味が分からない。
     多分これが好きであるというものの、一つの位相であると思う。

     ただただ、ホシノが悪し様に言われているのが、ひたすらに悔しい。


    追記
    ホシノに似合うのは限界突破した、自己崩壊とつながる悲しみによる涙だろうか?
    それとも嬉しみからくる涙だろうか?

  • 12124/07/22(月) 05:49:14

    なぜホシノが魅力的なのかじゃなくて。
    もっと素直にホシノの事をどうすきであるか、語ればよかった……。

  • 13二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 05:49:56

    おはよう

  • 14124/07/22(月) 05:52:44

    >>13

    おはよう

  • 15二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:04:44

    なんだこいつ? 気でも違ったか?
    読んでみてやろう

  • 16二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:07:58

    こいつゲマトリアじゃね?

  • 17二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:10:31

    要約文読んでみた
    他の部分はまるでわからないのに
    列車砲のくだり割と面白くて笑う

  • 18二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:12:14

    自己崩壊の涙のほうが似合うね!

  • 19二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:19:44

    >>18

    んなわなけないだろ

  • 20二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:22:04

    >>19

    対話論ガン無視じゃん

  • 21二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:24:26

    なんだろう。なんていうか、好きなんだな

  • 22二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:30:44

    地味に全体に筋が通ってる
    実際にそうなるかどうかは別として

  • 23二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:31:53

    >>22

    全部読んだの?

  • 24二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:33:05

    >>23

    一応は読んだ 一応ね

  • 25二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:33:41

    >>24

    はえー

  • 26二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:36:36

    コメントの仕方がわからん
    何を言えばいいんだ

  • 27二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:38:01

    ホシノは好きか?

  • 28二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:40:55

    >>27

    そりゃもちろん

    そして今回の先生の行動がなんか嫌い

    世間一般全体のプレイヤーもそうだけど

  • 29二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:43:05

    脚本家は脚本家で戦闘させなきゃならんし
    状況説明は会話でしないといけないしで厳しいだろうが
    それを踏まえたうえでもね

  • 30二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:45:19

    読んでみるか……

  • 31二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:46:11

    てかスレ主こないな

  • 32二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:48:12

    このレスは削除されています

  • 33二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:52:59

    訳わからん文章って一周回って面白いよね

  • 34二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:56:48

    >>30

    読み終わった?

  • 35二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 06:59:51

    >>34


    まるでわからない

    なぜ分からないのか考えてる

  • 36二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:02:27

    >>35

    小説を途中から読んでる感じでは?

  • 37二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:03:11

    >>36

    それかも

  • 38二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:03:13

    全部読んだ、なるほどそういうことか
    トラウマは細胞におけるミトコンドリアみたいなものと認識した。
    なんかこう、...一般的には消化して排出するものをそのままの形で体の中に留めておく感じ
    ただトラウマがそのままでは受け入れられないからトラウマと互いに違うことを言いながらも互いを受け入れるものである奇跡を一緒に取り込むことで前に進めるようになると

    あとイッチの好きというのは並び立ち支えられる人間になりたいという理性的感情とただ好きであるという魂的(肉体的?)感情も理解できる。
    言語化された時点でやはりイッチが思っていることの断片だけが伝わるようにしかならない思うけどそれでも自分の頭の中で補完することによってなんとなくわかった

    分からないと言ってる人へ
    普段自分たちが無意識に頭の中で思っていることを無理やり定義づけて言語化したら意味が分からなくなるのは当然だ、気にすんな(かくいう自分も自分の頭の中で理解したと認識していることがイッチの思っていることと近いのかはわからん、もしかしたら的外れかも)

  • 39二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:04:39

    >>38

    おぉ!

  • 40二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:06:34

    >>38

    魂的肉体的感情!

    なんかちょっと納得できる

  • 41二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:08:05

    >>38

    イッチの予想当たると思う?

  • 423824/07/22(月) 07:08:14

    1にこの解釈があっているのか確認したい

    というかここまで精神の内面まで言語化して話してくれる人がいなかったからちょっとワクワクしてる

  • 43二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:10:46

    >>42

    来る気配がないな

    生活に戻ってしまったか

  • 44二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:13:18

    いつかは戻ってくるか
    まさか文章投棄してさようならではなかろう

  • 453824/07/22(月) 07:25:53

    >>41

    当たるかどうか...というよりかは多分これがホシノの心理的描写としての正解だと思う。

    よくある話だが(?)他者の死を乗り越えるのではなく受け入れて進む的な感じの話

    ホシノの場合は...イッチの考えてることと同一かはわからないけど、ホシノは生まれつきの性質により他者の魂に言葉というアダプタや端子なしに触れられる強さ、またそのために言語などによって経験を消化できないという弱さを持っているからこそトラウマとともに細胞の中に入って同一化できる奇跡が必要なんじゃないかと理解した

    ごめん、感覚を言語化して解説するのむずすぎて曖昧になったりしている、感覚とこれを読む読み手自身の経験をもとに理解して

  • 463824/07/22(月) 07:39:44

    イッチはどこ行った

  • 47二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:47:27

    このレスは削除されています

  • 48二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 07:59:02

    ホシノに対策委員会が何を言っても無駄なのは、ホシノのトラウマに満ちた人生観を否定するだけの言葉でしかなく、対話になっていないからだ。
    ホシノはトラウマを胸に抱え、しかしそれを安易に現在の幸福によって否定=トラウマの克服的解決(弱者の解決法)せず、忘れることなく抱え込んで生きているので強く、美しいのだろう。
    そんなホシノの砂漠のなかでさ迷っているような人生観を変えるには、対話には決して理解できえぬ他者が必要なように、トラウマには理解を越えた奇跡の体験が必要なのではないか?

    ってことだろうか。できる限り言葉をチープにするとそう言ってるように見える。いやまあチープにしすぎて本質をぐちゃぐちゃにしてそうだけど……

  • 49二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 08:01:59

    しかし誰が読んでもわからない文章っていいねすらつかないのな

  • 50二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 08:10:05

    少なくとも対話云々は伝わる
    要は相手の意見とホシノの意見が「理解できぬ」とすれ違ってしかなってないのが現状ってことだろ

  • 51二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 08:31:47

    昨日ボロクソに叩かれてた奴じゃん
    朝から元気やね

  • 52二次元好きの匿名さん24/07/22(月) 09:28:06

    ♡の数に言及された直後に数増えたの草

オススメ

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