- 1ちょっと長い話になるのだ24/07/28(日) 22:24:44
別に、犬が嫌いなわけではないのだ。
でも、アイツとの出会いは最悪だったのだ。
あの頃は、イタズラスポットとしてよく河川敷に行ってたのだ。芝生に落とし穴を掘って、走るウマ娘を落とすのが楽しかった。生徒会のヤツらに見つかって追いかけられたこともあった。
その日、空はよく晴れていた。ウインディちゃんは、いつものように落とし穴を掘った。一人で黙々と進め、偽装も完璧に仕上げた。準備が終わり、物陰に隠れて見張る。ウマ娘も結構走ってたから、誰かは引っ掛かると思っていたのだ。
しかし、落ちるヤツは一人もいなかった。
それどころか、時々穴のある場所をジーっと見つめるヤツまでいた。一人がそうすると、周りにいるヤツらも寄ってきて、落とし穴を見ていた。しかも、笑っているヤツもいる。
……腹が立つ。
「なんでなのだー! なんでお前ら落ちないのだー!?」
我慢できず、飛び出して落とし穴を覗き込んだ。
「ワン!」
「は? 犬?」
穴の底から、こちらを見上げ舌を出す犬。両手で抱えられるくらいの、それなりの大きさのヤツが、ただただ落とし穴の中でボーっとしている。 - 2二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:25:25
「わぁ、かわいい!」
「落とし穴にかかっちゃったのかな?」
「みんなで助けようよ!」
近くにいたヤツらは全員、穴を見ている。誰もこっちを向かない。
「フッフッフ! どうだこの落とし穴! このマヌケな犬が落ちていなきゃ、お前らが落ちてたかもしれないのだ!」
そう言ってみるも、誰もこちらを向かない。それどころか。
「ジャージをツタ代わりにするのはどう?」
「じゃあ私がそれを穴に伸ばすよ!」
みんなして、犬を心配している。
……腹が立つ。
「フンだ!」
それだけ言って、ウインディちゃんはその場から走り去った。
今思うと、あの時ウインディちゃんは、心の中で負けたと思ったのだ。あの状況で、誰もウインディちゃんを気にかけない。誰も落とし穴に注目しない。あれ以上何をしても、あの犬には勝てない。そう、思ってしまったのだ。
走り疲れ、日陰に座り込んでいた時、足元にふわっとした何かを感じた。
「うわっ!? お前は!?」
そこにいたのは、さっきの犬。いつの間にか、ウインディちゃんの後をつけてきていたようなのだ。 - 3二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:25:46
「なんなのだお前! こっちに来るな! シッシッ」
足で追い払い、早歩きで寮に戻ろうとした。しかし、犬は後からついてくる。足をたくさん動かして、ウインディちゃんのペースに合わせてきている。
「ついてくるな!」
立ち止まりそう言ってみる。しかし、犬はその場に止まったまま、こちらを見ているだけだった。
「もう、なんなのだ、お前! ついてくるな!」
そこからは、全力で走った。さすがにウインディちゃんの速さには追いつけなかったようで、いつの間にか犬はいなくなっていた。イライラしたが、これでアイツと会うことはないと思っていた。
しかし、次の日もアイツと会うハメになった。それも、また落とし穴にかかっていた。
その次の日も、そのまた次の日も、落とし穴にかかっていた。ムカつく。
ここまでくると、さすがに対策を打った。本命の落とし穴とは別に、ダミーの落とし穴を作ったのだ。
しかし、結果は全然ダメ。毎回、両方の落とし穴を作動させ、台無しにされた。落ちた後は、周囲の奴らに拾われて、穴から抜け出していた。
「あ、また落ちちゃってる」
「せっかく穴から出しても、また落ちに行ってるよね」
「もしかして、落とし穴にハマるのが好きなんじゃない?」
……落とし穴が好き? フンだ! ウインディちゃんからすればいい迷惑なのだ。こんなことなら嫌われた方がまだマシだ。
だがそんな気も知らず、あの犬は毎回ついてくる。どこからともなく現れて、ウインディちゃんの後を追ってくる。 - 4二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:26:36
「お前! ついてくるなって言ってるだろ!!」
そう言うも、犬は特に反応しない。どれだけ歩いてもついてきて、舌を出し、こちらを見つめてくる。これも、バカにされているような気がして、ムカついた。
そんなことが二週間くらい続いた日のことだ。
色々対策を考え、ついに究極の秘策を思いついた。落とし穴自体の偽装は甘くなってしまったが、その近くに犬を捕獲するトラップを作ったのだ。
しかし、そんな日に限って、アイツは来なかった。落とし穴にも、誰一人引っ掛からなかった。今更来ないのも、それはそれで腹が立った。こっちはお前のせいで色々苦労したというのに!
次の日も、その次の日も、秘策をやり続けた。しかし、アイツは来ない。もはや、アイツを罠にかけないと気が済まなくなって、探し回った。けど、これがなかなか見つからない。それでもどこかにいるはずだと、探していたその時。
ふと、橋脚の影に何人かたむろしているのが見えた。見慣れない奴らで、声からして全員男のようだ。
「おいおい、コイツ全然逃げねえぞ?」
「こりゃいいや! おい、お前もやれよ!」
「えー? 本当に大丈夫か?」
「大丈夫だって。野良犬だし、バレても問題ねえよ」
野良犬……?
その言葉を聞き、立ち止まる。こっそり近づき、男達の足元を見て、息を呑んだ。 - 5二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:27:11
アイツだ。いつも落とし穴に落ちる、あの犬。アイツがそこにいた。しかし、様子が違う。いつもの、舌を出して、のほほんとこちらを見るような感じじゃない。力なく、ヨロヨロと歩き、男達の方へ向かっている。
「じゃあ、遠慮なくっ!」
声と同時に、一人が勢いよく犬を蹴り上げる。次の瞬間、犬は、宙を浮かんでいた。そして、そのまま橋脚にドスっとぶつかり、落ちていく。
「ひゅー! カッコいい!」
周りの奴がからかい、ハイタッチした。ガクガクになりながら立ち上がる犬。ウインディちゃんは、それを、固まって見ていた。何が起きているのか、理解ができなかった。
「クゥーン……」
犬は、甲高い声を上げながら男達に近づく。ゆっくりと、尻尾を振りながら。
「こいつバカじゃね!? 蹴られに来てんじゃんこれ!」
「野垂れ死ぬまで、俺達が遊んでやっからよ!!」
再び蹴られ、宙を浮かぶ犬。それを見てケラケラ笑う男達。
ウインディちゃんだって、アイツのことは嫌いだ。毎回落とし穴を台無しにされるし、対策すれば来なくなる。嫌なヤツだ。
けど、それは、こういう意味じゃない。こういうことじゃない。お前達とウインディちゃんは、全然違う。 - 6二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:27:41
「……やめるのだ」
考えるより前に、男達に向かって歩き出していた。
「あ? なんだお前?」
「待て! こいつウマ娘じゃん! ほら、トレセンの服!」
「それが何だよ? 俺らなら楽勝っしょ?」
ニヤニヤしながらこっちを見る男達。その全てが、神経を逆撫でした。
「やめろと言ってるのだ!!!」
叫ぶと同時に、一人の腕に噛みついた。歯型が残るくらいに、いや、噛み切って血を出してやろうと思うくらいに、力いっぱいやった。普段とはワケが違う。
「うわああああ!?!? 離せ!? 離して!?」
そいつは叫び声をあげながら、尻餅をついた。口から腕が離れ、必死に後退りする。
「あ、あの……すみませんした……すみません……」
座り込んだそいつは、平謝りしている。もう一度詰め寄る。
「二度とコイツの前に現れるな!!」
至近距離でそう叫ぶと、そいつはあわてて立ち上がり、走り去った。
「お、おい!?」
「やべえよ!? 逃げろ!!」
他の奴らも、一目散に逃げていった。だんだん、男達の影が遠くなり、どこかで曲がって見えなくなった。何も考えられずに、その場で立ち尽くしていた。 - 7二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:28:08
「クゥーン」
声が聞こえ、ハッとする。いつの間にか、犬が足元まで来ていた。二本の足の間を、弱々しく、くるりくるりと回る。その姿を見て、腹が立った。
「バカなのかお前!? なんで反撃しないのだ!? そういう時は噛みつくのだ!! 相手に噛み跡つけるくらい噛んで、自分を守るのだ!!」
ウインディちゃんの声を気にせず、犬は回り続ける。尻尾を振りながら。
自分の言葉が届かなかったようで、ムカついた。が、その様子を見ているうちに、なんだかコイツに腹を立てていること自体、バカバカしく思えてきた。
「まったく。世話が焼けるヤツなのだ、お前は」
しゃがんで首元を撫で回す。手で触ったのは初めてだった。思いの外、毛がふさふさで心地よかった。途中ウインディちゃんに顔を近づけ、ペロペロと舐めてくる。
「やめろ! くすぐったいのだ!」
引き剥がそうとするが、なかなか離れてくれなかった。しかし、それだけウインディちゃんに心を許しているということ。つまり……
「そうか! お前、ウインディちゃんの子分になりたかったのか!」
「ワン!」
威勢の良い返事を聞き、なんだかコイツがかわいく思えてきた。
「よし! お前は今日から、ウインディちゃんの子分なのだ!」 - 8二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:28:59
……
それ以来、ウインディちゃんはアイツが来るのを待ってから、落とし穴を掘るようにしたのだ。
なに? それじゃ解決になってない? ふっふっふ。そこは天才ウインディちゃん。アイツを、罠のテスターとして利用してやったのだ。なぜかわからないが、アイツは落とし穴を掘ると落ちに行くし、罠も引っ掛かりたがる。それを逆に利用し、きちんと作動するか確かめた。我ながら名案なのだ。
穴に落ちると、アイツは決まって、尻尾を振りながらじっとしていた。その間に、本命の罠を作れば完璧。イタズラのクオリティも上がっていったのだ。
良いことは他にもあった。アイツと一緒にいると、周りのヤツらからも注目されたのだ。
「あ、ウインディちゃん! 今日もワンちゃんと一緒!」
「完全になついてるよね~。んで、今日はどんな落とし穴を?」
「なんか手伝えることある? ……言っとくけど、その子のためだからね」
不思議なことに、協力者まで現れ始めた。嬉しい誤算なのだ。手下が増えるなんて。
それからは、複数人でイタズラを仕掛ける日々が続いたのだ。といっても、手下どもはほとんど犬と戯れてるだけだったが。それでも、いつもより楽しく感じたのは、間違いない。
その内、アイツを働かせっぱなしなのもかわいそうだからと、ドッグフードを買うようになった。ウインディちゃんは反対したが、勝手に始められてしまった。一週間でなくなるため、毎週交代で買っていた。アイツも、喜んでドックフードを食べた。 - 9二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:29:53
……が、ウインディちゃんが買う番になった日。
「ウインディ。その手に持ってる物はなんだい?」
「げっ……」
しまった。スーパーから寮に戻った時、偶然ヒシアマに見つかってしまった。
「部屋で飼ってるわけじゃないだろうね? 何に使うんだい?」
「……ウ、ウインディちゃんのおやつなのだ」
「そんなウソ通んないよ。他にも買ってる子、いるだろ?」
どうやら、手下どもが買ってるのもバレてたらしい。あいつら、何をしくじってるのだ! ウインディちゃんもしくじったけど! とはいえ、これ以上誤魔化しようがない。
「仕方ないのだ……」
……
「ふーん。河川敷に野良犬、ねぇ」
これまでのことを話すと、ヒシアマは宙を見つめている。
「ウインディ。そいつ、本当に野良犬かい?」
「へ?」
変な声が出た。怒られると思っていたから、拍子抜けだった。
「そいつ、人を噛んだりもしないんだろ? 本当は飼い犬なんじゃないのか?」
「違うのだ! いつも河川敷にいるし、首輪もないのだ!」
それを聞いて、ヒシアマは「うーん」と唸っている。 - 10二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:30:12
「それじゃ、おそらく捨て犬だね。誰かが飼いきれなくなって河原に捨ててったんだろう」
捨て犬……言われれば納得だ。アイツには妙な人懐っこさがある。
「でも、そうだとしたら保護してもらった方がいいね。野良犬は放置しちゃいけない。とりあえず、保健所に通報かねぇ」
ん? 保護? 保健所?
「待て。保護って何なのだ? アイツは、どうなるのだ?」
「何って……保健所に送られて、引き取り手が見つかるのを待つのさ」
保健所に送られる?
その言葉を聞いて、胸がざわざわした。
「~~~~~~~、~~~~~~。~~~、~~~~……」
ヒシアマは何か続けて話しているけど、何も頭に入ってこない。そして、そのままポケットからスマホを取り出そうとした時、勝手にウインディちゃんの右手が動いた。
「待つのだ」
急に出た声に、固まるヒシアマ。しかし、続く言葉がわからない。何を言いたいのか、何を言えばいいのか。それでも何か、何か……。
「…………嫌なのだ」
「へ?」
「保護なんて嫌なのだ!!!」 - 11二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:30:44
勢い任せに叫び、ウインディちゃんはその場から逃げた。頭の中がぐちゃぐちゃで、何もわからないままだけど、とにかく走った。走って走って、気づいたら、いつもの河川敷にいた。草原の方をずっと見ながら進む。無意識にアイツを探していたんだろう。
けど、こういう時に限って、アイツは現れない。前もそうだったのだ。肝心な時に、アイツはいない。
走っている内に、空が灰色になり、ポツン、ポツンと雨が降ってきた。時間が経つにつて、どんどん強くなっている。走り疲れたウインディちゃんは、高架下で座ることにした。
座った時、橋の外はもうザーザー降りだった。橋脚に背中を預け、地面に手をつく。砂や土がザラザラしている。少し爪の間に入ってしまった。
しばらく景気をボーっと見ていたが、ヒシアマが言っていたことを思い出した。
確かに言われた通りかもしれない。アイツだって、ちゃんとした飼い主に飼ってもらった方がいいはず。でも、嫌だ。せっかく子分になったのに。せっかく仲良くなってきたのに。だけど、このままじゃ……。
そんなことで頭がいっぱいになっていた時、足首に湿った感触が走る。視線をやると、ずぶ濡れのアイツがいた。今更のこのこ出てきたことに、少しムッとした。
「お前、どこに行っていたのだ?」
アイツは返事をせず、ただただウインディちゃんの周りを回っていた。しばらくそうすると、急に隣に座り込んだ。いつものように、尻尾を振り、舌を出しながらこちらを見ている。かと思えば、急に手をウインディちゃんの膝へ、ポンと置いた。再びこちらを見る。
「ふっ、なんなのだ、それ」
そのマヌケな仕草と表情を見て、思わず、口角が上がってしまった。
雨宿りを続けていたら、眠くなってきた。アイツも尻尾が止まり、舌をしまって伏せている。
「なあ。お前は、ウインディちゃんと離れ離れになっても、平気か?」
背中をさすり、ぼそっとつぶやいた質問に、アイツは反応しなかった。そして、だんだんと、意識が遠のいていく。 - 12二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:34:21
……
「………………ちゃん……ウインディちゃん!」
呼ばれる声に気が付いて目を開ける。空はオレンジ色になっていた。雨の音も止んでいる。顔を上げると、いつもの手下どもに囲まれていた。
「なんだ、お前らもコイツを探してたのか?」
「違うよ! いや、それもそうだけど、ウインディちゃんを探してたの!」
「ヒシアマさんから走ってったって聞いて、雨が降ってたから……」
よく見ると、全員傘を持って来ていた。水滴がたくさんついている。
「心配いらないのだ。こんな雨くらいで……」
「けど、律儀に雨宿りしてたみたいじゃないか」
その声にギョっとした。
「ヒシアマ!? なんでお前までここに!?」
「話がキッチリ着いてないからねぇ。その子のさ」
そう言って、足元を指差す。コイツはいつも通り尻尾を振って、見上げてくる。もう一度視線を戻し、ヒシアマをにらみ返す。
「ヒシアマ。保健所には通報するな。このままウインディちゃん達で面倒みるのだ」
「ダメだ。寮では飼えない」
「なら、ここで飼うのだ。コイツは人を噛んだりしない。ちゃんと飼えるのだ」
「それもダメだ。一度見てるんだろ? この子が蹴られてるところを」 - 13二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:34:50
ウインディちゃんの提案は、立て続けに否定された。こっちを見続けるヒシアマの厳しい目に、拳は力み、歯ぎしりも起こる。
「ウインディ。アンタに、この子がもうひどい目に遭わないと、保証できるのかい?」
「わかってる……」
「え?」
「わかってる! わかってるのだ! でも! でも、いいだろ! 嫌だって言ったって! 飼うって言ったって!」
前を向けない。
「言うだけなら、いいだろ! いいだろ……」
悔しい。悔しかった。けど、ヒシアマの言う通りだ。コイツがいじめられないことを、約束できない。コイツのことを、ウインディちゃん達じゃ守れない。何も言い返せない。何も、やり返せない。もうどうしようもなくて、地面を踏むことしかできなかった。
そんなウインディちゃんとは裏腹に、アイツは足元をくるくる回っていた。
その日は、気持ちの整理が着かないまま、寮に帰った。
結局、保健所には通報し、三日後に保護しに来ることが決まった。反論はできなかった。残った二日間、特別なことは何もせず、いつも通りに過ごした。アイツと逃げようとも考えなかった。甘やかしてやろうとも考えなかった。
けど、どうするかは決められた。ウインディちゃんは悪なのだ。本当の悪なら、子分を飼いたいなんて言わない。無理にでも飼うなんてしない。 - 14二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:36:19
……
ついに来た約束の日。保健所の奴らが、アイツを保護しに来る。
実はこの日、ウインディちゃんはアイツに会うつもりは無かった。しかし、ヒシアマが部屋まで来て引っ張られた。「アンタの気持ちはわからないが、アイツの気持ちには答えな」と言われ、抵抗できなかった。
引っ張られるまま河川敷に行くと、いつもの手下どもと、見知らぬ大人と車、そしてアイツの姿があった。
「あ、ウインディちゃん!」
「良かった、間に合って!」
手下に手招きされ、アイツと対面する。
晴れ晴れとした空の下。足の間を風が吹き抜ける。こんな日でも、アイツはいつも通りだった。舌を出して、尻尾振って、何も言わずにこちらを見つめる。
「そろそろ引き上げますんで、今のうちに」
そう言い、大人が車から檻を取り出す。これが、コイツと会える最後の時間。
何を言うか、心を決めていた。深く、ゆっくりと息を吸う。
「もう会うこともないのだ。じゃあな」
素っ気なく言って、後ろを向き、歩いた。 - 15二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:37:05
「ウインディちゃん?」
「え、ウソ? それだけ?」
「ちょっと、こんなんでいいの!? ウインディさん!」
手下どもがざわついている。ククク、良い気分なのだ。みんな、ウインディちゃんのことを気にしている。信じられないと、驚いている。混乱している。久しぶりの、感覚。
忘れていた。ウインディちゃんは悪なのだ。悪は、嫌われてこそだ。いいヤツに嫌われてこそ、悪は輝く。それが悪のあるべき姿。だから、コイツには嫌われればいい。
そう、歩き続けるつもりだった。
しかし、急にスカートをグイと引かれる。
振り返ると、スカートのすそが伸びている。その先には、アイツがいた。アイツが、スカートを噛んでいた。
初めて見た、アイツが人を噛む姿。
けど、どうして。どうしてなのだ。
どうしてお前はいつも、ウインディちゃんの言うことを聞かないのだ。 - 16二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:37:22
「ついてくるな……」
小さく言っても、アイツは少しも動かない。それどころか、ますます尻尾を振っているような気がして、腹が立った。
「ついてくるな!!!」
身を乗り出し、大きな声で言い放った。アイツはビックリして、スカートから口を離した。その顔は、今まで見たものとは全然違った。
その隙に、ウインディちゃんは、走った。
走った。走った。とにかく走った。どれくらい走ったのか覚えていない。どこを走ったのかも覚えていない。何かを叫んでいたかもしれない。汗にまみれていたかもしれない。よだれが出ていたかもしれない。その中に、涙もあったかもしれない。だけど、頭の中はめちゃくちゃで、何も考えられなかったのだ。
覚えていることと言えば、寮に帰った時には空が真っ暗だったこと、ヒシアマが料理を用意して待っていてくれたことくらいなのだ。 - 17二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:39:02
……
あれからしばらく経った。
イタズラはほどほどにし、トレーニングに没頭していた時期だった。すべてを忘れかけていたある日、部屋に置きっぱなしのドッグフードを見つけてしまった。
アイツは今、何をしているんだろうか。新しい飼い主のもとで、ウインディちゃんのことを忘れて生きてるんだろうか。
思い返せば、アイツはすごいヤツなのだ。苦しくても、つらくても、誰かに噛みつかなかった。それがカッコ悪くて、バカなことだと思っていた。けど、それがアイツのいいところだったのかもしれないと、思うようになっていた。
あの後、河川敷にはしばらく行っていなかった。特に理由があったわけじゃないけど、行く気になれなかった。
けど、アイツのことを思い出したら、また掘ってみたいと思ってしまった。
だから、ウインディちゃんは今日、再びあの河川敷に来た。そして、誰もいない草原で一人、穴を掘る。手下どももアイツもいない中、一人で落とし穴を掘るのは、なぜかつまらなかった。それでも誰かを落とすために、一人で掘り進めた。穴から抜け出し、後はバレないようにすれば……と考えていた、その時。
「あ、ウインディちゃん! 久しぶり!」
「なつかしいね、みんなで穴掘ったの」
「あとは隠すだけかしら?」
手下どもだ。あの頃の手下どもが来ていた。 - 18二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:39:18
「お、お前ら……どうして……」
「いや~、偶然ウインディさんの姿が見えちゃって……」
「なんか、思い出しちゃったんだよね。色々と」
「手伝って、いいわよね?」
笑顔で見つめてくる三人。なんだ、結局お前らも同じだったのか。たまたま思い出して、たまたま集まった。それだけのことだけど、なんだかとてもうれしかった。
「当たり前なのだ! お前らもがんばるのだ!」
それからは前のように、みんなで落とし穴を隠した。結果、前よりも上手く隠せた。時間も手間もかかったけど、みんな真剣に手伝ってくれた。
「やったのだ! これで完璧なのだ!」
完成を喜んだ次の瞬間、思い出してしまう。その穴の中には誰も入っていないと。いるはずのヤツが、そこにはいないと。
それでいい。それでいいはずなのだ。せっかく作った完璧な落とし穴を、台無しにするヤツはもういない。なのに、それが悲しい。それがさびしい。
そんなことを考えるウインディちゃんの顔を見て、手下どももうつむいてしまった。
しかし、その沈黙の中、足元に黒い影が見えた。その何かは、落とし穴の上に飛び込み、ズボッと、穴の中に落ちていった。
「うわっ!? なんだ!?」
驚いて、咄嗟に穴を覗く。 - 19二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:39:37
「ワン!」
犬の鳴き声が聞こえた。
「今のって!」
「まさか!」
手下どもも気付き、穴を覗き込む。そこには、見覚えのある姿があった。
アイツだ。アイツが、そこにいる。見上げている。ウインディちゃんを。あの頃と同じく、舌を出して、尻尾を振って、こちらを見つめ続けている。ただ一つ、前とは違うことがあった。首輪だ。首輪がついている。
「お前! なんでここにいるのだ!?」
驚いていると、アイツは自力で穴を上って、足元まで来た。あの頃のようにくるくると回っている。
「おお、お嬢ちゃんかい? この子の面倒見てたのは」
するといきなり、知らないおばあちゃんから話しかけられた。
「ん? なんだ、お前は」
「この子の、今の飼い主です」
- 20二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:40:13
話を聞くと、どうやら近所に住んでいる人のようなのだ。河川敷を散歩していたら急にコイツが走り出し、その先にいたのがウインディちゃん達だったという。さらにこのおばあちゃん、保健所の人からウインディちゃん達のことを聞いていたようだ。
「今の様子を見てると、とっても大事にしてくれたんだねぇ。この子に代わってお礼させてください。ありがとう」
おばあちゃんから手を握られ、反射的に手を払った。
「フン! 礼をされる言われはないのだ! コイツが勝手に子分になっただけなのだ!」
そう言ってそっぽ向くと、ポケットから着信音が鳴る。子分のトレーナーからだ。
『ウインディ! 今日トレーニングだよ!』
「げっ!? そうだったのだ!!」
今日は子分の予定に合わせ、急遽トレーニングを入れていたのだった。すっかり忘れていた……。
すぐに走り去ろうとした時、ふわっとした感触を足から感じた。しゃがんで目線を合わせる。
「お前は、お前のままで生きろよ。またな!」
あの時言わなかったことを伝え、河川敷を後にした。
- 21二次元好きの匿名さん24/07/28(日) 22:41:56
おしまいなのだ。
半年ぶりにSS書いたのだ。思ったより長くなったのだ。
書き始めると色々と思いついて、ついつい長くなっちゃうのだ。 - 22二次元好きの匿名さん24/07/29(月) 08:50:20
- 23二次元好きの匿名さん24/07/29(月) 20:03:07
普段返信しないんだけど、今回は返させてほしいのだ。
しっかりした感想が来て、とても嬉しいのだ。
昨夜時点では全然反応されてなかったから、ダメなの書いちゃったか…やっぱり痛く見えちゃったかな…と不安になってたのだ。この感想を見た瞬間、その不安が、炭酸の泡みたいにシュワシュワと消えたのだ。ありがとうなのだ。
また機会があればよろしくお願いしますのだ。
- 24二次元好きの匿名さん24/07/29(月) 20:23:40
めっちゃね…ウインディちゃんの悪に努めようとする姿と本心みたいなのが伝わってきてね、よかった…(語彙力喪失)犬も幸せになれてよかったな…。
自分が苦しいからか、犬との別れを惜しみたくないからか、虚勢を張ってあえて突き放そうとする根っこの優しさが隠しきれてないし…