- 1124/08/11(日) 21:38:18Velvet Motel [SS]|あにまん掲示板「雨、ですか」ある夜だった。窓を眺めて、一つため息。景色を映し出すスクリーンは、少しの時間しか白濁することを許さなかった。叩きつけるような豪雨ではなく、舞うような霧雨でもなく。遠くに見える街のネオンが…bbs.animanch.com
随分と前に投稿した自作ssの続きです
繋がりはありますが、読んでなくても大丈夫だと思います
- 2124/08/11(日) 21:38:51
「……憂鬱になりますよ」
再三に渡り傘を叩く警告。無機質な地面が、毎秒に濃くなってゆく景色。私はこの頃随分と多くなった、ため息を吐かずにはいられなかった。
傘の向こうに見える空は、決して機嫌が悪そうには見えない。少し顔色が怪しいくらいで、そりゃあ予報士にもわからないはずだ。こんな日に傘を持ち出すのもばかばかしいと、笑いながら家を出た心配性の私は、まあ結果的には正しかったらしい。
それというのも、ここ最近の降られ具合ははっきり言って異常なのだ。梅雨はまだまだ先だというのに、外に出る度降られていてはろくに気を抜いて散歩にも行けない。近く、雨女と呼ばれ始めるのも時間の問題なんじゃなかろうか。
だから、傘を持って出かけたのも、悪運からの経験則でしかなくて、屋根のあるバス停が近くにあったのも、また同様に悪運でしかない。私は常々、最善を引くことができない女なのだ。 - 3124/08/11(日) 21:39:24
「それにしても、このバス停も長生きですね。吹けば飛びそうな見た目なのに」
傘をたたみつつ、宿り先に文句を垂れる。口から流れ出す言葉の全てが愚痴っぽくなってしまうのは、私の悪い癖と言えばそうだし、いつもの仕事ぶりを思えば当然だとも言える。私は確かにサボりがちだけれど、それと数多の無茶振りに応えてきた事実は両立する。中間管理職はつらい。
話を戻せば、そのバス停は半個室のようで、道路側から見て左1/4には壁がなく、道路に面していない方と合わせて出入り口として機能していた。そして、木造。苔むした屋根と相まって、まさしく田舎にありそうな出来に仕上がっていた。
……うん、備えつけてある木造ベンチに腰掛けてみても、湿気以上の水分は感じられない。構造上の欠陥は無さそうなのが、余計に垢抜けなさを感じさせる。私が使った限りでは雨漏りしたこともないし、本当に、見た目と機能性は別ということを実感する。
壁に体重を預けながら、向かいに貼ってある時刻表を確認する。次のバスまで大体30分。……別に急ぎの用事ではないけれど、数分差で前のバスを逃したという事実はあんまり好ましくない。こういうのを悪運と言い、こういう時にため息を吐きたくなるのである。
そう、急ぎの用事ではない。まったく、卒業式の後片付けなんて、また面白くもない用事を押し付けられたものだ。 - 4124/08/11(日) 21:40:24
先日は、ゲヘナの卒業式だった。卒業式などといった格式ばった行事が、驚くべきことにこの学園でも成立するのである。
とは言え悲しきかな、ここはゲヘナ。ここは確かに、『自由と混沌』などという、一見校風とは思えない文言を掲げる学園、ゲヘナなのである。
先輩の(或いは自らの)卒業に関心のある生徒などたかが知れていて、殆どの生徒は式後に行われる大規模なパーティーが目当て。……言い切ってしまっても問題はない筈だ。 - 5124/08/11(日) 21:40:54
卒業式の答辞は空崎ヒナが務めた。流石というか、実にそつのない見事なものだったと思う。風紀委員会の面々は涙を流していたし、終わりには珍しく拍手も上がった。微笑をたたえて壇上を降りる彼女は、何か憑き物が落ちたようで、いつしかぶりに晴々として見えた。
勿論私も、拍手で送った。サボりもせず努力した人がそれで報われるというなら、容易いことだった。
努力した人が報われる世界。それはあまりにも美しくて、眩しくて、私の目を焼いた。けれど、それでもやっぱり、彼女は誇らしかった。陣営は全く違ったけれど、同じような悩みを抱えていた彼女。それでも頑張り続けた彼女。そんな彼女に祝福がないなんて嘘だ。
そんな訳で私は、隣に座ってそっぽを向く先輩を横目に、イブキと手を叩いたのである。 - 6124/08/11(日) 21:41:29
あとは……先輩で思い出したけれど、件のパーティーの話。
今年は例年にも増して大規模となり、万魔殿や風紀委員会のみならず、便利屋、美食、給食部等、ゲヘナにおけるほぼ全ての陣営、生徒が集まった。以前の万魔殿主催のパーティーと言い、誰も彼も祭り騒ぎがお好きなようで。
とは言いつつ、私も喧騒は嫌いではない、が趣味でもない。漏れ出る笑い声をBGMに、ベランダで一人、ウェルカムドリンクを嗜む。そんな楽しみ方しか出来ないし、そんな楽しみ方が好きだった。
そんな私に話しかけてくる物好きなんて、数は限られている。月を見つめる私の隣で、万魔殿議長、羽沼マコトはこう言った。
「イロハ、次期議長に興味はないか」と。
私は応えた。
「ありません」 - 7124/08/11(日) 21:41:58
先輩は少しだけがっかりした顔で「そうか」と言って、フェンスに腕をかけつつ、星を眺めながら、
「一番信頼しているんだが」
と呟いた。
あれで先輩は、中々策謀家だ。頭も舌も回る。外交はできるし、業務の振り分けは適切。風紀委員長よりも世渡り上手な先輩の『一番』は、信頼できるかと言われると難しい。
でも、理由も言わない私に言い放ったその一言は、結構嬉しかった。
無駄に整った顔立ちと、無駄に綺麗な星空に、なんだかちょっとムカつきもした。
パーティーはそんな先輩の演説で締め括られた。こちらは拍手などする者はおらず、野次と指笛の音だけが鳴り響く。
その悉くが笑顔なのを見て、誰でもいいけど、「どうだ見たか」って言ってやりたくなった。「風紀委員長がなんだ」って。 - 8124/08/11(日) 21:42:25
で、そんな一日の片付け指揮を任されたのが、この私というわけ。今更になって、どうしてこんなめんどくさい仕事を引き受けてしまったのかと憂鬱になる。まぁ、文字通り『後の祭り』なのだが。
『ゲヘナ生に朝から来いと言ったって、それはライオンに草を食べさせようとするのと同じ』
そう思って夕方から始めようとしたらこの雨。これだと1/3も来ないだろう。妙案もおじゃん。私の任務は殆ど達成不可になった訳だ。 - 9124/08/11(日) 21:42:57
小窓には、遠くに見える街の景色が上映される。このバス停はちょっとした丘の上にあって、道も真っ直ぐなものだから、いつもなら眺望も中々に良い。まあ、今日はこんな雨の日だから、折角の好立地も殆ど意味がないのだけど。
ぼやーっと、灰色に染まった街は、まるでモノクロームの映画のようで、寂しそうな気配を隠す気もない。磨りガラスになっていく覗き窓は、どうにもセンチメンタルで、最早息を止めても、外側からどんどん、不可逆的に進行している。私は餞別とばかり、熱っぽい吐息をかけて、意識を壁に預け、ふと、目を閉じてみた。
耳をすませば、聞こえてくる雨音。通過するエンジン音。世界に私と、ひとりでに動き出す鉄の塊しかないような、そんな錯覚に陥る。私がかろうじて許したのは、木々のざわめきと、頬に伝わる冷気と、どこからかの足音だけ。
……足音? - 10124/08/11(日) 21:43:32
その時私は、背中に感じる寒気、その責任を、夕立に押し付けた。それは多分、咄嗟にとった防衛本能なんだと思う。
それでも、五感と記憶は残酷で、『嬉しそう』に、誰かの来訪を告げている。どれだけ私が封をしていても、一度溢れ出してしまったら、全くもって意味がない。
音が近づくにつれ、ぼやけた予感は段々と、確信に変わっていく。靴音のリズムは、昔好きだった曲に似ている。中々聴くことのできない、レアナンバー。
私は知っている。石畳を忙しなく叩いているのが、黒い安物の、よく似合ったローファーであることまで。
目を開けることはない。寸分違わぬ映像を瞼の裏に上映できるのなら、現実を見る必要など、一体どこにあるのだろうか。
私がすることと言ったら、どうかこの偶然が夢であるよう、神様に祈ることだけ。 - 11124/08/11(日) 21:43:57
そんな私を、現実に引き戻したのも、
「うへー、雨だなんて聞いてないよー」
また『彼』だった。 - 12124/08/11(日) 21:44:32
外に聞こえる、気落ちした声。あと10秒もあれば、この中に入ってくるだろう。この様子だと傘もないみたいだから、濡れたままのスーツと、ぼさぼさの髪で。その時私は、どうなるんだろう。どんな顔で、どんな事を言って、どんな行動をするんだろう。数十秒後の自分の言動すら、全く想像できない。
そもそも私は『彼』に、会いたいんだろうか。
『彼』は私に、会いたいんだろうか。
私、
私は──
「……誰か──」
彼は部屋に入る。 - 13124/08/11(日) 21:45:06
「……気のせいか」
そこには、誰もいない。
道路と反対の口から出た私は、一人呟く彼の──
『先生』の声を聞いていた。 - 14124/08/11(日) 21:45:47
『先生』
連邦捜査部シャーレの顧問。身長は普通くらい。結構鍛えているらしいが、過労からか体重は痩せ気味。前髪を上げたくせ毛気味の髪と、虫も殺せなさそうな垂れ目、それと、困ったような笑いがトレードマーク。走っている時以外には足音がしない。プラモデルが趣味。私のターゲット。私の籠絡先。私のサボり場。そして……
──私の、初恋の、ひと。 - 15124/08/11(日) 21:46:14
そう、そうだ。確かあの時も、こんな雨の日だった。忘れもしない、半年前の出来事。懐かしい。あれももう遠い記憶の彼方だ。忘れることができないだけ。
小さなプールの付いたモーテルで、先と二人きりで、一緒にトランプをして、衝動のままに先生を求めて、それで。
──午前0時半。
痛みも、苦しみもなく、
ただ空っぽだけを残して……
……いや。 - 16124/08/11(日) 21:46:59
ふと、なんでこんな事をしてるんだろうと、思い返す。暴走した思考が急速に冷えてゆく。なんで私が隠れなきゃいけないんだって。
呆れ返って、ああ、またため息を吐いてしまう。幸せが逃げていくと教えてくれたのは誰だったか。当人は、人一人分飛び出した同じ屋根の下で、少女が幸せを逃していること、知っているのだろうか。
知っている筈もない。だって、歯の浮くようなセリフが聞こえてこないから。例えば……
「君の笑った顔が好き」──とか、の。
……あれが初恋だったのかすら、今となっては定かじゃない。晩夏の魔物に急かされた、一夜限りの性衝動だったのかもしれない。
そうであって、ほしい。だって、じゃないと、 - 17124/08/11(日) 21:47:24
「ばかみたい」
一人ごちる私の声は、雨がまっさらに消してくれる。
壁一枚隔てた向かいの人に、届く言葉は何もない。
見上げた屋根の裏側は、あまりにも殺風景で。
私を包み込む、溺死しそうな空気とは裏腹に、漏れ出た笑いは、酷く乾いていた。 - 18124/08/11(日) 21:48:05
雨の音しかしないというのに、俄然鋭くなっていく聴覚。私の耳は、ある音を捉え始める。
最初は雨の音と聞き紛ったかと思った。それほどまでに小さく、不鮮明だった。
音の小ささは、その物体の質量を表している。示すところによると、それは私と同じくらい。
音の間隔は、その人間の歩幅を表している。それも、私と同じくらい。
音の色は、その少女の気分を表している。
──そこが、私と違うところ。
急な雨に、上機嫌な少女がどこにいる?
急激に聴覚は仕事を放棄し始める。本来なら諌める筈の脳も、また同じ。どうやら皆、カクテルパーティーしたさにストライキを起こしているらしい。 - 19124/08/11(日) 21:48:38
「先生、大丈夫?」
でも私はそれを許さない。
なんでだろ。
なんでって、それは。
──こんなことになるなら、拍手なんてするんじゃなかった。
そう思う自分を、嫌いであるため。 - 20124/08/11(日) 21:49:00
「あぁヒナ、置いて行ってごめんね」
いつかサボることも出来なくなって、弱い方へと流されていかないように。
人への嫌悪を、自己嫌悪で覆い隠せるうちに。
それは、ある種の自傷感覚。
冷たい風が、やけに骨身に沁みる。
あの人達には、吹き抜けることのない風だった。 - 21124/08/11(日) 21:49:43
「急に走り出すから、びっくりしたわ」
「傘も一本しかなかったからね。私だって、なるべく濡れたくはないよ」
「その傘は一体誰のだと……いや、やっぱりいいわ。そういう人だものね、先生は」
「『お互いそんなに濡れずにすんでよかった』……それでこの話はおしまい。そうでしょう?」
「そういうこと。悪いね、私のお節介に付き合ってもらっちゃって」
「いや、いいの。大切にされてるってわかるから。文句があるとするなら……」
「ど、どうして、相合傘をしてくれなかったのかなって、それだけ」
「もう少し大きな傘だったらね、そうしたんだけど。何せ折りたたみ傘だから」
「……はぁ……」
「先生って、本当に『優しい』のね」
「そうかな?ありがとう。ヒナに言われるのは嬉しいよ」
「……そうね。確かに、私も」
「──優しい『だけ』」
「何か言った?」
「いや、なにも」 - 22124/08/11(日) 21:50:10
あー、耳を塞いでしまいたい。それができないのなら、今すぐここから逃げ出したい。なんでもいいから、二人の話を聞きたくない。
明らかに飽和量を無視して砂糖を入れ続ける彼女も、それを何の気なしに飲み干す先生も、私には最早、何の関係もないというのに。
『"甘すぎる"って言って欲しかったんだろうな』なんて、そんなところまで想像がついてしまう。 - 23124/08/11(日) 21:50:48
「それにしても災難だ。折角ヒナと会ったっていうのに、途端にこれなんて」
「先生が雨男なのよ」
「容赦ないね……」
あ、それは私も思ってました。私が雨女なんじゃなくて、多分先生が雨男。そういうことにしちゃいましょう。もっと言っちゃって下さい。どんどん。
でも、先生にこれだけ辛辣なことを言う委員長も珍しい。どこかそっけなかったし、きっとさっきの返答が余程気に食わなかったのだろう。 - 24124/08/11(日) 21:51:51
「でも、ちょうどよかった」
「それはまた、なんで」
「ちょっとこれから、用事があったの。卒業式の片付けがあるらしいから」
「卒業生が?」
「立つ鳥跡を濁さずって言うでしょ?最後の仕事と思えば楽すぎるくらい」
……ホントにゲヘナ生なのかな、この人。
勿論のことだが、三年生、つまり卒業生は片付けを免除されている。母校に愛情がないのか、それとも思い出作りなのかは知らないけれど、パーティー後に落書きや破損物品が転がっているのはそのためだ。 - 25124/08/11(日) 21:52:30
「卒業かぁ、なんだか夢みたいだね」
「……そう言うのって、普通卒業していく私達のセリフじゃないの?」
「いやあ、そうでもないよ。私にとっては初めて、自分の見てきた生徒が卒業していくわけだからね」
「……そう。そうだったわね」
……そうか。私もすっかり頭から抜けていたけど、考えてみれば、先生がキヴォトスに来てから、まだ一年も経っていない。疑いたくもなるが、れっきとした事実。もし認識に乖離があるならきっと、それだけ濃密な時間を過ごしたということなのだろう。 - 26124/08/11(日) 21:53:08
「そういえば、卒業式にも来てくれていたらしいけれど……ごめん、私、気づかなかった」
「『連邦捜査局顧問が特定の学校の卒業式に出席するのはいかがなものか』って、リンと揉めちゃってね。ほら、ゲヘナの卒業式は他の学校より少し早いから、最後まで話が纏まらなくて……」
「結局無理を言って、舞台の袖のところからこっそり見せてもらってたんだ。気づかれてないみたいでよかったよ。リンに怒られなくてすみそうだね」
知らなかった。確かに、先生が来ているという噂だけは聞いていたけど。絶対目を合わせまいと、来賓席を向かなかった私の努力はなんだったのか。
そんな私の無駄な努力を勿論知るはずもなく、彼と彼女は話を続ける。 - 27124/08/11(日) 21:53:59
「……卒業式、どうだった?」
「生徒達の門出だからね。『嬉しかった』」
「……って、言うのがいいのはわかってるんだけど……」
「ごめんねヒナ。正直寂しかったよ」
──驚いた。
先生が、先生らしくないことを言っている。
こういう場で、こういう時に。
「……珍しい。弱音、というか……先生らしくないことを言うって」
彼女が私の気持ちを代弁する。こうして口には出さないかもしれないが、きっと誰もが、違和感を感じる。それほどまでに『ありえないこと』だった。
「うん、珍しいと思うよ。意識してきたから」
「でも、ヒナはもう生徒じゃなくて、私と対等な一人だからね」
「私ももう、君の先生じゃない」
「……そうね」
ずきずきと、心が痛む。
それは盗み聞きをしている罪悪感もそうだけれど、多分、知らないからだと思う。
先生が先生でない時を、私は知らない。
私の知らない先生が、昨日から知らなくなった人と、壁一枚向こうで、知らない口調で話してる。
その事実がまだ、少しだけ、受け止められないだけ。 - 28124/08/11(日) 21:54:44
「……私は運命とか、縁とか、結構信じてるんだけどね。結局、私達の関係を表現した時に、『運命だから』『縁があったから』一緒にいるとは言わない」
「どうあがいても、私達はまず『生徒』と『先生』。それは一番端的で、一番正確な表現だから」
──そう、それは彼が……『先生』が、一番大切にしてきたこと。
先生だから、私達を助けてくれる。先生だから、相談に乗ってくれる。先生だから遊んでくれるし、先生だから、関係がある。
それ以上の関係、例えば友達になったとしても、それが『先生と生徒』を超えないことを、彼はよく知っている。
だからこそ、先生の中には明確な一線がある。生徒だけで話が進み始めた時とか、わかりやすいだろう。先生は途端に話さなくなる。 - 29124/08/11(日) 21:55:24
陽炎、幻、蜃気楼、偶然カタチを持ってしまった煙。何でもいいけれど、私は不安で仕方がない。
いつか消えてしまいそうで。
あなた、透明なんですよ。 - 30124/08/11(日) 21:56:11
「……要するに、不安なんだ。関係が変わってしまうことが」
「卒業していった誰かと、きっと関わりもなくなって、青かった思い出も、忘れていってしまうことが」
我が儘だ。自業自得だ。そんなのは、許されるはずのない戯言だ。
近づいてきたのも、遠ざかっていったのも彼自身なら、不安になることなんて許されない。
そんな感情を抱くなら、最初から放っておけばいい。
それでも、彼は近づいてくる。
私のカラダに、痛みのない楔を打ち込んで、
癒着寸前に、引き抜く。
血で錆びついてゆくのだろうけれど、
多分彼は繰り返す。
ぽっかり空いた穴の埋め方なんて、
私は知らないのに。 - 31124/08/11(日) 21:56:46
雨はまた一段と強く、私を糾弾する。声に、動きにさえならない遠吠えは、世界にも、向かいの知らない人たちにも届くことはない。
傘を持つ手はとっくに耐えかねて、感覚を失っていた。
一つ大きな風が吹いて、屋根はしらっと、横殴りの雨を素通りさせる。私の手はぎこちない動作で、傘を真横に傾ける。
雨音は屋根と、傘と、地面から。一際通る音はもちろん、ここではないどこかから、聞こえてくる。
「……そんなこと、ないわ」
「他のひとは、わからないけれど。私は先生さえよければ、いつでもこうして……」
そこまで言って、彼女は黙りこむ。或いは、私は聞く気を失くす。
彼女はまっすぐで、まぶしくて、きれい。
私なら多分、ああはしない。あんな、対応に困るようなことは言わない。
きっとため息と、小粋なジョークと、雨に纏わる掛詞で、『私はここにいる』って、同じことを言う。
……それで、きっと、そのどっちだって、彼にとって変わりはない。 - 32124/08/11(日) 21:57:41
「ありがとう、ヒナ。すごく嬉しいよ」
「ヒナがそう言ってくれるのも、今日ここで、ヒナに会えたのも」
……あぁ、いけない。そういうところ。
彼には線引きがある。
その線引きは厳格で、それでいて近すぎる。
眉を下げて笑う、あの顔を、思い出してしまう。
いつの間にか、心地よい毒が身体を巡る。
けしのチョコレート菓子、みたいな。
そんなもの、もちろん犯罪だ。 - 33124/08/11(日) 21:58:16
「う、うん。ありがと」
「……私も、うれしい」
ほら、禁断症状が出てくる。
それは、私が言っていた言葉。
それは、私がしていた笑顔。
そこは、私の座っていた場所。
そんな、どーでもいいくだらないことが、浮かんでは消え、渦を巻きながら、攪拌と沈澱を繰り返す。
数十秒、雨音はついに独擅場を得る。奏でられた第9番4楽章は、しかし私の思考を助けてはくれない。
聴くに堪えないコーラスが入るまで、私はどこかこの世のものではなく、ただ判然としない曇天に揺蕩っていた。 - 34124/08/11(日) 21:58:59
「わたし……私はね、先生。卒業は嫌じゃなかったわ」
「もちろん、アコや風紀委員会のみんな……いまとなってはマコトとだって、別れるのは寂しい」
「けれどやっぱり、私はこの三年間、とってもたのしかった。有意義だった」
「卒業式で拍手を貰ったときに、気づいたの。私のしてきたことが、正しいかそうじゃないかなんてわからないけれど」
「この景色があるのは、今までのおかげなんだって」
私は、危機感を感じていた。
何かがどうしようもなく変わってしまうような、そんな予感、直感。
柔らかなハイトーンボイスは、この世の幸福を煮詰めたような声。
それはなんとなく、天使のラッパを想起させた。 - 35124/08/11(日) 22:00:21
「──変わったね。ヒナ」
「ええ、変わったわ。『先生』──ううん……」
「あ……『あなた』のおかげで……」
「ありがとう。でもね、それは多分、ヒナが頑張ったからなんだよ。だって……」
「今のヒナ、とっても綺麗だ」
いつの間にか、手が震えている。悴んでいるのかなんなのか、私は知らない。
吐く息は荒く、ともすればどろどろしたモノが出てきそう。
耳鳴りがしていて、世界との距離がどんどん遠ざかっていく。のに、通り過ぎる車の音と、二人の会話だけがやけに反響している。 - 36124/08/11(日) 22:00:51
「──さっき言ったけど、先生。私、卒業は嫌じゃなかったの」
「色々と理由を並べたけれど、結局、一番の理由は言ってなかったわ」
立っていられなくなって、壁に全てを預ける。
傘を持つ手は垂れ下がって、前髪と靴に、屋根が溢した液体がかかる。
もう何も聞きたくないのに、世界は五月蝿い。
カラダの震えが止まらないのに、脳はなんだかぬるま湯に浸かったみたいで、
私は、次に彼女が言うはずの言葉を、ただ待っていた。 - 37124/08/11(日) 22:01:16
「……うれしい」
「あなたと、ようやく対等な関係になれた」
それは、少し場所を移動しただけ。
それは、ごく普通の言葉。
それは、衣擦れの音。 - 38124/08/11(日) 22:01:45
「ヒナ……」
「嫌だったら、突き飛ばして。私は大丈夫」
「本気……だよね」
「うん、本気」
うるさい。もう黙ってほしい。さっきから体調が悪い。雨のせいだろうか。雨のせいなのだろうか?
ありえない。だって、私はそうじゃなかった。そんな言葉かけてもらえなかった。
私だって本気だった。遊びなんかじゃなかった。冗談なんかじゃなかったのだ。
黙ってないで、何か喋って下さいよ。嫌って言って下さい。「まだ子供だから」って、あの困ったような笑顔で言って下さい。 - 39124/08/11(日) 22:02:13
「……ヒナ」
彼はそれ以上何も言わない。私にはその意味がわからない。厚さ10cmもない隔たりは、決定的に全てを分けている。 - 40124/08/11(日) 22:02:53
──今。
今ここで、バス停に入って、「この人は私のものです」って言えたら。
そんなのって、どれだけいいだろう。
私には、勇気が足りない。
資格もない。
あの日から、心に貼りついたまんまの風景。
あの、悲しそうな顔が、怖い。
私にできるのは精々、足元の水溜まりを踏みつけることだけ。
大きくパシャっと音を立てて、それでも二人の世界には、まるで届かない。
ざーっという音が、もはや何の音かもわからず、
そのまま、何もかもがわからなくなって。
ついには、全ての関わりが、切れて。 - 41124/08/11(日) 22:03:28
「……んっ」
水音は雨音にかき消えてゆく。
雨はなんでもかんでも、洗い流してゆく。 - 42124/08/11(日) 22:04:03
その時私は一人。
この場所で一人、思う。
──私とあの人の一年に、一体なんの差があるんですか。
ねぇ、教えて下さいよ、先生。 - 43124/08/11(日) 22:04:30
──どれだけの時が流れたのか、私にはわからない。
一瞬だった気もするし、半日くらい、だった気もする。
雨の音というのは、時間感覚すら曖昧にしてしまう。
「……あぁ、やっぱり、通り雨だったね」
彼は言う。
見れば、薄雲の隙間から夕陽が差し込んでいる。今はまだ二月。日が傾くのも早い。 - 44124/08/11(日) 22:05:19
「……ごめん先生。こんなところで。私の思いも伝えてないのに」
「いいや、こっちこそごめん。緊張しただろうに、ヒナからさせちゃって」
「い、いいの先生!」
「……私、初めては自分から、したかった、から……」
「でも先生。ほんとうに、よかったの?その、私で……」
「もちろん。卒業するまで待ってくれたんだから、その誠意には応えなきゃ」
「それに、多分私だって、ヒナを同じくらい好きな自信はあるよ」
なんだか、向こうの二人は、知らない話題で盛り上がっている。
幸せそうに、話してる。 - 45124/08/11(日) 22:05:56
「あ、ほら、バスも来たみたい。折角だし、ゲヘナまで送っていこうか?」
「……お願い。一度落ち着いちゃったらきっと、ゲヘナまで行けないわ」
「……弱ったな。そんな顔されちゃったら、私までドキドキしてくるよ……うー、先が思いやられるな」
バスの停まる音。ぷしゅーという、蒸気機関みたいな音。
二人はついぞ、私に気づくことのないまま、この場を去っていく。
「……ん」
後に取り残されたのは、最初と同じように、私一人。 - 46124/08/11(日) 22:06:27
バスが行ったのを見届けると、足元に投げ出された傘を拾う。
「うわ……べちゃべちゃじゃないですか」
いつの間にか座り込んでいたらしく、お尻には、何とも言えない気持ち悪い感覚がある。
「バスには座れないな」なんて考えていると、そういえば、あのバス、私も乗らなきゃいけなかったことを思い出した。
「あー、やめやめ。今日はサボっちゃいましょう。この後、どんな顔してあの人に会ったらいいかわかりません」
だってほら、通り雨だったから。真っ赤な夕陽が見えるから。 - 47124/08/11(日) 22:07:02
「……そう、通り雨ですよ。きっと」
空に投げかけた言葉は、残酷に溶けてゆく。憎たらしいほど下卑た光が、私を照らしている。
悲しみは、ふとした時に通り過ぎるだけ。
止まない雨は無いなんて、ありきたりだけれど、
でも、本当のことだ。 - 48124/08/11(日) 22:07:59
「……あれ」
ふと、顔が濡れる。
ぽつり、ぽつりと、水溜まりに液体が落ちる。
「……天気雨、ですかね」
波打つ水面には、鏡台を持って、嬉しそうに出かける女狐。
そんな幻が、きらきら光っていた。 - 49124/08/11(日) 22:13:20
完結です。
まずはここまで読んで下さりありがとうございます。長すぎますこれ。
雨が続いていた時期に書くとこんな重くなるんですね……こわいです。
タイトルは……今回は元曲ありません。スレの残りはどう使ってもらっても大丈夫です!(感想があればどんどん下さい。泣いて喜びます) - 50二次元好きの匿名さん24/08/11(日) 22:16:05
前作から好き
ワードセンスが好き
登場人物の気持ちの表現が上手すぎて大好き - 51二次元好きの匿名さん24/08/11(日) 22:22:37
イロハの文豪兄貴じゃないか!
- 52124/08/11(日) 22:23:22
- 53二次元好きの匿名さん24/08/11(日) 22:36:38
良SSだぁ…
- 54二次元好きの匿名さん24/08/11(日) 22:53:21
天気雨→狐の嫁入り→最後の文で繋ぐのいい……
- 55二次元好きの匿名さん24/08/11(日) 23:04:09
心情描写が本当に良い
次回作も待っています - 56二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 00:34:06
いいゾ〜これ
- 57二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 00:54:58
あの日、生徒と先生でなくなった後にと言えていれば違ったんだろうか
余りにも罪作りな人だ - 58二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 01:06:54
ええやん、なんでイロハssはこんなにも文才が多いんですかね
- 59二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 06:28:46
お前か!!!!!!ありがとう!!!!!!!!!!!!
- 60二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 08:25:37
あんたのSSを待ってた
- 61二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 18:56:42
このレスは削除されています
- 62二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 20:54:21
おお・・・流石の完成度。特に文章の美しさに関しては、間違いなくあにまん最高クラスのSS書きですよ
ところで、不躾な質問だとは存じておりますが、以前書かれていたツムギのSSは完成させる予定はありますでしょうか。完結直前でスレが落ちてしまい、ずっと心にしこりが残ったような気分です。
私はあのSSに感銘を受けてツムギ✖︎レイサでSSを書き始めた者です。しかし、元となったSSが完結していないのに、続きを書くべきか迷っています。
もしよろしければ、完成させる予定があるかだけでも教えていただけないでしょうか。そこの踏ん切りさえつけば、続きが書ける気がするのです。
長文失礼しました
おすすめのブルアカss教えてくれたら|あにまん掲示板望む内容のssを私が書こう。等価交換だ!(1レスにつき1ssは流石に無理です。ブルアカのガチャ引いてる感覚で待っててね)•リンク•おすすめ理由•書いてほしいssの内容 (順不同)を頼むーbbs.animanch.com - 63124/08/12(月) 21:27:48
- 64二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 09:03:46
ほ
- 65二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 10:30:34
以前、前回のスレを見たときに読まなくていいやってスルーしてずっと後悔してました
いつか読む機会ができれば…って思ってたんですけど、急に叶ってビックリです
良いSSでした。本当に有り難うございます… - 66二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 11:38:27
- 67二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 19:07:02
- 68二次元好きの匿名さん24/08/14(水) 02:35:18
ちゃんと文学小説読んでそうな文体だね。努力が垣間見えるよ