- 1二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:34:23
- 2二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:35:43
確かにヤエノは、たまに制服姿で空手の型を披露することがある。のだが…年頃の美少女がスカートをひらひらと舞わせているのは正直目のやり場に困る。だが彼女の真剣な、少し緊張している様な表情からは相当な鍛練を積んだ様が窺える。ヤエノの思いを無下にはしたくない。
「トレーナー殿、今ここで披露してもよろしいでしょうか?お時間などは…。勿論、無理にとは言いません。また改めます故」
「いや、全然大丈夫だよ。ヤエノが空手の型とか見せてくれるとこっちも気合いが入るし、何より型をしている時のヤエノ、格好良くて好きなんだ」
「…!左様ですか…。か、格好いい…と…。す、すぐ準備いたしますので、少々お待ちを…」
そう言うとヤエノは、ギクシャクとした手つきでスクールバッグの中を漁り始めた。何か道具を使うのだろうか…。
ヤエノは、バッグの中から手の平に収まる程度の物を取り出した。それは、丸く包まれたラップだった。
「トレーナー殿。此度の技はこれを使います」
「…これは?」 - 3二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:36:12
ヤエノがラップを開きながら説明する。
「さくらんぼの茎、です」
「さくらんぼの…くき…」
(を使って、何するんだ…?)
まるで分からなかったのだが、以前ヤエノが見せてくれた、ある技を思い出した。
それは、ひらひらと舞い落ちる桜の花びらをキャッチする、というものだった。簡単そうに見えるが、実際にやってみると非常に難しく、俺はヤエノに指導されながら漸く一度だけ成功した。一方ヤエノは、いとも簡単に幾つもの花びらを連続でキャッチしてみせた。
(もしかしたら、あれに似たような技なのか…?)
と考えていると
「ふぅー…」
ヤエノは目を閉じ、大きく息を吐いた。彼女は今、精神統一をしている。
(す、凄い集中力だ…)
一瞬にして、部屋の空気がヒリつくのを感じる。まるで重賞レースもかくや、といったところだ。 - 4二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:36:37
「……良し」
やがてヤエノは目をゆっくりと開き、呟いた。
(始まる…)
何が始まるのかは分からないが今は唯、彼女を見守る。
「それでは…参りますっ!はっ!」
空気を切り裂くような鋭い声を発したかと思ったら、ヤエノはさくらんぼの茎を自身の口に放り込んだ。
「ヤ、ヤエノッ!?」
思わず叫んでしまった。食べられないことは無いだろうが、無理して食べなければならないものでも無い。
「喉に詰まらせたら大変だ…!今すぐ…」
吐き出すんだ、と言おうとしたところでヤエノが"お待ちください"と言いたげに手の平を向けてきた。
「ふぉれーなーふぉの。ふぉしんふぁいなふ…」
"心配するな"と言われても、急に訳の分からないことをしだしたのだから、心配するなと言う方が無理な話だ。しかし、本人が心配いらないと言うのだから今は見守る他ない。 - 5二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:37:13
ヤエノは再び目を閉じ、両脇を締めて拳を握り、構えている。それだけ見れば空手の構えの様に見えるのだが、口がモゴモゴと動いている。良く噛んでいるのだろうか…。飲み込むのなら、せめて良く噛んでほしいと固唾を飲んで見ていると
「…ん…むぐ…くっ」
ヤエノの眉間に皺が寄り、閉じられた口からは呻き声のようなものが漏れ始めた。
「ヤ、ヤエノ!」
(もしかしたら詰まらせたのかもしれない…!)
と、ティッシュを片手に彼女に駆け寄る。
「ヤエノ!早く吐き出すんだ!」
ティッシュを数枚取り、渡そうとしたその時
「…ッ!!」
カッ!と音がしそうな程の勢いでヤエノの目が開かれた。
「ふぉれーなーふぉの。ふぉれお」
ヤエノは口元を片手で隠し、反対の手で俺の持っているティッシュを指差した。 - 6二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:37:34
「こ、これ….?」
俺がティッシュを掲げると、ヤエノがコクリと頷いたので手渡した。ティッシュを受け取ったヤエノは口元を手で隠したまま、そこにティッシュを持っていった。茎を口から出しているのか…?
「ふぅ…。ご心配おかけして申し訳ありません、トレーナー殿」
「いや、良いんだ…。喉に詰まらせたりしなくて本当に良かった…。それで…これは一体どういうことなんだ…?」
茎が包まれているであろうティッシュを手にしているヤエノに疑問をぶつけた。
「これは失礼。こほん…それでは…私の研鑽の成果、とくと御覧あれ!」
「こ、これは…!」
ヤエノがティッシュを広げるとそこには、くるりと輪を描くように結ばれたさくらんぼの茎があった。
「トレーナー殿。御覧頂いた通り先程私は、これを口の中で結びました。無論、手を使わずに、です」 - 7二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:37:54
「しかし、私はティッシュで一度隠してしまいました。その際に手で結んだのでは…と疑われても仕方ありません」
「ですがこうでもしないと、その…唾液で汚れた茎を晒すことになる…。トレーナー殿に斯様な見苦しい物をお見せする訳にはいかぬ故、何卒御容赦を…」
「ですが!不肖、ヤエノムテキ!誓って手など使っておりません!トレーナー殿…。信じて頂けますか…?」
「あ、ああ…。ヤエノが嘘を吐くなんて思わないし、信じるよ…」
「トレーナー殿…!そのお言葉、恐悦至極…!」
さくらんぼの茎を手の平に載せ、頭を下げるヤエノ。彼女が嘘を吐くとは思っていないし、ズルをする訳がないと信じている。だが問題はそこではない。
(ヤエノは…これの意味を知らないのか…?) - 8二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:38:14
"さくらんぼの茎を口の中で結ぶことが出来る人は…"
俺も学生の頃に耳にしたことのある噂話。恐らくは、もっと昔から存在している都市伝説のようなもの。その内容故に、思春期の学生達が興味を惹かれるのは不思議ではないが、まさかヤエノが知っていたとは…。だが、彼女は恋愛に非常に疎く、恋愛漫画の描写ですら顔を真っ赤に染め上げていた。そんなヤエノが俺に嬉々として見せに来るとは思えない。そもそも、これを"技"と呼んでいたことが引っ掛かる。
「…ヤエノ?この技は、どこで知ったんだ?」
…もしかしたら、友人達にも披露する気かも知れない。これ以上傷口が広がる前に事情を聞いてみることにした。 - 9二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:38:33
「気になりますか?然らば…あれは丁度一週間前。アルダンさん、チヨノオーさんと共に、食堂にて昼食を摂っていた時の事です」
「私達の近くのテーブルで、同じクラスの方二人が話していたのです」
「『さくらんぼの茎を口の中で結べる人は、何かが上手である』と…」
「盗み聞きをした訳ではありません。ただ、耳に入ってしまいまして…」
「一体、何が上手なのか…。そこだけ聞き取れず気になってしまった私は、無礼を承知でそのお二方に伺いました」
(聞きに行っちゃったのか…)
彼女の実直な性格が、今回ばかりは裏目に出てしまったようだ。
「するとお二方は、無礼な私めに親切に教えてくださったのです。何やら気まずそうにされていましたが…」
「そう、『さくらんぼの茎を口の中で結べる者は、英語の発音に長けている』のだと!」
「いずれ、外国の方とも競う機会が訪れる…。勝負の後に互いの健闘を称え合うその時、立ちはだかるのが言語の壁です」 - 10二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:38:55
「せめて英語ならば、どの国の方とも意志疎通が図れるでしょう。しかし恥ずかしながら、私は英語があまり得意ではありません…」
「ですが簡単な単語ならば分かります。そして英語で話す際、発音が重要であると聞き及んでおります。つまり、発音が完璧ならば、己の意志を相手に伝えることも可能なのではないか?」
「そう確信した私は、その日からさくらんぼを買い続け、日夜鍛練に励んでいた…という次第です」
(成る程...そういうことか…)
ヤエノは嘘を教えられたのだ。しかしそれは悪意からではない。ヤエノの性格を知っていたクラスメイト二人の苦渋の決断。きっとその二人はヤエノに真実を教えると、最悪その場で倒れてしまうと思ったのだろう。
「トレーナー殿も如何ですか?ノーリーズンさんの助力もあって、まだまだ茎はございます故。ご心配なく、全て洗浄してあります」
こちらの苦悩もよそにヤエノは、大量の茎が入ったタッパーを差し出してきた。
ノーリーズン…。ヤエノの同室のウマ娘。きっと、毎日のようにさくらんぼを買ってくるヤエノに付き合ってくれたのだろう。
(すまない…ノーリーズン…)
後で彼女と、彼女のトレーナーに謝りに行こう…。 - 11二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:39:24
とにかく、今俺がすべきことは一つ。ヤエノに真実を教えること。
「…ヤエノ、落ち着いて聞いてくれ」
「…?はい…如何なさいました?」
「まず…英語の発音云々の話は…嘘なんだ…」
「な…そ、それは…真ですか…!?」
驚愕の表情を浮かべるヤエノ。まぁ無理もない…。
「しかし…私はあの時確かに…。もしや聞き間違いを…?それとも、あのお二方はやはり私に憤って…」
混乱しているヤエノに声をかける。
「いや…その二人は、悪意があって騙そうとした訳じゃないと思う」
「では何故、斯様な嘘を私に…?」
「ヤエノに本当の事を教えたらきっと…ショックを受けるだろうと判断したんだと思う」
「いいかヤエノ、良く聞いてくれ。本当は何が上手なのかというと」
「その…キス…の…事なんだ…。さくらんぼの茎を…口の中で結べる人は、キスが上手…と言われている…」 - 12二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:39:42
正直、俺もかなり恥ずかしい。年頃の女の子相手に何言っているんだ…穴があったら入りたい…そんな気分だった。
「結構昔からそういう噂話が流行っていてね、俺も君と同じ年齢の頃に初めて聞いたんだ」
「ヤエノはそういう話は苦手だろ?だから……ヤエノ…?」
ヤエノが全くリアクションをしなくなった。俺は恥ずかしさから俯きがちに話していたのだが、顔を上げてみると
「…え…あっ…キ、キ…ス?わ、わた…えっ…?」
顔を真っ赤に染め上げながら、口をパクパクさせているヤエノがいた。
(まずい…!)
「えっと…ヤエノ…?大丈…」
彼女を落ち着かせようと手を伸ばした瞬間
「う、うあああっ!!」
「ヤエノッ!?ヤエノーッ!」
ヤエノは顔を両手で覆いながら、荷物を全て放り出し、トレーナー室から飛び出してしまった。 - 13二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:40:09
その後、人目のつかない物陰で蹲っていたヤエノを見つけ出し「今日の事は互いに忘れる」と約束し何とかなんとか宥めた。
俺とヤエノは、ノーリーズンと彼女のトレーナー、そしてヤエノを慮って優しい嘘を吐いてくれたクラスメイト達に二人で感謝と謝罪を伝えた。
その後のヤエノはというと、俺とまともに目も合わせられなくなり、トレーニングに身が入らない日が数日続いてしまったのだった。
ヤエノムテキ、一生の不覚。 - 14二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:41:06
おしまいです
スレ画は切り取るのを完全に忘れてました
スレ主、一生の不覚 - 15二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:42:47
中々に良かったぞ
ちなみに同期のアルダンが苦手な物として実はさくらんぼを挙げているんだ
今後同期同士でご飯を食べている時に変わりに食べてくれないかと言われて目を泳がせるヤエノが見られるかも知れないですね
それでは - 16二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 19:52:43
ヤエめろのSSは割と貴重だから助かる
初心さ全開なところがほんと可愛いのよヤエめろは - 17二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 20:03:23
ヤエめろの実直な性格が裏目に出ててめちゃよかった…舌の技を会得してしまったとなれば、いつどのタイミングで使うことになるのでしょうねぇ…
- 18二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 20:05:42
ヤエノ 良いご友人に恵まれて良かったね
- 19二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 20:31:22
あくまでそういう噂とはいえ、ヤエノがお上手だってことがわかってしまったトレーナーと自覚を持ってしまったヤエノの今後が楽しみですね……
今回の騒動に参加してない誰かとヤエノが同席したときにその子が茎をあっという間に結んじゃってちょっと不埒な考えをしてしまってそう - 20二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 20:54:38
ヤエノはリズ子の前でも練習していたんだろうか
笑いを堪えて顔が歪むリズ子が目に浮かぶ - 21二次元好きの匿名さん24/08/19(月) 22:31:40
皆さん感想ありがとうございます。
アルダンさくらんぼが苦手だったんですね。初めて知りました…。ヤエノは暫くさくらんぼ見れないでしょうね…。
普段は凛としていてキャラソンもあんなに格好いいのに、恋愛事になると途端に初心になってしまう…。そのギャップが可愛いですよね。
仮に将来トレーナーなりとそういう関係になったとして、今回会得した技を使うまでにどれだけ時間が懸かるのか…。
ヤエノの初心な性格はクラス中に知れ渡ってそうだなぁと思ってます。そして皆に揶揄られつつ、見守られてそう。
今回の事は一応忘れるという約束ですが、ふとした瞬間に互いに意識してしまってギクシャクするってのも良いですね…。
当然練習を見られてるでしょうね。ノーリーズンは、本当の事を教えてあげたいけど、自分も恥ずかしくて言えず、せめてもの罪滅ぼしにヤエノの分のさくらんぼも食べる...とかしてそうです。
- 22二次元好きの匿名さん24/08/20(火) 09:45:35
かわいいSSでした
ありがとう - 23二次元好きの匿名さん24/08/20(火) 13:48:01
凄く和みます
- 24二次元好きの匿名さん24/08/20(火) 19:12:36
キスが上手くなったヤエノ…今後が楽しみじゃあ〜
- 25二次元好きの匿名さん24/08/21(水) 02:42:22
いずれ技術を披露する日まで、ひそかに訓練してそう
- 26二次元好きの匿名さん24/08/21(水) 10:20:31
師匠にも言えない話になったな