【SS】万緑の中や

  • 1二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:19:33

    「や、今日のはそこまで負担かかる感じはなかった」
    「なら次回は少しトレーニングの強度を上げておくよ」
    「ん」

    トレーナーは所感をパソコンに打ち込んだ。家でもできる仕事だった。
    しかし顔を画面に向けたまま目線だけで担当の姿を見て、もう少しトレーナー室に留まることにした。
    目線の先。トレーナーの作業机に対して垂直の向きに置かれたソファ。いつも机で作業をするトレーナーに近すぎず、遠すぎず。
    そんな位置にあるソファで、担当ウマ娘──ナリタタイシンは、膝を三角に折ってちょこんと丸くなっていた。
    最初はトレーナー室にすら寄り付かなかったが、段々と慣れてきたのか、ゲームセンターで取れたけど部屋に置ききれないからと持ってきたぬいぐるみやクッションが並ぶ頃には、そのソファが彼女の定位置となっていた。
    膝の上でスマホゲームをしているらしく、顔は合わない。ソファの下には彼女の小さな靴がきちんと並べられている。

    遠くグラウンドから生徒の声がぼんやり聞こえてくる。
    トレーナー室には大魚のような沈黙が漂っていた。声は無くとも音があって、それゆえ何を喋らなくても許される空間があった。
    この時間を自分から破るのは忍びなかったトレーナーは、帰ってからやろうとしていたメニューの微調整に手をつけようとした。

    「……この前さ」
    「──うん」

    平静を装って返事をしたけれど、トレーナーは内心では飛び跳ねそうになっていた。
    口火を切った彼女の様子を伺えばスマホから目線を上げてはいなくて、それ故パソコンに目を戻す。

    「休みがクリークさんと被って。……いつもお世話になってるから、なにか付き合うよって言ったの。そしたらクリークさんの実家──託児所でさ、人手が足りないからどうしても手伝って欲しいって言われて、行ったの」

    ぽつりぽつりとタイシンは語り始めた。言葉少なな彼女が日常のことを喋るのは珍しい。トレーナーは身を乗り出さないように注意しながら、優しく相槌を打った。

    「そしたらそこ、赤ちゃんも預かってて。ちょっとの間、抱っこ頼まれてさ」

  • 2二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:19:56

    いつの間にかスマホの画面は天井を向いていた。黒い画面はトレーナー室に差し込む夕陽を反射して、部屋の隅を水面のようにきらきら光らせていた。
    タイシンはそれに目もくれず、思い出を拾い集めながら話す人がそうするように、ちょっと斜め下を見ていた。

    「──赤ちゃんって、すごかった。あったかくて、ずっと動いてんの。あんなにちっさいのに、指を握る力とか、びっくりするほどだった。なんかで読んだけど、赤ちゃんは守りたくなるようにできてるってほんとなんだなって思った」

    勢いよく喋ったタイシンは空気を取り入れるように息を吸って、そこからまたしばらく黙り込んだ。
    トレーナーは、もう画面に目を向けていなかった。彼女の横顔──小さく形の良い鼻を見ながら待っていた。
    膝を抱え直したタイシンは、半袖の袖口に口を押し付けるようにして喋った。

    「アタシ、産まれた時から小さくて。それで親にいろいろ言われたり心配されたりしてきた。……ずっとそれが嫌だったんだけどさ」

    タイシンは顔を上げた。もう随分前からタイシンを見つめていたトレーナーと目が合ったが、動じる様子は見せなかった。

    「きっと、ああいう気持ちだったんだね」

    タイシンは、眉を少し下げた穏やかな顔をしていた。
    しかしそれ以上に優しい顔で微笑むトレーナーを見つめているとじわじわと震えだし、遂にはプイと顔を逸らしてしまった。

    「アンタの顔見てたら何言いたいか分かんなくなった」
    「俺は花とかプレゼントしたけど、タイシンのご両親はそれがご職業だからなぁ」
    「〜〜っ、ウザ」

    つっかけるようにして靴を履いて足早にトレーナー室を後にしたタイシンは、しかしドアを閉める間際「次の休み、付き合ってよね」と呟いたので。
    トレーナーはちょっと伸びをしてから、パソコンで花以外でのプレゼント候補を探し始めたのであった。

  • 3二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:21:01

    おしまいです

  • 4二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:25:35

    このレスは削除されています

  • 5二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:26:19

    このレスは削除されています

  • 6二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:27:07

    このレスは削除されています

  • 7二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:27:11

    タイシンのSS助かる
    最後の照れ隠しのタイシンいいねぇ……

  • 8二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:27:45

    このレスは削除されています

  • 9二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:28:05

    このレスは削除されています

  • 10二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:28:25

    >>8

    荒らしは無視、これ原則ね

  • 11二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:29:51

    赤ちゃんってこう抱っこしてると守りたい気持ち強くなるよね
    尊いSS感謝です

  • 12二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:31:01

    最低限の描写で色々と示唆する描き方と情感がすごくすごいです!

  • 13二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:33:14

    2レスでここまで深い物語書けるの尊敬するわ……

  • 14二次元好きの匿名さん24/08/12(月) 21:53:19

    「万緑の中や吾子の歯生え始むる」かな?
    葉の緑と歯の白さが対比になってていい句だよね

  • 15124/08/13(火) 01:14:35

    >>7

    久々にタイシンの育成ストーリー見てたら良すぎて書いていました。あの二人の距離感が好きです


    >>11

    赤ちゃんを抱っこした時のあの気持ちを書きたいと思っていたのでそう言っていただけると幸いです


    >>12

    長いSS書けないのが悩みですがそう言っていただけるとありがたいです


    >>13

    すごく嬉しい感想です ありがとうございます


    >>14

    夏のSSということで題名に引用しました。夏の緑と小さな命を感じるところが好きです

  • 16二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 01:18:36

    ここがいい、今いる場所が自分の居場所だって言えるようになったタイシン
    そうして自分を愛せるようになって、また新しいことを知っていく
    とても素敵な未来を見せていただきました
    ありがとうございます

  • 17二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 01:33:46

    両親に感謝を伝えるなんていつやってもいいですからね

    珍しくタイシンから話しかけられて机から乗り出しそうになるトレーナーがらしくて好き

  • 18二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 02:08:38

    『ゲームセンターで取れたけど部屋に置ききれないからと持ってきたぬいぐるみやクッションが並ぶ頃には、そのソファが彼女の定位置となっていた』

    この表現、なんか好きだな。時の流れがわかりやすいというか

  • 19124/08/13(火) 08:58:31

    >>16

    ウマ娘のストーリーの中でも自分にかけられた呪いと向き合ってそれを少しずつ解いていくようなストーリーが好きなのでそう言っていただけると何よりです ありがとうございます


    >>17

    ストーリー読んでてタイトレならこういうことしそうだな〜というのをちょこちょこ書いたつもりなのでらしいと言っていただけると嬉しいです ありがとうございます


    >>18

    タイシンがトレーナー室に寄り付く経緯を考えたらこんな感じになりました

    この二人は何をするにも時間が必要だと思うので時の流れという言葉にそれだ!となりました。ありがとうございます

  • 20二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 11:59:37

    好き〜!

  • 21124/08/13(火) 15:56:28

    >>20

    ありがとうございます。書きたいものを書いてそう言っていただけるのが何より嬉しいです

  • 22二次元好きの匿名さん24/08/13(火) 22:55:08

    すき

  • 23124/08/13(火) 23:58:05

    >>22

    いつもつり気味の眉がほんの少し下がっていて、彼女の呪いがひとつ解けたと分かるような表情と、華奢な体格がちんまりと、そして美しくまとめられている神絵!

    ありがとうございます

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